【インドネシア政経ウォッチ】第149回 テロ対策の光と陰(2016年3月25日)

1月14日に首都ジャカルタの中心部でテロ事件が起こってから、2カ月余りが過ぎた。社会は平穏を取り戻したかに見えるが、その裏で、テロ対策警察特殊部隊(Densus 88)がテロリスト掃討作戦を強化している。

その標的の一つは、サントソ・グループである。サントソは、国内で唯一、過激派組織「イスラム国」(IS)に忠誠を誓う「東インドネシア・ムジャヒディン」という名の組織を率い、2012 年12 月から中スラウェシ州ポソ県の山岳地帯グヌン・ビルでゲリラ活動を行っている。

今年3月、警察は軍と合同で2,200人を投入し、サントソの逮捕を目的とした「ティノンバラ作戦」を実行した。この作戦で爆弾などの証拠品を押収したほか、中国籍のウィグル族の男性2名が射殺された。彼らは15年に合流したとみられ、ISへの共鳴の広範な国際化を示唆する。

世界で最大のイスラム人口を抱えるインドネシアはISを敵視し、テロリスト・ネットワーク細胞の摘発などの成果を上げてきた。Densus 88 の貢献度は極めて高い。しかし、その一方で、Densus 88 のテロ対策が行き過ぎであるとの批判も根強い。

3月8日、中ジャワ州クラトン県で、モスクで夕方 の礼拝をしていたシヨノ氏がDensus 88 に拘束された。 彼はテロ組織ジュマア・イスラミア(JI)のメンバ ーで、火器製造の役目を果たしたとの容疑だった。当初は従順だったが、その後、急に反抗したため、3月 11 日、Densus 88 のメンバーが正当防衛として彼を殺 害した。

シヨノ氏の容疑は検証されず、誤認だった可能性が あるとして、中ジャワ州の学生らが抗議行動を起こした。国家人権委員会や国会もシヨノ氏殺害事件に注目 し、Densus 88 による行き過ぎを非難するとともに、人権侵害の可能性を危惧する声明を発した。警察は、シヨノ氏の扱いに不備があった可能性を示唆しつつも、テロ容疑者に対する処置で人権侵害ではないとの立場 を示している。

Densus 88 を軸とするテロ対策は不可欠だが、一歩間違うと、それが逆にISへの共感を強めてしまう可能性もあることに留意する必要がある。

 

(2016年3月25日執筆)

 

【インドネシア政経ウォッチ】第148回 閣僚間で罵り合い、でも政権は安定(2016年3月11日)

このところ、ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)政権内部での閣内不一致が表面化している。とくに、リザル調整相(海事)とスディルマン・エネルギー・鉱物資源相との対立はその典型である。

両大臣は、マルク州南部のマセラ鉱区でのガス田開発をめぐって対立する。日本の国際石油開発帝石(INPEX)が主導する同鉱区のガス田開発は、深海からのガス抽出という技術的理由により、前政権下で海上にプラントを浮かべる洋上方式が提案され、了承された。

その後、開発側から生産量拡大に伴う修正案が出されると、現政権下で議論が紛糾し始めた。リザル調整相が陸上方式を強力に主張したのである。リザル氏側もスディルマン氏側も事前調査を行い、互いに自案の優位性を主張した。このため、政府は第三者機関に依頼して再調査を行い、洋上方式が優位であるとの結論が出された。

しかし、ジョコウィ大統領はそこで決断できなかった。修正案を新たな利権獲得機会と捉えた人々が動き出していた。マルク州内では、「洋上方式なら利益を全部外資に取られ、地元に何の恩恵もない」という話が住民レベルに広まっていた。陸上設備の設置場所をめぐる県政府間の激しい対立や値上がり期待の土地の買い占めも起こり、政治対立や住民間抗争などの恐れが出てきた。

リザル氏は、「スディルマン・エネ鉱相は海事担当調整相の管轄下にある」として自案を譲らず、閣議ではスディルマン氏と罵り合う場面すらあった。スディルマン氏は、今回の対立の裏で事業への新規参入を狙う企業の存在さえ示唆した。結局、ジョコウィ大統領はさらなる調査を要請して決定を先送りし、事業開始が予定よりも遅れる可能性が高くなった。

もっとも、こうした閣内不一致や大統領の指導力の欠如が露呈しても、現政権が不安定化する様子はうかがえない。これまでに野党勢力は切り崩されて弱体化し、現大統領に対抗する政治家もまだ現れていないためである。現政権の奇妙な安定はしばらく続くと見られる。

 

(2016年3月11日執筆)

 

【インドネシア政経ウォッチ】第147回 問われる外資規制緩和の本気度(2016年2月25日)

政府は2月11 日、東南アジア諸国連合(ASEAN)・米国会議に出席するジョコ・ウィドド(ジョコウィ)大統領の訪米を前に、経済政策パッケージ第10 弾として投資ネガティブリスト(DNI)の概要を公表した。DNIは2年に1度改訂されるが、今回の改訂の目玉は、外資出資比率の大幅緩和である。

とりわけ、これまで国内資本のみとされてきた業種を含む35 業種で100%外資が認められたことは驚きである。対象となった従来の外資参入禁止業種には映画撮影・制作・配給および関連設備、一般・歯科・伝統医療行為、年金運用などがあり、これまで地場中小企業向けだったワルテル(貸し電話・インターネット屋)でも外資100%が認められた。

それら以外では、冷蔵保管倉庫(従来は33%)、レストラン・カフェ・バー(同49%)、スポーツ施設(同 49%)、映画撮影・吹替・複製(同49%)、クラムラバー製造(同49%)、病院経営コンサルティング・クリニックサービス(同67%)、薬品原材料生産(同85%)、危険物以外のゴミ処理(同95%)、高速道路運営(同 95%)などでも100%外資が認められた。

また、外資出資比率が67%に引き上げられたのは、 冷蔵保管倉庫以外の倉庫業(従来は33%)、旅行代理店・教育訓練(同49%)、私立博物館・ケータリング(同51%)、建設業ほか19業種(同55%)などである。

ただし、地場中小企業を保護するため、外資の最低出資額は100 億ルピア(約8,500 万円)以上とされた。 電子商取引(EC)では1,000 億ルピア以上ならば外資100%が認められるが、それ未満は67%までとされ た。

今回のDNIは、大統領の訪米直前という、関係省庁の反発を抑える絶妙のタイミングで発表されたが、 すでに国内業界団体からは外資支配を警戒する声が上がっている。投資調整庁はこれまで、外資の最低払込資本額などを内規でたびたび変更しており、後出しで様々な条件を加えて再規制する可能性も否定できない。 国内のナショナリズム感情の動きを踏まえ、外資規制緩和に対する政府の本気度が試されることになる。

 

(2016年2月25日執筆)

 

【インドネシア政経ウォッチ】第146回 成長率4 . 7 9 % でも政府は悲観せず(2016年2月11日)

中央統計庁は2月5日、2015 年国内総生産(GDP)成長率を4.79%と発表した。現在の成長率は10年不変価格で計算されているが、これに基づいた過去の成長率は、11年が6.17%、12年が6.03%、13年が 5.58%、14年が5.02%と年々低下しており、15年は5%を割り込む結果となった。

産業別GDPの傾向はここ数年変わっていない。すなわち、情報通信、交通運輸、建設、企業サービスなどの成長率が引き続き高い一方、農業、鉱業、製造業などのいわゆる基幹生産部門の成長率が振るわないままである。とくに鉱業部門は、未加工鉱石輸出禁止とそれに代わる製錬施設の準備の遅れにより、マイナス5.08%と経済成長の足を大きく引っ張る結果となっ た。

製造業部門も好調なのは食品加工関連のみで、GDPにしめるシェアも13年の21.03%から14 年は 21.01%、15年は20.84%と減少し続けている。逆に、農業部門は低成長にもかかわらず、GDPシェアを14年の13.34%から15年は13.52%へ増加させた。

15 年の支出別GDPを見ると、輸出入が大きく落ち込むなかで、成長率4.96%の民間消費が主導の構造に変化はない。投資を示す総固定資本形成成長率が14 年の4.12%から15 年に5.07%へ上昇したのは明るい材料ではある。

他方、地域別にみると、輸出向け資源依存の高いスマトラ(3.54%)やカリマンタン(1.31%)の低成長と、バリ・ヌサトゥンガラ(10.29%)、スラウェシ(8.18%)、マルク・パプア(6.62%)など東インドネシア地域の高成長が目立つ。バリ・ヌサトゥンガラの高成長は、14年に未加工鉱石輸出禁止の影響を受けた西ヌサトゥンガラ州のニューモント社での生産回復による。ジャワの成長率は14 年の5.59%から15年は5.45%へ漸減したが、依然として経済全体を下支えしている。

5%を切った15年のGDP成長率だが、政府は意外なほど悲観していない。15 年第4四半期GDPは前年同期比5.04%となり、第2四半期の4.67%、第3四半期の4.73%から徐々に回復へ向かう兆候があるためである。政府は、この回復傾向が継続するとして、16年は5%台前半の成長を見込んでいる。

 

(2016年2月11日執筆)

 

【インドネシア政経ウォッチ】第145回 ジャカルタ・テロ事件の黒幕は誰か(2016年1月28日)

2016 年1月14日の白昼に首都ジャカルタの中心部、サリナデパートやスカイラインビル周辺で起きた爆弾テロ事件は、市民に大きな衝撃を与えた。

警察は当初、シリア在住で過激派組織「イスラム国」(IS)に合流したとされるバフルン・ナイム氏を首謀者と断定し、シリアからテロ資金が送金されていたとも発表した。東南アジアでは「ハティバ・ヌサンタラ」というISの下部組織が活動を始めており、ナイム氏はそのトップの座をフィリピン・グループと競っているという話だった。

ところが、その後の捜査で、ヌサカンバンガン刑務所に収監されているアマン・アブドゥルラフマン服役囚が事件の黒幕として浮上してきた。今回の実行犯の4人が昨年12 月にヌサカンバンガン刑務所でアマン服役囚と面会し、テロを実行すべき時期などに関して指示を仰いだというのである。

アマン服役囚は、2004 年にデポック市の自宅で爆弾事件を起こした後、10 年にアチェでの軍事訓練に関与した疑いで禁固9年の刑を受けた。彼自身が実際にテロを実行したことはないが、彼の教えを受けた信奉者が細胞ネットワークを作ってきた可能性がある。各地での自爆テロ事件では、実行犯の指導者として彼の名前が頻繁に上がった。

警察によると、アマン服役囚は14 年4月にオンラインでIS指導者へ忠誠を誓った。中東では、ISはアルカイーダ系のヌスラ戦線と対立するが、インドネシアでは必ずしも両者は峻別されない。これまでジュマア・イスラミヤなど国内イスラム過激派の支柱とされてきたアブバカル・バワシル師もIS支持を明言している。ただし、アマン服役囚とバワシル師は面識がないようである。

もしそうならば、今回のテロ事件は、国内のISシンパが独自に引き起こし、それをISが後追いで称賛したものかもしれない。今後、国内のISシンパとシリアへ渡ったインドネシア人ISメンバーとの接点がどのような形で現れてくるのか。警察は、シリアからの帰国者への監視強化と国内の細胞ネットワーク摘発に全力を尽くすことになる。

 

(2016年1月28日執筆)

 

【インドネシア政経ウォッチ】第144回 機会の不平等が所得格差の拡大を促す(2016年1月14日)

2015年12月初め、世界銀行は『インドネシアの格差拡大』と題する報告を発表し、「不平等の拡大を放置すれば、経済成長と貧困削減を遅らせ、紛争のリスクを高める」と今後のインドネシアに対して警鐘を鳴らした。

世銀報告によると、所得格差を図る指数であるジニ係数(ゼロに近いほど平等、1に近いほど不平等)は、スハルト時代の1990年代前半までは0.3台前半で安定し、アジア通貨危機とスハルト退陣を経た2000年に0.3と最低になったが、その後じりじりと上昇し、2014年には0.41と過去最大になった。

今回の世銀報告によると、インドネシアの所得格差は個々人では乗り越えられない問題、すなわち、その出自によって、教育や保健などのサービス機会が不平等であることが重大要因である。子どもが産まれる前の栄養、浄水、衛生、保健サービスへのアクセスなど、スタートライン時点の不平等が将来の不平等を促すのである。

たしかに、日本と比べても、インドネシアでは教育、保健などのサービス提供で市場原理がより貫徹してきた。外国で高度な教育や医療を受ける高所得者層がいる一方で、貧困層は学校や保健所にすら行く金銭的余裕がない。

機会の不平等については、世銀報告の指摘以上の問題がある。その一端は学校教育にある。公立校でも入学時に政府高官や国営企業幹部などの子弟枠が暗黙に制定されていたり、有力者のコネによる不正入試が横行したりと、教育を受ける機会や成績評価が不公正な状態がある。子どもたちは、社会へ出る前に機会の不平等を学校の中で学んでしまう。

さらに、首都ジャカルタでは薄れたが、地方では今も昔からの身分階層意識とそれに基づく差別が根強く残り、機会の不平等を再生産する。

過去の経験からすると、経済が低成長になり、失業が増え始めると所得格差が社会問題化し、イスラムへの期待が高まり、それを利用して外資や華人を敵視する空気が台頭する。この観点から、5%前後の成長に留まるインドネシア経済を注視する必要がある。

 

(2016年1月14日執筆)

 

アンボンとスラバヤにて

今回のインドネシア出張でのメインは、アンボンとスラバヤでの講演だった。いずれも、インドネシア側から招待され、交通費、ホテル代、講演料も先方が負担した。

とは言っても、今回の成田=スラバヤは、燃料サーチャージ込みの往復で38,520円と破格に安い中華航空の便で行ったので、交通費でもお釣りがくるほどだった。これだけ安いと、日本国内の地方へ行くよりも、インドネシアへ出かけるほうが低コストとなるかもしれない。こうした状況も手伝って、私の感覚では、日本国内、海外という区別がほぼなくなっている。

アンボン(マルク州の州都)では2月11日、「マルク州と日本との貿易投資関係」と題して、シンポジウムで講演した。このシンポジウムは、EUがインドネシア東部地域の幾つかの州を対象に行っている貿易投資促進のためのプログラムCITRA(Centre for Investment and Trade Advisory)の一環で開催されたもので、EUから委託を受けたスラバヤのNGOであるREDI(Regional Economic Development Institute)からの依頼で招かれたものである。

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マルク州はもともと植民地時代から香辛料で有名だが、現在の主要産業は水産業であり、海産物の輸出で経済が回っている。しかし、養殖などの育てる漁業はほとんど根付いていない。20年前、スラウェシ島近海で「魚が獲れなくなってきた」という漁民の話を聞いてから久しいが、漁民は魚の群れを追って、スラウェシ島から東へ東へと移動し、今はマルク州の海域が主たる漁場となっているのである。

新政権のもとで、違法外国漁船の摘発が行われ、水産資源の枯渇スピードが若干遅くはなったが、マルク州内には水揚げした水産物を扱える場所もキャパも少ないため、水産物生産高が大きく減少し、地元経済にプラスとはなっていない。厳しい現実がそこにあった。

また、マルク州では、南東海域でマセラ鉱区の大規模ガス田開発の話が日本も関わる形で進んでおり、その権益を巡って、様々な思惑が入り乱れている様子が伺えた。この件については、後日、じっくりと調べてみたいと思う。

アンボンでは、5年ぶりに様々な旧友と再会し、ゆっくり話すことができたのが最大の喜びだった。

彼らと話しながら、「東インドネシア・ラブ」の気持ちがひしひしと沸いてきた。マルク州をもっと日本の方々に知ってもらうための役目を果たそうと思った。今年の11月ごろに、マルク州代表団が日本へ視察に来るという計画もあるようなので、その際には最大限のお手伝いをしたいと思った。

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2月14日は、東ジャワ州シドアルジョのムハマディヤ大学シドアルジョ校で、「日本における教育のモチベーション」という、主催者側から与えられた題で講演した。

教育学が専門ではないので、ちょっと的外れなことを言ったかもしれないが、目的が、参加者である学生(ほとんどが小学校教師になる)のモチベーションを上げることだったので、日本の学校の話をするだけでも刺激があったように思う。

しかし、わざわざ日本から人を招いて話を聞きかなければならないような内容だったのだろうか、という疑問はぬぐえない。日本人だったら誰でもよかったのかもしれない。でも、一緒に講演した方々が大上段に構えた大風呂敷の話をしていたので、もっと身近なことを生かした、学生の意識に働きかけるような話のほうが効果的なのではないかと思った。

 

スラバヤ・タンバックバヤン地区の中国正月

2月7日、肌寒い東京の自宅を朝早くに発ち、中華航空の台北、シンガポール経由でスラバヤに到着したのが夜12時前。途中の台北で、スラバヤの友人とFacebookメッセンジャーで面会の約束をしていたら、「8日朝、スラバヤの中国正月の様子を一緒に観に行こう」という話になった。

8日朝7時、英雄の像(Tugu Pahlawan)前に集合。日本との温暖の差が激しかったためか、肌の温度調節がうまくいかず、なかなか眠れぬままスラバヤ最初の夜が明けた。

眠い目をこすりながら、英雄の像前で友人と会い、彼の連れて行ってくれたのがタンバックバヤン(Tambak Bayan)地区。すでに、写真を撮りに多くの若者たちが集まっていた。スラバヤの写真愛好家にとって、中国正月の朝にタンバックバヤン地区に来るのは毎年恒例の行事の様子である。

タンバックバヤン地区は、1920年代頃、政治的理由で中国から逃れた人々が集まってできた集落で、その後、世界恐慌後の1930年代の経済苦境期には、カリマンタンやスマトラから失職した華人苦力らが駆け込んできた。もともとスラバヤで生まれ育った華人とは違う人々と言ってよい。華人とはいえ、生活は貧しく、あり合わせの材料で家を作って住んできた。

そんなタンバックバヤン地区だが、スラバヤの一般市民の知名度はさして高くはない。でも、スラバヤのなかで最も中国の雰囲気を残す場所として、写真愛好家らには知られているようだ。

このタンバックバヤン地区を友人と歩いた。まずは、住民のまとめ役を果たしているダルマ・ムリア財団(中国名:励志社)を訪問。ここは今、中国とスラバヤとの友好のシンボル的存在でもある。

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この励志社の向かい側に、タンバックバヤン地区の集落がある。集落の真ん中に大きな中心家屋(Rumah Induk)があり、その周りに約30戸ほどの小さい家々が長屋風に建てられている。

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中心家屋の中は小さい部屋に仕切られ、それぞれの部屋が仕事場(ワークショップ)として使われていた跡がうかがえる。ある部屋は台所の跡であった。真ん中に建ててある赤い柱は、バロンサイ(中国の獅子舞)が乗ったりするのに使うとのことだった。

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狭い路地に建てられた家々の軒先からは針金が貼られ、子供向けであろうか、中国正月の縁起物である赤い小さな祝儀袋(アンパオ)がつけられている。

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ここに住む人々はオープンで、訪れた人々を家の中に招いて、容易に写真を撮らせてくれる。住居は質素で、所得の低い人々が寄り添いながら生活している様子がうかがえる。昔から使われている井戸があった。この井戸はやや黄色く濁っているが、いまだかつて枯れたことはないのだという。

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タンバックバヤン地区は、2007年頃から土地収用問題で揺れてきた。近くにあるホテルが拡張するため、この地区の土地を収容しようと動いてきたからである。かつて、住む場所のない難民のような先代たちがようやくたどり着き、生活を取り戻したこの場所の記憶がなくなってしまうことに、多くの住民は耐えられなかった。激しい反対運動が起こり、それを大学生やNGO活動家らがアートの形をとるなどして支援した。でもすでに一部は買い取られ、駐車場となっていた。

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タンバックバヤン地区を歩いているうちに、そろそろバロンサイの始まる時間になった。バロンサイはこの地区の住民が演じるのではなかった。他所からバロンサイ演舞グループがやってきて、踊りながら地区を練り歩くのである。

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友人によると、バロンサイ演舞グループはスラバヤでわずかに5グループ程度しか残っていないのではないかという。中国正月は、彼らにとって数少ない稼ぎどきなのであろう。

バロンサイが終わると、集まっていた人々が去り、写真愛好家たちが去り、あたりは静かな中国正月の雰囲気になった。来年の中国正月も、今年と同じように、バロンサイを目当てに、瞬間的に人々が訪れることだろう。

スラバヤの街づくりは、旧来のカンポン(集落)を壊さずに、その居住空間を生かす形で長年にわたって進められてきた。外来の華人たちが作ったこのタンバックバヤン地区もそうしたカンポンの一つといってよい。しかし、都市の発展に伴って、かつては人間的な街づくりと賞賛された、そうしたカンポンを内包する形での街づくりにも限界が見え始めたように思える。

そしてまた、スラバヤの華人、あるいは「中国人」とは一体何なのか、ということも改めて考えることになってしまった。その出自や歴史的背景が異なることから、彼らをすべて華人、「中国人」として括ってしまうことの単純さ、浅はかさを感じたのである。ある意味、タンバックバヤン地区に集まった友人や写真愛好家の認識にも、なぜかそうした単純さや浅はかさを感じずにはいられなかった。

そうはいっても、興味深い機会に誘ってくれた友人には深く感謝している。友人は、スラバヤの町歩きの達人で、「Surabaya Punya Cerita(スラバヤは物語を持っている)」という本を出版しているダハナ・ハディ氏である。また近いうちに、彼とスラバヤの街を歩くことになるだろう。

私の別の友人で、Ayorek!という団体の主宰者の一人であるアニタ・シルビアさんが、タンバックバヤン地区について書いたエッセイがある。これも合わせて読まれることをお勧めする。彼女もスラバヤの町歩きの達人で、英語・インドネシア語のバイリンガル雑誌を発行している。

– Story from Kampung Tambak Bayan(英語)

– Cerita dari Kampung Tambak Bayan(インドネシア語)

Ayorek!のサイト(英語)はこちら

 

松井グローカルでお引き受けする仕事

30年以上のインドネシアとのお付き合い、中央・州・県・市政府、大学、NGO、商工会議所、民間企業、農民グループなどと築いてきたネットワークを活用して、次のような仕事をオーダーメイドにてお引き受けいたします。


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・地域を元気にするためのアイディア提供などの相談や助言、地域づくりワークショップの議事進行

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なお、日時、期間、活動内容、報酬など具体的な点については、別途、相談させていただきます。メールにて matsui@matsui-glocal.com までお気軽にお問い合わせください(日本語、インドネシア語、英語にて対応可能)

【インドネシア政経ウォッチ】第143回 フリーポート口利き事件、録音会話の衝撃(2015年12月10日)

スティヤ・ノバント国会議長が石油商リザ・ハリッド氏とともに米系鉱山会社フリーポートの株式を要求したとされる2015 年6月8日の面会は、同席した同社のマルフ・シャムスディン社長によって会話がすべて録音されていた。当初、その一部のみ公開されたが、その後、全会話の内容がリークされた。その内容は、フリーポート関連に留まらない衝撃的なものだった。

たとえば、大統領選挙において、当初、リザ氏は親友のハッタ・ラジャサ前調整相(経済担当)を副大統領候補としてジョコ・ウィドド(ジョコウィ)大統領候補と組ませようとしていたが、ジョコウィ氏が所属する闘争民主党のメガワティ党首から拒否されたこと。大統領選挙では、ジョコウィ=カラ、プラボウォ=ハッタの両陣営に多額の資金を提供したこと。新国家警察長官にブディ・グナワン氏を就けることで政界を説得してきたのに、ジョコウィ大統領が拒否し、メガワティ党首がジョコウィ大統領に対して激怒したこと。

これらは、国営石油プルタミナのシンガポールの貿易子会社プルタミナ・エナジー・トレーディング(ペトラル)を牛耳ったリザ氏が、政商として、いかにインドネシア政界で暗躍していたかを物語るものである。

リザ氏が暗躍できるのは、石油貿易にかかる利権を握っていたためである。その一部は、インドネシア政界に広く配分されてきた可能性がある。今回、リザ氏がフリーポート口利き事件に絡んでいるのも、彼が牛耳ったペトラル解散の話と関連づけて見る必要がある。

国会顧問委員会によるノバント議長の喚問は非公開となった。政界は、フリーポート口利き事件を特定個人の問題として、幕引きしたいようである。実際、同議長辞任要求デモも起こっている。そうでなければ、リザ氏の暗躍に見られるような、政界全体における石油利権の話に飛び火するからである。

この事態をほくそ笑んで静観するのは、リザ氏の宿敵である。ペトラルを解散させ、新たな石油利権を手中にしつつある者たちである。

 

(2015年12月8日執筆)

 

【インドネシア政経ウォッチ】第142回 フリーポート口利き事件は氷山の一角(2015年11月26日)

パプア州にある米系鉱山会社フリーポート社は、世界有数の金鉱や銅鉱を産出する優良企業である。1960年代半ばにスカルノからスハルトへ政権が移行し、経済運営が資本主義へ変化した後の外国投資認可第1号が同社だった。

フリーポート社の契約は2021 年に切れるが、その2年前の19 年までに契約延長か否かが決定される必要があり、ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)政権は現状では延長しない方針である。同社はもちろん契約延長を望んでおり、仮に同社が21年以降国営化されるような事態にでもなれば、インドネシアへの外国投資に甚大な負の影響を与えることになる。

スティヤ・ノバント国会議長による口利き事件には、こうした背景があった。同議長は15年6月8日、フリーポート社の社長らと会い、フリーポート社契約延長へのロビーの見返りに、同社がパプア州パニアイ県に建設するウルムカ水力発電所の49%の株式を同議長に渡すことを求めた。さらに、ルフット調整相(政治・治安)名で、正副大統領に20%の株式を提供することを求めた。

事態を重く見たスディルマン・エネルギー・鉱物資源相は、上記の事実を大統領へ報告し、国会顧問委員会宛にノバント議長を告発した。同議長には、正副大統領への名誉毀損、フリーポート社への詐欺、汚職の嫌疑がある。

ノバント国会議長は、ハチミツ売りから建設、ホテル、繊維などの実業家へのし上がったゴルカル党幹部で、アブリザル・バクリ党首の側近である。これまで1999 年のバンク・バリ事件など様々な汚職疑惑があったが、今日までうまく切り抜けてきている。

なお、ノバント議長は、フリーポート社社長との会合に石油商リザ・ハリッド氏を常に同席させていた。彼こそ、ユドヨノ政権下で国営石油プルタミナのシンガポールの貿易子会社プルタミナ・エナジー・トレーディング(ペトラル)を牛耳った人物で、選挙で副大統領候補だったハッタ・ラジャサ前調整相(経済)と密接な関係がある。どうやら今回の事件は、ノバント議長個人だけに帰せられる問題ではなさそうである。

 

(2015年11月24日執筆)

 

ジャカルタのテロ事件をイスラムで語ってはならない

どうしても、これを言わなければならない。

1月14日に起こったジャカルタのテロ事件。実家のある福島と友人との面会がある郡山とをJR普通電車で移動する合間に、事件の速報をiPadで追いかけていた。

かつて私は、事件の起こったスターバックスの入るビル内のオフィスに通い、毎日のようにあの付近を徒歩で歩き回っていた。仕事の合間、知人との待ち合わせのため、あのスタバで何度時間を過ごしたことか。向かいのサリナは、地下のヘローで毎日の食料品を買ったり、フードコートで食事をしたり、お気に入りの南インド料理屋でドーサを食べたり、本当に馴染みの日常的な場所であった。あの界隈の色々な人々の顔が思い浮かんできた。

断片的な情報を速報的にまとめたものは、ツイッターとフェイスブックで発信した。犯人がBahrun Naimだとすると、思想・信条的なものもさることながら、かつて警察にひどい拷問を受け、その恨みを晴らすことが動機の一つとなっていることも考えられる。

2002年10月に起こったバリ島での爆弾テロ事件のときのことを思い出す。犯人がイスラム過激派であることが知られたとき、インドネシアのイスラム教徒の人々のショックは計り知れないものだった。まさか、自分の信じている宗教を信じている者がこんな卑劣な事件を起こすとは、と。ショックが大きすぎて、自分がイスラム教徒であることを深く内省する者も少なくなかった様子がうかがえた。

今にして思うと、当時のインドネシアのイスラム教徒にとっては、一種のアイデンティティ危機だったのかもしれない。しかし、自己との辛い対話を経て、インドネシアの人々はそれを乗り越えていった。

そのきっかけは、2004年から10年間政権を担当したユドヨノ大統領(当時)の毅然とした態度だったと思う。ユドヨノ大統領は、宗教と暴力事件とを明確に区別したのである。テロ事件は犯罪である。宗教とは関係がない。そう断言して、テロ犯を徹底的に摘発すると宣言した。そして、国家警察にテロ対策特別部隊をつくり、ときには人権抑圧の批判を受けながらも、執念深く、これでもかこれでもかと摘発を続けていった。

余談だが、かなり昔に、上記と同様の発言を聞いたことがある。1997年9月、当時私の住んでいた南スラウェシ州ウジュンパンダン(現在のマカッサル)で反華人暴動が起こった。経済的に裕福な華人に対して貧しいイスラム教徒が怒ったという説明が流れていたとき、軍のウィラブアナ師団のアグム・グムラール司令官(後に運輸大臣、政治国防調整大臣などを歴任)が「これは華人への反発などではない。ただの犯罪だ!」と強調した。ただ、今に至るまで、暴動の真相は公には明らかにされず、暴動を扇動した犯人も捕まっていない。

その後も、ジャカルタなど各地で、爆弾テロ事件が頻発した。インドネシアの人々はそれらの経験を踏まえながら、暴力テロと宗教を明確に分けて考えられるようになった。かつてのように、アイデンティティ危機に悩む人々はもはやいない。誰も、たとえテロ犯が「イスラムの名の下に」と言っても、テロ犯を支持する者はまずいない。インドネシアでテロ事件を起こしても、国民を分断させることはもはや難しい。この15年で、インドネシアはたしかに変わったのである。

テロ犯は標的を間違えている。イスラム教徒を味方に引き付けたいならば、インドネシアでテロ事件を起こしても効果はない。個人的なストレスや社会への恨みを晴らそうと暴力に走る者がいても、それは単なる腹いせ以上のものではない。政治家などがこうした者を政治的に利用することがない限り、彼らはただの犯罪者に留まる。

そんなことを思いながら、福島の実家でテレビ・ニュースを見ていた。イスラム人口が大半のインドネシアでなぜテロが起こるのか、的を得た説明はなかった。そして相変わらず、イスラムだからテロが起こる、インドネシアは危険だ、とイメージさせるような、ワンパターンの処理がなされていた。初めてジャカルタに来たばかりと思しき記者が、現場近くでおどおどしながら、東京のデスクの意向に合わせたかのような話をしていることに強烈な違和感を覚えた。

なぜイスラム人口が大半のインドネシアでなぜテロが起こるのか。理由は明確である。テロ犯にとってインドネシアは敵だからである。それは、テロ犯の宗教・信条的背景が何であれ、インドネシアがテロ犯を徹底的に摘発し、抹消しようとしているからである。それはイスラムだからでもなんでもない。人々が楽しく安らかに笑いながら過ごす生活をいきなり勝手に脅かす犯罪者を許さない、という人間として当たり前のことをインドネシアが行っているからである。

とくに日本のメディアにお願いしたい。ジャカルタのテロ事件をイスラムで語ってはならない。我々は、テロを憎むインドネシアの大多数の人々、世界中の大多数の人々と共にあることを示さなければならない。

 

【スラバヤの風-46】ボヨラリは牛乳の町から繊維の町へ

中ジャワ州南東部、ソロ市のすぐ西隣の高原地帯、ムラピ火山の東側にあるボヨラリ県は「牛乳の町」として知られる。牛乳生産は1980年代に始まり、2013年時点で、ボヨラリ県の乳牛頭数は8万8,430頭、年間牛乳生産量は4万6,906トンであり、頭数で全国の約14.5%、牛乳生産量で同約8%を占める。たしかに、ボヨラリの街中には牛乳を売る店があちこちに見られ、牛乳を使ったドドール(羊羹の一種)も売られている。

 

一見するとのどかなボヨラリの風景だが、ここ数年、繊維・縫製を中心とした投資が急増している。投資調整庁(BKPM)のホームページでも、繊維・縫製産業の投資先としてボヨラリ県を紹介している。

ボヨラリ県投資・統合許認可サービス局によると、2006年時点で、同県の国内投資実績は6件、4,073億ルピアに過ぎなかった。ところが、2008年に460件が一気に進出した後は、2009年に621件、2010年に767件、2011年に859件、2012年に1,056件、2013年に938件、そして2014年に804件の国内企業が新たに進出し、2014年時点で計5,513件、1兆1703億9400万ルピアとなった。ただし、国内企業の投資件数は増えたが、その多くは比較的小規模の投資だったことが分かる。

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ボヨラリ県投資・統合許認可サービス局にて

ボヨラリ県への外国投資は、1995年に2件、2001年に1件進出して以降、2007年まで全くなかった。それが2008年、2010年、2012年、2013年に1件ずつ進出した後、2014年になって一気に4件へ増加した。その結果、外資系企業は現在11社となり、そのほとんどが韓国系などの繊維・縫製である。このように、ボヨラリ県は投資ラッシュとなっているが、工業団地はまだなく、投資企業は県の空間計画で定められた工業ゾーンに立地することになる。

実は、2013年から、韓国政府による援助の下、ボヨラリ県に繊維・縫製を主とする敷地面積約500ヘクタールの工業団地を建設する計画があった。しかし、計画が公になるとすぐに地価が上昇し始めた。2010年頃は1平方メートル当たり2万ルピア(約180円)だったのが、2014年には 50万ルピア(約4,630円)へ急騰した。このため、地権者がなかなか用地買収に応じず、結局、韓国政府は協力の継続を断念するに至った。ボヨラリ県政府は、韓国政府に代わる新たな事業者を探して、工業団地建設を継続する意向である。

ボヨラリ県は投資許認可のワンストップ・サービスを完備し、建築許可(IMB)と妨害法許可(HO)以外の許認可手続は無料化した。ボヨラリ県への繊維・縫製企業進出はまだ続くだろうが、一部ではすでに、ボヨラリ県から周辺のスラゲン県などへ工場を再移転する動きも見られる。ボヨラリ県とその周辺県との投資誘致競争は熱を帯びている。

 

(2015年3月29日執筆)

 

【スラバヤの風-45】中ジャワ州の一村一品

先週、地方投資環境調査のため、中ジャワ州へ出張した。まず、州都スマランにて、新任の中ジャワ州投資局長を訪ねた。近年、中ジャワ州は、ジャカルタ周辺地域からの工場の移転・増設が急増しており、もちろん、その辺の話もしたのだが、彼の話に熱がこもったのは、前職の協同組合・中小事業局長時代に手がけた一村一品についてだった。

一村一品とは、1970年代初頭に当時の平松守彦大分県知事が名づけた地域おこし運動であり、自分たちが誇れる産品を最低一つ作り上げ、その価値を高めながら自分たちの地域の価値を高めていくことを目的とする。現在、世界中の国々で一村一品を取り入れようという動きがあり、インドネシアでも1990年代半ばから様々な試みが行われてきた。

中ジャワ州では、協同組合・中小事業省の指導の下、2003年3月から一村一品に取り組み始め、すでに、各県のいくつかの工芸品を一村一品対象に指定した。それらは、たとえば、ジェパラ県のトロソ織、クラテン県の縞状のルリック織、プマラン県のゴヨール織、ソロ市のバティックなどである。中ジャワ州はプカロンガン、ソロなどバティックの産地が多く、そのイメージが強いが、実は、織機を使わない手織物の宝庫でもある。

中ジャワ州で2003年3月に一村一品の開始が宣言されたのは、州内でもあまり目立たない南東部、東ジャワ州と接するスラゲン県であった。スラゲン県の特産品であるゴヨール織とバティックも中ジャワ州の一村一品に指定された。

実は、手描きバティックの下請け作業の多くはスラゲン県内で行われている。それがソロやジョグジャカルタでバティックの有名ブランドとなり、ジャカルタで売られる際には、スラゲン県から搬出されるときの10倍ぐらいの価格に跳ね上がるのである。

手描きバティックや手織りの織物を制作するには、単調な細かい作業に長い時間を費やす。これらを担うのはほとんどが女性労働力であり、この点からも、中ジャワ州の女性労働力は忍耐強く、細かい作業を長時間集中して行う能力に長けているとみなされる。ジャカルタ周辺地域の労働集約型工場を支えているのも、彼女たちであるとよく言われる。

中ジャワ州の一村一品を受けて、スラゲン県は2014年11月、県内のすべての村を対象とする一村一品を宣言し、産品でも芸能でも、最低一つの誇れるモノを生み出すよう求めた。そして県は、それらを様々な機会に他所へプロモーションすることを約束した。

インドネシアでもようやく、プロジェクトではなく地に足をつけた運動としての一村一品が、地元レベルで起こり始めたようである。

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スラゲン県投資局のワンストップ・サービス・デスク。

 

(2015年3月13日執筆)

 

【スラバヤの風-44】中国のスラウェシへの投資攻勢

中国はインドネシアへの投資よりも貿易を選好する。筆者はそんな印象を持っていたが、昨年後半から様相が変わり始めた。2014年第4四半期の中国からの投資額は5億ドルとなり、シンガポール、マレーシア、日本に次いで4番目、初めてトップ5に顔を出した。

とりわけ、スマトラ、カリマンタン、スラウェシといったジャワ島以外の地域への製錬、セメント、電力などインフラ関連投資が目立ち、投資調整庁は2015年には中国からの投資がさらに伸びると見ている。地方への投資分散を掲げるジョコウィ政権は大歓迎である。

2015年に中国からの大型投資が見込まれるのは、スラウェシ島である。まず、中国の徳龍ヴァーチュー・ニッケル公司は、東南スラウェシ州コナウェ県に50億米ドルを投じてニッケル製錬工場を建設する。第1期は年産60万トンだが、第2期で120万トン、第3期で120万トンを追加し、最終的に年産300万トン体制を目指す。

また、南スラウェシ州バンタエン県には、中国企業8社がニッケルやマンガンなどの製錬工場を各々建設する予定で、投資額の合計は40億米ドルになるものとみられる。スラウェシ島はニッケルの主産地であり、中国からのこれら巨大投資は、政府の未加工鉱石の輸出を禁止し、国内での製錬を奨励する政策に沿った動きである。

一方、2015年1月、北スラウェシ州政府は中国交通建設公司との間で、ビトゥン特別経済地域(KEK)開発に関するMOUを締結した。インドネシアのなかで地理的に最も東アジアに近いビトゥンは、国内外物流のハブ港としての役割を期待されるほか、州都マナドとを結ぶ高速道路建設、及びその沿線での工業団地開発が計画されている。ビトゥン特別経済地域に対する中国からの投資額は、インフラ、海洋、薬品など少なくとも3兆ルピア(約23万米ドル)が見込まれている。

中国はなぜスラウェシや東インドネシアを重視するのか。それは、南シナ海から南太平洋へ抜けるルートを確保するためである。実際、そのルートの先にある東ティモールでは、政府庁舎の建設などを中国が丸抱えで進めている。東インドネシアでのプレゼンスを高める同様の戦略は、韓国やロシアも採っていたが、中国が一歩先んじたようである。

とはいえ、中国からの投資がすべて順調なわけではない。西スラウェシ州では、スラウェシ島全体の電力需要を賄える規模の水力発電事業に中国が参入したが、ダム建設をめぐって地元住民の反対にあい、撤退を余儀なくされた。

日本はこれまで、人材育成などの経済協力をスラウェシや東インドネシアで地道に続けてきたが、日系企業の大半がジャワ島内のジャカルタ周辺に立地することもあり、中国に大きく遅れを取ってしまったことは否めない。

 

(2015年2月28日執筆)

 

【スラバヤの風-43】最低賃金から見る地方経済

過去3年間のジャワ島内の最低賃金の変化を県・市レベルで眺めてみる。一般に、経済活動が活発化すると最低賃金が大きく上昇し、停滞するところでは上昇率が低いと考えられる。最低賃金の算出には、当地での物価水準や家計の消費行動が反映されるので、最低賃金をみることは、地方経済の活況度合いを計ることにもつながる。

ざっと見て、ジャワ島の地方経済に起こっている現象には2つのポイントがある。

第1に、最低賃金の上昇トレンドの継続である。なかでも、2015年最低賃金の上昇率でとくに注目されるのは、そろって20%以上上昇した東ジャワ州のスラバヤ市とその周辺4県で、すでにジャカルタ周辺地域と遜色ないレベルに達した。「労働コストの低いスラバヤ周辺へ」とはもはや言えない。その一方で、中ジャワ州は全般に10%台の上昇に留まる。

ジャワ島全体の116県・市で最低賃金が100万ルピア未満だった県・市の数は、2013年が58だったのが2014年に11へ減り、2015年はゼロになった。反対に、200万ルピア以上は、2013年の12から2014年が20、2015年は24へ増えた。ちなみに、2015年最低賃金の最高は西ジャワ州カラワン県の295万7,450ルピア(これにさらに業種別課金が加わる)、最低は中ジャワ州バニュマス県の110万ルピアであった。約3倍の差である。

第2に、最低賃金が大きく上昇した県・市がジャワ島の北海岸に集中する一方、それ以外は上昇率が総じて低いことである。すなわち、ジャワ島全体で北部の大都市周辺が豊かになる一方、中南部は停滞気味という「南北問題」の色彩が強まっている。

なかでも、西ジャワ州南東部(パガンダラン県、チアミス県など)と中ジャワ州南西部(バニュマス県、プルバリンガ県、バンジャルヌガラ県など)、及び中ジャワ州南東部(ウォノギリ県、スラゲン県など)と東ジャワ州南西部(マゲタン県、パチタン県、ポノロゴ県、トレンガレック県など)といった州境付近の県・市の最低賃金は、まだ110〜120万ルピア程度である。これらは人口の多い貧しい農業地域で、これまでジャカルタ周辺などへ工場労働者や家事労働者などを供給してきた。

日本側で一般的に知られるジャカルタ周辺やスラバヤ周辺では、安い労働コストを求める事業展開はもはや限界に来つつある。そこでは地場中小企業でさえ、機械化・自動化を検討している。他方、ジャワ島中南部の最低賃金はまだジャカルタ周辺の2分の1以下であり、手先が器用で従順な女性労働力などを活用する労働集約企業が生き残れる余地は大いにある。そこでは、ほどなく工場進出による農村社会の大きな変貌が起こることだろう。

ジャワ島内の地域格差問題を視野にいれると、1970年代の日本の変化がどうしても重なって見えてくる。

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中ジャワ州ソロ市の地場縫製工場にて

 

(2015年2月15日執筆)

 

【インドネシア政経ウォッチ】第141回 インドネシアの黄金の島で起こっていること(2015年11月12日)

「東方見聞録」を記したマルコ・ポーロには「黄金の島ジパング」という記述があり、その島は日本を指すと言われる。だがそれは、本当はインドネシア東部地域の島々なのかもしれない。

最近、インドネシアの日刊紙「コンパス」や英BBCなど国内外メディアがマルク州ブル島での住民による金採掘の現状をレポートした。ブル島の金採掘は 2012年に始まり、急速に拡大した。農産物価格下落に直面した農民が耕作をやめて金採掘を始めたのを皮切りに、学校の先生も金採掘に走ったため、学校教育が頓挫(とんざ)する事態となった。

金採掘の横行の陰で、採掘中の事故死に加え、採取した金の純化に使用する水銀による中毒や汚染の問題が深刻化していた。なかには、毛髪中水銀濃度が18 ppm(ppmは100万分の1・健康な日本人女性で約 1.6 ppm)と高い住民があり、水銀中毒らしき症状の住民も見られるが、現場では「普通の病気」と放置されてきた。

専門家によれば、土壌や河川も水銀で汚染され、空気中に放出された水銀を吸い込んだり、食事を通じたりして住民の体内に水銀が蓄積される。さらには、政府指定の米作地帯であるブル島から汚染米がインドネシア東部地域へ広く移出される可能性がある。

金採掘は、手っ取り早い収入機会を住民に提供したが、その代償は、環境破壊と住民の健康悪化だった。ほとんどが所得の低い住民による違法採掘であり、停止させるのは難しい。

5月にブル島を訪問したジョコ・ウィドド(ジョコウィ)大統領は、違法採掘場の即時閉鎖を命じたが、行政の動きは鈍い。金採掘はすでに役人や軍・警察の利権となっており、取り締まりが本気で進められる気配はない。

これはブル島に限った話ではない。「どこでも金が出る」と言われるスラウェシ島やカリマンタン島では、ブル島より10 年以上前からゴールド・ラッシュが起こっていた。採掘は幹線道路から見えない隠れた場所で行われ、あちこちで水銀汚染による不毛地が拡散している。インドネシアの黄金の島は、違法採掘という深刻な状況を前に、輝きを急速に失いつつある。

 

(2015年11月10日執筆)

 

【インドネシア政経ウォッチ】第140回 ジョコ・ウィドド大統領の1年(2015年10月22日)

10月20日でジョコ・ウィドド(ジョコウィ)政権は発足1年を迎えた。1年前の期待にあふれた熱気に比べると、今の国民の政権を見る目は厳しさを増している。大統領個人の目からは、この1年がどう見えた のだろうか。

ジョコウィ氏は、大統領選挙の対抗馬だったプラボウォ氏のような大統領職への政治的野心を持っていたわけではない。プラボウォ氏に勝てる候補として白羽の矢が立ち、大統領になってしまったのである。

ジョコウィ氏自身、ソロ市長もジャカルタ首都特別州知事も大統領も「仕事」と捉えてきた。現場へ自ら出かけて問題の本質を把握しようとする地方首長時代からの活動スタイルは、大統領になってからも変わっていない。大統領府に全国各地とテレビ電話可能な設備を整え、大統領選挙で活躍したサポーターが大統領府へ直接情報提供する仕組みも作った。もっとも、それらが今も機能しているかどうかは定かでない。

しかし、ジョコウィ氏が相手にする利害関係の数と規模は、地方首長時代とは比較にならないほど大きく複雑になった。国会、政党、省庁、実業界などが自らの利益拡大と既得権益保持のために大統領に寄りつき、また、全国各地の現場の問題が一気に押し寄せてきた。政党や実業界のトップでなく、有力支持母体もバックに持たないジョコウィ氏は、それらをうまく調整できず、途方にくれることも多かったであろうことは想像に難くない。

ジョコウィ氏は本来、メディアで言われるような人気取り政治家ではなかった。現場へ出向いて問題解決を図っても、それを誇示することはなかった。しかし、大統領となり、地方首長時代のように自分の思う通りに政策を実行できない現状では、国民の人気度も低下するなかで、存在感をアピールするために人気取りをせざるを得なくなる可能性がある。

これまでのジョコウィ氏のパフォーマンスは、副首長に支えられてこそ発揮できた面がある。その点で、カラ副大統領との関係も今後の注目点となる。

 

(2015年10月20日執筆)

 

【インドネシア政経ウォッチ】第139回 高速鉄道事業をめぐる顛末(2015年10月8日)

ジャカルタ~バンドン間の高速鉄道事業をめぐる日中の受注競争は、結局、中国に軍配が上がった。ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)大統領は、いったんは双方案を白紙にし、中速鉄道として再提案を受けると表明していたが、最後にそれを翻した。

当然、日本政府は反発した。受注できなかったからというよりも、インドネシア側の対応に誠意と一貫性がなかったからである。地元メディアは、早くも「二国間の信頼関係に影響を及ぼす」との懸念を伝えている。

そもそも本件は、日本による事前調査は行われたものの、中期計画に組み込まれるような緊急性の高い案件ではなかった。政府から「実施するなら国家予算や政府保証なしで」という条件が付いたのはその表れである。

実は、4月時点で中国・インドネシアの国営企業が本件でコンソーシアム(企業連合)を組むことが内定していた。インドネシア幹事の国営建設ウィジャヤ・カルヤ(ウィカ)は7月、このために3兆ルピア(約 256 億円)の政府追加出資を求めた。リニ国営企業大臣は10 月5日、ウィカに4兆ルピアの政府追加出資を行うと発表したが、高速鉄道建設関連ではないとわざわざ強調している。

リニ大臣によると、事業実施に当たって中国との合弁企業を設立し、インドネシア側が60%出資する。また、返済40年(支払猶予10年)、年利2%で、 国営銀行3行が中国開発銀行から50億米ドル(約6,000億円= 30%は元建て)を借り入れる。

国家予算から国営企業へ政府追加出資があり、国営銀行が仮に返済できない場合には政府の後ろ盾がある。「国家予算も政府保証もない」という条件を満たすかといえば、実は微妙なのではないか。

日本側の不満を受けて、テテン・マスドゥキ大統領府長官は、「日本側にはまだ投資可能な案件が多々あ る」と弁明したが、その例のなかに、ジャカルタ~スラバヤ間の高速鉄道が含まれていた。今回のジャカル タ~バンドン間とは別なのか。中国の動きを見ながら、日本もインドネシア側のニーズをしっかり汲み取りつつ、戦略を練っていく必要がある。

 

(2015年10月6日執筆)

 

【スラバヤの風-42】ユニークな開発を目指すバニュワンギ

ジャワ島の東端、バリ島を目の前に臨む東ジャワ州バニュワンギ県は、ユニークな立ち位置にある。ここでは、車で6時間以上かかる東ジャワ州の州都スラバヤとの関係よりも、むしろ、フェリーを使ってわずか30分の、海を隔てたバリ島との関係を意識している。

バニュワンギの海岸からバリ島を臨む

観光地であるバリ島では環境アセスメントが厳しく、新規の製造業投資が制限される。家具、工芸品、縫製品などの新規・拡張投資は難しい。バニュワンギはそれらの受け皿としての役目を果たそうとしている。バニュワンギ県の2015年最低賃金は142万6000ルピアと定められ、バリ州各県の162万2000ルピア〜190万5000ルピアを下回る。実際、バニュワンギからバリ島へ多くの職工が家具製造などに出かけていたが、今後は地元で働くことが期待される。

合わせて、バリ島からの観光客の誘致も図ろうとしている。コーヒーや果物などの体験型観光農園やアグロリゾート構想などがあり、国内外の投資家の関心を集めている。古いジャワ文化とバリ文化の混じった独特の文化があり、黒魔術のような神秘主義の要素も色濃く残る。バニュワンギ県は年間イベントカレンダーを毎年発表するが、ほぼ毎月様々な観光イベントが催されている。色鮮やかな衣装に身を包んだバニュワンギ・エスノカーニバルは盛大に開催されるほか、全身を真っ黒に塗った男たちが水牛の形相で練り歩いて収穫を祝うケボケボアンという伝統的な奇祭もある。

バニュワンギは、バリ島との間が深い海底で区切られるため、ジャワ島では珍しい水深18メートルのコンテナ港の建設が計画されている(スラバヤのタンジュンペラッ港は水深7メートル)。この港の近くに複数の工業団地開発が予定され、2015年中にマスタープランを完成させ、2017年の入居開始を目指す。民間のウォンソレジョ社が開発する約500ヘクタールの工業団地には、すでに小麦粉製粉、食料品、二輪車などの企業が進出の意向を見せている。原材料を外から持ち込み、工業団地で生産して外へ輸出・移出する製造業のほか、製鉄などの重化学工業の進出も想定している。

バニュワンギ県知事は、インドネシアで最も投資しやすい県となることを宣言している。中央政府による全国ブロードバンド化事業の第一号として、他県に先駆けて光ファイバーが敷設された。県統合許認可サービス局は、すでにジャカルタの投資調整庁とオンラインで結ばれ、スムーズな許認可プロセスを実現している。投資家には会議用の部屋を用意し、空港出迎えを行うという熱の入れようである。ここしばらくは、ユニークな開発を目指すバニュワンギから目が離せなさそうである。

 

(2015年1月31日執筆)

 

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