【お知らせ】よりどりインドネシアのオフ会+交流会を検討中

ちょっと更新が途切れました。三連休も終わり、私は今週末まで福島です。

毎月2回発行している情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア」は、2月7日発行分で第39号となりました。購読者数も70名ほどとなり、少しずつ増えてきています。バックナンバーは以下のリンクからご覧ください。

 よりどりインドネシアのバックナンバー

一般のメディアではなかなか伝えられない、いくつものインドネシアを伝える日本語媒体にしていきたい、と願って発行してきましたが、そろそろ、購読会員のオフ会+交流会を行いたいと考えています。

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会のスタイルをとくにかっちり決める必要はないと思いますが、一般の講演会スタイルではなく、もう少し参加者同士の距離が近い、トーク+自由討論(意見交換)に食事または飲物付き、という感じで考えています。参加された方の誰もが自由に発言し、それをもとに対話するという形を採りつつ、内容は易しくかつ正しいものにしていきたいと思います。

もちろん、購読会員に限定せず、よりどりインドネシアに興味のある方や、そのときのテーマに関心のある一限さんも歓迎、という緩やかな会になればと思います。この会を通じて、新たに購読者になってくださるならば、それはもちろん、存外の喜びです。

会の頻度ですが、できれば毎月、難しければ2~3ヵ月の1回ぐらい、と考えています。毎回、ゲストをお招きしたいと思っていますので、「話題提供者になってみたい」という方は遠慮なくお知らせください。また、こちらからも一本釣りで、話題提供者になっていただけるよう、お願いしていく予定ですので、よろしくお願いいたします。

インドネシア在住の方で、たまたまその頃一時帰国するよ、という方、是非、話題提供者になっていただきたいので、お知らせください。

東京、ジャカルタ以外でも、開催できればと思いますので、ご希望の方はお知らせください。スケジュール調整をいたします。費用面の相談は後ほど、ということで。

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とりあえず、まずは3月半ばにジャカルタで、3月後半または4月初めに東京で、私が話題提供者として、「2019年大統領選挙・総選挙とその後のインドネシア」という話をしようかなと思っています。できれば、ゲストもお招きして、トークの形で話をしたいとも思っています。

日程が確定しましたら、改めて告知いたします。よろしくお願いいたします。

メダンのインド人街出口(2019.1.20)

Siap menjadi penasihat untuk daerah-daerah di Indonesia

Bersama ini, saya menyatakan bahwa saya siap menjadi mitra atau penasihat untuk pemerintah daerah, perusahaan daerah, perguruan tinggi / sekolah di daerah, kelompok masyarakat daerah di Indonesia.

Bergaul dengan Indonesia sejak tahun 1985

Saya pernah bertugas di Jakarta, Makassar, dan Surabaya. Pada tahun 1995-2001 dan 2006-2010, saya bekerja sebagai tenaga ahli JICA dan penasihat kebijakan pembangunan daerah Kawasan Timur Indonesia termasuk Sulawesi, Kalimantan, Maluku, Papua, NTB dan NTT. Sudah pernah mengunjungi 28 provinsi selama ini.

Di Jepang saya bertugas sebagai ahli dan pengamat ekonomi-politik Indonesia di Institute of Developing Economies (IDE-JETRO) pada tahun 1985-2008 selama 23 tahun.

Siap menyambung pihak Bapak/Ibu dengan pihak lokal Jepang

Saat ini atas nama Matsui Glocal LLC, sebagai badan hukum Jepang, kami berjuang menyambung antara lokal dan lokal tanpa batas.

Misalnya, saya berjuang untuk menyambung antara daerah di Jepang dan daerah di Indonesia berdasar dari berbagai pertimbangan seperti kemiripan posisi geografis, ekonomi, dll. Kami mengutamakan apa yang bisa saling belajar dan mengajar secara setara antara lokal dan lokal dan hubungannya bisa melanjutkan jangka panjang.

Maka, kami perlu mengetahui tujuan dan maksud kerjasama jika pihak Bapak/Ibu ingin mencari mitra lokal di Jepang dan tempat lain. Berdasar informasi tersebut, kami akan menyampaikan beberapa calon mitra lokal, misalnya pemerintah daerah di Jepang.

Siap menjadi penasihat kebijakan pembangunan daerah

Tugas kami bukan itu saja.

Sebagai ahli kebijakan pembangunan daerah termasuk Gerakan OVOP (One Village One Product Movement), kami bisa menjadi mitra tentang ide, pikiran, masukan tentang perencanaan, kebijakan dan mengusul berbagai alternatif dan program kepada pihak Bapak/Ibu.

Siap membantu pemagangan ke Jepang yang lebih efektif

Saat ini Jepang menghadapi berbagai kesulitan misalnya kekurangan tenaga kerja di UMKM karena penurunan jumlah penduduk dan makin banyak generasi lansia. Banyak UMKM Jepang mulai memanfaatkan tenaga kerja asing atas nama program pemagangan.

Namun program ini juga bisa dimanfaatkan untuk mencetak tenaga kerja yang memiliki kemampuan teknis yang dibutuhkan untuk daerah-daerah di Indonesia jika sudah direncanakan demikian dari awal.

Tentu saja kami ingin membantu proses pencetakan tenaga kerja terampil dengan pembuatan rencana tersebut bersama pihak Bapak/Ibu.

Bisa kontak kami, bisa kontrak dengan kami

Jika pihak Bapak/Ibu berminat, silahkan kontak kami. Jika pihak Bapak/Ibu berminat kontrak kami sebagai penasihat atau advisor, kami akan siap draft surat kontrak melalui konsultasi dengan pihak Bapak/Ibu. Silahkan mengirim email ke matsui@matsui-glocal.com, atau pakai formulir dibawah ini, atau kirim WA ke +62-811-4106670.

Terima kasih atas perhatiannya.

Bersama rekan-rekan Bappeda Provinsi Gorontalo, 15 April 2010.

Bersama Kepala-Kepala Bappeda Provinsi se-Sulawesi, 24 April 2010.

大学時代のサークルが100周年だった

大学時代に所属していたサークルが100周年を迎えていました。それに気づかせてくれたのがフェイスブックでした。

先週のとある日、大学時代のサークルの一つ上の先輩たちが久々に集まって温泉旅行に行った、という記事がフェイスブックに上がっていました。友達関係にある私の先輩が投稿したものでした。

写真が付いていて、懐かしい先輩方の顔があって、思わず、「いいね」を押してしまったら・・・。

写真に写っていた、懐かしいもう30年以上会っていない先輩からフェイスブックで「友達申請」が来て、承認して友達になったら、すぐにその先輩からメッセージが来ました。

そんなこんなしているうちに、大学時代の所属サークルである男声合唱団が2月3日に100周年記念演奏会を行なうことを知りました。

はい、実は、高校、大学と男声合唱をやっていました。トップテナーでした。

大学を卒業してからは、合唱など全くしていないのですが、一時期、ジャカルタで男声合唱を再開しようと思ったことがありました。でも、「月光とピエロ」の高音が出ず、断念しました。

ともかく、100周年記念演奏会へ行くことにしました。

行ってみたら、もう歴代の先輩方がたくさん来られていて、私の代など、まだまだ若手。OBの男声合唱団は団員の平均年齢が70歳代なのでした。

合唱を人生の友として長年歩んでこられた方々の熱さに、一時期は自分もそうだったのに、圧倒されました。

その熱さになぜかついていくことができず、そそくさと会場を後にしたのでした。

でも、また、時々、聴きに行くことと思います。

外国人材を地域づくりの戦力に

このタイトルにちょっと違和感を感じる方がいるかもしれません。なぜそう考えるのか。少し書いてみたいと思います。

2018年6月、ひょんなことから、北陸経済連合会の関連団体である北陸AJECが主宰する共同調査「北陸企業の外国人材の採用・活用-現状と課題-」のメンバーに加えていただき、報告書の1章を執筆することになりました。

この調査自体は、もともと北陸の大学などへの留学生を中心とした高度人材を地域がどのように活用するか、という観点から行われていたものです。ただ、北陸企業の現場では、やはり技能実習制度に係る問題が高い関心を示していることから、それについて私が担当することになったのです。この関連で、2019年3月26日に金沢市で講演することになりました。

2019年4月からは改正入管法による新たな在留資格「特定技能」が創設され、技能実習から特定技能へ、研修から労働力へ、大きな転換が進んでいくという見方がメディアなどに散見されます。現在、様々な角度から、この動きについてウォッチし、今後どのように改革を進め、方向性を打ち出していくのが望ましいか、自分なりに色々と思案中です。

それは、今まさに直面している人手不足問題にどう対応していくかという問題を超えて、これから20年、30年後の日本社会がどのようになっていくのか、どうなっていくのが人々にとって望ましいのか、幸せになるのか、ということまで構想(妄想?)したうえで、今の動きを捉えていかなければならない、と個人的に思っているからです。

たとえば、地域を再生・活性化させるには、「よそ者、若者、ばか者が必要だ」といった議論がありますが、どんな「よそ者、若者、ばか者」が必要で、彼らがどのように必要なのか、どのように振る舞うのか、といったことをより深く広く考える必要があります。

そこで、ふと思うのです。「よそ者、若者、ばか者」って、性別とか出自とかで制限されるのか、と。そして、日本人に限られるのだろうか、と。

「よそ者、若者、ばか者」が地域社会やそこの人々と関わるときには、適切な関わり方というものがあります。そこに移住するだけが関わり方ではないのです。時々住んでみたり、複数拠点の一つにしたり。遠くに住みながらもずっとその地域を気にしながら応援し続ける、というのもありだと思います。

そこで、次のような考えが頭に浮かびました。

人口流出や高齢化、過疎によって人口わずか1000人の地域。もしもその地域が好きで、気になって、応援したいと思う応援団が(たとえば)10万人存在すると分かったら、その地域は、そこに住んでいる1000人のためだけの場所ではなくなるはずではないでしょうか。

きっと、そこに住んでいる人には、なぜ、よその人が10万人も自分の地域を好いてくれているのか、分からないかもしれません。そこで言えることは、よその人には、そこに住んでいる人には感じられない何らかの価値や魅力を感じている、ということです。もしかすると、それは地元の人々にはあまりにも当たり前すぎて、何も感じないのかもしれません。

その地域が好きだというファンを、別に日本国内だけに限定する必要はありません。世界中にその地域のファンが何万人もいる、ということを意識した地域づくりや地域振興は、今までのそれとは確実に違ったものになるはずです。

この着想は、実は、高知県馬路村がどうやって存続し続けてきたか、ということから得たものです。馬路村農協の様々なユズ加工品を通じて、村の人口の何倍もの馬路村ファンが全国にいるのです。

海外の方々にもそうしたファンになってもらうことは可能ですよね。

村から若者が流出してしまい、若い世代といえば、外国からやってきた技能実習生ぐらい、というところも少なくないかもしれません。でも、3年もの長期にわたって地域で生活する彼らは、「よそ者、若者、ばか者」になれるのではないでしょうか。

日本国外で応援してくれるその地域の外国人ファン。その地域で生活する技能実習生たち。それらの外国人材を、地域づくりの戦力として活用する方策を考える時代になってきたのではないでしょうか。

地方にとってこそ、外国人材との共生は待った無しの状況です。外国人材を入れるか入れないか、という悠長なことは言っていられない状況だと思います。そうだとするならば、共生を超えて、地域の外国人材を「よそ者、若者、ばか者」としてどのように地域のために活用するか、を考え始め、準備する時期にもう来ているのだと思います。

「よそ者、若者、ばか者」って、性別とか出自とかで制限されるのか、と。そして、日本人に限られるのだろうか、と前述しました。外国人材だけでなく、様々な人材を地域づくりの戦力にしていくのだと思います。

そのために努力することは、必ずしも、英語を勉強することではありません。

それは、地域の魅力を高めることです。

地元の人が魅力だと思っていることと、よそ者が魅力と感じるものは同じとは限りません。それを意識しながら、地域の魅力を高める。それは新しく作った魅力でもいいのです。

そのためには、どうしたらいいのか。

このブログで、今後、折に触れて、私なりの考え方を示してみたいと思います。

なお、私自身は、日本だけでなく、インドネシアでもアフリカでも、世界中どこでも、地域づくりに関しては、まったく同じく、提示してきた(提示していく)考えです。

先日のインドネシア・中アチェ県の県都タケゴンの市場にて。
中アチェ県農業局の友人による撮影。
中アチェ県の地域づくりについて同様に考えていきます。

日本における外国人材に関する調査会に出席

共同調査「北陸企業の外国人材の採用・活用」第4回調査会が東京で2019年1月29日に開催され、出席しました。この調査会は、北陸地方での外国人材の活用について議論するために、北陸AJEC(環日本海経済交流促進協議会)が主宰しています。

私自身は、調査会メンバーとして、従来の技術実習制度と新たな在留資格「特定技能」についての原稿を担当し、第1稿を北陸AJECへ提出しました。

北陸AJECは、2019年3月26日に金沢で「北陸企業の外国人材の採用・活用セミナー」を開催する予定で、当日は、私も講演者の一人として登壇いたします。

Hadir pada Rapat Studi tentang Pekerja Asing di Jepang

Rapat Studi ke-4 tentang Pekerja Asing di Jepang dilakukan di Tokyo pada tanggal 29 Januari 2019. Rapat ini dikoordinasikan oleh Hokuriku AJEC (Around Japan sea Economic exchange Conference) untuk membahas mengenai pemanfaatan pekerja asing di daerah Hokuriku.

Sebagai anggota, saya mengajukan draft pertama tulisan saya tentang program pemagang pelatihan selama ini dan status domisili baru “keterampilan spesifik” kepada Hokuriku AJEC.

Hokuriku AJEC akan mengadakan Seminar tema ini di Kanazawa pada tanggal 26 Maret 2019, dan saya diminta untuk menjadi salah satu pembicara dalam Seminar tersebut.

Attend the Study Meeting on Foreign Workers in Japan

The 4th study meeting on foreign workers in Japan was conducted in Tokyo, 29 January 2019. This meeting is coordinated by Hokuriku AJEC (Around Japan sea Economic exchange Conference) to discuss about utilization of foreign workers in Hokuriku area.

As a member, I submitted the first draft of my paper on technical trainee program and new resident status “Specific Skill” to Hokuriku AJEC.

Hokuriku AJEC will conduct a seminar of this theme in Kanazawa in 26 March, and I was asked to be one of speakers in the seminar.

福島で久々にフレコンバッグを見た

1月27〜28日は福島市でした。雪を予想して、東京から雪靴を履いて行ったのですが、1ヶ月前に比べると大したことはありませんでした。

それでも、歩道の一部は残った雪が凍って歩きづらくなっていたし、オフィスのある古民家の周辺は、溶け始めた雪で土がドロドロになっていて、雪靴で良かったと思いました。
今回の用事の一つは、税務署に年末調整の書類を提出すること。一人会社とはいえ、一応、法人なので、内容はなくても、書類は1月末までに提出する必要があります。28日の朝に出向いて、すぐに終わりました。
税務署を出るときに、ふと前を見ると、黒いフレコンバッグの積まれた山が見えました。久々に見ました。
筆者の実家からはだいぶ前に撤去され、もうずいぶんとフレコンバッグは撤去されたと思っていたのですが、ここにはまだ残っていました。残っているのもあるのはあるのでしょうが、久々に見たので、ちょっと新鮮でした。
ここから歩いて5分ぐらいのところの仮設住宅は今は廃墟のようになっていて、住まわれている方はいない様子でした。
除染土はまだ、身近に残っていました。

あの出来事から今年でまもなく8年。まだ8年。まだまだ8年。

タケゴンのラウト・タワル湖の朝

1月17日、中アチェ県タケゴンからアチェ州の州都バンダアチェへ出発して直後、朝日に光るラウト・タワル湖を眺めました。

ちょっと逆光になってしまったのですが、なかなか神秘的な景色です。

坂の下からバイクがどんどん上がってきます。

神秘的な景色をしばし堪能した後、まずは、海岸の町ビルンを目指して、山の一本道を下っていきました。

なお、この道は、我々がタケゴンを後にした後、先週、土砂崩れで一時通行不能となったようです。

タケゴンは美しい街だった

しばらくブログ更新が空いてしまいました。やはり、少しずつでも、できるだけ頻繁に更新していったほうが良いですよね。

というわけで、久々のブログ更新です。

先週、1月13~19日は、インドネシアのスマトラ島の北端アチェへ出張してきました。

といっても、アチェ州の州都バンダアチェではなく、中アチェ県のタケゴンというところです。バンダアチェから車で片道9時間かかる、山のほうのアチェです。

ただし、今は、メダンからタケゴン・レンベレ空港まで飛行機で1時間程度でアクセス可能となりました。ただし、航空会社はあのライオン・エアの子会社ウィングス・エアですので、利用しようという気にはなかなかなれません。

タケゴンの辺りは「アチェ」というよりも「ガヨ」(Gayo)という地名のほうが一般的です。昔から、ガヨの人たちは海岸部に住むアチェの人たちとは自分たちを区別していたようです。

中アチェ県の県都タケゴンは、予想以上に美しい街でした。丘に登って、街を眺めました。

タケゴンは、淡水湖であるラウト・タワル湖のほとりに広がる街です。

街は湖と山々に覆われ、実に風光明媚な落ち着いたたたずまいです。

盆地であるこの街は、ある意味、自給自足的な地域経済を回しているところのように思えました。ジャワなどから入ったフランチャイズはかなり少なく、KFCが昨年、1軒オープンしたのが目立ちました。

アチェと言えば、長年、インドネシア国軍と独立派勢力が軍事的に衝突してきた場所として知られますが、タケゴンとその周辺もそれから別世界だったわけではないのです。

それでも、持ちこたえられたのは、タケゴンを中心としたこの地域の経済的な強さ、というかしたたかさがあったからではないかと思います。

タケゴンはまた、特産のアラビカコーヒー「ガヨコーヒー」の集散地としても知られています。ガヨコーヒーはすでに地理的表示保護(GI)を取得しているのと、エコ・ラベリングにも積極的に取り組んでいます。

コーヒーに続いて、柑橘類も地理的表示保護を取得しました。今後、中アチェとは、この柑橘類の栽培・加工・販売に関する農民研修でお付き合いすることになります。

また、タケゴンへ来るのが楽しみです。

アチェへの出張(2019.1.13-1.19)

2019年1月13〜19日、JICA草の根事業「越知町の知見を活かした中アチェ県の柑橘資源6次産業化プロジェクト」のキックオフ・ミーティングのため、メダン、タケゴン、バンダアチェを訪問しました。

キックオフ・ミーティングは1月16日にタケゴンで開催され、中アチェ県知事自身が議長役を務めました。また、越知町での3年間の研修プログラムに参加する3人の研修員候補者にも面会しました。

研修を通じて、彼らが柑橘資源を活用するビジネス指導者になり、アチェの柑橘農家の能力向上に寄与することを願っています。

Perjalanan Dinas ke Aceh (13-19 Jan 2019)

Pada tanggal 13-19 Januari 2019, saya mengunjungi Medan, Takengon, dan Banda Aceh untuk membantu pertemuan pemulaian Proyek Industrialisasi Ke-enam (Budidaya, Pengolahan dan Promosi) Sumber Daya Jeruk di Kabupaten Aceh Tengah dengan Memanfaatkan Pengetahuan Kota Ochi.

Pertemuan pemulaian atau kick-off meeting diadakan pada tanggal 16 Januari di Takengon, dan bertemu tiga kandidat peserta pelatihan yang akan ikut serta program pelatihan di Kota Ochi selama tiga tahun.

Saya berharap mereka akan menjadi pemimpin bisnis untuk mengembangkan industri sumber daya jeruk dengan meningkatkan sumber daya manusia petani-petani jeruk di Aceh dalam waktu dekat.

Business Trip to Aceh (13-19 Jan 2019)

In 13-19 January 2019, I visited Medan, Takengon, and Banda Aceh to support the kick-off meeting of the Project for Sixth Industrialization (Cultivation, Processing and Promotion) of Citrus Resources in Central Aceh District Utilizing Knowledge of Ochi Town.
The kick-off meeting, directly chaired by Bupati (District Head),  was held in 16 January in Takengon, and met three trainee candidates who will participate the training program in Ochi Town for three years.

I hope they will be business leaders to develop citrus resource industry with improving human resource of citrus farmers in Aceh in the near future.

教えないコンサルティングを目指して

自分は一応、コンサルタントと名乗っています。敢えて、教えないコンサルティングを標榜していきたいと思っています。

以前、JICA専門家でインドネシア政府に対する地域開発政策アドバイザーを務めたとき、アドバイザーやコンサルタントがどのような仕事だと見なされているかを理解しました。

ひと言でいえば、解決策を示してくれる仕事。

こうすればこうなるから、私が言ったとおり、このようにしなさい。そのようにペーパーを書いて、助言する。問題を解決してくれるスーパーマン、と言っても間違いではないでしょうか。

コンサルタントはその解決策を示して、対価としての報酬を受け取りますが、それを実行するのはコンサルタントにお願いした側です。

実行すると、コンサルタントが作文したとおりにはなかなかうまくいかないし、さらなる助言を求めるとなると、コンサルタントにさらなる報酬を支払わなければならなくなります。

コンサルタントは、「それは実行する能力が不足しているからだ」と言って、能力向上のための新たな研修プログラムの導入を勧めます。

その研修プログラムを導入した側は頑張って、能力向上の印として終了証をもらいます。そして、再び、コンサルタントの解決策に取り組みますが・・・。

コンサルタントという語を援助供与国・機関と置き換えても同じでしょう。

インドネシアでも日本でもどこでも、今日もまた、これと同じような出来事が起こっているかもしれません。

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この場合、コンサルタントが示した解決策は、本当に正しかったのでしょうか。コンサルタントが解決策を導くプロセスに、相手側はどれだけ関与したのでしょうか。

まず、最初の問題設定が間違っていたとしたらどうでしょうか。そう、最初にボタンの掛け違いが起こっていたとしたら、です。

相手側からすれば、都会から来たコンサルタントがいう問題設定が、まさか間違っているとは思わないかもしれません。思っていたとしても、「頭がいい人が考えたんだからきっと何か真実があるのかもしれない」「コンサルタントは組織トップの知り合いだし、政治家からの紹介でもあるから、間違っているなんて言って怒らせたらあとでどうなることか」などと考え、口をつぐむかもしれません。

次に、コンサルタントの仕事に相手側はどれだけ関わってきたでしょうか。住民を集めた公聴会なども開かれるかもしれませんが、そこでの発言に何らかの忖度が全くないと言い切れるでしょうか。

問題解決へ向けて、本音が出ているでしょうか。

本音が出るためには、その場が何を話しても安心できる場でなければなりません。そういう場をコンサルタントは作れているでしょうか。

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自分は、相手に問題解決を教えに行くのではなく、相手から本当の問題は何かを教えてもらいに行くという立場を採ります。

ちょっと、危なっかしいでしょうか。大丈夫か、この人は、と相手から思われるかもしれません。

もちろん、相手とお会いするまでに、二次情報だけでも、入手可能な限りの情報は収集し、できる限りの相手や地域に関する情報は頭に入れておきます。その段階でできる、自分なりの仮説も立てておきます。

でも、それは、自分の中に閉まっておきます。まずは、相手から教えてもらいます。

相手から話をお聞きしながら、簡単な対話を始めます。相手が答えやすい対話を続く限りしていきます。そのプロセスのなかで、自分が頭に入れてきた情報の再整理を行い、仮説の修正を続けていきます。

相手に対して、最初に「問題は何ですか」とは絶対に訊きません。だって、問題が分かっていれば、解決策もおのずとわかるはずだからです。

対話を続けながら、最初に「問題」と思っていたものが本当にそうなのか、違う角度からみなければならないのではないか、実はもっと違うことが「問題」だったのだ、というような気づきが起こっていくこともよくあるものです。

対話のプロセスを通じて、相手が納得する「問題」にたどり着いたとき、相手はそれが自分自身とも関わりのある「問題」だと認識できるのではないでしょうか。

ここで初めて、「問題」に対して相手がオーナーシップを感じ始める。すると、その「問題」は、誰かよそ者に解決してもらうのではなく、自らもその解決へ向けて関わっていかなければならない。自分事として認識するようになります。

そうなれば、後は、コンサルタントが何を言おうとも、自分たちで捕まえた真の「問題」を解決しようと自分たちで動き始めるのではないでしょうか。そうなれば、コンサルタントの立場は助言を適宜与える程度の従となり、いずれは必要とされなくなる存在となります。

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私は、そのような、教えないコンサルティングを自分のモットーとしていきます。

地域をこれからどうしていったらいいか分からない、という漠然とした不安を持った方々とお会いし、対話を続けたいのです。そして、いつの間にか、コンサルタントが何かするのではなく、そこの方々が自分で何かしていくようにコンサルタントが適切に促す、という転換を起こしたいのです。そして、必要がなくなれば去る、という具合です。

インドネシアでも日本でも、様々な地方の実状を知りながら、そんな風に思っています。教えないコンサルティングは確実に求められている・・・、と。

そして、これは、日本全国の地方をめぐりながら、その土地土地の人々の話を丹念に聞き、適切な助言を行い、勇気づけ励ましてきた、尊敬する宮本常一氏の生き方に近づくことなのかもしれないと改めて思いました。

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でも、それはどうやってビジネスとなるのか。対価をどうもらうのか。

そこが当面の大きな課題です。家族をどうやって養っていくのか。自分たちがどうやって生活していくのか。

日々、できる限りの経費節約に努めつつも、現実の世界に目をつぶるわけにはいきません。自分なりの生活を成り立たせる経営モデルを造らなければなりません。

それでもなお、私は、教えないコンサルティングを目指していきます。

こうしたやり方に価値を見い出していただける方々と一緒に、まずは活動していきたいと思います。私と対話してみたいと思われる方は、いつでもご連絡ください。

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1月13~19日は、インドネシア・アチェへの出張へ行ってきます。羽田空港国際線ターミナルは、キラキラしていて、まぶしいぐらいでした。

ふくしま光のしずくイルミネーション

1月8日、福島を発つ前に、パセオ通りの光のしずくイルミネーションをちょっと眺めました。

今や、全国どの地方都市でも、冬にこうしたイルミネーションをつけるのが流行っています。このときは、パセオ通りを歩く人影も少なく、青っぽい色の光だったこともあり、ちょっと寂しい感じがしました。

寂しい感じ・・・。それは、45年以上前のにぎやかなこの通りをどうしても思い出してしまうからです。

あの頃、私がまだ小学生だった頃、この通りは、すずらん通りという名の福島で最もにぎやかなアーケード商店街でした。

おもちゃを買うのはトイランド、運動用品はオノヤ、文房具はくさの、美味しい果物は阿部庄、音楽関係はあきたやか日野屋、といった名店が揃っていました。

トイランドもくさのも、とっくの昔になくなってしまいました。オノヤは別の場所へ移転しましたが、あとの店はまだパセオ通りに健在です。

子どもの頃、母親や弟たちとトイランドへ行くのがどんなに楽しみだったことか。くさので好きな文房具を選ぶのがどんなにうれしかったか。

私の子ども時代の思い出がすずらん通りにはいっぱいありました。

45年以上経って、再びあの頃を思い出しながら、その年月の長さと移ろいゆく街の景色をずっとかなたに眺めていました。

そこにきらめいていた光のしずくイルミネーション。

私には、どうしても、力がなくなって弱くなってしまった街の涙のように思えて仕方がありませんでした。

時代は変わったんだよ、と、パセオ通りという名になった元すずらん通りがポツリとつぶやいた気がしました。

ユーミンの「あの日に帰りたい」を口ずさんでしまいました。

古民家の囲炉裏を囲んで新年の宴

1月5日は福島へ戻り、囲炉裏を囲んで新年の宴をしました。

我がオフィスのある福島市泉の敷地内には、明治6年に建てられた茅葺屋根の古民家で国登録有形文化財である「佐藤家住宅」があります。

そして、「佐藤家住宅」の北側に、30部屋ほどのサービス付き高齢者向け住宅「しみずの里」を建設中です。「しみずの里」は本年4月オープン予定で、入居者を絶賛募集中です。詳しくは、以下のサイトをご覧ください。ご興味のある方は、私のメールアドレスまでご連絡ください。

 しみずの里ホームページ
 しみずの里ブログ
 しみずの里インスタグラム

「佐藤家住宅」全景。手前の池は泉という地名の基になった泉。
145年前に建てられた「佐藤家住宅」はもともと養蚕農家の茅葺きの家で、
佐藤家は元県知事も輩出した名家。(2017年4月撮影)

今回の新年の宴は、「佐藤家住宅」と「しみずの里」に関わる方々の新年会でした。

囲炉裏を囲んで餅を焼き、福島の正月料理を食べ、竹を切った特製お猪口でとっておきの日本酒を味わう、という催しでした。

何といっても、福島を代表する正月料理と言えば、いかにんじん。松前漬から昆布を抜いたようなものですが、両者には関係があるようです。

「時代は幕末。幕府が梁川藩(現伊達市梁川町)と松前藩(現北海道松前町)の領地を移し替える国替えを行った。その時、いかにんじんが北海道に渡ったのか、松前漬が本県にもたらされたのかは定かではない」(出所:【食物語・いかにんじん】ルーツ謎めく名脇役 素朴な味わいと食感

下の写真の左上がいかにんじんです。

日本酒も美味しく、正月料理もはずんで、いつもよりずいぶん飲んでしまいました。寒かったですが、囲炉裏の火を見ていると、本当に心が和んでくるのが分かります。

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今年は、サービス付き高齢者住宅「しみずの里」が4月にオープンするのに合わせて、国登録有形文化財「佐藤家住宅」を管理・運営するための法人化を含む組織づくりを行っていきます。

この「佐藤家住宅」をめぐる空間を、サービス付き高齢者住宅「しみずの里」の入居者だけでなく、地域住民の方々、外国の方を含む地域外の方々、子どもたちからお年寄りまで、誰もが楽しく、気持ちよく、生き生きと過ごせる空間にしていきたいと願っています。

よろしければ、「佐藤家住宅」を一度見にいらっしゃいませんか。また、この空間で何か催し物をしてみたい方、一緒に何かしてみたい方、古民家再生に関心のある方などいらっしゃいましたら、私のメールアドレスまでお気軽にご連絡ください。

勉強会、読書会、懇親会、ワークショップ、セミナー、お稽古ごとの練習、ゲートボール、子どもの遊び場、演奏会、映画上映会など、いろいろできると思います。

今年8月、ちょっと面白い企画がこの空間で行われるかもしれません。まだ構想段階ですが、どうぞお楽しみに。

2019年新年のご挨拶

あけましておめでとうございます

弊社は、地方政府、地方企業、地域の人々と一緒に、新しい価値を生み出すために、相互学習・協力を通じたローカル同士のネットワークづくりを進めていきます。

弊社は、地域レベルでの国際化を担う人材育成により関心を向けてまいります。

弊社は、あえて「教えない」コンサルティングを標榜し、ローカルの方々が地域づくりにおける自らのオーナーシップを失うことなく、高められるように支援していきます。

弊社は、同じようなビジョンを持つ世界中の仲間やパートナーを探していきたいと思っています。弊社における「グローカル」と言う用語は、地域間ネットワークのグローバル化という意味で使っています。

弊社にご興味のある方は、遠慮なくご連絡ください(matsui@matsui-glocal.com)。私から面会に出向かせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

インドネシアからマカッサル国際作家フェスティバルを主宰する作家・詩人たちが福島のオフィスを訪問(2018年8月)

Ucapan Tahun Baru 2019

SELAMAT TAHUN BARU 2019 !

Kami terus mempromosikan jaringan lokal-sama-lokal untuk saling belajar dan kerjasama untuk membuat nilai baru bersama pemerintah lokal, perusahaan lokal, dan masyarakat lokal.

Kami lebih peduli pada pengembangan sumber daya manusia dengan internasionalisasi di tingkat lokal.

Kami melakukan kegiatan konsultasi “tanpa mengajar” untuk meningkatkan rasa kepemilikan lokal untuk pengembangan lokal.

Kami mencari banyak teman dan mitra dengan visi yang sama untuk mempromosikan jaringan lokal-sama-lokal di dunia. Kami menggunakan istilah “glocal” sebagai globalisasi jaringan lokal-sama-lokal tanpa batas.

Silahkan hubungi saya (matsui@matsui-glocal.com) jika anda berminat. Kami akan datang untuk bertemu dengan anda. Terima kasih atas perhatiannya.

Pengurus Makassar International Writers Festival [MIWF] mengunjungi kantor saya di Fukushima (Agustus 2018).

Season Greetings 2019

A HAPPY NEW YEAR 2019 !

We continue to promote local-to-local network for mutual learning and cooperation to create new value with local government, local companies and local people.

We more concern to human resource development with internationalization in local areas.

We conduct consultation activities “without teaching” to enhance local ownership for local development.

We search for many comrades and partners with the same vision to promote local-to-local network in the world. We use the term “glocal” as globalization of local-to-local network without border.

Please contact me (matsui@matsui-glocal.com) if you are interested. I will come to meet you. Thank you for your attention.

Main committee members of Makassar International Writers Festival [MIWF] from Indonesia visited my office in Fukushima (August 2018).

我が家の近所の一風変わった「門松」

妻と一緒に、近所の天祖神社へ初詣に出かけました。

自宅近くの大塚駅南口は、天祖神社の門前町のような雰囲気を今も残しています。そこで、よくイメージされるのとは異なる「門松」を見つけました。

店の両端に背の高い竹が立てられ、その間の軒先に注連飾が掛けられています。竹の高さは2メートル以上あり、葉はついたままです。

他の店にも、同様の「門松」を見かけました。

地元民である妻によると、彼女がまだ小さい頃の年末の商店街は、どの店にもこうした「門松」が立てられ、高いところの竹の葉が、ずうっとたくさん揺れていたそうです。

かつては、毎年、鳶(トビ)の親方が売りに来る「門松」用の竹を買って、正月過ぎまで立てて、その後は、竹は洗濯物を干すための竿竹にしり、先端に切り込みを入れて柿の木の柿をとったり、短く切って垣根にしたりと、自分の家で使ったそうです。

妻の祖母や母は、そうした竹を活用する術を知っていて、毎年、「門松」あがりの竹を色々使っていたようです。

長い竹を使った「門松」を立てている店や建物は、昔から存在するところばかりです。その数は、片手で数えられるぐらい、本当に少ないものでした。

すなわち、大塚駅の周辺の物件のほとんどは、新しいものばかりだと言えます。第二次大戦後ほどなく、大塚駅のとくに北口の物件の多くは、新しくやってきたよそ者(外国籍の方々を含む)に買われたと言います。昔からの住民が所有する物件は多くありません。

今も、店の盛衰が激しく、一年も経たずに新しい店へどんどん取って代わられていきます。そんな物件には、「門松」は全く見当たりません。

先の長い竹を使った「門松」は江戸時代からのもののようです。鳶の方々がずっと伝えてきたもので、彼らの年末の重要な仕事であり続けたのでしょう。

長い竹ではなく、途中で切った竹を使うバージョンも幾つか見られました。

我が家の門の前の門松も、このバージョンです。毎年、旧知の鳶の方がやってきて、クリスマス前に立ててくださいます。そして、松が明けると撤去してくださいます。

ちなみに、大塚駅北口から自宅までの間で、「門松」を立てているのはわずか2軒でした。いずれも、妻が幼い頃から存在するお店でした。

我が家のすぐ近くで、かすかに残っている「江戸」を感じられたひとときでした。

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