「ふるさと」をいくつも持つ人生

「ふるさと」を狭義で「生まれた場所」とするなら、どんな人にも、それは一つ鹿ありません。しかし、自分の関わった場所、好きな場所を「ふるさと」と広義に捉えるならば、「ふるさと」が一つだけとは限らなくなります。

人は、様々な場所を動きながら生きていきます。たとえ、その場所に長く居住していなくとも、好きになってしまう、ということがあります。それは景色が美しかったり、出会った人々が温かかったり、美味しい食べ物と出会えたり、自分の人生を大きく変えるような出来事の起こった場所であったり・・・。

どんな人でも、自分の生まれた場所以外のお気に入りの場所や地域を持っているはずです。転校や転勤の多かった方は、特にそんな思いがあるはずです。そんな場所や地域の中には、広義の「ふるさと」と思えるような場所や地域があるはずです。

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筆者自身、「ふるさと」と思える場所はいくつもあります。

筆者の生まれた場所であり、昨年法人登記した福島市。家族ともう30年近く暮らす東京都豊島区。地域振興の調査研究で長年お世話になっている大分県。音楽を通じた町おこしの仲間に入れてもらった佐伯市。留学中に馴染んだジャカルタ。かつて家族と5年以上住み、地元の仲間たちと新しい地域文化運動を試みたマカッサル。2年以上住んで馴染んだスラバヤ。

まだまだ色々あります。

今までに訪れた場所で、いやだった場所は記憶にありません。どこへ行っても、その場所や地域が思い出となって残り、好きという感情が湧いてきます。

単なる旅行者として気に入ったところも多々ありますが、そこの人々と実際に交わり、一緒に何かをした経験や記憶が、その場所や地域を特別のものとして認識させるのだと思います。

そんな「ふるさと」と思える場所が日本や世界にいくつもある、ということが、どんなに自分の励ましとなっていることか。

あー、マカッサルのワンタン麺が食べたい。家のことで困っている時に助けてくれたスラバヤのあの人はどうしているだろうか。佐伯へ行けば、いつまでも明るく笑っていられるような気がする。由布院の私の「師匠」たちは、まだ元気にまちづくりに関わっているだろうか。ウガンダのあの村のおじさんとおばさんは、今日作ったシアバターをいくら売ったのだろうか。

そんな気になる場所がいくつもある人生を、誰もが生きているような気がします。

昔見たマカッサルの夕陽(2003年8月10日、筆者撮影)
マカッサルといえば思い出す「ふるさと」の光景の一つ
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地域よ、そんな人々の「ふるさと」になることを始めませんか。自分たちの地域を愛し、好きになってくれるよそ者を増やし、彼らを地域の応援団にしていきませんか。

筆者がそれを学んだのは、高知県馬路村です。人口1000人足らずの過疎に悩む村は、ゆず加工品の顧客すべての「ふるさと」になることを目指し、商品だけでなく、村のイメージを売りました。何となく落ち着く、ホッとするみんなの村になることで、村が村民1000人だけで生きているわけではない、村外の馬路村ファンによって励まされて生きている、という意識に基づいて、合併を拒否し、自信を持った村づくりを進めています。

もしも、地域の人口は1000人、でも地域を想う人々は世界中に10万人だと考えたとき、そこにおける地域づくりは、どのようなものになるでしょうか。

その地域が存在し、生き生きとしていくことが、世界中の10万人の「ふるさと」を守り続け、輝くものとしていくことになるのではないでしょうか。

私たちは、そんな広義の「ふるさと」をいくつも持って、それらの「ふるさと」一つ一つの応援団になっていけたら、と思います。

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それは、モノを介した「ふるさと納税」を出発点にしても構わないのですが、カネやモノの切れ目が縁の切れ目にならないようにすることが求められるでしょう。

正式の住民票は一つしかありません。でも、「ふるさと」と思える場所はいくつあってもいいはずです。

いくつかの市町村は、正式の住民票のほかに、自らのファンに対してもう一つの「住民票」を発行し始めています。飯舘村の「ふるさと住民票」は、そのような例です。以下のリンクをご参照ください。

 飯舘村ふるさと住民票について

「ふるさと住民票」を10枚持っている、50枚持っている、100枚持っている・・・そんな人がたくさん増えたら、地域づくりはもっともっと面白いものへ変化していくことでしょう。地域はそうした「住民」から様々な新しいアイディアや具体的な関わりを得ることができ、さらに、その「住民」を通じて他の地域とつながっていくこともあり得ます。

こうした「住民」が、今、よく言われる関係人口の一端を担うことになります。それは緩いものでかまわないと思います。

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世界中から日本へ来る旅行者についても、インバウンドで何人来たかを追求するよりも、彼らの何人が訪れたその場所を「ふるさと」と思ってくれたか、を重視した方が良いのではないか、と思います。

それがどこの誰で、いつでもコンタクトを取れる、そんな固有名詞の目に見えるファンを増やし、それを地域づくりの励みとし、生かしていくことが、新しい時代の地域づくりになっていくのではないか。

奥会津を訪れる台湾人観光客を見ながら、その台湾人の中に、もしかすると、台湾で地域づくりに関わっている人がいるかもしれない、と思うのです。そんな人と出会えたならば、その台湾人と一緒に奥会津の地域づくりを語り合い、その方の関わる台湾の地域づくりと双方向的につながって何かを起こす、ということを考えられるのではないか、と思うのです。

飯舘村の「ふるさと住民票」を登録申請しました。そして、私が関わっていく、日本中の、世界中の、すべての地域やローカルの味方になりたいと思っています。

「ふるさと」をいくつも持つ人生を楽しむ人が増え、地域のことを思う人々が増えていけば、前回のブログで触れた「日本に地域は必要なのですか」という愚問はおのずと消えていくはずだと信じています。

「牯嶺街少年殺人事件」を観てきた

今日、家族3人で、エドワード・ヤン監督の台湾映画「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」を観てきました。

今回のは、マーティン・スコセッシが設立したフィルム・ファウンデーションとアメリカのクライテリオン社による4Kレストア・デジタルリマスター版での上映でした。そういえば、2月に、やはり家族3人で観たキンフー監督の「侠女」「龍門客桟」という2つの台湾映画も、4Kデジタル修復版でした。
ずーっと昔、妻と一緒に「牯嶺街少年殺人事件」を観て以来、いったい何年ぶりになるのでしょうか。ストーリーも人物もすっかり忘れてしまっていたのですが、今日、改めて観ながら、その断面・断面が少しずつ思い出されていました。
今回のは236分版、約4時間の休憩なしでした。おそらく、前回観たのは188分版だったのではないかと思います。もっと主人公に焦点が当てられ、主人公を取り巻く少年グループ間の複雑な関係は、今回のほどは細かく描かれていなかったような印象があります。
最初のほうは、顔が似ている人がいるなどして、登場人物の関係がなかなか分かりにくかったのですが、事件が起こって話が大きく展開し始めてくる頃には、だいぶはっきりしてきました。そして、改めて、前半で何気なく撮られたかのように見えたショットがふと思い起こされてきて、もう一度しっかり観ておきたかったという衝動が現れてくるのでした。

大陸から台湾へ渡ってきた外省人と彼らを迎えた土着の本省人、第二次大戦終了以降も残る日本の影、貧富格差、共産主義分子摘発キャンペーンと思しき弾圧の匂いなどが少年少女の日常にも影を落とし、描き出される社会の息苦しくもけだるく、夢やあこがれに邁進しようにもできない、突き抜けない、救いようのない鬱屈した雰囲気が全編に満ちていました。

民主化の成熟を様々な場面で見ることが多くなった今の台湾を意識すると、台湾の人々は、この映画を改めてどのような気持ちで観るのでしょうか。

でも、少年少女の淡い恋愛のなかで表現された言葉のなかに、私たちや社会の遠くない未来を暗示させるような、絶望と運命の入り混じった、救いようのないやり切れなさや鬱屈した雰囲気を感じてなりませんでした。

ネタバレになるので、詳しいストーリーは省きますが、4時間という時間を費やす価値のある映画だとは言えます。

この映画を観たのが「ラ・ラ・ランド」を観たすぐ後だったこともあり、二つの映画の描く世界の雰囲気が実に対照的であったことを改めて感じています。それは、現代を生きる私たちの社会において、明るい希望と真っ暗な絶望が併存しているということを、改めて明確に認識させてくれたような気がしています。

イッツベジタブルは日本で一番新しい台湾料理の店 !?

妻と待ち合わせて、どこで夕食をとるか色々悩んだ末、錦糸町の台湾料理屋に行きました。総武線の高架下にある、その店の名前は、イッツベジタブル(苓々菜館<りんりんさいかん>)。

実は、台湾では精進料理も有名らしいのですが、台湾へ行っても、まだ食べたことはありませんでした。どんな精進料理なのか、楽しみに行ってみました。

肉、魚、卵だけでなく、ネギもニンニクも使わない、調理にアルコールも使わない(注:ただしビールなどアルコール飲料は置いてある)、全素、完全素食、ベジタリアンの台湾料理を出す店です。この店では、大豆のたんぱく質を使って、肉・魚風の料理を再現しているのです。

せっかくなので、野菜ではなく肉・魚風のものを注文してみました。まず、次の3品を注文しました。

「豚肉とセロリの炒めもの」のようなもの 

「ローストチキン」のようなもの

「揚げ魚の豆鼓ソース」のようなもの

これらをおかずに、玄米ご飯を食べました。

脂っ気があまりなく、あっさり味なのですが、ソースが絶妙に美味しく、とくに、「ローストチキン」のようなものは、鶏肉のような肉の細い筋があるような歯ごたえで、本物と変わらない味わいでした。

ちょっと物足りなかったので、さらに2品を追加しました。

「肉シューマイ」のようなもの

担仔麺(チャーシューのようなもの+肉味噌のようなもの)

テーブルの上には、素食がいかに素晴らしいかについて書かれた「苓々菜館の気持ち」と、「なぜネギもニンニクも使わないのか」の説明が書かれた紙がラミネートされて置いてありました。

たとえば、ネギやニンニクには薬効があっても、それは薬である以上、摂りすぎるのは毒になる、と書かれてありました。また、「感謝の気持ちをもって食事をいただく」といった、素食を食べるときの作法についても書かれていました。

この苓々菜館は、東京に住む台湾人留学生らがよく集まる場所にもなっているようで、レジには「台湾で中国語を学ぼう」という本も売られていました。高雄に留学した若者が2年間でマンダリンと福建語をマスターした、と店の主人が言っていました。

そして、最後の1個だったこの店の手作りの特製パイナップルケーキをゲットして、店を後にしました。台湾のお菓子も色々出しているようです。

台湾素食といえば、この店とは違う店ですが、私が大学生の頃、通っていたキャンパスの近くに、やはり台湾素食の小さな店があり、ヘルシーな弁当などで知られていました。中一素食店という名前の店ですが、今では、六本木にも支店を出す有名店になっていました。

店の外に出ると、いくつもの標語の書かれた看板がありました。

日本で一番新しい台湾料理。世界一安全な食事。野菜がいっぱい。大豆がいっぱい。

このバイクで、「ダイエット弁当」を配達してくれるようです。

店の雰囲気も家庭的で、居心地も良いので、オススメです。台湾高山烏龍茶もとても美味しくいただきました。

さて、次回の錦糸町は、こちらの予定。