インドネシア・国立ブラウィジャヤ大学で連続講義

日本が10連休の間、4月29日、4月30日、5月2日の3回、インドネシア・東ジャワ州マラン市にある国立ブラウィジャヤ大学経済ビジネス学部で、連続講義を行いました(ちなみに、5月1日はメーデーでインドネシアの祝日)。

同大学では、1セメスターの間に、自学教員、民間人、外国人の三者を組み合わせた三位一体型講座(3 in 1 Programと称している)を積極的に進めています。このような形式の口座構成を採ることが、大学評価に大いにプラスになるということです。

会場の壇上には、以下のような横断幕が掲げられていました。

講義のテーマはこちらで設定してよいということでしたので、4月29日は「財政分権化と地方財政」、4月30日は「インドネシアとの比較でみる日本の現代経済開発史」、5月2日は「地域振興戦略:日本の一村一品運動をインドネシアの地域開発政策の文脈で考える」とし、授業用のパワーポイントを作成して臨みました。

会場の前の席には、大学院修士・博士課程に在籍する学生らが陣取り、その後ろに、学部学生が座っていました。大学院生の多くは、地方政府職員や地方大学教員で、リビアからの留学生もいました。彼らは学位を取るためのプログラムに所属している者たちでした。講義のテーマがテーマだったので、とくに大学院学生の関心のとても高い様子がうかがえました。

1回あたりの講義は約2時間で、もちろん、すべてインドネシア語で行いました。この大学では、英語での授業も普通にあるようで、最初にインドネシア語で講義を始めたときには、学生たちにちょっと驚きの顔が見えたのが印象的でした。

そもそも国立ブラウィジャヤ大学経済ビジネス学部で講義を行うことになったのは、同学部長との出会いがあったためです。

3月6日、依頼があって、東京・六本木の政策研究大学院大学(GRIPS)で、インドネシア工業省高官に対して、インドネシアの工業団地への日本からの農業関連投資の誘致について、講義をする機会がありました。このときは、友人であるGRIPSの教授が同席するということで、講義はインドネシア人に対して英語で行うという、変則的な形になりました。

このとき、たまたま、ブラウィジャヤ大学経済ビジネス学部の学部長がGRIPSを訪れ、そのGRIPSの教授に面会しました。筆者もその席に呼ばれて、学部長らと歓談しましたが、その席で、ゲスト講義への打診がありました。できれば、断食月の前に、という話でした。

もちろん、その場で承諾したのですが、4月に入っても、しばらく、先方から何の連絡がありませんでした。これまでの経験からすると、きっと話はなくなったのではないか、という気になり、半ばあきらめていました。

しかし、4月半ばになって、突然、「講義をお願いします」との連絡があり、4月18日からのインドネシア出張を前に、急遽、準備を進めることになりました。インドネシアに着いてからも諸々あって、結局、講義用のパワポは、講義の直前に仕上げるという状況になってしまいました。

それでも、大学側は、滞在中のホテルを用意・費用負担したのはもちろん、ジャカルタ=マランの往復航空賃も負担し、毎回、車で送り迎えし、講義が午前中だったので昼食も用意してもらい、「薄謝ですが」と言いながらも、日本と比べてもそん色ない講師料を支払ってくれました。

国立ブラウィジャヤ大学経済ビジネス学部は、GRIPS以外にも、立教大学などとも提携し、教員や学生の交流を行っています。また、同大学の日本語学科は近年、学生が日本への公的留学に係る日本語試験で上位を占めるなど、レベルの高い日本語教育を行っている機関として注目されています。

筆者にとって、インドネシアの大学で授業や講義を行うことはとても刺激的であり、彼らからの質問やコメントから様々な見解を得られることは大きな喜びでもあります。可能であれば、少人数でのゼミやフィールドでの活動を彼らと一緒に行ってみたいという気持ちもあります。

インドネシアでは、この国立ブラウィジャヤ大学以外にも、大学院修士を卒業した国立インドネシア大学をはじめ、マカッサル時代に相当に深く付き合った国立ハサヌディン大学、愛知県立大学の仕事などで講義以外に大学生のカウンセリングも行った国立ガジャマダ大学など、様々な大学と関係を持ってきました。現在、ブラウィジャヤ大学と同じマラン市にある有名私立大学でも客員教員として授業や講義を行う計画があります。

残念ながら、日本では、これまで大学などで授業や講義を行う機会があまりありませんでした。実際、大学教員公募に応募したこともありますが、恥ずかしながら、採用には至りませんでした。そうこうしているうちに、自分で法人設立し、自由に動くことを選択してからは、組織に縛られる生き方ができない体になってしまいました。

現場をより優先させたことで博士号を取らなかったことや、年齢的なこともあり、これから日本のどこかの大学で教員となることはほぼ無理だと思っています。ただ、特任教員や集中講義であれば、可能かもしれないとは思っています。

インドネシアの大学と提携・連携したい日本の大学関係者がいらしたら、協力させていただくことは可能です。とくに、まだ日本への留学生を送り出していない、インドネシアの地方大学で日本の大学との提携・連携したいとの希望が多数出ています。必要に応じて、両者をつなげるお手伝いができればと思っています。

滞在許可手続が終了、いろいろ簡略化

11月12日からインドネシアに来ています。まずは、マランに滞在し、外国人暫定滞在許可(ITAS)の手続を終わらせました。イミグレに出向いて写真撮影、指紋採取をし、翌日にはパスポートが返却されました。

現在のITASは、オンラインで管理されていて、ITASオリジナルとITAS簡易版がメール添付で送られてきます。ITAS簡易版をプリントアウトし持ち歩く、または、スマホにITAS簡易版を入れてもいいのかもしれません。提示の必要があれば、そのいずれかを見せればいいのでしょう。

昔のようなカードはなくなりました。大昔、外国人暫定滞在許可証はカード式で、それを紛失したことがありました。このカードの再発行のために、イミグレや州法務局を何度も往復し、1ヵ月以上の時間を費やしました。

オンライン化された現在、ITASが紛失することはありません。万が一、プリントアウトしたITAS簡易版がなくなっても、またプリントアウトすればいいのです。そうそう、以前「ブク・ビル」(Buku Biru)と呼ばれた外国人出入国管理記録帳も必要なくなりました。

また、複数回再入国許可もITASと併せて取得できるのもよいです。以前は、複数回再入国許可は別途取らなければならなかったので、滞在許可期間と適合せずに頭を悩ませたものでした。

さらに、警察での手続も、エージェント経由で本人出頭が不要とのことでした。以前は、写真撮影と指紋採取があるため、本人が出頭する必要がありました。写真と指紋の情報は、イミグレと共有するようになったと思われます。もう、指紋採取後、トイレの前の固形石鹸で手を洗わなくてよくなったのだなあと感慨深いものがあります。

昔はいつも、暫定滞在許可カード、ブク・ビル、警察証明カード等を持ち歩いていたものですが、今は、ほとんど何も持ち歩く必要がなくなったのは、とても気楽な気分です。

まあ、しっかりとすべての省庁にオンラインで管理されていて逃げられない、という意味もあるでしょう。日本のシステムも進んでいるのでしょうが、再発行手続などで面倒極まりなかった過去のインドネシアのシステムが、地方都市のマランでも、ここまで改善されているとは、正直、驚きました。

グンポルの労働者送り出し機関を訪問

今日(9/25)は、グンポルにある海外への労働者送り出し機関であるLPK Prima Duta Sejati (PDS) を訪問しました。

PDSは1999年に設立され、インドネシア労働力省から認定された送り出し機関として、これまで香港、台湾、シンガポールへ、様々な職種のインドネシア人労働者を送り出してきました。単に送り出すだけでなく、送り出しの前に、送り出し先の言語習得と、職種に応じた職業訓練を施しています。

実際、メイド向けには掃除機の扱い方、洗濯機の扱い方、送り出し先に合わせた調理方法、乳幼児への対処法などの訓練が行われます。介護士向けには、ベッドに寝たきりの方に対する介護手法や、歩行器を使った歩行訓練への補助方法、トイレでの介助法などが訓練されます。

訓練機関は約6ヶ月間で、香港、台湾、シンガポールに受け入れ関係機関も設置し、20年かけて培ってきたノウハウを存分に活用しているということでした。

新たに、PDSは日本の技能実習研修生向けの日本語研修と技能研修を始めました。今後、日本からの様々な職種の技能実習生の受け入れ要請に応える送り出しを行っていくとのことです。

技能実習生の受け入れに興味のある日本企業があれば、是非教えて欲しいということでしたので、ご興味のある方や情報のある方は、個別メールにて matsui@matsui-glocal.com までご連絡ください。

私自身も、インドネシアと日本とを繋ぐ一環として、インドネシア人技能実習生制度が本当の意味での人材育成に資するような形で運営されていくように、微力ながら関わっていきたいと思うようになりました。

そして、何らかの研修終了証明書が発出され、それがインドネシア側で認知され、研修生の帰国後の再就職に役立てられるような仕組みを、様々な方々と一緒に作っていきたいと思い始めました。

さしあたり、日本にいるインドネシア人技能実習生が、インドネシア語でいつでも相談できるホットラインを作りたいと考えています。ご賛同・ご協力いただける方は、個別メールにてご連絡ください。

来週はインドネシア・東ジャワ州へ

今晩(9/23)の便で東京を発ち、9/30までインドネシア・東ジャワ州へ行きます。24日夜と29日夜はスラバヤ泊、25〜28日はマラン泊です。

今回の用務は、今までとはちょっと異なり、民間ベースの用務で、今後の展開を考えると、なかなかチャレンジングなものです。

インドネシアの地方と日本の地方とをつなぐという意味でも意義があり、私にとっても、新たな分野への挑戦になりそうな予感がします。また、これから私たちが、どのような社会を作っていくのか、ということにも大きく関わってくるような気がします。

ちょっと思わせぶりな書き方になりましたが、調査研究ではなく、かといってがっちり儲けるビジネスでもなく、社会起業家というほどかっこよくもない感じです。泥臭くて、収益がそんなに上がらない、でも大きな意味があるもの、と捉えています。

ともかく、久々のスラバヤ、マランを味わってきます。

インドネシアの大学の先生方を福島へ

8月1日、インドネシアのマラン・ムハマディヤ大学の先生方5人を福島市へお連れしました。朝、羽田に到着し、そのまま東京駅から新幹線で福島へ来ました。

今回の訪問は、今年4月に私が同大学でゲスト講義を行なった際に話が出ていたもので、福島をテーマとした新しいプログラムを立ち上げる可能性を探るための来訪です。

福島駅近くのホテルへ到着。でも午後3時までチェックできず、一息入れる間もなく、ホテルのカフェでそのままミーティングへ。でも、今回の福島訪問では、実は、このミーティングが一番重要だったのでした。

ミーティングの後、ようやくチェックインし、夜行便でできなかったマンディ(水浴)をした後、どうしても私のオフィスを見たい、ということで、飯坂電車に乗って、オフィスへ向かいました。

私のオフィスの敷地内にある古民家に感嘆し、オーナーの話にいちいち頷く面々でした。オーナーの実家の畑で採れた旬の桃を頬張って、「リンゴより美味しい!」と感嘆の声を上げています。

もちろん、私のオフィスにも来ていただきました。急に強い雨が降り出し、しばらくオフィスで雨が弱まるまで待機せざるを得ませんでした。

先生方の福島訪問は本当にわずかの時間ですが、福島をテーマとした新しいプログラムへのヒントはつかめたようです。うまくいけば、来年の今頃、そのプログラムが実現するかもしれません。私も、その準備に楽しく関わっていくことになりそうです。

マラン・ムハマディヤ大学の学生との討論会で講演

今日は朝9時から、マラン・ムハマディヤ大学で国際関係学科の学生たちと討論会がありました。学生側から希望されたもので、中間試験期間中にもかかわらず、40〜50人ぐらいの学生が集まりました。

会場は、校内のアル・ファッフルディン・モスクの1階です。このモスクには、アラビア語教室、国際関係学科の図書館、カウンセリング室など、様々な機能の部屋が設置されています。

私の講演テーマは、「グローバルの挑戦に対するローカルの強化:インドネシアと日本のケース」(Kekuatan Lokal dalam Menghadapi Tantangan Global: KAsus di Indonesia dan Jepang)というもので、このお題でインドネシア語での講演を40分ぐらいやった後、学生との質疑応答セッションとなりました。

講演では、今、なぜ、グローカルなのか、という話を中心に、生活の中での身近な事例をあげながら、グローバリゼーションという抽象的なものをどのように捉えたらいいのか、といったことを考えてもらう内容にしました。

出席した学生はとても熱心で、居眠りしている者は見当たらず、メモを取りながら聴いてくれている学生も多数いました。

質疑応答セッションでは、次々に手が上がり、活発に質問してくれたので、こちらも真剣に答えることができ、とても充実したセッションとなりました。

やはり、学生たちと真正面から真剣に議論し合うのは、本当にいいものですね。学生たちにとっても、何か少しでも、有益なものが伝わっているといいなと思いました。

自分でいうのもなんですが、こういうのが自分は好きなんだな、と改めて思いました。そして、インドネシアでも日本でもどこでも、正解を求めるためでも勝ち負けを決めるためでもない、自分たちが自分たちの頭で一生懸命考えるための対話の機会を、少しづつでもつくっていけたらいいなと思いました。

当初乗る予定だった午後3時マラン発のスリウィジャヤ航空便がキャンセルとなり、一便前の午後12:50発へ繰り上げになったため、討論会の後は、T先生にマラン空港まで送ってもらい、ずいぶんと早目にジャカルタに着いてしまいました。これから、シンガポール経由のLCC乗り継ぎで東京へ戻ります。桜がまだ見頃だといいのですが。

マラン・ムハマディヤ大学を訪問

今回のマラン行きは、マラン・ムハマディヤ大学を訪問することが目的です。同大学政治社会学部のT先生の招きで大学を訪問し、先生方や学生らと色々話をしました。

この大学は、インドネシアのイスラム社会団体であるムハマディヤが経営している大学の一つで、全国各地にあるムハマディヤ大学のなかで評価の高い私立大学で、インドネシア政府が認定したAクラス大学(国立29校、私立15校)の一つです。

英語で授業を行う国際クラスにも力を入れていて、ガルーダ・インドネシア航空の機内誌にその広告がよく載っています。学生数は3万人を超え、3つのキャンパスがあり、第3キャンパスはマラン市、マラン県、バトゥ市のちょうど境界に建っています。なかなか学校経営がやり手で、経営が悪化した遊園地を買い取って、教育機能を持った施設へ帰る計画もあるようです。

まず、政治社会学部国際関係学科の先生方と面会し、意見交換をしました。T先生は、私を客員として招聘して授業をしてもらいたいという希望を持っているようで、その話を追って内部で検討するということになりました。

次に、同大学調査・社会貢献局で同局の先生方と面会し、意見交換しました。この局は教員や学生の調査・研究の実施管理や、知の社会還元を意識した実地授業(KKN)の実施運営を行っている部署です。

今後、日本の大学と提携して、学生たちが一緒にフィールドワークを行うプログラムを行いたいという話でした。すでに複数の日本の大学と協力関係を持っており、まずはそこでのプログラムのさらなる発展という文脈で考えてみることをアドバイスしました。そして、必要に応じて、私からも協力することを約束しました。

調査・社会貢献局の方々からは昼食に招かれ、さらに歓談が続きました。

夜は、T先生の友人であるジャーナリスト、華人系団体代表、女性活動家、大学教師などと一緒に、夕食の後、約2時間半、自由に意見交換を行いました。話し合ったトピックは、グローバリゼーションとローカルの対応、インドネシア農業の今後、環境保全、日本との関係など、多岐に渡りました。

今日お会いした皆さんは、私の話を真剣に聞いてくださり、議論も前向きのものが多く、有意義な内容でした。今後、何らかの形で、マラン・ムハマディヤ大学と日本の大学などとの交流とそこからのさらなる展開を生み出していけるよう、引き続き、彼らとコンタクトを取りながら話を進めていきたいと思いました。

4月5日までスラバヤ、マラン

今夜のエアアジアで再びインドネシアへ向かいます。

ちょうど、海外から日本へ桜を観に来る方が多いせいか、LCCといえども、思ったよりも運賃が高かったのですが、やむをえません。帰国日がなかなか決まらなかったので、帰りも、ジャカルタから片道のLCC(タイガー+スクート)です。

今回は出張ではなく、プライベートです。スラバヤで2年間借りていたアパートの部屋の契約を3月31日で終了するため、部屋に置いたままになっている私物の片付けを行うのが主たる目的です。

スラバヤへ行く頻度が昨年来大きく減ってしまい、部屋を借り続けるのが経済的負担になったというのが理由です。これからの活動の中で、今後、スラバヤをどう活用していくかも考えてきたいと思います。

スラバヤ行きを友人たちに知らせたところ、縁あって、マラン市にあるムハマディヤ大学も訪問することになりました。スラバヤでの片付けが終わった後、マランへ移り、同大学の教員である友人が色々と予定を組んでくれています。

帰国は4月5日午前中です。それでは、行ってきます。

またまたインドネシアへ

今年何回めのインドネシア出張になるのでしょうか。9月27日から、またまたインドネシアへ出張します。

今回は、10月23日にいったん帰国し、28日に名古屋で講演した後、30日から11月5日まで再びインドネシアへ行きます。

今年はこれでインドネシア出張は打ち止め、と思っていましたが、11月の後半に1週間程度、ジョグジャカルタへ出張することになりそうです。

今年は当初、次のステップへ向けてじっくりと日本で会社設立しようと思っていたのですが、3月からJICA案件に関わり、それが11月まで続き、思ったよりも自分が関わらざるをえない部分が大きかったので、じっくりと言うわけにはいかなくなってしまいました。

でも、そのJICA案件は、日本の地方自治体とインドネシアの地方政府を農業・畜産業分野で連携させることは可能かどうかを実際に調査する内容。国境を越えて、ローカルとローカルを結びつけて新しい何かを起こす、を今後の仕事の使命と考えている自分にとっては、願ってもない内容の案件でしたので、関わることにしたのでした。

案件自体の中身やプロセスの是非はともかくとして、自分にとっては良い機会になったと思います。5年以上前から、ローカルとローカルをつなげて新しい何かを起こすことを考えてきたのですが、それが果たして、今後の世界にとって有用なことなのか。

砂糖の山に群がるアリのように、美味しいところに入って行って他の人のようにやった方が楽だったのではないか。そんなことを思いながら、これがコンサルタント・ビジネスとして成り立つのだろうか、という疑問を抱き続けてきました。

そして今、少しずつ、それが確信に変わり始めています。

砂糖の山でいっぱいの国や中央ではなく、なぜローカルなのか。そしてなぜ、自分はいったん知り合いとなって触れ合ったローカルと一生付き合う覚悟をするに至ったのか。

そう、自分の顧客となったローカルとは、先方から「もういいです」とお引き取り願われた場合を除いて、プロフェッショナルとして、一生ずっとお付き合いをしていく覚悟を決めました。ローカルの味方として生きていく覚悟を決めました。

よろしくお願いいたします。

では、またインドネシアへ行ってきます。

(上写真)本邦招へいプログラムを終えた、インドネシア・東ジャワ州バトゥ市農林業局長、マラン市農業局アグリビジネス部長とインドネシア料理レストラン「チャベ」で会食。バトゥ市、マラン市と福島市とを結んで、新しい何かを生み出す中長期的な連携を関係者とともに構想中です。今回の出張中に、バトゥ市とマラン市で彼らと協議を進めていきます。