今日のお昼のお弁当が美味しかったので・・・

今日から、JICA中小企業海外進出支援事業の一環で、大阪の中小企業の皆さんと一緒に、食品加工機械のデモンストレーションのためのワークショップに関わっています。

主催は東ジャワ州飲食品・包装研修センターで、今回の私の役目は、機械の内容と研修の様子を理解し、5月の最終セミナーの運営に役立てる、というところです。

開会式の後、すぐに実地での機械の説明に入るはずなのですが、昨日の雨で電線が切れたため、機械が据え付けてある棟が停電となってしまい、機械を動かせなくなってしまいました。復旧するのは昼過ぎ、ということで、時間が余ってしまいました。

そのとき、急遽、チームから私に、「ワークショップ参加者に対して何か話をしてほしい」と言われ、まあ、そういうのは慣れているので、漫談のような「講演」をしました。それでも時間が余るので、「参加者の自己紹介をしてはどうか」と提案し、自己紹介でようやく間が持ち、続いて、包装面での特別授業が加わり、何とか、お昼までの時間を潰すことができました。

お昼になって、昼食は研修センターが用意してくれるのですが、今日のは下の写真のような弁当でした。

ご飯(左上)、鶏肉の辛味煮付け(左下)、パパイヤの葉の炒め物(右上)、キャッサバチップ(右中)、ゆで卵のカレーソース和え(右下)、これにミカン(地物か輸入物かは不明)が付きます。

最近のランチボックスは、写真のように、仕切りがあって、そこにおかずがいくつか入るようにできています。以前のように、真ん中にご飯があって、その脇に鶏の唐揚げと野菜が入っている、汁物と果物はビニールに入っている、という感じのものはあまり見なくなりました。

さらに昔は、バナナの葉にご飯とおかずが一緒に包まれていましたが、それも最近昼食ではあまり見かけません。

今のものは食べやすくていい感じなのですが、あのご飯とおかずのソースが入り混じり、なんとも言えない美味しさを醸し出していた、というのは、オフィスなどでの昼食には出てこなくなるのかもしれません。街中では、屋台などでまだバナナの葉やその代替品である(裏地に油よけコーティングした)紙で包むのがまだ主流ですが・・・。

そして、今日食べた弁当のおかずの味付けがなかなか良く、ご飯によく合うのです。インドネシアのいろいろなところを食べ歩きしましたが、ジャワの普通のこうした「定食」系のおかずは、意外にどこでも美味しく、田舎へ行ってもレベルの高さを感じます。

インドネシアの食べ物はナシゴレンとミーゴレン、などと単純化する話も聞きますが、それ以外のフツーの人々の食べているものの美味しさを発見する喜びを何度感じたことか。

自分たちが食べている普通のものを、よそから来たお客さんになんか出すのは恥ずかしい、という気持ちがあるのかもしれません。ナシゴレン、ミーゴレン、鳥の唐揚げをどこでも食べられるのは、その表れとも言えるでしょう。でも日本だって、どこへ行ってもラーメンとカレーがあるし、同じ感覚なのかもしれません。

そんな普通のものがよそ者には信じられないぐらい美味しい、ということをそので普通に食べている人は認識していないのです。食べ物も立派な地域資源であり、そこの人にとって普通のものがすごいものであることを、そこの人とよそ者が交わることで認識する。

と考えると、食べ歩きもまた、そこの地域資源掘り起こしの第一歩になるかもしれない、楽しい営みなのかもしれないです。そう思って、食べ歩きは続くのです。

スラバヤに着きました、が・・・

ジャカルタ経由でスラバヤに着きました。

今回はガルーダだったのですが、機内で見たガルーダの機内誌COLOURがなかなか面白かったので、いただいてきてしまいました。

日本時間で、もう間も無く日付が変わりますので、今は、これぐらいにして、後ほど、追加したものを掲載します。

スラバヤは日本と時差が2時間ありますので、まだ午後9時台。空港で荷物が出て来るのを待っています。

(1時間後)

荷物が出てくるのを待っているのですが、出てきません。羽田からスルーで荷物はスラバヤで受け取れるという話だったのですが。

どうも、ジャカルタでの乗り継ぎ時間が短くて、スラバヤ便に荷物を乗せられなかったようです。たしかに、羽田からジャカルタの便は、ガルーダ国内線第3ターミナルから一番遠い駐機場に着き、バスでイミグレのある第2ターミナルへ移動、そして第3ターミナルへ移動しました。

乗り継ぎ時間は約1時間半、それでも時間が短かったと言えるのかどうか、よく分かりませんが、ガルーダでインドネシアの国内線に乗り継ぐ方は、このような事態も想定されておいたほうがいいと思います。

荷物は、次のジャカルタ発スラバヤ行きの便で来るということで、もう1時間ぐらい待たされています。

お、やっと出てきました。(午後10時40分)

インドネシア政治の連載記事、執筆終了

明日から3月4日までのインドネシア・スラバヤ出張を前に、4回分のインドネシア政治に関する連載記事を書き終えました。

最近は軽いものしか書いていないので、久々に真面目に書いたせいか、くたびれました。

最初はもっとサラッと書こうと思ったのですが、書いているうちに長くなってしまい、結構な分量になってしまいました。書き込めなかった材料も色々あるのですが、また機会を改めて書いてみたいと思います。

おそらく、他のメディアではまだ出ていないような分析も含まれていると思います。例えば、2019年の大統領選挙につなげた私なりの見方を出してみました。

以下に、タイトルとサブタイトルを記します。よろしければ、ご一読いただき、コメント・ご高評等をいただければ幸いです。また、ご希望があれば、講演会等でお話をすることも可能ですので、ご興味のある方は、お知らせください。

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「ジャカルタ州知事選挙からインドネシア政治を読む」(全4回)

はじめに

1.反アホック勢力の候補ペア選定過程
 1.1. 統一候補ペア擁立への模索
 1.2. 統一候補ペアはなぜ実現しなかったか
 1.3. ユドヨノとプラボウォの歴史的確執
 1.4. イスラムを共通項に大衆動員へ

2.選挙運動でイスラムはどう使われたか
 2.0. はじめに
 2.1. ユドヨノ側のイスラム利用
 2.2. イスラム冒涜とされた問題ビデオ
 2.3. 素早かったMUIからのファトワ発出
 2.4. 体制内活動を担うイスラム団体はアグス=シルビア組を支持
 2.5. 筋金入りのイスラム強硬派はアニス=サンディ組を支持
 2.6. イスラム強硬派による反共喧伝

3.イスラム大衆動員の裏に隠された政治のリアル
 3.1. アホック公判で大衆動員の大義名分が失われる
 3.2. ジョコウィはアホックを見限っていない
 3.3. 大衆動員に付けられた政権転覆の匂い
 3.4. ジョコウィの汚職疑惑追及姿勢
 3.5. ジョコウィの汚職追及の標的はユドヨノ?
 3.6. ユドヨノと親族による汚職疑惑
 3.7. ユドヨノの本当の敵はアホックではなくジョコウィ
 3.8. プラボウォ側はどう出たのか

4.今後のインドネシア政治地図への影響
 4.0. はじめに
 4.1. 動員された者の多くはジャカルタの外から来たよそ者
 4.2. 安定化するジョコウィ政権
 4.3. 今後の政治地図を彩る3つのグループ
 4.4. ジョコウィ再選を狙うグループ
 4.5. ユドヨノ側の対応
 4.6. プラボウォ側の対応
 4.7. 注意すべき退役軍人グループの動き
 4.8. まとめと展望

カバンを買い換えるの巻

昨日、日頃、使っている仕事カバン(というかリュック)を買い換えました。

今まで主に使っていたのは、Hedgrenのリュック。これは、たまたま、インドネシア・ジャカルタのサリナデパートのカバン売り場で見つけて、まあ、とりあえずしばらく使えればいいや、と思って買ったのですが、これが意外に使いやすく、重宝してきました。

物入れの場所が3箇所あり、MacBook Airと機内防寒用のウィンドブレーカーを入れるスペース、書類や本などを入れるスペース、携帯電話など小物を入れるスペースに分かれていて、けっこう、収納力があります。飛行機の中では、ちょうど席の下のスペースに収まり、足おき代わりに使っていました。

使い込むににつれて、鍵などを入れておく一番上の小さなスペースのファスナーが壊れて締められなくなり、リュックに物を入れると、全体が下にダラリと垂れるようになってしまいました。それに、雨に当たると、防水・撥水仕様でないので、中のものが濡れてしまって、困ったことがありました。

東京の街中で使うにはちょっと大きすぎるし、アポで人に会うときにもややカジュアルな感じだし・・・。ということで、来週からのスラバヤ出張を前に、買い換えました。

今回購入したのは、Manhattan Passageの縦型3ウェイタイプ、#2450というものです。このメーカーの特徴どおり、軽量で撥水性が高く、機能的です。

縦型ですが、表面に二つ大きなポケットが付いていて、モノを取り出しやすいです。普通のリュックだと、深く入ってしまったものが取りにくくて難儀でしたが、これだと、すぐに取り出せて良いです。とくに、上のポケットは、ほぼ日手帳オリジナルがちょうど縦に入る高さで、愛用のA5ノートも横にして余裕で入ります。

3ウェイではありますが、私は通常、ショルダーバッグにしないので、リュックにするか手提げにするかです。収納はA4用となっているので、ちょうどMacBook Airがピッタリに入り、大きすぎないのが良いです。

背負ってみると、カバンが背中をずり落ちてこず、背中の真ん中あたりで止まって、いい感じ。そして、何といっても軽くて、MacBook Airを入れて背負っても、重さをあまり感じません。

手提げにすれば、それほどカジュアルな感じもせず、大きくないので、日本で人と会うときに持ち歩いても違和感はなさそうです。

久々にいい買い物をした、と満足しました。

この人たちも、HedgrenのリュックからManhattan Passageの3ウェイバッグへ移しました。ももりん(左)とキビタン(右)です。また、どこへも一緒に連れて行きます。

昼下がりの山手線での幸せな空気

今日は午後、東京駅近くで面会のアポがあったので、普段通りに乗った昼下がりの山手線。席に座った私の前のベビーカーで、赤ちゃんが目の前のお母さんを見ながら、うれしそうに声をあげていました。

お母さんの左側に座っている、ネクタイを締めた年配の紳士が、赤ちゃんを見ながらニコニコしています。時々、面白い顔を作って、赤ちゃんを笑わせようとしています。この紳士は、赤ちゃんのおじいさまではありませんでした。

お母さんの右側に座っている勤め人らしい、まだ若い女性も、読んでいる本から目を上げて、赤ちゃんの方を見て微笑んでいます。

空いている車内だったからでしょうか。楽しそうな赤ちゃんの姿が、私を含む周りの人々にほのぼのとした幸せな空気を作り出していました。

通勤電車で押し合いへし合いのない、昼下がりの山手線には、殺伐とした日本はありませんでした。ベビーカーと一緒に電車に乗るお母さんへの罵声もありませんでした。

あの日本とこの日本。同じ日本で起こっている異なった風景。

自分の経験した日本だけで、日本を代表しているかのように振舞ってはならない、そうじゃない日本もあるんだと思えるような自分でありたいな、と思いました。

大丈夫。まだそんなに人間の未来を悲観しなくてもよいのかもしれません。

今日も、毎月コレステロール検査をしてくださるお医者さん、カードで支払ったら店用と客用のカード控えを間違えたといって私を追いかけてきてくれた薬局のお姉さん、電車を降りるときにさりげなく道を開けてくれたおじさん。

コーヒー店でカードにポイントがつかないことを申し訳ながってくれた店員さん。夕食を食べたピザ屋さんでその店のピザの良さを教えてくれた店員さん。

何もない毎日でも、そうやって出会う人たちとのささやかな、コミュニケーションとも言えないほどのささやかなコミュニケーションを、丁寧に気持ちよく接することで、毎日を自分や出会った人たちにとっても、少しでも気持ちの良く感じられるような瞬間を一つ一つ積み重ねていきたいなあ、と思いました。

話は変わりますが、仕事用に、中村印刷所の方眼ノートを5冊買いました。

このノートは、印刷所の方のお孫さんがツイッターでおじいさまの素晴らしいノートについてつぶやいたことで、一般に知られるようになり、製品化されたものです。

他のノートと違い、開いて軽く押さえるだけで1枚の方眼紙になる水平開きになるノートです。水平開き製本の独自技術を用いており、左のページと右のページが本当に平らになります。

ノートの素晴らしさもそうなのですが、よい技術を持つおじいさまの製品が世間には知られず、売れない状態をなんとかしたい、とツイッターにつぶやいたお孫さんの気持ちを何となく感じることができます。

そんなノートにも、ほのぼのとした幸せな気持ちを感じてしまいます。それが理由というわけではありませんが、今日は、インドネシア政治連載の執筆はお休みにしました。

何もないような一日。でも必ず何かはあるのでした。

このブログは、力の入ったものだけでなく、こんなものも書いていきます。よろしくお付き合いください。

インドネシア政治の連載記事を書いています

ここ数日、「ジャカルタ州知事選挙からインドネシア政治を読む」と題して、4回に分けた連載記事を書いています。久々に、インドネシアの政治ものの記事を集中して書いているのです。下記のリンクから飛べます。

    第1回 / 第2回 / 第3回 / 第4回

なぜ書こうと思ったのかというと、メディアの伝えるジャカルタ州知事選挙の記事が表面的なものに留まっていて、とくに、イスラムという要素に目を奪われすぎていると感じたからです。

たしかに、インドネシアの9割近くの人口を占めるイスラムのことは十分に見ていく必要があります。でも、何でもかんでもイスラム過激思想と結びつけて、意味のない恐怖心を煽るようなことがあってはいけないと思うのです。

この間、イスラムを旗印として、ジャカルタで起こった何万人ものデモや集会がインドネシア政治に大きな影響を与えたかというと、私にはそうは思えません。インドネシア政治のドロドロしたリアルな部分は、あの大衆動員の陰でうごめいていて、主要グループの対抗構造が変わり始めた気配があります。

また、ジャカルタという一地方の首長選挙であるにもかかわらず、それが次の大統領選挙を視野に入れた流れの中で動いており、今後、安定しているかに見えるジョコウィ政権が必ずしも盤石とは言えなくなる可能性も見えてき始めたように思えます。

そんな私なりの分析を記事にしたのですが、あえて有料とさせていただきます。というのは、様々な記事の切り貼りやコピペ記事とははっきりと区別したいからです。

いつものこのブログのように、サラッと書いてもよかったのですが、今回は、クロノロを作り、けっこうな量のインターネット情報を読み込みながら、書いてみました。時間と労力をいつもより費やした分、分量も長くなってしまいました。

ジャカルタやインドネシアの現場にいないということは、巷のゴシップなどを含む一次情報へのアクセスが限られるというデメリットと引け目を感じないわけではありません。しかし、今までの自分の経験からすると、現場にいると、逆に入ってくる情報が限られてしまう、俯瞰して立体的に物事を考えられない、ということも起こります。

有料ではありますが、よろしければ、是非、ご一読いただき、払った分の価値がある内容だったかどうかをお知らせいただければと思います。もちろん、厳しいご批判も覚悟しています。よろしくお願いいたします。

侠女と龍門客桟を堪能

今日は、某新聞社のシンポジウムに行きたかったのですが、応募抽選結果が当選とも落選とも知らされなかったので、あ、落ちたんだな、と思って、ちょっと残念だったのです。

でも、その代わりに、渋谷のユーロスペースで、キン・フー監督の映画「侠女」と「残酷ドラゴン血闘龍門の宿(龍門客桟)」の2本を堪能することができました。

この2本の台湾映画は、2013年に台湾政府の資金援助を受けて、デジタル修復されたものです。キン・フー監督の作品を見るのはおそらく初めてだと思いますが、聞いていた評判に違わず、時代を感じさせない見ごたえのある作品でした。

制作年代では、「龍門客桟」が1967年、「侠女」が1971年なのですが、今回の上映では、「侠女」「龍門客桟」の順でした。「侠女」は英語の題名が A Touch of Zen、「龍門客桟」は Dragon Gate Inn なのですね。

両作品とも、正しい政治を行おうとした側が悪事を働こうとする側に策略で嵌められて罪人となり、お家取り潰しになるものの、その親族や子孫が逃げ延びて、お家の再興を図ろうとするものの、支配者(悪事)からの追っ手が追いかけてきて、それと戦い続ける、といった割とわかりやすいストーリーです。

映画に出てくる急峻な山や谷、急流の川のシーンは、2つ続けて観ると、同じ場所で映していると思しき場所がけっこう出てきます。きっと、当時は中国本土で撮影することは不可能で、台湾の中の限られた場所での撮影を余儀なくされていたのだろうな、と思いました。

その自然の撮り方の美しいこと。有名な竹林での戦いのシーンもそうですが、真ん中のススキを払いながら人間が出てくるシーン、道に煙がいつも上がっているシーンなど、印象的な場面がたくさんありました。

もちろん、売り物ともいえる剣を使った戦闘シーンは、CGを使わないとこんなにも俳優の演技に迫力が出るのか、と思えました。キーン、キーンという剣が重なり合う音が耳に残っていきます。

主人公たちと悪役との戦いが終わってすぐに劇終となる「龍門客桟」と、戦いが終わっても戦うことの虚しさが強調される「侠女」。制作年の異なる4年間の間に、キン・フー監督の中に何か心境の変化があったのかもしれません。

この2本の映画が後のカンフー映画に大きな影響を与えたというのも良く分かる気がします。特撮や活劇シーンの進化には本当に驚かされますが、キン・フー監督が撮った人間の美しさ、演じる者たちの緊張感、といったものは、後続作品がやすやすと超えられない者のような気がします。

そういえば、昔、ジャカルタに住んでいた1991年頃、The Swordsman(笑傲江湖)を観て、とても気に入り、その後、ジェット・リーなどのカンフー映画を見るようになったのですが、調べたら、The Swordsmanもキン・フー監督作品でした。初めて観たのではなかったのでした。カンフー映画が好きになるきっかけを作ってくれた監督でした。

今日、この2本を観ることができて、なんだかとても満ち足りた気分になりました。

トルコ料理店のレディースコースが重量級

東京・有楽町にある、日本で最初のトルコ料理レストラン「イスタンブール」へ行ってきました。創業は1988年、意外にトルコ料理レストランの歴史は新しいという印象です。

今日は、2月の月曜日のせいか、有楽町周辺のショッピングセンターは休館が目立ち、最初のお目当の中華料理店も臨時休業、ということで、やむなく、「イスタンブール」へ行きました。

月曜日は、レディスコースが通常3500円が2800円へ割引になります。妻と娘と3人で行ったのですが、女性だけでなく、女性連れであれば男性もレディスコースを注文できるということで、3人揃ってレディスコースを注文しました。

ひよこ豆のポタージュスープの後、出てきた前菜盛り合わせ。厚手のトルコパンと一緒にいただきます。

この後に、メインのカルシュック・ケバブ(4種類のケバブの盛り合わせ)が出てきたのですが・・・。

これを3人で分けるのではなく、これが1人前なのです。チキン(左)、ビーフ(真ん中)、マトン(右)、ビーフとマトンの合挽き(下)で、レタス、酢漬けの赤キャベツ、マッシュドポテトとバターライスが添えられています。

とにかく、肉、肉、肉、という感じ。焼き具合はとてもよく、肉の旨みがしっかり味わえる逸品なのですが、これがレディースコースとは。他ではなかなか味わえないであろう重量級でした!

結局、3人で協力して、というか私が妻の残りもいただいて、完食。レディス・コースのボリュームに感服しました。

最後のデザートは、ちょっと固めの甘みを抑えたプリンと紅茶で締めました。

やっぱり、半分は食べ物ブログになってしまいますね(笑)。

トルコ料理レストラン「イスタンブール」(ウェブサイトリンク
銀座店は、地下鉄銀座駅 C2番出口 徒歩5分 
またはJR有楽町駅 銀座口 徒歩7分 

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ジャカルタ州知事選挙関連の分析レポート(有料)は、ただいま執筆中。明日には掲載できるといいのですが。

おそらく、私と同じような見解で書かれたものはまだないと思います。乞うご期待。

2月26日〜3月4日はスラバヤ出張

1週間後となりましたが、2月26日〜3月4日は、JICA中小企業海外進出支援事業の外部アドバイザーとして、インドネシア・スラバヤへ出張します。

今回は、大阪の中小企業による食品加工機械のデモンストレーションに関するワークショップのお手伝いです。主に、シドアルジョにある東ジャワ州商工局の訓練センターでの業務となる予定です。

スラバヤを州都とする東ジャワ州は、農産品加工による付加価値向上を州開発政策目標の最上位としており、日本からの食品加工機械の導入には大変熱心に取り組んでくださっています。とりわけ、健康ブームの影響で、油をできるだけ使わない加工食品の開発・生産への関心が高まっています。

日本でも、ノンオイルのおせんべいなど、ヘルシー志向の食品が増えていますが、高血圧や高コレステロールが蔓延するインドネシアでも、経済発展に伴う生計向上のなかで、そうした食品の健康化が大事な時代になってきたと言えるでしょう。

スラバヤはちょうど日本祭りが終わった頃だと思いますが、うまく日程が合えば、日本祭りにも顔を出したかったところです。以前、スラバヤに住んでいたときに楽しめたので、ちょっと思い入れがあります。

というわけで、来週、スラバヤでお会いできそうな方は、別途、ご連絡いただければ幸いです。

インドネシアから日本への難民急増?

新聞報道によると、日本へ難民申請するインドネシア人の数が急増したとのことです。

2016年の難民申請者総数は1万901人で、国別のトップがインドネシア人(1829人)で、以下、ネパール人(1451人)、フィリピン人(1412人)、トルコ人(1143人)、ベトナム人(1072人)の順でした。

ちなみに、2015年のインドネシアからの難民申請者は969人、2014年はわずか17人でした。その急増ぶりには目を見張るものがあります。

インドネシアの状況をよく知らない方がその数字だけを見たら、ここ数年のインドネシアでは、政情不安やテロ頻発など、何かとんでもないことが起こっていて、危険を感じた人々がたくさん増えて、難民申請が急増したのだ、と思うことでしょう。

でも、まさか、本当にそうなのでしょうか。

プロのインドネシア・ウォッチャーの私は毎日現状を見続けていますが、そのような、難民を発生させるような事態は一切起こっていません!

インドネシア語のメディアでも、インドネシアから日本への難民申請急増は話題になっていて、なぜそんなことが起こるのか理解できない、という話が聞こえてきます。

実は、インドネシアは、難民の受け入れ国でもあるのです。

難民の権利保護のための市民社会ネットワーク(Indonesian Civil Society Network for Refugee Rights Protection)という団体によると、2014年6月30日時点で、UNCHRインドネシア事務所に登録された難民総数は1万116人で、うち6286人が亡命者です。難民の出身国はアフガニスタン、ミャンマー、スリランカ、パキスタン、イラン、イラクなどです(この数字の出所はこちら)。

インドネシアは国際難民の経由地としても知られていて、難民の多くは一時的にインドネシアへ滞在しつつも、最終目的地としてオーストラリアへの渡航を希望するケースが多いようです。なかには、不法なルートを使って、オーストラリアへ渡航しようとする難民を乗せた小さな船がインドネシア沖で座礁したり沈没したりし、インドネシア政府が彼らの救助へ向かう、といった事態も頻発しています。

すでに一人当たりGDPが3500ドルとなり、中進国化を意識し始めたインドネシアからの難民申請が増えているのは、理解しがたいことですが、その多くは、日本での就労を目的としているものとみられます。

東京オリンピックなども含め、単純労働者や建設労働者が日本で不足しているという情報は、インドネシアでもよく知られるようになりました。インドネシアは、日本が技能実習生や看護師・介護士として最も多くの人材を受け入れている国でもあります。帰国した彼らからの様々な就労に関する情報が流れています。

翻って、彼らの多くの出身元である農村では、農業で生計を立てるのが年々厳しくなっています。高収量品種米の導入に伴う化学肥料・農薬の多投などによって農地の肥沃度が低下し、生産性が上がらないだけでなく、農産物価格が低迷して、農業は儲からないと見なされています。子供たちは農業を継ぎたがらず、現世代で離農を覚悟している農家が増えています。他方、都市を中心に、国産よりも安くて質の良い野菜・果物・畜産物の輸入が増加を続けていて、農民の生産意欲を減退させている面があります。

しかし、それは、難民を発生させるほどの窮乏を農民に強いているという状況ではありません。日本も含め、どんな国でも、こうした産業構造の転換をどのように進め、国内産業を新しい段階へうまく適応させていくか、は重要な政策課題となります。その意味で、インドネシア政府による農業政策・産業政策・村落開発政策には、戦略的・計画的思考が欠けていると言わざるをえないと感じます。

日本の事業の現場では、難民であろうが技能実習生であろうが、とにかく働いてくれる人が欲しい、というところがあります。もちろん、外国人労働者だからといって、安くこき使えると今だに思っているとするならば、それはもう難しいはずです。日本もまた、新しい状況に合わせた、外国人労働力の受け入れ体制の構築と、日本社会自体のそうした状況への準備を進めていかざるをえないと思います。

でも、10年前、20年前に比べたら、まだまだ不備はあるものの、いつの間にか、日本社会はそうした外国出身の人々を社会の一部としてうまく受け入れ始めているのではないかという気もします。都市よりもむしろ地方で、そうした傾向が進んでいるのかもしれません。というか、人口減などにより、否が応でも、進めざるをえない状況になっていると行ったほうが正しいのかもしれません。

難民申請したインドネシア人を、現状で難民として認めるのは難しいですが、日本が他国から好かれ、彼らが働いてみたいと思うような国になっていくことも、世界の中で生きていくには、必要なことではないかと思います。

天狼院書店を知ってしまった夜

今夜、東京の我が家からのお散歩エリア内に、ユニークな本屋があることを知ってしまいました。その名は、天狼院(てんろういん)書店。3年前に開店していたのに、今まで知りませんでした。しかも、東京のほか、福岡と京都にもあるのですね。

池袋駅から雑司ヶ谷霊園の方へ向かう東(あずま)通りをまっすぐ歩き、都電とぶつかる手前の右側の建物の2階にあります。
中に入ると、ちょうど、10人ぐらいの男性が集まっていて、「宇宙戦艦ヤマト」に関する話を熱く語り合う催しの最中でした。男性ばっかりでした。
真ん中に談話や議論のできるテーブルと椅子の置かれたスペースがあり、その周りに面白そうな本がたくさん並んでいました。

入り口を入ってすぐ左側の棚には、天狼院の秘本シリーズが6巻まで置いてあります。この秘本の中身を見ることはできないのですが、中身は素晴らしいことが書いてあるという話らしく、中身が分からないにもかかわらず、けっこうな部数が売れているようです。
装丁にも一切内容を類推できるような文字もなく、チラ見もなく、買ってみてからのお楽しみ、という売り方がなかなか面白いです。
店の右側には畳が2畳分ぐらい敷かれ、その上にコタツが置いてありました。コタツ、いいですよね。うだうだとくつろげる部分空間が作られているのでした。
男性ばかりの「宇宙戦艦ヤマト」談義にはとくに惹かれるものはありませんでしたが、このような居心地の良い空間の使い方をし、店主体でイベントや部活もする、カフェもあるという、この店のユニークな本屋ぶりにとても興味をそそられます。
今、全国で小さいけれどもユニークな、こだわりの本屋(+カフェ)が増えているようですが、私も、自分オリジナルのこんな空間を作ってみたいと思いました。
そもそも、今日は、一風堂池袋店の味噌赤丸ラーメンが2月いっぱいで終了するので、その前に食べておきたい、という娘のリクエストで池袋へ出かけたのでした。
味噌赤丸を満喫した後、妻も娘も前々から気になっていた天狼院書店へ様子を見に行ったのでした。自分の身近なところに、まだまだ面白いものがありそうです。

ジャカルタ州知事選挙の結果から読み取れること

2月15日に行われたインドネシアの101地方首長選挙の中で、内外のメディアに最も注目されたのが、首都ジャカルタの州知事選挙でした。

各種クイック・カウントでの得票率を見ると、候補ペア番号1番のアグス=シルヴィ組が16〜17%、2番のアホック=ジャロット組(現職)が42〜43%、3番のアニス=サンディ組が39〜40%、という結果でした。過半数を獲得した候補ペアがいなかったので、上位2ペア、すなわち2番と3番で決選投票が4月に行われます。
これまでの下馬評からすると、1番の票がかなり3番へ流れたことがうかがえます。1番はすでに敗北宣言をしました。
クイックカウントの結果には、意外に大きな違いはなかったですね。以前は、それぞれの候補ペアが自分に有利な数字が出るようにクイック・カウント会社を「買収する」といった話があり、結果が大きく異なることもあったのですが、今回はそのような様子は見られなかったように思えます。
私の予想では、2番がもう少し票を伸ばして過半数をかろうじて獲得し、僅差で当選するかなと思っていました。下馬評では3番がいま一つ伸び悩んでいましたが、私は3番は指示を伸ばしてくるだろうと思っていました。
インドネシアの選挙では、あえて2つのペアがガチンコで対決するのではなく、1つのペアが、自らの別働隊として、弱そうなペアを別に仕立ててあえて3ペアにして票を割り、決選投票へ持ち込んで勝つ、というやり方を戦術上採ることがあります。今回のジャカルタがそうだとは思いませんが、流れとしては、そんなふうにも見えてしまいます。
つまり、1番と3番は嫌アホックの票で概ね一致するので、次の決選投票では、1番の票を従えた3番が2番のアホックに勝つのではないか、という見方です。2番が勝つためには、イスラムか否かを基準に投票する人をいかに懐柔するかと同時に、3番のクリーン・イメージをいかに貶めるか、が鍵になってくると思われます。
現段階では、アホックが順当に勝つのはかなり厳しいと考えます。アホックがイスラム勢力を懐柔するのが難しいからです。となると、3番にこれからマイナスの何かが起こるのを待つしかないのかもしれません。

前回、ジョコウィが当選した2012年のジャカルタ州知事選挙のときも、今回とは違った形で、イスラムの名による大衆動員や誹謗中傷があり、もちろん、副知事候補だったアホックへの批判も渦巻きました。今回も、その片鱗は残っていました。

ジャカルタ州知事選挙を巡っては、表向きのイスラム主義の台頭(のような現象)やアホック自身の性格の問題などの裏に、様々な政治勢力の思惑があります。けっこう中身がゴチャゴチャしているのに加え、2019年の大統領選挙へ向けた動きとも関連してくるいくつかの要素が、すでに今回のジャカルタ州知事選挙に現れています。

それらについては、この数日の内に、Noteというアプリに記事を書きたいと思います。私なりの分析を加え、もしかすると中身が物議を醸すものになる可能性があるので、誠に恐縮ですが、有料記事とさせていただく予定です。僭越ではありますが、どうかご容赦ください。

地方首長選挙はジャカルタだけではないが・・・

インドネシアでは、ジョコ・ウィドド大統領の一声で、今日、2月15日は全国で休日となりました。

そう、今日は、ジャカルタ首都特別州の正副州知事選挙の投票日。だからって、全国も休みになるのかあ、と思った方は間違いです。なぜなら、地方首長選挙はジャカルタだけで行われているわけではないからです。
7州の正副州知事、76県の正副県知事、18市の正副市長、合わせて全国で101の地方首長選挙の投票日なのです。ジャカルタはその一つにすぎません。選挙費用がかかってしまうので、できるだけ統一して行うようになったのです。
大統領から州知事、県知事・市長に至るまで、インドネシアでは、正・副のペアで立候補し、有権者が意中の候補ペアを直接投票で選ぶ、という方法を採っています。この方法を採ることで、人口の拮抗するような種族、宗教、出身地盤などを基にした対立を回避し、これまで、(地域)社会の分断を少なくするような作用が果たされてきました。
たとえば、イスラム教徒とキリスト教徒の人口が拮抗しているところでは、首長候補がイスラム教徒ならば、副首長候補をキリスト教徒として、両者がペアを組むというのが一般的です。このため、種族対立や宗教対立が選挙運動で起こりにくい構造となっています。
かといって、候補ペア同士が細かな政策論争を繰り広げるという要素も少なく、最終的には、その土地の有力者や名士の一族かどうか、資金力があって選挙戦を十分戦えるかどうか、などが投票に影響を与えます。
選挙には金がかかります。その資金を作るために、候補ペアは自分の資産や財産を売却したり、多額の借金を作ったりますので、もし選挙で負けると、借金の返済に苦しむだけでなく、一気に貧困にあえぐ状態に陥る可能性もあります。実際、選挙で負けて、精神的におかしくなってしまう者もいると聞いたことがあります。
資金を作るのは勝者も同じで、だから首長は任期中に当選前の「投資資金」を回収するのに忙しく、汚職への動機がどうしても生まれてしまうとも聞きます。
インドネシアにも政党はありますが、地方首長選挙では、まず有力者がいて、彼がどの政党の神輿の上に乗るか、という力関係になります。すなわち、政党が地方首長をて下にするのではなく、政党が次回総選挙を有利に進めるために、どの勝ち馬に乗るか、という形になります。ですから、1期目と2期目で与党が異なるという事態が一般的になります。
ということで、101の地方首長選挙は地元の方々にとっては大変重要なものであり、私も幾つかの地方首長選挙の結果が個人的に気になっています。ジャカルタ首都特別州知事選挙もそうした選挙の一つにすぎないのです。
日本でジャカルタ首都特別州知事選挙が注目されるのは、それを取材する日本のメディアが皆ジャカルタにおり、他の100の地方首長選挙を取材する余力がない、という物理的な理由もあります。ジャカルタだけがインドネシアではない、ジャカルタがインドネシアを代表するわけでもない、と私は何度も声を大にしてきました。
しかしながら、やはりジャカルタ首都特別州知事選挙は、他の地方首長選挙よりも重要な意味を持つものとなってしまいました。なぜならば、今のジョコ・ウィドド大統領がジャカルタ首都特別州知事から大統領へ就任したことで、ジャカルタ首都特別州知事ポストが次期大統領へ向けての重要ポストとなってしまったのです。

そのような文脈で、今回、現職のアホック知事(華人・キリスト教徒)が再選されるかどうかが注目されるに至ったわけです。

今回のジャカルタ首都特別州知事選挙の持つ意味は何か、この選挙の裏で起こっている重要な動きとは何か、イスラム関係者の動きや数万人を動員したデモはどのような意味を持つのか。そういった話は、このゆる〜いブログではなく、別のところで、私なりの考えを述べてみたいと思っています。お楽しみに。

下北沢の不思議な店でスープカレー

本当に久しぶりに、東京・下北沢へ行きました。

何を食べようか迷った末、スープカレー屋へ。実は、下北沢は有名なスープカレー屋が3〜4軒もある、スープカレー好きにはたまらない町でした。

寒い風が吹き付けるなか、今回訪れたのは、スープカレー・ポニピリカ。下北沢の北、肉屋直営のバルの上の2階にある、なかなか居心地の良い店でした。

スープカレー自体は、皮カリカリのチキン、チキンと野菜、野菜、ベーコンと野菜などから選び、ザンギ(タレに染み込ませた鶏の唐揚げ)、焼きチーズ、きのこ4種などからトッピングを選び、辛さのレベルとご飯の量を選びます。スープは、トマト、魚、エビの3種類のベースから一つを選びます。

今回は、特別メニューであるエゾシカ肉のハンバーグと野菜に、ザンギときのこ4種をトッピングし、辛さはやや辛の3、ご飯は普通盛り、スープはトマトベースを頼みました。

これまで、スープカレーというものをほとんど食べたことがなかったので、どう食べたらいいのか、よくわからなかったのですが、店のテーブルに食べ方が紹介されていました。

それによると、(1)スープを味合う、(2)ご飯をスプーンに乗せて、スープに浸して食べる、(3)スープの具を食べる、(4)最後にご飯をスープの中へ入れて、おじやのようにして食べる、ということのようです。まあ、どのようにして食べてもよいのでしょうが・・・。

この店のスープカレーは、注文を受けてからスパイスを配合するため、出てくるまで時間がかかるとされていますが、出てきたものは、予想よりもしっかりスパイスが効いていて、丁寧に作ってある印象があります。なかなかの美味しさでした。

この店は居心地がよく、すっかり落ち着いてしまったのですが、店の中に色々面白いものがありました。たとえば、画面に映し出されたクイズに全問正解するとカレーがタダになるとかいう「クイズBOX」というのがあり、他の客が挑戦して、ピンポーン、ピンポーン鳴っていました。今やレアな品らしいです(下写真の右側、カップルが遊んでいる機械)。

他には、次のようなラクダの人形。

吊る下げられたポーチからちょこんと顔を出しているなあ、と思って、中から取り出すと・・・。

ゼンマイ仕掛けの動くラクダさんでした。これはどの外国製のおもちゃなのでしょう?

机の上には、ヨーロッピアンな男の子の像がありました。他の机の上には、また別々の似たような像が置かれていました。

丁寧に作られたスープカレーを美味しくいただき、食後に飲んだオーガニックスパイスのチャイ(ホット)もいい味でした。

この店のホームページも、なかなか面白いです。

 スープカレー ポニピリカ

下北沢では、小田急線が地下になり、ガード下に密集していた商店が撤去され、駅前がきれいになって、昔の面影が失われつつあるように感じました。それでも、ちょっと北側を歩くと、シモキタらしさがまだ少し感じられるのでした。

「バレンタインデーを祝わないように」との通達

明日2月14日はバレンタインデー。日本で最もチョコレートの売れる時期でもありますが、インドネシアも、今ではバレンタイデーが有名になりました。

そして、毎年のように、「バレンタインデーを祝わないように」という呼びかけが出されます。

たとえば、首都ジャカルタの南隣にあるデポック市は、優秀で想像力に富み、宗教的で競争力のある人材を作り、将来に活躍する最良の世代を準備するため、2017年2月8日付市教育局回状を通じて、次のことを求めました(元のDetikの記事はこちら)。

1.生徒に対しては、学校内外でバレンタインデーを祝わずに、インドネシアの東洋的な文化価値に沿ったポジティブな活動に勤しむことを期待する。
2.生徒の親に対しては、子供たちを誘って家の中あるいは外で、家族の調和やつながりを高めるレクリエーションなどで一緒に過ごすことを望む。
3.すべての学校関係者は、学校内におけるインドネシア民族の代々伝えられてきた文化価値を踏まえた性格や態度を根付かせることを願う。

この通達の文面を見る限り、デポック市は、イスラム的価値にふさわしくないからバレンタインデーを祝ってはならない、と言っている訳ではないことがわかります。

この通達は、バレンタインデーそのものを批判している訳ではありません。そうではなく、最近の若者たちのバレンタインデーの過ごし方が尋常ではなくなっていることへの懸念が強く表れています。

以前聞いた話では、バレンタインデーに異性と食事やデートするだけならともかく、未成年どうしで外泊したり、バイクで走り回ったり、アルコールを飲んで騒いだり、とにかく風紀がものすごく乱れているということでした。どうやら、若者たちが自分たちの行動を自制できない事態が多々起こっているようなのです。

話は変わりますが、インドネシアのコンビニでビールが売られなくなり、在留邦人や日本人出張者の間でずいぶん話題になったのを覚えている方も多いと思います。

それを「イスラム教の影響が強くなっているから」と解釈する向きもありましたが、必ずしもそうではありません。

実は、コンビニが未成年者へアルコール類を売ってしまい、それを飲んだ若者が騒ぎを起こすという事件が相次ぎ、なかには、メチルアルコールにまで手を出して飲んで死んでしまう事件が起こるに至り、アルコール類の販売禁止策が出されるに至った、という経緯があります。

コンビニでのアルコール販売禁止も、今回のバレンタインデーを祝わないようにという通達も、自制できない若者たちを鑑み、彼らが欧米の真似をしてそれにうつつを抜かしている状況を懸念した、風紀の乱れ対策と見るのが適当かと思います。

しかし、この風紀の乱れに歯止めがかけられないと、イスラム法で治める以外に手段はない、という声が出てきてしまいます。すなわち、頼れる規範がイスラムしかないと考える向きが強まるのです。本当に風紀の乱れ対策をいろいろ考えてやったかどうかは分かりませんが、イスラムを出すほうが手っ取り早い、と考える人々も多いと思われます。

かつて、汚職撲滅が進まないのは世俗法で処しているからであって、イスラム法の世界になれば汚職は摘発できる、と汚職構造の抜本的改革にはイスラム主義で処するしかないという考えが現われたことがありました。インドネシアで10数年前、イスラム国家か世俗国家という議論が現れた背景には、こうした汚職対策への無力感がありました。

そして、イスラムの名を使いながら、そのような状況を利用しようとする政治勢力も現れてきます。

うがった見方をすれば、バレンタインデー反対に象徴されるのは、己を忘れ、欧米から入ってきた風習を無批判に無節操に受け入れ、それを自分でコントロールできないように見える若者たちを、東洋的とか土着文化とかいう曖昧な概念を用いて、インドネシアという国家に引き止める方策にも見えます。

本当に重要なのは、自制できる若者をどのように作っていくか、ということでしょう。それは、自分で分別をわきまえ、節度ある行動のできる若者になっていくことであり、それは今の教育のあり方と深く関わってくると思われます。

でも、どうしてこんな風になってしまったのか、とても不思議な気がします。

というのは、私がジャカルタに住んでいた1990年頃は、キリスト教徒以外は、誰もバレンタインデーなど祝っていなかったからです。それも、好きな相手に花束を贈る(多くの場合は男性から女性へ)のが一般的で、「日本では女性が男性にチョコレートを贈るのが流行っているんだ」というと、皆んなから「変なの!」と言われたものでした。

今では、インドネシアでも、バレンタインデーに女性が男性にチョコレートを贈るのは普通のこととなりました。これは日本の真似なのでしょうか。

東京・銀座のリンツカフェの
チョコレートアイス&クレープ

天敵はハウスダストとカビ

季節の変わり目になると呼吸が苦しくなる気管支ぜんそくとの付き合いは、もう何十年にもなります。まだ私が小さい頃は、小児ぜんそくとも言っていました。

急に気温が下がると、ゼーゼーしてきて、よく親に背中をさすってもらったものです。ですから、秋から冬、冬から春にかけてがきつくなるのでした。

気管支炎となれば、その「お友だち」であるアレルギー性のアトピー性皮膚炎ともずっとお付き合いしてきました。副腎皮質ホルモンの入ったステロイド軟膏をチビチビ使ってきました。

振り返ると、気管支炎もアトピーもひどかったのは、幼少期を除けば、前の職場に入ってしばらくの間でした。当時は、毎日、インドネシアから送られてくる新聞を読んで記事をまとめる作業を続けており、その新聞と一緒に運ばれてきたか新たに発生したかのダニやカビが原因だったのだろうと推察します。

その後、インドネシアへ赴任した2年間では、症状が全くと言っていいほど出なくなりました。帰国して、新聞との格闘が少なくなると、症状もあまり出なくなりました。

インドネシアにいる間は症状が出ないのですが、日本では、冬になると毎年のように、何度かはきつい気管支炎に、そしてアトピーで肌がボロボロと何度も剥けるようになりました。

今年は、毎月、血中コレステロール検査で通っているお医者さんに薬と吸入器を処方してもらったため、気管支炎は今のところ、ひどくならずにいます。毎日、自宅で肺活量検査を行い、その値を記録して変化を見ていますが、最初の頃はかなり低い値だったのが、今は高い値で安定しています。いつもの冬に比べると、アトピーもひどくなく、また何かあればすぐ医者に行ける体制なので、ずいぶんと楽だし、安心です。

子どもの頃、「大人になったら自然に治るよ」と、かかりつけの先生に言われたのですが、今もまだお付き合いしている状況です。まだ子どもなのかもしれませんが。

これら気管支ぜんそくとアトピー性皮膚炎がひどくなる原因は何か、だいぶ前に、病院でアレルゲン検査をしてもらったところ、ハウスダストとカビへの感応度が異常に高く、この二つが自分の天敵であることがわかりました。

今でも、ハウスダストやカビがひどいとすぐ症状が出るので、今日、思い切って、その対策用に、コードレスの布団用クリーナーを購入してしまいました。ダイソンのV6、コードレスなのに、強力な吸引力を持つクリーナーです。

というのは、これをインドネシアへ持っていきたいからです。だいぶ長い間、インドネシアでは、荷物置き場と化したアパートの一部屋を借りているのですが、前にそのベッドで寝たら、全身が痒くなって眠れず、飛行機内の強力冷房への対策で持ち歩いているウィンドブレーカーを着て、ようやく眠れた、ということがあったためです。

窓は少し開けたままにし、換気はしているのですが、今のインドネシアは雨季で、とくにハウスダストやカビの天国になっています。2月末に1週間インドネシアへ行くので、まずはこのダイソンで掃除をしてから、ちゃんと眠りたいと思うのです。

さて、インドネシアのアパートではちゃんと眠ることができるでしょうか。

米国でも中国でもなくインドネシア?

私の友人のフェイスブックページに、「未来は米国でも中国でもなくインドネシア」という英語記事が紹介されていました。以下のサイトがそれです。

 Indonesia: Country of the Future

これは、今後の経済成長の話を言っているのではありません。たしかに、15〜64歳の生産年齢人口の増加があと10年以上は続くインドネシアは、成長市場として、日本のビジネス界も有望市場として力を入れています。そういう文脈で、日本では「成長著しいインドネシアで儲けよう」というような紹介がけっこうされています。

でも、ここで取り上げるのは違います。

だいたい、掲載されているのはArtists & Climate Changeというサイトで、経済やビジネスとはあまり関係がありません。いったい、芸術や環境問題に関連してそうなサイトがどうして「未来は米国でも中国でもなくインドネシア」などと言っているのでしょうか。

興味のある方は、ぜひ、この内容を直接読んでいただきたいのですが、ここでのキーワードは「コモンズ」です。コモンズとは、コミュニティが共同で管理する資源のことであり、誰か個人の所有権の集合体というよりも、コミュニティが所有するという形です。言い換えると、所有ではなく共有(シェア)を重視するアプローチになります。

今や、世界中のアーティスト、都市プランナー、環境保護活動家などが、資本主義や商業主義に対するアンチテーゼとして、このコモンズの考え方に親近感を抱き、コミュニティと協働しようとしています。

そうした彼らから見ると、インドネシアのゴトンロヨン(相互扶助)といった根強い考え方のなかにコモンズ的なものを強く感じるようです。

インドネシアでも商業主義の影響は村落部にまで広まり、都市ではゴトンロヨンが形骸化しつつある状況も見受けられます。このサイトの書き方はちょっと過大に高評価しているようにも思えます。でも、先日、ジョグジャカルタ市の隣のスレマン県の村へ行った際、農民が村の決まりごとを皆んなで決めて皆んなで守る、本当の意味でのゴトンロヨンがまだしっかりと機能しているのを確認しました。

そのジョグジャカルタなどでは、建築家がコミュニティのイニシアティブや助言を基にして制作活動を行う動きもあるようです。アーキテク・コミュニタスという建築家グループは、地元の人々を信じること、コミュニティとの相互信頼が必要条件である、と明言しています。

インドネシアでのアーティストのユニークな創造性、連帯意識、豊かな資源といったものに加えて、コモンズに関わるローカル・ナリッジ(地元の知恵)が息づいていて、それが持続的な社会を作っていく。とするならば、我々は、気候変動や環境悪化の最前線にあるインドネシアの彼らからもっと学ばなければならないのではないか、とここでは主張しています。

このサイトでは、2016年の流行語「ポスト真実」から、2017年は「コモンズ」へ、というメッセージも込められていました。

日本でも、越後妻有トリエンナーレや瀬戸内芸術祭にもそれらと共通した動きを見ることができるし、それらのイベントをコミュニティとともに作り上げる努力を長年続けてきた北川フラム氏らの活動からも、同様の意識を読み取ることができます。

そう、こうした動きは、インドネシアでも、日本でも、世界でも、同時代的に起こっているのです。とするならば、日本でもまた、「ポスト真実」から「コモンズ」への動きが起こってほしいし、起こしていきたいと思うのです。

イッツベジタブルは日本で一番新しい台湾料理の店 !?

妻と待ち合わせて、どこで夕食をとるか色々悩んだ末、錦糸町の台湾料理屋に行きました。総武線の高架下にある、その店の名前は、イッツベジタブル(苓々菜館<りんりんさいかん>)。

実は、台湾では精進料理も有名らしいのですが、台湾へ行っても、まだ食べたことはありませんでした。どんな精進料理なのか、楽しみに行ってみました。

肉、魚、卵だけでなく、ネギもニンニクも使わない、調理にアルコールも使わない(注:ただしビールなどアルコール飲料は置いてある)、全素、完全素食、ベジタリアンの台湾料理を出す店です。この店では、大豆のたんぱく質を使って、肉・魚風の料理を再現しているのです。

せっかくなので、野菜ではなく肉・魚風のものを注文してみました。まず、次の3品を注文しました。

「豚肉とセロリの炒めもの」のようなもの 

「ローストチキン」のようなもの

「揚げ魚の豆鼓ソース」のようなもの

これらをおかずに、玄米ご飯を食べました。

脂っ気があまりなく、あっさり味なのですが、ソースが絶妙に美味しく、とくに、「ローストチキン」のようなものは、鶏肉のような肉の細い筋があるような歯ごたえで、本物と変わらない味わいでした。

ちょっと物足りなかったので、さらに2品を追加しました。

「肉シューマイ」のようなもの

担仔麺(チャーシューのようなもの+肉味噌のようなもの)

テーブルの上には、素食がいかに素晴らしいかについて書かれた「苓々菜館の気持ち」と、「なぜネギもニンニクも使わないのか」の説明が書かれた紙がラミネートされて置いてありました。

たとえば、ネギやニンニクには薬効があっても、それは薬である以上、摂りすぎるのは毒になる、と書かれてありました。また、「感謝の気持ちをもって食事をいただく」といった、素食を食べるときの作法についても書かれていました。

この苓々菜館は、東京に住む台湾人留学生らがよく集まる場所にもなっているようで、レジには「台湾で中国語を学ぼう」という本も売られていました。高雄に留学した若者が2年間でマンダリンと福建語をマスターした、と店の主人が言っていました。

そして、最後の1個だったこの店の手作りの特製パイナップルケーキをゲットして、店を後にしました。台湾のお菓子も色々出しているようです。

台湾素食といえば、この店とは違う店ですが、私が大学生の頃、通っていたキャンパスの近くに、やはり台湾素食の小さな店があり、ヘルシーな弁当などで知られていました。中一素食店という名前の店ですが、今では、六本木にも支店を出す有名店になっていました。

店の外に出ると、いくつもの標語の書かれた看板がありました。

日本で一番新しい台湾料理。世界一安全な食事。野菜がいっぱい。大豆がいっぱい。

このバイクで、「ダイエット弁当」を配達してくれるようです。

店の雰囲気も家庭的で、居心地も良いので、オススメです。台湾高山烏龍茶もとても美味しくいただきました。

さて、次回の錦糸町は、こちらの予定。

「勝手に師匠」を囲む会に出て

みぞれ混じりの冷たい雨の中、東京に来訪した私の「勝手に師匠」を囲む会に出席しました。友人から声をかけていただき、行ってみると、初めてお会いする方々もいて、なかなか楽しい会となりました。

私が「勝手に師匠」とお呼びする方は何人かいますが、今回のこの「勝手に師匠」は、地域の人々が主体となり、自分たちで自分たちの地域を元気にしていく手法を私が学んだ方でした。

「勝手に師匠」と勝手に名付けているのは、私が彼から直接教えを受けたわけではなく、彼のやり方を私が勝手に学んだためでした。私がこのやり方に出会ったのは今から16年前でした。

そして、どうしても本人に会いたくなり、2003年頃、勤務先の有休をとって、この「勝手に師匠」と、もう一人別の私の「勝手に師匠」も参加するある会合へ出るため、盛岡市まで追っかけをしてしまいました。そのときには、2人の「勝手に師匠」本人に会えた喜びで、とても嬉しく、感激したことを思い出します。

その後、インドネシアでその手法を使ったフィールド・ワークショップを3回、別々の農村において1泊2日で試行しました。JICA短期専門家として行ったのに、その手法でワークショップを行うと、その最後に、日本に援助を求めるような発言は村人から出てこないのでした。3回ともそうでした。

この手法は、外部者が関わることで、内部者が自分の足元に目を向け、自分たちの地域をもっとよく知ることによって、自分たち自身が地域を良くしていく主体であることを自覚して動く大事なきっかけを生み出します。

この手法は今こそ、日本の、そして世界中のコミュニティで必要とされているのではないかという確信があります。外部者がコミュニティ開発プロジェクトをスムーズに進めるための道具ではなく、そこのコミュニティの住民自身が自分たちで動いていくための手法なのです。このため、自分たちにとって楽しく、面白く、興味深いものでなければ、持続しないことになります。

大学の研究者にもこの手法を教える方がいらっしゃいますが、多くの場合、論文を書いたらおしまいで、外部資金がなければ、実践も含めた形で継続的に関わるケースは意外に少ないのではないか、という話が出ました。

私自身は、日本のローカルでも、他国のローカルでも、様々な形で、身近なところから実践していきたいと考えています。その際、自分が別に学んできたファシリテーション手法も合わせながら、より効果的なやり方を試みていきたいです。

この手法は、地元学といいます。きっと、ご存知の方もいらっしゃることでしょう。

2001年に地元学と出会ったことが、その後の私の人生に大きな影響をもたらしました。

その意味で、「勝手に師匠」には勝手に深く感謝しています。まだまだ不勉強ですが、折に触れて、厳しく見守っていただけるよう、精進していきます。

我が家の梅が咲き始めました。

福島のあんぽ柿をいただく

月曜日の会でご一緒した、元飯舘村、今は避難先の福島市の椏久里コーヒー店のマスターから、お土産であんぽ柿をもらいましたので、早速いただきました。

あんぽ柿というのは、福島では干し柿のことを指します。渋柿を硫黄で燻蒸して、屋根の軒先に吊るして、吾妻山系から吹きつける北西の冷たい風にさらして乾燥させます。普通の干し柿だと、乾燥させると黒く固くなって糖分の粉を吹きますが、あんぽ柿はそうならず、半生のような感じで、甘くて柔らかいのです。なお、硫黄は揮発するので、毒性はありません。

主産地は、宮城県境に近い福島県伊達市梁川町五十沢(いさざわ)地区で、11〜2月が収穫・出荷の最盛期となります。

もともと、この地域は幕末の頃から養蚕が盛んでしたが、大正期になると生糸産業が衰退へ向かいました。その頃、五十沢の有力者たちが養蚕に代わる農産物を探し求め、その結果、あんぽ柿をはじめとする果樹産品への転換が進んでいったとのことです。

あんぽ柿の袋には、検査済みマークが貼られています。福島県あんぽ柿産地振興協会が放射性物質の検査を行い、食品衛生法に定める一般食品の基準値(キロ当たり100ベクレル以下)を満たすものだけを出荷しています。

あんぽ柿の放射性物質検査情報は毎週更新され、以下のサイトで見ることができます。

 あんぽ柿検査情報

東京電力福島第一原発事故から2年9カ月後の2013年12月になって、あんぽ柿の出荷は再開されました。しかし、あんぽ柿は、柿を乾燥させるため、乾燥に伴って柿の中の放射性物質濃度が高まる恐れがあるため、出荷にあたっては、これまで細心の注意が払われてきました。

実際、福島県は、2016年12月15日付で、「あんぽ柿・干し柿等の「カキ」を原料とする乾燥果実の加工自粛と一部出荷再開について」という通達を出しました。現状で基準値を超えるものはほとんど出ていないものの、さらなる万全を期すために、監視を続けていく姿勢を示しています。

 あんぽ柿・干し柿等の「カキ」を原料とする乾燥果実の加工自粛と一部出荷再開について

あんぽ柿の出荷が再開されたとはいえ、基準値を上回るものは市中に全く出回っていないとはいえ、まだまだ監視の目を緩めるわけにはいかないのです。

福島県は、「基準値を超える可能性があると判断した市町村は加工自粛するように」と呼びかけていますが、今のところ、そのような市町村はないようです。これも万が一に備えての呼びかけであって、もうすでに危ないから自粛を呼びかけているのではありません。

あんぽ柿の検査プロセスは、以下のサイトに図解されています。すべてのあんぽ柿が全量非破壊検査を受け、食品衛生法に定める一般食品の基準値(キロ当たり100ベクレル以下)よりもずっと厳しいスクリーニングレベル、すなわちキロ当たり50ベクレルを超えたものがトレーに混じっていれば、そのトレーの柿はすべて廃棄する、としています。

 平成28年度あんぽ柿の検査イメージ

福島県から出荷されるあんぽ柿は、全量、サンプルではなくて全量、放射性物質検査を受けています。その数は、2016年11月〜2017年1月で314万7768個です。そのうち、キロ当たり50ベクレルのスクリーニングレベルを超えたものはわずか1955個(すべて廃棄)で、キロ当たり25〜50ベクレルが4万6320個、測定下限値のキロ当たり25ベクレル未満が309万9493個でした。

特筆できるのは、上記について、その検査結果がすべてデータとして残されている、ということです。どこから出荷されたあんぽ柿のいつの放射性物質検査結果がどうだったのか、というデータがすべて残されているのです。

福島県では、米の全量全袋検査が今も継続されていますが、たとえば、平成26年産米では、2014年12月31日までに1077万点以上を検査し、基準値超えは0点でした。これも、すべてデータが残されています。

日本の他の都道府県・市町村で、福島県よりも厳しい放射性物質検査を行っているところはあるでしょうか。それらが福島県のものよりも安全だと客観的に示せるデータを持っているでしょうか。

外国へ日本から農産品を輸出する際、放射性物質に関する客観的なデータを求められることがありますが、それに日本で対応できるのは、実は福島県だけなのではないでしょうか。

言われのない中傷や風評がなくならず、避難した子どもがいじめに遭うなど、福島をディスる動きはまだなかなか消えませんが、そんな中で、農産物の放射性物質検査を根気強く行い、データを残すという、地道な努力を続けてきた福島は、市場の評価とは裏腹に、いつの間にか、客観的な安全安心のトップランナーになりつつあるのです。

こうした安全安心への地道な取り組みを見ているのは、日本国内だけではありません。世界のバイヤーが見ています。安全安心を求める世界の農業関係者が見ています。

福島の農産物を食べないのはけしからんとは思いません。食べてくださいと懇願するつもりもありません。食べるか食べないかは個々人の自由な判断によるからです。

でも、何の客観的根拠もなく、福島を心配するようなふりをして、福島のものを食べる人をディスるのはやめてほしいのです。心の中で福島をディスるのは個人の自由ですが、それを口に出す必要はないはずです。

今は検査結果が良くても、来年も再来年も大丈夫だとは言えない。その思いは、未来に対して謙虚だからこそ、なのです。それゆえに、万が一に備えた条件付きの「加工自粛」を呼びかけたり、膨大な検査データを残し続けているのです。

もしかすると、この福島の安全安心への地道な取り組みが、世界の安全安心へのモデルとみなされていくかもしれません。

あんぽ柿を作っている農家さんの姿を想像しながら、そんなことを思いました。そして、がぶっとかじった柿は、甘くてとても美味しいのでした。

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