【インドネシア政経ウォッチ】第69回 都市部貧困人口の増加(2014年1月9日)

1月2日、中央統計庁はインドネシアの貧困状況に関する統計速報を発表した。これによると、2013年9月の貧困人口は2,855万人、貧困人口比率は11.47%となり、その前の13年3月時点での2,807万人、11.37%よりも増加した。これまで貧困人口比率だけでなく、貧困人口の絶対数も着実に減少し続けてきたが、それが久々に増加した。

貧困人口増加の背景には、経済成長の鈍化に伴う雇用創出の不足、失業率の上昇(13年2月の5.92%から13年8月には6.25%へ)、物価上昇などがあると考えられるが、これが一時的な現象なのか、貧困人口はますます増加していくのかを現段階で判断するのは難しい。

貧困人口は13年3~9月に48万人増加したが、30万人は都市部で占められ、そのうちの約24万人はジャワ島での増加である。他方、貧困人口の絶対数では都市部を大きく上回る村落部での貧困人口の増加は18万人にとどまり、しかも、ジャワ島では、全国の村落部で唯一、貧困人口が若干ながら減少している(836万6,000人から831万2,000人へ)。都市部では、バリ島とヌサトゥンガラや、マルクとパプアで貧困人口が減少している。

首都ジャカルタをはじめとするジャワ島の都市部では、高所得者層の消費需要が旺盛で、高級志向が強まり、その予備軍とも言える上位中間層の存在がクローズアップされがちであるが、その一方で、実は貧困人口が増加しているということになる。すなわちそれは、ジャワ島の都市部において、貧富の格差が拡大していることを示唆する。他方、村落部における貧困人口の増大は相対的に少なく、都市と農村との格差の問題が急速に深刻化しているとはいえない。

首都ジャカルタなどでは、狭い長屋のような住宅のすぐそばに高級コンドミニアムがそびえる光景が目につく。貧困人口の拡大に加え、そうした光景がもたらす相対的貧困感が低所得者層に意識され得る。一方、暴動などへの恐怖から、華人高所得者層には低所得者層の居住地から遠くへ移転し、接触を避ける傾向も見られる。都市部の貧困人口の拡大が社会不安につながるかどうか、注意深く見守る必要がある。

【インドネシア政経ウォッチ】第68回 全国と各州での経済成長率の乖離(2013年12月19日)

2014年のインドネシアの経済成長率予測は、時がたつにつれて低下してきた。中央銀行の当初予測(6.4~6.8%)は8月に6.0~6.4%、11月には5.8~6.2%、現状では6%いくかいかないか、という線へ後退した。国内では「13年よりも14年は好転する」という楽観的な見方が多かったが、10月に世界銀行が5.3%と13年予測値(5.6%)を下回る数字を出した頃から、インドネシア政府も下方修正せざるを得ない状況となった。

経済成長率の下方修正は、政策金利(BIレート)引き上げによる金利上昇の影響への懸念が背景にある。これは、政府が経済成長よりもマクロ経済の安定を選択したことを意味し、14年の経済成長率が13年を下回るのもやむなしとのシグナルを市場へ送った。今の政府の期待は、低いインフレ率と14年総選挙による国内消費である。

確かに、総選挙で喚起される国内消費はそれなりにある。おそろいの政党Tシャツなどの選挙グッズ、政党や候補者のポスターや垂れ幕などの印刷、集会で出される食事。それでなくとも選挙ではさまざまなカネが動き、それが消費需要を促す。有権者の選挙への関心が低下し、大衆動員型選挙が難しくなっても、ある程度の需要は喚起される。

そのためか、各州レベルでの14年の経済成長率見通しは相当に楽観的である。中銀の予測は、カリマンタンを除くジャワ島外で高成長が続くと見ている。なかでもスラウェシ島では、中スラウェシ州の9.7%を筆頭に、西スラウェシ州が9.1~9.5%、北スラウェシ州が7.7~8.1%、南スラウェシ州が7.4~7.8%と続く。スマトラでも各州で6%以上の成長を見込む。

ジャワ島内でも、東ジャワ州は6.8~7.0%と依然として高成長を見込み、製造業が集中する西ジャワ州(5.8~6.4%)やバンテン州(5.6~6.0%)とは対照的である。首都ジャカルタも6.1~6.5%と強気である。

インドネシアは「内需主導のためリーマンショックの影響をあまり受けなかった」と評されたが、そのときも各州の経済成長率は全国のそれを上回っていた。来年も内需の動向が経済成長の鍵を握る。

【インドネシア政経ウォッチ】第67回 農家世帯数の大幅な減少(2013年12月12日)

中央統計局は12月2日、2013年農業センサス結果の概要を発表した。農業センサスは10年に1度実施され、前回は03年である。この10年間、インドネシアは中進国へ向けて経済成長を続けてきたが、その陰で、農家世帯総数は03年の3,123万世帯から13年には2,614万世帯へ大きく減少した。

特に減少が顕著なのは野菜・果物と畜産である。野菜・果物は、03年の1,694万世帯から1,060万世帯へ、畜産も1,860万世帯から1,297万世帯へ急減した。経済が豊かになると、コメなどの主食を補う野菜・果物や畜産品の消費が伸びるはずだが、インドネシアではそれらの担い手が減り、輸入品への依存を高めている。

他方、興味深いことに、米作は1,421万世帯から1,415万世帯へとほとんど減っていない(注:農家1世帯が米作と野菜・果物など複数に従事する場合を含むため、農家世帯総数は他の総和より小さくなる)。

耕地面積が0.5ヘクタール未満の小農は、03年の1,902万世帯から13年には1,425万世帯へと、これも大きく減少した。とりわけ、ジャワ島での減少が顕著で、中ジャワ州で132万世帯、西ジャワ州で120万世帯、東ジャワ州で114万世帯も減少した。その結果、農家1世帯当たりの平均耕地所有面積は03年の0.41ヘクタールから13年には0.89ヘクタールへ増加した。経済成長に伴い、農村から多くの労働力が都市へ吸収され、農地の細分化に歯止めがかかってきた様子がうかがえる。

近年、特にジャワの農村では、若い世代が農業を継がないことが問題となっている。農業人口の減少を生産性向上で補うため、人口が多くて無理といわれたジャワ島でも機械化が検討され始めている。実際、中ジャワ州バンジャルヌガラ県は、韓国との協力で農業機械化を試行し始めた。

まさに、1970年代の高度経済成長期の日本の農村をほうふつとさせるような光景だが、農協のような、機械化を支えるファイナンス面の準備はまだない。このままいけば、15年の東南アジア諸国連合(ASEAN)経済自由化により、インドネシアがさらに農産物を輸入に依存していくことは確実である。

【インドネシア政経ウォッチ】第66回 韓国系企業が集中するプルバリンガ県(2013年12月5日)

先週、中ジャワ州プルバリンガ県を訪問した。中ジャワ州の南西部、西ジャワ州との境に近い小さな県である。ジャカルタやスラバヤからは、この地域の商業センターであるプルウォクルトまで鉄道などで行き、そこから車で約30分である。

日本では無名なプルバリンガ県には、韓国系企業が20社以上も立地する。そのほぼすべてが、カツラや付けまつげを作る労働集約型企業である。最初の韓国系カツラ製造企業が操業を始めたのは1985年頃で、当時は従業員50人足らずの家内工業であった。それが90年代半ばから進出が相次ぎ、今では第2工場、第3工場を持つ韓国系企業さえ現れた。

でも、なぜカツラや付けまつげがここなのか。単に最低賃金が低いこと(2014年で102万3,000ルピア)だけが理由ではない。プルバリンガ県は、実は1950年代から「サングル」と呼ばれる伝統的な女性用の結い髪の生産地であり、この地域ではプルバリンガ女性の手先の器用さが際立っていた。韓国系企業はそれに目をつけた。しかし、当初はなかなか韓国系企業の思った通りの製品にならなかったようである。

カツラや付けまつげの製造では、細かな部品を家族の副業などで下請けする。下請先は現在290カ所あり、その一部は規模が拡大し、企業化している。これら下請を含め、カツラや付けまつげ製造だけで約5万人の雇用を生み出している。製造に従事するのはほとんどが女性である。このため、家事労働の使用人を見つけるのが難しいという。他方、男性の雇用機会は限られている。

韓国系企業が集中する別の理由は、県政府の投資認可ワンストップサービスである。県知事署名の立地許可以外の許認可は、県投資許可統合サービス事務所(KPMPT)で片付く。工業団地はないが、工場ゾーンでの用地取得に便宜を図ってくれる。労働組合活動は低調で労働争議もない。現地に根を下ろした韓国系企業は、今やプルバリンガ県にとって不可欠な存在なのである。

【インドネシア政経ウォッチ】第65回 ジャワ島の14年最低賃金を読む(2013年11月28日)

11月になり、各県・市の2014年最低賃金が決定された。政府は14年の最低賃金に関して「消費者物価上昇率+10%以下(労働集約産業は+5%以下)」という目安を提示したが、今年ほどではないにせよ、14年も20%前後の高い上昇率となった。

ジャワ島内では11月25日までに、112県・市のうちバンテン州セラン県を除く111県・市の14年最低賃金が決定した。最高が西ジャワ州カラワン県第3グループ(鉱業、電機、自動車、二輪車など)の281万4,590ルピア(1円=112ルピア、以下同じ)、最低が中ジャワ州プルウォレジョ県の91万ルピアであり、その差は3倍以上ある。

地域別にみると、ジャボデタベックと呼ばれるジャカルタ周辺の県・市が235万ルピア以上だが、そのすぐ後には、東ジャワ州スラバヤ周辺が続いている。スラバヤ周辺の最低賃金はもはや決して低いとは言えなくなった。スラバヤ周辺に続くのが西ジャワ州バンドン周辺で、このあたりで最低賃金200万ルピアの線が引ける。

一方、中ジャワ州とジョクジャカルタ特別州は相対的に最低賃金がまだ低い。最高でも前者ではスマラン市の142万3,500ルピア、後者ではジョクジャカルタ市の117万3,300ルピアにとどまる。特に、中ジャワ州の中央から南側に立地する9県では最低賃金が100万ルピア未満である。

ちょうど100万ルピアは、中ジャワ州に4県、東ジャワ州南西部に6県・市、西ジャワ州に1県ある。これらはいずれも、各州内で開発の遅れた地域に属しており、最低賃金水準から地域内の経済格差の様子が見えてくる。

昨今、ジャカルタ周辺の工場が中ジャワや東ジャワへ移転する動きが見られるようになったが、一般に、最低賃金の低い県・市では、投資認可関連手続きの経験が不足しており、企業設立などで時間的・資金的なロスが生じる可能性がある。企業進出に当たっては、最低賃金水準だけで決めるのではなく、行政サービスの質やインフラ状況などを総合的に判断する必要があるのは言うまでもない。

【インドネシア政経ウォッチ】第64回 為政者としてのウィバワの移転(2013年11月21日)

インドネシアの人々はウィバワ(wibawa)という言葉をよく使う。威力あるいは威厳という意味だが、落ち着いた大人の対応ができる人を評する場合にも使う。大統領選挙を前に、為政者としてのウィバワが移り始めたと感じられる出来事が起こっている。

低価格グリーンカー(LCGC)をめぐる議論はそのひとつである。ジャカルタのジョコ・ウィドド(ジョコウィ)州知事は、個人所有のLCGCがジャカルタの渋滞をさらに悪化させることを懸念し、むしろ公共交通機関の整備が先決であると主張した。これに対してユドヨノ大統領は、渋滞の管理責任はジャカルタ特別州政府にあると批判したが、ジョコウィはそれをポジティブに受けとめるとともに、中央からジャカルタへの予算配分にさらなる配慮を求めた。

先週、ユドヨノから「LCGCは個人向けではなく、村落での交通手段を想定し、しかも電気自動車やハイブリッド車だったはず」との発言が飛び出した。もともと、LCGCは個人向けと村落交通手段の2本立てと認識していた産業大臣や日本の自動車メーカー関係者は驚いたが、明らかに、ジョコウィのLCGC批判を念頭に置く言い訳めいた発言である。

他方、ユドヨノが党首を務める民主党は、ジョコウィや彼の所属する闘争民主党への接近を試み始めた。ジョコウィ批判を繰り返した党幹部はユドヨノから叱責(しっせき)され、民主党内に批判を控える雰囲気が現れた。また、11月13日に開催された全国婦人会セミナーで、アニ大統領夫人は、歴代唯一の女性大統領だった闘争民主党のメガワティ党首を褒めたたえた。汚職問題で存亡の危機にある民主党が、生き残りを模索する姿でもある。

ジョコウィ自身は、大統領選挙へ立候補するそぶりをまだ何も見せておらず、山積する首都ジャカルタの問題に集中する姿勢を崩していない。にもかかわらず、世論調査で大統領候補として常に人気トップのジョコウィに対して、大統領であるユドヨノを含めた政治家が気を使っている。ウィバワはユドヨノからジョコウィへ、その空気を人々は読み始めている。

【インドネシア政経ウォッチ】第63回 国際収支安定のための外資規制緩和(2013年11月14日)

今年は3年に1度の投資ネガティブリストの改訂が行われる年である。しかし、当初、10月ごろと見られていた改訂リストの発表は遅れ、年末になりそうだ。外資規制を緩和したい経済調整大臣府や投資調整庁と、外資規制を強化して国内企業の育成を目指したい各省庁との間で、さまざまな駆け引きが行われている様子である。

昨今の厳しい経済状況で、改訂リストはより規制を緩和する方向へ向かいそうだ。何よりも今、政府に求められるのはマクロ経済の安定であり、軟化する通貨ルピアのしなやかな防衛である。そのためには、国際収支の安定が不可欠であり、経常収支の赤字を埋め合わせる資本収支の黒字が必要になる。そして、出入りの素早い証券投資よりも直接投資の増加が最重要になる。国際収支の安定のためにこそ、外資規制緩和が必要となるのである。

先週、ネガティブリスト改訂の内容が一部明らかにされたが、大きく2つの注目点がある。第1に、事業効率化のために外資を活用するという点である。なかでも、空港・港湾の管理運営に100%外資を認めるなど、なかなか進まないインフラ整備・効率化で外資を活用する意向が示された。インフラ投資に参入したい外資は多く、歓迎されよう。

第2に、輸出指向型外資をより重視したことである。消費活況の続くインドネシア国内市場を目指す外資よりも、インドネシアを生産拠点とし、輸出することで国際収支の安定に寄与する外資を求めている。輸出指向型外資への優遇策は、1980年代後半~1990年代前半に採られ、労働集約型産業が発展したが、その後競争力は低下した。今後の輸出産業としては二輪車・自動車と油脂化学が期待される。

早速、識者からは経済における外資シェア拡大への危惧が現れた。しかし政府は、外資への依存度を高めるというより、国内企業に外資との競争を促そうとしているようである。インドネシアの自信の表れといえるが、国内企業がその意図を汲み取って行動できるかが課題である。

【インドネシア政経ウォッチ】第62回 暴力的社会団体の復権(2013年11月7日)

暴力的社会団体を政府・軍高官が擁護する発言が相次いでいる。たとえば、10月24日、ガマワン内務大臣が「イスラム擁護戦線(FPI)は国家の財産である」と発言して政府との協力関係を促して以降、FPIの活動が活発化している。それまで、暴力的社会団体は社会悪として取り締まる方向だったのが、急反転した印象である。

10月27日は、インドネシア独立の源泉である「青年の誓い」が発せられた記念日である。この日、陸軍戦略予備軍(コストラッド)のガトット司令官は、パンチャシラ青年組織(プムダ・パンチャシラ=PP)に対してパンチャシラ(建国5原則)擁護の前線に立つよう求めた。同時に「多数意見が常に正しいとは限らない」として現行の民主主義への疑義を示し、「軍は政治に口を出さず」という原則を破ったとして物議を醸している。

PPは1981年にスハルト大統領(当時)と国軍の後押しで設立された自警武闘集団である。愛国党という自前の政党を持つ一方で、組織の上層部はゴルカル党幹部でもある。

PPは早速、事件を起こした。「青年の誓い」の日の数日後、EJIP工業団地で最低賃金引上げを求める金属労連のデモ隊と衝突し、8人が負傷、バイク18台が破壊される事態となった。工業団地では、エスカレートする労働組合デモに対抗する自警団を企業側が組織しており、そこへPPが入ってきた。廃棄物処理業者の多くはPPに属しており、デモによる工場の操業停止は彼らにとって死活問題となるのである。

組合側は経営者側がPPを用心棒にしたと批判するが、そう言われても仕方がない。実際、労働組合連合体のひとつ、全インドネシア労働組合(SPSI)は分裂し、その一方のトップをPPのヨリス議長が務める。ヨリスは「SPSIはインドネシア経営者協会(Apindo)と協調し、過激な労働組合デモに対抗する」と2012年11月に宣言している。

ゴルカル党はPPを通じてSPSIの動員力を手に入れた。来年の総選挙・大統領選挙を前に、暴力的社会団体の利用価値が再認識されている。

【インドネシア政経ウォッチ】第61回 鉱石輸出、条件付きで延長へ(2013年10月31日)

エネルギー・鉱物省のタムリン鉱物石炭局長は10月23日、条件付きで鉱石輸出許可を2017年1月14日まで延長する意向を明らかにした。

政府は、鉱石・石炭採掘法(法律09年第4号)と実施規則である政令12年第24号において、同法施行後5年以内、すなわち14年1月までに、未加工・未製錬鉱石の輸出を禁止し、国内に製錬工場の設置を促して、鉱業部門の川下産業を育てる計画だった。しかし現実には、14年中に建設が完了する製錬工場はなく、川下産業育成という方針を堅持しつつも、現実的な対応を取らざるを得なくなった。

鉱石輸出許可の条件には、製錬工場建設に関する事業化調査を終了していること、製錬用鉱石の備蓄が30年分以上あること、製錬工場建設の投資額に応じた保証金を国内銀行口座に置くこと、などが想定されている。仮に製錬工場が建設されなかった場合、政府が保証金を没収し、製錬工場の建設に充てる。これらの条件は、政令12年第24号の改訂およびエネルギー・鉱物大臣令で定める。

タムリン局長によると、国内で鉱業事業許可を持つ企業は数千社あるが、上記の輸出許可の条件を満たす企業は125社。うち97社はすでに製錬工場の建設に関する事業化調査を行っており、28社は工場建設に着手済みである。

実業界はこの発表を歓迎している。発表の前日、インドネシア商工会議所(カディン)は、川下産業育成方針を支持しつつも、早急な鉱石輸出禁止は貿易収支の悪化を招くとして、製錬工場の建設を進める企業に鉱石輸出を認めるべき、との見解を表明しており、結果的に政府が即応する形になった。

ただし、鉱石の国際市況が低迷する中で、製錬工場建設への資金調達が難しくなり、それが事業化調査に影響を与える可能性もある。逆に、市況がよくなれば、製錬工場建設よりも鉱石輸出が再び選好され得る。インドネシアにとっては、多少遅れても、今が川下産業育成の好機といえる。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第60回 ついにバンテン「帝国」へメス(2013年10月24日)

10月2日にアキル憲法裁長官が逮捕された汚職事件で、バンテン州レバック県知事選挙結果への異議申立に絡み、新たな贈賄疑惑が発覚した。贈賄したのは同州のアトゥット州知事の実弟ワワンで、事件発覚前にアキル、アトゥットとシンガポールで密談したとの証言が飛び出し、アトゥットを頂点とするバンテン「帝国」の縁故主義と癒着にもメスが入り始めた。

バンテン州の政治は、アトゥットの父親である故ハサン・ソヒブが仕切ってきた。彼は、伝統的武術(プンチャック・シラット)に秀でた特殊能力を持つ者から成る「ジャワラ」という暴力集団のトップに長年君臨し、イスラム教の高僧(キアイ)とともに、ゴルカル党の伸長に貢献してきた。そして、娘のアトゥットを2001年に州副知事、06年に州知事に当選させるとともに、親族を重要な政治ポストに配置させた。

現在、南タンゲラン市長がアトゥットの実弟ワワンの妻であり、別の実弟がセラン県副知事、義弟がセラン市長、息子が州選出地方代議会(DPD)議員、その妻がセラン市議会副議長、義母がパンデグラン県副知事、といった具合である。アトゥット一族に反旗を翻すのは困難な状態だった。

アトゥットの父・故ハサンはもともと実業家でもあり、1960年代からさまざまな政府プロジェクトを受注して富を蓄え、州商工会議所会頭も務め、州内の有力者だった。その影響は今も続き、州内の主な公共事業はアトゥット一族によって担われる傾向がある。

インドネシア汚職ウォッチ(ICW)によると、2011~13年に、アトゥットの親族企業10社と親族の関係会社24社が州内の175事業(総額1兆1,480億ルピア=約100億円)を担当したとされる。これらをめぐる汚職疑惑にもメスが入る可能性が出てきた。

バンテン州に限らず、地方首長を頂点とした「帝国」支配は全国各地に見られる。今回の件については、2014年総選挙をにらんだゴルカル党つぶしという面も否定できないが、「帝国」を脱した新たな政治への一歩となるかどうかが注目される。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第59回 投資殺到のバンタエン県(2013年10月17日)

南スラウェシ州にバンタエンという名の県がある。面積395平方キロメートル、人口18万人という小さな県で、農業が主産業である。ジャカルタなどでは知られていないが、このバンタエン県に今、外国投資が殺到している。

10月のAPEC首脳会議に合わせて来訪した中国の習近平総書記とユドヨノ大統領との間で、さまざまな協力協定が締結されたが、そのひとつが、中国のYinyiグループによるバンタエン県のニッケルおよびステンレス精錬所への投資である。総額23兆ルピア(約2,000億円)で、300ヘクタールの工業用地に2015年から精錬所を建設する。Yinyiグループ以外にも、中国系2社を含む5社がニッケルやマンガンなどの精錬所への投資を計画している。

バンタエン県はニッケル鉱やマンガン鉱の産地ではない。しかし、南スラウェシ州北部から東南スラウェシ州北部にかけてニッケル鉱床があり、これまで主にブラジル系ヴァーレ・インドネシアや国営アネカ・タンバン(アンタム)が採掘し、日本向けに未精錬のまま輸出してきた。政府がインドネシア国内での加工を義務づける政策へ転換したことで、精錬所への投資が注目され、投資家は南スラウェシ州内で立地先を探していた。

バンタエン県が選好されるのは、県レベルでの投資許可がわずか1日で終了し、費用も無料だからである。電力も州都マカッサルに次ぐ37万キロワットを確保し、課題の港湾整備も急ピッチで進める予定である。約2万人の雇用機会が生まれることになる。

積極的な投資誘致は、ヌルディン県知事の功績である。九州大学で博士号を取得、日本語の堪能な実業家出身の彼は、日本との広い人的ネットワークを駆使し、日系の水産品・野菜加工工場を誘致し、すでに日本向けに輸出している。高品質の水と標高差を生かした農業で、低地では米作、高地では野菜、イチゴ、アラビカコーヒーなどの栽培を進めている。日本から中古消防車・救急車の受け入れも積極的に行ってきた。

地方でもやり方次第でいろいろできる。投資殺到のバンタエン県は、他の地方政府へのよい刺激となるはずである。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第58回 憲法裁判所長官逮捕の衝撃(2013年10月10日)

10月2日、反汚職委員会(KPK)がアキル・モフタル憲法裁判所長官を贈収賄の現行犯で逮捕し、現場で28万4,040シンガポールドル(約2,210万円)および2万2,000米ドル(約210万円)の現金を押収するという事件が起きた。

憲法裁判所は、スハルト政権崩壊後、独立・中立の立場から違憲審査を行う機関として新設され、その判断は最終決定となる。憲法裁はKPKと並んで、民主化への国民の期待を一身に集めてきただけに、今回の事件が社会に与えた衝撃は極めて大きい。

憲法裁は、地方首長選挙の結果をめぐる不服申立に対して、それを認めるか否かの最終判断を下す役割も持つ。今回は、現職が再選された中カリマンタン州グヌンマス県知事選挙で別候補が不服申立を行い、現職側がそれを認めないよう、アキル長官に働きかけたという話である。捜査の過程で、バンテン州レバック県知事選挙に関しても同様の贈収賄疑惑が明らかになり、バンテン州知事の関与が取り沙汰されている。

実は、アキル長官をめぐっては、不問に付されたとはいえ、長官になる以前、憲法裁の裁判官のときから、同様の贈収賄疑惑が複数起こっていた。彼はまた、地方首長選挙結果の最終判断だけでなく、多くの地方政府分立の是非の判断にも関わった。『コンパス』紙は、「アキル長官への贈賄相場は1件およそ30億ルピア(約2,530万円)」と報じた。

アキル長官は西カリマンタン州出身のゴルカル党所属の政治家であり、今回の贈収賄を仲介した同党のハイルン・ニサ国会議員と同僚だった。それにしても、なぜ政治家が憲法裁のトップに就くのか。それを問題視する意見は根強いが、今にしてみると、実は内部の汚職を表面化させないためという理由がそもそもあったのではないかと思えてくる。憲法裁には、1回限りの判決が最終判断であることを悪用し、内部で汚職が促される構造があったと考えられる。

今回の事件を通じて、既存の多くの地方首長や分立した地方政府の正統性自体が大きく揺らぐ可能性が出てきた。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第57回 森林保護区で揺れるバタム島開発(2013年10月3日)

シンガポールから最も近く、インドネシアの工業開発先進地域と目されてきたバタム島が今、土地利用問題で大きく揺れている。

それは、6月27日付の森林地の利用目的・機能変更に関する林業大臣決定2013年第463号により、バタム島総面積の64.81%が森林保護区とされていることが明らかになったためである。すなわち、商業センターのナゴヤ地区も、工業団地も、開発の進む住宅地も、バタム運営庁やバタム市庁など行政機関のある場所も、実は森林保護区に含まれており、それらはすべて、土地利用上は違法となってしまうからである。

森林保護区を他目的で利用する場合、林業省の許可が必要となる。林業省での森林保護区の利用目的・機能変更手続がネックとなり、空間計画がなかなか策定できない地方政府は数多い。工業団地の造成や商業地区の拡張が進まない理由にもなる。

バタム市の空間計画は2008年に市議会の承認を経て条例化されたが、現段階でまだ実施されていない。条例化の後で、森林保護区について林業省と協議する必要が判明したためである。バタム市は空間計画に関する判断を林業省に求めていたが、その返答が上記の林業大臣決定だった。

バタム市側は、バタム島開発自体が1970年代の大統領決定に基づくことから、今回の林業大臣決定の撤回を求めつつ、事業者に対しては通常通り事業を続けるよう説得している。そして違法との理由で法的措置が採られるなら、林業省を訴える可能性も検討している。一方、林業省は、森林保護区の制定は現場から所定手続に則って進めたものとし、林業大臣決定の根拠である1999年森林法や2007年空間計画法は大統領決定より上位であることを理由に、撤回には応じない姿勢である。

解決策はあるのか。林業省は乗り気でないが、反汚職委員会、警察、検察、最高裁などが「違法状態だが法的措置を採らないこと」で合意する、という極めてインドネシア的な手法が最終的な落とし所になると見られる。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第56回 低価格グリーンカーへの賛否(2013年9月26日)

先週、日系の自動車メーカー各社が低価格グリーンカー(LCGC)を販売開始した。排気量1200cc以下(ディーゼルエンジンの場合は1500cc以下)かつ燃費が1リットル当たり20キロメートル以上の低価格グリーンカー(セダンとステーションワゴンを除く)は、奢侈(しゃし)品販売税が免除され、販売価格が1億ルピア(約100万円)以下の車も現れた。部品国産化率が8割を超える車もある。

通貨ルピアを防衛するため政策金利が引き上げられたが、その影響で、自動車ローンの金利も上がる。自動車販売の減少が予想されるが、低価格グリーンカー販売の滑り出しは好調で、南スラウェシ州マカッサルなどの地方都市でも1,000人以上が予約したと報じられている。

そんな中、低価格グリーンカーへの反対意見も現れた。その急先鋒(せんぽう)は、ジャカルタ特別州のジョコ・ウィドド(ジョコウィ)知事である。交通渋滞に悩むジャカルタでは、低価格グリーンカーの登場で自動車台数がさらに増え、渋滞が悪化するとの懸念がある。さらに、ガソリン需要が高まることで、国際収支の悪化をさらに促す可能性もある。

ジョコウィは「必要なのは低価格グリーンカーではなく、低価格な公共交通機関である」と主張。そのためのインフラ整備が先決との考えを示した。また、中ジャワ州のガンジャル・ヌグロホ知事は、低価格グリーンカーの生産が外国企業によって主導されるのを批判する。ブディオノ副大統領は、ジャカルタの幹線道路に電子道路課金制を導入し、渋滞を悪化させない方策を採るとして、低価格グリーンカー導入への理解を国民に求めた。

インドネシアでは、技術評価応用庁、科学技術院、民間企業などが競って低価格な電気自動車の実用化を目指している。低価格グリーンカーは電気自動車へ至る過渡的段階に位置づけられるが、電気自動車の普及にはまだ時間がかかりそうである。

低価格グリーンカーは、景気低迷への特効薬となるのか。あるいは、渋滞と国際収支をさらに悪化させるのか。いずれにせよ、本格的なマイカー時代の幕開けは近い。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第55回 豆腐・テンペ業者の苦悩の陰で(2013年9月19日)

大豆価格高騰の影響を受けて、国内の豆腐とテンペ(伝統的な大豆発酵食品)の業界が原材料調達に支障をきたし、生産困難になっているとの報道が見られる。9月9日、豆腐・テンペ生産者組合連合会(Gakoptindo)と豆腐・テンペ協同組合(Primkopti)は、原料の大豆の価格高騰への対応を政府に求めて、全国の加盟業者が生産を放棄し、ストライキを行った。ジャカルタや東ジャワ州スラバヤのパサール(伝統市場)では、一時的に豆腐・テンペが店頭から消える事態も発生した。

9月2日付『コンパス』によると、インドネシアの豆腐・テンペ製造にかかわる業者は11万4,547事業所、協同組合は191組合、従事している労働者の数は33万4,181人である。多くが家族経営などの零細・小規模経営である。実際、市中での大豆価格は、3カ月前の1キログラム当たり8,200ルピアから現在では1万ルピア弱へ上昇した。5月以降、価格抑制のために貿易大臣令が連発されたが、効果は上がっていない。

豆腐・テンペが日常食のインドネシアには、日本や中国と同様、大豆発酵食品文化の長い歴史があり、とくにテンペは日本の納豆と並ぶ健康食品である。古くからジャワ島を中心に大豆が栽培され、スハルト時代に食糧調達庁が流通を制御して価格を安定させた結果、1992~94年に大豆の自給を達成するほどだった。日本も大豆増産支援をかつて行った。

ところが、今では大半が輸入大豆である。2013年の大豆の国内需要見通しは約230万トンで、うち160万~170万トンが輸入である。大半が米国からの、しかもインドネシア政府公認の遺伝子組み換え大豆である。粒が大きい、価格が国産より安い、供給が安定している、味も国産大豆より美味しい、との理由で、豆腐・テンペ業者は輸入大豆を選好する。

今回の大豆の問題は、イスラム教の断食明け大祭(レバラン)前に価格が急騰したニンニクとほぼ同じである。結局、利益を得るのは輸入業者であり、価格操作やカルテルの疑惑が生じる。政治家も利権に群がり、汚職へ走る。国産大豆増産へ戻るのはもはや手遅れである。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第54回 国軍司令官の交代(2013年9月12日)

ユドヨノ大統領は8月30日、退役する国軍司令官アグス・スハルトノ空軍大将の後任にムルドコ陸軍参謀長を任命した。国軍幹部人事は、国会承認を得ることが義務付けられており、今回の人事も8月27日に国会承認を受けた。

国軍司令官ポストは、陸・海・空の参謀長が交代で就くのが慣例として10数年前から定着しており、今回、陸軍トップが国軍司令官となるのも順当な人事である。しかし、ムルドコが陸軍副参謀長から陸軍参謀長に就任したのが今年5月22日であり、陸軍参謀長を実質わずか3カ月務めての国軍司令官就任は、異例の速さと言える。

ムルドコ新国軍司令官は1957年、東ジャワ州クディリの貧しい家庭に生まれた。1981年に国軍士官学校を優秀な成績で卒業後、ジャヤ陸軍区(ジャカルタ)参謀長、陸軍戦略予備軍第1部隊司令官、タンジュンプラ陸軍区(西・中カリマンタン)司令官、シリワンギ陸軍区(西ジャワ)司令官、国軍防衛研修所(レムハナス)副所長、陸軍副参謀長などを歴任した。

先週号の週刊誌『テンポ』は、ムルドコ新国軍司令官の持つ資産について報じている。それによると、総資産額は321億8,522万3,702ルピア(約2億8,900万円)と45万米ドル(約4,500万円)であり、ユドヨノ大統領の76億1,600万ルピア(2009年)、前任のアグス・スハルトノ国軍司令官の37億ルピア(2010年)と比べても、破格に多い額である。ムルドコの説明では、建設労働者から成り上がった義父の所有するさまざまな土地の相続、公務で海外勤務した際の手当を貯めたもの、ということである。

かつて、インドネシア政治を分析する際には、国軍幹部人事を抑えるのが鉄則で、陸軍特殊部隊や陸軍戦略予備軍、および東ティモールなどでの野戦経験の有無、軍高官との上下関係・ネットワークなどを細かく見ていた。しかし、もはや軍の政治介入はなく、国軍幹部人事を分析する重要性は薄れてきた。メディアはむしろ汚職の匂いを嗅ぎ回っている。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第53回 現職優勢の東ジャワ州知事選挙(2013年9月5日)

東ジャワ州知事選挙は8月29日に投票が行われ、30政党以上の推薦を受けた現職のスカルウォ州知事=サイフラー・ユスフ州副知事のペア「カルサ」が当選確実の情勢である。

同選挙には「カルサ」のほか、闘争民主党推薦のバンバン=サイド組、民族覚醒党の推薦を受けたコフィファ=ヘルマン組、独立系のエギ・スジャナ=シハット組の4組で争われた。民間世論調査会社LSIのクイックカウントでは、「カルサ」が得票率47.91%を獲得し、それをコフィファ=ヘルマン組(37.76%)が追う展開となった。

元女性エンパワーメント担当国務大臣のコフィファは、国内最大のイスラム社会団体ナフダトゥール・ウラマ出身の女性政治家である。当初、東ジャワ州選挙委員会は、「カルサ」推薦の2政党がコフィファ=ヘルマン組も二重推薦したとの理由で、後者の立候補を却下した。それに対し、コフィファ側から選挙実施顧問会議に不服申立がなされ、それが認められたため、滑り込みで立候補できたという経緯がある。

不振だったのは、闘争民主党推薦のバンバン=サイド組で得票率はわずか11.05%だった。選挙運動には、ジャカルタ特別州のジョコ・ウィドド(ジョコウィ)州知事も駆け付けたが、彼の応援で勝利した先の中ジャワ州知事選挙の再現はならなかった。その原因は必ずしもジョコウィにあるわけではない。バンバン自身の知名度の低さとともに、スラバヤ市長2期、スラバヤ副市長1期半ばで辞職、という彼の露わな権力欲への批判もあった。本来、スカルノ初代大統領の出身地で闘争民主党の強力な地盤である州中南部のマタラマン地方でさえも、バンバン=サイド組は振るわず、「カルサ」が勝利した。

民主党党首のユドヨノ大統領は選挙運動前の断食期間中、約1週間にわたり、州内をくまなく回った。ジャカルタ、中ジャワと州知事選で闘争民主党が勝利するなか、民主党員・スカルウォ州知事の万全の勝利が、民主党の存続と総選挙への準備に不可欠だったのである。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第52回 出稼ぎ労働者が地域経済を支える(2013年8月29日)

8月18~19日、インドネシア外務省の肝いりで、ジャカルタで第2回海外在住インドネシア人会議が開催された。現在、海外在住のインドネシア国籍保持者およびインドネシア系外国籍保持者は、26カ国に約2,000万人いるとみられるが、政府が公式に把握しているのは約800万人にとどまる。その中には、約200万人の出稼ぎ労働者が含まれるが、インドネシア経営者協会(Apindo)によれば、実際には700万~800万人とみられる。

インドネシア人出稼ぎ労働者は、サウジアラビア、カタールなどの中東諸国だけでなく、シンガポール、マレーシア、台湾、香港、韓国などのアジア諸国にも在住し、主に男性は建設現場や工場での単純労働、女性は家事・看護・介護労働に従事している。近年、格安航空網の発達で彼らの移動はスムーズになり、どこへ行っても、彼らと出会うことが多い。

毎年6%台の経済成長が続き、雇用機会も拡大しているインドネシアにおいて、海外へまだ多数が出稼ぎに行く現状は、根強い地方の貧困層の存在や彼らを吸収しえない国内労働市場の構造問題を示唆する。実際、彼らが帰国した後の就業や起業は難しく、政府もようやくその支援に乗り出し始めた。また、海外出稼ぎ労働者の技能・熟練度を高め、労働力の質を上げなければ、2015年の東南アジア諸国連合(ASEAN)自由市場化を控えて、インドネシアは単純労働力の送り出し国にとどまったままになる、という危機意識も政府内にある。

しかし、その一方で、彼らがインドネシア国内へ送る海外送金は、インドネシアにとっての貴重な外貨収入であり、その額は2013年上半期に37億1,600万米ドル(約3,610億円)と推計される。とくにレバラン(イスラム教の断食明け大祭)前には送金額が急増し、彼らの郷里の地域経済はその恩恵を受けることになり、しばしば「外貨獲得の英雄」と持ち上げられる。また、彼らの海外送金は、今の厳しい国際収支の状況を若干なりとも緩和してくれる。

きらびやかな首都ジャカルタの発展の陰で、「英雄」たちの海外送金は、地域経済を支えている。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第51回 雇用調整は中進国への試練(2013年8月22日)

経常収支悪化、外貨準備高減少、ルピア安、物価上昇、6%を割った経済成長率。インドネシア経済に黄信号がともっている。こうした中、国内では労働集約型産業での雇用調整が少しずつ表面化してきている。

8月のイスラム教の断食明け大祭(レバラン)を前に、中ジャワ州クドゥスのたばこ製造会社では、解雇を言い渡された従業員1,070人が退職金やレバラン手当の支払いを求めてデモを行った。たばこ産業といえば、多数の低賃金労働者を雇用する典型的な労働集約型産業であるが、昨今の禁煙の広がりに加えて、労働コストの上昇が企業経営を難しくしている。クドゥスのほか、ジャカルタのチャクンやマルンダなどでも、このたばこ製造会社と同様のデモが起こった。

インドネシア経営者協会(Apindo)のソフィヤン・ワナンディ会長によると、製靴業ではすでに少なくとも4万4,000人が解雇されたほか、韓国、台湾、日本、インドなど外資系の労働集約型企業の工場閉鎖や撤退により、約10万人が職を失ったと見られている。ソフィヤン会長は、最低賃金の大幅な引き上げなどを政府が容認し、それに対する労働集約型産業への配慮を怠った結果であると認識し、政府の対応を批判している。

1人当たり国民所得が3,500米ドルを超えたインドネシアの労働集約型産業は、もはや低賃金を武器に輸出を伸ばした1980~90年代のそれとは異なる。本来ならば、生産性や効率性を視野に入れたワンランク上の輸出志向の工業化を目指さなければならないのに、政府はそれを怠り、市況の良かった石炭などの一次産品輸出へ回帰してしまった。この間、中国などから工業製品が流入し、それに対抗できない労働集約型企業は徐々に消えていった。

生産性や効率性を度外視して雇用すれば政府が喜ぶ時代は終わった。地場企業でさえも、機械化や合理化を推進し始めている。雇用調整を迫られる現況は、経済悪化による一時的な話ではなく、中進国へ向かうインドネシアの不可避的な試練なのである。

 

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帰国、5月末まで日本

4月7日に帰国して10日が過ぎた。慌ただしかった3月のインドネシアでの日々とは打って変わって、東京の家族とともに、ゆったりした時間を過ごしている。じと~っとした熱帯の湿気に慣れた肌は、さわやかな春の東京でやや乾燥肌になっている。

帰国した4月7日は真冬日だった。「冬」が再来する前に、ソメイヨシノは終わってしまっていたが、新宿御苑や小石川植物園でヤエザクラを見ながら、今年の花見を楽しんだ。

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今回は、5月末まで日本の予定である。自分なりに活動の区切りをつけるべく、頭を冷やそうと思っている。次のステップへ向けての準備期間でもある。

今後の活動の主拠点は、日本に置く。東京か福島か、どちらをそのメインとするかを思案中であるが、その両方を日本での活動拠点とすることは決めている。

東京の自宅はあまりにも居心地がよく、家族と和んでいると、ついついだら~っとしてしまいがちなので、自宅の近くのレンタルオフィスに仕事場を作ることにした。自宅から徒歩10分、24時間いつでも利用可能。本棚などを入れて、自宅に溜まった本の一部を移動させる。

インドネシアは、今後の活動の副拠点とする。帰国前に、スラバヤとジャカルタに居場所を確保し、引っ越しや家具等の調達も終わらせてきた。インドネシアでの活動拠点は、今のところ、スラバヤとジャカルタだが、マカッサルを追加することも検討している。

5月までに自分の個人会社を設立する予定だが、まだいくつか検討事項があり、ややゆっくりと進めている。すでに単発の仕事の話はいくつか来ているが、昨年度までのジェトロのような長期の契約の仕事はまだない。

今のところ、1年の半分を日本、半分をインドネシアで活動する計画であるが、さらにそれ以外の国での活動も加えたいと思っている。

ローカルとローカル、ローカルとグローバルを結んで、新しい何かが起きていくためのプロフェッショナルな触媒となる。

日本とインドネシアの計4つの拠点を行き来しながら、自分にしかできないような仕事をしていきたいと思っている。

 

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