現場へ行ったから分かるとは限らないが、行かなかったらきっと分からないままのこと

先週、気仙沼と陸前高田へ行ってきました。前回行ったのが2012年8月だったので、5年ぶりでした。

陸前高田は、震災による津波で街が物理的に消えてしまった街です。5年前、ひたすら野原が広がるその土地に、壊れたままのいくつかの建物やかろうじて残る住居の区画跡を見ながら、そこで響いていたであろう人々の声やいたいけな子供の笑顔をずっと創造し続けていました。生の痕跡を、自分の体の周りのあちらこちらで感じながら、目をつぶってパッと目を開けたら、目の前に生の街が現れるような、そんな気持ちになりました。

5年経って再訪した陸前高田は、5メートル以上の盛り土がなされ、その上に新しい街を作り始めていました。バイパス沿いにあった花々の列も、壊れたままのスーパーも、亡き人を追悼する墓標も、見えなくなっていました。過去の陸前高田が新たな盛り土によって覆いかぶされ、見えなくなっていました。

それでも、新しくオープンした大型複合商業施設「アバッセたかた」は、きれいなお店が入り、賑わいを見せていました。素敵な市立図書館も併設されていました。

ランチを食べた陸前高田の蕎麦屋「やぶや」は、行列ができるほどの大人気でした。一番人気は、天ざる。しっかりいただきました。
明るく前を向いていこう、という気分は、かなり感じました。6年以上という時間が、ある意味、後ろを向いていても仕方がない、前を向いて明るくやろうや、という割り切りを陰に陽に促しているようにも感じました。
でも、そんなふうにスパっと割り切れるはずはない・・・。

気仙沼で友人と夕食をご一緒したとき、開口一番、彼が口にしたのは、「つらい」という話ばかりでした。彼の周りで、亡くなる人が絶えない。自ら命を絶ったのか、病気だったのか、色々な話があるようでした。

普通は、自分にとってつらい話をよそ者にしたりはしないものです。メディアに話が出ないからと言って、みんな前を向いて進んでいるわけではなく、心の中に言葉にできないようなつらい思いを抱えながら、それが何かの瞬間にあふれ出て、誰にも受け止めてもらえない孤独感。

現場へ行ったからこそ、知ることができた話なのでしょう。でも、現場へ行ったからと言って、分かったとは言えないかもしれません。でも、遠くにいたら、現場へ行かなかったら、きっと知らないまま、分からないままのことなのです。

楽しい再会、飲み会の前に、どうして彼はそんなつらい話をしてくれたのだろうか。いや、もしかしたらずっと閉まっておいた話が、たまたま私と会って、溢れてしまったのかもしれません。本当は、彼は、泣きたかったのかもしれません。

しばらくして、彼は、ちょっと無理やり笑いながら、気仙沼の景気が決して良くないことや、よそ者には知られたくない様々な街の問題を話してくれました。それから先は、気仙沼とインドネシアをさらにどうやってつないでいくか、という真面目な「前向きな」話へ展開していきました。

でも、今でもふと、津波で両親を亡くした子供が、クリスマスの夜に海へ入水してそのまま帰ってこなかった、という彼の話を思い出してしまうのです。いい悪いの話ではなく、その子を温かく見守ってあげられなかった大人の一人として。同じような地元の大人に刻まれた心の傷を、まるで自分の傷のように感じてしまうのです。

アバッセたかたを行きかう人々を眺めながら、その人々の一人一人が、言葉にならない辛さや傷を心の中にしまいながら生きているのだ、と想像してしまうのでした。

盛り土で見えなくなったとしても、よそ者には見えなくとも、震災の傷跡が癒えるものではないのです。それは、言葉に出せない、出すべきではない、感情なのです。

ASEPHI訪問団を京都・ダリケーに案内

昨日(9月11日)、京都を訪れ、インドネシア工芸品製造輸出協会(ASEPHI)ジャカルタ支部の35名のメンバーをダリケー株式会社にご案内しました。ダリケーは、日本で唯一、インドネシア・スラウェシ産カカオを使ったチョコレートを製造する企業です。

4日間乗り放題パスはすごいパスだった

今回の9月5〜8日の石巻、気仙沼、福島の移動には、JR東日本4日間乗り放題という切符を使いました。この切符は、本当にすごいものでした。

それは、大人の休日倶楽部パスというもので、JR東日本のエリアならば、連続した4日間が乗り降り自由(新幹線自由席を含む)、さらに計6回まで新幹線指定席の指定を、追加料金なしで受けられる、というものです。

 大人の休日倶楽部パス

このパスを使いたいがために、今回、大人の休日倶楽部ミドルというのに加入しました。駅のびゅうプラザで申し込んだのですが、その場で仮会員証を発行してもらえ、それを使ってすぐに大人の休日倶楽部パスを購入できたのでした。インターネット登録だと、仮会員証の発行がないので、正式の会員証が届くまで約2週間ほど待つ必要があります。

大人の休日倶楽部JIR東日本全線乗り放題の4日間パスの値段は、15,000円です。

筆者がよく利用する、新幹線自由席での東京=福島往復が計16,440円ですので、それだけでも元が取れてしまいます。

今回は、東京=仙台(新幹線はやぶさ指定席)、仙台=石巻、石巻=気仙沼(途中の前谷地からBRT)、気仙沼=一関=福島、福島=東京、と使いました。ちなみに、新幹線利用で東京=気仙沼往復だと26,420円程度かかります。

なお、この大人の休日倶楽部パスは、発売期間と利用期間が年3回に限定されています。次回の発売期間は2017年12月18日(月)~2018年1月25日(木)、利用期間は2018年1月18日(木)~1月30日(火)です。

これからも、このパスに何度もお世話になりそうです、おそらく。

石巻から気仙沼まで乗ったBRT

今回、石巻から気仙沼へ移動する際、途中の前谷地から乗ったBRTというのは、Bus Rapid Transitの略で、鉄道で結ばれていた路線をバスで繋ぐものです。東日本大震災で普通となった気仙沼線は、鉄道による本格復旧を諦め、BRTで代替しました。JR東日本が運行しています。

上写真は前谷地駅前、下写真は気仙沼駅のBRTバスです。気仙沼駅では、ホームの脇で発着します。

BRTは途中、かつてあった気仙沼線の線路跡を舗装した道路を走ります。それは、バス専用道路となっています。

元鉄道トンネルへ入っていく様子は、なかなか珍しいものです。バス専用道路なので菅 祥行、一般道路と繋がる場所には遮断機があって、一般車両はバス専用道路を通行できないようになっています。

現在、BRT気仙沼線は、日中はおおよそ1時間に1本の割合で前谷地と気仙沼を結んでいますが、途中の本吉までの便も入れると、本数は意外に多いようでした。
基本的に、かつての鉄道駅でしか乗り降りできないのが難ですが、駅(バス停)の新設も行われているようで、地域の人々の足としての役割をしっかりと果たしている印象を受けました。
明らかに、鉄道を復旧させるよりも、BRTのほうがコストが低く、かつ利便性も高いと感じました。
BRTは、気仙沼からさらに陸前高田、大船渡を通って盛まで走る大船渡線もあり、盛からは、三陸鉄道南リアス線で釜石まで行くことができます。
鉄道廃線後、廃線跡をバス専用道路として活用した例としては、福島県の白河駅と磐城棚倉駅をJRバスで結ぶ白棚線というのがあります。東北本線の松川駅と川俣駅を結んでいた川俣線は、廃線後、その路線としては継承されず、福島駅から川俣高校前までをJRバスで結ぶという形へ変わりました。
BRTが地域の人々の足として、さらなる発展を続けていくことは、震災からの復興と生活を取り戻していく一助になる、ということを期待したいと思います。

リボーンアート・フェスティバルを垣間見る

ずっと行きたくてなかなか行く機会がなかった、リボーンアート・フェスティバルにようやく行くことができました。

開催地は、宮城県石巻市と牡鹿半島で、「アート・音楽・食の総合祭」と自ら呼んでいます。特色としては、小林武史氏を中心とするAPバンクが資金提供し、行政が主導していないことです。それゆえ、アーティストが自由に様々な表現に挑戦することができる、ということのようです。

本当は一つ一つじっくりと作品を味わいたいところですが、そうも言っていられないので、今回は、手っ取り早く、1日ツアーに申し込みました。このツアー、東京から日帰りでくる人を想定し、11:20に開始、18:00に終了します。私も、朝、東京を出て、ツアーに参加しました。

なお、ツアー代は昼食込みで5000円、さらに2日間有効のフェスティバル・パスポートを購入する必要があります。

平日で、ネット上ではまだ定員に余裕があるようだったので、参加者は少ないかなと思っていたのですが、実際には、バスの座席全てが埋まる、25人の満員でした。

今日は天気にも恵まれましたが、8月中は雨や曇りの日が多く、ツアーガイドによれば、こんな天気の良い日は滅多になかったとのことでした。

そのせいか、予想以上の数のアートを効率的に見ることができました。

まず、リボーンアート・ハウス(関係者やスタッフの事務所兼宿泊所。旧病院)で小林武史×WOW×Daisy Balloonの”D-E-A-U”という不思議なアートをみました。

その後、牡鹿半島へ向かい、牡鹿ビレッジで、昼食をとりながら、フェスティバルのシンボルにもなっている白い鹿のオブジェを見学。なぜか、ドラゴン・アッシュのメンバーの一人が、トランペットの音色に合わせて、白い鹿の周りで踊る、というパフォーマンスもありました。

白い鹿の近くの洞窟には、牡蠣漁のブイを縄で結びつけ、その縄がはるか森まで結びつき、牡蠣の生育には森の健全な成長が不可欠であることを訴えるアートがありました。

白い鹿の後は、牡鹿半島の南端、ぐるっと海を一望できる御番所公園へ行き、草間彌生のオブジェを見ました。この場所でこれを見ると、なんとも言えない力強さを感じました。

草間彌生の後は、金華山を目の前にするホテルニューさかいへ行き、全身の穴から水を出し、その水がまた体内に戻ってくるという循環を示す緑の人間像を見ました。

さらに、ホテルニューさかいの屋上へ出る前に怪しげな看板が。

屋上では、金華山を見ながら、カラオケを楽しんでいました。これもアート!?

ホテルニューさかいの後は、のり浜という海岸へ行き、海岸に打ち上げられた倒木や石などを立てる、というアートを見ました。ツアー参加者もその行為に参加することで、「起きる」「起こす」という意味をそこに見出す、ということのようでした。

のり浜の後は、旧桃浦小学校跡にある幾つかの作品を見ました。40年前まで、この場所に小学校があり、子供がいたことを思い出させる「記憶のルーペ」と、りんごが先に付いたけん玉とのアート。

そして、ここに住みながら、自然との共生を肌で感じながら制作した、住居のアートもありました。

今回のツアーの特色は、広域に散らばったこれだけの作品を効率よく回れることのほか、かなり歩くツアーである、ということです。アート作品はそれが最も強調される場所に作られるため、バス道路から15分程度の山道を上り下りするような場所にあります。短時間で何度も結構な上り下りをすることになりました。

というわけで、予想よりもずっと充実感のあるツアーでした。ただ、一緒に参加した方々は、アート作品には興味があるものの、その作品を作品たらしめている石巻や牡鹿半島の風景や人々には、あまり関心がない様子でした。石巻や牡鹿半島の人々からすれば、どのような動機であれ、域外から人が来てくれるのはありがたいことでしょうが、もう少し、土着のものとの連結を考えた方が良いのではないか、と感じました。

私自身、このツアーでアート作品を見て回りながらも、今ここで生きる人々の関係者であの震災で犠牲になった方々が、今もこの空気の中に存在しているかのような気配を感じていました。その方々の気配こそが、リボーン(Reborn)の背景にあるものだと感じたのです。

そんなことを思いながら、フェスティバルの公式ガイドブックを購入して、パラパラめくっていたら、このフェスティバルに深く関わっている人類学者の中沢新一氏が、似たような感覚について指摘していて、ちょっと驚きました。

その中で、中沢氏は、東北でリボーンアート・フェスティバルを行う意味として次のように語っています。

元々東北は・・・亡くなった人や見えない物を日常に感じながら作られていく世界でした。そこでは四次元の世界が生きている。(中略)そういう場所にあの大震災が起こったものだから、ますます東北は、「東北らしさ」が強まったと感じています。(中略)グローバルな経済活動に巻き込まれていないということは、別の意味では経済的に貧しいということでしょうが、(中略)むしろ、貧しいことの中に価値を見出していくことが、東京オリンピックが終わる2020年以降、不況がやってくる状況の中で日本が全体で抱える課題になると思います。(中略)その時にこそ大切になるリボーンの原理を見ておこう、作っておこう、というのが「リボーンアート・フェスティバル」の目的です。

今までとは違う新たな価値観を「リボーン」の名の下に提示したい。日本のリボーンの出発点は東北ではないか。そんな問題提起がこのフェスティバルの根底にあるのでした。

その意味では、今、日本のあちこちで、「リボーン」の芽は現れ始めていると感じます。いや、世界のあちこちで、それが現れ始めているのではないか。そのあちこちこそが、中心都市ではなく、ローカルであり、地域コミュニティであり、それらが繋がっていくことで、今までとは違う「リボーン」を実現していけるのではないか。

これもまた、私たちが目指す方向性に勇気を与えてくれるようなアートフェスティバルだった、と改めて確認したのでした。

マンダール地方の踊る馬

インドネシア・西スラウェシ州ポレワリ・マンダール県には、音楽に合わせて勝手に踊り出す馬がいます。

現地のマンダール語ではサヤン・パトゥドゥ(Sayyang Patuddu)と呼ばれるこの踊る馬(kuda menari)はきれいに着飾られ、それにまたがるのは、やはりきれいに着飾った女の子です。

マンダール地方では、彼女を踊る馬に乗せ、コーランの勉強を終えたお祝いをするという伝統行事が行われてきました。
コーランの勉強を終えた女の子は、その日の夜、先生にお礼の品を贈ります。翌日、まだコーランの勉強を終わっていない女の子と一緒に踊る馬に乗るのです。二人とも、村の子です。
でも、踊る馬に乗る前に、二人はマンダール語の詩を聞きます。そして、踊る馬に乗るのですが、すぐには座らず、何も持たずに馬の上にまたがって立ち、準備ができたことを示します。準備、そう、踊る馬にまたがる準備です。
二人は馬にまたがって、村を練り歩きます。楽隊が太鼓の音を鳴らし始めると、馬が首を上下に降り、脚を上げ下げし、踊り始めます。この踊る馬に大きく揺られながら、馬上の二人が村の中を回っていきます。

この二人が村の中を踊る馬に乗って練り歩くということは、村の中にまだきれいな未婚の女の子がいることを知らせる意味もあります。村の男の子たちが彼女らを眺めて挨拶をします。

Dari Kのカカオツアーでは、毎回、違う村で、女性の参加者を募って、この踊る馬に乗る体験をしてもらっています。今回も、2頭の踊る馬に4人の参加者が挑戦しました。

このカカオツアーの踊る馬ですが、実は毎年、地元で楽しみにしている方々が大勢いるのです。数年前には、踊る馬に乗る参加者の写真がポレワリ・マンダール県の観光案内に一役買ったのでした。

よりどりインドネシアFacebookページ開設 のお知らせ

このたび、情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア」のFacebookページを開設しました。このページ(非公開)は、「よりどりインドネシア」の会員都なっていただくことで、参加・閲覧・投稿が可能となるページです。
https://www.facebook.com/groups/136831333600988/

上記ページでは、ウェブマガジン掲載記事に関する質疑応答、その他インドネシアに関する一般的な質問受付・回答、意見・情報交換のほか、ここだけの特別情報も開示します。

本ページへの参加ご希望の方は、まずは、下記のサイトより、情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア」への会員登録(読者登録)をお願いいたします。
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なお、会員登録された方は、インドネシアに関するメール相談を無料でお受けしています。

上記サイトでの登録以外に、銀行振込による購読での会員登録もお受けいたしますので、ご希望の方は、matsui@matsui-glocal.com までメールにてご連絡ください。

従来メディアでは取り上げられなかった様々ないくつものインドネシアを体感できるような交流の場、そして、インドネシアの方々と一緒に何かが始まっていく場へと育てていきたいと思っています。どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

Diskusi tentang Kerjasama antara Sungai Ciliwung dan Tama River

Pada tanggal 31 Agustus 2017, saya ikut diskusi tentang kegiatan Jakarta Osoji Club dan Japan Osoji Club mengenai kerjasama antara Sungai Ciliwung dan Tama River bersama anggota NPO Tamagawa Ecomuseum di Noborito, Kawasaki.

Rencananya, akan mengadakan even pembersihan secara kebersamaan, masing-masing baik di Ciliwung maupun di Tama river, pada tanggal 11 November 2017 untuk mengingatkan Hari Ciliwung.

Japan Osoji Club dan NPO Tamagawa Ecomuseum sangat mengharapkan partisipasi masyarakat Indonesia yang berada di sekitar Tokyo untuk mengikuti acara mereka, terutama acara tanggal 11 November 2017 nanti di Kawasaki.

Semoga kerjasama antara pihak Jakarta dan pihak Japan berkembang terus dan membuahkan suatu kegiatan yang berubah perilaku masyarakat baik Indonesia maupun Jepang.

 

市場で見かけた小さなイノベーション

カカオツアーでインドネシア・西スラウェシ州ポレワリ・マンダール県に滞在していた際、ツアー参加者と一緒に地元の市場を訪問しました。

市場を訪問するのは、参加者に、カカオのことだけでなく、カカオを生産する地域の経済活動の一端を見ていただき、地域経済全体の中でのカカオの位置付けを認識してもらいたい、という密かな狙いがありました。

訪問したのは、ウォノムルヨ市場。この市場は、言ってみれば、ポレワリ・マンダール県の経済活動の中心地なのですが、地元のマンダール族に加えて、ジャワ族が中心を担っています。

ウォノムルヨ地区はジャワ族が多く住んでいるのですが、彼らの先祖は、オランダ植民地時代からこの地へ移住してきました。飛び地のように、このウォノムルヨ地区にジャワ族が集中して住んでいます。

この市場で、今回、ハッとする光景を目にしました。

何の変哲もないような、地べたに置かれた品物。でも、よく見ると、一つの塊の中に幾つかの品物が積み重ねられています。

塊の中にあるのは、洗剤、石鹸、蚊取り線香など。この塊一つをセットとして販売しているのです。

私もこれまでインドネシアの様々な市場を歩いてきましたが、このように、塊をセットとして売っているのを見たのは初めてでした。

ただそれだけのことなのですが、これもまた、市場で売る商人の工夫といってよいのではないかと思います。これまで、個々に品物を購入してきた人々が、セットでも買えるだけの購買力を持ち始めた証左と見ることもできるでしょう。

また、この売り方は、通常の店ではなかなか難しく、地べたに品物を広げて売るからこそできる売り方、ということもできます。

市場で見かけた小さなイノベーション。そんな小さな変化の中に、インドネシアの社会が確実に変化している様子がうかがえます。

カカオツアーに同行しました(2017年8月20-27日)

2017年8月20〜27日、通訳兼コーディネーターとして、ダリケー株式会社主催のカカオツアーに行ってきました。行先は、インドネシアのスラウェシ島西部、西スラウェシ州のポレワリ・マンダール県です。あまり知られていませんが、インドネシアは、世界第3位のカカオ生産国です。

チョコレートの消費者としての日本からのツアー参加者55名が、おそらく初めて、チョコレート原料のカカオを作る農家と直接に出逢う旅となりました。

Tur Kakao ke Polewali, Indonesia (20-27 Agustus 2017)

Pada Tanggal 2017 Agustus 20, saya ikut Cacao Tour yang diselenggarakan oleh Dari K Inc. ke Kab Polewali Mandar, Sulawesi Barat, Indonesia, sebagai penerjemah sekaligus koordinator. Indonesia adalah negara produksi kakao terbesar kedua di dunia.

55 orang peserta pencinta kue coklat dari Jepang mungkin pertama kalinya untuk bertemu petani kakao. Hubungan antara konsumen dan produsen saling bersemangat dan memperhatikan satu sama lain antara konsumen dan produsen.

 

Cacao Tour to Polewali, Indonesia (August 20-27, 2017)

In August 20-27, 2017, I participated the Cacao Tour hosted by Dari K Inc. as interpreter and coordinator, to Polewali Mandar, West Sulawesi, Indonesia. Not very well known, but Indonesia is the second largest cacao production country in the world.

55 participants from Japan as consumers of chocolate were probably the first time to meet farmers who produce cacao as the material of chocolate. During this tour, consumers and producers on cacao would mutually respect and say thank you to each other.

マンダール地方のローカル・バドミントン「レディ・パパン」

今回、カカオツアーで訪問した西スラウェシ州はマンダール族の世界です。

マンダール族は、南スラウェシ州出身のマカッサル族やブギス族、トラジャ族と並ぶ、スラウェシ島南部の有力種族です。とくに、世界一速いと言われる帆船「サンデック」を操り、巧みに漁を行う海の民としても知られてきました(サンデックについては、別途、触れてみたいと思います)。

このマンダール地方で盛んに行われているスポーツが「レディ・パパン」という、バドミントンの一種です。しかも、インドネシア中で、レディ・パパンが行われているのは、なぜか、このマンダール地方だけなのです。

今回のツアー中、参加者と歩いていた村の中で、レディ・パパンをしている若者を見かけました。

手に持っているのは、バドミントンのラケットではなく、羽子板のような木製のラケットです。この木製のラケットで、バドミントン用のシャトルを打ち合うのが、レディ・パパンです。

レディは英語のready、パパンはインドネシア語のpapan、すなわち板です。まあ、羽子板のようなものです。

マンダール地方のとくにポレワリ県、マジェネ県、マムジュ県という西スラウェシ州南部の3県で、レディ・パパンが盛んに行われ、地区対抗トーナメント方式の試合もあるようです。

この日も、「夜に試合があるので観にこないか?」とそばにいたおばさんに誘われました。

振り返れば、今から17年前、夕方から夜にかけて、マムジュからポレワリへ向けて車で通った際、道沿いの至る所で、バドミントンのようなものをやっているのを目撃したのが、レディ・パパンとの出会いでした。その時、夜9時を過ぎても、人々は、レディ・パパンに夢中でした。

2000年6月にマジェネの街中で、レディ・パパンの木製ラケットとシャトルが売られているのを写真に撮りました。

今回も、ツアー参加者とウォノムルヨ市場を見学した際、レディ・パパンの道具を探すと、すぐに見つかりました。

ツアー参加者の一人が木製ラケット2本とシャトル1個を5万ルピアで購入しました。そして、早速、レディ・パパンを始めると、学生の参加者を中心に、その輪がどんどん広がっていきました。

このレディ・パパン、もともとは、バドミントンのラケットが高価で購入できないという理由で、誰かが手製の木製ラケットで始めたのが最初のようです。

2000年頃が最も盛んだったようですが、その後は、しばらく流行らなかったように記憶しています。2004年に、南スラウェシ州から西スラウェシ州が分立し、レディ・パパンが盛んだった3県は、西スラウェシ州へ編入されました。

そして、おそらく、レディ・パパンは再び盛んになってくるようなのですが、2000年頃と比べて、大きな変化は、コートのネットが手製だったのがバドミントン用に変わったぐらいで、基本的に大きな変化はないように見えます。

それにしても、このレディ・パパンは、どうしてマンダール地方以外の他の地域へは広がっていかないのでしょうか。今でも、マンダール地方のローカル・スポーツのままなのはなぜなのでしょうか。

いつの日か、その不思議を解明してみたいものです。

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カカオツアーから帰国しました

8月20〜27日、ダリケー株式会社主催のカカオツアー2017のお手伝いを終えて、27日朝、帰国しました。

ツアー中は、通訳兼コーディネーターとして、総勢55名のツアー参加者+スタッフと様々なアクティビティを行いました。

今回の参加者は、高校生や大学生のほか、チョコレート愛好家、会社役員、大学教授など、バラエティに飛んだメンバーでしたが、年齢や立場を超え、互いに自分を高め合う、素敵な仲間となることができました。

カカオの生産者とチョコレートの消費者とを結ぶこのツアー。生産者と消費者との信頼は、国境など軽く超えていくことができるのではないか、という確信を強くしました。

現場を見ることの重要性とともに、日本人とインドネシア人が信頼し合うとはどういうことなのかを全身で感じてもらえたのではないかと思います。

たとえば、地元の小学校で、参加者は、小学生と一緒に、カカオ豆からチョコレートを作る小さなワークショップを行いました。

地元のカカオで生まれて初めてチョコを作った小学生たちは、「また自分でチョコを作ってみたい」と目を輝かせました。そこには、これまでカカオ豆を作るだけだった生産地で何かが変わる兆しがありました。

一緒に、共に。これがキーワードだったと思います。

ツアーへの参加前と後とで、人生観が変わった、とまで言い切った参加者もいました。それはなぜなのでしょうか。

百聞は一見に如かず。ぜひ、来年、このツアーにご参加ください。カカオツアー、という枠を軽く超えてしまうかもしれません。

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