今必要なのは「縮充」という考え方

人口が減少し始めた日本。老齢人口がますます増加する反面、若年人口がどんどん減っていきます。働ける人口の絶対数が減り続けていく日本で、今も、経済成長の必要性を強調する議論が強いように感じます。

今の日本の経済成長は、農林水産業や製造業のような、モノを作ることで果たせる状況ではありません。生産性を高め続け、技術上の工夫に工夫を重ねた末に、農業者や林業者や漁業者の後継者が少なくなり、中小企業者が子供に継がせられない状況が増えています。
一部の高付加価値製造業やソフト分野を中心としたサービス業が日本の経済成長を支えていくといいますが、その一方で、今後成長するアジアからのインプットなしに経済成長は難しいという側面も指摘されています。
そこまでして、我々は経済成長を必死で追い求めなければならないのでしょうか。経済成長しなければ、我々は生きていけないのでしょうか。経済成長しなければならない、という強迫観念のようなものさえ感じてしまいます。
今、我々に必要なのは、身の丈を知ること、かもしれません。
人口が減少する中で、我々が生きていくうえで必須なものとそうではないものとを峻別し、必須でないものを追い求めない生活を心がける必要があるのではないでしょうか。
たとえば、新しい携帯電話や自動車が販売されるたびに買い換える、新しいキャラクターが現れるたびにゲームを購入する、といった行為は、生存に必須とは必ずしも言えないでしょう。家電製品の人間の声でお知らせする機能は本当に必要なのでしょうか。
モノを売る側は、何とかして消費者の購買欲を喚起し、新しいものを買ってもらおうとします。それによって需要を作り、そのモノを生産することで企業としての存続と成長を図ろうとします。
3回着たらボロボロになるシャツしかなければ、人はそれを買わざるをえなくなります。一度買ったら10年もつようなシャツばかり作っていたのでは、生産設備の稼働率が上がらず、生産し続けられません。
また、最近の家電製品は、自前で修理することができないことが多いようです。肝心の制御部分がブラックボックスとなっており、修理屋が立ち入れなくなっていて、多くの場合、修理する費用も高いので、新しく製品を買わざるをえなくなります。製品もどんどん生産・販売終了となり、古い部品はすぐにない状態になります。
今の日本では、インドネシアに見られるような家電製品や機械の修理屋さんをあまり見かけないような気がします。頑丈で長持ちする良質の製品というのが日本製の特徴だったはずですが、そのような製品では、消費需要を喚起し続けられなくなったということなのでしょう。
そのような、生産者側からの需要喚起に踊らされているのが我々消費者で、政府からも、もっと物を買え、と促されています。でも、ほとんどの必需品は揃い、もうそんなに新しく物を買わなくてもいいような気がします。
人口が減少し、人々が物を買わなくなるのは、ある意味、自然なことであって、それを問題視するのではなく、そのような状況に合わせた経済のあり方を考えていかなければならないのではないでしょうか。
実際、東日本大震災のとき、これで日本が終わる、と思いました。いつ何時、自分たちの享受する反映した社会が終わるかもしれない、と思ったがゆえに、1日1日の生活を大事にし、物質的な豊かさよりも他者とのつながりや自分を含めたみんなの幸せを大切にしよう、と心に誓って、生き方を変えようとした人々が多数いたはずです。
でも、世の中は何も変わっていなかったように見えます。相変わらず、政府は「経済を成長させる」の一点張り。要らない需要を無理やり創って消費者を煽るよりも、今あるものの本質的な中身を充実させることに注力すべきではないでしょうか。
山崎亮氏の最新刊「縮充する日本:「参加」が創り出す人口減少社会の希望」を読みました。今、日本に必要なのは、この「縮充」という考え方ではないか、と思います。
我々も、自分の身の丈にあった形で、自分たちの生活をどう充実させていくか、他人ではなく、自分の足元を見ながら考えていく時が来ているのだと思います。

元旦に銀座〜丸の内を歩く

2017年、新しい年が始まりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

早速、今年中に自分が実現したいことを7つ書き出しました。そのうちの1つは、このブログ「ぐろーかる日記」を毎日更新すること、です。

どうでもよいような、たわいのない内容もあるかと思いますが、お付き合いいただければありがたいです。

ところで、今日は夕方から、元旦の銀座から丸の内を家族3人で歩いてみました。年末からのイルミネーションで残っているところはどこか、と検討し、まず、汐留カレッタへ行ってみたら、あいにく、1月1・2日は全館休館のため、イルミネーションも休みでした。

でも、旧新橋停車場の周りでは、木々につけられたイルミネーションが下からLEDライトで照らされて、流れる音楽に合わせて色が変わる、という演出がありました。

そのまま銀座へ行くと、中央通りにはイルミネーションが輝いていました。

人通りの少ない、静かな銀座中央通りでしたが、聞こえてくる声のほとんどは、日本語ではありません。開いているH&Mの前にバスが乗り付けていました。

赤ん坊の泣き声が聞こえてきます。どうやら、観光客が買い物を終えたのに、バスがなかなか迎えに来ない様子でした。

銀座から有楽町を通って、丸の内へ向かいます。この通りも人はほとんどいません。静かな通りでイルミネーションが輝いています。

通りには路上駐車中の車が何台か並んでいます。そのなかに、日の丸や菊の紋章をつけた車やバイクがあり、その周辺では、黒服を着た男性たちがお辞儀やらしている様子が見えました。

通りを車が通らないので、車道の真ん中で写真を撮っている人々がいます。その多くは、やはり観光客のようでした。

最後は、東京駅。

元旦なので、店のほとんどは閉まっていて、人通りもほとんどなく、とても静かな町並みでした。そして、出会う人々のほとんどは、日本語以外の言葉を話す人々でした。

そんな東京も、明日からは、徐々に日常の賑わいを取り戻していくことでしょう。こんなふうに、ちょっと非日常を感じられる元旦の東京もいいものです。

ただし、歩きながらちょっと小腹が空いても、飲食店も皆閉まっているので、自宅へ戻るまでは我慢せざるをえなかったのが少々辛く感じました。

2016年が過ぎゆくなかで

まもなく、2016年が過ぎようとしています。

たくさんの忘れられぬ出来事があり、たくさんの方々に支えられながら、2016年が過ぎようとしています。

あたりまえの毎日の積み重ねだったのかもしれません。でも、二度と同じ日はやってこないのだから、一日一日をもっともっと大事に過ごしていかなければ、と思います。

正直言って、自分が嫌になることはよくあります。でも、もう少し、二度と同じ日はやってこない、自分の人生を敬ってみたいと思いました。

うれしかったこと、楽しかったこと、苦しかったこと、悲しかったこと、色々な気持ちを思い起こしながら、2016年が過ぎようとしています。

2016年中、皆様には、色々とお世話になり、ありがとうございました。皆様が、そして世界中の人々が一人でも多く、幸せな気持ちで新年を迎えられますことを祈っております。

なお、当方は喪中につき、新年の年賀挨拶は控えさせていただきます。ご容赦のほど、よろしくお願いいたします。

サンタ帽は宗教の押し付けか

この季節になると、インドネシアのショッピングモールやレストランなどで、サンタ帽やトナカイのツノをつけた従業員によく会います。

数年前、マレーシアのクアラルンプール国際空港で、空港職員がジルバブの上からトナカイのツノをつけているのを見たときには、本当に驚きました。とても興味深かったので、思わず、iPadで写真を撮ってしまったのですが・・・。

女性警備員がそれを見ていて、すぐに写真を削除するよう、強硬に求めてきました。マレーシアでは、空港での写真撮影が厳しく禁止されているのです。ジルバブの上からトナカイのツノは、それをうっかり忘れてしまうほど、衝撃的な出会いでした。残念ながら、写真は破棄しました(自動的にクラウドへアップできるものなら良かったのですが)。

その後、インドネシアでも同様にジルバブの上からトナカイのツノをつけている従業員をたくさん見かけることになりました。

しかし、インドネシアで、そうした従業員が上司からの指示で、嫌々ながらトナカイのツノをつけている、という側面があることが報じられました。実際に、どれぐらいの従業員が嫌がっているかはわかりません。気にしない従業員もいることでしょう。でも、従業員の宗教を無視して、上司がトナカイのツノやサンタ帽をつけることを強制してはいけない、という、まあ、当たり前の一般的な世論ができたような気がします。

振り返ってみると、インドネシアでトナカイのツノやサンタ帽が見られるようになって、まだ5年ぐらいしか経っていないような気がします。以前は、そんな姿は見られませんでした。というか、クリスマスは基本的にキリスト教との宗教行事であって、街中やショッピングモールがクリスマスで盛り上がるということは、特になかったと記憶しています。

最近、クリスマスの雰囲気を盛り上げるショッピングモールに白装束のイスラム系団体が押しかけ、イスラム・ウラマー審議会(MUI)が発出した「イスラム教徒が非イスラム教の格好をすることを禁止する」というファトワ(布告)を守らせるため、状況を監視し、ファトワに違反した場合にそれをやめさせようとするという動きがありました。

警察はこうした行為を行き過ぎであるとし、押しかけたイスラム系団体を説得して監視をやめさせようと努めました。宗教大臣は、イスラム系団体による一方的な監視は認めないとし、MUI自身もファトワの遵守は政府・警察などが行うべきとしてイスラム系団体による監視を認めない、という見解を示しました。

このファトワ自体に問題がある、ファトワ遵守が通常の法規の遵守よりも優先されるのか、といった議論はありますが、イスラム系団体が一方的に押しかけて監視することは認められないという点では一致しているようです。

そういえば、中国正月になると、今では、ショッピングモールの警備員たちが中国風の帽子や服装に身を包み、弁髪のような細長い結い髪の付け髪さえつける者さえ現れました。それを初めて見たのは3〜4年前だと思います。

クリスマスも中国正月も、そしてイスラムの断食明けも、すべてが以前よりも賑やかになりました。とくに、ショッピングモールや店々が競ってセールを催し、雰囲気を盛り上げるために、店のディスプレイや従業員の身なりを合わせていったのです。

10年、20年のスパンでこうした変化を見ていると、商業主義の影響がますます大きくなっていくことを実感します。トナカイのツノやサンタ帽は、その象徴といえるかもしれません。

上の写真は、昨年12月にマカッサルの有名な揚げ焼きそば屋Mie Titiで見かけた従業員ですが、この店でこんな様子を見たのは初めてだったので、やっぱり驚きました。

商業主義の浸透、という面は相当に強いのですが、他もやっているから自分たちも、という横並び意識も、商業主義の傾向に輪をかけているように思います。

【お知らせ】「自爆テロ未遂事件の背景」(有料記事)を書きました

以下の有料記事(100円)を書きました。よろしければ、ご笑覧ください。

 自爆テロ未遂事件の背景

中東へ戦士を送り出すイスラム過激派グループの話もちょっと書きました。ご意見、ご批判等ありましたら、よろしくお願いいたします。

便利屋にはならない、ともう一度言う

もう一度、言ってしまいたいのですが、やはり、自分は便利屋にはなりません。お人好しにもなりません。仕事師として生きていきたい、と改めて思います。

インドネシアと関わって30年経ち、地域づくりの勉強やファシリテーションに関わってからも10年以上経つのですが、自分はまだまだ未熟だといつも思っています。

インドネシアは関われば関わるほど分からなくなってくるし、地域づくりやファシリテーションもテクニックで済ませずにやろうとするとどんどん深みにはまってきます。

組織や地位に関わりのない状況となると、それに応じ、世間体を気にして演じる必要もないので、いつまで経っても、フツーの人の感覚で行動することになります。歳相応の態度、というのも分からないし、ある意味、まだ「子ども」のままなのかもしれません。貫禄ってなんだろう、なんて思います。

それでも、やはり、軽く扱われていると思ったり、タダで(あるいは安く)情報を取ろうとする人たちが私に接近してきます。「あなたの宣伝をしてあげるからタダで」と、なんだか心配してくださる方もいます。そういう方々と接していて、なんだか私を使い捨てのように見ていると感じたことがよくありました。実際、そういう方々は、必要なくなれば、私には何もコンタクトをしてこなくなります。

今年も様々な経験をし、学んだのは、仕事として割り切るべき時は割り切る、ということでした。

誠心誠意を込めて一生懸命尽くし、命を賭けるような覚悟で、自分の技の限りを尽くして何かを創ったとしても、その成果を他人が掠め取って、自分の手柄にしてしまう、ということが色々あることがよくわかりました。その他人にとっては、私はただの便利屋に過ぎなかったのです。

はい、あなたの仕事はこれでおしまい、と退場を促され、この後、自分の作ったものがどうなるかも分からずじまいになる、ということが起こってくるでしょう。そして、そこでは、そのような仕事のしかたで構わないのでした。

私は力の入れ方を間違っていたようです。誠心誠意を込めて一生懸命尽くし、命を賭けるような覚悟で、自分の技の限りを尽くす必要など、実はなかったのです。誰かが成果を掠め取っていくということが分かっていれば、最初からテキトーに仕事をしていればよかったのだ、と後悔してもいます。

自分が本当にやるべき「務め」は忘れてはならないのですが、それと収入や報酬を得るためにする「仕事」とは明確に分けて、「仕事」はその収入・報酬額を満たす分だけやればよく、それ以上の価値を生む余計なことはしない。

「いい人ですね」などとおだてられても、報酬なしの(下請け)仕事は基本的に断る、というのを基本にし、その濃淡を明確にしていく。ただし、「仕事」については、必要ならば、依頼主様のご希望には頭を下げて従うように振る舞う(これがなかなか難しい)。

そういったメリハリをつけて割り切って、「務め」の遂行のために「仕事」をする、ということが大事だと学びました。

2回前のブログでお知らせしたように、インドネシアに関する分析記事をノートというSNSを使って有料で書き始めたのは、その情報と分析は、皆さんにお金を払って読んでいただきたいからです。

でも、1本100円という価格設定が適切かどうかがまだ分かりません。それでも、お金を払って読んでくださった方がいたのは大変ありがたいことで、これからも、そこでしか読めないインドネシアの分析記事を(不定期ですが)書いていきたいと思います。

またまた神代植物公園のバラ

Business Trip to Surabaya (7-11 Dec 2016)

Maybe this is the last business trip to Indonesia from Japan in 2016.

I was suddenly asked to participate a business trip by a researcher of IGES (Institute for Global Environmental Strategies), a semi-government research institute in Japan, to Surabaya when I was in Yogyakarta, Indonesia, for special lecture at Gadjah Mada University (22-24 November 2016).

This time I was asked to join her preliminary survey on sustainable community development in Surabaya, Indonesia. I brought her to meet young activists of C2O library and Ayorek to make a platform for community development in Surabaya, a specialist on environmental issues in Surabaya, and women’s group to promote mangrove conservation and community development.

I hope this field survey would be useful for IGES study in the next stage.

What is my next stage? Please stay tuned in 2017 !

立教大学のクリスマスツリー

12月16日は、友人からの依頼で、東京・池袋の立教大学にてゲスト講義を行ってきました。

スーパーグローバル人材育成を目的としている科目らしく、講義は英語で行います。私の講義テーマは「コミュニティ・エンパワーメントと村落開発」、私自身の経歴や活動を踏まえて、自由に講義をしてください、ということでした。

出席者は9名、うち4名は留学生で、ほぼ全員、英語が堪能な様子でした。

私はといえば、色々と詰め込みすぎて、1時間弱ではちょっと足りなくなってしまいました。出席者の自己紹介を聴きながら、立教大学で教えている友人も改めて気づくことが多かったようです。

講義を終えて、キャンパスの出口のほうへ歩いていくと、電飾が施された見事なクリスマスツリーが2本立っていたので、思わず写真を撮りました。

残念ながら、2本一緒は写真に収まらず、1本のみの写真となりました。

この立教大学のクリスマスツリーは有名らしく、外国人観光客もわざわざ見に来るのだそうです。

高さ25メートルの2本のヒマラヤ杉に1150個の色電球が灯っているとのことです。

今流行りの点滅したり、色が変化したりするような電飾ではなく、幾つかの色の明かりが灯っているだけのシンプルなツリーです。そのシンプルさがかえって、見ている自分をホッとさせてくれる、温かな気分にさせてくれるような気がしました。

【お知らせ】noteで有料記事を書き始めました

このたび、noteを活用し、インドネシアの政治・経済・社会等の現状分析記事を不定期で書き始めました。次のリンクからご覧いただければ幸いです。

 noteへのリンク

記事では、スハルト時代を含む過去からの事象や人的ネットワークに関する独自情報も踏まえながら、インドネシアの現状を私なりに分析していきたいと考えています。

このため、誠に僭越ながら、有料記事とさせていただきます(1部100円)。

合わせて、過去に書いた記事も、1部100円にて閲覧可能としていきます。それら記事をまとめたマガジン(有料)も掲載していきます。

インターネットが普及し、インドネシアについても様々な情報が流れるようになりましたが、情報は玉石混交で、読者側の情報に関する取捨選択能力を問われるような状況となってきました。

私自身の流す情報がすべて正しいと断言するつもりはありませんが、少しでもインドネシアについての多角的な理解とより広く深い日本=インドネシア関係の構築につながるような、情報提供をしていければと願っています。

そして、日本向けのインドネシア情報の提供にとどまらず、インドネシア向けの日本情報の提供にも努め、双方向での理解の深化への貢献を目指していきたいと思います。

さらに、情報提供にとどまらず、それが何らかのアクションへつながることも意識し、それを実現すべく活動していきたいとも考えます。

ともかく、まずは私の記事をお読みいただき、忌憚ない意見や批判、コメントをいただければ幸いです。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

なお、このブログ「ぐろーかる日記」では、引き続き、思ったこと、考えたこと、感じたこと、伝えたいことなどを気ままに書きのこしていきます。相変わらずではありますが、食べもののことや日常生活の話も書いていきます。引き続き、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

神代植物公園のバラ

マングローブ保全とビジネスの両立

12月7〜11日、今年最後のインドネシア出張として、スラバヤへ行ってきました。

今回は、地球環境戦略研究機関(IGES)の研究員の方からの依頼で、持続可能なコミュニティを目指すための政策を考えるための前提として、環境と共生するスラバヤの地元での活動の現場などを案内する、という仕事でした。

今回は、わずか2週間前に依頼された急な用務でしたが、実質2日間で、スラバヤのいくつかの場所を案内できました。

そのうちの一つは、マングローブ保全活動とコミュニティ開発を両立させているルルット女史のグループの活動です。彼女とお会いするのは、今回で4回目になります。

最初にお会いしたのは、2009年、スラバヤで開かれていたとある展示会の場でした。そのときの様子は、かつてブログに書きましたので、興味ある方は、以下のリンクをご参照ください。

 マングローブからの贈り物

その後、2014年12月には、ジェトロの仕事で、新しいビジネスを志向する中小企業家のインタビューの一環で、お会いしました。以下はそのときの写真です。

彼女の活動の特徴は、マングローブ林の保全・拡大から始まり、マングローブの実や種を使った商品開発を行うことで、環境保護とビジネスとを両立させる活動を実際に実現したことにあります。その代表例として、先のブログ記事にも書いたように、マングローブから抽出した様々な色素を使った、バティック(ろうけつ染め)を作り出したのでした。

ルルットさんは、マングローブの実や種などの成分を分析し、健康によいと判断したものを飲料や食品などに加工し、販売してきました。ジューズ、シロップ、せんべいなどのお菓子やその成分を刷り込んだ麺を開発したほか、石鹸、バティック用洗剤などにも加工してきました。マングローブ加工品はすでに160種類以上開発したということです。

2009年に林業省と契約し、スマトラやカリマンタンでのマングローブ保全とマングローブ活用製品開発のコンサルティングを開始したのをきっかけに、全国各地で、ルルットさんの指導を受けたマングローブ保全グループが立ち上がっていきました。なかには、ルルットさんの指導から自立して、独自に製品開発を行い、それらの製品を外国へ輸出するグループも現れているとのことです。

「これまで何人を指導したのですか」とルルットさんに尋ねると、「数え切れないわ」と言いつつ、ちょっと恥ずかしそうにしながら「数千人」と答えました。

インドネシア全国で、ルルットさんの教えを受けた数千人がマングローブ保全活動とマングローブの恵みを活かしたコミュニティ開発に関わっている、と考えただけで、私たちの目の見えないところで、様々な環境を守り、再生させる努力が地道に行われていることを想像しました。

ルルットさんは、今でも「活動の第一目的はマングローブ保全だ」ときっぱり言います。彼女によれば、マングローブを活用するコミュニティ・ビジネスとして成り立たせていくには、最低でも2haぐらいのマングローブ林が必要で、それまではとにかくマングローブを植え続けることが重要だそうです。

そうでないと、住民はマングローブ林を伐採し始めるのだそうです。彼女が先日行った東南スラウェシ州クンダリの状況は、本当に酷く破壊されていて、まだまだ頑張らねば、とのことでした。

もっとも、ビジネスとして大きくしていくつもりは、あまりないそうです。マングローブ産品の売り上げやルルットさん自身のコンサルタント報酬のほとんどは、マングローブ保全の活動に使っているので、利益はほとんどないと言います。少なからぬ民間企業が共同ビジネスを持ちかけてくるそうですが、全部断っているとのこと。彼女が持っているマングローブ加工のノウハウや成分の活用法などは、門外不出だそうです。

もっとも、彼女は、民間企業がマングローブ保全活動を行うように働きかけてもいます。マングローブ林を破壊したり、海を汚染したりする企業に対して反対運動を仕掛けるのではなく、むしろ、それらの企業のコンサルタントとなって、「マングローブ保全を行うほうが、漁民や住民による反対運動やデモを避けることができる」と説き、排水・廃棄物処理の方法などを企業側にアドバイスする、そうしてコンサルタント報酬もちゃっかりいただく、というなかなかしたたかな側面も見せていました。

それにしても、なぜ彼女はそこまでしてマングローブ保全にのめり込んでいるのでしょうか。その理由が今回初めてわかりました。20年以上前、ルルットさんは難病を患い、体が動かなくなり、歩けなくなって、死を覚悟したそうです。真摯に神に祈りを捧げると、不思議なことに、動かなかった足が少しずつ動き始め、その後2年間のリハビリの末、日常生活へ復帰することができました。

この経験をきっかけに、自分が取り組んできた環境保全の道を命ある限り進んでいこう、と決意したそうです。そんなルルットさんは、本当に、マングローブ保全活動に命をかけているように見えました。

政府からは様々な支援の申し出があるそうですが、ルルットさんはその多くを断り、自前資金で活動を進めることを原則としています。メディアへは、マングローブ保全のさらなる普及のために積極的に出ていますが、それに流されることはありません。

ルルットさんのような方が現場でしっかり活動しているのは、とても心強いことです。我々のような外国の人間は、ともすると、インドネシア政府やメディアでの評判を通じて良い事例を探しがちですが、それは本物を見間違える可能性を秘めています。

私自身、ルルットさんの活動を今後も見守り続けるとともに、彼女のような、地に足をつけて活動している本物をしっかり見つけ出し、他の活動との学び合いの機会を作っていければと思っています。

スラバヤ出張(2016年12月7〜11日)

2016年12月7〜11日、インドネシア・スラバヤへ出張しました。

今回の出張は、公益財団法人地球環境戦略研究機関(IGES: Institute for Global Environmental Strategies)が実施する「アジア地域における地域資源ベースSCP(持続可能な生産と消費)イニシアティブの分析ならびに政策的支援の検討(事例研究)」の準備調査のお手伝いでした。

この調査は、アジアの都市部、都市近郊での持続可能な消費に関する取り組みを効果的に支援する政策パッケージを提案することを目的としているそうで、インドネシアにおける先進環境都市と自負するスラバヤ市において、持続可能なコミュニティ・イニシアティブを探るうえで参考となりそうなインプットを得たいということでした。

今回は、様々な市民活動のプラットフォームを目指して活動している若者グループであるAyorek / C2O図書館、エコロジカル・サニテーションを研究している私立スラバヤ大学環境研究センター、マングローブ保全活動とバティックなどへのマングローブ活用産品振興・コミュニティ開発の両立を進めるグループBatik SeRuの3カ所を案内しました。

この調査が今後、どのように展開していくかは分かりませんが、スラバヤの事例が単なる事例で終わらず、アジア各地での同様の事例と横に結び付き合いながら、新しい動きが生まれてくることを期待したいと思います。

今回で、本当に2016年のインドネシア出張は最後となります。

 

晩秋の東京で遅ればせながら紅葉狩り

バタバタしているうちに、秋はどんどん遠ざかっていきました。

今年は無理かなと思いつつ、12月1日に某シンクタンクでインドネシア経済についてブリーフィングを行った後、翌2日、妻と一緒に東京の神代植物公園へ行きました。

東京なので、まだ紅葉は残っていて、なんとか間に合いました。

神代植物公園といえば、バラ園も有名ですよね。季節が晩秋ということもあり、咲き誇るという感じではありませんでしたが、バラも色々と咲いていました。ついつい、写真を撮ってしまいます。

これから冬を迎えるこの晩秋という季節に、はかなさというか、寂しさというか、しかし、心が満たされている、言葉にならない不思議な気持ちをいつも抱いてしまいます。

今年ももうすぐ終わっていくのだな。しみじみと、そしてぽつんと、そう思うのです。

・・・・・・・・・・

晩秋に出会えて一段落。12月7日から、急に入った今年最後のインドネシア出張(3泊5日)でスラバヤへ行ってきます。

別の未来を始めよう!

シンガポールの女性軍人採用の広告です。リクルートメント・フェアをOCBCスクエアで12月2・3日に開催する、と告知されています。

3人とも、爽やかな笑顔が印象的で、「別の未来」というのがちょっと素敵なフレーズです。その意味は、実は、きっと、なかなか複雑なのかもしれませんが。

シンガポールの男子には徴兵制があります。17歳で徴兵検査を受ける義務があり、適性と判断されると、18歳で召集され、予備役だと、2年間に年間最長で40日間の兵役義務が課せられます。ただし、大学等へ進学する場合には延期が可能で、卒業後などに兵役義務を果たすことになります。

ただし、兵役では、軍事部門だけでなく、消防などの非軍事部門にも配属されるそうです。そして、兵役終了後も13年間は予備役に就くそうです。兵役拒否は良心的であろうとなかろうと難しいとか。

こうした文脈で、この「別の未来を始めよう!」を見ると、シンガポールの少子高齢化の影響が想像できます。このままでは、十分な数の若者を徴募兵として確保できず、また、予備役の動員も現実的には難しいため、兵役義務のない女性をも軍人として採用しようとすることを盛んに行なっていかなければならないのではないでしょうか。

前回のブログの水問題もそうですが、小国であるシンガポールには、自分で自分の国を守らなければならないという危機感があると感じます。

この広告のすぐそばには、「クマちゃんメリークリスマス!(Have a Beary Merry Christmas !)」と、早くもクリスマス気分全開の飾り付けがありました。

シンガポールがテロリストの標的になるかもしれないという不安もある中、彼女たちの「別の未来」が、こうしたほんわかした世界と別の未来にならないことを願ってしまいました。

シンガポールのニューウォーター(新生水)

11月26日、ジョグジャカルタから帰国する前に、久々にシンガポールに寄りました。お目当ては、もちろん食べ歩きなのですが、それ以外に、在シンガポールの友人が面白いところに連れて行ってくれました。

それは、シンガポール・ニューウォーター・ビジターセンター。シンガポールの水道公社が行っているニューウォーター(新生水)を一般向けに紹介する施設です。

このニューウォーターというのは、一言で言えば、リサイクル水のことです。シンガポールが水を確保する方法は、(1) マレーシアから買う、(2) 雨水などをため池に貯める、の他に、(3) ニューウォーター(リサイクル水)を生産する、があります。

ニューウォーターは、下水をろ過し、殺菌し、蛇口からそのまま飲める状態にして、浄水へ還元する水です。ビジターセンターでは、その工程を学ぶことができます。

そこでは、まず、下水をマイクロフィルターでろ過、次に逆浸透膜(RO膜)を通して水に含まれる不純物を取り除き、最後に紫外線消毒をすることで、ピュアな水を生産できる、ということのようです。

ニューウォーター自体の研究は1970年代から行われていたようですが、コストと信用性の問題から実用できずにいたのが、1998年に生産体制が確立し、2000年に最初のニューウォーター生産プラントが完成、2001年から供給が始まり、現在では、シンガポールの水供給の30%をニューウォーターが占めるまでになったということです。

実際、ビジターセンターでは、ペットボトルに入ったニューウォーターを飲むことができ、もちろんしっかり飲みました。クセのない美味しい普通の水でした。

ペットボトル入りのニューウォーターは、実際に市中で販売を試みたらしいのですが、あまり売れなかったということです。もともとが下水なので、人々が気持ち悪がって飲まなかったのだと想像します。

今のところ、ニューウォーターは産業用として主に使われていますが、渇水時には、通常のため池からの水と混ぜて飲用にも使われています。

シンガポールは、自然の水源を持たない国です。マレーシアからの水の購入は2061年まで契約がありますが、そのマレーシア自体が水供給が不足気味と聞きます。こうした事態を見越して、シンガポールはニューウォーターの開発を進め、今では、ニューウォーター生産プラントが4箇所稼働しており、マレーシアとの契約が切れる1年前の2060年に、ニューウォーターの比率を水供給の55%にまで引き上げる計画です。

アジア有数の高所得国となったシンガポールの重要な懸案の一つが水問題であり、それを克服するために、ニューウォーターの開発を進めてきたことに、先見の明を感じます。

もっとも、シンガポールの250万人という人口規模とその集中具合が、高コストのニューウォーター開発を可能にする要素の一つで、どんな国でもニューウォーター開発が有効という訳にはならないことも事実だと思います。

このビジターセンターは、チャンギ空港のすぐそばにあります。センターでは1日に4回の無料ツアー(所要約45分)を行なっていて、誰でも気軽にネットで申し込むことができます。ツアーでは、「シャワーの時間を1分減らすとこんなに水の量を減らせる」といった水の使用量を節約させる教育的機能も果たしています。

このような政府施設をオープンにし、ネットで申し込める見学ツアーなどを通じて、積極的に住民へ説明し、節水意識を広めていくといった活動は、日本の行政機関などももっと学べるのではないかという気がしました。

こんな、一味違ったシンガポールに出会うのもいいのではないでしょうか。

The NEWater Visitor Centre
20 Koh Sek Lim Road, Singapore 486593
E-mail: pub_newatervc@pub.gov.sg
Phone: 6546 7874

見学ツアーの予約はこちらから。
https://app.pub.gov.sg/newatertour/Pages/default.aspx

入れなかったジョグジャのきのこレストラン

ジョグジャカルタの郊外、スレイマン県にきのこ料理のレストランがあるというので、知人と一緒に昼食に出かけました。

このレストラン「ジェジャムラン」(Jejamuran)、全てのメニューがきのこづくしということで、まあ、よくある地方のちょっとしたレストランだろうな、というような、あまり期待もしない、軽い気持ちで行ったら、とんでもない状況でした。

とにかく、店が広い。そして、その店が満員で、たくさんの人々が並んで待っているのでした。

きのこだらけ

きのこづくし

「しめじ」の看板

「舞茸」?の看板

奥では拡張工事中

たまたま、今日は「全国先生の日」(Hari Guru Nasional)のようで、学校がお休みらしいのと、ちょうどムスリムの金曜礼拝が終わった後、ということで混んでいたのかもしれません。でも、第一駐車場も、第二駐車場も、第三駐車場も満杯なのです。

このレストランは、様々なきのこ料理を出すだけでなく、値段も安いのが特徴のようです。今では、ジョグジャカルタ周辺だけでなく、ジャカルタや外国からも客が来る、観光スポットの一つとなっているようです。

きのこだけで、これだけ人が集まるとは驚きです。

このレストランの経営者ラティジョ氏は、1968年からきのこ栽培を始め、ディエン高原にきのこ栽培会社を立ち上げて、一時は7000人を雇用し、海外へ輸出していました。

そういえば、1993年にディエン高原へ行ったときに、大きなマッシュルーム栽培加工を行う会社があったのを思い出しました。当時のディエンでは、マッシュルーム・チップスが有名なお土産品でした。

しかし、ディエン高原の会社は、その後、経営が悪化して倒産してしまいます。ラティジョ氏は1997年、机一つで道端できのこ料理を売り始めました。客の多くはトラック運転手や田んぼから帰って来る途中の農民でした。これがレストランとなるのは2006年でした。

料理人には地元のお母さんたち、その他の従業員には、当時、砂などを運搬する人夫だった地元の若者たちに声をかけ、一人一人面接しながら雇っていったということです。他にも同業のきのこレストランができたそうですが、結局、途中で消えていったようです。

それにしても、ラティジョ氏のきのこ一筋の波乱万丈の人生を思いつつも、このレストランの繁盛ぶりはすごいとしか言いようがありません。

結局、我々は入るのをあきらめました。

たかがきのこ、されどきのこ。いつかまた、訪れてみたいと思います。

ジョグジャのワンタン麺は・・・

11月24日の夜、ジョグジャカルタでワンタン麺のはしごをしました。

ジョグジャカルタで麺を食べる、というのはある意味邪道かもしれません。というのも、ジョグジャカルタなどでこれまでに食べた麺は、コシのない麺ばかりで、美味しいと思ったものは皆無だったからです。

ミー・ジャワ(Mie Jawa)というジャワの麺があり、ガジャマダ大学の学生たちに「おいしいところがある」というので連れて行ってもらったことがあるのですが、やっぱりコシのないベチャッとした麺で、それを嬉々として食べている学生たちの味覚は違うのだ、と自分を納得させようとしたものでした。

今回食べた2箇所のワンタン麺は、その意味でいうと、麺のコシはそれなりにあり、シコシコと食べられました。どちらも、値段は1杯1万ルピア程度と、ジョグジャカルタということもあって、かなり安かったです。でも、実際に食べてみたら、その安いということの別の意味がわかってしまったのです。

その意味とは・・・。ワンタンの中に具が入っていない!! ゆでワンタンもあげワンタンも、ワンタンの皮だけなのでした。おーっ、ワンタン麺よー。

他の店は知りませんが、少なくとも今回食べた2軒とも、ワンタンの具がなかったのでした。もしも、これがジョグジャカルタのワンタン麺の標準なのだとしたら、値段は安くとも、ちょっと残念です。

ガジャマダ大学で特別講義、学生面談

毎日午後、大雨の降るジョグジャカルタに来ています。

愛知県立大学とガジャマダ大学との共同プログラムの一環で、11月22〜24日、ガジャマダ大学で特別講義と学生面談を行いました。

11月22日は、午前中、約30名の学生を相手に、「日本経済の変容、日本企業におけるキャリアの傾向と人材育成」と題して、講義を行いました。学生たちは、いまだに高度経済成長の頃の日本のイメージを強く持っていたようで、低成長時代の日本経済とそれに伴う企業の人材育成戦略の変化について、興味深く聴いてくれました。

11月23日と24日は、インドネシアの日系企業へインターンする予定の計9名の学生との面談を行いました。一人当たり1時間の面談でしたので、けっこうじっくりと話し合うことができました。学生時代どんなことをしてきたか、日本や日本企業に対してどんなイメージを持っているか、これからどんなキャリア・パスを描いていきたいか、などを色々と話してくれました。自分の考えをそれなりにしっかりと持っている学生達でした。

というわけで、無事にガジャマダ大学での用務を果たすことができました。彼らは1月頃から日系企業でインターンとして関わりますが、その経験が彼らの今後の人生にとって有意義なものとなることを願っています。

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ガジャマダ大学の学生たちとバソ(肉団子)スープのランチ。大学構内のカンティンにて。

 

今週はジョグジャカルタ

11月5日に帰国して、2週間後、再びインドネシアです。今回の出張先はジョグジャカルタのみです。

実は、私には愛知県立大学多文化共生研究所の共同客員研究員というステータスがあり、そのステータスで、ジョグジャカルタの国立ガジャマダ大学にて、愛知県立大学のプログラムの一部を担当するための出張なのです。

内容は、ガジャマダ大学政治社会学部の学生向けに特別講義を行った後、愛知県立大学のプログラムで日系企業へのインターンを予定している学生9人の面談・カウンセリングを行います。

これは、これまでも3回ほど過去にやってきたプログラムで、個人的には、学生たちと面談していろいろ話を聞くのが楽しみです。彼らが自分の将来をどんなふうに考えているのか、日本や日本企業に対してどんなイメージを持っているのか、これからどんな社会を作っていきたいのか、といった話が展開し、思わず彼らの本音が聞こえてくるからです。

ずっと思っていることなのですが、日本の学生たちとも、インドネシアの学生たちとも、こんな風にして話をし、本音を聞けるような機会があると、彼らはやはり同じ時代を共有しているのだなと思える反面、未来への期待という面ではこんなに違うのか、という感慨を持ったりすることもあります。

少し前のブログで書きましたが、日本でもインドネシアでも、若者たちが本音を出せるような場づくりをしてみたいと思うようになりました。それは、年配者が若造を教育する場ではなく、お互いが上下の意識なしに自分の思うことを自由にいい、互いにそれを聞き、尊重しながら、アプローチは異なっても、新しい解を一緒に探していけるような場づくりです。ディベートのような勝ち負けを求めるのではなく、自分たちが予想もしていなかったような解を見つけ出せるダイアローグを志向したいのです。

短い期間ではありますが、こうしてインドネシアの大学で学生とじっくりコミュニケーションできる機会があるのはとてもありがたいことです。

前回のJICA案件のときのように、毎日移動で宿泊先が変わるということは今回はなく、ずっとガジャマダ大学の構内にある宿舎に5泊します。ガジャマダ大学の仕事のときにはいつもお世話になっている宿舎で、今日も、管理人ご夫妻と再会を喜び合いました。この宿舎の朝食のナシゴレンが美味しくて、楽しみなのです。

予定もあまり入らず、夜も長く過ごせそうなので、ゆったりした気分です。宿舎のインターネットも快適で、今夜は、ショパンを聴きながら過ごしています。

「この世界の片隅に」を観て

JICA案件の報告書原稿も終わり、2週間前から何度も点滴を打ってきたヘルペスの治療も終わり、ようやくほっと一息、秋の深まりを家族と感じられる日々となりました。

気持ちは若いつもりでも、体は嘘をつきません。自分に合った仕事のペースを確立し、過労にならないように、過ごしていきたいと思います。
ところで、今週、「この世界の片隅に」という映画を観てきました。戦時期の広島や呉を舞台にした内容でしたが、話の細部に至るまで、取材して実際に聞いた話である様子がうかがえました。この映画の後ろには、たくさんの人々の人生の数ページが反映されてできたものなのでしょう。
また、戦闘機による爆撃シーンをはじめとして、描写もかなりマニアックなほどのディテールにこだわって、実際の様子を再現しようとしていました。
映画自体のストーリー展開はわりと平板ではありますが、かなり長い時間を普通の人々の生活描写に当てていたからこそ、映画の後半の意味は深く迫ってくるのだと感じました。
戦時期ということで、暗い内容ではあるのですが、日常の生活の中での楽しみや笑いも出てくる場面も多々あり、とくに主人公の人間としてのフツーさが愛おしく感じられるほどでした。そして、だからこそ、主人公の周りの日常が壊れていく様子やそれに対する人々の戸惑いや表に出せない怒りがぐっさりと迫ってくるように思えました。
映画を観ながら、これは、広島や呉についての映画ではないと感じました。それは、私たちの想像力に対する挑発だったのかもしれません。ごく普通の日常の生活が、自分たちの意識しないうちに奪われ、それに翻弄されながらも生き抜かなければならない、そうしたことへの想像力を高めることが必要なのだ、というメッセージにも聞こえました。
シリアやイラクをはじめとする世界中の内戦とそれが生み出すおびただしい数の難民のことも、麻薬や薬物に溺れてしまうアメリカの労働者のことも、原発事故である日突然故郷から遠く離れなければならなくなった福島県相双地区などの人々のことも。本当は本来の日常生活があったのに、それを奪われてしまった人々が懸命に生き抜こうとしている、この世界の片隅にある光景なのだ、ということを思い出させてくれるのです。
世の中の空気に巻かれてしまっていても、それにはなかなか気づかないし、気づいたとしても、それをどうにもすることができない、ということがあります。そのとき、人々にとっては自分たちの日常生活をどう守っていくかが最重要課題であり、生き抜くためには何でもしなければならなくなるでしょう。
もう一つ、この映画は、どんなに日常生活が脅かされ奪われようと、自分を見失わない、自分が自分であり続けること、というメッセージもあったように思います。自分を見失わない、その基本は、日々の日常をきちんとしっかりと抑えていくという当たり前のことを当たり前にしていくことなのだと思いました。
左とか右とか、ハトとかタカとか、そういったレッテル貼りは、日常生活を離れた空中戦。地に足をつけた日常をいかに大事に丁寧に生きていくか。世界中の何十億もの「この世界の片隅に」生きる人々の生活に思いを馳せながら、自分の足元をきちんと見て生きていきたい、と改めて思いました。
「この世界の片隅に」は、勧善懲悪でも速いテンポでもない、エンターテーメントでもない映画です。まだの方は、素の自分のままで、鑑賞していただければと思います。

上野公園・国立博物館前の色づき始めた木々
(本文の内容とは関係ありません)

Lecture in Gadjah Mada University, Indonesia

I will stay in Yogyakarta, Indonesia, in 21-25 November 2016.

I will give a public lecture to students of Gadjah Mada University on “Career Development and Corporate Culture of Japanese companies” in 22 November 2016.

In 23-24 November 2016, I will make individual consultations with 9 students of Gadjah Mada University who are interested in Japan and Japanese companies.

The used language is Bahasa Indonesia.

This is a collaboration program between Gadjah Mada University, Indonesia, and Aichi Prefectural University, Japan. I will do this as visiting researcher of Aichi Prefectural University.

After half-day stop at Singapore in 25 November, I will go back to Tokyo in 26 November.

I will stay in the campus of Gadjah Mada University. See you my friends in Yogyakarta and Singapore if possible.

 

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