【スラバヤの風-43】最低賃金から見る地方経済

過去3年間のジャワ島内の最低賃金の変化を県・市レベルで眺めてみる。一般に、経済活動が活発化すると最低賃金が大きく上昇し、停滞するところでは上昇率が低いと考えられる。最低賃金の算出には、当地での物価水準や家計の消費行動が反映されるので、最低賃金をみることは、地方経済の活況度合いを計ることにもつながる。

ざっと見て、ジャワ島の地方経済に起こっている現象には2つのポイントがある。

第1に、最低賃金の上昇トレンドの継続である。なかでも、2015年最低賃金の上昇率でとくに注目されるのは、そろって20%以上上昇した東ジャワ州のスラバヤ市とその周辺4県で、すでにジャカルタ周辺地域と遜色ないレベルに達した。「労働コストの低いスラバヤ周辺へ」とはもはや言えない。その一方で、中ジャワ州は全般に10%台の上昇に留まる。

ジャワ島全体の116県・市で最低賃金が100万ルピア未満だった県・市の数は、2013年が58だったのが2014年に11へ減り、2015年はゼロになった。反対に、200万ルピア以上は、2013年の12から2014年が20、2015年は24へ増えた。ちなみに、2015年最低賃金の最高は西ジャワ州カラワン県の295万7,450ルピア(これにさらに業種別課金が加わる)、最低は中ジャワ州バニュマス県の110万ルピアであった。約3倍の差である。

第2に、最低賃金が大きく上昇した県・市がジャワ島の北海岸に集中する一方、それ以外は上昇率が総じて低いことである。すなわち、ジャワ島全体で北部の大都市周辺が豊かになる一方、中南部は停滞気味という「南北問題」の色彩が強まっている。

なかでも、西ジャワ州南東部(パガンダラン県、チアミス県など)と中ジャワ州南西部(バニュマス県、プルバリンガ県、バンジャルヌガラ県など)、及び中ジャワ州南東部(ウォノギリ県、スラゲン県など)と東ジャワ州南西部(マゲタン県、パチタン県、ポノロゴ県、トレンガレック県など)といった州境付近の県・市の最低賃金は、まだ110〜120万ルピア程度である。これらは人口の多い貧しい農業地域で、これまでジャカルタ周辺などへ工場労働者や家事労働者などを供給してきた。

日本側で一般的に知られるジャカルタ周辺やスラバヤ周辺では、安い労働コストを求める事業展開はもはや限界に来つつある。そこでは地場中小企業でさえ、機械化・自動化を検討している。他方、ジャワ島中南部の最低賃金はまだジャカルタ周辺の2分の1以下であり、手先が器用で従順な女性労働力などを活用する労働集約企業が生き残れる余地は大いにある。そこでは、ほどなく工場進出による農村社会の大きな変貌が起こることだろう。

ジャワ島内の地域格差問題を視野にいれると、1970年代の日本の変化がどうしても重なって見えてくる。

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中ジャワ州ソロ市の地場縫製工場にて

 

(2015年2月15日執筆)

 

【インドネシア政経ウォッチ】第141回 インドネシアの黄金の島で起こっていること(2015年11月12日)

「東方見聞録」を記したマルコ・ポーロには「黄金の島ジパング」という記述があり、その島は日本を指すと言われる。だがそれは、本当はインドネシア東部地域の島々なのかもしれない。

最近、インドネシアの日刊紙「コンパス」や英BBCなど国内外メディアがマルク州ブル島での住民による金採掘の現状をレポートした。ブル島の金採掘は 2012年に始まり、急速に拡大した。農産物価格下落に直面した農民が耕作をやめて金採掘を始めたのを皮切りに、学校の先生も金採掘に走ったため、学校教育が頓挫(とんざ)する事態となった。

金採掘の横行の陰で、採掘中の事故死に加え、採取した金の純化に使用する水銀による中毒や汚染の問題が深刻化していた。なかには、毛髪中水銀濃度が18 ppm(ppmは100万分の1・健康な日本人女性で約 1.6 ppm)と高い住民があり、水銀中毒らしき症状の住民も見られるが、現場では「普通の病気」と放置されてきた。

専門家によれば、土壌や河川も水銀で汚染され、空気中に放出された水銀を吸い込んだり、食事を通じたりして住民の体内に水銀が蓄積される。さらには、政府指定の米作地帯であるブル島から汚染米がインドネシア東部地域へ広く移出される可能性がある。

金採掘は、手っ取り早い収入機会を住民に提供したが、その代償は、環境破壊と住民の健康悪化だった。ほとんどが所得の低い住民による違法採掘であり、停止させるのは難しい。

5月にブル島を訪問したジョコ・ウィドド(ジョコウィ)大統領は、違法採掘場の即時閉鎖を命じたが、行政の動きは鈍い。金採掘はすでに役人や軍・警察の利権となっており、取り締まりが本気で進められる気配はない。

これはブル島に限った話ではない。「どこでも金が出る」と言われるスラウェシ島やカリマンタン島では、ブル島より10 年以上前からゴールド・ラッシュが起こっていた。採掘は幹線道路から見えない隠れた場所で行われ、あちこちで水銀汚染による不毛地が拡散している。インドネシアの黄金の島は、違法採掘という深刻な状況を前に、輝きを急速に失いつつある。

 

(2015年11月10日執筆)

 

【インドネシア政経ウォッチ】第140回 ジョコ・ウィドド大統領の1年(2015年10月22日)

10月20日でジョコ・ウィドド(ジョコウィ)政権は発足1年を迎えた。1年前の期待にあふれた熱気に比べると、今の国民の政権を見る目は厳しさを増している。大統領個人の目からは、この1年がどう見えた のだろうか。

ジョコウィ氏は、大統領選挙の対抗馬だったプラボウォ氏のような大統領職への政治的野心を持っていたわけではない。プラボウォ氏に勝てる候補として白羽の矢が立ち、大統領になってしまったのである。

ジョコウィ氏自身、ソロ市長もジャカルタ首都特別州知事も大統領も「仕事」と捉えてきた。現場へ自ら出かけて問題の本質を把握しようとする地方首長時代からの活動スタイルは、大統領になってからも変わっていない。大統領府に全国各地とテレビ電話可能な設備を整え、大統領選挙で活躍したサポーターが大統領府へ直接情報提供する仕組みも作った。もっとも、それらが今も機能しているかどうかは定かでない。

しかし、ジョコウィ氏が相手にする利害関係の数と規模は、地方首長時代とは比較にならないほど大きく複雑になった。国会、政党、省庁、実業界などが自らの利益拡大と既得権益保持のために大統領に寄りつき、また、全国各地の現場の問題が一気に押し寄せてきた。政党や実業界のトップでなく、有力支持母体もバックに持たないジョコウィ氏は、それらをうまく調整できず、途方にくれることも多かったであろうことは想像に難くない。

ジョコウィ氏は本来、メディアで言われるような人気取り政治家ではなかった。現場へ出向いて問題解決を図っても、それを誇示することはなかった。しかし、大統領となり、地方首長時代のように自分の思う通りに政策を実行できない現状では、国民の人気度も低下するなかで、存在感をアピールするために人気取りをせざるを得なくなる可能性がある。

これまでのジョコウィ氏のパフォーマンスは、副首長に支えられてこそ発揮できた面がある。その点で、カラ副大統領との関係も今後の注目点となる。

 

(2015年10月20日執筆)

 

【インドネシア政経ウォッチ】第139回 高速鉄道事業をめぐる顛末(2015年10月8日)

ジャカルタ~バンドン間の高速鉄道事業をめぐる日中の受注競争は、結局、中国に軍配が上がった。ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)大統領は、いったんは双方案を白紙にし、中速鉄道として再提案を受けると表明していたが、最後にそれを翻した。

当然、日本政府は反発した。受注できなかったからというよりも、インドネシア側の対応に誠意と一貫性がなかったからである。地元メディアは、早くも「二国間の信頼関係に影響を及ぼす」との懸念を伝えている。

そもそも本件は、日本による事前調査は行われたものの、中期計画に組み込まれるような緊急性の高い案件ではなかった。政府から「実施するなら国家予算や政府保証なしで」という条件が付いたのはその表れである。

実は、4月時点で中国・インドネシアの国営企業が本件でコンソーシアム(企業連合)を組むことが内定していた。インドネシア幹事の国営建設ウィジャヤ・カルヤ(ウィカ)は7月、このために3兆ルピア(約 256 億円)の政府追加出資を求めた。リニ国営企業大臣は10 月5日、ウィカに4兆ルピアの政府追加出資を行うと発表したが、高速鉄道建設関連ではないとわざわざ強調している。

リニ大臣によると、事業実施に当たって中国との合弁企業を設立し、インドネシア側が60%出資する。また、返済40年(支払猶予10年)、年利2%で、 国営銀行3行が中国開発銀行から50億米ドル(約6,000億円= 30%は元建て)を借り入れる。

国家予算から国営企業へ政府追加出資があり、国営銀行が仮に返済できない場合には政府の後ろ盾がある。「国家予算も政府保証もない」という条件を満たすかといえば、実は微妙なのではないか。

日本側の不満を受けて、テテン・マスドゥキ大統領府長官は、「日本側にはまだ投資可能な案件が多々あ る」と弁明したが、その例のなかに、ジャカルタ~スラバヤ間の高速鉄道が含まれていた。今回のジャカル タ~バンドン間とは別なのか。中国の動きを見ながら、日本もインドネシア側のニーズをしっかり汲み取りつつ、戦略を練っていく必要がある。

 

(2015年10月6日執筆)

 

My Lecture at Rikkyo University, Tokyo

In December 18, 2015, I was asked to give a lecture at Rikkyo University, Tokyo, by my friend, Prof. Mitsuhiko Kataoka. He has given his lecture of Development Economics not in Japanese but in English, even though most of his students are Japanese.

So, I had to give my lecture in English. Indeed, I can speak Indonesian (Bahasa Indonesia) far better than my English (maybe sometimes than my Japanese when I try to joke). In addition, one observer, who is an English specialist, attended my lecture.

According to Prof. Kataoka, I must speak about my job description, career path, essential skills for my work, and some stories based on my experiences. Because this lecture is in line with Development Economics, I had tried to give students some opportunities to think about development assistance. Yes, some of the students want to work in the world of development assistance.

I put some essential skills for my job as follows. (1) Flexibility. Acceptability of Differences; (2) Curiosity. Enjoy something strange; (3) Inquiring minds. Not satisfy easily; (4) Always think something new; (5) Imagination on others; and (6) Toughness and good health.

After that, I gave some keywords to think about development assistance.

For example, development; community; empowerment; outsider / insider; exogenous / indigenous; ownership / sense of belongings; and conscientization.

By using these keywords, I had tried to give an opportunity for students to think about relationship between who conducts development assistance project and who are beneficiaries of the project.

I asked students how they feel if one day foreigners suddenly come to their village to explain about the project. They answered that it was none of their business and annoying. So, how is the way for outsiders to get real needs for the project from insiders? Maybe insiders sometimes didn’t know their real issues and problems as needs for the project. Or, assumptions of the project are not always based on the real issues and problems.

During our discussion, they found that the project has no meanings if it is not based on real needs from real issues and problems. Insiders usually try to match themselves to what outsiders want, by saying “what can I do for you?” or “may I help you?”. Because of time limitation of the project, outsiders often ignore to check their assumption about project needs again and again to insiders.

For students, such discussion was maybe not common in their lecture. So, I asked to them to think about how to grow-up insiders’ ownership and sense of belongings by themselves without compulsion from outsiders. In other words, how to realize concientization of insiders by themselves.

I think, my 45 minutes of lecture time was not enough to discuss those things, but, I tried to give them the first opportunities to think development assistance not only from donor side but also from beneficiary side. I needed another two or three lecture time, maybe.

Anyway, I want to say thank you very much to Prof. Kataoka to give me very good chance to give my lecture to students. I am very glad if my lecture give them a little insight to think of their future by themselves.

And also thank you for your patience to read my poor English !

 

【スラバヤの風-42】ユニークな開発を目指すバニュワンギ

ジャワ島の東端、バリ島を目の前に臨む東ジャワ州バニュワンギ県は、ユニークな立ち位置にある。ここでは、車で6時間以上かかる東ジャワ州の州都スラバヤとの関係よりも、むしろ、フェリーを使ってわずか30分の、海を隔てたバリ島との関係を意識している。

バニュワンギの海岸からバリ島を臨む

観光地であるバリ島では環境アセスメントが厳しく、新規の製造業投資が制限される。家具、工芸品、縫製品などの新規・拡張投資は難しい。バニュワンギはそれらの受け皿としての役目を果たそうとしている。バニュワンギ県の2015年最低賃金は142万6000ルピアと定められ、バリ州各県の162万2000ルピア〜190万5000ルピアを下回る。実際、バニュワンギからバリ島へ多くの職工が家具製造などに出かけていたが、今後は地元で働くことが期待される。

合わせて、バリ島からの観光客の誘致も図ろうとしている。コーヒーや果物などの体験型観光農園やアグロリゾート構想などがあり、国内外の投資家の関心を集めている。古いジャワ文化とバリ文化の混じった独特の文化があり、黒魔術のような神秘主義の要素も色濃く残る。バニュワンギ県は年間イベントカレンダーを毎年発表するが、ほぼ毎月様々な観光イベントが催されている。色鮮やかな衣装に身を包んだバニュワンギ・エスノカーニバルは盛大に開催されるほか、全身を真っ黒に塗った男たちが水牛の形相で練り歩いて収穫を祝うケボケボアンという伝統的な奇祭もある。

バニュワンギは、バリ島との間が深い海底で区切られるため、ジャワ島では珍しい水深18メートルのコンテナ港の建設が計画されている(スラバヤのタンジュンペラッ港は水深7メートル)。この港の近くに複数の工業団地開発が予定され、2015年中にマスタープランを完成させ、2017年の入居開始を目指す。民間のウォンソレジョ社が開発する約500ヘクタールの工業団地には、すでに小麦粉製粉、食料品、二輪車などの企業が進出の意向を見せている。原材料を外から持ち込み、工業団地で生産して外へ輸出・移出する製造業のほか、製鉄などの重化学工業の進出も想定している。

バニュワンギ県知事は、インドネシアで最も投資しやすい県となることを宣言している。中央政府による全国ブロードバンド化事業の第一号として、他県に先駆けて光ファイバーが敷設された。県統合許認可サービス局は、すでにジャカルタの投資調整庁とオンラインで結ばれ、スムーズな許認可プロセスを実現している。投資家には会議用の部屋を用意し、空港出迎えを行うという熱の入れようである。ここしばらくは、ユニークな開発を目指すバニュワンギから目が離せなさそうである。

 

(2015年1月31日執筆)

 

【スラバヤの風-41】バニュワンギのブランドコーヒー

インドネシアは知られざるコーヒー大国である。2014年のコーヒー生豆の全世界の生産量・日本の輸入量のいずれでも、ブラジル、ベトナム、コロンビアに次いで第4位を占めている。日本で知られるトラジャ、マンデリンなどはインドネシア産コーヒーである。

日本でのインドネシア産コーヒーは、缶コーヒーやインスタントコーヒー用にブレンドさせる豆として輸入される。メディアでは、ジャコウネコの糞から豆を取り出す、高価なルワック・コーヒーが有名になった。今回注目するのは、インドネシア国内での産地別コーヒーのブランド化である。

日本で珈琲店に行くと、ブレンド以外に、モカ、ブラジル、コロンビア、ブルーマウンテンなど、世界中の産地別のコーヒーを味わうことができる。インドネシアは、それを国内産地別にやり始めたのである。全部のカフェではないが、アノマリ・カフェなどの一部ではアチェ・ガヨ、スマトラ・マンデリン、フローレス、パプアといった産地別のコーヒーを味わえる。ガルーダ・インドネシア航空のビジネスクラスでも、スマトラ・リントンやトラジャ・カロシなどのインドネシア産コーヒーを香り高く出してくれる。

これらの産地別コーヒーのほとんどは、標高800メートル以上の高地で栽培されるアラビカ種であり、それ以下の標高で栽培されるロブスタ種に比べると生産量は少なく、価格も高い。日本の缶コーヒーやインスタントコーヒー用の多くは廉価のロブスタ種である。

ところが、そのロブスタ種でもブランド化が行われている。バリ島に面するジャワ島最東端の東ジャワ州バニュワンギ県では、ローカルレベルでブランド化を試みている。県内の産地別に、ラナン、ガンドゥルン、クミレン、レレン・イジェンなど、バニュワンギの産地や地域性を象徴するブランドを付けて提供している。これらのコーヒーはロブスタ種であり、決して高価ではない。

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残念ながら、これらのローカルブランド名をスラバヤで聞いたことはなく、バニュワンギに来て初めて知った次第である。でも、もしこのコーヒーを誰か専門家や著名人が「おいしい」と言えば、一気に有名になる可能性もないわけではない。地産地消により資金が地域内で回るという観点からは、少量生産の地元コーヒーを地元の人や訪問客に味わってもらうというレベルがむしろちょうどよいともいえる。

インドネシアは、国際商品であるコーヒーの産地別ブランド化が一国内で可能な稀有な国であろう。バニュワンギのレアなコーヒーも含めて、本物の美味しいコーヒーを飲むならインドネシアへ、という日がもう来ているのかもしれない。

 

(2015年1月17日執筆)

 

【スラバヤの風-40】ジュンブルといえば枝豆

東ジャワ州ジュンブル県にしかないものには、前回お知らせしたジュンブル・ファッション・カーニバルのほかにもう一つある。枝豆である。インドネシアで生産される枝豆のほとんどは、ジュンブル県で生産されている。

ジュンブル県で枝豆を生産・冷凍しているのはミトラタニ27という民間企業で、国営第10農園会社と民間企業の合弁会社である。1995年に設立され、ジェトロ専門家の指導に基づいて、枝豆生産・冷凍を開始した。生産量は年間6,500トンで、85%が冷凍枝豆として輸出される。輸出のうちの85%が日本向けで、残りは米国向けである。

しかし、日本の枝豆需要は6万トンあり、インドネシア産はその1割程度しか供給していない。輸入枝豆のシェアでも、インドネシアは5%程度であり、インドネシアと同じ頃に枝豆生産・冷凍を開始したタイ(25%)を大きく下回っている。同社からの日本向けの冷凍枝豆は、東京・銀座の料亭やレストランへ高級枝豆として提供され、タイ産よりも品質がよいとされているが、国内での生産量が伸びていないのが現状である。

枝豆はわずか70日で生育し、ほぼ毎日収穫できる。通常の大豆と同様、地力を高めるため、8〜11月はオフとし、連作は行わない。作付面積は1,000〜1,200ヘクタールだが、なかなか広がらない。枝豆の栽培は通常の大豆よりも様々な注意が払われ、ミトラタニ27社が農家に対して細かに品質管理を指導する。とくに輸出向けのために540の殺虫成分に関する検査をクリアする必要がある。

このため、枝豆の栽培コストは通常の大豆よりもはるかに高くなり、インドネシア国内市場での枝豆は高級食材となる。農家としては、通常の大豆よりも面倒な枝豆栽培を敬遠する傾向がある。

枝豆の種苗は台湾から輸入していたが、2008年に台湾が種苗輸出を禁止したため、現在は、かつて輸入した種苗を国内で増やしている。このため、ミトラタニ27社は枝豆の新品種導入などに不安を感じている。

このように、枝豆の栽培面積がなかなか増えず、新品種の導入が難しい状況のなかで、ミトラタニ27社自体も工場の生産能力を拡大させるタイミングを測りかねている。

枝豆は、ジュンブル県にしかない地域おこしの格好の対象産品であるが、国内での認知度が低く、高級イメージの強い現状では、県政府も積極的に枝豆をプロモーションする姿勢を見せていない。ミトラタニ27社も、枝豆だけに頼らず、オクラや他の野菜の生産・冷凍輸出の比重を高める方向性を探り始めている。

 

(2015年1月4日執筆)

 

【スラバヤの風-39】ジュンブル・ファッション・カーニバル

→ 2015年のジュンブル・ファッション・カーニバルの動画サイト

日本ならば、あちこちの地方で毎週のようにお祭りがある。インドネシアでは、宗教行事を除いてあまりお祭りを見かけない。それがちょっとつまらないと思っていた。ところが、今や全国23都市でカーニバルが催され、インドネシア・カーニバル協会が設立されるところまで来ていたことに気がついた。インドネシアは、いつの間にか、お祭りに満ちあふれる国へ変わっていたのである。

その発端は、2001年に始まり、2014年で14回を数える東ジャワ州ジュンブル県のジュンブル・ファッション・カーニバル(JFC)である。総合プロデューサーを務めるディナンド・ファリズ氏がJFCを提唱したのには理由があった。

ジュンブル県は農業県で、とくに葉タバコ栽培の中心地である。近年の禁煙運動の影響でタバコへの需要が減少し、県内のタバコ工場が閉鎖されて失業が広がった。とくに失業した若者たちは懐疑的かつ非生産的となり、加えて、インターネットやテレビなどのメディアが彼らをより受動的にした。

ファリズ氏は、こうした状況をジュンブル県の未来への危機と認識した。彼は、ファッションを通じて若者たちにライフスキルを学ばせることで、創造性を促し、協力を構築し、自信をもたせ、リーダーシップを発揮させる機会としてJFCを考案したのである。

JFCは毎年異なるテーマで様々なファッションを提示する。過去には、バリ爆弾事件やスマトラ沖地震・津波などがテーマとなった。参加する若者たちは、これらテーマを通じてグローバルな現象を学び、コスチュームのデザインや音楽を創造し、表現していく。JFCでは、各チームがカテゴリー別に競い、優勝チームには奨学金が送られる。クライマックスは、参加者のデザインしたコスチュームをまとった総勢400人以上の路上パレードで、沿道には約10万人以上の観客があふれる。

JFCは地域経済に多彩な恩恵をもたらす。デザイナーはもちろん、地元の仕立屋、アクセサリー屋、ハンディクラフト屋などが動員され、新たなファッション・デザイン産業が生まれる。飲食店、ホテル、露天商(カキリマ)も潤うことは言うまでもない。

その後、2008年、中ジャワ州ソロ市では、ジョコウィ市長(当時。現大統領)の下で、初めてのソロ・バティック・カーニバル(SBC)が開催されたが、ファリズ氏率いるJFCの52名が参加し、先導役を務めた。SBCは、「ソロがイスラム強硬派の本拠地」というイメージを払拭する目的で開始され、今ではJFCと並ぶ規模のカーニバルへ成長した。こうして、インドネシアの地方都市で、カーニバルを活かした街づくりが静かに広まりつつある。

 

 

(2014年12月19日執筆)

 

【活動報告】アジアNGOリーダー塾で講義(2015年10月11日)

ずいぶんと長い間、ブログの更新を怠っておりました。もちろん、生きております。この間にも、ボチボチとですが、活動しておりました。

最近は、インドネシアに関する活動もさることながら、日本やアジアの地域づくりに関わる活動も増やしています。

9月からは、発展途上国のコミュニティ・ビジネスに関する研究会にもお邪魔するようになり、早速、9月14日に「一村一品運動の展開とコミュニティ・ビジネス」という題で発表させていただきました。発表では、「コミュニティ」と「ビジネス」、「ものづくり」と「地域づくり」という観点から、日本やインドネシアでの事例や私自身の経験を交えて、お話をしました。ご興味のある方は、その時に提出したA4で1枚のレジュメをご参照ください(リンクはこちらから)。

この研究会の縁で、アジア・コミュニティ・センター21(ACC21)からお話があり、10月11日、アジアNGOリーダー塾で「途上国の地域づくりとコミュニティ・ビジネス~国際協力NGOの関わり方~」と題して、ちょっとした講義をさせていただきました。塾生の皆さんは意欲的な方ばかりで、ミャンマーからSkypeで参加していただいた方もおりました。

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このときの様子がウェブ上で公開されています。以下のリンクをご参照ください。

開催報告

報告の中でも触れられていますが、日本でもインドネシアでも、おそらくその他世界中でも、コミュニティや地域の抱える根本問題は同じであろうという確信を持っています。それは、「我々は一体何者であるか。我々のいる場所はどのような意味を持つ場所なのか」というアイデンティティの危機ではないかと思うのです。

言い換えると、自分の居場所の問題。自分の居場所、安心できる場所、自分であることを確認できる場所がなくなるということではないか、と。その場所にずっと刻まれてきた自然と人間の営み、それによって育まれてきた様々な慣習や広い意味での文化、それらを含む関係性の総体としての人々の暮らし。

それが色々な意味で壊れていくのではないか、という危機感が、ところ変われば品変わり、程度の差こそあれ、世界中で起こっているのではないか。いや、それは歴史の中でずっと起こってきたことかもしれないが、その危機感がますます強くなっていく世の中なのではないか、と。

そんな中で、もう一度、自分の足元を見つめなおし、外にないものをねだるのではなく、自分にあるもの、自分にしかないものを見つけ出そうとする。そのうえで色々な環境や人々との交わりの中で、新たな何かを作り出していく。そんな自分事として動くプロセスが増えていくことで、世の中が徐々に少しずつ変化していくのではないか。そんなことを思うのです。

ちょっと話はずれるかもしれませんが、パリでのテロ事件を見ながら、アイデンティティ危機の深化を感じるとともに、自分と同じ仲間を増やすのではなく、自分と違うことを互いに認めたうえでそれを尊重しあえる仲間、を増やしていくことが求められていると感じました。そのためには、そうした人々やコミュニティをつなげていく役割が実はとても重要なのだということに改めて気づいたのです。

 

【インドネシア政経ウォッチ】第138回 経済政策パッケージと保税物流センター計画(2015年9月25日)

ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)大統領は9月9日、「9月1日付経済政策パッケージ」を発表した。この経済政策パッケージは国内製造業の競争力強化、戦略プロジェクトの実施迅速化、不動産部門への投資促進を主な目的とする。

重複等のある154規則のうち89規則を整理し、17政令案、11大統領令案、2大統領指令案、63大臣令案を準備するとともに、電子化を軸とした手続簡素化を進め、これらの規制緩和を2015年10月までに終了させるとしている。加えて、中銀からも金融部門での政策パッケージが発出された。

これらのなかには、輸出向けファイナンス強化、特定産業用ガス価格設定、工業団地開発、協同組合経済機能の強化、貿易関連許認可の簡素化、漁民向けLPG政策、牛肉などの食品価格安定、低所得者保護・村落経済活性化、貧困者向けの米の2ヵ月分配給追加などが含まれる。このほか、外国人観光客がパスポートだけで外貨預金口座を開設できる措置も検討されている。

もっとも、政府発表が具体性に乏しかったためか、市場の反応は鈍く、通貨ルピアの軟化傾向に変化はなかった。

そんななか、政府は9月17日、保税物流センター(PLB)計画を発表した。輸入原材料や輸出向け製品をまとめて一時保管する施設で、輸入原材料の関税や輸入税を免除するため、保税貯蔵に関する政令2009年第32号を改訂する意向である。これにより、輸入原材料の保管場所をシンガポールやマレーシアなど国外から国内へ移すよう促す狙いだ。

所在地については、石油ガスはバンテン州メラック、パイプや石油掘削用リグは東カリマンタン州、繊維原料の綿花や牛乳用原乳は西ジャワ州ジャバベカなどが具体的な候補地名として挙げられている。PLBを製造現場の近くに立地させることで、物流コストの削減を意図している。

自前での輸出入で負担の大きい地場中小企業には朗報かもしれないが、ASEAN全体で物流を考える日系企業などにとって魅力的かどうかは、物流コストが実際どれほど下がるかなどを注意深く見ていく必要がある。

 

(2015年9月22日執筆)

 

【スラバヤの風-38】有機農業は広がるか

インドネシア農業の大きな問題の一つが土地の肥沃度である。かつて1970年代の米の自給を目指したいわゆる「緑の革命」では、高収量品種と化学肥料・農薬のセットで単収上昇が図られた。その影響は今も続き、化学肥料を多投する農業が一般化した。必要以上に化学肥料を投入すると、土地が肥料を保持する力が落ち、生産性が低下する。すると農家はさらに化学肥料の投入量を増やす。その連続が農業を支える農地の疲弊を起こす。

東ジャワ州でも、化学肥料に依存した農業からの脱却が図られている。まずは土を作り直すことから始める必要があり、化学肥料から有機肥料への流れが定着しつつある。近年、化学肥料価格が上昇し、農家収入を圧迫していることもその流れを促しており、一部には、価格上昇を理由に、人糞を使ったコンポスト化にも抵抗がない農家さえ存在する。

東ジャワ州南部のルマジャン県の農村でも、すでに有機肥料の利用が行われていた。この農村には、牛糞、鶏糞、山羊の糞をベースとしたコンポスト工場が3年前に建てられ、EM菌や他の菌を混ぜて発酵させて有機肥料を生産する。1袋30キロの有機肥料を毎月約4,000袋生産し、県内の6郡へ販売している。売価は1袋1万2,000ルピア(キロ400ルピア)で、一度に約1,000袋分を製造して5日で売り切る、というサイクルである。

農家レベルでも、牛糞などを発酵させて田畑へ撒いたりするが、この工場で製造された有機肥料を購入して使うケースも少なくない。あたかも、化学肥料を手軽に購入したように、有機肥料を購入する感覚である。しかし、持ち運びしやすい化学肥料とは違い、大量の有機肥料を圃場へ運ぶのはなかなか至難である。これが化学肥料から有機肥料への転換がなかなか進まない理由の一つとも指摘されており、配送方法に工夫が求められる。

他方、東ジャワ州での最大の有機肥料生産企業は、国営ペトロキミア・グレシック社である。石油化学工場が主であるこの企業は、炭素と窒素の比率であるC/N比、酸性・アルカリ性の度合いを示すpH値、含水率などの一定基準を満たしたうえで、石灰を独自の配合で加えた有機肥料を毎月1,000トン生産している。各県に工場があり、ルマジャン県にも3工場ある。農家にはキロ500ルピアで販売する。

有機肥料の生産が進む東ジャワ州ではあるが、果たして、州政府の望み通りに有機農業は広がっていくのだろうか。バトゥ市のリンゴのように、有機肥料から化学肥料へ戻ってしまったケースもある。後継者不足による農業の持続性の問題も含め、有機農業を広げるための明確な政策支援が必要な気がする。

 

(2014年12月5日執筆)

 

【スラバヤの風-37】牛乳後進国インドネシア

インドネシアで入手に苦労したものの一つが牛乳である。国内メーカーの牛乳は輸入生乳を使い、様々な薬品や保存料を加えているとされ、地元の人でも敬遠する人が少なくなかったため、輸入ロングライフ牛乳を購入せざるを得なかった。今も、日本のように、新鮮な牛乳が毎日大量に手に入る状況はまだ確立されていない。

インドネシア国内での乳製品生産向けの牛乳の需要は年間約330万トンあるが、国内生産で供給できるのは69万トンに留まり、全体の8割を占める残りは、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、EUなどからの生乳や粉乳の輸入に依存している。インドネシアは、これまでにホルスタイン種の乳牛輸入や人工授精による繁殖などを何度も試みてきたが、熱帯という気候の問題もあり、画期的な成功を収めることは難しかった。

現在、国内における牛乳生産の中心地は東ジャワ州であり、そのほとんどがパスルアン県やマラン県の高原地帯に立地する。東ジャワ州では8万6,000人の酪農家が29万6,350頭の乳牛を飼育しており、全国の乳牛飼育頭数の8割近くを占める。東ジャワ州には外資系のネスレやグリーンフィールズ、国内食品最大手インドフードの子会社インドラクトなどの大企業が立地し、地元の酪農協同組合などとの契約に基づいて、比較的規模の大きい牛乳生産を行っている。

しかし近年、牛乳価格が低迷する一方、飼料などの価格が値上がりしているため、末端の乳牛飼育業者の生産意欲が減退している。実際、乳牛の飼育頭数は、全国で2012年に42万5,000頭だったのが、2014年5月時点で37万5,000頭へ大きく減少した。このままでは結局、乳製品生産の輸入原材料に依存する状況は当面続かざるを得ない。

インドネシアにおける牛乳の一人当たり年間消費量はわずか11リットルである。これはマレーシアの22リットル、インドの42リットルなどと比べてかなり少ない。現在のインドネシアの領域を植民地化したオランダは牛乳を生産していたが、それは主にオランダ人用であったため、マレーシア、インドといったイギリス植民地のように、牛乳を嗜好する食文化を根付かせることは叶わなかった。

そんななか、乳牛を飼育する牧場が自家製の牛乳を都市で直販するだけでなく、オシャレな牛乳カフェを経営する動きが出てきた。2010年、ジョグジャカルタに「カリミルク」というカフェがオープンしたが、その直接の動機は、ムラピ山の噴火による風評被害で牛乳が売れなくなった酪農家を助けることにあった。

「カリミルク」でイチゴ味の牛乳を飲みながら、牛乳後進国インドネシアで国産牛乳がもっと飲まれるようになる日が果たして来るのだろうかと考えこんでしまった。

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(2014年11月21日執筆)

 

 

【スラバヤの風-36】海外へ出稼ぎに向かう人々

スラバヤ空港から国際線に乗ると、ほぼ必ずと言っていいほど、出稼ぎへ向かう集団と一緒になることが多い。彼らの多くは若者で、お揃いの制服を着ているのですぐ分かる。

スラバヤからはシンガポール、クアラルンプール、香港、台北などへ直行便が飛んでいるが、そのいずれでも出稼ぎへ向かう人々がいる。今や、それらの国際線の主要乗客となっているかのようである。スラバヤは、東ジャワ州だけでなく、ロンボク島などの西ヌサトゥンガラ州や南スラウェシ州などからの海外出稼ぎ者の経由地ともなっている。

最新データによると、2014年1〜9月の東ジャワ州から海外への出稼ぎ者は3万6547人であり、そのうち、政府公認の正規出稼ぎ者が1万1811人、家事労働などの非正規出稼ぎ者が2万4736人である。出稼ぎ先で多いのはアジア太平洋諸国で2万9486人と大半を占める。ちなみに中東諸国への出稼ぎ者は6119人、欧米諸国は530人、オセアニア諸国は98人である。アジア太平洋諸国への出稼ぎ者はほとんどが非正規であるのに対して、中東諸国は正規・非正規が半々、その他は正規がほとんどである。

一方、同期の出稼ぎ者による東ジャワ州への海外送金額は1兆9318億ルピア(約180億円)に達する。そのうち、アジア太平洋諸国の非正規の出稼ぎ者による海外送金額が1兆1799億ルピアを占める。すなわち、海外送金額のほとんどは、アジア各国で働く家事労働者などからの仕送りであり、国家から見れば、彼らは重要な外貨獲得源になっている。彼らが「外貨の英雄」などと称される所以である。

実は、東ジャワ州を含め、ここ数年、インドネシアから海外への出稼ぎ者数は横ばいないし低下傾向にある。数字のうえからは、好調なインドネシア経済の下で、国内での雇用機会が順調に増えていることが理由のようにみえるが、実際には、マレーシアや中東諸国による非正規出稼ぎ者の受け入れ制限の影響のためである。

出稼ぎ者が農村などから出て行くことを考えると、インドネシアの農村は外部に対して閉じられた空間ではなく、我々の予想以上に外の世界との心理的距離が近い世界とも言える。筆者も農村を訪れた際に、日本に居た経験を持つ人々に出会うことが少なくない。

11月初め、西アフリカのリベリアで7ヵ月間働いて帰国した東ジャワ州出身の出稼ぎ者2人が、エボラ出血熱に感染した疑いで隔離され、入院する事態が起こった。結局、保健省は彼らが陰性であったと発表したが、同時に、海外への出稼ぎを通じて、インドネシアの農村が外部世界からの脅威をも容易に受け入れ得ることが示された。

 

(2014年11月7日執筆)

 

【スラバヤの風-35】手作業クレテックのたそがれ

スラバヤ市北部、オランダ植民地時代の建物が残る一角に「ハウス・オブ・サンプルナ」がある。ここは、インドネシア特有の丁字入りタバコ「クレテック」の大手メーカーの一つ、サンプルナが最初に建てた工場の跡地で、博物館とカフェがある。平日の午前中ならば、クレテックを手作業で製造する工程を博物館の2階から眺めることができる。ずらっと並んだ工員たちの目にも留まらぬ速さの手作業は一見の価値がある。

House of Sampoerna, Surabaya

このサンプルナが2014年5月末、東ジャワ州ジュンブル県とルマジャン県の2工場を閉鎖した。いずれも手作業によるクレテック工場だが、これにより従業員4900人が一時解雇された。同じく大手のベントゥールも、11工場のうち8工場を閉鎖する計画に伴って、9月に1000人を早期退職させた。さらに、最大手のグダンガラムも1万2000人の早期退職者を募集し、10月半ばまでに約5000人が応じた。

各社とも、退職者に対して、事業を起こすための研修・講習などを施しているが、多くが勤続20年以上、40〜50歳前後の工場労働者であり、その成果は限定的とみられる。

元々、東ジャワでのタバコ栽培は19世紀後半から拡大し、クレテック製造はサンプルナが1913年、グダンガラムが1958年に開始した。タバコ産業の地域経済への影響力は、雇用創出や関連産業などからみても大きく、クディリ市はグダンガラムの企業城下町といっても過言ではない。大手以外にも、東ジャワ州には手作業による中小の丁字タバコ製造工場が多数存在していたが、3年ぐらい前から閉業・倒産が相次いでいる。

国会では、タバコを中毒性物質と認定して規制を法制化しようとする保健省などの勢力と、規制をかけさせまいとするタバコメーカーとの駆け引きが20年間にわたって続いてきた。同時に、通常のフィルター付きタバコを製造する外資系を牽制するという名目で、ニコチン含有量などで不利なクレテックを守る動きも見られる。

では、タバコ産業に打撃を与えているのは、昨今の禁煙ブームによるタバコ需要の減少なのだろうか。答えは否である。タバコ生産量は2013年の3419億本に対して、2014年は3530億本が見込まれ、実は減少していない。

従業員の一時解雇は機械化のためである。タバコ生産全体に占める手作業によるクレテック製造の比率は2004年の36.5%から2013年には26.6%へ低下する一方、機械によるクレテック製造は55.8%から67.3%へ上昇した。各社ともに、機械によるクレテック製造工場については、まだまだ新設する予定なのである。

工員たちの目にも留まらぬ速さの手作業は、ほどなく無形文化遺産となるかもしれない。

 

(2014年10月17日執筆)

 

【スラバヤの風-34】ブランタス川流域総合開発は今

東ジャワ州の中央部アルジュナ山系から南下し、マラン県、ブリタール県を通り、西へぐるりとまわってクディリ県、モジョクルト県を経由して最後はスラバヤ市から海へ出る。全長320キロメートル、流域面積1万1800平方キロメートルのブランタス川は、東ジャワ州最大の河川であるだけでなく、ブンガワン・ソロ川に次ぐジャワ島第2の大河でもある。

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クディリ市内を流れるブランタス川

ブランタス川は、ジャワの古代王朝であるクディリ朝の時代から稲作を営む恵みの水をもたらしてきたと同時に、頻繁に洪水を引き起こしてきた。インドネシア政府は1961年、「ブランタス川流域総合開発計画」を策定し、日本の円借款による協力を受けて、洪水制御、灌漑、水力発電を目的とした複数のダム建設を進めた。

日本の協力は40年の長期にわたって続けられ、流域における米の増産やスラバヤ都市圏への送電など、地域経済の発展に大いに貢献した。  同時に、40年にわたる協力のなかで、日本人技術者からインドネシア人技術者への技術移転が進められ、現在も水資源開発などの分野で主導的な役割を果たす人材を輩出してきた。「ブランタス川流域総合開発計画」は、モノだけではなく、ヒトを作る日本の経済協力の好例として今もよく採り上げられている。

しかし、協力開始から50年以上を経て、ブランタス川をめぐる状況は大きく変わってきている。たとえば、協力実施時から課題だった中下流部での堆砂はますます深刻になっている。ブランタス川流域の人口はこの50年で2倍以上に増加した。その結果、かつては未耕作地だった山間部で田畑耕作が盛んに行われるようになり、それに伴う土壌流失がブランタス川の堆砂の大きな原因となっているとの見方がある。

また、クディリ付近では、堆砂を川底から掘り出す違法行為が頻発する一方、川の流量が低下したため、川面が大きく低下した。

川の流量の低下は、ブランタス川へ流れこむ水源数の減少が影響している可能性がある。環境NGOのWALHIによると、2005年以前は水源が421箇所もあったが、2005年には221箇所、2009年には57箇所、そして2012年にはわずか13箇所へと、10年経たない間に水源の数が激減した。とりわけ、水源に近い場所でのホテルや別荘地の開発が問題視されており、バトゥ市ではホテル建設への反対運動が起こった。

このように見てくると、急速な経済開発と人口増加のなかで、「ブランタス川流域総合開発」の役目は終わりつつあり、ブランタス川の河川としての機能をどのように保全するか、という新たな緊急の課題が表出しているように見える。

 

(2014年10月3日執筆)

 

【スラバヤの風-33】変わるスラウェシのカカオ生産

インドネシアのカカオについて学ぶ大学生のスタディツアーのお手伝いをする機会があった。ジャカルタやスラバヤでチョコレートの生産・販売・消費を調べた後、西スラウェシ州ポレワリでは、京都でチョコレートの製造・販売を行うダリ・ケー社のスタディツアーに便乗し、カカオ農家の現状を学んだ。

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インドネシアのカカオ農家のほとんどは小農である。農家から集配商人、輸出業者へ至る流通マージンは小さく、国際価格の変動が買い取り価格へ直結する。なお、アフリカ諸国のようなカカオをめぐる児童労働の問題は存在しない。

インドネシア産カカオは未発酵の低級品で、これまでほぼ全量が豆のまま輸出されてきた。国際市場での評価が低いためか、国内で発酵カカオ豆と未発酵カカオ豆の価格差はなく、発酵カカオ豆を生産する動機がなかった。実際、未発酵カカオ豆にも化粧品材料などの国際市場が存在する。

今、その状況が変わりつつある。きっかけは、2010年にカカオ豆の輸出に5〜15%の輸出税が課せられるようになったことである。これに伴い、輸入元の外国企業がインドネシア国内にカカオ加工工場を立地させ始めた。

ところが、加工工場の要求水準を満たす発酵カカオ豆は、国内から量的にまだ調達できず、輸入が必要となる状況である。そこで加工工場は、買い取り価格にプレミアムを付け、発酵・未発酵を問わず、カカオ豆の確保へ動いた。なかには、未発酵カカオ豆を買い取って自前で発酵させるところさえ現れた。その結果、加工工場による未発酵カカオ豆の買い取り価格が、仕向地への輸送コストを引いた国際価格を上回る事態が生じた。

こうして、カカオ豆の流れは、従来の輸出向けから加工工場向けへ大きくシフトした。加工工場は発酵・未発酵カカオ豆の価格に差を付け、農家レベルでも発酵カカオ豆を生産する機運が生まれ始めたのである。

インドネシアはガーナを抜いて世界第2位のカカオ生産国となった。低級品といわれたカカオでも、しっかり発酵させれば、良質のチョコレートになることは、ダリ・ケー社の高級チョコレートが証明している。

そのダリ・ケー社は、西欧製のチョコレート製造機械をポレワリのカカオ農家に設置した。利幅の最も大きい最終工程を農家の手に委ねるのである。さらに、カカオの滓を使うバイオガス発電構想もある。これからスラウェシのカカオにどんな変革が起こるのか注目される。

 

(2014年9月19日執筆)

 

 

【インドネシア政経ウォッチ】第137回 警察高官人事の裏で政権内部の争い?(2015年9月10日)

高速鉄道事業をめぐる日本案と中国案の対決は、最終的にジョコ・ウィドド(ジョコウィ)大統領が「両案不採用」という結果を出して終わったが、その陰で、汚職疑惑をめぐって政権内部に対立が起こっている様子がうかがえる。

数日前、国家警察ブディ・ワセソ犯罪捜査局長を国家麻薬取締庁長官へ異動する人事が発表された。ブディ・ワセソ氏はかつて、警察と汚職撲滅委員会(KPK)が対立した際、KPKに対して最も厳しく当たった人物で、闘争民主党(PDIP)のメガワティ党首に近いブディ・グナワン警察副長官の側近と見られてきた。

そのブディ・ワセソ氏が直近で捜査に着手した対象が、ジャカルタ北部のタンジュンプリオク港を管轄する国営プラブハン・インドネシア(ぺリンド)2である。ペリンド2はジャカルタ・コンテナターミナル運営を香港系のハチソン社と契約しているが、同社との2015年の契約額が1999年よりも安価であることが疑問視されるほか、中国製クレーンや船舶シミュレーターの購入に関する汚職疑惑が取り沙汰されている。ブディ・ワセソ氏の標的はペリンド2のリノ社長である。

ブディ・ワセソ氏の動きの背後には、マフィア撲滅を図りたいジョコウィ大統領からの特別の指示があるという見方があり、新任のリザル・ラムリ海事担当調整大臣がかき回し役を果たし始めている。こうした動きに対して、猛然と反発したのがリニ国営企業大臣である。そして、ユスフ・カラ副大統領も、警察に対してペリンド2の捜査を行わないよう要請した。ブディ・ワセソ氏の人事異動は、ペリンド2への捜査を止めさせる目的があったとも見られている。

そういえば、高速鉄道の中国案を強力に推したのもリニ国営企業大臣で、不採用になっても、国営企業4社を中国側と組ませる形ですでに採択へ向けて動いている。中国をめぐる利権では、リニ国営企業大臣と闘争民主党が厳しい対立関係にあり、ペリンド2の汚職疑惑などへの追及もまた、表向きの汚職撲滅の掛け声とは裏腹に、政権内部の利権獲得競争の一部にすぎない可能性がある。

 

(2015年9月8日執筆)

 

【インドネシア政経ウォッチ】第136回 内閣改造は成功するのか?(2015年8月27日) 

ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)大統領は、独立記念日に先立つ8月12 日、内閣改造を断行し、6閣僚、すなわち、3調整大臣、国家開発計画大臣、商業大臣、内閣官房長官が入れ替わった。いずれもジョコウィ政権を支える重要な閣僚ポストと言えるが、昨今の経済減速への政府対応が奏功していないとの政府批判をかわす目的がうかがえる。

しかし、この内閣改造はプラスとなるのだろうか。早速、政権内部で不協和音が聞こえ始めた。その音源はリザル・ラムリ海事調整大臣である。

リザル大臣は、リニ国営企業相の政策に噛みついただけでなく、政府による3万5,000メガワットの電力供給計画を野心的だとして、これを主導するユスフ・カラ副大統領を批判した。しかも、カラ副大統領に会いに来るよう求めるといった尊大な態度さえ見せ、彼を任命したジョコウィ大統領からも叱責された。

リザル氏は、かつてアブドゥルラフマン・ワヒド政権で経済担当調整大臣を務めたが、その後は政府に批判的な経済評論家としてメディアを賑わせてきた。最近では、インドネシア商工会議所(カディン)の内部対立で生まれた反主流派カディンの会頭にも就任している。特定政党に所属してはいないが、政治的な発言を繰り返し、正統なエコノミストとはみなされていない。

ジョコウィ大統領は、新設で組織固めが終わらないものの、インフラ関係を仕切れる「おいしい」海事調整大臣ポストに、問題児とわかっていたはずのリザル氏をなぜ起用したのか。リザル氏自身の政治的野心を利用して利権を狙う勢力の存在も考えられる。

リザル氏のほかにも、中銀総裁として目立った成果を上げていないダルミン・ナスチオン氏を経済調整大臣に起用したのも疑問である。ダルミン氏は実物経済やマクロ経済全般への目配りが弱い。

今回の内閣改造を見ると、閣僚としての適材が不足しているとの印象を改めて感じる。内閣改造でジョコウィ政権の経済運営が改善される可能性は期待薄と言わざるを得ない。

 

(2015年8月25日執筆)

 

【インドネシア政経ウォッチ】第135回 タンジュンプリオク港での貨物滞留問題(2015年8月13日)

現政権の政策課題の一つが物流改善である。なかでも、ジャカルタのタンジュンプリオク港での貨物滞留時間をどう短縮するかが重要課題と位置付けられている。

6月半ば、ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)大統領はタンジュンプリオク港をアポなしで訪問し、「滞留時間が長すぎる」として、同港を管轄する国営港湾運営会社プラブハン・インドネシア(ペリンド)2の幹部を叱責した。滞留時間自体は、今年2月に8~9日だ ったのが 5.5 日へ短縮したが、目標の4.7日を達成していないためである。ジョコウィ大統領によれば、滞留時間長期化による経済損失は年約740 兆ルピア(約72 兆円)に達する。

なぜ滞留時間が長くなるのか。政府側も企業側も双方に原因をなすりつけている。政府側の税関は、企業側の書類不備により、通関前手続が目標の2.7日を超える3.6日となっていることを理由に挙げる。また、港内での貨物保管費用が外部倉庫利用よりも廉価のため、輸入業者の43%が港内に貨物をわざと滞留させているという。

商業省は、タンジュンプリオク港内での貨物保管を禁止することを検討し始めた。一方企業側は、ペリンド2が新設したタンジュンプリオク港のクレーンが中国製で不良品のため、搬出入効率が低下したと主張する。さらに、同型クレーン利用の義務付けが事業競争監視委員会(KPPU)から独占禁止法違反とされて50億ルピアの罰金が課されたほか、クレーン購入に関する汚職疑惑があり、汚職撲滅委員会(KPK)の捜査対象となった。

通関手続や書類作成には、18省庁・政府機関による114 種類の許認可が存在する。ここで迅速に済ませるため不法行為が起こりやすくなる。先週、国家警察は、輸入割当(クオータ)偽装と贈賄容疑で国内最大の塩輸入業者を逮捕するとともに、収賄・資金洗浄容疑で 商業省貿易総局らを逮捕した。警察は他省庁・政府機関からも逮捕者が出るとみている。

タンジュンプリオク港での貨物滞留問題には、政府側と企業側の双方の思惑が複雑に絡み合っている。ジョコウィ政権が抜本的な改革へ切り込めるかどうか注目される。

 

(2015年8月5日執筆)

 

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