おいおい老い展を見学

3月25日は夕方、アート千代田3331で開催中の「おいおい老い展」を見に行きました。25日が最終日でした。

イベント自体は3月21日から開催していたのですが、どうしても期間中に時間が取れず、しかも24日は疲労困憊で休息を余儀なくされたため、この25日しか行ける余裕がなくなってしまいました。

でも、行ってよかったです。そして、とても楽しい展覧会でした。

介護を施設の中だけに留めるのではなく、地域やコミュニティと接点を持たせることによって、介護と生活、生きるということとをよりビビットに結びつけると、介護をする側も受ける側も楽しくなる、アイディア。

介護という仕事が、こんな風にすると魅力的になり、若い世代も楽しく関わっていくことができるというアイディア。

そんな魅力的なアイディアが67点、しかも、それは机上の空論ではなく、実際にプロジェクトとして試されていくものばかり。

4月から福島市で開業するサービス付き高齢者向け住宅「しみずの里」のことを考えながら、実に様々なヒントを得ることができました。そして、さらなるアイディアが湧き出てくるような、ワークショップを「しみずの里」でやってみたい気持ちになりました。

そして、同じように高齢者介護の課題に直面する韓国や台湾、遠くない将来に高齢化社会を迎えるインドネシアなどの国々のことを思いました。

外国人材を介護などの分野に日本で受け入れるのは、単に人手不足を補うという意味だけでなく、今後に向けて、介護という仕事を魅力的にしていける人材を世界へ向けて育成することにもつながるのではないか、と。

そう考えると、この「おいおい老い展」は、決して日本だけのものではない、何らかの形で国外の同様の課題を抱えている、抱えることになる人々にとっても、きっと有用なことなのではないか、と思いました。

介護福祉士が地域づくりに関わる、という視点が新鮮に感じられました。そして、そうなんだよな、と展示を見ながら何度もうなづきました。

ここに提示されたようなプロジェクトを生み出すプロセス自体を、それに関わった方々にとっていかに楽しいものにするか、も、とても重要だと感じました。

新たなたくさんの刺激を受けた「おいおい老い展」。この間、このプロセスをマネージしてきたstudio-Lの皆さんに改めて敬意と感謝を申し上げます。

【お知らせ】よりどりインドネシアのオフ会+交流会を検討中

ちょっと更新が途切れました。三連休も終わり、私は今週末まで福島です。

毎月2回発行している情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア」は、2月7日発行分で第39号となりました。購読者数も70名ほどとなり、少しずつ増えてきています。バックナンバーは以下のリンクからご覧ください。

 よりどりインドネシアのバックナンバー

一般のメディアではなかなか伝えられない、いくつものインドネシアを伝える日本語媒体にしていきたい、と願って発行してきましたが、そろそろ、購読会員のオフ会+交流会を行いたいと考えています。

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会のスタイルをとくにかっちり決める必要はないと思いますが、一般の講演会スタイルではなく、もう少し参加者同士の距離が近い、トーク+自由討論(意見交換)に食事または飲物付き、という感じで考えています。参加された方の誰もが自由に発言し、それをもとに対話するという形を採りつつ、内容は易しくかつ正しいものにしていきたいと思います。

もちろん、購読会員に限定せず、よりどりインドネシアに興味のある方や、そのときのテーマに関心のある一限さんも歓迎、という緩やかな会になればと思います。この会を通じて、新たに購読者になってくださるならば、それはもちろん、存外の喜びです。

会の頻度ですが、できれば毎月、難しければ2~3ヵ月の1回ぐらい、と考えています。毎回、ゲストをお招きしたいと思っていますので、「話題提供者になってみたい」という方は遠慮なくお知らせください。また、こちらからも一本釣りで、話題提供者になっていただけるよう、お願いしていく予定ですので、よろしくお願いいたします。

インドネシア在住の方で、たまたまその頃一時帰国するよ、という方、是非、話題提供者になっていただきたいので、お知らせください。

東京、ジャカルタ以外でも、開催できればと思いますので、ご希望の方はお知らせください。スケジュール調整をいたします。費用面の相談は後ほど、ということで。

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とりあえず、まずは3月半ばにジャカルタで、3月後半または4月初めに東京で、私が話題提供者として、「2019年大統領選挙・総選挙とその後のインドネシア」という話をしようかなと思っています。できれば、ゲストもお招きして、トークの形で話をしたいとも思っています。

日程が確定しましたら、改めて告知いたします。よろしくお願いいたします。

メダンのインド人街出口(2019.1.20)

ムラのミライの年次総会に出席

6月10〜12日は、関西へ出張で来ています。

本日(6/10)は、大阪駅近くで開催された、特定非営利活動法人 ムラのミライの年次総会に出席しました。筆者は、ムラのミライの正会員としての出席でした。

ムラのミライの活動については、以下のリンクをご参照ください。

 ムラのミライ ホームページ

インド、ネパール、セネガル、日本での活動報告の後、年次総会へ移り、2017年度の事業総括と2018年度の活動計画が協議されました。

活動の担い手が世代交代しつつあり、若手の理事たちがしっかり活動を支えている様子を頼もしく感じました。それを、ベテランが支える構図となっています。

個人的には、今後、メタ・ファシリテーション講座を福島などで開催し、その手法を土地に根付かせていきたいと思いました。そして、できれば、中学・高校の教師や大学の先生などで、この手法に興味を持ち、若者にそれを広められる人材を作っていきたいとも思いました。

これらについては、今後、しっかし検討していきたいと思います。まずは、福島でのメタ・ファシリテーション講座の開催へ向けて、準備を進めたいと思います。

開発援助の経験から日本は何を学んだというのか

インドネシアで様々な開発援助の現場を見てきました。援助する側から見た現場だけでなく、援助される側がそれをどのように受けとめているかも見てきました。

日本からインドネシアへの援助だけでなく、インドネシアの中央政府から地方政府、地方政府から地域住民への補助金や援助プロジェクトも見てきました。私自身、JICA専門家のときには、中央政府側と地方政府側の両方の立場で用務を行ったので、その本音の部分も含めていろいろと観察することができました。

中央政府には表向き絶対に逆らわない地方政府。しかし、中央政府の役人達が帰ると、途端に地方政府の役人から批判や不満が噴出します。中央政府の役人を交えたセレモニーでの猫を被ったような従順さと、あまりに対照的で、思わず笑ってしまいそうになります。

村でも同様です。役人が来るので、村人には百姓仕事を脇に置いてもらい、とにかくまずは人を集めます。役人のお話を恭しく拝聴し、食事も供して、役人には気持ちよく過ごしてもらいます。そして、役人が帰った後は、村の現実から遊離した役人の話の内容を咀嚼できずに、困惑したりするのです。

よそ者が相手に対して何か働きかける際、何も反発がない場合には、相手が完全に同意しているのか、相手が適当によそ者に合わせてくれているのか、見極める必要があります。でも、成果を気にするよそ者は、それをもって、うまくいっている、自分のやり方に同意してくれている、と自分に都合の良い解釈をしがちです。

日本の開発援助は、受益者自身が自分たちで自分たちのために主体的に物事を進めるようにするために支援する、という建前をとってきました。たとえば、研修や教育訓練を施すにしても、それらを実施できるトレーナーの人材育成も合わせて行い、日本がいなくなっても、自分たちで人材育成ができるような仕組みを埋め込んでいく、というような援助を、少なくとも建前上は目指してきたと思います。

そのノウハウや実践例は数多くあり、蓄積され、対象となる人々の自立を助けることが日本の開発援助の特色として語られることも少なくありませんでした。

そんな素敵な海外での実践経験を培い、その援助手法を世界に誇ってきた日本ですが、東日本大震災の後に東北で行ってきた復興支援にそうした経験はどれほど生かされたのでしょうか。あるいは、日本国内では、対象となる人々の自立を助けることをする必要がない何らかの理由があるのでしょうか。

そんなことを自問する毎日を送っています。

日本だけが素晴らしい、なんて到底思えない現実と、これから格闘していくのだ、という覚悟が求められていると感じます。このことについては、これからもおいおい書いていきます。

ダイアローグ・イン・ザ・ダークを初体験

前々から絶対に参加したいと思っていたダイアローグ・イン・ザ・ダーク(DID)。視覚障害者のアテンダントの声を頼りに、何人かのグループで、視覚以外の全感覚を使いながら、真っ暗な暗闇空間で一緒に過ごすイベントです。

 ダイアローグ・イン・ザ・ダークのホームページ

これまで、タイミングがなかなか合わず、参加できていなかったのですが、比較的時間のあるゴールデンウィーク中の今日、お一人さまで参加できるプログラム「一期一会」に参加してきました。下の写真は、DIDの会場への入口です。

定員8名に対して、参加者は7名。全くの見ず知らずの参加者どうし、本名も名乗らず、ニックネームで呼び合い、そのニックネームもなかなか覚えられない、という状態でスタートしました。

まず、薄暗い部屋に入って、参加者は自分の使う白杖を選び、アテンダントから白杖の使い方を学びます。そして、すぐに真っ暗な空間へ入っていきます。

アテンダントの声のする方向や場所を推しはかり、自分の持つ白杖と近くにいる参加者の存在を頼りにしながら、少しずつ前へ進んでいきます。周りは真っ暗で本当に何も見えません。アテンダントの励ましの声、音や匂い、参加者の人間の体のあたたかさを感じながら、徐々に暗闇に放り出された不安が少なくなっていきます。

暗闇の中で、参加者どうしでいくつかのゲームというか遊びのようなことをやり、それが意外に盛り上がったのですが、何をやったかはここではあえて書きません。コースや季節によっても中身が色々変わるようですので、興味のある方は、ぜひ、ご自分でDIDに参加して、体験してみてください。

個人的に、DIDにはずいぶん前から興味を持っていましたし、彼らの活動やそれについて書かれた書物から様々な学びを得てきました。

そうした予備知識が前もって色々入っていたせいか、今回のDID初体験でも、私自身の人生観が変わるほどのインパクトを得たようには感じませんでした。ただ、このDIDのエッセンスをどのように自分の今後の活動に生かせるか、ということを考えていました。

私の福島市のオフィスのある敷地内には、中がほぼ真っ暗になる蔵があります。そこを使って何かできそうな予感がしています。

DIDを行うには物理的な広さや建物の構造、アテンダントの育成など、様々な条件があるでしょうから、そう簡単にどこでもやれるわけではありません。DIDのための適切な場所を探すのも簡単ではないと思われます。

でも、このDIDは一度はすべての人が体験したら良いのではないかと思いました。ささやかな時間ではあっても、日頃、人間としての自分が忘れかけていた何かをきっと思い出すことができるひとときになり、それをふとした機会に思い出すのではないかと思います。

そして、もうすでに取り組まれているのかもしれませんが、外国人留学生とかインバウンドで外国から来る観光客の方も、気軽に体験できるといいなと思いました(たとえば、東京観光ツアーの中にオプショナルとして組み入れるとか)。そんな参加者のなかから、自分たちの国でもやってみたいと思う人が出てこないとも限りません。彼らと一緒に外国語プログラムを検討してみることもできるかもしれません。たとえば、今、宗教的なものを見た目で判断しがちなインドネシアに導入できないかな、とも思いました。

DIDは進化し続けます。今年になって、高齢者をアテンダントとした対話プログラム「ダイアローグ・ウィズ・タイム」、聴覚障害者をアテンダントとした対話プログラム「ダイアローグ・イン・サイレンス」を開始しています。こちらの今後の展開も大いに注目されます。

大事なことは「ダイアローグ」です。勝ち負けを重視するディベートではなく、勝ち負けにつながりがちなディスカッション(議論)でもなく、すべての話者が互いを尊重して気づきやインスピレーションが促されるダイアローグ(対話)こそが、これから益々重要になってくると確信します。私の活動でも、このダイアローグを最重視していきます。

ともかく、今日、DIDを初めて体験できて、ようやく本当にDIDのサポーターになれたような気分です。ぜひ、皆さんもご自分で体験されて、ダイアローグの力を感じ取っていただければと思います。

マラン・ムハマディヤ大学の学生との討論会で講演

今日は朝9時から、マラン・ムハマディヤ大学で国際関係学科の学生たちと討論会がありました。学生側から希望されたもので、中間試験期間中にもかかわらず、40〜50人ぐらいの学生が集まりました。

会場は、校内のアル・ファッフルディン・モスクの1階です。このモスクには、アラビア語教室、国際関係学科の図書館、カウンセリング室など、様々な機能の部屋が設置されています。

私の講演テーマは、「グローバルの挑戦に対するローカルの強化:インドネシアと日本のケース」(Kekuatan Lokal dalam Menghadapi Tantangan Global: KAsus di Indonesia dan Jepang)というもので、このお題でインドネシア語での講演を40分ぐらいやった後、学生との質疑応答セッションとなりました。

講演では、今、なぜ、グローカルなのか、という話を中心に、生活の中での身近な事例をあげながら、グローバリゼーションという抽象的なものをどのように捉えたらいいのか、といったことを考えてもらう内容にしました。

出席した学生はとても熱心で、居眠りしている者は見当たらず、メモを取りながら聴いてくれている学生も多数いました。

質疑応答セッションでは、次々に手が上がり、活発に質問してくれたので、こちらも真剣に答えることができ、とても充実したセッションとなりました。

やはり、学生たちと真正面から真剣に議論し合うのは、本当にいいものですね。学生たちにとっても、何か少しでも、有益なものが伝わっているといいなと思いました。

自分でいうのもなんですが、こういうのが自分は好きなんだな、と改めて思いました。そして、インドネシアでも日本でもどこでも、正解を求めるためでも勝ち負けを決めるためでもない、自分たちが自分たちの頭で一生懸命考えるための対話の機会を、少しづつでもつくっていけたらいいなと思いました。

当初乗る予定だった午後3時マラン発のスリウィジャヤ航空便がキャンセルとなり、一便前の午後12:50発へ繰り上げになったため、討論会の後は、T先生にマラン空港まで送ってもらい、ずいぶんと早目にジャカルタに着いてしまいました。これから、シンガポール経由のLCC乗り継ぎで東京へ戻ります。桜がまだ見頃だといいのですが。

スラバヤ出張を終えて帰国へ

2月26日に始まった今回のスラバヤ出張ですが、あっという間に終わりを迎えました。

日本ではきっとひな祭りの今日、午前中、インドネシア全国食品飲料事業者連合(GAPMI)のアディ・ルクマン議長がワークショップ会場を訪問し、今回使った食品加工機械を見て回りました。

やはり、彼も油を使わないせんべい菓子の製造に興味がある様子で、とても興味深そうに見ていました。

あっという間に終わった感のある今回の出張でしたが、食品加工機械に命をかけている中小企業経営者の生きざまと熱意に改めて心を打たれました。85歳を超える彼が、機械の間を立ち回りながら、スタッフに指示を出し、機械を操作し、説明をする、そのバイタリティーをただただ感嘆しながら眺めていました。

そして、彼が最大限に私にも気を遣ってくださるのでした。本当に、こちらが恥ずかしく思うほど、気を遣ってくださるのです。そして、それに十分に応えられていないのではないかという気がずっとしていました。

この食品加工機械に対する東ジャワ州の関係者の関心は高く、たしかに、日本側とインドネシア側に両者のニーズにマッチした案件なのだと改めておもいました。

これから、スラバヤから飛行機に乗り、ジャカルタで乗り継いで、明日の朝、東京へ戻ります。その後、3月9〜14日にまたインドネシアです。こんどは、マカッサルです。

ワークショップで嬉しかったこと

今回の食品加工機械に関するワークショップ、昨日から2日間、別の参加者によるワークショップが行われました。

ワークショップで取り上げるのは、せんべい焼き機とエクストゥルーダーです。せんべい焼き機は、上板と下板の二つの分厚い鉄板で型を押し、熱を加えてせんべいにする機械です。

一方、エクストゥルーダーは、2本のスクリューを組み合わせながら徐々に外へ物体を押し出す装置で、水と熱の力でフワッとした物体ができ、それを外へ押し出します。押し出された物体を切り、味をつけ、さらに乾燥機で熱風乾燥すると、油を使わずに、揚げせんべいのような、パリッ、サクッとした食感の「せんべい」を作ることができます。

昨日は、主に、せんべい機の使い方を学び、今日はエクストゥルーダーについて学ぶという内容でした。でも今日、開始時間の午前9時に会場へ入ると、参加者が皆、機械の周りに見当たりません。まだ来てないのかな、インドネシアではよくあることだし、と思っていたら、それは間違っていました。彼らはどこにいたのでしょうか。

彼らは全員、準備室に入っていました。

準備室は、実際にワークショップの機械で使う原材料を用意する場所で、昨日は、せんべいの素になるタネのレシピを丁寧に教え、そのタネを使ってせんべい機でせんべいを作ってみたのでした。

でも、彼らは昨日の復習をしていたのではありませんでした。昨日学んだことをもとに、自分たちでレシピを考案していたのでした。チョコレートを使ってみたい、ココナッツミルクを入れたい、レモン汁を加えてみたい、と、自らも菓子を製造販売している彼らは、幾つかの独自のレシピを作り、それをせんべい機で試そうとしていました。

教えられたことはその通りする、しかし自分たちで新しいものを創る能力は乏しい。これは、インドネシア人の特質として、日系企業などでよく言われていることです。しかし、彼らは、どうしても自分たちのレシピを試したいのでした。

我々のチームリーダーは、「こんなに積極的に自分たちで何かやりたいと言ってやってしまうワークショップ参加者は初めてだ」と目を丸くしながら、とても嬉しそうでした。

実際、彼らのレシピで作ったせんべいは、より香ばしく、レモンの微妙な酸っぱさが隠し味になっていて、とても美味しいものでした。自分たちのレシピを試し、我々のチームリーダーからその成果に二重丸をもらった彼らは、本当に嬉しそうでした。

ワークショップが終わって、反省会の中で、参加者のリーダー格の女性が質問しました。せんべい1枚の重量からすると、せんべい機で1日に何キログラムのせんべいを作れるか、エクストゥルーダーを使った場合と彼らの手作業とを比較した際の生産性がどれぐらい異なるか、等など、細かい技術的な質問をいろいろしました。

チームはその一つ一つに丁寧に答えていました。すると、一連の質疑応答の後、質問した参加者が謝り始めました。こんなに細かいことをいろいろ聞いて失礼ではなかったか、と。我々からは、そんなことは全く失礼ではなく、逆に、意味のない美辞麗句をもらうよりもずっと嬉しいし、とても良かったと答えました。

私は、相手が誰であろうと、聞きたいと思ったことは同じように聞いてほしい、と付け加えました。そんな質問を正々堂々とする参加者がいたことが、私もとても嬉しかったからです。

ワークショップの開会式で、参加者の自己紹介と自分の製品の説明をし合う、ということも、会場の飲食品・包装センターが取り入れていきました。

また、エクトゥルーダーのような価格の高い機械を中小企業がどうやって使えるようにするか、という議論も行われました。価格が高いけれど使ってみたい、なぜなら生産性が大幅に向上するからだ、原材料がたくさんあるのでもっと生産量を増やしたい、ではどうしたら、エクストゥルーダーをみんなで使えるか。

そんな議論をワークショップの最後のほうでしていると、「皆んなで協同組合を作ろう」「協同組合の組合員で資金を出し合い、銀行からの融資を受けたらエクストゥルーダーを買えるのではないか」「みんなが平等に機械を使えるように順番をはっきりさせる」、などなどの意見や考えが表明され、いつの間にか、参加者全員が等しくエクストゥルーダーを使ってみたいという雰囲気になっていきました。

もしかすると、高価な機械をいくつかの中小企業がシェアしながら活用する、というモデルは、彼らインドネシア人の中から現れてくるかもしれない、と思いました。もしそんなモデルがこの東ジャワから生まれたら、もちろん世界へ貢献することになり、シェアリング・エコノミーの新しい一つの形態となるかもしれない。そんなことまで、考えてしまうような、参加者の熱気に煽られていました。

そんな風に思われる、今回の機械たちとそれを製造した大阪の中小企業は、きっと幸せ者なのだと思いました。

食品加工機械のワークショップ

昨日から、食品加工機械のワークショップが始まりました。東ジャワ州飲食・包装研修センターが東ジャワ州内の県・市から選抜した中小企業12社が参加しました。

今回で、すでにワークショップを3回実施しており、1回あたり10数社が参加しますので、これまでに30社前後がワークショップを受けたことになります。

このワークショップでは、大阪の幸和工業の制作したエクストゥルーダー、乾燥機、回転式味付け機のほか、煎餅用の機械などを実際に使って、製品を作ってみる、というものです。

今回の食品加工機械の特徴は、油を使わないでサクッ、パリッとした製品を作るというもので、油で揚げたものの多いインドネシアで、健康ブームも相まって、ノンオイルの加工食品を普及させる一歩とも位置付けられるかと思います。

「機械はぜひ使いたいのだが、価格が高いので我々には無理」という声も聞かれました。高価な機械をどのようにシェアし、活用できるか、知恵を絞る必要があります。

ワークショップ参加者、政府、日本側が一緒になって知恵を絞り、この東ジャワ州から機械のシェア活用モデルを作っていければと思います。