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【スラバヤの風-30】スマラン周辺に2つの工業団地建設
ジャカルタ周辺からの工場移転先として、全国で賃金が最も低い中ジャワ州が注目を集めて久しい。繊維、縫製、その他労働集約関連の工場移転が続いている。
たとえば2014年の同州での最低賃金を見ると、最も高いスマラン市でも142万3500ルピアであり、最も低いプルウォレジョ県(ジョグジャカルタ特別州の西隣)では910万ルピくアである。州内37県・市で最低賃金が100万ルピアに満たないのは9県あり、その多くは州の南部に分布している。
そして、単に賃金が安いだけでなく、労働争議がほとんど起こっていない点が特筆される。一般におとなしく従順な労働力で、現在でもジャカルタ周辺の工場労働者となって働いている者が少なくない。しかも手先の器用な若年女性労働力が多く、それを生かしたカツラ・付け睫毛生産の韓国系企業がプルバリンガ県に20社以上も進出している。
そんななか、州都スマラン周辺で大規模な工業団地建設が開始された。スマランの西のクンダル県に建設中のクンダル・インダストリアル・ パーク(以下「クンダル」)と、東のデマック県に建設中のサユン統合エコ・インダストリアル・パーク(以下「デマック」)である。
「クンダル」は、ブカシで工業団地を運営するジャバベカ社がシンガポール資本と組んで開発中で、全部完成すると2700ヘクタールとなる。スマラン市内のタンジュン・エマス港まで25キロと近いが、さらに工業団地と近接のクンダル港の開発も計画されている。また、許認可手続、労務サポート、警備、物流サービス、工業団地メンテナンスをワン・ストップ・サービスとして提供するとしている。
一方、「デマック」は、携帯電話やタブレットの輸入組立などで台頭したムガン・グループを中心とするジャテン・ランド社が、スマラン市内の既存の国営ジャヤクスマ工業団地と共同開発中で、全部完成すると1600ヘクタールとなる。現在は第1期として300ヘクタールを造成中で、2014年後半までに用地を整備し、2014年末には入居者が工場建設を開始、同時にガスや電力や用水を供給するインフラ整備を進める。
両者とも、スマラン市内から20キロ程度の距離に立地し、交通の便はよいが、近年は大型トラックなどによる渋滞も頻発している。
中ジャワ州知事は、日本企業の誘致を積極的に進めたい強い意向を持っているようである。これら2つの工業団地を始め、中ジャワ州へどれだけの日本企業が進出していくのか。インフラ整備の進行状況とともに、注目していきたいと思う。
(2014年8月10日執筆)
中ジャワは最も投資しやすい州を目指す
先週、北スマトラ州に続いて、6月18〜19日に中ジャワ州を訪問した。中ジャワ州投資局のスジャルワント長官は、「中ジャワはインドネシアで最も投資しやすい州を目指す」と胸を張った。
中ジャワ州の特色としては、全国最低レベルの最低賃金、極めて少ない(というかほとんどない)労働争議、豊富な資源ポテンシャル、などが挙げられるが、それらはよく知られた特色である。これら以外に、他州には見られない特色があった。
それは、官民一体となって、投資をサポートする体制を整えていることである。州レベルでは、政府と商工会議所が一緒になって投資対策チームを作り、常に県・市政府とコンタクトし、モニタリングする体制になっている。たとえば、ある県で投資を阻害する問題が起こったら、すぐに州のチームも動くのである。とくに、すでに投資した企業が安心して活動できる環境を維持することが狙いである。
それだけではない。州政府は、州内のすべての県・市を対象としたパフォーマンス評価チームを結成し、毎年、表彰している。この評価チームは実業界・学界・市民代表から構成され、政府関係者が含まれていないのがミソである。チームは、実際に現場で行政サービスや許認可事務の状況を把握し、評価の重要な要素としている。
これによって、中ジャワ州の県・市の間で、行政サービスや許認可事務の簡素化を含む善政競争が起こっている。投資を呼び込むために、許認可に要する期間の短縮やサービスの改善にしのぎを削っている。各県・市の創意工夫で、様々な新しい試みが生み出される。たとえば、従来、多くの県・市政府は自己財源収入を確保するために、わざと許認可を面倒にする傾向さえあったが、競争意識によって、それが大きく改善へと向かっているという。
以前、ジョコウィ大統領がソロ市長だったときに、このパフォーマンス評価でソロ市は3年連続で州内第1位に輝いた。そうした実績を引っさげて、ジョコウィは中央政界へ進むことになったのである。ジョコウィが中ジャワ州から去った後は、各県・市が毎年入れ替わり立ち替わり第1位を占めるようになり、競争状態に拍車がかかっている。中ジャワ州の善政競争マネジメント能力の高さがうかがえる。
このように、州全体での投資へのサポート体制ができており、「インドネシアで一番投資しやすい州になる」という言葉もあながち嘘ではない気がしてくる。
とはいっても、日本人駐在員が中ジャワ州に駐在するには、日本的な要素が少ないことは否めない。中ジャワ州には日系の工業団地はまだない。州都スマランには日本料理店もほとんどない。ゴルフ場はあるが、日本人向けの娯楽施設も限られている。この辺は今後の課題となる。
しかし、中ジャワ州は日本に最もなじみのある州の一つなのである。実は、技能実習生や研修生を日本へ最も多く送り出しているのが中ジャワ州とのことである。中ジャワ州のどこへ行っても、日本での経験を持つ若者たちが存在する。日本企業は、そんな彼らを生かすことができるのではないか。
技能実習生や研修生を単なる低賃金未熟練労働力ととらえず、将来の日本企業のインドネシア投資、あるいはインドネシアでのOEM生産などを念頭に、彼らとの関係を戦略的に作っていくことがこれから重要になってくるだろう。実際、日本の中小企業がインドネシアへ来て、自分たちと一緒に低コストで材料や部品を作ってくれるインドネシアの中小企業を探しているという話もある。もしそうならば、戦略的に技能実習生や研修生を日本で活用して、次のステップへつなげることが有用ではないだろうか。
そんな場としても、中ジャワ州はなかなか有望なのではないかと思う次第である。
中ジャワ州に関して、何かお問い合わせになりたい方は、私まで遠慮なくご連絡いただければ幸いである。日本でもっと中ジャワ州を勝手にプロモートしたいと思っている。
【インドネシア政経ウォッチ】第75回 クルド火山噴火の影響(2014年2月20日)
2月13日夜、東ジャワ州のクルド火山が噴火した。噴煙は高さ17キロに達し、ガスや火山灰を含む1億3,000万立方メートルもの火山性物質を噴出した。この火山は1990年3月にも噴火したが、そのときの火山性物質の噴出は5,730万立方メートルだった。今回の噴火自体の規模は前回を上回ったほか、2010年の中ジャワ州ムラピ火山の噴火に匹敵する規模だった。
今回のクルド火山の噴火は短いものであり、1990年3月のクルド火山や2010年のムラピ火山のように、噴火が長期化する気配はないとみられる。しかし、噴火がすでに終息したわけではなく、しばらくは警戒が必要である。
この噴火の影響で、東ジャワ州ではクディリ県やブリタル県などで約10万人が避難を余儀なくされ、周囲は火山灰で覆われた。火山灰はマラン、クディリ、ブリタルで7センチ、バトゥ、中ジャワ州ソロ、ジョクジャカルタで5センチ、東ジャワ州シドアルジョで3センチ積もり、遠く離れた西ジャワ州バンドンでも1センチ積もった。
風向きの関係で、火山灰はクルド火山よりも西側へ多く降り注いだ。このため、ジャワ島内では一時、ジャカルタ以外の全空港が閉鎖され、2月19日時点でもソロで空港閉鎖が続いている。筆者も当時、中ジャワ州スマランへ出張中で、飛行機がキャンセルとなり、夜行列車でスラバヤへ戻った。
スラバヤも火山灰が1センチ積もり、一時真っ白となったが、その後、毎日数時間、雷を伴った豪雨があり、市内に積もった火山灰はきれいに洗い流された。2月16日には空港も再開され、スラバヤに限っていえば影響は最小限で済んだ。クルド火山に近いマランでも、場所によっては火山灰がほとんど降らなかったところもある。しかし、もし乾季で西寄りの風が吹いていたら、スラバヤも大きな影響を受けるはずである。
インドネシアでの経済活動にとって最大のリスクは、実は自然災害である。日本でも関東地方の大雪で大きな被害が出ているが、緊急事態に備えた危機管理対策が日頃から重要になる。
【インドネシア政経ウォッチ】第65回 ジャワ島の14年最低賃金を読む(2013年11月28日)
11月になり、各県・市の2014年最低賃金が決定された。政府は14年の最低賃金に関して「消費者物価上昇率+10%以下(労働集約産業は+5%以下)」という目安を提示したが、今年ほどではないにせよ、14年も20%前後の高い上昇率となった。
ジャワ島内では11月25日までに、112県・市のうちバンテン州セラン県を除く111県・市の14年最低賃金が決定した。最高が西ジャワ州カラワン県第3グループ(鉱業、電機、自動車、二輪車など)の281万4,590ルピア(1円=112ルピア、以下同じ)、最低が中ジャワ州プルウォレジョ県の91万ルピアであり、その差は3倍以上ある。
地域別にみると、ジャボデタベックと呼ばれるジャカルタ周辺の県・市が235万ルピア以上だが、そのすぐ後には、東ジャワ州スラバヤ周辺が続いている。スラバヤ周辺の最低賃金はもはや決して低いとは言えなくなった。スラバヤ周辺に続くのが西ジャワ州バンドン周辺で、このあたりで最低賃金200万ルピアの線が引ける。
一方、中ジャワ州とジョクジャカルタ特別州は相対的に最低賃金がまだ低い。最高でも前者ではスマラン市の142万3,500ルピア、後者ではジョクジャカルタ市の117万3,300ルピアにとどまる。特に、中ジャワ州の中央から南側に立地する9県では最低賃金が100万ルピア未満である。
ちょうど100万ルピアは、中ジャワ州に4県、東ジャワ州南西部に6県・市、西ジャワ州に1県ある。これらはいずれも、各州内で開発の遅れた地域に属しており、最低賃金水準から地域内の経済格差の様子が見えてくる。
昨今、ジャカルタ周辺の工場が中ジャワや東ジャワへ移転する動きが見られるようになったが、一般に、最低賃金の低い県・市では、投資認可関連手続きの経験が不足しており、企業設立などで時間的・資金的なロスが生じる可能性がある。企業進出に当たっては、最低賃金水準だけで決めるのではなく、行政サービスの質やインフラ状況などを総合的に判断する必要があるのは言うまでもない。
【スマラン】毎度おなじみジャワの庶民料理
2月半ば、中ジャワ州の州都スマランで、毎度おなじみのジャワ料理を堪能してきた。
まずは、筆者が最も好きなペチェル(Pecel)。青菜、キャベツ、もやしなどのゆでた野菜に甘辛いピーナッツ・ソースをかけ、豆や小魚を入れたペイエ(Peye)と呼ばれるセンベイをかじりながら食べる。ジャワでは最もポピュラーな庶民料理で、ペチェルにご飯をつけたり、アヤム・ゴレンやテンペなどをつけることもできる。
スラバヤで食べるペチェルと比べると、ピーナッツ・ソースがややあっさりで、より液状になっている。今回は、ご飯を付けなかったが、ヘルシーフードとして毎日食べても飽きない味だった。
次に紹介するのが、ソト・アヤム・バンコン(Soto Ayam Bangkong)。この店は、ジャカルタにもマカッサルにもあるが、スマランが本店だということを今回はじめて知った。店はシンパン・リマの割と近くにある。一見するとちょっと広めの何の変哲もない、エアコンもない素朴な店。お目当てのナシ・ソト(ご飯入りソト)を食べた。
ナシ・ソトと一緒に、プルクデル(小ぶりの芋コロッケ)、鶏皮の串刺し、ウズラの卵の串刺し、などが出てくる。ウズラの卵の串刺しと一緒にナシ・ソトを食べるのが、私のお気に入り。
スマランのソトは、スープが薄味で、トマトのかけらが浮いているのが特徴である。細かく切った揚げニンニクが香ばしい。
この店の椅子の配置が面白い。四角いテーブルを4つの長椅子が囲む形になっているのだ。店の人に聞いたが、理由はわからなかった。相席の見ず知らずの人々も、ここでナシ・ソトをすすりながらテーブルを囲むのは、何となくいい雰囲気である。
これらの料理は、スラバヤでももちろん食べられるが、スマランの場合、おいしくて、値段がスラバヤよりも安い感じがする。
日本料理屋や高級レストランの少ないスマランだが、こうしたジャワの庶民料理にはヘルシーで栄養価の高いものも少なくないのである。
クルド火山噴火、スマランから戻って
先週は、2月12〜14日の予定で中ジャワ州スマランへ出張していた。用務は順調に進んでいたが、14日朝、東ジャワ州のクルド火山が噴火したとの報道を聞いた。スラバヤでも火山灰が降っているらしいが、それを聞いたとき、スマランはまだその徴候はなかった。
14日朝9時過ぎ、スマラン空港でジャカルタから来た方と合流し、車に乗って訪問先へ向かおうとしたとき、チラチラと白い粉が空から舞い降りてきた。火山灰だった。
このとき、なぜか、3・11の後、原発が爆発した直後、福島県双葉地方に降ったという白い物体のことを思った。
空港には、すでに火山灰で真っ白な車もあった。中ジャワでも、サラティガから南は火山灰に覆われているとのことだった。ジョグジャカルタの友人から電話があり、火山灰が降っていて外には出られない状況とのことだった。スマランの状況からはちょっと信じられなかった。
間もなく、スマラン空港は閉鎖になった。そのときすでに、スラバヤ、マラン、ジョグジャカルタ、ソロの各空港は閉鎖になっており、日帰りの予定だったジャカルタから来たばかりの方々が慌て始めた。もちろん、私のスマラン発スラバヤ行きの便も早々にSMSでキャンセルのお知らせが来た。
用務の合間に、ジャカルタから来た方々の帰りの鉄道の切符確保と私の鉄道の切符確保に走った。その頃にはすでに、スマラン発ジャカルタ行きのほとんどの切符は売り切れになっていたが、スマラン発スラバヤ行きの切符はまだまだ余裕があった。
ジャカルタから来た方々はスマランに1泊して、翌15日朝発の鉄道列車のビジネス席に乗って帰ることになった。私は、15日午前2時半発の夜行列車でスラバヤへ戻ることにした。
1泊を余儀なくされたジャカルタから来た方と夕食を共にし、その後、深夜までワインなど飲んで、すっかり気分が良くなっていた。私はスマラン・タワン駅へ向かい、1時間遅れて着いた夜行列車に乗り、ワインの酔いのせいもあり、スラバヤまですっかり熟睡した。
スラバヤ・パサールトゥリ駅に午前7時過ぎに到着し、タクシーに乗って無事自宅に到着。あーあ、疲れた、と思ってカバンを開けたら・・・。
ない。ない。ノートパソコンとiPadがなくなっている。一体、どこで・・・。
そういえば、列車を降りるとき、網棚の上に置いたカバンの位置がちょっと違っていたのが気になったが、まあ、列車が揺れたりして動いたのだろうと思って、気にしなかった。そして、なぜそのカバンに、今回だけは鍵をかけなかったのだろうか、と後悔したが、後の祭りだった。
手元のiPhoneでiPadを探してみるが、オフラインのままで反応がない。
でも、幸い、パスポートやクレジットカードは無事だった。パソコンのデータもクラウドに保存してあったので、実害はほとんどなかった。
最近、ちょっとポカが多くなった気がする。この間も、パレンバンで古いデジカメを盗られた。年齢のせいなのか、疲れているためなのか。
ショックだったが、しょんぼりしてはいられない。土日を使って、月曜締切の原稿2本、火曜締切の原稿2本を書かなければならないのだ。
とにかく、すぐに代わりのパソコンを手にしなければならない。思い切って、MacBook Airを購入し、18日(火)までに4本の原稿をそれで書いた。このブログもそれで書いている。
原稿を書き終わった後、本当に久しぶりに2時間、昼寝をした。ほんとうに本当に久しぶりによく寝た。
スラバヤは連日の激しい雷雨で、クルド火山の火山灰はほとんど洗い流されていた。16日朝にはスラバヤ空港も再開し、見た目には、噴火の影響は何もないように見える。しかし、スラバヤから車で2時間も行けば、火山灰に覆われ、避難を余儀なくされた人々の場所がある。
スマランからスラバヤへ向かう列車の中で、ボジョヌゴロ付近からしばらく、空の白が異常なほど濃くなっているのが見え、その上に、顔面蒼白のような太陽が見えた。それを見ながら、怖いと思った。再び、3・11後の福島県双葉地方のことを思っていた。
インドネシアの工業団地は民間主導
日本からの企業投資が増えるにつれ、工業団地の用地不足が問題視されている。用地不足に伴い、土地価格も急速に値上がりしている。
政令2009年第24号第7条に基づき、新規製造業投資が立地する場合には必ず工業団地に立地することが定められている。ただし、(1) 原料や生産過程の関係で特別の場所に立地する必要がある場合(セメント、肥料、製紙、造船など)、(2) 中小企業の場合、(3) まだ工業団地のない県・市の場合や工業団地があってもすでに空きがない場合、には、工業団地以外への立地が認められる。
工業省によると、1兆ルピアの投資は通常12.5haの工業団地用地を必要とする。2011年時点での工業団地の販売用地面積は1,247.84haで、外国投資・国内投資の製造業部門への投資額は計99.64兆ルピアであった。
現段階で工業団地の空き用地面積は7,911.98haであり、今後、製造業投資については、2013年中に2,372.59ha、2014年に2,847.10ha、2015年に3,416.53haの新規用地需要が見込まれている。すなわち、今から工業団地を造成・拡張していかないと、ほどなく工業団地は一杯になってしまう。
工業団地の造成・拡張を急いで進めていかなければならないのだが、そのネックとなっているのが、インドネシアの工業団地開発が民間主導であることである。インドネシアでは、国営の工業団地面積は全体のわずか6%にすぎず、残りは民間企業による工業団地である。
他方、他のアジア諸国では、工業団地整備の主役は政府である。工業団地に占める政府系の比率は、(必ずしも年代が同じではないが)台湾90%、シンガポール85%、日本85%、マレーシア78%、 韓国70%、とされている。実は、インドネシアも1989年までは工業団地はほぼすべてが国営だった。その後、工業団地建設が外資を含む民間へ開放され、インドネシアでの工業団地建設は民間主導で進められていった。
そして、かつて建設された国営工業団地の設備が民間よりもはるかに劣っていることが明らかになってしまった。敷地の半分を、工場ではなく、倉庫が占める国営工業団地も存在する。
工業団地は、インドネシアのどこでも同じ訳ではない。先に挙げた工業団地の空き用地面積は、スマトラ、スラウェシ、カリマンタンなどジャワ島以外のものを含めた面積であり、そうしたところへジャボタベックと同様の製造業が投資が行われるわけではない。そう考えると、工業団地の用地の逼迫度はなおさらのこと高まる。
西ジャワ州カラワンなどでは、全国有数の豊かな米作地帯の水田が工業団地に取って代わられたところもある。現状では、水田の単収を上げることで生産量を維持しているが、工業団地の造成とともに、水田面積の減少傾向は否めない。一方、地主は地価上昇を見越して、工業団地用に土地をなかなか手放さない傾向もある。
不動産事業としての側面を強く持つインドネシアにおける民間主導の工業団地建設は、まだしばらくは活況を呈していく。とくに、集中の弊害が懸念され始めたジャカルタ周辺(ジャボタベック)から、東ジャワ州(州都・スラバヤ)や中ジャワ州(州都・スマラン)などへ、工業団地建設の波が広がっていくものと見られる。
中ジャワへの企業移転
渋滞、賃金高騰、労働争議。ジャカルタ周辺で投資環境が急速に悪化しているとの認識が一部企業の間に出てきた。韓国やインドの企業のなかには、インドネシアからバングラデシュやミャンマーへの工場移転を考える企業もあるという。
インドネシア政府としては、何とか企業のインドネシアからの撤退、海外への移転を防ぎたいと考えている。「もはや低賃金労働を売り物にする国ではない」と言いながらも、労働集約型企業を引き留めるには、ジャカルタ周辺以外の場所を移転先としてプロモーションしなければならない。
その一つとして、最近よく名前の挙がるのは、スラバヤを中心とした東ジャワ州と、スマランやソロを含む中ジャワ州である。両州とも人口は約3500万人、豊富な労働力を抱えている。とくに、中ジャワ州は最低賃金がジャカルタ周辺の半分程度、最高のスマランでも1ヵ月120万ルピア程度であり、場所によっては同80〜90万ルピアの県・市もある。メディアを通じて、労働集約型企業には、「海外へ移るよりも中ジャワへ」というメッセージを流し始めている。
中ジャワ州投資局によると、2012年中に投資申請をした企業は40社あるが、そのうちの60%が拡張投資で、ジャカルタ周辺の既存工場に付加したものが大半だった。実際に投資を実施したのは40社中19社に留まる。
移転を計画している企業の多くは繊維産業で、中ジャワの人材は手先が器用で根気強く、しかも労働コストが安い、というのが魅力のようである。実際、ジャカルタ周辺の繊維計の工場で多くの中ジャワ出身者が働いているという。
変わったところでは、韓国系のカツラ・付け睫毛を製造する工場が中ジャワ州ボヨラリ県などに集積し始めている。工業団地がないところへの進出だが、集積し始めたことで、韓国政府の支援で、工業団地建設計画が進められている。もっとも、まだ韓国系だけで工業団地を埋めることは難しいので、韓国貿易公社(Kotra)関係者は「今後は日系企業にも立地して欲しい」と呼びかけている。
注目される中ジャワだが、州内で工業団地がまだ6ヵ所しかないことがネックである。うち5ヵ所は州都スマラン周辺、1ヵ所は南岸のチラチャップにある。しかも、スマラン周辺はすぐに入れる空き区画が工業団地にない状態である。このため、スマランの西側のクンダルと東側のデマックに新工業団地の造成が進められている(いずれもスマランから車で30分圏内)。
中ジャワについてはまだまだいろいろな話題があるが、引き続き、このブログで紹介していきたい。