原田正純先生の思い出

6月12日が原田正純先生の命日だった。原田先生とお会いしたのは一度だけ。それも、インドネシアでお会いしたのだった。

そのきっかけは、先生の著書「水俣病」のインドネシア語訳の出版だった。2005年5月3~5日、先生とジャカルタ、マカッサルをご一緒した。5月3日にジャカルタの空港でお会いして、5月4日にマカッサルで出版記念講演をしていただいた。
2003年以降、北スラウェシ州で工場の排水による環境汚染、住民の健康被害が問題となっていた。その症状から「水俣病でないか」との噂が高まっていた。しかし、インドネシア側には当時、水俣病に関する正確な知識が欠けていた。正確な知識を欠いたまま、水俣病という話だけが大きくなっていた。
そうした話をマカッサルの友人たちとしていたときに、彼らから水俣病についての本をインドネシア語に訳して出版したいという話が出てきた。そこで、原田先生の岩波新書での著書を紹介し、著作権その他の話を日本側で調整するという話のうえで、マカッサルの友人たちが英語版からインドネシア語へ翻訳して出版する、ということになった。マカッサルの友人たちのなかに小さな出版社を営む者がいたのである。
原田先生と実際に翻訳に関わったマカッサルの仲間たち
そうして、翻訳された”Tragedi Minamata”は出版された。その出版記念イベントに、著者である原田先生をお招きしたのである。
出版記念講演の後、”Tragedi Minamata”は、インドネシア国内の書店で一斉に販売された。書店によっては、平積みで売られたほど注目された。ところが、環境問題の発端となった北スラウェシ州では、販売開始直後、市中の書店からこの本が一斉に姿を消した。問題の発生元の企業が販売された分をすべて買い占めたと噂された。
原田先生のインドネシアへの招聘に当たっては、友人の島上宗子さん(現・愛媛大学准教授)とマカッサルにある国立ハサヌディン大学のアグネス教授らと一緒に実現させた。
あのとき、原田先生の魂のこもった講演を、私は懸命に通訳した。必ず伝えなければ、と力が入ったことを覚えている。
インドネシアでは、この出版の話のずっと前に、ジャカルタ湾で水銀などの重金属汚染の疑いが出て、水俣病ではないかと騒がれたことがあった。原田先生は、そのときにインドネシアへ来訪し、調査をされていた。今回の話もそうだが、水俣病と断定するにはまだ至らないとの慎重な立場に立っておられた。
6月12日が先生の命日だということを思い出させてくれたのが、永野三智さんのフェイスブックでの投稿だった。彼女が晩年の先生にインタビューした記事の再掲だった。それがきっかけで、2005年のインドネシアでの原田先生とのささやかな時間を思い出したのだ。
永野さんの記事は、とても心に沁みるインタビューの内容だった。多くの方々に読んでいただきたく、ちょっと長いが、私にとっての備忘録としても、謹んで、以下に再掲させていただきたい。
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■水俣病患者とは誰か
永野: 今日は原田さんの言葉を、しっかりと残させてもらいたいと思ってやってきました。まず、水俣病患者と一言で言っても、その言葉を使う人の立場や場合によって多様な水俣病が存在していますよね。原田さんが考える水俣病患者とは?
原田: 医学的には水俣病というのは一つしかないですよ。それを勝手に、認定や司法上、救済法上とつけている。これがまずおかしい。確かに重症、軽症の差はある。しかし、身の回りができる人が軽症で寝たきりが重症かって、単純に言えばそうかもしれないけど、患者の持っている苦痛からいけばどっちがひどいかは本当はわからないですよ。通説、通常、症状の重さによって患者を分けるというのは、世間一般常識的に受け入れられている。それだっておかしい。医学的には水俣病というのは一つしかないですよ。そこがまず矛盾ですよね。
永野: 矛盾というと、認定患者かどうかを判断するのはお医者さんではなくて、最終的には県知事ですよね。
原田: そういうことは他の病気ではありえないですよ。そしてまた、水俣病でもあり得ない。医師団というか審査会が棄却を決めている。医者の立場ならば有機水銀の影響があるかどうか判断すればいい。
ところが補償金を受ける資格を審査してる。だからおかしくなっちゃう。医学的な判断がベースにあっても、救済するかは社会的判断でしょう。越権行為ですよ。どっちかはっきりしないといけない。医学的な立場で貫くんだったら、認定は関係ないですよ。影響があるかないかを判断すればいい。そして医学的な立場だったら水俣病が三種類も四種類もあっちゃ困る。救済の判断だとするならば、医学の判断だけじゃなくてプラスアルファですよ。
だから当然、医者だけで審査会を作って救済するかどうか判断するのは違法ですよ。むしろ行政や弁護士や被害者が参加しながら決めていくべきです。
■言葉を残す
原田: この頃やたら取材の多かっですよ。
永野: 残しておかなければとは思っているんですね。
原田: 確かにそうだと思うよ。石牟礼道子さんと僕と話しておかないといけないこと一杯ある。宇井純さんも死んじゃって、あの頃のことをしゃべれるのは、桑原史成さん。道子さんは僕が診察に行くと取材みたいにしてついて来よった。この人は誰だろうと思っていたら、後で苦海浄土を書く時に医学用語を聞きに来たんですよ。それで「この人作家だったんだ」と初めて分かった。患者の診察に関心があるというのは保健婦さんかなと思ってたんですけどね。
その頃もう一人、人物がいて。大学で「東大の研究者が資料を集めて回ってる、謎の男だから用心するように」と言われてた。それが宇井純さん。だけど、面識があるようになったのは、第一次訴訟がおこってから。それから、桑原史成さんと僕は、当時接点がなかった。僕が現地にごそごそ入って行った時に、「学生さんが写真を撮りに来ているよ」という噂はあっちこっちで聞いたけどね。出会ったのは、ずっと後で、なんとなんとベトナム。僕がベトナムの調査に行ってる時に、桑原さんも来てて、ばったり。「あ、あなたが桑原さん」って感じでね。向こうもびっくりして。
永野: そこでの接点はあるんですね。そしたら桑原さんとぜひ話をしてほしいですね。
原田: あの頃、桑原さんの見た水俣をね。あの人まじめだから、「なんで水俣に関心持ったの」って言ったら、あの頃「飯が食えんかった。これで有名になろうと思った」。だけど僕に言わせると「これは大変な事件だから、ちゃんと記録しておけば飯が食えるようになる」と思ったこと自体がね。
永野: すごい嗅覚。
原田: すごい嗅覚ですよ。その頃の写真家なんて誰も関心持たなかったんだから。そこに目をつけたというのはたいしたもんですよ。宇井さんはまた別の意味で関心を持ったんだけどね。だから僕らが関心持ったのは、普通の当たり前。医者が病人に関心を持つのは当たり前でね。
僕はたまたま熊大の神経精神科に入った。その頃は熊大全部あげて水俣病に取り組んでいて、神経精神科の私たちの科が専門なの。イギリスからマッカルパインて言う人が神経精神科に来てて、本当は彼が最初に有機水銀説を言い出した。その時、通訳でついて来てたのが、その後神経内科の教授になる荒木淑郎ですよ。神経精神科の宮川太平教授が、マッカルパインを信用しとったら、ちょっとどうにかなっていた。マッカルパインの話を聞きに行くって言ったら、「あんな馬鹿な話聞くな」って言われてね。 昭和三三年、一九五八年。だからもう、熊大の大部分は有機水銀説に傾いていた。彼はイギリス出身だから、ハンター・ラッセルの論文を読んでいた。いろんな疑いの中の一つとして有機水銀があるというような話。一番早く言い出したんじゃないかと思うけど、もう分からない。ただ、我々の世界は誰が最初に論文を書いたかで、そこからいくと、武内忠夫先生ですね。
永野: 原田さんは、何故水俣病のことをやり続けられたんですか?
原田: 逆に僕は、なんでみんな続けんのだろうと思う。というのは、医者ですからいろんな病気にぶつかります。だけど、有機水銀中毒で、しかも環境汚染によって食物連鎖を通しておこした中毒なんていうのは人類史上初めてですよ。医学を選んで、世界で初めて経験したようなものにぶつかる確率はものすごく少ない。だから、なんでみんなもう少し関心持たんのだろう、あるいはもっと積極的に関係してこないんだろうって思う。関心持って来たら、政治的な目的だったり、それか全くその逆で、あれは政治的だとかね。大体医学界がおかしい。
今頃世界中では、何を議論にしているかというと、微量長期汚染の胎児に及ぼす影響でしょ? 日本で調べれば一番ちゃんと分かったわけでしょ。今となっては、だけどね。だから五〇代、六〇代が今どういう影響を受けているかというのが問題。そういう意味で僕は二世代訴訟に関心持ってるわけですよ。今までずっと関心持ってたけど、若い時代はみんな逃げちゃってましたよね。
■第二世代の障害
原田: やっぱりある時期が来ないと調査がちゃんとできなかった。差別とか、いろんな問題があって第二世代というのはみんな逃げていた。理論的には第二世代、胎児性世代というのは調べたかったんです。水俣病はハンター・ラッセル症候群を頂点にして、裾野の方が分かってきたでしょ。一つ、そこには「病像がはっきりしていないから救済できない」という行政の嘘がある。病像がはっきりしていないから、救済できない。感覚障害だけの水俣病があるかどうかとか。
でも実際は調べてみると、しびれだけなんていう人は少なくて。自覚症状を無視するから感覚障害だけになるけど、頭が痛い、からすまがりがある、力がなくなって途中で歩けなくなる、いっぱいある。ところがマスコミも含めて帳面上、感覚障害だけの水俣病があるかないかの議論になって。しかも、学問的にはまだそこがはっきりしてないみたいな風に。しかし今分かってることだけで、十分救済はできる。救済に支障ができるほどじゃない、「分からない」を理由に救済ができないなんて馬鹿なことないわけです。
今度は胎児性世代に関して言うと、これは全然手がつけられてない。見たら分かるような脳性小児麻痺タイプしか今のところ救済されてない、その裾野がね。じゃぁ、なにで救済されているかというと、大人の基準、つまり感覚障害で引っかかってる。それは当たり前ですよ。おなかの中でも汚染をうけて、たまたま生まれてからも魚を食べてるから、大人の基準でも当てはまる。しかし、そのこととおなかの中で影響を受けたことは別問題ですよ。そしてむしろ、それに当てはまらん人の方が深刻なんです。環境庁が作った判断条件の中に、胎児性の世代は感覚障害がない場合があることははっきりと明記している。それなのに大人の基準を当てはめる。そこの矛盾をちゃんと指摘しなきゃいかん。
被害者の会が大和解した時、僕は一所懸命反対した。今から一〇年も二〇年も裁判するというのは、年を取った人はわかる。だけど、若い世代を大人の基準で判断すると軽く切られてしまう。僕はそこにちょっと異議が、異論があったわけです。あなたが知ってる患者で言うなら、和解したAさんなんて感覚障害証明できなかった。一応高校まで行ってるってことになってるでしょう。あの人の持っている重大な障害というのは見えていない。おそらくその世代にはAさんだけじゃなく、たくさんいるはずですよ。
永野: そうだと思います。生伊佐男先生という方が、第一次訴訟の時に袋小学校にいらして原告の聞き取りをしておられた。私も小学校の時に、二年間担任をして頂いて。当時、ボールを投げても取れなかったり朝礼で倒れる子どもが多くて、教員たちは、「なまけてる」「気合いがたりない」と叱っていた。今になって考えたら、あそこは患者家族だし、魚も沢山食べている。症状があっておかしくない、そこに気がつくべきだった、っていうのを反省していらっしゃって。
原田: 反省はね、僕もしないと。一九六二-三年頃、僕は一所懸命、湯堂、茂道で胎児性の調査をしてる。知能テストをやったら成績がものすごく悪い。それで、あの地区には知的障害がものすごく多いという結論で終わってる。データを見てみると、Bさんなんて成績がものすごく悪かった。つまり従来の知的障害とは違う。Cさんだって、あのするどいセンスは、漢字が書けないのにね。症状がものすごいちぐはぐ、でこぼこがあるわけです。
永野: 脳の中に一個抜け落ちているところがある、そういう意味ですか?
原田: そうそう。だから障害が見えにくいんですよ。実はものすごくまだらになってる。それを一所懸命、若い世代はみんな隠してきたわけですよ。Bさんが一般的な知的障害者かというとそんなことないわけでしょう。ただどっかにちぐはぐな障害があって、それをやっぱり隠しているわけですよ。
永野: 本人にとってはものすごい努力ですよね。
原田: そうなんですよ。だから、Aさんは高校まで行ってる。どこがおかしいってことになるんだけど、おかしいんですよ。
■水俣病を続けるメリット
永野: 何をするにも自分自身にメリットがないとなかなか続けていけないと思うんですが、原田さんが水俣病に関わり続けるメリットというのは。
原田: メリットもいろいろあって。物質的なメリットや精神的なメリット。僕の場合はやっぱり好奇心ですよ。どうなってるんだろうと。これは別に、水俣病だけじゃないんです。三池だって、カネミ油症だって同じ。三池炭じん爆発の場合も、すごいトラブルがある。患者たちが医師団に対してすごい不信感を持ってつるし上げる。すると大部分の医者が怒っちゃって、「俺たちは患者のために来たのに、なんでつるし上げられるんか、もう知ったこっちゃない」みたいなね。「うそばっかり言うし」と、解釈しちゃう。
ところが、僕は好奇心があった。「なんでこの人たちはこんなにひねくれてんだろう」って。だって「向こうに注射二本してこっちに一本した、差別だ」って言うわけですよ。「あっちは第二組合で、こっち第一組合」って。こっちは、誰がどっちかわからないでしょう。そうすると、普通の、大部分の医者はそこで怒っちゃった。「何だこいつら、一所懸命やってるのに」って。だけど僕は、逆に興味があった。
永野: 医者として、というより、人としての興味って感じですか。
原田: 医者としてよりも、そうかもしれんね。むしろ知りたいと思う。一所懸命聞いてみたら、三池の炭鉱労働者たちの、二分されて、差別されての惨憺たる歴史があった。その差別される先頭に誰が立っていたか。
実は医者ですよ。天領病院って大病院があって、調べてみたら病院の組織はなんとなんと人事課の一部分だった。つまり、医療が人事管理に使われていた。そんなことは、調べてみなきゃ分かんない。医者対患者が、当然対立する。その対立がガス爆発の後まで引っ張ってきた。こっちは何も知らんで行ったことが、医者は体制側と、簡単に決めつけられてひとくくりですよ。しかし、歴史を遡ってみると本当に差別されている。例えば、風邪ひいたからと普通の病院に行くと「三日休みなさい」って診断書をくれて、会社に出すと「三日もいらん、この診断書は通用せん。天領病院の、会社病院の診断書もらってこい」っていう。会社病院に行くと、「三日も休まんでよか、一日でいい」ってね。全てそういうこと。労災もみんなそう。それで、医者と患者の中にものすごい不信感があった。そこに爆発が起こる。そこまで遡って調べてみれば、彼らがなんでこんなにひがんでいるのかがわかる。
僕がそれを話せば、知らずに反発してた医者仲間だってそれはよく分かる。それで、熊大は四〇何年もずっと追跡したわけですよ。水俣病だってそうなんですよ。チョロチョロっと調査に来て、しかも、第三水俣病の時なんか、九大の黒岩義五郎教授なんかが講習をやるわけでしょ。あの人は水俣病を見たことない。講習受けた人からちょっと聞いたけど、いかに嘘を見破るかという講習をやってるんですよね。「感覚障害は本人が言ってるだけだから信用できない」とかね。僕はいつも、裁判なんかでも言うんだけど、本来、医者が感覚障害があると言う場合は自覚障害じゃない。検査圧を強くしたり弱くしたり、何回もやってみて、これが診断なんだ。ところが、「感覚障害というのは本人が言うだけだから信用できん」ちゅうことは、自分の専門性をもう放棄してる、専門家じゃないと言ってるのと同じですよ。患者の言ったことを鵜呑みにするのではなくて、その中からどうあるのかということを確認するのが専門家でしょ。だから、馬鹿げた話ですよ。
そんなことも含めて、なんでみんな、もっと水俣のことに関心を持たないのかと。変な話だけど、世界で一人者になろうとしたらオンリーワンかナンバーワンですよ。医学の世界でナンバーワンになるのはなかなか難しい。だけどオンリーワンっていうのは、人がせんことをすりゃなるわけですよ。水俣病なんて、あんまりみんなせんからね。だから水俣病を一生懸命やったら、これはすぐ世界的にオンリーワンですよ、有名だから。売名行為でも何でもいいんですよ、とにかくやってくれれば。そこの違いがね。
永野: 最後に水俣病患者は誰か、の結論を。
原田: 少なくとも私の考える水俣病というのは、汚染の時期に不知火海沿岸に住んでいて、魚介類を食べた人は全部被害者ですよ。理屈からいけば、本当は認定審査なんていうのはおかしな話ですよ。ある一定期間、一定時期に住んでた人たちは全部水俣病として処遇すべきですよ。その中で重症者とか軽症者とか、それに応じたランクをつけることはある程度は合理性があると思うんですね。ただ、こっからここはだめよとか、年代に線を引くことは不可能と思うんですね。
感覚障害での線も本当は引けないはずですよ。特に胎児性世代というのは、感覚障害がはっきりしない人がいるはずだから。それは環境庁自身が認めてるんだもん。じゃあ何を入れるか。それはやっぱり、いつどこに住んでたか、家族がどんな状況か、そういう状況証拠しかないでしょ。本来なら、例えば体の中から水銀を高濃度に検出すればそれが証拠ですよ。ところがそれをさぼったわけでしょ。おそらく今度の裁判なんかで、被告は「住所を調べたり、近所に患者が出てるかどうかは、それは間接的証拠じゃないか」と言うに決まってる。しかし間接的な証拠しかないようにしたのは誰かと。本当はそういうことせんでいいのよ。生まれた時に、ちゃんと調査したり計ったりしとけば、もめなかったんだけどね。それがないというのは患者の責任じゃないでしょ。
永野: こないだ相思社に来られた方が、「みんなあそこのスーパーの卵が安いわよ、お得よという感じで、救済措置の申請をする。それが嫌なのよね」っておっしゃった。でもよく考えたら、誰がどんな被害を受けたかなんて、今や誰にも分からなくなって、ここまできてしまった。だったら、その「お得よ」って感じでも、それで被害を受けた人たちが本当に助かるんだったら、それでいいじゃないかと思ったんですね。それは今まで行政が何もしてこなかったことの結果であって。
原田: 原爆手帳と同じでね、曝露受けていることは間違いないんだから、それが症状が出てるか出てないか、ひどいかどうかという差だから、かまわないんですよね。ただね、そうはいっても、構造が非常に複雑なの。
今手を挙げてる人たちは、かつて差別した側にいた人たちなの。自分たちが被害者って分からなかったわけです。だから患者を差別してきた歴史がある。現に、僕らはそれを見てきたからね。だから感情的にはどうしても納得できんとこもあるんだけど。ひどかったですよ、さっきの学校の先生じゃないけど、湯堂や茂道の患者や家族に対する差別って。差別した人たちが今手を挙げる。間違いなく彼らも被害者なんだ、被害者なんだけども気持ちは非常に複雑なのよ。でも患者を差別したけども、その彼らはよそに出て行くと差別を受けたわけですよ。そういう意味ではまた複雑。もちろん今手を挙げてる人たちも被害者であることには間違いない。
今、あなたが言ったように、水俣病特措法では地域指定かなんかしちゃって、当時住んでいた人たちには最低でも医療費だけは出さんとね。そんなんいちいち診察の必要ないんですよ。その中で、プラスアルファの人たちもあるわけだから、ランク付けていろいろやっていけばいいわけでね。そうすっと解決するわけですよ。大体どれくらいの費用がいるのかも、見通しがきく。みんな審査をして、どんだけ費用使ってますか。その費用を分けた方がいい。というのが、一方にはあってね。しかし一方では、かつて患者を差別した人たちが今被害者だって言って、わぁってやってるわけだからね。最初の患者さんたちの気持ちを思うと非常に複雑ですよね。それを僕は見てきてるからね。どこを原点にするかというと、それは僕はもう一次訴訟の人たちですよ。
永野: それが例えば原田さんとか、袋小学校の生伊佐男先生みたいに、差別していたんだと自覚したり、苦しかったんだって反省したりすればまた全然違うんですけどね。
原田: だから、僕はもやいなおしに反対してるんじゃないんだけど、加害者と被害者といた時ね、殴った方が反省して「反省をしている」と。で、殴られた方が「あなたたちがそがん反省しとるならね、仲直りしましょう」って、手を出すならわかる。でも、殴った方が「もう時間が経ったけん、水に流そう」って言ったって、それは、もやい直しにならないんですよ。本当のもやい直しっていうのは、被害者が手を差し伸べるような条件を作ることでしょ。それは日本と朝鮮との関係を見てもそうですよ。日本がいくら「仲直りしよう」って言ったって、駄目ですよ。殴られた方が、「日本がそれだけ一生懸命やってくれるんだったら、もう仲直りしましょう」って、向こうから手を出してくるなら話はわかる。本当のもやい直しですよ。
永野: そのもやい直しも、その言葉ができた時は、違ったと思うんです。それが一人歩きしていったり、それを利用して水俣病を終わらせようという方向に持って行くことは嫌です。
原田: それはもう、今まで何遍も歴史の中であったわけですよ。これで終わりとかね。市民大会開いて、水俣の再建のためにって。よく読んでみると、もう水俣病のことはもうこれで終わらせようということでしょ。病気した人が終わるわけないわけたいね。いろんなことがあってね。
■歴史に残す
永野: 水俣病は一つしかない、でもやっぱり、地域の人たちはまどわされてますよね。「本当の水俣病とそうじゃない水俣病がある」なんて話、よく聞きます。「手帳だけの人は本当じゃない」とか。
原田: 手帳にも何種類かあるからね。
永野: とらわれている、信じてる。やっぱり行政がやることは大きい、その通りだというふうに思ってしまう。
原田: だから、我々のすることは、大したことはできないんだけど、そういう流れに少しでも抵抗すると言うか。今度だって、あの大和解をしたけど、たった何人かの大阪の反乱軍のためにひっくりかえったんだから。世の中を動かすのは、僕は多数派じゃないと思うんですよ。だからね、水俣のあの九人が問題をずっと明らかにしていくんです。だからって言って、彼らが救われるかどうか、思うような判決が出るかというのはまた別問題。厳しいですよ。だけど、異議申し立てた人たちが少なくともいたっていうことは、歴史に残っていくじゃないですか。
永野: その人たちのことを証言としてずっと残していく。
原田: だから、裁判のメリットというのは、そういうことでしょう。ほんと、裁判で救われはせんもん。ただね、きちんと歴史に残っていくというね。
永野: 何もしなければ捨てられていきますもんね。忘れられてなかったことにされてしまいます。
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原発事故後の福島や、今の新型コロナウィルスをめぐる状況においても、インタビューの言葉の一つ一つが投げかける内容が様々な示唆を与えてくれているような気がしてならない。改めて、原田先生の遺されたものに敬意を表し、自分のこれからの行動に魂を込めていきたい。合掌。

「よりどりインドネシア」オンライン月例オフ会について

いつも「よりどりインドネシア」をご愛顧いただき、ありがとうございます。おかげさまで、2017年7月の発刊以来、3年が経過しようとしております。この間、毎月2回、休みなく発行できたのは、皆様のご支援によるものと深く感謝申し上げます。
2020年7月から4年目に入るこのタイミングで、今後、購読者の皆様を対象とした定例オフ会をオンラインで毎月開催したいと考えております。
定例オフ会では、その時々のホットな話題や執筆した作品をめぐるディスカッション、執筆者による生出演、その他の様々なインドネシア情報を含め、購読者の皆様と一緒に内容を色々考えていきたいと思っております。
記念すべき第1回オフ会を6月中にZOOMにて開催したいと考えております。現在、購読者の皆様へ日程について照会中です。来週には日程を確定できるものと思います。
このオフ会は、「よりどりインドネシア」購読者を対象としております。ご興味のある方は、是非、この機会にご購読いただければと思います。購読者は、このオフ会への参加はもちろん、過去71本のバックナンバーをお読みになることができます。
ご購読は以下のサイトより、ご登録いただけます。
あるいは、PDF版での送付をご希望の方は、松井(matsiu@matsui-glocal.com)までメールにてご連絡ください。
購読者の皆様と一緒に、楽しく面白い「よりどりインドネシア」のコミュニティを作っていければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
ゴロンタロ市南部の漁村で出会った子どもたち(2007年1月20日撮影)

よりどりインドネシア第71号を発行しました

毎月2回、いくつものインドネシアを伝えたいと思って発行している「よりどりインドネシア」。おおよそ毎月7日と22日に発行していますが、6月7日、第71号を発行しました。
カバー写真(上)は、南スラウェシ州の農村でキャッサバを茹でているおばさんです。茹でたキャッサバを発酵させたタペという食品を作り、マカッサルへ売りに行きます。
「よりどりインドネシア」第71号の内容は、以下の通りです。
●スラバヤの東南アジア最大の売春街は今 ~中小企業センターへの変貌~(松井和久)
松井の原稿はコロナ関連を一休みし、閉鎖されたスラバヤの元売春街ドリーを変え始めた活動について紹介しました。東南アジア最大規模だったドリーはどうなるのでしょうか。
●ロンボクだより(32):ジン(精霊)と信仰(岡本みどり)
岡本さんの連載はジン(精霊)のお話です。果たして、ジンはイスラムの信仰とどのような関係でロンボクの人々に捉えられているのか。興味津々です。
●ラサ・サヤン(5)~姪たち~(石川礼子)
石川さんのラササヤンは今回も読み応えある内容になりました。石川さんの姪に対する眼差しに思わずホロリとしてしまいそうです。
●いんどねしあ風土記(17):あるイスラム教徒からみた新型コロナウィルス感染流行 〜ジャカルタ首都特別州~(横山裕一)
横山さんの連載は、イスラム教徒がイスラムの観点から新型コロナウィルス感染をどのように見ているのかを明らかにしています。納得できる面も感じられます。
上記のサイトから読者登録をしていただくことで、お読みいただけるようになります(有料購読となりますが、最初の1ヵ月は無料期間です)。
また、サイトからの読者登録以外に、同じ内容をPDF版にしたものを指定メールアドレスへ毎回送付する、という方法もあります。PDF版での送付をご希望の方は、お手数ですが、メールにて matsui@matsui-glocal.com までお知らせください。
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今回は、よりどりインドネシアの発行の裏話を少ししたいと思います。
いつものことなのですが、常連執筆者の皆さんから原稿をいただき、それを読みながら、体裁を整え、誤字・脱字等をチェックし、写真のサイズを調整するなどして原稿を編集。編集済みの原稿をいったん執筆者へお返しして再チェックしてもらい、必要であれば、加筆修正をしてもらい、最終稿を受け取ります。
最終稿を受け取った後、どこまでを無料部分にするかを判断したうえで、パブリッシャーズという雑誌掲載サイトにアップします。
この作業と並行して、私自身の原稿を書いていきます。毎月2本、何かを必ず書くという作業は、これまでにもありました。かつて、インドネシアに住んでいたときには、NNA(ニュースネットアジア)という媒体に「インドネシア政経ウォッチ」というコラムを月2回、全部で150本書きました。それでも、時によっては、題材を探すのが難しく、ギリギリまで何を書くかが決まらないこともたびたびでした。
それでも、何かを書かなければいけない、と自分に課して、何とか書いてきました。その時々によって、自分なりに出来栄えがよいときとあまりよくないときがありますが、自分で納得できるレベルはキープしたいと努めてきました。かつて、論文執筆を生業としてきたときのような厳密さや論理性を追求し、何度も数え切れないほど推敲するといったプロセスを経ておらず、限られた時間で、一般の方々向けに書くという作業なので、論文とは別物という意識で原稿を作成しているのが現状です。
このところ、ずっと新型コロナウィルス感染のことを書いてきていたので、今号についてはどうするか考えているうちに、今回は一回休みにして、前々から書こうと思っていた、スラバヤの元売春街の話を書くことにしました。
こうして、私の原稿を書き上げて、それをパブリッシャーズへアップした後、すべての原稿をまとめて、PDF版を作成します。その際、ページ送りなどの最終チェックをします。そして、PDF版での購読をしていただいている方々のメールアドレス宛にPDF版を送って、ようやく発行作業は終了です。
一連の作業をしながら、自分は編集の作業が好きなのだなあとつくづく思います。昔の職場でも、印刷所へ原稿を渡す前に、編集や校正の作業をするのが楽しかったことを思い出します。
そうはいっても、発行直前の数日は、何時間も集中して机に向かっているため、まあ年齢的な面もあるのかもしれませんが、けっこう疲労困憊になります。
そんな時間を毎月2回、経験するようになって、次回の第72号で3年目を終えます。7月からは4年目に入ります。
3周年を迎えるのを契機に、購読されている方々向けのオンラインでのオフ会や、特定のテーマを決めたウェビナーの開催を検討しています。詳細が固まりましたら、またこのブログ等を通じて、皆さんにお知らせしたいと思います。
引き続き、よろしくお願いいたします。

あるツイートについてインドネシア語で訊いてみた

先週末、ツイッターであるツイートが多くの人々に取り上げられてバズっていた。それは、ある大学での試験で、インドネシア=日本関係に関する文章が示され、それを要約させる問題だった。
ツイート主は、その問題を自分の子どもから見せられ、文章の内容が事実と異なると批判し、その問題を出した大学の先生を糾弾する内容だった。そして、ツイート主の見解を支持し、試験に出された問題の内容と大学の先生を批判するツイートが数え切れないほど連なっていった。
参考までに、そのツイートへのリンクを貼っておく。
一応、インドネシアについて長年研究してきた人間として、この事件を無視することはできないと考えた。ツイートの話の前に、試験問題について若干コメントしておく。
このような内容の試験問題を出した意図は理解できるし、学生に何を求めているかも理解できる。ただし、要約というのは個人的にあまり好ましくなかったという気がする。要約ということは、問題の文章の内容をそのまま受け止めさせることを意味する。先生の意見を押し付けられたかのような感覚を学生が持ってしまう可能性は否定できない。
私ならば、学生に自分の意見を書かせる。それを書かせるために、どんな本でもインターネットでも参考にしてかまわない「持込可」としつつ、意見を書くにあたって参考にした文献などの出所をすべて書かせる。学生がどのようなソースから自分の意見を形成しているのかという傾向を把握することを重視したいと思う。
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それはともかく、ツイートの流れを見ていきながら、日本でのインドネシアに対するある一定の見方のオンパレードで、その歴史観を正しいと信じている人々が確実に存在することを改めて確認できたと思う。
その見方というのは、(1) 日本のおかげでインドネシアは植民地から解放され独立できた。(2) 日本の3年半の統治はインドネシアにとって有益であり、オランダ植民地支配より過酷だったことはない。(3) インドネシアが日本に恩を感じており、だから親日なのだ、というようなものである。この見方に立てば、日本の占領統治がオランダ植民地時代より過酷だったとか、日本軍が残虐行為を行ったとかいうのは誤りで、そうした間違った言説を唱える者は反日思想で子供たちを洗脳しようとしている、という主張になる。
私自身は、この見方も含めて、インドネシア=日本関係の歴史については、様々な見方が存在することを了解している。それは日本人の間でもそうであるし、インドネシア人の間でも様々な見方がある。その多くは、個人的な経験や近しい人々から聞いた話が元になっており、どれが正しくてどれが間違っていると一様に結論付けられるものではない。インドネシアの学校で使われる歴史教科書の記述だって、本当に正しいかどうかは疑問である。もちろん、同様に、先に上げた「日本はすばらしい。だからインドネシアは親日なのだ」という見方が正しいかどうかも疑問である。
「日本はすばらしい。だからインドネシアは親日なのだ」という見方が日本社会で一定の支持を受けていることを、インドネシアの人々は知っているのだろうか、という疑問が湧き上がってきた。彼らの一部は、先の試験問題が偏向していて、「日本とインドネシアとの友好関係にマイナスだ」と日本にあるインドネシア大使館・総領事館へ問い合わせるとまで言っているのだから。まあ、それに対してどう回答がなされそうかは、何となく想像がつく。
というわけで、私の英語・インドネシア語ブログ「Glocal Diary for Local-to-Local」のなかで、インドネシア語でこの話を書き、彼らの反応を見ることにした。6月3日に投稿して、今日(6/6)までに110回のアクセスがあった。
ブログの原文については、以下のサイトを参照してほしい。
このブログのリンクは私のfacebookページにも貼ったので、インドネシア人の友人たちからのコメントは主にFacebook上に寄せられた。そのリンクも以下に貼っておく。
コメントには、様々な意見が寄せられた。その多くは、自分の親や家族から聞いた話だった。彼らは、インドネシアの教科書で、日本軍政の過酷さやインドネシア側から見た独立正史を学んでいる。そのうえで、日本軍政にプラスの面とマイナスの面があったという者、日本軍政でも陸軍と海軍は違うのではないかという者、昔と今の日本は違うという者、など、冷静でバランスのとれたコメントが並んでいた。
なかには日本語をよく理解できる友人もいて、彼はツイートを「すべて読んだ」と言ってきた。彼はそれについての直接のコメントは差し控えたが、私が英語・インドネシア語ブログに書いたことを日本語でも書いて日本人にも伝えるべきではないか、とコメントした。
まだこの後も、インドネシア人の友人たちからコメントが届くと思うが、彼らからは、先の「日本はすばらしい。だからインドネシアは親日なのだ」という見方への直接の反論・批判は今のところ出されていない。ただ、彼らがその見方と同じだとも断言できない。賛成とも反対とも言っていないのだから。大事なことは、そのような見方が日本にはけっこうあるということを彼らに分かってもらうことなのだと思う。
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先のツイートへの私なりのわだかまりについて、最後に述べておきたい。
第1に、自分たちの見方が正しくて、そうでないものは間違っている、とすることは賢明ではない。歴史で何が正しいかは、誰がどう関わったかによって異なる。教科書に書かれていることだって本当にすべて正しいかどうかは疑わしい。
第2に、彼らの依拠している情報ソースは、日本人が日本語で書いたものやインターネット情報が主であり、インドネシア語のものやインドネシア人の研究成果などにはほとんど触れられていない。インドネシア人がこう言っているというのは、すべて日本人が日本語で書いたもののなかにあり、書いた日本人の立場や意図を考えないわけにはいかない。
第3に、様々な見解が存在しうる歴史をただ一つの見解が正しいと決めつけ、その情報ソースもきちんと確認せずに、その見解と異なる見解を糾弾し、排除しようとする行為は、言いがかり以外の何物でもない。もし批判するならば、実名を名乗り、情報ソースを明示して、きちんと議論すべきである。
最初は、あのようなツイートを相手にする必要はないかと思っていた。しかし、そのツイートに1万を超える「いいね」がついている現実を見たときに、これはインドネシア人の友人たちにもこの状況を伝える必要があると感じたのである。
もしかすると、インドネシア側から見たら、「日本はすばらしい。だからインドネシアは親日なのだ」という見方に内心ではカチンと来るかもしれない、と想像できる。インドネシアは、自分たちで独立を勝ち取ったと信じているかもしれないし、そう思っているのが普通だからである。
私も、インドネシアで出会った様々な方々からそれぞれの日本との関わりや戦争のときの話を聞いてきた。インドネシアと言えども、場所によって、状況は様々だったはずである。おそらく、内心には色々な思いを持ちながらも、私に気持ちよく話してくれる人たちを大事にしたいと思う。そうしているうちに、彼らとの間で、インドネシアとか日本とかということが、いつの間にか溶けてなくなっていくのを感じるのである。
東京を訪れたインドネシアの高校生たちをサンシャインへ案内
(2019年3月19日)

よりどりインドネシア第70号を発行しました

ウェブ情報マガジン「よりどりインドネシア」第70号を2020年5月22日に発行しました。
この情報誌は、日本語の一般的なメディアでは報道されない、いくつもの様々なインドネシアを伝えることを目的として、2017年7月から毎月2回、休まずに発行を続けています。もうすぐ3年になります。
とくに、インドネシアに長年にわたって暮らしている方々に、生活者の視点でみたインドネシアの様子を描いてもらっているのが特徴の一つです。
毎回、色々なカバー写真を掲載していますが、それらは私がこれまでに撮ったものです。今回は、中ジャワ州スマラン駅にたたずむポーターのお兄さんです。
「よりどりインドネシア」第70号の内容は以下の4本です。
●インドネシアと新型コロナウィルス対策(6):新型コロナウィルス感染状況と「ニュー・ノーマル」(松井和久)
断食明け大祭を前に新型コロナウィルスは地方へ拡散しています。5月に提示された「ニュー・ノーマル」についても触れました。
●ウォノソボライフ(29):医療のあゆみと生老病死(神道有子)
神道さんの連載は、ジャワの農村で医療が過去からどのように発展してきたかとともに、人々の病気や死に対する気持ちも描いています。
●スマラン、それぞれのコロナの日々(太田りべか)
初登場の太田りべかさんはスマラン在住の翻訳家です。新型コロナウィルスとの日常を生活者の視点から描いてくださいました。次の投稿が待ち遠しいです。
●いんどねしあ風土記(16):パンデミックに振り回された日本留学〜西ジャワ州スムダン~(横山裕一)
今回の横山さんの連載は、新型コロナウィルスの影響で、日本留学が延期となったバジャジャラン大学の先生の話です。留学はいつ実現するのでしょうか。
上記のサイトから読者登録をしていただくことで、お読みいただけるようになります(有料購読となりますが、最初の1ヵ月は無料期間です)。
また、サイトからの読者登録以外に、同じ内容をPDF版にしたものを指定メールアドレスへ毎回送付する、という方法もあります。PDF版での送付をご希望の方は、お手数ですが、メールにて matsui@matsui-glocal.com までお知らせください。
なお、発行開始から3年を迎える2020年7月から、新料金の適用を検討中です。まだ決定はしておりませんが、6月までにご購読を開始いただければ、旧料金の適用となります。この機会に、ご購読をご検討いただけますよう、よろしくお願いいたします。

インドネシア元技能実習生からの問い合わせが増えた


このところ、インドネシア在住の元技能実習生たちからWhatsAppなどで問い合わせが来ます。そのほとんどは、「特定技能ビザはどうなりましたか」というものです。
彼らはかつて、日本で技能実習を経験しました。昨年(2019年)、日本は「特定技能」というステータスを新設しました。この特定技能に対して、すでに帰国した元技能実習生がビビッと反応しました。同じ業種に限るという条件で、日本での受け入れ先があれば、彼らは「特定技能ビザ」によって、再び日本で就労できるからです。
正確・公式にいうと、技能実習は就労ではなく技術・技能習得のための研修という性格が強いのに対して、特定技能は、同じ業種に限るとしながらも、就労という性格が強いのです。特定技能での就労は、日本の労働者とほぼ同じ権利を行使でき、同じ業種ならば、他者への転職も認められ、労働条件も日本人と同じでなければなりません。
実は技能実習も、労働条件は日本人と同じでなければならないのです。でも、多くの場合は、「就労ではない」という理由で最低賃金ギリギリしか支払われず、またその他の福利厚生コストも省かれてしまっているのが実情です(説明がきちんとなされず、技能実習生自身がそのことを理解していない場合もあります)。研修だから実習生は3年間動けない(3年間の労働力は確保できる)、研修だから労働者と同じ賃金や条件は支払われない(ただし、実際は監理団体に対する支払いや受入開始前の準備費用などがあるため、企業の全体的なコストとしては必ずしも安くならない)、といった状況が生じてしまいます。
こうした事情から、日本では、特定技能よりも技能実習のほうを選好する傾向が強いように見受けられます。日本政府が想定していたほど、特定技能は企業側に受け入れられていないのが現状だと思います。
昨年の今頃は、インドネシアで特定技能に関する正しい知識が広まらず、様々な嘘の情報によって詐欺まがいの行為が横行する状態になっていました。その状況を看過できず、私もインドネシアへ行って、各地で特定技能に関する情報提供のセミナーを行ったり、フェイスブックの法人ページで連日、彼らからの数え切れないほどの相談にのっていました。
下の写真は、2019年4月、中ジャワ州の州都スマランで、特定技能の説明を行ったときの様子です。
2019年6月には、西スマトラ州の州都パダンで、州労働局主催のセミナーで、特定技能について説明しました(下写真。私の左隣が州労働局長)。
私自身、2019年4月、弊社が特定技能に関わる登録支援機関の資格を取るべく、出入国管理局へ申請したのですが、7月、却下されてしまいました。どれだけたくさんの活動をしてもボランティア・ベースではダメで、請求書ベースのカネのやり取りがなければ認められない、ということのようでした。申請時に支払った高額の登録申請料は泡と消えました。
これを受けて、私宛に相談を寄せてくれた何人ものインドネシア人の方々に対して、登録支援機関に認められなかったことを詫びました。その後、怪しげな登録機関の話を聞くたびに、心を痛めていました。
自分の能力不足なのだ、と思うことにしました。そして、労働者として扱われる特定技能は他のより優れた登録支援機関に委ね、自分はむしろ、技能実習を本来の意味での技能実習へ変えさせることを目指そうと思いました。
そんななかで起きた新型コロナウィルスの感染拡大。仕事のなくなった企業が技能実習生を一方的に解雇したりするという情報や、農業の現場で作業するはずの技能実習生が来日できなくなって困っているという情報などがたくさん流れてきました。日本経済の裾野を彼らがしっかり支えてくれていること、それに対して日本側がどのような扱いをしてきたのかということが、図らずも浮かび上がってきたのでした。
そして、今、インドネシアにいる元技能実習生から「特定技能ビザはどうなったのか」という問い合わせがよく来るようになりました。想像するに、これまで以上に、彼らもインドネシアの国内での仕事がなくなったり、仕事を探すのが難しくなったりして、苦しんでいるに違いありません。そんな彼らが一縷の望みをかけて、日本へ行けば大丈夫だろう、特定技能があるはずだ、と、こちらへすがってきたのだと思います。
そこで今日、フェイスブックの法人ページに、今の日本の実情について説明を書きました。日本も経済が落ち込んで失業や解雇が増えていること、現実にインドネシアから日本へ入国するのが無理な状態で特定技能ビザが発出される可能性は低いこと、そもそも日本企業は特定技能よりも技能実習を選好する状況であること、などの内容を書きました。

(インドネシア人の元技能実習生からの弊社ファイスブックページへの書き込みやシェアが止まりません。5月20日午前1時時点で5,758人が上記メッセージを見ています。びっくりです!)
日本で技能実習を経験した彼らには、私たちが思う以上に、日本を「すごい」と崇拝する気持ちが強いのです。そのため、今のような状況になっても、日本経済は大丈夫だ、という不思議な思い込みがあるようです。今の日本経済の現状をちょっと率直に書いただけで、「情報をありがとう」と感謝されるのです。
受入企業では決して良い思い出ばかりではなかったにもかかわらず、日本はすごい、素晴らしいと思ってくれている彼らは、インドネシアの対日感情を好意的なものにしてくれている一つの要素でもあります。これまで我々は、そのうえに胡座をかいて、彼らの「幻想」を放置してきたのかもしれません。
私が彼らに日本の現実を伝えることは、果たして反日的な行為でしょうか。自分が抱いてきたすごい日本像が仮に崩れたとしても、それでも日本が好きだと言ってくれるような彼らになってもらうことのほうが、ずっと重要なのではないか。そのための付き合い方は、決して、日本はすごい、インドネシアはまだまだ、と思わせるような、日本側の上から目線では決してないはずです。
そうした普通の付き合いのできる関係を目指して、これからも活動していきたいと考えています。

ようやくZOOMデビュー

外出自粛でテレワーク、インターネットを利用したテレビ会議が花盛りとなっていますが、私も今日(5/16)、ようやく、遅ればせながら、東京の自宅でZOOMデビューしました。

実は妻は、すでに友人とZOOMおしゃべり会をしており、先を越されていました。
ZOOM自体は、約1ヵ月程度前にすでに登録して、使ってみようと思っていたのですが、セキュリティ上の脆弱性が指摘され、使うのを躊躇していました。その後、Microsoft TeamやSkypeやGoogle Meetなど様々な手段が出てきて、どれをどう使うのがいいのか、悩んでいるうちに、時間が経ってしまったのでした。
今日のZOOM会議は、マカッサルに住む、友人のワスパダ・サンティン氏から誘われた以下のようなものでした。
テーマは、ハラル食品をどのようにインドネシアから海外へ出していけるか、というもので、アメリカ、オランダ、オーストラリアに在住のインドネシア人識者を交えてのミニセミナー、という趣でした。
実は当初、私もスピーカーに加わって欲しいと依頼されていました。でも、ハラルの専門家ではないし、ということでお断りし、一般参加者として会議に参加することにしました。
もっとも、ハラル食品の話であっても、イスラム教の教義など宗教的な話になっていくことが予想されたので、スピーカーとなっても自分だけ浮いてしまうのではないか、と思ったこともお断りした理由でした。
会議終了後、ワスパダ氏から送られてきた写真
会議の内容は、アメリカ、オランダ、オーストラリアでハラル食品がどのように扱われているか、ハラル認証はどうなっているか、インドネシア製品が各々のマーケットへ入っていく余地はあるか、といった内容でした。
私も楽しく視聴していたのですが、スピーカー3人のプレゼンが終わった後、進行役のワスパダ氏から急に振られ、コメントを求められました。全く準備をしていなかったのですが、即興で以下の4点をコメントしました。
1)日本では、ハラル食品がまだイスラム教徒だけの特別なものと思われている。
2)日本でのハラル認証は民間が行っているが、公的な裏付けがないので、それらのハラル認定が正しいかどうかを判断しにくい。よく知らない企業などを相手にした金儲けビジネスの様相もある。
3)日本からハラル食品を輸出するにしても、相手国によってハラル認証基準が異なるので、対応が難しい。マレーシア向けとインドネシア向けとで別々の対応が必要になる。
4)ハラル食品を広めるには、イスラム教徒以外の人々も消費できるユニバーサルで健康的な食品であることをアピールし、浸透させていく必要がある。たとえば、インドネシア製即席麺はハラルだからだけでなく即席麺として認知されてマーケットを得ている。
会議で発言することを想定していなかったので、パソコンのマイクの調整をしておらず、ハンドセットも使っていなかったので、私の声が小さくてよく聞こえなかった様子でした。それで、上記の4点のコメントをインドネシア語にしてチャット欄に流し、念のため、会議終了後、ワスパダ氏にも送りました。
会議には、最多時点で160人余が参加していました。インドネシア国内も、ワスパダ氏らの拠点である南スラウェシ州にとどまらず、スマトラ島のアチェからパプアまで、海外ではシリアのダマスカスからの参加者もいました。
地理的境界を超える、インターネット会議の可能性を感じさせます。参加者も大学の先生やイスラム教指導者だけでなく、学生や一般の方々も多数いた様子でした。
さあ、これでZOOMデビューしましたので、これからは大いに活用したいです。このブログを読んでいる皆さんで、私とコミュニケーションされたい方は遠慮なくご連絡ください。
また、「よりどりインドネシア」のオフ会を2ヶ月に1回、という形で定期的に開催してみようと思います。その他にも、インドネシアに関するミニセミナーや、日本人とインドネシア人とが入り混じって語り合えるような場も考えてみます。
皆さんからも、何かアイディアがあれば、どしどしお寄せください。ツールは、ZOOMでも、Microsoft Teamでも、Skypeでも、Google Meetでも、あるいは他のツールでも何でもかまいません(ツールについては、むしろ色々教えて欲しいです)。
よろしくお願いいたします。

先ほど、ようやく『よりどりインドネシア』第69号を発行

柿の花を見たことがありますか

毎月2回、おおよそ7日前後と22日前後に、ウェブ情報マガジン『よりどりインドネシア』を発行しています。

今日も、昼前からずっとこもって、編集作業プラス自分の原稿を書き上げて、先ほど午後10時半過ぎ、ようやっと発行しました。

第69号のカバー写真です。

第69号の内容については、以下のサイトをご覧ください。

 https://yoridori-indonesia.publishers.fm/issue/4843/

2017年7月1日発行の創刊準備号(第0号)から始まり、今日まで、欠版を出すこともなく、毎月2回、発行し続けて、第69号までこぎつけました。バックナンバーの第0号から第19号までは無料全文公開しています。

バックナンバーはこちらから → https://yoridori-indonesia.publishers.fm/backnumber/

『よりどりインドネシア』を発行しているのは、様々なインドネシア、いくつものインドネシアをお伝えしたいと願っているためです。

ともすると、日本でお目にかかるインドネシアの情報は、観光地のバリ島か、ビジネス関係者の集まる首都ジャカルタかの2つに偏る傾向があります。

もちろん、そこに日本人の情報に関する需要があるので、日本のメディアの関心はバリ島とジャカルタに集中してしまうのはやむを得ないことです。

でも、インドネシアは「多様性の中の統一」の何でもありの場所。無尽蔵の様々なインドネシアが全国各地に深く広く散らばっています。

それをよりどりつまみ出して、インドネシアの多様性と深みがお伝えすることは、35年間プロとしてインドネシアと付き合い、34州中28州を歩いた自分にとってのミッションであり、喜びでもあります。

幸いにも、インドネシアで現地社会のなかで生活されている方々に執筆してもらい、日本からの出張者の目とは違う視点から見えるインドネシアをお伝えできています。

今後は、さらにインドネシアの様々な現地社会で生活されている方やされていた方に新たに執筆者と加わっていただくことや、ぎゃうに、日本で生活しているインドネシアの方々からみた日本社会の様々な出来事なども書いていただけたらなあと思っています。

海外に日本を紹介する場合でも、東京と京都しか紹介されなかったら、日本を紹介したとはいえないことでしょう。

このささやかなウェブ情報マガジンをきっかけに、日本の皆さんも、様々な、いくつものインドネシアの面白さを味わって、興味を持っていただければ、とても嬉しいです。

よろしくお願いいたします。

柿の花を見たことがありますか

続けざまの無くしもの

3月1~11日のジャカルタ・スラバヤ出張は、今になってみると、ギリギリのタイミングで実行できたのだなあと、つくづく思う。それについては、また別に書くとして。

今回は、無くしものの話。それも、続けざまの無くしものの話。

今回のインドネシア出張中に、出張や移動の際の必需品ともいえるものを無くしてしまった。それは、BOSEノイズキャンセリングイヤホンだ。

もうかれこれ5年ぐらい愛用していた。

ノイズキャンセリングの良さと音の良さ。購入したときはBOSEなのでちょっと高価だなと思ったが、実際に使ってみると、その性能の良さに大満足だった。

飛行機に乗る際には手放せなかった。備え付けのヘッドフォンはもう使えなかった。まだ有線なので、座席前のUSBポートにコードを差し込み、充電しながら使用できた。東京=ジャカルタ便7時間でも電池切れなし。

音楽を聴き終わって、BOSEを付けたまま寝込んでしまうと、雑音が入らず、気持ちよく睡眠できた。

飛行機の中で寝るときの三種の神器は、アイマスク、口マスク、そしてノイズキャンセリングイヤホン。これで飛行機の中でじっくり休める。

その大事なノイズキャンセリングイヤホンを紛失してしまったのだ。

ジャカルタで代替品を買おうと思ったが、同じBOSEのが500万ルピア以上、日本で買うよりも遥かに値段が高い。店で「今や有線なんてないよー」ともいわれた。

とりあえず、ノイズキャンセリング機能のない、普通のSONYのイヤホンを30万ルピアで購入した。このイヤホン、カナル式で音も良く、思ったよりいい買い物だった。

しばらく使っていたが、これもどこかで無くしてしまった。おそらく、帰りのジャカルタ=東京の飛行機のシートポケットに入れたまま置いてきてしまったような気がする。

そして、つい最近、東北新幹線で東京から福島へ移動した際、充電コードとUSB2口アダプターを車内に忘れたまま、福島で降りてしまった。

続けざまに、ものを無くして、ショックだった。自分の注意力がこうも散漫になるものなのか。これまでも、無くしものはあったが、こんなに続けざまというのは、まずなかった。これも歳をとったということなのか。

ノイズキャンセリング・イヤホンは必需品なので、結局,以下のソニー製の新しいものを購入した。本命のAirPodは入荷見込がつかなかった。

 SONY WF-1000XM3

今度は無線。完全ワイヤレス。充電の心配はあるが、線がないとこんなにも自由なのか、と思った。

ノイズキャンセリング機能も十分。使用者の行動を察知して、自動で外の音をどれぐらい取り入れるか、ノイズキャンセリングの程度を調整する機能はなかなか便利。

必ずケースにしまうので、無くす心配もないように思える。でも気をつけよう。

よりどりインドネシア第63号発行、ニセ王国物語など

2020年2月9日、毎月2回発行のウェブ情報マガジン『よりどりインドネシア』の第63号を発行しました。以下のサイトから、その一部を読んでいただけます。

 よりどりインドネシア第63号

今号の内容は以下のとおりです。

インドネシアのニセ王国物語(松井和久)
2020年に入って、インドネシアでは様々なニセ王国が現れ、メディアを賑わせています。どんなニセ王国なのか、その内容を細かく見ていくと、そこに政治的な意図が見えてきました。どうしてニセ王国が現れるのか。既存の王国とニセ王国とを分けるものは何か。それらは本当に分けられているのか。インドネシアにいくつかある王国連合体組織についても、考察してみました。

ロンボクだより(28):震災の終わり(岡本みどり)
岡本さんの連載は、ロンボク地震から1年半経って、岡本さん自身の思うことを書かれています。震災は終わったのか。その問いをめぐっての思いです。岡本さんの原稿を読みながら、東日本大震災をはじめとする被災地での人々のことが思い浮かんできました。政府やメディアは「終わった」とか「まだだ」と、安易に言い過ぎてはいないだろうか、と改めて思いました。

パプアのラタパン(哀歌)を追いかける~セプティナ・ロサリナ・ラヤンさんの挑戦~(松井和久)
日刊紙『コンパス』の記事から、パプアの奥地でラタパンと呼ばれる哀歌の収録を進める若者の話を紹介します。ラタパンの持つ複層的な役割は、震災復興の観点からも注目できるのではないかと思いました。 他方、パプアでのラタパンの使われ方が、インドネシアによる抑圧や差別への批判に傾く傾向もあり、パプア奥地の人々によるラタパンの持つ意味が薄められているような印象を持ちます。

上記のような内容を含めました。多くの方にご一読いただければと思います。

今回のカバー写真は、中ジャワ州プルバリンガ県で二輪車のマフラーを製造する小企業の社長さんです。

よりどりインドネシア第60号発行、これで2年半継続、新たな展開へ

試行錯誤で始めたウェブ情報マガジン「よりどりインドネシア」。

月2回発行で、今回が第60号、つまり、初めて発行してから2年半が経過したことになる。内容は、以下のサイトを参照してほしい。

 よりどりインドネシア

よりどりインドネシア第60号のカバー写真

おかげさまで、2019年12月23日現在、会員は83名(ウェブ登録会員74名、PDF版購読会員9名)。少しずつ、少しずつ、読んでくださる方の数が増えてきた。

「よりどり」の特徴の一つは、現地に在住する方々が連載を続けてくださっていること。

ロンボク島在住の岡本みどりさんは、「ロンボクだより」を毎月前半の号に連載してくださっている。

中ジャワ州ウォノソボ在住の神道有子さんは、「ウォノソボライフ」を毎月後半の号に連載してくださっている。

いずれも、筆者の日々の生活に根ざした、在住者だからこそ書けるバラエティに富んだ内容で、本当に貴重な連載だと思う。いずれ、それぞれまとめて、合冊本として出版してみたいという個人的な希望もある。

お二人に加えて、インドネシアをこよなく愛するジャカルタ在住の横山裕一さんが、彼ならではの筆致で「いんどねしあ風土記」を連載している。横山さんの連載を読んでいると、あたかも彼と一緒にインドネシア各地を旅しているかのような錯覚に陥りそうだ。

また、インドネシア在住ではないが、歴史研究家の脇田清之さんは、第二次世界大戦前後のインドネシアに在住していた日本人の記録を丹念に追いかけており、その成果をいくつも「よりどり」のなかで披露していただいている。

「よりどりインドネシア」は、いくつものインドネシアを伝えていく場である。さらにたくさんの書き手が、もっともっと私たちの知らない、いくつものインドネシアを伝える仲間として、加わってもらえたらと思っている。

あなたのインドネシアを「よりどり」に書いてみませんか。書き手の仲間に加わってみませんか。

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読み手の仲間に加わっていただける方、誠に恐れ入りますが、有料マガジンとなっております。月2本で毎月750円+税。

ウェブ上で登録すると、1ヵ月の無料お試し期間の後、毎月、クレジットカードから購読料が引き落とされます。ウェブ上での登録はこちらから→「よりどりインドネシア

ウェブ登録のほか、PDF版での購読も可能です。この場合、毎回、PDF版を指定のメールアドレスへお送りします。料金の支払いは、6ヵ月分または12ヵ月分まとめての銀行口座振込となります。ご希望の方は、メールにてお知らせください(matsui@matsui-glocal.com)。支払いは日本円またはインドネシア・ルピアでお願いします。

ウェブ登録された方でも、PDF版も欲しい方は、毎回お送りいたしますので、遠慮なくお知らせください。

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2020年からは、「よりどりインドネシア」講演・交流会をもっと頻繁に開催したいと思っています。

場所は東京でも、大阪でも、名古屋でも、福岡でも、ジャカルタでも、スラバヤでも、シンガポールでも、ニューヨークでも、どこでも。

自分のところでやりたい!という方がいらっしゃれば、ぜひご相談ください。

いくつものインドネシアを伝え合い、語り合い、学び合い、楽しみ合える場をつくり、日本人とかインドネシア人とかを超えた、面白いつながりをゆるくしなやかに作っていければと思っています。

長くなりましたが、以上です!

人手不足解消のための技能実習は法律違反

新聞などのメディア紙上で、特定技能外国人が増えないことが取り上げられている。

その原因として、制度が突貫で作られたからとか、送り出し国側の準備が整っていないとか、書類などの手続きが煩雑だから、などなどいろいろな理由が挙げられている。

一つの大きな原因は、特定技能が技能実習の延長線上で考えられていることにある。技能実習で技能を身につけてから、特定技能へ移る、というイメージである。

ところが、特定技能は単純労働も含む、とも言っている。技能実習で技能を身につけた人に単純労働をさせる、ということがありうるのか。それはおかしい。

特定技能が増えないのは、試験などの準備が遅れていることもあるが、日本の企業側が、同じ企業内で技能実習2号(3年間終了)の者が特定技能1号へ移る場合を除き、新たに特定技能を望まないからだと思われる。

特定技能外国人は、業種が同じならば転職が可能、賃金や福利厚生などで日本人と同等以上にしなければならない。

なぜ、企業は特定技能よりも技能実習を選好するのか、といえば、その理由は一つ、技能実習ならば、受け入れた企業から3年間はよそへ動かないからだ。3年間の労働力を確保できるからだ。

でも、なぜ技能実習は3年間よそへ動けないのか。それは「労働」ではなく「技能実習」だからである。

2017年に施行された「外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律」(技能実習法)の第3条2項では、技能実習制度を労働力の需給の調整の手段とすることを明確に禁じている。すなわち、人手不足の解消手段として、技能実習制度を活用することは、明確な法律違反となる。

3年間よそへ動けないことを理由に技能実習を選好する企業は、上記の技能実習法に明確に違反している。おそらく、技能実習生を受け入れている大半の企業は、法律違反を犯している。

でも、取り締まれないのだ。本気で取り締まったら、「労働力」を確保できなくなり、企業活動は止まり、日本経済全体が動かなくなってしまうかもしれない。

行政側は、人員不足を理由に、違法行為をすべて取り締まれない、として、取り締まれないのである。

本来、「技能実習」だから3年間同じ場所であるのに、実際には、3年間動くことのできない「労働力」として使っているのである。これは、技能実習生側からすれば、詐欺になるのではないか。

「彼らだって金稼ぎに来ているのだから、いいではないか」という答えが聞こえてきそうだ。そうした状況であることは否定しない。しかし、「日本へ行ったら稼げるぞ」と言って技能実習生をリクルートしている現実からすれば、最初から、技能実習制度を隠れ蓑にして、技能実習生を「労働力」として受け入れていることになる。やはり、法律違反である。

ではどうするか。

私見では、外国から日本へ「労働者」として稼ぎに来る者は、「労働者」として受け入れるのが正しい。今の制度ならば、特定技能の手続を簡素化して、労働力として雇う企業は、原則として特定技能労働者を雇うのが望ましい。

労働者なのだから、日本人に対するのと同じように、転職の自由を認め、賃金や福利厚生のコストを負担する。

技能実習はどうなるのが良いのか。

本当の意味での「技能実習」にする。彼らは「労働者」ではなく、「見習い」「研修生」である。3年間の技能実習カリキュラムをきちんとつくり、それに合わせて人材育成をする。

3年間の「技能実習」が終わったら、「労働者」として特定技能労働者へ変わってもよいだろう。あるいは、「技能実習」中にステータスをグレードアップさせて、専門学校や大学を卒業し、高度人材となっていってもよいだろう。

何を技能実習で学ぶかを、技能実習生の送り出し側が明確にしたうえで、日本へ送る。日本ではその目的を満たせる受入企業を探して、受け入れてもらう。

技能実習と言いながら、そのイニシアティブは、送り出し側ではなく受け入れ側が持っている、というのが現状である。送り出し側が受け入れ側のニーズに合わせるのはおかしい。技能を教えてもらいたい側、送り出し側のニーズがまずあって、それに対して、受け入れ側が合わせるのが自然である。

特定技能と技能実習は明確に分けるべき、と考える。そして、技能実習を、実習を受けいれる日本側のニーズではなく、実習を受ける実習生側のニーズを出発点とする形に変え、人材を育成する本当の「技能実習」にする必要があると考える。

今のような、あたかも詐欺のような制度、事実上の違法状態が蔓延している技能実習制度を、法律が謳うまともな制度に変える。そして、稼ぐために日本へ来る者たちを労働者として受け入れる。受け入れるからには、労働条件は日本人と同じにする。転職されるのも覚悟する。

もう、今のような、国家総ぐるみでの「まやかし」の状態は止めようではないか。

福島で友人とインドネシアを熱く語る

1泊2日で福島。東京へ戻る前に、友人である福島市の会社社長と会った。初めてのインドネシアから帰ったばかりの彼から、インドネシアの話を聞きたい、というリクエストがあったからだ。

中国、ベトナムとビジネスを進めてきた彼は、初めて行ったインドネシアで、以前、ベトナムに行ったときに感じたような、ほとばしるような感覚を感じ、それからインドネシアで頭がいっぱいになった様子だった。

今日は、それに輪をかけるように、私が様々な情報を、系統立てずにまくし立てたものだから、消化不良に陥ってしまったようで、申し訳なく思った。

それでも、自社の若手社員を対象に、一人ぼっちになれる海外研修をやりたいと言う話が出た。福島出身の若手社員にマイノリティになる経験をさせる、という話になり、インドネシアでならば、こんなふうに研修したらいいのではないか、と、話は大いに盛り上がった。

彼の来年は、インドネシア・イヤーになるかもしれない、ということだった。必要あれば、もちろん、しっかりサポートするよ、と言った。

新鮮な穫れたて、挽きたてカカオを楽しむ未来へ

12月7日は、私がアドバイザーを務めているダリケー株式会社主催の「挽きたてのカカオプレッソを楽しむ会」へ行ってきた。

場所は、東京・六本木のANAインターコンチネンタル・ホテルの37階。チョコレート好きの方々が集っていた。

ダリケーは、インドネシア・スラウェシ産のカカオを扱う、チョコレート業界ではちょっと変わった存在である。インドネシアは世界第3位のカカオ生産国でありながら、未発酵カカオが主流なため、よいチョコレートを作る側からは敬遠されてきた。

ダリケーはそこへあえて挑んだ。スラウェシ産のカカオをきちんと発酵させれば、良質のチョコレート原料となることを立証した。カカオ農家に適切なインセンティブを与え、発酵カカオを生産する農家に誇りをもたせることに成功した。

有名なショコラティエのいないダリケーは、素材で勝負するアプローチに打って出た。新鮮な挽きたてカカオ、という、まだ誰も提示していないやり方である。

スラウェシの農家レベルから直接カカオ豆を買い付けているダリケーは、早ければ、農家から受け取って数ヶ月で日本へカカオを届けられる。これは、他社では真似のできない芸当である。

そして、新鮮なカカオは香りが素晴らしい。この新鮮な穫れたてのカカオを使って、チョコレートを作ってみたら、とてもフレッシュなチョコレートを作ることができた。

上の写真は、12月7日に発売開始となった、数ヶ月前に収穫したばかりのカカオを使った新作の生チョコ。プレーンと抹茶の2種類のみ。イベントで試食したが、なるほど、これは未体験のみずみずしい味わいだった。フレッシュなカカオ、という意味が納得できた。

そして、カカオ豆を入れるとそのままカカオ飲料ができる機械「ブローマ」もお披露目された。これさえあれば、簡単に、たとえば、コーヒーメーカーにコーヒー豆を入れて挽きたてコーヒーを飲むように、カカオ飲料が飲める。

コーヒー豆を買うように、カカオ豆を買って「ブローマ」に入れ、挽きたてのカカオプレッソを楽しむ。コンビニで挽きたてコーヒー以外に、挽きたてカカオプレッソも飲める。

新鮮な穫れたて、挽きたてカカオを楽しむ。そんな未来が、あと何年かすると訪れるかもしれない。ダリケーは時代を先取りし、新たな時代を作っていく。

よりどりインドネシア第59号を発行

よりどりインドネシア第59号を発行しました。
https://yoridori-indonesia.publishers.fm/issue/4737/

カバー写真は、ブンクル州ルボン県プラバイ郡で出会った川で洗濯をする人々です。

●オムニバス法で投資誘致は進むか(松井和久)
二期目を迎えたジョコウィ政権は、さらなる投資誘致を進めるため、ベトナムを意識して、オムニバス法の制定へ動いています。このオムニバス法とはどのようなものでしょうか。投資誘致のためにオムニバス法は有効なのでしょうか。考察してみました。

●ロンボクだより(26):塩の生産現場にて(岡本みどり)
岡本さんの好評連載は、東ロンボクの塩づくりの現場で働く生産者についての話を書きました。生産者の置かれた難しい立場に思いを馳せました。

●骨の髄までしゃぶりまスープ(松井和久)
インドネシアのあちこちで食べられる牛の脚の中の髄を楽しむソプ・キキル。今回はクンダリ、プカンバル、東ロンボクで食べたソプ・キキルを紹介しました。

いつもご愛読いただき、ありがとうございます。引き続きいくつものインドネシアを伝えてまいります。よろしくお願いいたします。

インドネシアの新首都候補地はどんな土地?

インドネシアでは、渋滞して非効率な現在のジャカルタから首都を移転するという計画が立てられ、8月下旬、新首都候補地として、東カリマンタン州に場所が決定された。

新首都候補地付近の風景

東カリマンタン州といえば、東西に長いインドネシアのちょうど真ん中付近。近くには、よそ者が集まって大きくなった街・バリクパパンがある。

この新首都候補地がどんな土地か調べてみた。もちろん、国有地なのだが、何もない土地ではなかった。そこは、森林使用権(HPH)が設定されている土地で、その森林使用権を持っているのは、ある有名な華人実業家だった。

国有地なので、国はいつでも華人実業家から取り上げられるのだが、当然、何らかの取引がありうる。最低でも、代替の森林使用権が設定できる土地を国が用意することになるだろう。

でも、おそらくそれでは終わらないだろう。この華人実業家、只者ではないのだ。問題発言を起こして、メディアやイスラム勢力に叩かれた過去がある。でも、今の政権とは相当に密接な関係を持っており、政権側がむしろ守らなければならない相手なのだ。

そしてさらに、新首都候補地には、意外な人物の関わりもあった。大統領選挙をジョコウィと戦ったプラボウォである。ジョコウィとプラボウォとの和解の裏に、新首都利権もあったのかどうか。

そこらへんの話を、11月22日発行の『よりどりインドネシア』第58号に書いてみた。興味のある方は、ぜひお読みいただきたい。なお、購読登録月は1ヵ月無料となります。

 新首都候補地はどのような土地なのか

Noteにも同じ内容を掲載しました。こちらは11月27日23時59分まで無料掲載します。

 Note版:新首都候補地はどのような土地か

28年ぶりのバダ谷、の話を書いた

予定発行日よりも3日遅れで、ウェブ情報マガジン「よりどりインドネシア」第57号を発行した。

昨日書いた、疲労困憊のなかで発行したので、久々にボロボロ状態での発行になってしまった。とにかく、眼がショボショボ、まぶたが重い、眠くてしょうがない。

そんななか、書いてみたのは、「28年ぶりのバダ谷へ樹皮紙・樹皮布を見に行く」というエッセイ。1991年8月に行って以来のスラウェシ島中央部、中スラウェシ州の山の中のバダ谷は、もうすっかり変わっていて、桃源郷のようだったバダ谷はどこへ行ってしまったのか、という感じでもあった。

それでも、世界的にみてもとても貴重な樹皮紙・樹皮布の現況を見に行けたのは、とてもラッキーだった。誘ってくださった坂本勇氏には本当に何度感謝申し上げてもきりがないぐらいの気持ちである。

世界的にも珍しい木の皮から紙や布を作る技術、バダ谷では3,000年前から連綿と今に至るまで続いている。世界には他でもあるのだが、途中で途絶え、博物館で見られるようなものになってしまっている。

樹皮紙・樹皮布とはどんなもので、どうやって作られ、何に使われているのか。それを見聞して書いてみた。

そして、なんと、樹皮紙・樹皮布の原料となる木は、世界中の数々の木のなかでなぜか同じ木なのだ。一体、それはなぜなのだろうか。

よろしければ、是非、以下のリンクからご一読ください。有料購読ですが、登録1ヵ月間は無料で読むことができます。

 よりどりインドネシア第57号

併せて、第1~56号のバックナンバーも読むことができます。この機会に、是非、「よりどりインドネシア」をよろしくお願いいたします。

仁淀ブルーの沈下橋

透明度が高く、青色の水が特徴の仁淀川。高知県を流れる仁淀川は、流域面積1,560 km、長さ124 kmの、吉野川・四万十川に次ぐ四国第三の河川である。

その青い水の色は「仁淀ブルー」とも呼ばれ、2012年から7年連続で水質ランキング日本一を維持している。

今日(2019/11/06)は空の色が青く、まさにきれいな秋空。その空の色が川面に映っているためだろうか、仁淀川の色は青かった。

でも、インターネット上でみかけるような見事なコバルトブルーの水の色は、もっと上流へ行かないと見えないのだろう。

先の写真は、越知町の浅尾沈下橋の上から撮ったものである。下の写真は、その沈下橋。

沈下橋には欄干がなく、洪水時には、敢えて橋の上を川が越水することを促し、沈む構造になっている。もちろん、橋がみえなくなるので、洪水時に通行はできなくなる。これも高知の先達たちの知恵なのか。

沈下橋の向こうの山の中腹には、柵らしいものがみえる。鳥獣対策として、イノシシが入ってこないようにするための柵で、この集落一帯は、実はその柵で囲われているということだった。

夕方、横倉山の山頂近く、織田公園にある展望台から、越知町の全景を眺めた。

仁淀川は頻繁に氾濫するため、町周辺では米作や露地野菜栽培が主となり、ビニールハウスを活用した施設園芸は盛んではない、という町役場の方の説明が本当に納得できる光景だった。

そして、街の中心部を蛇行する仁淀川は、夕闇の中で、やはり青く光っていた。

この高知県の山間の越知町が、柑橘類とコーヒーで、インドネシアの中アチェ県とつながる動きをみせてくるかもしれない。

登録支援機関登録を拒否されました

先日、仙台入管より登録支援機関登録拒否通知書が届きました。

登録支援機関とは、2019年4月の出入国管理及び難民管理法の改正によって新設された在留資格「特定技能」に関して、特定技能労働者を雇用する日本企業のサポートをする機関です。

たとえば、現地事情に疎い日本企業に代わって現地で候補者を見つけ、候補者に対する面接やオリエンテーションなどの事前準備を行ったり、雇用後の日本での生活支援を行うことが業務とされています。

弊社(松井グローカル合同会社)は、2019年4月に仙台入管へ申請し、申請料金の支払も行いました。その後、4月下旬、インドネシア出張時に、「実績が乏しいので登録は難しい」との連絡がありました。

私自身は5年前から、インドネシア人元研修生の組織であるインドネシア研修生実業家協会(IKAPEKSI)のアドバイザーを務めており、折に触れて、インドネシア人技能実習生の相談にあたってきました。

また、「特定技能」が新設された後は、特定技能にまつわる詐欺行為が横行するインドネシアへ出向いて、各所で「特定技能」についての正しい情報の供与に努めてきました。弊社のフェイスブックページは、5万件以上の訪問者があり、100件以上の問い合わせに応じてきました。

ただ、それらはすべてボランティア・ベースで行ったものでした。


仙台入管によれば、実績というのは、請求書ベースの金銭のやり取りを伴ったものを指すので、弊社の場合、いくらボランティアベースで行っても、実績とは見なされない、ということのようでした。

出入国管理及び難民認定法第19条の26第1項第14号該当、すなわち「支援業務を的確に遂行するための必要な体制が整備されていない者」に該当するということでした。

実績という点から見れば、特定技能に関わる登録支援機関の多くが、これまで技能実習を担ってきた監理団体によって占められていることも納得できます。志を持って、外国人の方々を支援しようと思っても、過去の実績がなければ、登録を拒否されるのでした。逆に、技能実習の監理団体ならば、その中身に問題が見られなければ、実績として認められるのでしょう。

4月に「難しい」という話を聞いた後、登録支援機関になることのプラスとマイナスを色々と考えてきました。そして、むしろ、登録支援機関に登録されなくてよかったのではないか、と思うことにしました。

持論ですが、技能実習と特定技能ははっきりとわけるべきだと考えます。技能実習は本当の意味での技能人材育成とし、特定技能は労働者向けの機会とし、日本へ出稼ぎに来る外国人は特定技能のみにすべきである、と考えます。

事実上労働者として受け入れているのに、技能実習だから3年間職場を離れられない、というのは間違っています。3年間同じ場所にいるのは、技能を習得する人材育成のためです。

労働者として雇うならば、日本人の場合と同じように、職場を移る権利を持つのは当然でしょう。外国人だから転職できないというのは、人権問題です。

そもそもの始まりから、嘘とごまかしが横行する技能実習でうまく摘発を逃れてきた監理団体からすれば、特定技能も同じようにうまくやれると思っていることでしょう。

4月に仙台入管へ登録支援機関の登録申請に出向いた際、担当職員の方と技能実習の現況について意見交換したのですが、担当職員の方は手続をきちんとやることに集中していらして、今後の外国人受入れの在り方等について、何らかの意見を示すことはありませんでした。意見表明を避けたというよりも、組織の示す方向性に従う、というニュアンスだったと記憶しています。

日本政府から見て、インドネシアと30年以上深くかかわってきた自分よりもふさわしいと考える登録支援機関が、非の打ちどころのないインドネシア人特定技能労働者のサポートをすることを切に願っています。

変わりゆくマカッサルの夕陽の移ろい

8月23日、ダリケーのカカオツアーの最後は、参加者と一緒に、マカッサルで夕陽を見ました。この日はやや曇り気味で、水平線に落ちる夕陽は期待薄だったのですが・・・。

日が落ちる前、日が落ちる瞬間、そして日が落ちてしまった後、その移り変わりをじっくりと味わうことができました。

わずか30分ぐらいの間に、刻々と変化していく色。海も空も。
光が放射状に見えたのがとても印象的でした。
これまで30数年の間に、この愛すべきマカッサルの街で、いったい何度、夕陽を見たことでしょう。
この海岸からわずか5分程度の場所に住んでいた約20年前、幼い娘を抱きながら、妻と3人で毎日毎日、眺めていた夕陽。
今から10数年前、私を訪ねてきた父と父の友人たちと、ゆったりと眺めた夕陽。その数年後、父が亡くなりました。マカッサルで夕日を眺めていた父の晴れ晴れした顔の写真を遺影にしました。
何百回、何千回とながめたマカッサルの夕陽は、この街で過ごした様々な思い出をよみがえらせてくれます。
そんな夕陽のなかでも、今回の夕陽の移ろいは、また格別なものでした。
この一瞬にしか出会えない、自然の創り出す一期一会の芸術作品にすっかり酔っていました。
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