今週は福島、来週はスラウェシ

久々の投稿となってしまいました。

8月15〜17日は、妻と一緒に福島へ行っていました。

まずは、実家の母や弟たちと一緒に、亡き父の墓参りへ行きました。

翌日は、盆休み中の弟と妻と一緒に私のオフィスへ行きましたが、床が汚れていると言って、さっそく掃除。ホームセンターで必要な備品を買い物した後、オフィス入口の床板が腐食していたので、応急措置をしました。

オフィスと同じ敷地内にある、雨上がりの古民家。古民家のオーナーに挨拶し、妻を紹介して、しばし歓談しました。
8月15〜16日は盆休みの弟が、そして17日は弟の嫁が我々の相手をしてくれました。
実家に帰る途中で、季節も終わりかけの桃「あかつき」を箱買いして、実家で食べました。もちろん、硬くて甘い桃でした。
福島から東京へ戻り、18日は都内でなかなか有意義な会議を終え、明日20日からは、ダリケー株式会社による、インドネシア・スラウェシへのカカオ農園ツアーのお手伝いに行ってきます。
帰国は27日。今年はどんなツアーになるか、どんな面白い方々とお会いできるか、楽しみです。

FUKUSHIMARTを訪問、若手農業生産者と会う

今日は、友人のM氏の紹介で、彼がプロデュースに協力したFUKUSHIMARTを訪問してきました。

FUKUSHIMARTは、三春ハーブ花ガーデン(郡山駅からタクシーで約15分)の一角にあり、6月1日にオープンしたばかりの施設です。12人の農業生産者が自ら加工品を生産し、それをこの場所に陳列して、販売しています。12人でローテーションを組んで、生産者自らが売り場に立ち、来客者と直接コミュニケーションし、自分の作った商品の魅力を伝えています。

他には見かけない、ちょっと工夫した商品としては、瓶の中に果物やバラなどがあらかじめ入っていて、それに炭酸水やアルコール飲料を加えて冷やすと、美味しいサングリアや果実酒になる、といった商品(自家製サングリアの素、自家製果実酒の素)がありました。

また、福島県ではもう珍しくなってしまった、昔ながらの製法で作った醤油やそれをベースにした油醤油(にんにく味、唐辛子味、カツオ味)などもありました。

これらの他にも、君のためのマヨネーズ、僕のためのマヨネーズ、娘のためのたまご、妻のためのたまご、東和の桑のほうじ茶、蜜入り紅玉りんごジュース、あだたら山のミルクジャム・ジンジャーシロップ、奥川源流米、食べるバラ・コンフィチュール、カレーのお米、玄米コーヒー、食べる紅茶、もろみふりかけ、ヨーグルトシュガー、西洋野菜(カーボロネロ、黒大根。黄金カブなど)、創作麺(つるつる菜っ葉麺、ゴンボ麺、アカモクうどん)などが陳列されています。
FUKUSHIMARTに来れば、これらを作った農業生産者から直接、商品に関する説明を受けることができます。説明はとても丁寧なので、10分も15分も彼らと話し込んだりしてしまいます。
この場所は、モノを売る場所であると同時に、来客者とのつながりを作る場でもあるのです。12人の農業生産者は一つのチームとして組織されており、各人が自分の売上だけを考えているわけではありません。若い自分たちが先頭に立って、震災後の福島において、積極的に6次化に取り組み、農業の新しい方向性を作っていこうと前へ動き始めたように見えました。
彼らの商品の一部は、東京及びその周辺で開かれるマルシェに出品されるほか、福島県のアンテナショップである日本橋ふくしま館MIDETTEでも販売されています。
今日は、地元テレビ局の生放送が入るということで、残念ながら、彼らとゆっくり話をすることはできませんでしたが、また次回訪問したときには、改めてゆっくり話を聞けたらと思います。
とりあえず、創作麺は福島市で製造し、食べさせてくれるところがあるので、近いうちに、創作麺を食べに出向くことを生産者のS氏と約束しました。

福島のあんぽ柿をいただく

月曜日の会でご一緒した、元飯舘村、今は避難先の福島市の椏久里コーヒー店のマスターから、お土産であんぽ柿をもらいましたので、早速いただきました。

あんぽ柿というのは、福島では干し柿のことを指します。渋柿を硫黄で燻蒸して、屋根の軒先に吊るして、吾妻山系から吹きつける北西の冷たい風にさらして乾燥させます。普通の干し柿だと、乾燥させると黒く固くなって糖分の粉を吹きますが、あんぽ柿はそうならず、半生のような感じで、甘くて柔らかいのです。なお、硫黄は揮発するので、毒性はありません。

主産地は、宮城県境に近い福島県伊達市梁川町五十沢(いさざわ)地区で、11〜2月が収穫・出荷の最盛期となります。

もともと、この地域は幕末の頃から養蚕が盛んでしたが、大正期になると生糸産業が衰退へ向かいました。その頃、五十沢の有力者たちが養蚕に代わる農産物を探し求め、その結果、あんぽ柿をはじめとする果樹産品への転換が進んでいったとのことです。

あんぽ柿の袋には、検査済みマークが貼られています。福島県あんぽ柿産地振興協会が放射性物質の検査を行い、食品衛生法に定める一般食品の基準値(キロ当たり100ベクレル以下)を満たすものだけを出荷しています。

あんぽ柿の放射性物質検査情報は毎週更新され、以下のサイトで見ることができます。

 あんぽ柿検査情報

東京電力福島第一原発事故から2年9カ月後の2013年12月になって、あんぽ柿の出荷は再開されました。しかし、あんぽ柿は、柿を乾燥させるため、乾燥に伴って柿の中の放射性物質濃度が高まる恐れがあるため、出荷にあたっては、これまで細心の注意が払われてきました。

実際、福島県は、2016年12月15日付で、「あんぽ柿・干し柿等の「カキ」を原料とする乾燥果実の加工自粛と一部出荷再開について」という通達を出しました。現状で基準値を超えるものはほとんど出ていないものの、さらなる万全を期すために、監視を続けていく姿勢を示しています。

 あんぽ柿・干し柿等の「カキ」を原料とする乾燥果実の加工自粛と一部出荷再開について

あんぽ柿の出荷が再開されたとはいえ、基準値を上回るものは市中に全く出回っていないとはいえ、まだまだ監視の目を緩めるわけにはいかないのです。

福島県は、「基準値を超える可能性があると判断した市町村は加工自粛するように」と呼びかけていますが、今のところ、そのような市町村はないようです。これも万が一に備えての呼びかけであって、もうすでに危ないから自粛を呼びかけているのではありません。

あんぽ柿の検査プロセスは、以下のサイトに図解されています。すべてのあんぽ柿が全量非破壊検査を受け、食品衛生法に定める一般食品の基準値(キロ当たり100ベクレル以下)よりもずっと厳しいスクリーニングレベル、すなわちキロ当たり50ベクレルを超えたものがトレーに混じっていれば、そのトレーの柿はすべて廃棄する、としています。

 平成28年度あんぽ柿の検査イメージ

福島県から出荷されるあんぽ柿は、全量、サンプルではなくて全量、放射性物質検査を受けています。その数は、2016年11月〜2017年1月で314万7768個です。そのうち、キロ当たり50ベクレルのスクリーニングレベルを超えたものはわずか1955個(すべて廃棄)で、キロ当たり25〜50ベクレルが4万6320個、測定下限値のキロ当たり25ベクレル未満が309万9493個でした。

特筆できるのは、上記について、その検査結果がすべてデータとして残されている、ということです。どこから出荷されたあんぽ柿のいつの放射性物質検査結果がどうだったのか、というデータがすべて残されているのです。

福島県では、米の全量全袋検査が今も継続されていますが、たとえば、平成26年産米では、2014年12月31日までに1077万点以上を検査し、基準値超えは0点でした。これも、すべてデータが残されています。

日本の他の都道府県・市町村で、福島県よりも厳しい放射性物質検査を行っているところはあるでしょうか。それらが福島県のものよりも安全だと客観的に示せるデータを持っているでしょうか。

外国へ日本から農産品を輸出する際、放射性物質に関する客観的なデータを求められることがありますが、それに日本で対応できるのは、実は福島県だけなのではないでしょうか。

言われのない中傷や風評がなくならず、避難した子どもがいじめに遭うなど、福島をディスる動きはまだなかなか消えませんが、そんな中で、農産物の放射性物質検査を根気強く行い、データを残すという、地道な努力を続けてきた福島は、市場の評価とは裏腹に、いつの間にか、客観的な安全安心のトップランナーになりつつあるのです。

こうした安全安心への地道な取り組みを見ているのは、日本国内だけではありません。世界のバイヤーが見ています。安全安心を求める世界の農業関係者が見ています。

福島の農産物を食べないのはけしからんとは思いません。食べてくださいと懇願するつもりもありません。食べるか食べないかは個々人の自由な判断によるからです。

でも、何の客観的根拠もなく、福島を心配するようなふりをして、福島のものを食べる人をディスるのはやめてほしいのです。心の中で福島をディスるのは個人の自由ですが、それを口に出す必要はないはずです。

今は検査結果が良くても、来年も再来年も大丈夫だとは言えない。その思いは、未来に対して謙虚だからこそ、なのです。それゆえに、万が一に備えた条件付きの「加工自粛」を呼びかけたり、膨大な検査データを残し続けているのです。

もしかすると、この福島の安全安心への地道な取り組みが、世界の安全安心へのモデルとみなされていくかもしれません。

あんぽ柿を作っている農家さんの姿を想像しながら、そんなことを思いました。そして、がぶっとかじった柿は、甘くてとても美味しいのでした。

センバルンの夜は寒かった

東ロンボク県のセンバルンは、このブログでも取り上げたように、標高1000メートル以上の高原に立地しています。高原野菜の産地で、あらゆる野菜が栽培されています。

とくに盛んなのは、トウガラシ、ジャガイモ、シャロット(赤ワケギ)、ニンニク、キャベツ、レタス、ナス、トマト、ブロッコリー、スイートコーンなどの野菜。イチゴ、メロン、オレンジなどの果物。

メロンとスイートコーンは、BSDのイオンモールで売られていますので、きっと見たことのある方も多いことでしょう。センバルン産とはどこにも書いてありませんけれども。

センバルンは、リンジャニ山への登山口でもあり、土日ともなると、登山の観光客などで賑わいます。観光客が帰る前に、畑へ行くと、実は、そこで野菜や果物を直接買うことができるのです(土日のみ)。

畑への入場料として15,000ルピアを払い、好きなだけ摘み取って、キロ当たりいくらで買うことができます。観光農園ではないのですが、フツーの畑でそれをやっています。

センバルンの農地は火山灰土で水はけが良く、土中に病原菌がないというニュージーランドの専門家の調査があるようです。ジャガイモもニンニクも、インドネシア各地で病気にやられていたときに、センバルンでは病気が発生しなかったということです。

ジャガイモの大半は大手食品メーカーのインドフードと契約栽培していますが、インドフードはこの病気フリーのジャガイモというところに目をつけたものと思われます。

畑地では、次々に栽培する作物を変えながら連作障害を避ける工夫をしています。

もっとも、有機栽培というわけではなく、化学肥料をけっこう使用していました。かつては肥料も農薬も使わなかった、ということなのですが。

それはそうと、今回は、初めてセンバルンに泊まりました。センバルンには、何軒か宿泊できる宿があり、意外に清潔で新しいところがあります。私が泊まったのは、Pesona Rinjaniという宿で、コテージで1泊50万ルピアでした。

宿の前には広い敷地があり、コテージがいっぱいになると、そこにテントを張ってお客さんに泊まってもらうこともあるのだそうです。

宿の目の前には、リンジャニ山がドーンとそびえていて、雄大な眺めです。

しかし、センバルンの夜を侮っていました。夜の気温は、おそらく10度前後まで下がり、部屋にある毛布1枚ではとても寒い。長袖のウィンドブレーカーを着ていても、夜風が冷たく、寒くて仕方ありませんでした。

お連れした兵庫県の方々も、「まさかロンボクでクーラーなしでもこんな寒い経験をするとは思わなかった」と言っておられました(怒っていたわけではないので助かりましたが・・・)。

そして、朝8時過ぎになると、急速に気温が上がり、汗ばんできます。この昼夜の気温の差がまた野菜栽培に適しているのかもしれません。

インドネシアで涼を求める方には、センバルンでの宿泊をお勧めします。ただし、寝袋や温かいオーバーなどを忘れずに。

福島で亡き父の墓参

旧盆も終わりですが、8月16〜18日は福島市の実家へ帰省しています。久々に、家族3人揃っての帰省となりました。

台風が来る前に、亡き父の墓参に行きました。父は、東日本大震災の前年に亡くなり、今年が七回忌に当たります。とくに七回忌の特別な法要は行わない予定ですが、こうして、しばしの間でも、父の墓前で亡き父と対話をするのが自分にとっての務めの一つだと思っています。
果たして、自分がどこまで父が望んだような人生を歩んでいるのか、心もとないのですが、人生の節々で、父が語った言葉を改めてかみしめて、前へ進んでいこうと思います。
それにしても、実家で食べる地元・福島産の桃2品種、どちらも美味しいことといったら、本当にたまりません。

大マラン圏のリンゴの運命

熱帯のインドネシアとは思えない光景をよく見かけます。そう、街中のスーパーや果物店、地方の街道沿いの屋台、村のパサール、どこでもリンゴを見かけるのです。

リンゴは、熱帯の果物ではないはず。もちろんそうです。これらのリンゴの大半は、ニュージーランド、アメリカ、オーストラリア、中国などから輸入されたリンゴなのです。

リンゴは健康によい果物、という話が広まっているためか、インドネシアではリンゴの消費が増えている様子です。

でも、実はインドネシアでもリンゴは作られています。そのほとんどは、東ジャワ州マラン市、バトゥ市、マラン県からなる大マラン圏(Malang Raya)産です。

なかでも、観光地のバトゥ市は、「リンゴの街」と自称するほどで、市内のあちこちにリンゴを形どった休憩所や標識を見ることができます。

でも、日本のリンゴのような大きくて立派なものは見かけません。ほとんどが小さく、垂直に伸びた枝にたくさん実っています。

これだと収穫するのは大変だろうなあと思っていたら、大きく立派にして収穫することはほとんどないという事実がありました。

すなわち、リンゴ畑は観光農園とし、入園料を払った観光客に好きなだけ摘んでもらうのです。観光客が摘んだ後、残った小さなリンゴは加工へまわし、リンゴジュース、リンゴチップス、リンゴサイダーなどになります。

労働力を雇って丁寧に収穫するとなると、労賃コストがかかります。それを節約して観光客に摘んでもらうほうがコストもかからないし、楽です。

リンゴの観光農園には、大型バスで毎日たくさんの観光客がやってきます。国内だけでなく、マレーシアや台湾などからもやってきます。たしかに、東南アジアでリンゴ狩りのできるところなど、ここ以外にほとんどないようにも思えます。

結局、生食用のリンゴのほとんどは輸入リンゴで占められ、それが故に、ここで生食用のリンゴをつくる動機は生まれず、こうして観光農園+加工で十分やっていける、ということになります。

ある意味、経済合理的と言えなくもないのですが、こうなると、安全安心を確保するために手間暇かけるようなことはしなくなるでしょう。マラン市の果物加工業者は、「ほとんどの熱帯果物は化学肥料や農薬の心配をしなくてもいいが、リンゴは例外だ」と言っていました。

折しも、バトゥ市は有機農業を進めており、オレンジやグァバなどの有機認証を進め、生食用として売り出しています。リンゴも有機認証へ向けて手をつけたところですが、現状のままで果たしてうまくいくのか、疑問です。

インドネシア、いや東南アジアでも希少なリンゴ産地であるこの地で、生食用のリンゴが輸入リンゴを駆逐する、といったことはもはや起こりえないのでしょうか。それは、安全安心の果物というカテゴリーにリンゴは入るのだろうか、という問いでもあります。

インドネシアで見かける中国産のふじリンゴ。そうだ、自分が中学生ぐらいだった頃、たくさんの中国からの技術研修生が福島市のリンゴ農家に学びに来ていたっけ。このふじリンゴの技術は、もしかしたら、あの時の福島市で学んだ技術ではないのだろうか。

7月26〜28日、福島市の方々をこの地にお連れし、リンゴ園などをまわりながら、そんなことをふと思い出しました。今回の出張の簡単な活動報告を以下のリンクに書きました。

 福島市の皆さんとマラン市・バトゥ市へ

変わり行く季節の中で味わう桃とサクランボ

日本でもインドネシアでもそうなのですが、最近は季節の様子がだいぶ変わってきているように感じます。気候変動や温暖化の影響なのでしょうか。

たとえば、日本の梅雨は、雨がしとしと何日も降り続く、というイメージでしたが、最近の梅雨は、しばらく雨が降らないのに、降ると集中豪雨、という、なんだか熱帯の雨に様相がずいぶん似てきたような気がします。

他方、すでに乾季に入ってもおかしくないはずのインドネシアでは、ジャワ島を中心に相も変わらず雨が降って、洪水や鉄砲水まで起こっています。

こうした季節の様子の変化は、風情というものも時とともに変えてしまうのかもしれません。「梅雨の長雨」が消えて、「梅雨の豪雨」となる日が来るかもしれません。

そんななかで、四季を愛でる我々日本の人々は、これからどんなところに季節を感じていくのでしょうか。季節を感じる対象が変わってくると、季節感というものも自ずと変わってくることでしょう。

幸運にも、私自身は、このところ、初夏を感じさせる果物を味わうことができました。

福島の実家で食べた、品種はわかりませんが、おそらく早生の桃。でもこれが思った以上に美味しくて、びっくりしました。これから8月にかけて、赤みを帯びたあかつきや川中島を楽しめることでしょう。

こちらは、東京の自宅で食べたサクランボの佐藤錦。まだちょっと早いような気がしないでもないですが、赤く色づいたものは甘みが強く、美味しくいただきました。山形から送られてきたものですが、以前、福島がサクランボの大産地だったことがあったのです。

桃や佐藤錦で初夏の匂いや味を堪能して、さて、これから7月4日まで、またインドネシアへ出かけてきます。行先は、スラウェシ島、久々のゴロンタロ州ボアレモ県です。