カテゴリー: 東京
ペーパーレス化へ準備
先週、iPad Mini 5を購入し、Apple Pencilも揃えて、手書き入力できるノートアプリを二つ入れてみました。
都電荒川線沿いの可憐な花たち
我が東京の自宅の最寄り駅は大塚駅。JR山手線と都電荒川線(さくらトラムという別称があるらしい)とが交差する駅です。
今回の申告は郵送で完了
今年も法人税の確定申告の季節が来ました。会計年度を4~3月としているので、期限は5月末(今回は土日の関係で6月1日まで)です。
新自宅へ移るのはのんびりと
柿の花を見たことがありますか
東京の我が家の庭には、柿の木が3本あります。1本が甘柿、1本が渋柿、1本はよく分かりません。
3月後半の桜の花が終わって、我が家の庭は今、ツツジの花が盛りを終え始めました。
新緑、といってよい若々しい緑がどんどんしげり、うっそうとし始めた柿の木。すると、妻から「ちょっと来て!」という声。
妻が指差す方向を、目を凝らしながらみると・・・
柿の葉の間に、いくつもの四角い花を見つけました。柿の花です。
これは甘柿の木。1年おきに豊作と不作を繰り返します。
今年は、もちろん豊作に違いありません。
関西に行くと、いつも楽しみにしているのが柿の葉寿司。ということで、柿の葉はおなじみでしたが、柿の花は今回初めて見ました。
皆さんは、柿の花を見たことがありますか。
マスクが大量に売られているのだが・・・
でも、それはドラッグストアや薬局ではない。ドラッグストアや薬局では、依然として入荷していない。
田谷さんのベビーリーフが届いた!
レストランじゃないので、盛り付けは格好よくないのはお許しを。
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101年の歴史に幕
3月14日、妻と一緒に、東京都心の小さなメガネ屋さんを訪れた。妻の頼んでいたメガネを取りに行くためだった。この日に必ず行かなければならなかったのだ。
この日が、メガネ屋さんの最後の日だった。
1920年にメガネ卸商として開業し、今年で101年目。店主のおじさんは2代目。80歳代後半となり、病気もあり、体力的に店を続けるのが難しくなったとのこと。
妻の亡き父親が、かつて知人から腕のいいメガネ屋さんとして紹介され、それ以降、妻の家族がずっとお世話になってきた店で、店主のおじさんは、妻のまだ幼い頃からずっと知り合いだった。
私も30年前、一度、ここでメガネを作ったことがある。ずっとよかった視力が落ちて、運転免許証の更新ができるかどうか不安になり、年のためにつくってもらったのだ。
その後、ジャカルタに2年間滞在している間に、あまり仕事をしなかったせいか、視力が回復し、メガネを日常的にかけることはなくなった。
そのまま今に至るが、今は、細かい数字や地図を見るときなどに、このメガネをわずかの時間だけかけることがある。
店主のおじさんのメガネのプロとして歩んだ人生と、彼を支え続けてきた温厚なおばさんの人生を思い、心から「ごくろうさま」の言葉をお二人にかけた。
都心の名もなき小さなメガネ屋が一つ、101年の歴史を閉じた。
店の外の気温は2度。水気を多く含んだ春の雪が降り続いていた。
庭の桜に一輪の桜花
1ヵ月ぶりのブログ更新、となりました。
記録的な株価暴落を記録したこの日。
我が家の庭の古い桜の木に一輪の花が咲きました。
戦後、妻方の一家が東京に住み始めたときに植えられた木で、もう70年以上経っています。毎年毎年、そろそろ枯れるかと思いつつ、どうやら今年も咲いてくれるようです。
全体でどのぐらい咲くのだろうか。
今年も我が家の庭で、ささやかなお花見ができるといいな。
梅の咲き始め
数日前、妻と一緒に、東京の自宅からちょっと離れたところにある、子安天満宮菅原神社の前を通ったら、赤梅と白梅が咲き始めていた。
子安天満宮菅原神社は、名前のとおり、菅原道真公を祀る神社で、室町時代に巣鴨の保坂徳右衛門が屋敷神として邸内東の台地に勧請したとされる。江戸時代には、巣鴨・真性寺が別当となり、天神山と呼ばれていたらしい。
天神さまということで、合格祈願などが行われていそうなのだが、よくあるような絵馬などは見られない。社殿は閉められており、社殿入口の穴からお賽銭を入れるようになっている。
いつ来ても人のいない、静かな境内で、しばし祈る。
境内には、ゆずと思しき柑橘類がたくさん実っていた。
春はもうすぐ。1月が終わる。
初詣に行って、初耳の「夏詣」
正月は1日、2日は家でゴロゴロしていたが、3日は近くの天祖神社へ初詣に出かけた。正月三が日を過ぎると、今年の破魔矢を得られなくなるかもしれないからだ。
我が家は、一応、天祖神社の氏子。初詣の際に、去年の破魔矢を神社に持っていって、新しく今年の破魔矢をいただいてくるのが、毎年の恒例行事。予想通り、初詣の人々で、天祖神社の前は行列ができていた。4列に並んで順番に拝礼する。
初詣に来た人のなかには、ご朱印をもらうために社務所に並んでいる人もけっこういた。へーっと思っていると、ご朱印をもらうためのご朱印帳も販売している。
拝礼してすぐ、ふと下を見ると、「都電神社めぐり」という冊子が置かれているのに気がついた。
ほおーっ、都電沿いの神社をスタンプラリーのようにまわるのか、と思ったら、飛鳥山の七社神社、雑司が谷の大鳥神社、そしてここ大塚の天祖神社の3社しか載っていない。
なぜこの3社、と思ったら、共通点があった。夏詣を行っているのである。
夏詣、とは初耳だが、神道の世界ではなにかそんなものがあったっけ?
我々日本人は大晦日に「年越しの大祓」で一年の罪穢れを祓い清め、翌日の元日は新しい年の始まりとして、その都市の平穏を願い神社・仏閣に詣でる「初詣」を行います。その始まりから6ヵ月、同じく罪穢れを祓い清める「夏越しの大祓」を経て、過ぎし半年の無事を感謝し、来る半年の更なる平穏を願うべく、年の半分の節目として、7月1日以降に神社・仏閣に詣でます。
ほおーっ、そうなんですかと思っていると、すぐ次に次のように書かれていた。
この新たな習慣を「夏詣」と称して、我が国の守り伝えるべき風習となるよう、共に育てていきたいと思います。(夏詣実行委員会)
夏詣って、新しいものなのだった。もっと人々に神社へ来てもらうために、新しく作ったイベントのことだったのである。ちなみに、夏詣期間中(7月1~7日)は、限定のご朱印がもらえるとのこと。ご朱印をもらうのも一種のスタンプラリーだった。
あと10年もすると、夏詣するのが普通だって思うような世の中になっているのだろうか。この手のものは、結構たくさんあるような気がする。こうして、知らない間に、「伝統」とか「風習」とかが、場合によっては、何らかの意図を持って作られていくのかもしれない。そう考えると、どうしても敏感にならざるを得ない。
2020年、新年のご挨拶
あけましておめでとうございます
旧年中は大変お世話になりました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
日本と海外(インドネシアなど)の地域づくりをパラレルに見ていると、その同時代性を強く感じます。ローカルとローカルがつながり、新しい価値と深い学びが持続的に生み出される。そんな世界を目指して、微力ながら精進したいと思います。
2019年大晦日、でも世界は常に動いている
2019年がもうすぐ終わる。
大晦日に紅白を視なくなって久しいが、今年は、TV5 Mondeでフランスのアニメ映画を視た後、BBCを視ている。昨年は、ネットで見つけた、ロシアの大晦日番組を家族で視ていた(今年やっていたかどうかは確認できなかった。残念)。
トップニュースは、米国によるイラクの親イラン組織への爆撃に抗議する、イラクの米国大使館への激しいデモの様子だった。そして、カルロス・ゴーンのレバノンへの逃走、オーストラリアの制御できない大規模な火災。香港では、年末年始、依然として大規模なデモが続いている。
世界は常に動いている。
そして、年末年始を厳しい状況で迎えなければならない、様々な境遇の人々がいる。
そんなことを思いながら、東京の自宅で、妻と一緒に、ナマスを作っていることが、ささやかではあるが、恵まれていることなのだと改めて感じ、それに感謝する。
想像力。他者への想像力をさらにさらに研ぎ澄ませていきたい。
1年の終わり。それは新たな始まり。
門松を立てる?
もうすぐ新年。我が家では、毎年、門松を立てる。長年知り合いの方が御用聞きにやってきて、塀の前の穴に門松を立ててくれるのが、年末の恒例行事の一つである。
門松といっても、大きな竹が3本立っている、よく絵にあるものではなく、このへんでは、細い松の木を立てるのが普通である。
我が家の近所の門松については、2019年1月に次のブログ記事を書いたので、参照してみて欲しい。
我が家の従来の門松は、上のブログ記事で説明したものよりもずいぶん小ぶりなものだ。でも、今回は、ちょっと様相が違った。知り合いが御用聞きに来なかったのである。
その理由は、今、自宅を建てていて、門や塀がない状態だから、のようである。
それでも、門松は立てたいよね、ということになり、毎年、正月飾りを買う屋台(御用聞きに来る知り合いがやっている)で小さい松の木を一緒に買って、自分たちで付けてみた。
小さい門松に輪飾りを付けた。まあ、とりあえずの門松。
自宅は2020年1~2月頃に完成の予定。来年は、通常通りの門松を立てられそうだ。
自由大学の講義を受け始める
東京の表参道に「自由大学」という場所がある。大学という名はついているが、文科省認可の大学ではない。
教えてみたい人が講座をつくり、学びたい人が集う。カルチャーセンターとも違う。5~6回程度の連続講義で、けっこうしっかり学べる。
でも、入学試験や資格試験に合格するために学ぶのでもない。就職を考えて受ける講義ではない。
「自由大学」の受講生には、年齢も性別も、何の制限もない。学びたい人なら誰でも集えるのである。
教えてみたい人は、講義計画を作って、「自由大学」のなかでのレクチャー・プラン・コンテストでプレゼンし、その審査を経て、講義として魅力的であれば採用され、「自由大学」で教えることが可能になる。
ユニークな講義がたくさんある。昆虫食学、穴学、未来の仕事、20年履ける靴を育てる、自分の本をつくる方法、などなど、実にユニークだ。
教わる人にとって、魅力的な講義とはなんだろう。
こうしたことを考えて、実際に講義計画を作ってみる、という目的をもった、Lecture Planning学というのを今回受講している。
一般の大学だと、講義計画は大学の教師が作る。それもOKだろう。だが、この自由大学では、こんな講義をしたいという発想はむしろキュレーターから生まれ、その発想に合う教師を見つけてくる、という感じである。講義を作るにあたっては、キュレーターの役割がずっと重要なのだ。
そういえば、昔、研究会を組織したときに、誰を研究会の委員にしてみたいか、それはなぜか、なんていうことを考えたものだ。自分が主査の研究会で、自分の人選した委員と一緒に研究会を進め、成果物を一緒に出す、といった作業は、とてもやりがいのある、楽しい仕事だった。
自分は、その意味で、教師よりもキュレーターのほうが向いているのかもしれない。
そして、自分が講義を作るだけでなく、講義を作るノウハウをより確実に身につけたうえで、日本中・世界中のどこででも、そうした学びの場が生まれるような、お手伝いができるようになるのではないか、と思い始めた。
社会教育というのともちょっと違うかもしれないが、それを包含できる。フリースクールというのともちょっと違うかもしれないが、それも包含できる。とくにローカルな場でこそ、そんな学びの場づくりを促していけるのではないか。
コミュニティ再生の場として、従来の公民館はどのような役目を果たすようになるのだろうか、といったことも頭に浮かぶ。友人のなかには、もっとゆるい市民による場づくりにCO-MINKANという名をつけて、広げていこうとしている動きもあり、自分も個人的に賛同している。
来年以降の方向性が少し見えてきた。中世のボローニャで、学びたい者が集まって自然に生まれていったのが、「大学」の源泉の一つだとするなら、損得や利害とは無縁な、小さな学びの場づくりを少しずつ広げていくことに意味があるのではないか。
いろいろなことを考えながら、2月初めまで、表参道でLecture Planning学の講義を5回受けてみる。そして、その先も構想している。
面白くなってきた。
久々の新宿中央公園
昨日と今日は、所用で妻と新宿へ。用事を済ませた後、新宿中央公園へ久しぶりに行ってみた。
大学生だった頃はよく来た新宿中央公園だが、それからずっと長い間、訪れることはなかった。昔のイメージとはずいぶんと変わった気がした。
それでも、まだ秋の名残が感じられる景色に彩られていた。
イチョウ以外の木々の葉は、ほとんどがもう落ちていた。ちょうどお昼時で、南側からの陽の光がいい具合にイチョウを照らしていた。
少しだけだが、まだ紅葉も。
新宿中央公園の入口って、昔もこんなだったのだろうか。記憶が定かではない。
学生の頃に比べると、イチョウの色づきが2週間程度遅くなっている印象だ。
久々の新宿中央公園は、イチョウの色づきを楽しめた、のどかで穏やかな昼下がりだった。
昨晩、ベルリンの壁崩壊後の東欧諸国で、為政者が情報統制に精を出し、独裁色を強めていることを伝えるドキュメンタリーを視た。そこで起こっていたことは、まさにこの国でも起こっていること、そのものだった。
大田黒公園で紅葉を愛でる
12月4日に、福島第2原発視察を含む、福島イノベーション・コースト構想推進機構主催のツアーを終えて、富岡町からオフィスのある福島市へ向かうか、いったん自宅のある東京へ向かうか、悩んだ末に、東京へ戻った。
このところ、ずっと家にいないことが多かったり、天候の具合などのせいか、妻と紅葉を愛でる日にちがなかなかうまく取れなかった。そこで、12月5日は、例年通り、妻と紅葉を愛でに出かけることにした。
場所は、去年と同じく、荻窪の大田黒公園。
今年の紅葉は、昨年よりもやや遅めの感じ。昨年の今頃は紅葉の赤が冴えていたが、今年は、むしろ、緑色→オレンジ色→赤色のグラデーションの妙を楽しめた。
太陽の陽の光の当たり方で、微妙に葉の色合いが移ろいゆくのが、何とも言えず美しい。瞬間瞬間で色合いが変わっていく。絶対に人工的には作れない、美しさ。
そんな色の移ろいを観ながら、アフガニスタンで銃弾に倒れた、中村哲さんのことを思っていた。
二の酉へ行ってきた
上野で打ち合わせの後、妻と一緒に、巣鴨大鳥神社の二の酉へ行ってきた。
巣鴨大鳥神社の酉の市、今年は一の酉が11月8日、二の酉が11月20日だった。一の酉のときは福島にいたので、今年は二の酉のみ。
酉の市では、もちろん、家内安全・商売繁盛を祈るとともに、毎年、小さい熊手を購入するのだが、それ以外の楽しみがある。
それは、巣鴨大鳥神社手前のパン屋さんが出す屋台でケーキドーナツを買い、揚げたてホクホクを近くの公園で頬張ること。そして、肉屋さんで揚げたてのメンチカツを買って、帰宅して食べること。
でも、今日はランチが揚げ物だったので、腹ごなしに巣鴨から歩いて自宅へ帰ってから、ドーナツとメンチカツをいただいた。北風が肌に冷たかった。
秋葉原の隠れた名物ミルクスタンドの隣にある自販機
秋葉原といえば、かつては電気街、今やアニメだが、昔から変わらずに存在する名物がある。それは、駅構内のミルクスタンド、1950年の創業ということだ。
ミルクスタンドの扱う牛乳や飲み物の多彩さには本当に驚くが、今回、注目したのは、その脇にある、一見、何の変哲もない自動販売機である。
我が故郷・福島の銘品である「酪王カフェオレ」のオンパレード。
しかも、オリジナルの「酪王カフェオレ」のほかに、「ハイ・カフェオレ」「やさしいカフェオレ」(カフェインレス)も売っている。
オリジナルの「酪王カフェオレ」は1976年のロングセラー。「ハイ・カフェオレ」が1983年からあるとは知らなかった。そして、「やさしいカフェオレ」はデビューしたばかり。
福島でも、「ハイ・カフェオレ」や「やさしいカフェオレ」はあまり見かけなかった気がする。でも、秋葉原なら、必ず買えるのだ。うん。
もちろん、「酪王牛乳」や「酪王いちごオレ」も買える。「酪王いちごオレ」の苺はとちおとめなのか。福島の苺も使ってもらいたいな。
福島まで帰らなくても、秋葉原で、また酪王カフェオレに会える!
皆さんも是非、一度飲んでみてほしい。その美味しさで、ほかの「カフェオレ」飲料が飲めなくなるかもしれない。