原田正純先生の思い出
6月12日が原田正純先生の命日だった。原田先生とお会いしたのは一度だけ。それも、インドネシアでお会いしたのだった。
6月12日が原田正純先生の命日だった。原田先生とお会いしたのは一度だけ。それも、インドネシアでお会いしたのだった。
外出自粛でテレワーク、インターネットを利用したテレビ会議が花盛りとなっていますが、私も今日(5/16)、ようやく、遅ればせながら、東京の自宅でZOOMデビューしました。
毎月2回、おおよそ7日前後と22日前後に、ウェブ情報マガジン『よりどりインドネシア』を発行しています。
今日も、昼前からずっとこもって、編集作業プラス自分の原稿を書き上げて、先ほど午後10時半過ぎ、ようやっと発行しました。
第69号の内容については、以下のサイトをご覧ください。
https://yoridori-indonesia.publishers.fm/issue/4843/
2017年7月1日発行の創刊準備号(第0号)から始まり、今日まで、欠版を出すこともなく、毎月2回、発行し続けて、第69号までこぎつけました。バックナンバーの第0号から第19号までは無料全文公開しています。
バックナンバーはこちらから → https://yoridori-indonesia.publishers.fm/backnumber/
『よりどりインドネシア』を発行しているのは、様々なインドネシア、いくつものインドネシアをお伝えしたいと願っているためです。
ともすると、日本でお目にかかるインドネシアの情報は、観光地のバリ島か、ビジネス関係者の集まる首都ジャカルタかの2つに偏る傾向があります。
もちろん、そこに日本人の情報に関する需要があるので、日本のメディアの関心はバリ島とジャカルタに集中してしまうのはやむを得ないことです。
でも、インドネシアは「多様性の中の統一」の何でもありの場所。無尽蔵の様々なインドネシアが全国各地に深く広く散らばっています。
それをよりどりつまみ出して、インドネシアの多様性と深みがお伝えすることは、35年間プロとしてインドネシアと付き合い、34州中28州を歩いた自分にとってのミッションであり、喜びでもあります。
幸いにも、インドネシアで現地社会のなかで生活されている方々に執筆してもらい、日本からの出張者の目とは違う視点から見えるインドネシアをお伝えできています。
今後は、さらにインドネシアの様々な現地社会で生活されている方やされていた方に新たに執筆者と加わっていただくことや、ぎゃうに、日本で生活しているインドネシアの方々からみた日本社会の様々な出来事なども書いていただけたらなあと思っています。
海外に日本を紹介する場合でも、東京と京都しか紹介されなかったら、日本を紹介したとはいえないことでしょう。
このささやかなウェブ情報マガジンをきっかけに、日本の皆さんも、様々な、いくつものインドネシアの面白さを味わって、興味を持っていただければ、とても嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
3月1~11日のジャカルタ・スラバヤ出張は、今になってみると、ギリギリのタイミングで実行できたのだなあと、つくづく思う。それについては、また別に書くとして。
今回は、無くしものの話。それも、続けざまの無くしものの話。
今回のインドネシア出張中に、出張や移動の際の必需品ともいえるものを無くしてしまった。それは、BOSEのノイズキャンセリングイヤホンだ。
もうかれこれ5年ぐらい愛用していた。
ノイズキャンセリングの良さと音の良さ。購入したときはBOSEなのでちょっと高価だなと思ったが、実際に使ってみると、その性能の良さに大満足だった。
飛行機に乗る際には手放せなかった。備え付けのヘッドフォンはもう使えなかった。まだ有線なので、座席前のUSBポートにコードを差し込み、充電しながら使用できた。東京=ジャカルタ便7時間でも電池切れなし。
音楽を聴き終わって、BOSEを付けたまま寝込んでしまうと、雑音が入らず、気持ちよく睡眠できた。
飛行機の中で寝るときの三種の神器は、アイマスク、口マスク、そしてノイズキャンセリングイヤホン。これで飛行機の中でじっくり休める。
その大事なノイズキャンセリングイヤホンを紛失してしまったのだ。
ジャカルタで代替品を買おうと思ったが、同じBOSEのが500万ルピア以上、日本で買うよりも遥かに値段が高い。店で「今や有線なんてないよー」ともいわれた。
とりあえず、ノイズキャンセリング機能のない、普通のSONYのイヤホンを30万ルピアで購入した。このイヤホン、カナル式で音も良く、思ったよりいい買い物だった。
しばらく使っていたが、これもどこかで無くしてしまった。おそらく、帰りのジャカルタ=東京の飛行機のシートポケットに入れたまま置いてきてしまったような気がする。
そして、つい最近、東北新幹線で東京から福島へ移動した際、充電コードとUSB2口アダプターを車内に忘れたまま、福島で降りてしまった。
続けざまに、ものを無くして、ショックだった。自分の注意力がこうも散漫になるものなのか。これまでも、無くしものはあったが、こんなに続けざまというのは、まずなかった。これも歳をとったということなのか。
ノイズキャンセリング・イヤホンは必需品なので、結局,以下のソニー製の新しいものを購入した。本命のAirPodは入荷見込がつかなかった。
今度は無線。完全ワイヤレス。充電の心配はあるが、線がないとこんなにも自由なのか、と思った。
ノイズキャンセリング機能も十分。使用者の行動を察知して、自動で外の音をどれぐらい取り入れるか、ノイズキャンセリングの程度を調整する機能はなかなか便利。
必ずケースにしまうので、無くす心配もないように思える。でも気をつけよう。
2020年2月9日、毎月2回発行のウェブ情報マガジン『よりどりインドネシア』の第63号を発行しました。以下のサイトから、その一部を読んでいただけます。
今号の内容は以下のとおりです。
●インドネシアのニセ王国物語(松井和久)
2020年に入って、インドネシアでは様々なニセ王国が現れ、メディアを賑わせています。どんなニセ王国なのか、その内容を細かく見ていくと、そこに政治的な意図が見えてきました。どうしてニセ王国が現れるのか。既存の王国とニセ王国とを分けるものは何か。それらは本当に分けられているのか。インドネシアにいくつかある王国連合体組織についても、考察してみました。
●ロンボクだより(28):震災の終わり(岡本みどり)
岡本さんの連載は、ロンボク地震から1年半経って、岡本さん自身の思うことを書かれています。震災は終わったのか。その問いをめぐっての思いです。岡本さんの原稿を読みながら、東日本大震災をはじめとする被災地での人々のことが思い浮かんできました。政府やメディアは「終わった」とか「まだだ」と、安易に言い過ぎてはいないだろうか、と改めて思いました。
●パプアのラタパン(哀歌)を追いかける~セプティナ・ロサリナ・ラヤンさんの挑戦~(松井和久)
日刊紙『コンパス』の記事から、パプアの奥地でラタパンと呼ばれる哀歌の収録を進める若者の話を紹介します。ラタパンの持つ複層的な役割は、震災復興の観点からも注目できるのではないかと思いました。 他方、パプアでのラタパンの使われ方が、インドネシアによる抑圧や差別への批判に傾く傾向もあり、パプア奥地の人々によるラタパンの持つ意味が薄められているような印象を持ちます。
上記のような内容を含めました。多くの方にご一読いただければと思います。
試行錯誤で始めたウェブ情報マガジン「よりどりインドネシア」。
月2回発行で、今回が第60号、つまり、初めて発行してから2年半が経過したことになる。内容は、以下のサイトを参照してほしい。
おかげさまで、2019年12月23日現在、会員は83名(ウェブ登録会員74名、PDF版購読会員9名)。少しずつ、少しずつ、読んでくださる方の数が増えてきた。
「よりどり」の特徴の一つは、現地に在住する方々が連載を続けてくださっていること。
ロンボク島在住の岡本みどりさんは、「ロンボクだより」を毎月前半の号に連載してくださっている。
中ジャワ州ウォノソボ在住の神道有子さんは、「ウォノソボライフ」を毎月後半の号に連載してくださっている。
いずれも、筆者の日々の生活に根ざした、在住者だからこそ書けるバラエティに富んだ内容で、本当に貴重な連載だと思う。いずれ、それぞれまとめて、合冊本として出版してみたいという個人的な希望もある。
お二人に加えて、インドネシアをこよなく愛するジャカルタ在住の横山裕一さんが、彼ならではの筆致で「いんどねしあ風土記」を連載している。横山さんの連載を読んでいると、あたかも彼と一緒にインドネシア各地を旅しているかのような錯覚に陥りそうだ。
また、インドネシア在住ではないが、歴史研究家の脇田清之さんは、第二次世界大戦前後のインドネシアに在住していた日本人の記録を丹念に追いかけており、その成果をいくつも「よりどり」のなかで披露していただいている。
「よりどりインドネシア」は、いくつものインドネシアを伝えていく場である。さらにたくさんの書き手が、もっともっと私たちの知らない、いくつものインドネシアを伝える仲間として、加わってもらえたらと思っている。
あなたのインドネシアを「よりどり」に書いてみませんか。書き手の仲間に加わってみませんか。
読み手の仲間に加わっていただける方、誠に恐れ入りますが、有料マガジンとなっております。月2本で毎月750円+税。
ウェブ上で登録すると、1ヵ月の無料お試し期間の後、毎月、クレジットカードから購読料が引き落とされます。ウェブ上での登録はこちらから→「よりどりインドネシア」
ウェブ登録のほか、PDF版での購読も可能です。この場合、毎回、PDF版を指定のメールアドレスへお送りします。料金の支払いは、6ヵ月分または12ヵ月分まとめての銀行口座振込となります。ご希望の方は、メールにてお知らせください(matsui@matsui-glocal.com)。支払いは日本円またはインドネシア・ルピアでお願いします。
ウェブ登録された方でも、PDF版も欲しい方は、毎回お送りいたしますので、遠慮なくお知らせください。
2020年からは、「よりどりインドネシア」講演・交流会をもっと頻繁に開催したいと思っています。
場所は東京でも、大阪でも、名古屋でも、福岡でも、ジャカルタでも、スラバヤでも、シンガポールでも、ニューヨークでも、どこでも。
自分のところでやりたい!という方がいらっしゃれば、ぜひご相談ください。
いくつものインドネシアを伝え合い、語り合い、学び合い、楽しみ合える場をつくり、日本人とかインドネシア人とかを超えた、面白いつながりをゆるくしなやかに作っていければと思っています。
長くなりましたが、以上です!
新聞などのメディア紙上で、特定技能外国人が増えないことが取り上げられている。
その原因として、制度が突貫で作られたからとか、送り出し国側の準備が整っていないとか、書類などの手続きが煩雑だから、などなどいろいろな理由が挙げられている。
一つの大きな原因は、特定技能が技能実習の延長線上で考えられていることにある。技能実習で技能を身につけてから、特定技能へ移る、というイメージである。
ところが、特定技能は単純労働も含む、とも言っている。技能実習で技能を身につけた人に単純労働をさせる、ということがありうるのか。それはおかしい。
特定技能が増えないのは、試験などの準備が遅れていることもあるが、日本の企業側が、同じ企業内で技能実習2号(3年間終了)の者が特定技能1号へ移る場合を除き、新たに特定技能を望まないからだと思われる。
特定技能外国人は、業種が同じならば転職が可能、賃金や福利厚生などで日本人と同等以上にしなければならない。
なぜ、企業は特定技能よりも技能実習を選好するのか、といえば、その理由は一つ、技能実習ならば、受け入れた企業から3年間はよそへ動かないからだ。3年間の労働力を確保できるからだ。
でも、なぜ技能実習は3年間よそへ動けないのか。それは「労働」ではなく「技能実習」だからである。
2017年に施行された「外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律」(技能実習法)の第3条2項では、技能実習制度を労働力の需給の調整の手段とすることを明確に禁じている。すなわち、人手不足の解消手段として、技能実習制度を活用することは、明確な法律違反となる。
3年間よそへ動けないことを理由に技能実習を選好する企業は、上記の技能実習法に明確に違反している。おそらく、技能実習生を受け入れている大半の企業は、法律違反を犯している。
でも、取り締まれないのだ。本気で取り締まったら、「労働力」を確保できなくなり、企業活動は止まり、日本経済全体が動かなくなってしまうかもしれない。
行政側は、人員不足を理由に、違法行為をすべて取り締まれない、として、取り締まれないのである。
本来、「技能実習」だから3年間同じ場所であるのに、実際には、3年間動くことのできない「労働力」として使っているのである。これは、技能実習生側からすれば、詐欺になるのではないか。
「彼らだって金稼ぎに来ているのだから、いいではないか」という答えが聞こえてきそうだ。そうした状況であることは否定しない。しかし、「日本へ行ったら稼げるぞ」と言って技能実習生をリクルートしている現実からすれば、最初から、技能実習制度を隠れ蓑にして、技能実習生を「労働力」として受け入れていることになる。やはり、法律違反である。
ではどうするか。
私見では、外国から日本へ「労働者」として稼ぎに来る者は、「労働者」として受け入れるのが正しい。今の制度ならば、特定技能の手続を簡素化して、労働力として雇う企業は、原則として特定技能労働者を雇うのが望ましい。
労働者なのだから、日本人に対するのと同じように、転職の自由を認め、賃金や福利厚生のコストを負担する。
技能実習はどうなるのが良いのか。
本当の意味での「技能実習」にする。彼らは「労働者」ではなく、「見習い」「研修生」である。3年間の技能実習カリキュラムをきちんとつくり、それに合わせて人材育成をする。
3年間の「技能実習」が終わったら、「労働者」として特定技能労働者へ変わってもよいだろう。あるいは、「技能実習」中にステータスをグレードアップさせて、専門学校や大学を卒業し、高度人材となっていってもよいだろう。
何を技能実習で学ぶかを、技能実習生の送り出し側が明確にしたうえで、日本へ送る。日本ではその目的を満たせる受入企業を探して、受け入れてもらう。
技能実習と言いながら、そのイニシアティブは、送り出し側ではなく受け入れ側が持っている、というのが現状である。送り出し側が受け入れ側のニーズに合わせるのはおかしい。技能を教えてもらいたい側、送り出し側のニーズがまずあって、それに対して、受け入れ側が合わせるのが自然である。
特定技能と技能実習は明確に分けるべき、と考える。そして、技能実習を、実習を受けいれる日本側のニーズではなく、実習を受ける実習生側のニーズを出発点とする形に変え、人材を育成する本当の「技能実習」にする必要があると考える。
今のような、あたかも詐欺のような制度、事実上の違法状態が蔓延している技能実習制度を、法律が謳うまともな制度に変える。そして、稼ぐために日本へ来る者たちを労働者として受け入れる。受け入れるからには、労働条件は日本人と同じにする。転職されるのも覚悟する。
もう、今のような、国家総ぐるみでの「まやかし」の状態は止めようではないか。
1泊2日で福島。東京へ戻る前に、友人である福島市の会社社長と会った。初めてのインドネシアから帰ったばかりの彼から、インドネシアの話を聞きたい、というリクエストがあったからだ。
中国、ベトナムとビジネスを進めてきた彼は、初めて行ったインドネシアで、以前、ベトナムに行ったときに感じたような、ほとばしるような感覚を感じ、それからインドネシアで頭がいっぱいになった様子だった。
今日は、それに輪をかけるように、私が様々な情報を、系統立てずにまくし立てたものだから、消化不良に陥ってしまったようで、申し訳なく思った。
それでも、自社の若手社員を対象に、一人ぼっちになれる海外研修をやりたいと言う話が出た。福島出身の若手社員にマイノリティになる経験をさせる、という話になり、インドネシアでならば、こんなふうに研修したらいいのではないか、と、話は大いに盛り上がった。
彼の来年は、インドネシア・イヤーになるかもしれない、ということだった。必要あれば、もちろん、しっかりサポートするよ、と言った。
12月7日は、私がアドバイザーを務めているダリケー株式会社主催の「挽きたてのカカオプレッソを楽しむ会」へ行ってきた。
場所は、東京・六本木のANAインターコンチネンタル・ホテルの37階。チョコレート好きの方々が集っていた。
ダリケーは、インドネシア・スラウェシ産のカカオを扱う、チョコレート業界ではちょっと変わった存在である。インドネシアは世界第3位のカカオ生産国でありながら、未発酵カカオが主流なため、よいチョコレートを作る側からは敬遠されてきた。
ダリケーはそこへあえて挑んだ。スラウェシ産のカカオをきちんと発酵させれば、良質のチョコレート原料となることを立証した。カカオ農家に適切なインセンティブを与え、発酵カカオを生産する農家に誇りをもたせることに成功した。
有名なショコラティエのいないダリケーは、素材で勝負するアプローチに打って出た。新鮮な挽きたてカカオ、という、まだ誰も提示していないやり方である。
スラウェシの農家レベルから直接カカオ豆を買い付けているダリケーは、早ければ、農家から受け取って数ヶ月で日本へカカオを届けられる。これは、他社では真似のできない芸当である。
そして、新鮮なカカオは香りが素晴らしい。この新鮮な穫れたてのカカオを使って、チョコレートを作ってみたら、とてもフレッシュなチョコレートを作ることができた。
上の写真は、12月7日に発売開始となった、数ヶ月前に収穫したばかりのカカオを使った新作の生チョコ。プレーンと抹茶の2種類のみ。イベントで試食したが、なるほど、これは未体験のみずみずしい味わいだった。フレッシュなカカオ、という意味が納得できた。
そして、カカオ豆を入れるとそのままカカオ飲料ができる機械「ブローマ」もお披露目された。これさえあれば、簡単に、たとえば、コーヒーメーカーにコーヒー豆を入れて挽きたてコーヒーを飲むように、カカオ飲料が飲める。
コーヒー豆を買うように、カカオ豆を買って「ブローマ」に入れ、挽きたてのカカオプレッソを楽しむ。コンビニで挽きたてコーヒー以外に、挽きたてカカオプレッソも飲める。
新鮮な穫れたて、挽きたてカカオを楽しむ。そんな未来が、あと何年かすると訪れるかもしれない。ダリケーは時代を先取りし、新たな時代を作っていく。
よりどりインドネシア第59号を発行しました。
https://yoridori-indonesia.publishers.fm/issue/4737/
カバー写真は、ブンクル州ルボン県プラバイ郡で出会った川で洗濯をする人々です。
●オムニバス法で投資誘致は進むか(松井和久)
二期目を迎えたジョコウィ政権は、さらなる投資誘致を進めるため、ベトナムを意識して、オムニバス法の制定へ動いています。このオムニバス法とはどのようなものでしょうか。投資誘致のためにオムニバス法は有効なのでしょうか。考察してみました。
●ロンボクだより(26):塩の生産現場にて(岡本みどり)
岡本さんの好評連載は、東ロンボクの塩づくりの現場で働く生産者についての話を書きました。生産者の置かれた難しい立場に思いを馳せました。
●骨の髄までしゃぶりまスープ(松井和久)
インドネシアのあちこちで食べられる牛の脚の中の髄を楽しむソプ・キキル。今回はクンダリ、プカンバル、東ロンボクで食べたソプ・キキルを紹介しました。
いつもご愛読いただき、ありがとうございます。引き続きいくつものインドネシアを伝えてまいります。よろしくお願いいたします。
インドネシアでは、渋滞して非効率な現在のジャカルタから首都を移転するという計画が立てられ、8月下旬、新首都候補地として、東カリマンタン州に場所が決定された。
東カリマンタン州といえば、東西に長いインドネシアのちょうど真ん中付近。近くには、よそ者が集まって大きくなった街・バリクパパンがある。
この新首都候補地がどんな土地か調べてみた。もちろん、国有地なのだが、何もない土地ではなかった。そこは、森林使用権(HPH)が設定されている土地で、その森林使用権を持っているのは、ある有名な華人実業家だった。
国有地なので、国はいつでも華人実業家から取り上げられるのだが、当然、何らかの取引がありうる。最低でも、代替の森林使用権が設定できる土地を国が用意することになるだろう。
でも、おそらくそれでは終わらないだろう。この華人実業家、只者ではないのだ。問題発言を起こして、メディアやイスラム勢力に叩かれた過去がある。でも、今の政権とは相当に密接な関係を持っており、政権側がむしろ守らなければならない相手なのだ。
そしてさらに、新首都候補地には、意外な人物の関わりもあった。大統領選挙をジョコウィと戦ったプラボウォである。ジョコウィとプラボウォとの和解の裏に、新首都利権もあったのかどうか。
そこらへんの話を、11月22日発行の『よりどりインドネシア』第58号に書いてみた。興味のある方は、ぜひお読みいただきたい。なお、購読登録月は1ヵ月無料となります。
Noteにも同じ内容を掲載しました。こちらは11月27日23時59分まで無料掲載します。
Note版:新首都候補地はどのような土地か
予定発行日よりも3日遅れで、ウェブ情報マガジン「よりどりインドネシア」第57号を発行した。
昨日書いた、疲労困憊のなかで発行したので、久々にボロボロ状態での発行になってしまった。とにかく、眼がショボショボ、まぶたが重い、眠くてしょうがない。
そんななか、書いてみたのは、「28年ぶりのバダ谷へ樹皮紙・樹皮布を見に行く」というエッセイ。1991年8月に行って以来のスラウェシ島中央部、中スラウェシ州の山の中のバダ谷は、もうすっかり変わっていて、桃源郷のようだったバダ谷はどこへ行ってしまったのか、という感じでもあった。
それでも、世界的にみてもとても貴重な樹皮紙・樹皮布の現況を見に行けたのは、とてもラッキーだった。誘ってくださった坂本勇氏には本当に何度感謝申し上げてもきりがないぐらいの気持ちである。
世界的にも珍しい木の皮から紙や布を作る技術、バダ谷では3,000年前から連綿と今に至るまで続いている。世界には他でもあるのだが、途中で途絶え、博物館で見られるようなものになってしまっている。
樹皮紙・樹皮布とはどんなもので、どうやって作られ、何に使われているのか。それを見聞して書いてみた。
そして、なんと、樹皮紙・樹皮布の原料となる木は、世界中の数々の木のなかでなぜか同じ木なのだ。一体、それはなぜなのだろうか。
よろしければ、是非、以下のリンクからご一読ください。有料購読ですが、登録1ヵ月間は無料で読むことができます。
併せて、第1~56号のバックナンバーも読むことができます。この機会に、是非、「よりどりインドネシア」をよろしくお願いいたします。
透明度が高く、青色の水が特徴の仁淀川。高知県を流れる仁淀川は、流域面積1,560 km、長さ124 kmの、吉野川・四万十川に次ぐ四国第三の河川である。
その青い水の色は「仁淀ブルー」とも呼ばれ、2012年から7年連続で水質ランキング日本一を維持している。
今日(2019/11/06)は空の色が青く、まさにきれいな秋空。その空の色が川面に映っているためだろうか、仁淀川の色は青かった。
でも、インターネット上でみかけるような見事なコバルトブルーの水の色は、もっと上流へ行かないと見えないのだろう。
先の写真は、越知町の浅尾沈下橋の上から撮ったものである。下の写真は、その沈下橋。
沈下橋には欄干がなく、洪水時には、敢えて橋の上を川が越水することを促し、沈む構造になっている。もちろん、橋がみえなくなるので、洪水時に通行はできなくなる。これも高知の先達たちの知恵なのか。
沈下橋の向こうの山の中腹には、柵らしいものがみえる。鳥獣対策として、イノシシが入ってこないようにするための柵で、この集落一帯は、実はその柵で囲われているということだった。
夕方、横倉山の山頂近く、織田公園にある展望台から、越知町の全景を眺めた。
仁淀川は頻繁に氾濫するため、町周辺では米作や露地野菜栽培が主となり、ビニールハウスを活用した施設園芸は盛んではない、という町役場の方の説明が本当に納得できる光景だった。
そして、街の中心部を蛇行する仁淀川は、夕闇の中で、やはり青く光っていた。
この高知県の山間の越知町が、柑橘類とコーヒーで、インドネシアの中アチェ県とつながる動きをみせてくるかもしれない。
先日、仙台入管より登録支援機関登録拒否通知書が届きました。
登録支援機関とは、2019年4月の出入国管理及び難民管理法の改正によって新設された在留資格「特定技能」に関して、特定技能労働者を雇用する日本企業のサポートをする機関です。
たとえば、現地事情に疎い日本企業に代わって現地で候補者を見つけ、候補者に対する面接やオリエンテーションなどの事前準備を行ったり、雇用後の日本での生活支援を行うことが業務とされています。
弊社(松井グローカル合同会社)は、2019年4月に仙台入管へ申請し、申請料金の支払も行いました。その後、4月下旬、インドネシア出張時に、「実績が乏しいので登録は難しい」との連絡がありました。
私自身は5年前から、インドネシア人元研修生の組織であるインドネシア研修生実業家協会(IKAPEKSI)のアドバイザーを務めており、折に触れて、インドネシア人技能実習生の相談にあたってきました。
また、「特定技能」が新設された後は、特定技能にまつわる詐欺行為が横行するインドネシアへ出向いて、各所で「特定技能」についての正しい情報の供与に努めてきました。弊社のフェイスブックページは、5万件以上の訪問者があり、100件以上の問い合わせに応じてきました。
ただ、それらはすべてボランティア・ベースで行ったものでした。
仙台入管によれば、実績というのは、請求書ベースの金銭のやり取りを伴ったものを指すので、弊社の場合、いくらボランティアベースで行っても、実績とは見なされない、ということのようでした。
出入国管理及び難民認定法第19条の26第1項第14号該当、すなわち「支援業務を的確に遂行するための必要な体制が整備されていない者」に該当するということでした。
実績という点から見れば、特定技能に関わる登録支援機関の多くが、これまで技能実習を担ってきた監理団体によって占められていることも納得できます。志を持って、外国人の方々を支援しようと思っても、過去の実績がなければ、登録を拒否されるのでした。逆に、技能実習の監理団体ならば、その中身に問題が見られなければ、実績として認められるのでしょう。
4月に「難しい」という話を聞いた後、登録支援機関になることのプラスとマイナスを色々と考えてきました。そして、むしろ、登録支援機関に登録されなくてよかったのではないか、と思うことにしました。
持論ですが、技能実習と特定技能ははっきりとわけるべきだと考えます。技能実習は本当の意味での技能人材育成とし、特定技能は労働者向けの機会とし、日本へ出稼ぎに来る外国人は特定技能のみにすべきである、と考えます。
事実上労働者として受け入れているのに、技能実習だから3年間職場を離れられない、というのは間違っています。3年間同じ場所にいるのは、技能を習得する人材育成のためです。
労働者として雇うならば、日本人の場合と同じように、職場を移る権利を持つのは当然でしょう。外国人だから転職できないというのは、人権問題です。
そもそもの始まりから、嘘とごまかしが横行する技能実習でうまく摘発を逃れてきた監理団体からすれば、特定技能も同じようにうまくやれると思っていることでしょう。
4月に仙台入管へ登録支援機関の登録申請に出向いた際、担当職員の方と技能実習の現況について意見交換したのですが、担当職員の方は手続をきちんとやることに集中していらして、今後の外国人受入れの在り方等について、何らかの意見を示すことはありませんでした。意見表明を避けたというよりも、組織の示す方向性に従う、というニュアンスだったと記憶しています。
日本政府から見て、インドネシアと30年以上深くかかわってきた自分よりもふさわしいと考える登録支援機関が、非の打ちどころのないインドネシア人特定技能労働者のサポートをすることを切に願っています。
8月23日、ダリケーのカカオツアーの最後は、参加者と一緒に、マカッサルで夕陽を見ました。この日はやや曇り気味で、水平線に落ちる夕陽は期待薄だったのですが・・・。
日が落ちる前、日が落ちる瞬間、そして日が落ちてしまった後、その移り変わりをじっくりと味わうことができました。