カテゴリー: たべもの
植樹ツアーの説明会でモンゴル料理を堪能
1月18日は、昼間、知人が関わっているイベントに出かけた。彼らは、4月18~22日に「内モンゴルの植樹と砂漠、食文化を訪ねる旅」というのを企画しており、その説明会があったのである。
これは、植樹に携わる団体「地球緑化クラブ」と、乾物を通じて世界平和に貢献することを目指す団体「DRY and PEACE」が、ピース・イン・ツアーと一緒に実施するツアーである。植樹だけでなく、食文化の探求にも力を入れており、このツアーに来ないとまずお目にかかれないような、内モンゴル料理が目白押しの様子である。
ツアーの紹介と申込みは、以下のサイトを参照して欲しい。
https://www.pitt.jp/study/tour/detail.php?tour_code=STP-59
もっとも、私自身は、ツアーの説明よりも、説明会の会場であるモンゴル料理店「シリンゴル」での料理のほうに大いなる興味があった。そして、次から次へと出される料理に、その興味は十分満たされたのである。
肉、肉、肉、のっけから、羊肉づくし。この羊肉は臭みがなく、歯ごたえも柔らかい。肉本来の味を十分に楽しめた。
続いて、水餃子と羊肉の蒸し饅頭。豚肉とはまた違った、羊肉の味わいを堪能した。
締めは、やはり麺。羊肉のダシの効いたスープが、肌寒い日の体を芯から温めてくれる。
デザートは、羊の油で揚げた饅頭。真ん中に置かれたコンデンスミルクをたっぷりつけて食べた。
そして、極めつけは、馬頭琴の生演奏。厨房で料理を作っていた料理人の方が、実は日本でもう30年以上プロの馬頭琴奏者として活躍されている方だった。馬頭琴の生演奏は、「シリンゴル」の売り物の一つ。4曲演奏していただいたが、圧巻の生演奏だった。
実は数年前、DRY and PEACEの主宰者である知人から、この同じ内モンゴルでの植樹ツアーに誘われたことがあった。ともかく、まだ行ったことがないところなので、単純に行ってみたいと思ったのだが、もう一つ、惹かれる理由があった。
それは、亡き父の活動との関係でである。父は生前、教職を定年より数年早く辞めてから、福島で民間ユネスコ活動に関わっていた。その活動の一つの成果が、内モンゴルに学校を作ったことだった。好奇心からでしかないのだが、その学校を、学校のあるところ、父が行ったことがあって私がまだ行ったことのない内モンゴルへ行ってみたいと思ったのである。
今から思えば、学校を作ることがどれほど本当にその場所の人々にとって重要だったのか分からないし、もしかしたら、世界の人々の役に立ちたいと思っていた父たちの自己満足に近い部分もあったかもしれない。でも、それでも良かったと思いたいし、今、そこがどうなっているのか、興味津々なのである。
結局、前回誘われたときは、人が集まらずに、ツアーは中止せざるかったと記憶している。今回は、この説明会に20人ぐらいが集まったことからして、おそらく実施されることだろう。
ただ、ちょうどツアーが実施される4月半ばには、ほかにもいくつか予定が入る可能性があり、まだ参加するどうかを決められない。植樹もそうだが、やはり内モンゴル料理の誘引力が半端ではない。たぶん、それなりに難しい決断を迫られることになる。
小名浜名物カジキソースカツ丼を食べる
先週、福島イノベーション・コースト構想推進機構のツアーを終えた後、東京へ戻る前、いわき駅で夕方買った駅弁がこれ。
すでに夕方で、定価880円なのを550円で売られていたのを買った。
よくあるソースカツ丼だが、中の肉が豚肉ではなく、カジキの肉。カツの下にはキャベツの千切りがご飯の上に薄くのっている。
ソースの味は豚肉の場合と同じような味で、カジキの肉はやや薄く、ちょっと固かった。
箱には、次のような口上が書かれていた。
大洋の航海者カジキとWhatsカジキグルメ
小名浜沖の潮目の海は、黒潮と親潮がぶつかる豊かな漁場。世界の海を航海する300kg級のカジキも訪れます。震災後の福島の海は漁業が再開できない状況が続いています。そこで、いわきの多くの海の男たちと海を結び、回遊魚で安全なカジキを新たな名物とする取り組みが続いています。カジキの白い身には、イミダペプチドという疲労回復効果の高い成分も含まれ、サプリメントにも多用されています。太平洋の豪快なカジキと、海の男の心意気をご堪能ください。
この駅弁には、「小名浜美食ホテル」のブランドがつけられていた。
小名浜美食ホテルは、実際に小名浜にある観光商業施設である。ホテルの名がついているが、宿泊はできない。
せっかくカジキを使うのだから、ほかの味付けでの駅弁を期待してみたい。夕方に550円に割り引かれないような駅弁を。
新鮮な穫れたて、挽きたてカカオを楽しむ未来へ
12月7日は、私がアドバイザーを務めているダリケー株式会社主催の「挽きたてのカカオプレッソを楽しむ会」へ行ってきた。
場所は、東京・六本木のANAインターコンチネンタル・ホテルの37階。チョコレート好きの方々が集っていた。
ダリケーは、インドネシア・スラウェシ産のカカオを扱う、チョコレート業界ではちょっと変わった存在である。インドネシアは世界第3位のカカオ生産国でありながら、未発酵カカオが主流なため、よいチョコレートを作る側からは敬遠されてきた。
ダリケーはそこへあえて挑んだ。スラウェシ産のカカオをきちんと発酵させれば、良質のチョコレート原料となることを立証した。カカオ農家に適切なインセンティブを与え、発酵カカオを生産する農家に誇りをもたせることに成功した。
有名なショコラティエのいないダリケーは、素材で勝負するアプローチに打って出た。新鮮な挽きたてカカオ、という、まだ誰も提示していないやり方である。
スラウェシの農家レベルから直接カカオ豆を買い付けているダリケーは、早ければ、農家から受け取って数ヶ月で日本へカカオを届けられる。これは、他社では真似のできない芸当である。
そして、新鮮なカカオは香りが素晴らしい。この新鮮な穫れたてのカカオを使って、チョコレートを作ってみたら、とてもフレッシュなチョコレートを作ることができた。
上の写真は、12月7日に発売開始となった、数ヶ月前に収穫したばかりのカカオを使った新作の生チョコ。プレーンと抹茶の2種類のみ。イベントで試食したが、なるほど、これは未体験のみずみずしい味わいだった。フレッシュなカカオ、という意味が納得できた。
そして、カカオ豆を入れるとそのままカカオ飲料ができる機械「ブローマ」もお披露目された。これさえあれば、簡単に、たとえば、コーヒーメーカーにコーヒー豆を入れて挽きたてコーヒーを飲むように、カカオ飲料が飲める。
コーヒー豆を買うように、カカオ豆を買って「ブローマ」に入れ、挽きたてのカカオプレッソを楽しむ。コンビニで挽きたてコーヒー以外に、挽きたてカカオプレッソも飲める。
新鮮な穫れたて、挽きたてカカオを楽しむ。そんな未来が、あと何年かすると訪れるかもしれない。ダリケーは時代を先取りし、新たな時代を作っていく。
二の酉へ行ってきた
上野で打ち合わせの後、妻と一緒に、巣鴨大鳥神社の二の酉へ行ってきた。
巣鴨大鳥神社の酉の市、今年は一の酉が11月8日、二の酉が11月20日だった。一の酉のときは福島にいたので、今年は二の酉のみ。
酉の市では、もちろん、家内安全・商売繁盛を祈るとともに、毎年、小さい熊手を購入するのだが、それ以外の楽しみがある。
それは、巣鴨大鳥神社手前のパン屋さんが出す屋台でケーキドーナツを買い、揚げたてホクホクを近くの公園で頬張ること。そして、肉屋さんで揚げたてのメンチカツを買って、帰宅して食べること。
でも、今日はランチが揚げ物だったので、腹ごなしに巣鴨から歩いて自宅へ帰ってから、ドーナツとメンチカツをいただいた。北風が肌に冷たかった。
秋葉原の隠れた名物ミルクスタンドの隣にある自販機
秋葉原といえば、かつては電気街、今やアニメだが、昔から変わらずに存在する名物がある。それは、駅構内のミルクスタンド、1950年の創業ということだ。
ミルクスタンドの扱う牛乳や飲み物の多彩さには本当に驚くが、今回、注目したのは、その脇にある、一見、何の変哲もない自動販売機である。
我が故郷・福島の銘品である「酪王カフェオレ」のオンパレード。
しかも、オリジナルの「酪王カフェオレ」のほかに、「ハイ・カフェオレ」「やさしいカフェオレ」(カフェインレス)も売っている。
オリジナルの「酪王カフェオレ」は1976年のロングセラー。「ハイ・カフェオレ」が1983年からあるとは知らなかった。そして、「やさしいカフェオレ」はデビューしたばかり。
福島でも、「ハイ・カフェオレ」や「やさしいカフェオレ」はあまり見かけなかった気がする。でも、秋葉原なら、必ず買えるのだ。うん。
もちろん、「酪王牛乳」や「酪王いちごオレ」も買える。「酪王いちごオレ」の苺はとちおとめなのか。福島の苺も使ってもらいたいな。
福島まで帰らなくても、秋葉原で、また酪王カフェオレに会える!
皆さんも是非、一度飲んでみてほしい。その美味しさで、ほかの「カフェオレ」飲料が飲めなくなるかもしれない。
昼夜同一料金、人形町の気どらない洋食屋
人形町は個性的で手頃な洋食屋が多い町である。
先日、人形町へ行った際、甘味処・初音で栗あんみつをいただき、今半でメンチカツを買った後、妻と洋食屋へ行こうという話になった。
でも、人形町に洋食屋が多いのは分かっていても、「ここ!」という馴染みはなく、どこへ行ったらいいものか、考えあぐねていた。
思い切って入ったのが、東京メトロの人形町駅近くの小春軒。有名な店なので、ちょっと気どっているのではないか、と戦々恐々でドアを開けて入ると・・・。
全く逆だった。
そこは、東京の下町のあったかい雰囲気の空間だった。
小春軒に来たからには、特製カツ丼をいただく。
5〜6枚の一口カツの上に、ゴロゴロ野菜に味付けて炒めたものと目玉焼が載っている。洋風カツ丼とでも言おうか。
これがなかなかいける。こういうのもありだ。カツが美味しい。
ネットを見ていたら、このカツ丼の由来等についての説明が以下のサイトに載っていた。
妻は「特製盛り合わせ」。何が盛り合わされているのか、小春軒のおばさまは教えてくれない。そして出てきたのがこれだった。
一見すると普通のカツやフライだが、一口食べた時に違いを感じる。揚げ方が絶妙で、本当にサクサク、美味しく揚がっているのだ。
「昼も夜も値段は同じ。でも、夜に来るほうがいいわよー」
小春軒のおばさまが楽しそうに話す。でも、どうして? 何が違うの?
「夜はね、お客が少ないから、おしぼりが出せるのよー。昼はお客が多くて、おしぼり出す暇がなくてねえ」
そこでしたか。でも、本当はおばさまがお客さんとお話したいからだったりして。
昼夜同一料金の洋食屋は、小春軒と、その少し手前の来福亭(ここは以前、友人と行ったことがある)。焼き飯やカツライスが食べたかったら、来福亭へ行く。
小春軒、常連になりそうな予感。
人形町の黄金芋屋さんと甘味屋さん
用事があって、妻と一緒に人形町方面へ出かけた。
人形町といえば、色々な名物が目白押し。有名な黄金芋を買いに、壽堂を訪れた。
間口の狭い店に入ると、年代ものの木箱に入った「御見本」を見せてくれる。小さな区枠のなかに、すてきな生菓子が並んでいた。
黄金芋は別に包まれていて、3個入、5個入という感じで、気軽に買えるようになっていた。
注文したお菓子を包んでくれる間にお茶が出てくる、という気配りの良さ。とても気持ちの良いお店だった。
次に訪れたのは、壽堂と道を挟んでちょうど反対側にある甘味処の初音。
ここも古くからの良さを残している店で、栗あんみつをいただいた。
季節柄、栗あんみつを頼んだのだが、この栗がとても美味しかった。それだけでなく、ここの餡の絶妙な美味しさ。
給仕してくださるおばさんたちの無愛想さも、何となく世の中に媚びない、古き良き東京の雰囲気を醸し出していて、嫌な気分はなかった。
浅草の新ハラルラーメン
11月9日、中アチェ県政府高官4名をお連れしての東京見物。
銀座でアンテナショップを見学した後、浅草に連れて行ったのだが、ランチをどうしようか思案して、ラーメンを食べに行った。ハラルの。
浅草でハラルラーメンといえば、成田屋が有名だが、今回行ったのは、田原町の「麺屋 帆のる 浅草店」。
今回は2階で食事。2階の一角はカーテンで仕切られ、礼拝することができる。礼拝の前に体を浄めるウドゥは1階の洗面所で。1階と2階を移動するためのサンダルが用意されている。
また食べに来たい、高知の鯛塩ラーメン
夜の部も終わり、でも少しまだ物足りない・・・という感じだったので、高知市内の帯屋町アーケードへ出かけて、ラーメン屋さんを探した。
細麺であっさりした味で、コッテリしていない、さっぱり系のが食べたかった。
そして、入ってみたのが、Nayutaというアルファベットの名前のお店。この店、塩ラーメンが名物の店らしかったので、鯛塩ラーメンを注文。
シャキッとしたカイワレやネギが上にのり、丁寧に作られた絶品のチャーシューとのコントラスト。
シンプルだが、しっかりと鯛塩のスープ。
相当にレベルの高い塩ラーメンだった。
そうそう、こういうのを食べたかったんですよ!
次回、高知に来る機会があったら、また必ず食べに来よ!
そう呟いたら、店のお姉さんに「じゃあ、次回はカウンターに座って、色々お話聞かせてね」と言われた。
高知での行きつけの店になれるといいな。
こんな夜更けにプテ入りナシゴレンかよ
7月22日のよりどりインドネシア第50号発行、7月25日締切の原稿、7月28日締切の某法令のインドネシア語→日本語翻訳、7月30日夜の福島でのバングラデシュ訪問に関するミニ講演と諸々を何とか片付け、7月31日朝、羽田を出て、ジャカルタ経由で、31日深夜にパダンに到着しました。
出迎え無用と何度も言ったのに、どうしても出迎えたいと空港までやってきた友人の車で、ホテルへ向かったのですが、途中で、立ち寄り。プテ入りナシゴレンを食べていこう、というのです。
プテというのは、独特の臭いにおいのする豆のことで、インドネシアではよく食べるのですが、嫌いな人もけっこういるようです。
夕飯を食べ、パダン行きの飛行機のなかでもパンが出たので、少なめにしてもらって、プテ入りナシゴレンをいただきました。
プテは小さく切ってあって、食べたときに「たしかにプテが入ってるな」と感じる程度。ナシゴレンの味付けにジャワのような甘辛さがなく、どちらかというと、やや塩気があって辛い、という、ちょっと異なる味付けでした。
この店はパダン市内に3店舗ぐらい支店があるそうですが、プテ入りナシゴレンで昔から有名な店ということです。
BOFETというのは、小食堂ぐらいの意味だそうで、ビュッフェという用語と関係がありそうな気がします。Mienおばさんのビュッフェ、という感じでしょうか。
夜更けのナシゴレンで始まった今回のインドネシア出張。やはり、ワクワクしてきます。
久々に素敵なイタリアン・ランチ
6月18日は、久々に、二人で素敵なイタリアン・ランチを楽しみました。
場所は、高田馬場の老舗イタリアン。もう何十年もよく行く店です。ちょっと時間をずらして行ったせいか、待たずに席に座ることができました。
最初は冷たいジャガイモのスープ。ジャガイモの味がよく出ていて美味。
前菜3種盛り合わせ。これも美味しい。以前は、5種だったような・・・。
パスタは、イタリア国旗をイメージしたニョッキと色々な肉の手打ちパスタ。
メインは、魚介類のスープと山形豚のソテー。これも絶品でした。
食後にカプチーノを頼んだら・・・。
飲むのが惜しい、可愛いライオンさんでした。きっと、この絵を見ていたからでしょうね。
すっかり満喫した久々のイタリアン・ランチ。
この後、小石川後楽園で、見ごろを過ぎたものの、花菖蒲を堪能しました。
二人が一緒になって、30年の記念日なのでした。おわり。
椏久里珈琲で美味しいコーヒー&お菓子と突然の弾き語り
6月1・2日は、福島市で東北絆まつりが開催されて、多くの観客でにぎわったようです。友人の話だと、市内は交通規制がかかっていて、メイン会場の市役所へ行くのも大変だった様子。
というわけで、常にメジャー路線を避けて行動する、あまのじゃくな私は、絆まつり見物には行きませんでした。その代わり、6月1日は、友人からの誘いを受けて、今月のケーキとコーヒーを味わうため、椏久里珈琲へ行きました。
椏久里珈琲には、毎月変わるケーキをいただくため、最低でも、1ヵ月に1回は顔を出すようにしているのですが、今回は、それに加えて、友人が「紹介したい人がいる」ということで、いそいそと出かけたのでした。
その方は、福山竜一さんという、シンガーソングライターでした。これまでにも、椏久里珈琲で何度かミニコンサートを開いている方です。
今回は演奏が目的ではなかったようですが、やはりギターは担いで来られており、椏久里珈琲のマスターご夫妻からの要請により、急遽、生の弾き語りをしていただきました。
いきなり「やれ」と言われたせいか、最初はあまり声が出ていませんでしたが、徐々に声が出始め、とくに高温のファルセットがとてもきれいで、やさしい感じの素敵な歌い方でした。
椏久里珈琲のマスターご夫妻をイメージして作った「アグリの大地で」、福山さんの故郷をイメージして作った「トマト色の黄昏」、どちらも、歌とともに歌詞がジーンと来ました。
福山さんを紹介してくれた友人のために歌った「ケセラセラ」、実は、私にとっても、歌ってもらってよかったと思えるものでした。歌に救われた気分でした。
福山さんのCDを1,000円で購入しました。もちろん、サイン付きで。
CDは、椏久里珈琲の店内、またはオンラインショップで購入できます。オンラインでの購入はこちらから。
福山さんのブログはこちら → ヤングの秘密の小部屋
福山さんの歌を聴いていたので、うっかり食べ忘れそうになったのが、椏久里珈琲の今月のケーキ。今回のセレクションは、コンヴェルサシオン。
曰く、「サクッ」とバターの甘い風味、「しっとり」とアーモンドのかぐわしい香り。異なる食感と風味が一つになった完成度の高いフランス菓子です。
あまり奇をてらっていない、庶民的なお菓子ですが、香ばしくてコーヒーにぴったりの美味しさでした。
いつもなら、満席で座れないのが椏久里珈琲の土曜の午後なのに、絆まつりのためか、珍しく、店内はお客さんもまばらで、マスターご夫妻も交えて、ゆったりと過ごすことができました。生の弾き語りも堪能できて、なんだか、思いがけず、ちょっと贅沢な土曜の午後になりました。
福山さん、ありがとうございました。そのうち、また、歌を歌いにいらしてください。もっとたくさんの人に聴いてもらいたいです!
伊藤若冲展を観に行く
今回の福島滞在中に行きたいと思っていたのが、福島県立美術館で開催中の「伊藤若冲展」。ようやく時間の取れた4月13日(土)、気合を入れて、開場時間の午前9時半に合わせて実家を出ました。
実家から会場までは自転車でわずか5分。今回はすごく混んでいるし、土曜日だし。でも、朝早くだったら、入れるかも。
でも甘かったです。
雲一つない青空、快晴。天気がよくて良かったです。
行列に並んでから約30分経って、ようやく、美術館の中に入れました。
展示会場は5つに分かれ、若冲の作風の変化を順に追って観られるように配置されていました。でも、入館者がとても多くて、作品をじっくりと観ることができないほどでした。
屏風絵や襖絵などは、少し遠くから全体をゆったり眺めたいのですが、とにかく人が多くて、無理でした。
サクッと1時間程度で観るのを切り上げましたが、入館者はその後も次々にやって来ていました。バスを仕立てたツアーで来たお客さんもたくさん。すごいなー、若冲の人気。
個人的には、サクッと観るのを切り上げたせいかもしれませんが、前回の「若冲が来ました」のときよりはややインパクトが薄く感じました。
それでも、若冲の描く直線・曲線、線を組み合わせた構図の的確さ、迷いのなさがとても印象的でした。それ故に、作品の一つ一つが驚くほどシンプルに、観る人の心に迫ってくるのだと感じました。
穴のあいた蓮の葉。立ち上がっていくその姿を、福島の復興になぞらえて、力を与えてもらっている、という風に感じている、ようです。
若冲展の前半は今週いっぱいで終了し、一部の展示を入れ替えた後半が来週以降となるようです。
常設展を観て美術館らしさを少し味わった後、ふたつやま公園へ行って、雪を被った吾妻連峰と安達太良連峰に会いに行きました。
福島にいた子どもの頃、毎日見ていた吾妻と安達太良。今も福島に帰ると再会できて、ほっとした気分になります。私自身の脳裏に焼き付いた原風景がなのです。
隣の森合運動公園の桜が見事でした。
先週までの東京での桜に続いて、福島でも桜を楽しめました。
そして、毎月1回は行きたいと思っている常連の椏久里珈琲で、今月のケーキとコーヒーを味わいました。
焼きたてクロワッサンも追加!
おだやかな、春の福島の一日でした。
バレンタインデーのスペシャルラーメン
2月14日はバレンタインデー。いつの頃からか、バレンタインデー=チョコレートとなってしまった、チョコレートの日でもあります。
そんな日の昼食に、スペシャルラーメンをいただきました。
チャーシューの上にかかっている黒い角ばった物体は・・・チョコレートです!
その名も、チョコレートらーめん。
福島県を出自とするラーメン店チェーンの幸楽苑が、2月1~14日までの限定で売り出した異色のラーメンです。
福島市の競馬場近くの幸楽苑で、昼時でしたが、ちょうど入れました(13日昼にも来たのですが、満席で入れず)。
チョコレートのスープに麺が入っているのか、と思ったら、さにあらず。
醤油ラーメンのスープに少しチョコレートが溶けているという感じで、スープの味自体は醤油ラーメン。隠し味的にちょっとショウガが効いていました。
せっかくなので、上に載っている角ばったチョコレートと麺を絡めて食べてみました。
やはり、これだと違和感は否めないです。でも、スープに溶かすと、チョコという味の主張が消えました。
チョコレートと聞くと「甘い」と思うでしょうが、カカオ自体には苦さはあっても甘さはなく、あれは大量の砂糖による甘さです。
いい香りのするカカオ入りのスープはありかもしれませんし、カカオパウダーを練りこんだ麺を白い塩味スープでいただく、なんていうのもありかもしれません。
体にもよいカカオとラーメンの相性は、意外にいいかもしれません。
そんなことを考えるだけで、なんだか楽しくなります。
毎月食べたくなる、椏久里のケーキ
10月も、いつもの間にか、もう終盤へ入ってきました。スラウェシ中部地震関連の情報収集を続けているうちに、悶々とした気分の日々になり、正直言って、ちょっと気持ちが鬱屈してしまいました。
そんななか、無性に、あのケーキが食べたくてしょうがなくて・・・。
福島で時間があれば、必ず食べに行く、それが椏久里のコーヒーとケーキです。毎月、ラインナップが変わるケーキは、食べに行かないと本当に損した気分になってしまうほどです。今回は、10月11日に行きました。
10月のケーキは4種類ありましたが、11月になったら食べられないかもしれない2種類を味わってきました。
これは、モーゼルヴァイン・クレームトルテ。ドイツ・モーゼル産のシャープでフルーティーな白ワインのクリームと、みずみずしい福島産シャインマスカットを使用したドイツ菓子、というのが、椏久里のホームページでの説明です。
ドイツ菓子、というのは、そこの部分が硬くて薄い焼き菓子になっていて、サクッとしているのが特徴です。それがなんとも言えず、好きです。
続いては、秋のおなじみ、モンブラン。キャラメル化させたメレンゲに生クリームと和栗特有のやわらかい香りと甘さを引き出した自家製和栗甘煮をのせ、ラム酒のきいたマロンクリームで仕上げた、ということです。
口のなかでふわっととろけるメレンゲと生クリームの組み合わせが、なんとも言えず良いです。カウンター越しに、「和栗を剥くのは大変なのよー」「栗はね、こうやって剥くのよー」といった、ミユキさんとの掛け合いが、またいつものごとくとても楽しいひとときです。
今回のコーヒーは、マラウィ・ミスク。満ち足りたひとときを過ごすことができました。
閉店間近となり、お客さんも少なくなって、いつも今月のケーキ情報を送ってくださるSKさんと一緒に、マスターとその奥様のミユキさんと話が弾むうちに、スラウェシ中部地震の話になりました。
突然、マスターが走り出して、どこかへ行ってしまったかと思ったら、封筒を片手に戻ってきました。「ウチからも少しだけどよろしく」と。
今回の募金の呼びかけでは、全く見ず知らずの方々も含めて、たくさんの方にご信用いただけて、本当にありがたいものだと思っています。
募金とともに、皆さんのスラウェシを思う気持ちが、私の信頼できるマカッサルの友人たちと被災地の方々に届くようにと、願っています。
さて、11月も、また椏久里のケーキも食べに行けるといいのですけれど・・・。
本当に、オススメのケーキですよ。皆さんもぜひぜひ。
イスラム新年の行進とブギスの甘~いお菓子たち
9月9~14日は、石川県職員の方々と一緒に、インドネシア・南スラウェシ州のワジョ県とピンラン県をまわっていました。この辺は、ブギス族のホームグランドでもあります。
今回の出張は、9月の2回目のインドネシア出張です。
9月11日はイスラム新年の祝日。でも、この日も朝から、ワジョ県タッカララ郡の田んぼを見に出かけました。一緒に行った農業省の研究員が「休みなのに~」とぶつくさ言っていましたが・・・。
ワジョ県の県都センカンの中心にある広場では、たくさんの人々が集まって、イスラム新年を祝っていました。
センカンからタッカララ郡へ向かう道中では、子どもたちの行進が続きました。マドゥラッサやプサントレンなどのイスラム系宗教学校のほかに、普通の公立学校の子どもたちも、皆で行進していました。
なんだか、昔、小学校の頃に、福島市制何周年かを祝う行事のとき、鼓笛隊の行進をしたのを思い出しました。鼓笛隊の行進には、福島市内のすべての小学校が動員されました。
こうした行進は、南スラウェシだけのものなのか、全国的に行なわれているのか。昔から行われているのか、そうでなければいつごろから始まったのか。もし、お分かりの方がいたら、教えてほしいです。
ガタガタ道を通って、ようやくタッカララ郡に到着。すてきな美人郡長さんのお宅に招かれ、まずは、ブギスのお菓子の洗礼を受けました。
一般に、クエ・バサ(kue basah: 湿り菓子)と呼ばれる、日持ちのしない生菓子です。いずれも、生地がしっとり、そこに椰子砂糖やら卵やらココナツミルクやらがしっかりと浸み込んで、甘さ炸裂! 一緒に行った農業省の研究員はジャワ人ですが、その彼女も「こんな甘いお菓子は食べたことがない!」と言っていました。
石川県職員の方々も「1年分の糖分を取ったような気分」とおっしゃっていました。
筆者は、時間がなくて朝食を抜いていたせいもあり、いきなりこのブギスの甘~いお菓子たちを4連発で食べてしまいました。
甘ければ甘いほど、それはお客をもてなすことを意味する、ということをかつてインドネシアに関わり始めた頃に学びましたが、美人郡長は「食べて、食べて」ともてなし上手でもあり、お菓子の甘さにすっかりとろけてしまいそうな気分になりました。
ブギスの甘~いお菓子たちの洗礼を受けた後、さっそく、天水に頼っているという田んぼをしっかり見に出かけました。
天理を初めて訪問した
6月11日、天理大学でゲスト講義を行うため、初めて、天理を訪問しました。
大阪から近鉄で、大和八木と平端で乗り換えて、平端から近鉄天理線に乗り、終着が近鉄天理駅。ホームが4本もある、立派なターミナル駅でした。
ときにはきっと、天理教の信者さんたちでホームに人が溢れるのでしょう。とにかく、大きくて立派な終着駅でした。
駅を降りて、少々町歩き。と、不思議な町の案内図がありました。おやさと案内図、とあります。
地図の中に、「水口」「名東」「兵神」といった名前の書かれた広い区画があります。これらは、信者の方のための宿泊施設である詰所のある場所のようです。
一番少ない「並」でこのボリューム。ご飯の上にサクサクのカツが2枚のっています。これに中、大とあるのですが、店のいたるところに貼られた色紙などを見て納得しました。
いうまでもなく、天理大学や天理高校の御用達の店だったのです。スポーツで有名な彼らを支えているのがこの店、なのでした。
近鉄天理駅の前では、誰も立ち止まって聴く人がいないのに、ひたすら自分の身の上話をし続ける信者や、踊るように祈りを捧げる信者がいました。
さて、天理大学のO先生が迎えに来てくださって、キャンパスへ向かいました。授業まで時間があるので、入ったのが、天理大学参考館。ここの展示は、なかなか面白いものでした。
天理教会が世界で布教活動を行った際に、各地で収集してきた相当に貴重な品々が展示されています。いずれも年代物で、おそらく50年以上前のものが相当あり、そのコレクションはなかなかのものです。
例えば、ニューギニア島のセピック川流域地区の仮面のコレクション。
これもかなり古いものです。こんな大きいものをたくさん収集し、よくここまで運んできたものだ、と思います。
他にも色々と珍しい貴重なものがあり、好奇心がどんどん刺激されてくるのですが、講義を行う時間が迫ってきたので、泣く泣く参考館を後にしました。
たぶん、また来るでしょうな。ここはほんとに楽しい!楽しい!
一般公開されているので、皆さんにもお勧めします!
そして、この後、「キャリアデザイン2」という講座のなかで、インドネシアの社会ビジネスを題材に、援助からビジネスへ、経済ビジネスから社会ビジネスへ、という講義を行いました。内容は割愛します。
スラバヤで1泊、蟹カレーを食べる
5月15日、バトゥでの用務を終えて、スラバヤに1泊しています。16日の朝、ジャカルタへ向けてスラバヤを発ちます。
この間、スラバヤでは、複数の家族による自爆テロ事件が5月13・14日の2日間に相次ぎました。家族全員で自爆テロを行うという、これまでにない新しい形のテロが起きてしまいました。
この種のテロは、どこで起こるか分からないという恐怖があります。道行く人が突然何かするのではないか。目の前の人が爆弾を抱えているのではないか。そんな不安はなかなか払拭できるものではありません。
また、顔を隠し、眼だけ出して長いイスラムの服装をしている女性が不審者としてみられ、いくつかの場所で入場を断られたりする話も聞こえてきます。
いつ何時、誰がテロを引き起こすか分からない・・・。街中の見知らぬ人々を信用できなくなっている。実際の自爆テロで数十人の方々が犠牲になったのに加えて、今、スラバヤの街中では、そうした不信感が大きくなっている印象を受けました。
暴動のように、物理的に目に見える形で騒ぎが大きくなっている場合には、できるだけそのような場所を回避することが望ましいことは言うまでもありません。
しかし、テロ事件のように、いつどこで誰が起こすのか分からない、運命によっては防ぎようのない状況に陥るものは、予防措置として、周辺の不審者に注意を払うような行動を採らざるを得なくなり、精神的に落ち着かない状況が続いていきます。
たとえ、周辺の様子を絶えず不審なものはないかと注意を払い続けたとしても、それを察知して確実に防げるとは思えないからです。
そんなことを色々考えながら、スラバヤに1泊することにしました。周辺状況を自分なりによく観察し、大丈夫だと判断して、夕食を食べに出かけました。
行く先は、久々に食べたかった、Hai Nanの蟹カレー。
店は営業していましたが、中は閑散としていて、普通なら午後8時には満席となるのに、ガラガラのままでした。それでも、お客さんが来てくれたのは嬉しいらしく、フロアマネージャーは笑顔で対応してくれました。もちろん、蟹カレーは、いつも通りの美味しさで、大満足でした。
見えない恐怖を感じながらも、普段通りの生活を続け、スラバヤは決してテロに屈しないことを静かに示し続けること。今のスラバヤの人々にできることは、やはりそういうことなのだと思います。
スラバヤでこんな事件が起こってしまった、と市民に率直に謝り、先頭に立って現場を歩き、被害者を慰問するスラバヤ市のリスマ市長の姿から、人々は前を向く勇気をもらっているように見えます。街中には「テロに屈しない」「スラバヤのために祈る」といった手書きの横断幕が掲げられていました。
今回の自爆テロ犯は、必ずしも貧しい家族ではなかったと見られています。貧しさだけがテロへ走らせるのではなく、心が満たされない、社会から疎外された、そんな精神的な部分にカルトのささやきが忍び込んでくるのでしょうか。
SDGsが目指す誰も見捨てない社会は、所得向上だけを目的とするのではなく、こうした精神的な面をどのように内包していくかも問われています。それは、やはり、人が人を信用できる、知らない人でも信頼できるような、いわゆる信頼社会をどう作っていくか、ということと関わってくるものと考えます。
自分たちの身の回りから始められることは何か。きっと、一人ずつ、自分の信頼できる他人を増やしていく。そのためには、自分も他人から信頼される人間になっていく。もう一度、一つずつ、社会を作り直していく必要を認識させられているのかもしれません。
佐伯のお昼はゴマだしうどんで完璧
佐伯で忘れてはいけない名物と言えば、それはゴマだしうどんです。11月13日、佐伯を離れる前に、市内で最も有名なゴマだしうどんの店である「味愉嬉」で味わいました。
まず、お猪口のなかにゴマだしを入れ、それにうどんの汁を少し加えて溶かし、それにうどんをつけてまず食べる。うどんを食べたら、お猪口にカボスを搾り、ちょっとかき混ぜてから、うどんを入れて食べる。次には、それに柚子胡椒を加えて、うどんを入れて食べる。最後に、お猪口に豆乳を加えて、それにうどんを入れて食べる。という感じで、1回1回の味わいがどんどん変わる楽しみ、というものを味わいました。
ところで、ゴマだしというのは、見た目からは想像できないぐらい、相当に手間ひまをかけて作ったものでした。
ゴマだしの作り方は、味愉嬉のホームページに詳しく紹介されていますが、以下にその一部をコピペしておきます。えそというのは、砂地に生息する白身魚です。
- えその下処理をする(うろこ取り→頭・内臓取り→二枚におろす)
- えそを焼く
- 胡麻を炒る
- 胡麻を擂る
- 焼けたえその皮・骨を取る(骨は醤油と一緒に合わせる)
- 醤油を火にかけて沸騰したら冷ます
- 擂った胡麻とえそを合わせる
- 7に少しずつ醤油を加える
- 8を鍋に移し火を通し冷ます
マスターによれば、ゴマだしの良しあしは、えその下処理を終えるときにどれだけ水分を落とせるかにかかっている、ということです。水分が残ると、どうしてもゴマだしに生臭さが残ってしまうからだそうです。
うどんを美味しくいただいたあとは、おにぎりを頼み、それにゴマだしをたっぷり載せていただきます。
うーん、完璧なお昼になりました。
佐伯のお昼と言えば、もちろん寿司が有名ですが、このゴマだしうどんもさすがの味です。そして、実はほかにも、とても美味しいユニークなカレー屋さんがあるのです。
佐伯探訪はまだまだ続きそうです。