6月にインドネシアのパダン、マカッサルを訪問し、技能実習や特定技能をめぐる現地での状況や反応を色々と見てきた。そして、技能実習の一番基本的なところが間違っていることを痛感した。それは何か。
すなわち、本当の技能実習を行うならば、そのイニシアティブは送り出し側になければならない、ということである。
西スマトラ州パダン市内のある日本語研修センター(LPK)にて
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公益財団法人国際研修協力機構(JITCO)が記すように、技能実習制度の目的・趣旨は、我が国で培われた技能、技術又は知識(以下「技能等」という。)の開発途上地域等への移転を図り、当該開発途上地域等の経済発展を担う「人づくり」に寄与するという、国際協力の推進である。
これは、常に強調されることではあるが、実態とはかけ離れている。
文字通り読めば、日本側で移転したい技能・技術又は知識があり、それを学びに開発途上地域等の人材に移転を図り、人づくりに貢献する、ということになる。
これを読む限りでは、外国人材にどこで技能・技術又は知識を移転するかは特定されていない。従来の経済協力のように、日本人専門家を派遣して当該開発途上地域等で移転してもよいし、日本に来てもらって移転してもよい。
日本は、どんな技能・技術又は知識を移転したいのか。それならば、日本に技能実習のイニシアティブがある。従来の経済協力ではそれが明確だった。
日本が移転したい技能・技術又は知識のなかで、日本に来てもらわないと移転できないものは何か。本当ならば、それも吟味しなければならない。
現状からすれば、そうした日本から移転したい技能・技術又は知識とは、たまたま偶然に、日本で人手不足となっている職種の技能・技術又は知識、ということなのだろうか。
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まやかしもいい加減にしてほしい。
インドネシアで、技能実習生がどのように募集されているのか。インドネシアでは、労働省が決めた人数を各州に割り振り、各州の労働局が窓口となって割り当てられた人数を満たすことに躍起になっている。
筆者も西スマトラ州労働局と最初にコンタクトした際、「日本では何人必要なのだ?」といきなり聞かれた。州労働局がその人数を用意するというのだ。
大事なのは人数なのだ。溶接の仕事をしていた人が日本で溶接を学ぶ、という風にいちいち丁寧に人を探していたのでは、人数を満たすことなどできない。まして、鳶(とび)といった職業はインドネシアでは見かけない。
現実には、そうした前職経験のない、仕事が見つからない失業青年たちの応募が想定されている。若者の失業対策として、日本への技能実習は有益なプログラムと受け止められているのだ。
では、誰がインドネシア労働省に必要人数を求めているのか。日本は政府としては行っていないはずである。それを行っているのは、インドネシアにおける送り出し+日本における受入れの過半を扱っている某団体である。
技能実習制度は、本来ならば、もともと持っている技能・技術又は知識を高めるために、日本で研修を行うという制度である。それが形骸化していることは、誰もが知っている公然の事実である。
インドネシアで話を聞くと、日本へ行く前に、日本で何を学ぶのか、どこで研修するのか、了解して日本へ向かう技能実習生はごく少数であり、ほとんどは、日本に着いてはじめて、どこで研修するのかがわかる、という。
でも、彼らのビザは発給されている不思議・・・。えっ、履歴書や前職経験は問題ないのか・・・。
そこには深い闇がある。
その深い闇について、ここでは触れないが、技能実習のそもそも論のところから誤っていて、その誤りが訂正できないほど、闇が深くなっているということ。
つまり、もし、その誤りをすべて本気で正したら、もしかすると日本経済は動かなくなるかもしれない、という状態なのだと察する。だから、闇は闇のまま放置される・・・というのだろう。開き直りなのだ。
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学ぶというイニシアティブと教えるというイニシアティブは、本来、どちらが最初なのか。今の技能実習は、教えるというインセンティブが先にある、と読める。でも、教わる(学ぶ)側がその技能・技術又は知識を教わる動機が強くなければ、教えるという行為は有効にならない。
筆者は、学ぶ側のイニシアティブが最初だと考える。何を学びたいかが明確ならば、それを教える相手を的確に探すことができる。技能実習生の研修への取り組みはずっと熱心になり、教える側もその熱意を受けて、それが彼らの帰国後に生かされると信じて、一生懸命に教える。
自分が日本で何を学ぶのか、どこで学ぶのか、分からない者は、日本で技能実習を受ける動機が「いくら稼げるか」以外にはなくなる。それでも、自分の適性と何の関係もなかった技能・技術又は知識を身につけ、技能国家試験に合格する者さえいる。それは、この技能実習制度の成果ではなく、実習生個人の類まれなる努力によるものでしかない。
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筆者は、学ぶ側のイニシアティブをまず重視したい。日本へ何を学びに行くのか、その認識を明確にしたいと考える。日本へ行く動機が明確になれば、日本語の勉強により集中できるはずである。
日本へ行って学ぶ動機としては、個人の持つ動機以外に、インドネシアの地域が自らの地域をどのように開発していくか、その開発のためにどのような人材が必要か、という観点から、地域から期待される人材を技能実習へ送り出す、ということが考えられる。
たとえば、今回訪問した西スマトラ州パヤクンブ市の副市長は、インドネシア料理として名高いルンダン(牛肉のココナッツ煮)で地域おこしを試みながら、他の農産物などの食品加工業を起こしたい、パヤクンブ市を商人の町からものづくりの町へ変えていきたい、という明確な方向性を示した。
こうした地方政府の意向を受けて、将来の食品加工業を担える人材を育成したい、インドネシアで学べるもの・マレーシアで学べるもの・日本で学べるものを峻別し、日本で何を学ぶかを明確にする。それが明確になれば、筆者が学ぶ目的に適した日本の受入先を懸命になって探すことになる。
探した後、受入先に対して、単なる人手不足対策ではなく、送り出す地方政府がこのような意図をもって学ばせに来る人材であることを懇切に説明し、納得してもらったうえで、受け入れてもらう。目的を達成するための綿密な実習計画を受入先と策定し、その進捗をモニタリングする。実習終了後、インドネシアの当該地方へ戻った実習生が今度は地域でどのように活用されるかを地方政府と協議し、その活動状況をずっとモニタリングしていく。
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こうしたプロセスならば、本当の技能実習にだいぶ近づくのではないか。
このプロセスはとても面倒で手間がかかる。でも、人材育成とは本来そういうものであろう。筆者の目が黒いうちは、帰国実習生をずっと追いかけていきたいと考えている。
もちろん、目的意識を持った彼らを日本の企業が受け入れることが、その企業の立地する日本の地方にとっても有益なものとなるように努めていかなければならない。すなわち、インドネシアの実習生を送り出す地域にとっても、彼らを受け入れる日本の地域にとっても、どちらもプラスになる形を目指さなければならない。
外国人材を日本の地方活性化のための戦力としてどのように活かすのか。
この点については、別途、しっかりと論じてみたい。