ウソがまことか、まことがウソか

最近の様々な情報を見ていると、本当に、「ウソがまことか、まことがウソか」という気分になります。

日本でもインドネシアでもアメリカでもどこでも、誰かが何らかの目的や意図をもって、端からは生の情報のように見えながら、実は加工された情報が流されるようになっています。情報操作のための手段として、メディアの情報が流れるようになってきました。

特に、映像情報では、映像を傍目にはわからないように加工して、誰かを貶めるための手段として使われています。また、貶めたい人の過去を目を皿のようにして調べて、ちょっとでも貶められそうなネタがあれば、それをことさらに強調する者もいます。

そうした情報が正しくないことが証明されたとしても、そうした情報を流した者がそれを認めることはなかなかありません。

なぜなら、そうした情報が量的に拡大し、たくさんの人々に知られるようになれば、そのウソの情報が力を持ち、権力と結びついたりすると、それが本当の情報として認知されてしまったりするからです。

そうなると、地道に事実を積み上げて客観的な情報を提供しようと努める真摯な人々が、反動的だとか権力迎合だとか体制的だとか、いわれのないレッテルが貼られ、その声がメディアを通じて大きくなればなるほど、真摯な人々を誰も守ることができなくなってしまいます。

最近、とみに、こうした「ウソがまことか、まことがウソか」という状況が強まっていて、その一端をSNSがになっていることは否定できないような気がします。

こうした情報に振り回されて、自分が自分であることを見失ってしまう、いや、失ってしまっていることに気づかないような場面が出てくる恐れがあります。

自分を見失わないためには、他人が言うことではなく、自分の五感をまず信じることが大事でしょう。本を読み、旅をし、様々な人と交わることで、借り物ではない自分自身の思想を作っていく作業を続けていくことが肝要かなと思います。

そのためにも、自分の生活の場である地元、ローカルの現実に自分なりの根を張り、五感で得た現実の事実から思想の根を生やし始めることだと思います。そして、飛び交うメディアなどの情報を、自分の思想に基づいて取捨選択し、白か黒かではない、情報に応じた是々非々の態度をとることが求められるような気がします。

さらに、白か黒かをはっきりさせるような議論はレッテル貼りの亜流であり、そうした動きには関わらないこと、レッテル貼りの対象になるようなことがあってもひるまないこと、が大事になるかもしれません。

ウソがまことでまことがウソ、という状況を笑って済ませられる時代は、もう終わりつつあるのかもしれません。様々な疑問をしっかり持ち、常に批判的に情報に接する態度を養いたいものです。

それでも生きて欲しいー原発事故から5年の福島を観て

9日夜、NHKスペシャル「それでも、生きようとしたー原発事故から5年・福島からの報告」を観ました。重く、つらく、簡単に言葉を紡げません。それでも、少しは書かなければならない、という気がします。

人間は、何か自分の打ち込めるものがあったり、将来こうしたいという希望を持ち続けたり、誰かのためになっていると思えたり、そんな感情を生きるエンジンにしているように思います。それを生きがいと言ってもいいかもしれません。

その生きがいが、たとえば東電原発事故のような、何らかの理由で断たれてしまうと、その原因を作った対象をいかに憎み、恨み、糾弾し、裁判に訴えようとも、それ自体が生きがいになっているうちはいいのですが、たとえ裁判に勝ったとしても、その後の生きるエンジンにはなれないかもしれません。生きがい自体が喪失し、それに変わる短期的な生きがいも終焉し、新たな生きがいが生まれていないからです。

それに追い打ちをかけるような、相手のことを気にかけない誹謗、中傷。誹謗、中傷を行っている本人には、それで相手が傷つくということを理解できないばかりか、そう言い続けることが彼らの生きがいになっているかのような、そんな状況も加わります。

自分の土地のほぼ近くにおびただしい数の除染廃棄物のプレコンバッグがあるのを見たら、故郷へ戻る夢が断たれたと絶望的な気持ちになるのは理解できます。その土地はただの土地ではなく、かつて、農産物を育てただけでなく、その人にとって様々な思い出の積み重なった土地に違いないからです。

村に戻って、自分たちが頑張って農業で村を元気に復興させたいと、本当に頑張っていた30代のご夫婦。放送されたことだけが原因なのかどうかは分かりませんが、米価低落や外からの関心の低下、同じ若い世代が戻ってこないという現実などを前に、自分たちの頑張りって一体何だったのだろうか、という疑問が深く湧いてきてしまったと察します。

こんな状態で、自分は何のために生きているのだろうか、という気持ちが現れる。一人で頑張っていればいるほど、自分が惨めになる。意味があるんだろうか、生きていたって。面白いことなんか何もない。分かってくれる人なんてこの世の中にはいない。そんな気持ちが湧いていたのではないかと思うのです。

人様の迷惑にならない。これは、亡き父から私が生前よく聞かされました。NPO「なごみ」の方が訪問しても、構わないでほしい、もう来ないでほしい、と言ったお年寄りの気持ちが何となくわかるような気がします。自分が生きていることで、人様に迷惑をかけたくない、と思っているのではないかと思うのです。

長生きしてごめんね、と心の中で思っているお年寄りは少なくないのではないか。最近、そんなことをよく思います。

そして、年金や介護保険の世代間負担の格差が拡大するにつれ、なんとはなしに、そうしたお年寄りを内心では迷惑がる風潮も感じられる気がします。

福島の自殺が増えているという問題もそうですが、日本全国どこでも、自殺の問題は、こうした気持ちや状況がその背景に横たわっていると感じます。

自分が生きていることになんの意味があるのだろうか、という人たちが欲しいものは、生きていることに意味がこんなにある、ということをなんらかの形で示してあげること、それ以外にないと思います。

人様に迷惑をかけられない、といって面会を拒否する方には、いかにお節介を焼いたり、迷惑をかけてもらいたいと思っているかを他人が態度で示すことから始めるしかないでしょう。そして、その方の話を、一切否定せずに、ひたすら聞く。ずっとずっと聞く。一人でも心を開く相手がいるだけで、その他人に話を聞いてもらうことが生きがいのようになってくる、というのでもよいのではないでしょうか。

7日のNHKスペシャルの「ばっちゃん」も、そうやって若者たちに居場所を何十年も提供している方の話でした。

人の話を否定せずにじっくり聞いてあげる。そんなことを、自分の身の回りの人から始めてみてはどうでしょうか。

ツイッターでこの番組が話題になっていたのですが、それは福島の話として特別視したり、悪いのは東電・政府だ、だから原発再稼働反対と言ったり、どことなく、遠い他人の可哀想な話として受け止めているような印象を持ちました。

でも、状況背景や環境は違っても、自殺するのは、自分がこの世の中で必要のない、意味のない人間だと思うのが原因のような気がします。だとするならば、自分が苦しいときに話を聞いてくれる人間が存在し、また他人が苦しいときに自分が話を聞いてあげる存在になることから始めるしかないのではないかと思うのです。

福島の自殺者が増えているという現状は、もちろん重大です。たとえ他の地域よりも件数や率が低いからといって、「大したことはない」と軽視できるものではありません。自殺する人にとって、地域ごとに多いか少ないかは、関係ないからです。

自分の身の回りから話を聞く、聞いてもらう関係を作り始めること。それがたとえ昔のようなコミュニティの復活につながらなかったとしても、今よりはもう少し生きていてよかったと思えるような世の中へ近づいていくのではないかと思います。

色々と思うことはあるのですが、今はこの程度のことしか書けません。ご容赦のほど。

巣鴨の知る人ぞ知る地元キャラ

先日、巣鴨駅前を歩いていたら、謹賀新年の看板とともに、クリスマス・イルミネーションの名残のような、灯りがキラキラ光っていました。

今の流行りは、青色なのでしょうか。そういえば、渋谷の公園通りの「青の洞窟」というイルミネーションが話題になっていました。

その巣鴨駅前のイルミネーションの下に、何かが立っていました。

見たことのないキャラクターでした。頭には角、いや兜をかぶり、腰に刀を差し、顔は鳥のようです。

巣鴨といえば、有名なキャラクターは、すがもんです。巣鴨地蔵通り商店街の公式イメージキャラクターで、地元ではけっこう有名です。巣鴨駅から地蔵通り商店街へ向かうと、商店街の入口に「すがもんのお尻」もあって、なでることができます。

私の持っている、小さいすがもんはこちら。

ちなみに、すがもんのホームページはこちらです。

 すがもんのページ

でも、今回、巣鴨駅前で見たのは、すがもんとは違います。はて?

新たな巣鴨のゆるキャラか、と思ったら、違いました。

巣鴨一丁目商店会のキャラクター、その名は「すいっち」でした。巣鴨一丁目の短縮形である「巣一」から来ているようです。次のページをご参照ください。

 すいっち:巣鴨紹介ブログ

キャラクターグッズがいろいろ販売されている「すがもん」に比べたら、「すいっち」は本当に無名のキャラクター、巣鴨の知る人ぞ知るキャラです。といっても、知らない人が圧倒的に多いように思います。

巣鴨のすがもんとすいっち。これから、両者がどんなふうに絡んで、巣鴨をより面白くすることに貢献するのか。あまり期待はしませんが、見ていきたいです。

右ならえの自己アピール

昨日のブログを私のFacebookで紹介したところ、友人たちが色々なコメントを寄せてくれました。そのなかで、興味深かったのは、自己アピールについてのコメントでした。

マレーシア在住の友人から、日本の外へ出ると自己アピールの強い人ばかりで、しかもそのやり方がうまい、という話が寄せられました。たしかにその通りで、私が長年付き合っているインドネシアでも、同じように感じます。

それはアジアに限ったことではなく、欧米などでも同じで、「イエス・ノーをはっきりしなさい」とか、「自分の意見をはっきり言いなさい」といったアドバイスをよく聞いたものでした。そうしないと世界で通用する人間にはなれないような気分になるものです。

日本は、組織でうまく渡っていくには、その場その場の雰囲気(今の言葉でいえば空気)をうまく読んで、イエスともノーとも取れるような対応で、生き残っていく、そんな処世術がベースになっているような気がします。いったん組織に入ってしまえば、オレがオレがの自己アピールはむしろマイナス、とだんだんに学習するようです。

もしそうだとすると、大学生などの就活での自己アピールとは一体何なのでしょうか。学生の就活指導を行っている別の友人は、私のFacebookに「就活する多くの学生が自己PRに戸惑っている」とコメントを寄せられました。

極言すれば、企業側にいい印象を持ってもらって採用してもらうための自己PR、自己アピールなのでしょう。私は知りませんが、おそらく、自己アピールのハウツーを教える講座や教材もあるのかもしれません。それも仕方ない面があるとはいえ、手段としての自己アピールはちょっとつらいなあと感じます。

自己PRや自己アピールを考えることは、自分自身は何者かを振り返って知るためのよい機会とも考えられます。でも、そこから導かれる自分像が果たして企業側に受け入れてもらえるようなものなのか、企業側の希望やニーズに沿った自分像になっているかどうか、そういったことが気になって仕方ないのではないかと察します。

そうすると、他人がどんな自己PRをしてその企業に就職したかが気になり、採用してもらうためには同じような自己PRや自己アピールをしたほうがよい、という判断になりかねません。何だか、自己PRや自己アピールも受験テクニックのようになってしまうようです。

本当の自分はこうだけれども、それとは別に、就職のための自己アピール用の自分を作ってしまえ、と割り切ってしまうのも一つのやり方かもしれません。でも、それができる人は、おそらく自己PRに戸惑うことはないでしょう。

多くの学生は、就活をする大勢の同類が自己PR、自己アピールするという状況のなかで、自分だけ、それをしないで済ますことはできない、という感覚に支配されているのではないでしょうか。彼らのは、みんながそうだから自分もするという、右ならえの自己PR、自己アピールと言えなくもないでしょう。

それは、私が日本の外で感じたインドネシアなどでの自己アピールとはずいぶん違うように思います。

自分はどうしても将来これをやりたい、これを自分がやることにはこんな意味がある、だから組織もこのように変わらなければならない、自分はそれを実現するためにこの組織に加わりたいんだ・・・。日本の外で感じた自己アピールには、そんな要素がたくさん含まれていたような気がします(印象なので人によって感じ方は異なると思いますが)。

右ならえの自己アピールは、こうした自己アピールとは違うものだと思うのです。

自己アピールは、アピールしておしまい、というものではないはずです。本来、その自己アピールがマルかバツか、白か黒か、決めるものではなく、そこから何かが始まるもののはずです。では、何が始まるのか。

対話です。対話というコミュニケーションが始まるのです。

他者との対話。自己との対話。

物事の結論は、マークシートのようにすぐに決まりません。対話のプロセスの中で、様々な思いもよらないモノやコトに気づき、それを新たに含めながら論理を組み直し、もう一度深く考え、新しい考えを生み出し、対話し、様々な思いもよらないモノやコトに気づき、というプロセスを何度も経ながら、結論らしきものが遠くにおぼろげに見えてくる、というものではないでしょうか。

対話のためには、自分が何者かを深く考える時間と経験が必要でしょう。読書や旅、そこでの人との出会いが、自分が何者かを考える機会となるはずです。本来、比較的時間に恵まれた大学時代に、そういったことをしっかりしておく必要があるのだと思います。

就活のための右ならえではない、しっかり対話のできる自分を作るための機会として、自己PR、自己アピールを考えることが大切なのではないかなと思います。

それにしても、今の若者にとって、素顔の自分をさらけ出してもいい場所、自分の意見や気持ちをそのまま吐き出してもかまわない安心できる場所、自分という存在をその考え方とともに認めてくれる場所、そんな場所が本当に必要なのではないかという気がします。

それが大学やアルバイト先にあるのか、いや家庭にあるのか、状況は個々人によって様々だと思いますが、右ならえの自己アピールに悩む学生たちが安心して悩み、そんな彼らを認めてくれる場所を作るのは、作らなければならないのは、我々、シニア世代なのだと思います。なぜなら、もしかすると、我々が彼らをそういう状態に追いやったのかもしれない、という気さえするからです。

「日本はすごい」の裏側

「日本はすごい」という言葉をよく耳にします。そして、その言葉を聞いて、日本は本当にすごいと素直に感動する人もいれば、なんだかそういう言葉を胡散臭く感じる人もいることでしょう。

私は後者です。大体において、日本人が自分で「日本はすごい」という、あるいは外国人に「日本はすごい」と言わせて、日本人が喜ぶのはいいのですが、で、それで? と思ってしまうのです。

なんだか、「ねえねえ、私はすごいのよ」と自分で自分を慰めているような気になってくるのです。

そういえば、昔、ある時点から、就職のときの面接試験が変わったという印象があります。

私が面接を受けるときに先輩たちから言われたのは、「自分が自分が・・・」と自己中心的な態度で前面に出るな、分からないことは恥ずかしがらず正直に「分からない」と言え、聞かれたことにだけ答えなさい、というようなものでした。新入社員の自己紹介は、奥ゆかしい、自分は未熟者である、といった内容が多かったと記憶しています。

ところが、ある時期からそれが変わりました。面接では、「自分はこんなことができます」「自分はこんな素晴らしい人間です」と自己アピールすることが大事だという風潮になり、みんなそうし始めました。それは今も続いています。新入社員の自己紹介も、いかに自分は優れた人間であるか、いかに組織に貢献できる能力のある人間であるか、という内容へ変わっていました。

今や、採用する側も、自分が自己アピールして企業や組織に入った人間なので、そうした自己アピールは自明のこととなっているかのようです。

奥ゆかしい時代に社会人になった私から見ると、自己アピールで自分が優れた人間であると堂々と言える人々は、なんだか本当に優れた人間で、私の時代の人間の能力をはるかに超えて、素晴らしい世の中を作っていくのだろうな、と思ってしまうほどでした。

でも、現実を見ると、そんな「すごい」人たちを採用した企業や組織が厳しい状況に置かれていて、そこで働く「すごい」人たちの能力を発揮させていないように感じるのです。

何となくフツーであることが蔑まれるような、そんな雰囲気の中で、もしかしたら、自分自身を「すごい」と形容した人々が、実際の自分とのギャップに悩み、その形容どおりに演じることに疲れてしまっているのかも知れません。

そして、そういう人は、自分を「すごい」と思ってくれる人、そう言ってくれる人をどこかで探し続けているのでしょう。そう思ってくれる人、そう言ってくれる人がいてはじめて、自分の存在に安心できるのではないでしょうか。

今の日本は、もしかしたらそんな状況なのかなと思います。日本は「すごい」と誰かに言って欲しい、共感して欲しい。そして、自分は捨てたものではないと日本は自分で思いたいのではないでしょうか。

私は、本当にすごい人は自分を「すごい」などとは言わないと思っています。誰かに評価してもらいたいとも思っていないし、誰かと比べて自分のほうが優れているという思考にもならないのだと思います。それは、自分にとってはごくフツーのことであり、無理して背伸びをしたり、役職や立場に合わせて演じたりする必要もないのです。

だから、「日本はすごい」の裏側にあるのは、日本の自信のなさなのではないかと思うのです。自分に自信がないから、自分より弱そうな誰かをいじめたり、他人を侮蔑したりして、自分が彼らよりも上であると思い込みたいのです。

そんなことにかかわらずに、我々はフツーに生きて、自分を大きく見せて無理やり演じることもなく、楽しく過ごしていけばいいのではないか。そんなふうに思います。

本当にすごいならば、それは自分で「すごい」と言わなくとも、他人から「すごい」と言われなくとも、すごいのではないでしょうか。

地域づくりの勉強をしていて、私の勝手に師匠の一人から学んだことがあります。世界で一番すごい料理人は誰か、と。それは、家族のために毎日食事を作ってくれる母親や父親です。

それは、実にフツーのことです。1日3食、1年365日、毎年1095回、家族の健康を思いながら食事を作り続ける彼らこそ、世界で一番すごい料理人だと。

フツーであることが実はすごいことである、当たり前の中にあるすごさ、というのを私は学びました。

どうせなら、「日本はすごい」などという必要のない日本を目指したいものです。当たり前のすごさをきちんと認識しながら。

あなたの「故郷」はいくつありますか

ずっと前から、故郷は一つでなければならないのだろうか、と考え続けています。

生まれた場所は一つしかないので、生まれ故郷は一つだけです。でも、「故郷」と呼べるような場所は、生まれ故郷と同じ場所である、とは限りません。

私にとっては、生まれ故郷は福島県福島市、その後、父の仕事の関係で福島県二本松市原瀬に2年、二本松市内に1年住んで、また福島市へ戻りました。

高校卒業まで福島市にいて、大学浪人中は埼玉県川口市、大学入学後は東京都東村山市、国立市、就職後は再び川口市、小金井市、そして、東京都区内に移りました。

さらに、インドネシアのジャカルタに2年、東京に戻った後、マカッサルに5年、また東京に戻った後、マカッサルに1年半、1ヶ月おいて再びマカッサルに2年、ジャカルタに3年、スラバヤに2年、そして今は東京に・・・、というふうに、点々としてきました。

これまでに挙げた場所はどこも、自分にとって、懐かしく愛おしい大事な場所になっています。何度か再訪するたび、そこで生きていた、生活していた自分(たち)を臨場感を感じながら思い出します。就職前までに住んだ家は、全てが跡形もなく無くなっており、自分(たち)がそこに居たという物理的な証は、もはや見つけることはできません。それでも、そこに行けば、いや、行かなくとも、行けなくとも、その場所とそこに居た自分(たち)を思い出すのです。

東日本大震災後に訪れた母校・
二本松市立原瀬小学校(2012年3月)

危険建築物として取り壊された
二本松市立原瀬小学校跡(2013年8月)

長く住んだ場所以外に、出張などでたくさんの場所を訪れ、色々な人々に会い、色々な思い出を作ってきたのですが、なぜか、それらの場所で思い出したくもない、嫌いになった場所を一つも思い出せないのです。

そんななかで、故郷は一つじゃなくていいのではないか、と強く思うようになりました。そのきっかけは、東日本大震災に伴う原発事故で突如故郷を失った人々の存在でした。自分の意思ではなく、ある日突然に、自分の居場所を去らなければならない、それも自然災害ではなく人災によって、というのは本当に理不尽なものです。それに加えて、自らの判断で自主的に避難した人々もいました。そんな様子を見ながら、自分の故郷でもある福島のことを思っていました。

強制的にせよ、自発的にせよ、避難した方々は、自分の生活の場である故郷を離れたわけです。新しい生活の場所をいずれ戻るための一時的な滞在場所と捉えるか、元の場所での生活を断念して新しい生活の場所と捉えるか、それは人によって、世代によって、場合によっては同じ家族の中でも、異なることでしょう。

でも、一時的な滞在にせよ、定住にせよ、今、生活している場所を「故郷」と思えるならば、そのほうが楽しいだろうし、気持ちも楽になるのではないか、という気がします。第二の故郷、第三の故郷、第四の故郷、と、日本中、世界中にたくさんの故郷があるような人生も楽しいのではないか、と。

状況や立場は異なりますが、サラリーマン転勤族も、自分の意思とは必ずしも関係なく、あちこちへ移動します。彼らもまた、第二の故郷、第三の故郷、第四の故郷、と、日本中、世界中にたくさんの故郷があるような人生になれば楽しいのではないか、と思います。

自分にとっての「故郷」がたくさんあればあるほど、自分の関わった人々が増え、自分のことを思ってくれる人々が増えていく。そんな場所が世界中いたるところにあれば、どこへ行くにも安心した気持ちになれるような気がします。

戸籍や住民票といった公式書類ではなく、そこを故郷と思ってくれる人を増やすような、ファンクラブのような試みを、日本中、世界中でやってみたら面白いかもしれません。それは、ふるさと納税の豪華賞品を介在させるようなものではなく、言葉にできないような、個々人にとっての愛おしさや思い出を大切にする、多くの人々に「故郷」と思ってもらえるような場所になる、ということです。

故郷を愛おしむのは同じ日本人に限ったことではありません。アニメやポップカルチャーの愛好者とは別に、日本に住んだことがあり、日本のために何かをしたいと思っている外国の方々は少なくありません。そんな方々のための「故郷」に日本が、日本の地方がなる、ということはできないでしょうか。

逆に私のように、インドネシアとの関係が切れなくなって、インドネシアのあちこちの地方を愛おしく思い、そこのために何かを一生懸命やりたい、と思ってしまう外国好きの日本人も多いことでしょう。

高知県馬路村は、ユニークな手法で村のマーケティングに成功した場所ですが、そこには、日本人全員の「故郷」になりたい、という彼らの願いが込められているのでした。

自分の「故郷」を増やすのは、ふるさと納税で興味を持った市町村から始めてもいいかもしれません。商品だけでなく、実際にその市町村へ行き、人々と出会う中で、本当の「故郷」になるかもしれません。物理的に人口が減っても、「故郷」と思う人が増えていくのは、それが新しい何かを生み出すきっかけになるかもしれないと思うのです。

私の「故郷」は、これからまだまだ増えていくことでしょう。というか、増やしていきたいです。

あなたの「故郷」はいくつありますか。そして、「故郷」の数をこれから増やしていきませんか。

近所の天神様で紅梅が咲き始め

妻と神社へ初詣した後、前から気になっていた天神様へもお参りに行ってみました。

この天神様は、いつもの散歩コースにあって気にはなっていたのですが、なんか小さな神社があるな、ぐらいにしか思わず、もう25年以上住んでいるのに、天神様だとも気付かずにいました。

名前は子安天満宮。あるいは菅原神社。れっきとした天神様で、もちろん菅原道真公を祀っています。

建立されたのは16世紀半ばで、江戸時代には、湯島天神、亀戸天神などと並ぶ有力な天神であったようです。

我が家の近くにこんな天神様があるとは。やはり、自分の足元をしっかり見つめていかなければなりませんね。

行くと、賽銭箱はなく、本殿の入り口のサッシ戸に小銭の入れ口があり、賽銭を入れられるようになっていました。賽銭を入れると、チャリーンという音が響きます。

本殿の両側には梅の木がありましたが、本殿に向かって右側の梅がもう咲き始めていました。紅梅でした。

春の訪れはまだ先ですが、今年一年、よい年となる希望を感じるような紅梅でした。もちろん、しっかりお参りし、お祈りいたしました。

改めて、皆さんにとって、素晴らしい年となりますよう、お祈り申し上げます。

今必要なのは「縮充」という考え方

人口が減少し始めた日本。老齢人口がますます増加する反面、若年人口がどんどん減っていきます。働ける人口の絶対数が減り続けていく日本で、今も、経済成長の必要性を強調する議論が強いように感じます。

今の日本の経済成長は、農林水産業や製造業のような、モノを作ることで果たせる状況ではありません。生産性を高め続け、技術上の工夫に工夫を重ねた末に、農業者や林業者や漁業者の後継者が少なくなり、中小企業者が子供に継がせられない状況が増えています。
一部の高付加価値製造業やソフト分野を中心としたサービス業が日本の経済成長を支えていくといいますが、その一方で、今後成長するアジアからのインプットなしに経済成長は難しいという側面も指摘されています。
そこまでして、我々は経済成長を必死で追い求めなければならないのでしょうか。経済成長しなければ、我々は生きていけないのでしょうか。経済成長しなければならない、という強迫観念のようなものさえ感じてしまいます。
今、我々に必要なのは、身の丈を知ること、かもしれません。
人口が減少する中で、我々が生きていくうえで必須なものとそうではないものとを峻別し、必須でないものを追い求めない生活を心がける必要があるのではないでしょうか。
たとえば、新しい携帯電話や自動車が販売されるたびに買い換える、新しいキャラクターが現れるたびにゲームを購入する、といった行為は、生存に必須とは必ずしも言えないでしょう。家電製品の人間の声でお知らせする機能は本当に必要なのでしょうか。
モノを売る側は、何とかして消費者の購買欲を喚起し、新しいものを買ってもらおうとします。それによって需要を作り、そのモノを生産することで企業としての存続と成長を図ろうとします。
3回着たらボロボロになるシャツしかなければ、人はそれを買わざるをえなくなります。一度買ったら10年もつようなシャツばかり作っていたのでは、生産設備の稼働率が上がらず、生産し続けられません。
また、最近の家電製品は、自前で修理することができないことが多いようです。肝心の制御部分がブラックボックスとなっており、修理屋が立ち入れなくなっていて、多くの場合、修理する費用も高いので、新しく製品を買わざるをえなくなります。製品もどんどん生産・販売終了となり、古い部品はすぐにない状態になります。
今の日本では、インドネシアに見られるような家電製品や機械の修理屋さんをあまり見かけないような気がします。頑丈で長持ちする良質の製品というのが日本製の特徴だったはずですが、そのような製品では、消費需要を喚起し続けられなくなったということなのでしょう。
そのような、生産者側からの需要喚起に踊らされているのが我々消費者で、政府からも、もっと物を買え、と促されています。でも、ほとんどの必需品は揃い、もうそんなに新しく物を買わなくてもいいような気がします。
人口が減少し、人々が物を買わなくなるのは、ある意味、自然なことであって、それを問題視するのではなく、そのような状況に合わせた経済のあり方を考えていかなければならないのではないでしょうか。
実際、東日本大震災のとき、これで日本が終わる、と思いました。いつ何時、自分たちの享受する反映した社会が終わるかもしれない、と思ったがゆえに、1日1日の生活を大事にし、物質的な豊かさよりも他者とのつながりや自分を含めたみんなの幸せを大切にしよう、と心に誓って、生き方を変えようとした人々が多数いたはずです。
でも、世の中は何も変わっていなかったように見えます。相変わらず、政府は「経済を成長させる」の一点張り。要らない需要を無理やり創って消費者を煽るよりも、今あるものの本質的な中身を充実させることに注力すべきではないでしょうか。
山崎亮氏の最新刊「縮充する日本:「参加」が創り出す人口減少社会の希望」を読みました。今、日本に必要なのは、この「縮充」という考え方ではないか、と思います。
我々も、自分の身の丈にあった形で、自分たちの生活をどう充実させていくか、他人ではなく、自分の足元を見ながら考えていく時が来ているのだと思います。

元旦に銀座〜丸の内を歩く

2017年、新しい年が始まりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

早速、今年中に自分が実現したいことを7つ書き出しました。そのうちの1つは、このブログ「ぐろーかる日記」を毎日更新すること、です。

どうでもよいような、たわいのない内容もあるかと思いますが、お付き合いいただければありがたいです。

ところで、今日は夕方から、元旦の銀座から丸の内を家族3人で歩いてみました。年末からのイルミネーションで残っているところはどこか、と検討し、まず、汐留カレッタへ行ってみたら、あいにく、1月1・2日は全館休館のため、イルミネーションも休みでした。

でも、旧新橋停車場の周りでは、木々につけられたイルミネーションが下からLEDライトで照らされて、流れる音楽に合わせて色が変わる、という演出がありました。

そのまま銀座へ行くと、中央通りにはイルミネーションが輝いていました。

人通りの少ない、静かな銀座中央通りでしたが、聞こえてくる声のほとんどは、日本語ではありません。開いているH&Mの前にバスが乗り付けていました。

赤ん坊の泣き声が聞こえてきます。どうやら、観光客が買い物を終えたのに、バスがなかなか迎えに来ない様子でした。

銀座から有楽町を通って、丸の内へ向かいます。この通りも人はほとんどいません。静かな通りでイルミネーションが輝いています。

通りには路上駐車中の車が何台か並んでいます。そのなかに、日の丸や菊の紋章をつけた車やバイクがあり、その周辺では、黒服を着た男性たちがお辞儀やらしている様子が見えました。

通りを車が通らないので、車道の真ん中で写真を撮っている人々がいます。その多くは、やはり観光客のようでした。

最後は、東京駅。

元旦なので、店のほとんどは閉まっていて、人通りもほとんどなく、とても静かな町並みでした。そして、出会う人々のほとんどは、日本語以外の言葉を話す人々でした。

そんな東京も、明日からは、徐々に日常の賑わいを取り戻していくことでしょう。こんなふうに、ちょっと非日常を感じられる元旦の東京もいいものです。

ただし、歩きながらちょっと小腹が空いても、飲食店も皆閉まっているので、自宅へ戻るまでは我慢せざるをえなかったのが少々辛く感じました。

「この世界の片隅に」を観て

JICA案件の報告書原稿も終わり、2週間前から何度も点滴を打ってきたヘルペスの治療も終わり、ようやくほっと一息、秋の深まりを家族と感じられる日々となりました。

気持ちは若いつもりでも、体は嘘をつきません。自分に合った仕事のペースを確立し、過労にならないように、過ごしていきたいと思います。
ところで、今週、「この世界の片隅に」という映画を観てきました。戦時期の広島や呉を舞台にした内容でしたが、話の細部に至るまで、取材して実際に聞いた話である様子がうかがえました。この映画の後ろには、たくさんの人々の人生の数ページが反映されてできたものなのでしょう。
また、戦闘機による爆撃シーンをはじめとして、描写もかなりマニアックなほどのディテールにこだわって、実際の様子を再現しようとしていました。
映画自体のストーリー展開はわりと平板ではありますが、かなり長い時間を普通の人々の生活描写に当てていたからこそ、映画の後半の意味は深く迫ってくるのだと感じました。
戦時期ということで、暗い内容ではあるのですが、日常の生活の中での楽しみや笑いも出てくる場面も多々あり、とくに主人公の人間としてのフツーさが愛おしく感じられるほどでした。そして、だからこそ、主人公の周りの日常が壊れていく様子やそれに対する人々の戸惑いや表に出せない怒りがぐっさりと迫ってくるように思えました。
映画を観ながら、これは、広島や呉についての映画ではないと感じました。それは、私たちの想像力に対する挑発だったのかもしれません。ごく普通の日常の生活が、自分たちの意識しないうちに奪われ、それに翻弄されながらも生き抜かなければならない、そうしたことへの想像力を高めることが必要なのだ、というメッセージにも聞こえました。
シリアやイラクをはじめとする世界中の内戦とそれが生み出すおびただしい数の難民のことも、麻薬や薬物に溺れてしまうアメリカの労働者のことも、原発事故である日突然故郷から遠く離れなければならなくなった福島県相双地区などの人々のことも。本当は本来の日常生活があったのに、それを奪われてしまった人々が懸命に生き抜こうとしている、この世界の片隅にある光景なのだ、ということを思い出させてくれるのです。
世の中の空気に巻かれてしまっていても、それにはなかなか気づかないし、気づいたとしても、それをどうにもすることができない、ということがあります。そのとき、人々にとっては自分たちの日常生活をどう守っていくかが最重要課題であり、生き抜くためには何でもしなければならなくなるでしょう。
もう一つ、この映画は、どんなに日常生活が脅かされ奪われようと、自分を見失わない、自分が自分であり続けること、というメッセージもあったように思います。自分を見失わない、その基本は、日々の日常をきちんとしっかりと抑えていくという当たり前のことを当たり前にしていくことなのだと思いました。
左とか右とか、ハトとかタカとか、そういったレッテル貼りは、日常生活を離れた空中戦。地に足をつけた日常をいかに大事に丁寧に生きていくか。世界中の何十億もの「この世界の片隅に」生きる人々の生活に思いを馳せながら、自分の足元をきちんと見て生きていきたい、と改めて思いました。
「この世界の片隅に」は、勧善懲悪でも速いテンポでもない、エンターテーメントでもない映画です。まだの方は、素の自分のままで、鑑賞していただければと思います。

上野公園・国立博物館前の色づき始めた木々
(本文の内容とは関係ありません)

自分が自分で居られる場所を求める若者たち

先日、インドネシアに興味を持っているある大学生と会いました。そして、2時間ほどいろんな話をしました。

その方は、卒業論文の準備として、私が昔書いた書きものを読んでくださっていたようで、どこでどう知ったのか、ツイッターを通じてコンタクトをしてきました。私も、これまで関わってきた仕事の原稿をほぼ書き終えたし、ヘルペスからも順調に回復してきたので、お会いすることにしました。

その方はインドネシアにも滞在したことがある様子で、住んだ人でないと知らないようなマニアックな地名や食べ物の名前の連発で、けっこう盛り上がりました。

だんだんと打ち解けてきたと見えて、その方は大学の話をし始めました。その中心は、自分の思っていることや考えていることを友だちや先生と自由に話すことができない、というものでした。そして、本当はそういうことができるのが大学だと思っていた、とも言いました。

もしかしたら、その方は、周りを見回しながら、「したいけれども、そういうことができない」と自分で思い込んでいるだけなのかもしれません。でも、先生や友だちから言われると、それに反論することなく、黙ってしまうようなのです。

また、先輩からは、「就職したらすべては損得で動くのだから、そうではない大学時代を満喫しろよ」とも言われたそうです。

その方は、自分の思ったことを話せない大学、損得ですべて動く将来、が正しいこととは思っていない様子ですが、それを受け入れずに社会人になることはできないと思い込んでいました。

この方のような大学生は多いことでしょう。自分の周りから色々指を指されないように、周りに合わせて過ごしている、あるいは過ごさざるをえないと思っている彼ら。そんな彼らを否定的にみる大人も少なくないことでしょう。

でも、話しながら思ったのですが、彼らをそうさせているのは、我々大人なのです。大人が彼らの話を聞かない、彼らを従わせようとする、のではないか。彼らに自由に意見を述べさせ、それを幼稚だとか稚拙だとかいって否定せずに、一人の人間の言動として聞いてあげる、そんなことが大人にはできていないのではないか、と思いました。

きっと、大学や職場だけでなく、家庭や自分の家族とも、そんな状況になっていて、彼らが自分を取り戻せる場所を失ってしまっているのかもしれません。

「もしも、自分の意見を自由に言えるような場所や機会があったら、参加してみたい?」とその方に聞いてみました。「ぜひ参加したい」とその方は言いました。自分をさらけ出せる場所、自分が自分のままでいていい場所、そんな場所が必要なのでしょう。

鯖江市のJK課を思い出しました。おそらく日本で唯一の、女子高校生が行政に意見を言えるJK課。そこで一番大切にされているのは、女子高校生が本音で安心して話のできる空間を用意することでした。

そうした場所を見つけられない若者たちは、ネットの中のバーチャル空間に居場所を求め、そこで出会う見ず知らずの人たちに引き寄せられてしまうのではないか。そこには、そうした彼らを引き寄せる悪意を持った人物やカルトなどが跋扈して、無防備な彼らを待ち受けているのかもしれません。

昔から、素の自分を受け入れてくれる人に出会えたと思ったら、カルトの勧誘だった、もう抜けられない、といった話はよくありました。一歩間違えると、実は私もまた、そんな不審者と思われるかもしれない、と思いました。

損得で動いていると、そんな若者たちの相手をする時間の対価さえも求めがちになりそうです。でも、自分を自分として認めてくれる、安心できる場所と機会を求めている若者たちは多いはずです。大人がそうした若者たちに向き合い、大人自身の生き方や関わり方を変えていく必要があるのではないかと思います。

でも、どんなふうにして?

今回お会いした方は、自分と同じように思っている友だちが5人ぐらいいると言っていました。もし、彼らが私を信用してくれるなら、とりあえず、その5人と自由にむだ話のできる時間を作ることから始めるのかなあと思います。そのうち、テーマを決めて、自由に議論ができる「私ゼミ」をやってみようかなとも夢想します。

それにしても、自我を形成するはずの大学が、他人に合わせることを第一にするような考え方や態度を学生たちに直接・間接に促しているとするならば、とても残念です。

東京のど真ん中のヤシの木

東京のど真ん中にヤシの木がありました。

場所は、日比谷公園。第一花壇の真ん中にシュロの木があるのですが、その東側にヤシの木が植えられています。

ヤシの木で目立つのは一本だけですが、よく見ると、その下のほうに何本か小さいヤシの木が植えられている様子がうかがえます。

やはり、ヤシの木を見ると心が躍ります。しかも、東京のど真ん中。

日比谷公園といえば、この二羽も忘れられません。今日も、口から水を噴き続けています。

お酉さまで甘酒

11月11日は一の酉。毎年の恒例で、東京・巣鴨の大鳥神社にお参りし、1年間家に置いてあった熊手をお返しし、新しい熊手を手にしました。

お神酒を飲んで、奥を見ると、お休みどころがあります。

一の酉はいつも混んでいるので、お休みどころへは行かずに済ませてきました。でも、今回は空いているので、お休みどころへ行ってみました。

お休みどころでは、甘酒が売られていました。大鳥神社の自家製甘酒ということで、早速いただくと、これがまあ美味しい。そして気分はほっこり。

机の上には、なぜか、醤油瓶に入った黄色い液体とお漬物が置かれています。大きめの柑橘類は、おそらく飾りでしょう。

醤油瓶に入っていたのは、ショウガ液でした。これを甘酒の中に入れて飲んでみたら、オリジナルに輪をかけて美味しい! しかも、この漬物がまた甘酒に合うこと!

甘酒にショウガ液+漬物。なかなかの取り合わせでした。

この後は、近くのパン屋がこういう時にしか売らないケーキドーナッツを15個買いました。これは、一の酉に来ると必ず買う物です。

そして、千石自慢ラーメンで肉そばを食べて、大鳥神社の一の酉への参詣を終えました。

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