【インドネシア政経ウォッチ】第46回 貧困層向け現金給付はどう使われるのか(2013年 7月 11日)

前々回の本コラムで取り上げたように、石油燃料値上げの補償プログラムとして、政府は貧困層へ現金直接給付を始めている。社会保障カード(KPS)が配られた1,550万世帯へ計9兆3,000億ルピア(約940億円)を給付するのだが、案の定、登録漏れや不正受給などの問題が起きている。一部では、末端の村長が「政府から名簿が来ていない」として給付を拒む事態も出ている。

現金直接給付は、1世帯1カ月当たり15万ルピアを一定期間給付する。石油燃料値上げによる諸物価上昇が最も打撃を与える、貧困層の購買力低下を緩和するための措置である。

では、実際に給付された現金はどう使われているのだろうか。現金直接給付は2005年と08年にも実施されており、その際に政府は追跡調査を行っていた。その結果のほんの一部が先週の『コンパス』紙に紹介されていた。

05年の調査によると、調査対象の約60%は給付された現金を借金の返済に充てていた。貧困層の多くは、あちこちから借金をしながら生活必需品などをそろえている。農民や漁民は毎月定期的に収入がなく、日々の現金需要を知人や高利貸などからの借金で補う。だが、現金が借金の返済に消えるのでは、貧困層の購買力を補填して内需を保つという趣旨には合っていない。貧困層の生活を助けてはいるが、購買力は低下したままということになる。

借金返済のほかでは、たばこ代にも消える。最貧困層の半数以上がたばこを吸っており、物乞いがたばこを吸っている光景もよく見る。中央統計局が毎年貧困線の基準を算出する際にも、たばこ代のウェイトが大きい。先般、たばこ税の引き上げでたばこが値上げとなったこともあり、給付現金がたばこ代に消えることが予想されるのである。

借金もたばこも、現在の貧困層の生活にとっては必需である。給付現金は彼らを貧困から抜け出させるのが目的ではない。給付される一定期間、その重荷を緩和するに過ぎない。中進国を目指すインドネシアの貧困問題はまだまだ終わらない。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第45回 新社会団体法が成立(2013年 7月 4日)

インドネシアにある全社会団体を規定する社会団体法が、7月2日に成立した。国家による監視強化を懸念するナフダトゥール・ウラマ、ムハマディヤといった有力イスラム団体による反対を押し切った形だ。

実は、この社会団体法は、スハルト絶頂期の1985年に成立した社会団体法の新版である。1985年法は、国内のすべての組織の存立唯一原則にパンチャシラ(建国5原則)を置くことを定めた。イスラム教を存立原則とするイスラム団体は、パンチャシラの下にイスラム教が置かれるこの法律の成立に猛反対した。成立前後には銀行爆破事件やボロブドゥール爆破事件など暴力的行為さえも頻発し、スハルトによってイスラム過激派が一掃される契機ともなった。

スハルト退陣後、民主化が進むなかでも、社会団体を規定する1985年法はそのまま温存されてきた。しかし、民主化のなかで、パンチャシラを存立唯一原則としない多数の社会団体が生まれ、1985年法は有名無実化した。相当に遅ればせながら、インドネシアも民主化時代の新しい社会団体法の成立へと動いている訳である。今回も、パンチャシラを組織の存立唯一原則とするかどうかが激しく議論されたが、結局、原則化は見送られた。

新社会団体法の目的のひとつは、アナーキーな活動を行う社会団体への監視である。たとえば、バーなどへの襲撃事件を起こすイスラム擁護戦線(FPI)といった団体をどう規制するかが課題になる。言論・表現の自由との兼ね合いも問題となり、日本でのヘイトスピーチをめぐる動きを彷彿とさせる。

また、外国人・団体が単独またはインドネシア人・団体と一緒に設立する社会団体についても監視の対象となる。政府に批判的な社会団体には、外国資金が入っているとの疑いがかけられるのがこれまでの常だった。

新社会団体法に対する反対運動はしばらくくすぶりそうだ。新法が新たな社会団体監視のための道具とならないことを祈るばかりである。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第44回 石油燃料値上げと補償プログラム(2013年 6月 27日)

西インドネシア時間6月22日午前零時、政府は満を持して石油燃料を値上げした。ガソリンは1リットル当たり4,500ルピア(約44円)から6,500ルピアへ、軽油は同じく5,500ルピアへ、全国一律の引き上げである。すぐに、各地の公共交通料金が15%程度値上げされた。

今回の石油燃料値上げは用意周到だった。まず、値上げの影響が大きいとされる貧困層1,550万世帯向けに暫定直接補助金(BLSM)9兆3,000億ルピアを配る。1世帯・1カ月当たり15万ルピアを2カ月分ずつまとめて郵便局で受け取る仕組みである。

政府は6月初め、すでにこの貧困層へ社会保障カード(KPS)を配っており、その保持世帯のみにBLSM受給資格を与えた。最終的に、人口の約25%に当たる6,000~6,300万世帯へKPSが発行される予定だが、今回のBLSMの対象は1,550万世帯に限られる。KPS保持世帯は、家の床がタイル張りでない、部屋が狭苦しい、電気使用が微量、世帯収入元が不明確、などの特徴のある世帯である。KPSは個人情報がバーコード化されているので不正しにくいはず、と政府は説明する。

ほかに、貧困層向けにコメの廉価支給プログラム(Raskin)があり、向こう15カ月間、KPS保持世帯へ毎月15キログラムのコメを1キログラム当たり1,600ルピアで販売する。また、貧困学生支援プログラムもあり、KPS保持世帯の小学生へ年間1人45万ルピア、中学生へ同75万ルピア、高校生へ同100万ルピアが奨学金として支給される。対象生徒は1,660万人である。

ユドヨノ大統領が石油燃料値上げをなかなか発表しなかったのは、実は、これらの仕組みの準備に時間がかかっていたためともいえる。実際、KPS保持者情報を受け取っていないとして、末端レベルの村長がBLSMの配布を見合わせるなどの混乱が見られる。それでも、2005年や08年の貧困層向け直接補助金に比べれば上出来という評価である。

14年の大統領選挙を控え、確かに政治的な得点稼ぎの意味はある。しかし、KPS導入は一過性ではなく、今後の国民皆健康保険導入などへつながる動きとしても注目される。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第43回 学生の石油燃料値上げ反対デモ(2013年 6月 20日)

補助金対象石油燃料の値上げを控え、全国各地で学生らによる反対デモが頻発している。とくに激しいのが南スラウェシ州の州都マカッサルで、州知事庁舎へ強引に突入しようとした学生らと警官隊が衝突したほか、連日、古タイヤを路上で燃やしたり、タンクローリーを襲ったりして、幹線道路を封鎖し、大渋滞を引き起こしている。

かつてマカッサルに長く住んだ筆者の記憶では、激しい学生デモがマカッサルで起こり始めたのは1996年頃である。発端は乗合バスの料金値上げ反対デモだったが、学生らが警察を挑発、それに乗った警察が発砲して学生が死亡、地元紙の1面にその遺体の写真が掲載された。これをきっかけに拡大したデモは軍や警察に対する反抗デモへと転化し、スハルト強権体制への批判につながっていった。振り返れば、あれがその後の体制転換への導火線だったとも思える。

その後も、事あるごとに学生デモが頻発し、マカッサルは「デモの町」というイメージが固定した。だが、学生に聞くと、理論武装のための学習会を行った形跡はない。何が目的か分からない者も多数いた。カネをもらったと白状する者さえいた。こうして、学生デモは一種の「伝統」となり、先輩らのそれを超えること自体が目的となる。渋滞を引き起こす自分らのパワーに酔っているのかもしれないが、住民には本当にいい迷惑である。

実際、デモで目立つ学生活動家は政治の世界へ入っていく。学生デモは政治家へのステップなのである。今回、全国各地でデモを主宰するのは、イスラム学生連合(HMI)やインドネシア・ムスリム学生行動連盟(KAMMI)など全国組織のイスラム系学生団体であり、多くの政治家の出身母体でもある。

マカッサルなど、デモの起こっている地方都市はまさに地方首長選挙の最中であり、学生の先輩である政治家がこの機会を利用する。同様に、石油燃料値上げ反対を標榜した福祉正義党(PKS)など政党の動きとも連動していることはまず間違いない。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第42回 「ずぶ濡れの乾季」の影響(2013年 6月 13日)

インドネシア各地で連日、雨のよく降る日が続いている。気象庁は今月2日、年末までそうした状態が続くとの予報を発表した。

赤道付近の海水温が上昇するラニーニャの影響で、インドネシア海域で大量の水蒸気が発生している。一方、本来ならばそれをアジア大陸方向へ吹き飛ばす役割を果たすオーストラリアからの季節風の吹き出しが弱いため、インドネシア上空は雨雲ができやすい状況にある。降雨量の多い状態が続く可能性もあり、今年は「ずぶ濡れの乾季」になるのが確実である。

「ずぶ濡れの乾季」は、すでに農林水産業へ影響を与え始めている。本来なら受粉期を迎えているにもかかわらず、長引く雨で野菜や果物の花粉が洗い流され、受粉がうまくできない様子である。このため、例年の乾季作と比べて2分の1~3分の1の収量となる見込みのところが出てきた。水産業でも、天候不順で漁に出られない日が続くほか、海水温の変化で本来の漁場で水揚げが振るわない状況も現れている。ただし、米作について、政府は、今のところ昨年並みの作柄が期待できると楽観的な見方をしている。

「ずぶ濡れの乾季」による農林水産業への打撃がどの程度になるかは、今後のインドネシア経済を見ていくうえで重要なポイントになる。インドネシア経済は、国際収支の悪化、外貨準備減少とそれに伴うルピア軟化(6月3日に1米ドル=1万ルピアを突破)で、2013年の国内総生産(GDP)成長率が6.3%へ下方修正され、インフレ懸念も表れている。そこへ経済を下支えしている農業の不振が加わった場合、予想以上に深刻な状況へ陥る危険がある。

それは1997~98年の通貨危機の際、コメなど農業生産の不振が加わって、経済危機、社会危機、政治危機へと展開していった過去を思い出させるからである。「ずぶ濡れの乾季」がインドネシア経済へ悪影響を与えないことを願いつつ、状況を注意深く見守っていきたい。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第41回 燃料値上げ反対の福祉正義党(2013年 6月 7日)

牛肉輸入枠をめぐる汚職事件に深く関与した福祉正義党が、来年の総選挙を控えて、組織存続のためになりふり構わぬ行動に出た。ユドヨノ政権が計画している補助金対象石油燃料の値上げに反対の姿勢を明確にしたのである。同党は政権与党であり、しかも、値上げに賛成した過去もある。だが、党内では、今回の牛肉輸入枠汚職事件で、ユドヨノ大統領が守ってくれなかったことへの不満が大きいと予想される。

福祉正義党は、牛肉輸入枠を特定業者に配分するために工作した見返りとして業者から賄賂を受け取っただけでなく、それを組織的にマネーロンダリング(資金洗浄)した疑いが持たれている。実際、党所属の一部政治家の問題で済ますことはできず、党首や党最高顧問までもが積極的にかかわった疑いが出ている。

牛肉輸入枠をめぐっては、党員のススウォノ農相の関与も取り沙汰され、このままでは福祉正義党は解党せざるを得ないとの危機感さえも現れている。実際、それを見越すかのように、すでに、党幹部のタムシル・リルン国会議員がマカッサル市長選挙へ立候補を表明するなど、福祉正義党の地盤沈下を見越した生き残り策を模索する党員も出始めた。

もともと福祉正義党は、清廉なイスラムのイメージを前面に、反汚職のためのジハード(聖戦)を訴え、旧来政治の刷新を目指す政党だった。コーランに基づくイスラムの教えを忠実に伝えるダクワ(布教)政党の一面も持ち、イスラム原理主義的な性格さえうかがえた。しかし、イスラム政党への支持が広がらないなかで、ユドヨノ政権与党となって政治の現実世界へのかかわりを強めるにつれ、同党だけが清廉さを維持することは難しくなった。そして今回の汚職事件で、かつての清廉イメージは回復不可能となった。

福祉正義党の石油燃料値上げ反対表明は、汚職事件から世論の目をそらせる小細工に過ぎない。世論の目は厳しく、解党の危機はむしろ深まっていくことだろう。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第40回 ハティブ新財務相への期待(2013年 5月 30日)

5月21日、新財務相にハティブ・バスリ投資調整庁(BKPM)長官が就任した。新財務相は、インドネシア大学経済学部を卒業し、オーストラリア国立大学で博士号を取得、インドネシア大学経済学部経済社会研究所(LPEM)副所長などを歴任したエコノミストである。

彼の専門は国際経済学であり、必ずしも金融の専門家ではない。また、純粋理論経済学者というよりはバランスのとれた現実重視派で、在野エコノミストとして著名だった故シャフリル氏に近い、社会経済学者的な側面を持つ。彼を世銀・国際通貨基金(IMF)の手先として糾弾するのは筋違いと思われる。

彼は、2004年のユドヨノ政権発足前からユドヨノの経済ブレーンのひとりと目されており、一時は国家開発企画庁(バペナス)長官の有力候補ともなったが、結局は見送られた。その後しばらくインドネシア大学へ戻り、世銀やIMFなどのプロジェクトに携わった後、BKPM長官として入閣を果たした。政治的野心のないプロフェッショナルで、腰の低い気さくな性格でもある。

財務省には、同じくインドネシア大学経済学部の2年先輩であるバンバン・ブロジョヌゴロ財政政策庁(BKF)長官がおり、このコンビが実質的に同省を動かしていくことになるだろう。2人ともブディヨノ副大統領やアルミダ・バペナス長官とも近く、経済政策の中核を彼らが決めていくことになる。

ハティブの前任だったアグス・マルトワルドヨ前財務相は中央銀行総裁に就任する。バンク・マンディリ頭取から転じたアグスが財務相の座を追われたのは、ユドヨノ周辺が側近のアニ財務副大臣を通じて求めた案件への予算増について、アグスが財政規律堅持を理由に拒んだためという見方がある。政治の季節を迎えるなかで、現実派のハティブ新財務相が前任者よりも柔軟と見られる可能性がある。

経済成長率見通しが下方修正され、インフレ圧力が強まるなど、インドネシア経済の舵取りは難しさを増している。わずか1年半の任期ではあるが、新財務相の手腕が期待されるところである。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第39回 ユドヨノへのネポティズム批判(2013年 5月 23日)

ユドヨノ大統領に対するネポティズム(縁故主義)批判が現れている。5月初めに、各政党から2014年総選挙立候補者名簿が選挙委員会(KPU)へ提出されたが、民主党の国会議員候補者560名のうち、ユドヨノの親族が15名含まれていたためである。

15名には、息子のイバス(東ジャワ州7区名簿順1番)をはじめ、従兄弟のサルトノ・フトモ(同州同区2番)、義弟のハルタント・エディ・ウィボウォ(バンテン州3区1番)、義弟のアグス・ヘルマント(中ジャワ州1区1番)とその息子や甥が2名、義弟のハディ・ウトモ元民主党党首の息子や甥(おい)など5名、などが含まれる。

インドネシアにおける家族の範囲は日本よりも広い。今回の15名についても、義弟の甥まで家族に含まれている。とくに、ユドヨノの妻のアニが故サルウォ・エディ将軍の娘であり、この系統の人物が15名の大半を占める。サルウォ・エディは過去に数々の軍事上の功績を上げ、今も軍人中の軍人として尊敬されている。

ネポティズム批判に対して、民主党は「有能な候補者を選んだら、たまたまそうなったに過ぎない」と反論する。これは、ネポティズム批判をかわす常套(じょうとう)文句である。

スハルト時代のファミリー・ビジネスは、この常套文句で正当化された。最初は「たまたま」でも、それが繰り返されると「定評」へ変化する。スハルトの子供のビジネスは、「プリブミの代表」という意味も加えられ、特別扱いされていった。

ユドヨノも、09年にジョージ・アディチョンドロ著『グリタ・チケアス』(訳:チケアスのタコ)でファミリー・ビジネス批判を受けたことがあり、とくに妻のアニが関わる財団が標的となった。しかし、この本はマスコミでほとんど注目されず、ファミリー・ビジネス批判は立ち消えとなった。

大統領再選のないユドヨノは、「名誉ある大統領」として歴史に名を残すため、自身への人気を気にし続けている。もちろん、ネポティズム批判の広がりを注意深く監視していくはずである。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第38回 カディン内紛の背景(2013年 5月 16日)

財界を束ねるはずのインドネシア商工会議所(カディン)が内紛の渦中にある。4月26日、スルヨ・バンバン・スリスト会頭に批判的な9つの州商工会議所が中心となり、西カリマンタン州ポンティアナックで「臨時全国大会」を強行開催。暫定新執行部が選出される事態となった。この造反劇を仕切ったのは、カディン評議会のウスマン・サプタ・オダン議長であり、彼は「臨時全国大会」で暫定会頭に選出された。

一方、「臨時全国大会」の開催自体を認めないスルヨ会頭らカディン現執行部は、直ちに動いた。すなわち、造反した9州商工会議所の会頭を解任し、後任を充てる人事を行うとともに、ウスマンを評議会議長から解任した。

カディン内紛の発端は2010年の会頭選挙にある。勝利したのは、ゴルカル党党首で実業家アブリザル・バクリーの側近中の側近であるスルヨであり、彼は組織担当の筆頭副会頭に、アブリザルの息子・アニンディヤを次期会頭含みで据えた。カディンは2014年大統領選挙に立候補したアブリザルを支える組織と化し、カディンの政治化が顕著となった。

これに対して、ユドヨノ大統領に近づき、政商として急速に台頭したウスマンは、会頭選挙当初はスルヨ支持だったものの、自身の政治的思惑や野心から、目立った成果を上げずに外遊に明け暮れるスルヨへの批判を強めていった。ウスマンは弱小政党である国民統一党の党首でもあり、インドネシア農民連盟会長職の正当性を巡って、グリンドラ党のプラボウォ党首と争うなど、ユドヨノ後のインドネシア政治に影響力を行使すべく動いてきた。

スルヨ体制のカディン執行部は、アブリザルに批判的なインドネシア経営者協会(Apindo)とも対立関係を深めた。ただし、Apindoのソフィヤン・ワナンディ会長はウスマンから「臨時全国大会」への支持を求められたものの、それを明確に拒否した。

14年大統領選挙を控え、政治化したカディンをめぐる内紛は、まだまだ続きそうである。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第37回 外国銀行の台頭と特殊銀行論(2013年 5月 2日)

ここ数年、インドネシア国内では外国銀行の台頭への警戒論が出ている。中央銀行は昨年11月、資産5兆ルピア(約500億円)以下の外国銀行支店は資本追加または事業縮小のいずれかを選択することや、外国銀行支店は3年以内にインドネシア法人とすることなどを含む新政策を発表した。今年3月には、次期中銀総裁のアグス蔵相が「外資系合弁銀行のトップにはインドネシア人が就くべき」と発言した。これらの動きを、ナショナリズムの影響が濃くなっていると過敏に受けとめる向きもある。

しかし、中銀が外国銀行の台頭を真に深刻に考えている様子はない。4月25日開催の「外国支配が進む中での特殊銀行の可能性と挑戦」と題したセミナーで、中銀のムルヤ・シレガル研究開発部長は、外国銀行のシェアが貸付で33%、資産で37%、預金で36%、中核資本金で42%とのデータを掲げ、「外国銀行支配という状況にはまだ遠い」との認識を示した。

外国銀行の台頭に危機感を感じているのは、競争相手となる一部の国内銀行である。同セミナーに出席したシギット・プラモノ全国銀行協会会長は、中小企業向け、農業向けなど、産業別に特化した特殊銀行を設立する必要性を強調した。そこには、特殊銀行を活用しながら経済成長を進めた中国のやり方をインドネシアも見習うべきとの考えがある。

実際、1980年代の金融自由化以前は、たとえばバンク・ラクヤット・インドネシア(BRI)は中小企業向け、バンク・ダガン・ヌガラ(BDN)は商業向け、というふうに各国立銀行には対象産業が想定されていた。金融自由化後にそれが崩れ、複数の国立銀行が合併してマンディリ銀行が誕生するに至った。それが今、外国銀行の台頭をきっかけに特殊銀行待望論が現れてきた。

特殊銀行設立に中銀は否定的である。全セクターを対象とすることで、銀行は特定産業におけるリスクを回避し、競争力を高めてきたからである。アグス新中銀総裁も、現実的な対応を継続すると見られる。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第36回 高校卒業国家試験の顛末(2013年 4月 25日)

インドネシアでは、小学校、中学校、高校に卒業国家試験があり、これに合格すると卒業資格を得る。毎年この時期になると、卒業国家試験のあり方が国民的な議論となる。

今年も、高校卒業国家試験で混乱を極めた。同試験は4月15日に実施予定だったが、南・東カリマンタン州、スラウェシ全州、バリ州、西・東ヌサトゥンガラ州の11州・110万人については、4月18日に実施が延期された。問題用紙の配布が遅れ、4月15日に間に合わなかったというお粗末な理由によるものだ。

延期された18日になっても完全には行き渡らなかった模様である。それを見越して17日、教育文化省は、警察、地方の教育局、大学による監視を条件に、「試験問題用紙が足りない場合はそのコピーでも可」と通告する有様だった。その場合、受験生は解答用紙がないため、問題用紙に解答を書くことになる。なお、日程変更で、懸念されたのは問題内容の漏洩(ろうえい)であるが、試験問題は20種類あり、地域ゾーンによって別々の試験問題を使うので心配ないと政府は説明する。

試験問題の漏洩やカンニングは、卒業国家試験では常に大きな話題となり、それが発覚して卒業資格取消となるケースがある。さらには、教師が試験問題の解答を教えるという事態さえ起こることがある。卒業国家試験の合格率の高い学校や教師は優秀と評価されるため、合格率を上げるために積極的に行われるのである。

背景には、学校教育現場で成績が公正に評価されない現実がある。学校や教師は、政治家、高級官僚、実業家などから寄附や資金援助を受ける見返りに、彼らの子弟に特別な配慮を払う。何かあれば親から電話一本で圧力がかかるのである。

こうした学校教育環境のなかで、子供たちは世の中の不公正な現実を疑似体験し、さらには真摯(しんし)に学習する意欲を失い、卒業資格を取るためのテクニックへ走ってしまう。卒業国家試験をめぐる問題の根は深く、より構造的な問題にメスが入られなければならない。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第35回 また起きたライオン航空の事故(2013年 4月 18日)

2013年4月13日、西ジャワ州バンドン発バリ州デンパサール行きのライオン航空JT904便のボーイング737-800NG型機が着陸に失敗し、滑走路に入る手前で海へ着水した。幸い、乗客101人と乗務員7人は全員救助されたが、乗客44人が重軽傷を負った。事故機は12年製で、ライオン航空が今年3月18日に受領したばかりの新機材だった。

事故当時のデンパサール付近の天候は良好だったが、着陸時に黒雲に入ったとの証言がある。ただし、事故機が最新鋭機であることから、むしろ、ヒューマン・エラーの可能性が強まっている。もっとも、機長の飛行時間は1万時間以上、インド人の副機長は2,000時間以上で、尿検査における麻薬・アルコール反応はなかった。

ライオン航空側は、国内線で1日5回の離着陸が機長の勤務標準となっており、その日は3回目の離着陸だったため、パイロットの疲労が原因とは考えられないとしている。しかし、ある識者によると、飛行機1機につき4人の機長と4人の副機長が充てられ、それが交代で乗務するのが理想だという。ライオン航空は現在、91機を保有するが、計728人の機長・副機長が確保されているかどうかは怪しい。いずれにせよ、事故原因の究明にはフライトレコーダーの回収・解析が待たれる。

00年6月に運航開始したライオン航空は、低価格を売り物に、国内最多乗客数2,394万人(12年)を誇る航空会社へ成長した。ボーイング社へ最新鋭機を200機以上大量注文し、機体の新しさもアピールしてきた。しかしその一方で、これまでに離陸失敗やオーバーランなど少なくとも11回の事故を繰り返している。

ライオン航空など格安航空会社の参入で、人々は長距離移動の手段を従来の船から飛行機へ代えていった。運輸省によると、12年の国内航空旅客数は6,157万人で、うち4割近くをライオン航空が運んでいることになる。国内にはライオン航空しか飛んでいない場所が多数あり、経済的にも物理的にも、この航空会社を使うしかない人々の数はまだまだ多いのである。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第34回 コパススのたそがれ(2013年 4月 11日)

陸軍参謀本部は4月4日、3月23日に起きたジョクジャカルタ特別州チュボンガン刑務所への武装勢力による襲撃事件は、陸軍特殊部隊(コパスス)の軍人による犯行だったと発表した。彼らの上官がジョクジャカルタ市内のカフェで残虐に殺害されたことへの報復として、犯人の収容されている刑務所を襲撃したのである。

識者の多くは、今回の無法な刑務所襲撃を「民主主義の危機」と厳しく批判した。しかし同時に、暴力を是認する「ならず者(プレマンと呼ばれる)主義」に対する批判も高まりを見せている。特に、政治家がプレマンを用心棒のように使い、政治の世界に暴力を持ち込んだことへの批判が強い。今回、コパススの上官もプレマンに殺害された。

もっとも、コパススも警察も、これまでプレマンを情報源としても活用してきた。だが、民主化の進展に伴う法治主義の徹底により、治安維持やテロ対策の役割が警察へ移され、コパススの活躍の場は限定的になった。それにより、コパススとプレマンとの関係も相対的に希薄になった。また、民主化で情報開示が進められ、コパススが過去に関わった闇の部分が明かされ始めると、精鋭部隊の輝きは大きく失われていった。

赤ベレーのコパススといえば陸軍の最精鋭エリート部隊である。歴代の陸軍幹部のほとんどはコパスス出身者だった。その任務は、ハイジャックや人質事件への高度な対応、テロ対策などが中心だったが、1980年代半ばの「ミステリアス・シューティング(ならず者一掃作戦)」や、1990年代後半の反政府活動家誘拐事件など、闇の作戦も担ってきた。

有力大統領候補の1人、グリンドラ党のプラボウォ党首はかつてコパスス司令官を務め、東ティモール、パプア、アチェなどでの工作活動を仕切った。1998年5月のジャカルタ暴動へのコパスス絡みでの関与も取り沙汰される人物である。コパススの負のイメージはプラボウォと密接につながる。コパススのたそがれは、プラボウォに対する間接的ダメージにもなる。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第33回 アチェの州旗・州章問題(2013年 4月 4日)

アチェ州は3月25日、カヌン(州令)2013年第3号により、州旗と州章を1976~2005年までかつての反政府組織・独立アチェ運動(GAM)が使ってきた旗と記章にすることを正式に定め、すべての行政機関で即時使用を義務づけた。GAMの旗と記章は、いわば、インドネシアと闘ってきたシンボルでもある。州政府は、アチェ行政に関する法律2006年第11号で「国旗以外に、アチェ州は独自の州旗を定めることができる」と規定されている点を挙げ、問題ないと認識している。

アチェは、政府側とGAM側が2005年にヘルシンキ和平協定を締結して戦争状態が終結し、アチェ特別自治の下、地方政党の結成など他州にはない独自策が認められた。その後の総選挙や州知事選挙では、GAM直系のアチェ党が勝利した。現在の正副州知事はいずれも元GAM高官・司令官であり、アチェ州政府は「元GAMの政府」といってよい。

2005年のヘルシンキ和平をめぐっては、インドネシア政府はGAMの壊滅が困難と認識し、GAMを体制内に取り込んで弱体化させることを目指した。他方、GAMはインドネシア政府に属しながらも、州政府を支配することで、実質的にGAMによる政府を実現させた。今回の州旗と州章の制定はその集大成の意味を持つ。

ただし、インドネシア政府のGAMへのアレルギー意識はまだ残っているようだ。内務省は、アチェの州旗と州章を定めたカヌンが上位法に照らして適正かどうか審査すると表明した。これを受けて、アチェ州政府は州旗と州章の即時使用を延期した。

しかし、実はアチェ内部で州旗と州章への反対運動がある。たとえば、コーヒーで有名な山岳部ガヨ族の代表は、GAMはアチェの一部種族しか代表していないと批判する。これが昔からのアチェ海岸部と山岳部の対立意識の反映なのか、あるいは政治的な動きなのか、注目される。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第32回 ユドヨノ大統領の不安(2013年 3月 28日)

3月25日に予定された大規模デモは、結局、警察に許可を申請せぬまま、前日までに中止となった。もっとも、当日は学生ら約百人がホテル・インドネシア前ロータリーでデモを行ったが、混乱は起きなかった。

だが、今回の治安部隊の警戒ぶりは、従来に比べても異様なほど厳重だった。ホテル・インドネシア前ロータリーには多数の警察官が配置され、サリナ・デパート裏には自動小銃を持った兵士と国軍トラックが待機した。デモ対策は通常警察が行うのだが、軍が出動態勢を敷くのは異例といってよい。最初から「大した事態にはならない」と分かっていたはずなのに、なぜ政府は、軍まで待機させて仰々しい警備体制を敷いたのだろうか。

先週から、ちまたでは「ユドヨノ政権転覆を狙う勢力が動きそう」「クーデター?」といったうわさが流れていた。ユドヨノ自身も政府関係者もこうした言葉は使っておらず、記者会見でマスコミが使った言葉が流れたようだ。それでもユドヨノは、次期大統領候補であるグリンドラ党のプラボウォ・スビヤント党首(国軍士官学校でユドヨノと同じ1973年卒)や退役軍人7人を相次いで大統領官邸へ招き、反政府的な動きへ同調しないよう暗に求めたようである。ユドヨノ自身、明らかに政治的動揺を隠せていない様子がうかがえる。

与党民主党の支持率が下がり、党体制立て直しのためにユドヨノ自身が前面に出て、汚職容疑のアナス党首を辞任させる措置を取ったが、民主党の支持率は上昇する気配がない。いったん不安に駆られると不安が増長し、必要以上に自分の周りを警戒する。国家官房の火事でさえ、何かの陰謀ではないかと勘繰る。常に人気動向を気にしてきたユドヨノがそんな心理状態に陥っている可能性がある。

今回の過剰とも思えるデモへの対応は、こうしたユドヨノ大統領の不安の表れである一方、政権転覆やクーデターなどを絶対に起こさせないという、ユドヨノの毅然(きぜん)たる態度を社会に印象付ける意味もあった。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第31回 野菜・果物の輸入規制(2013年 3月 21日)

好調なインドネシア経済にインフレの影が忍び寄っている。消費者物価上昇率は2012年通年の4.30%に対して、13年1月は前年同月比4.57%、2月は同5.31%と、上昇傾向がさらに顕著となった。とりわけ、2月に最も上昇したのは食料品である。中央統計局は、政府が野菜・果物の輸入を規制しているのに対し、国内農家からの供給が不足していることが原因とみている。

インドネシアはまだ農業の比重が高い国ではあるが、野菜や果物を中国などから大量に輸入している。このため、政府は、国内農家保護と国内生産振興のため、これらの輸入規制を実施している。ただし輸入禁止ではなく、収穫期などの状況を見ながら、農業省が輸入業者へ輸入推薦状を発行するかしないかで規制をかけている。

300種類以上の野菜・果物のうちで貿易対象は90品目あり、規制対象は20品目。そのうち年前半に収穫期を迎える13品目が1~6月に、年後半が収穫期の7品目は7~12月に規制される。ちなみに、1~6月の規制対象は、ジャガイモ、キャベツ、ニンジン、トウガラシ、パイナップル、メロン、バナナ、マンゴー、パパイヤ、ドリアン、菊花、ラン花、ヘリコニア花である。ただし、これ以外でも、輸入推薦状の発行の可否で輸入規制が可能になる。

このところ大問題となっているのがニンニクである。ニンニクの価格は、数週間前まで1キロ当たり1万ルピア台だったが、たとえば先週の東ジャワ州ジェンブルでは10万ルピアを超えたと報道されている。ニンニクはインドネシア料理に欠かせない日常の食材であるにもかかわらず、需要の95%を輸入に依存している。

現在、多くの輸入ニンニクがスラバヤ港にとどまっている。ニンニク輸入業者側は、農業省からの輸入推薦状の発行が遅れて搬入できないと政府を非難する。一方、輸入許可等の書類は整っているのに、輸入業者が価格上昇を期待して意図的に搬入を遅らせているとの見方もある。庶民の生活に直結する問題だけに、早急な解決が求められる。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第30回 軍人が警察署を襲撃(2013年 3月 14日)

3月7日、南スマトラ州オガン・コメリン・ウル県で、陸軍砲兵部隊に所属する75人の軍人が同県の警察本署を襲い、建物を焼失させた。軍人らは、さらに他の警察署も次々に襲撃していった。今回の軍人による警察への攻撃は、1月27日に砲兵部隊の軍人が交通警察に射殺されたことへの報復とされている。

軍人らは警察本署周辺の道路をあらかじめ封鎖し、車両の通行を止めてから襲撃を開始。事前に知らされていたためか、周辺にある学校は休校し、商店も早々と閉店していた。この襲撃によって、警察本暑に拘置されていた30人が逃走した。3月8日、国軍第2軍区シリワンギ師団のヌグロホ司令官は警察に対して謝罪し、「組織としての国軍と警察の間には何も対立はない」と強調した。

1998年5月のスハルト政権崩壊後、それまで国軍の一部だった警察は軍から切り離され、軍は国防、警察は治安を担うことになった。テロ対策やデモ対応も、今や警察の仕事である。独立か否かで揺れたアチェでも和平が実現し、かつてのような、国内紛争地域で業績を上げた軍人が出世する時代は終わった。地方軍区の数を増やしたり、国境警備の予算を手厚くしたりするのは、軍人の雇用機会確保という意味もある。爆弾テロ事件を契機に、ホテルやショッピングモールの警備員の数も増えた。軍人であることがもはやステータス・シンボルではなくなったのである。今回の軍による警察への襲撃事件の背景には、こうした軍人の将来への不安があったのではないかと想像する。

だが、実際は、もっと些細で感情的な話に過ぎないのかもしれない。以前、南スラウェシ州マカッサルにいた頃、陸軍戦略予備軍(Kostrad)の兵士と警察官が女性をめぐってトラブルになり、両者が自分の仲間を引き連れてきて一触即発の事態となったことがある。おそらく、これまでにも軍人と警察官の些細な喧嘩が、種族や宗教などのニュアンスを伴い、住民を巻き込んだ暴動へ発展したケースが少なからずあったに違いない。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第29回 資金まみれのパプア州で州知事選挙(2013年 3月 7日)

パプア州選挙委員会は2月13日、先に行われた州知事選挙の結果、民主党推薦のルーカス・エネンベ(前プンチャック・ジャヤ県知事)=クレメン・ティナル(前ミミカ県知事)組が119万9657票(得票率52%)を獲得して当選、と発表した。

この州知事選挙自体、前職のバルナバス・スエブ州知事が過去に2回州知事を務めたことを理由に選挙委員会から立候補を取り消されるなど、紆余(うよ)曲折を経て、何度か延期された後で実施された。候補者の多くが現職県知事であるなか、人口の多い中央高地を抑え、資金力に勝るルーカス候補が最有力視されていた。

パプア州の開発政策では、点在する村々へ一定額の資金を配分する形態が採られる。とくに中央高地の村々へのアクセス手段が限られているため、バラまき型にせざるを得ない面もある。各村には州からの10億ルピアに加えて、県からさらに10億~30億ルピアの資金が投下される。これらの資金は、町中の銀行にある各村の銀行口座へ振り込まれ、村から定期的に町へ降りてきて資金を引き出す、という形を採る。

特別自治を行うパプア州は、中央政府から通常の地方交付金に加えて、特別自治交付金を受け取る。県や村が分立して数が増えたため、その額は毎年増加している。その意味でパプアは決して貧しくない。村レベルへ配分される資金も、村人にとっては見当もつかないような額である。果たしてこれらの資金はどのように使われているのか。いや、そもそも、こうした資金の存在を村人は知っているのだろうか。

州知事選挙の結果発表後、2月21日にパプア州内2カ所で、民間武装勢力が軍施設を急襲し、8人の軍人と4人の民間人が死亡した。当選したルーカス候補のお膝元プンチャック・ジャヤ県で起きたため、選挙結果への不満が原因との見方もある。パプアではこうした暴力事件が後を絶たないが、「パプア独立」といったイデオロギーよりも、むしろ、どろどろしたカネの話が背景に絡んでいる可能性が高い。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第28回 民主党は「ユドヨノの党」で終わるのか(2013年 2月 28日)

ハンバラン総合運動公園事業をめぐる汚職疑惑は、アンディ・マラランゲン青年スポーツ大臣辞任後の第2幕に入った。2月22日、ユドヨノ大統領を支える与党民主党のアナス・ウルバニングラム党首が汚職容疑者に断定され、翌23日に党首を辞任した。同事業を落札した企業から謝礼を受け取った収賄容疑だが、汚職で禁固5年のナザルディン元民主党会計役による証言などで、アナスの関与は以前から取り沙汰されていた。

おそらく、ユドヨノ大統領も民主党もアナスが容疑者になることを事前に知っていたに違いない。2月3日発表の最新の世論調査で民主党の支持率は8.3%に落ち込み、ゴルカル党(21.3%)や闘争民主党(18.2%)に大きく水を開けられた。2014年の総選挙を控え、何としてでも、党勢回復を図らなければならない。とりわけ、党の汚職イメージの払拭が必須である。しかし汚職疑惑に対するアナスの潔白を証明するのは難しい。党内から公然とアナスの党首職辞任を求める声が高まる。そこで、党創立者でもあるユドヨノ大統領は自身が最高会議議長として前面に出ることを決断。息子のイバスも国会議員を辞めて党書記長職に専念させ、ユドヨノ色で民主党の立て直しを図ることとした。

ユドヨノはこうしてアナスを「切る」準備を整えた。そのうえで、ユドヨノ自身がアナスに「汚職撲滅委員会との法的問題へ集中するように」と指示し、柔らかに辞任を促した。自分が復活するまでの緊急措置と信じていたアナスは、党首辞任演説で「これは最初のページに過ぎない。次々にページをめくっていく」と反抗を示唆した。

次の民主党を担う逸材として期待され、有望な大統領候補と目されたアナスは脱落し、民主党はユドヨノの陣頭指揮に委ねられた。それは、民主党が設立後10年を経ても「ユドヨノの党」を超えられなかったことを意味する。政党組織として成熟できず、汚職イメージの剥がれない民主党は、2014年のユドヨノ引退とともに終わるのだろうか。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第27回 モノレールをめぐる駆け引き(2013年 2月 21日)

洪水と渋滞ですっかり有名になったジャカルタでは、地下鉄やモノレールなど、公共交通機関の建設を通じた抜本的な対策が一層必要性を増している。費用が高いと問題になったものの、ジョコウィ州知事から一応ゴーサインの出た地下鉄に引き続き、先週はモノレール建設にも青信号が灯された。

ジャカルタのモノレール構想は、そのずさんな資金調達計画からいったんは頓挫。数本の細い鉄筋がむき出しになったモノレールの支柱の跡が痛々しかった。運営会社のジャカルタ・モノレール社は今も存続しているが、このほど同社の9割の株式をオルトゥス・ホールディングという企業が買収、と報道された。

オルトゥス・ホールディングを所有するのは、実業家のエドワード・スルヤジャヤである。彼は、トヨタなどの合弁相手であるアストラ・インターナショナルの創始者ウィリアム・スルヤジャヤの長男で、1990年代に破綻したスンマ銀行のオーナーであった。

これにより、ジャカルタのモノレール事業はオルトゥス・ホールディングの手に任されそうだが、ユスフ・カラ前副大統領を総帥とするハジ・カラ・グループがこれに異を唱えている。ハジ・カラ・グループは、バンドン、スラバヤ、マカッサル、パレンバンなどの地方都市でモノレール建設を推進中であり、ジャカルタでのモノレール建設にも関わってきた。ジャカルタ・モノレール社はなぜ、今ここでオルトゥス・ホールディングへ乗り換えたのか。ジャカルタ・モノレール社のスクマワティ社長は同じ南スラウェシ州出身のユスフ・カラ氏とは親しい間柄だけに、謎は深まる。

モノレールの車体は、多くの乗客を乗せられる日本製、価格の安い中国製に加えて、2月11日にブカシで公開されたインドネシア製も候補である。ハジ・カラ・グループの絡むパレンバンでは中国製の導入が検討されているが、ジャカルタではどうか。この辺りの話がオルトゥス・ホールディングの進出と関係している可能性もある。

 

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