ようやくZOOMデビュー

外出自粛でテレワーク、インターネットを利用したテレビ会議が花盛りとなっていますが、私も今日(5/16)、ようやく、遅ればせながら、東京の自宅でZOOMデビューしました。

実は妻は、すでに友人とZOOMおしゃべり会をしており、先を越されていました。
ZOOM自体は、約1ヵ月程度前にすでに登録して、使ってみようと思っていたのですが、セキュリティ上の脆弱性が指摘され、使うのを躊躇していました。その後、Microsoft TeamやSkypeやGoogle Meetなど様々な手段が出てきて、どれをどう使うのがいいのか、悩んでいるうちに、時間が経ってしまったのでした。
今日のZOOM会議は、マカッサルに住む、友人のワスパダ・サンティン氏から誘われた以下のようなものでした。
テーマは、ハラル食品をどのようにインドネシアから海外へ出していけるか、というもので、アメリカ、オランダ、オーストラリアに在住のインドネシア人識者を交えてのミニセミナー、という趣でした。
実は当初、私もスピーカーに加わって欲しいと依頼されていました。でも、ハラルの専門家ではないし、ということでお断りし、一般参加者として会議に参加することにしました。
もっとも、ハラル食品の話であっても、イスラム教の教義など宗教的な話になっていくことが予想されたので、スピーカーとなっても自分だけ浮いてしまうのではないか、と思ったこともお断りした理由でした。
会議終了後、ワスパダ氏から送られてきた写真
会議の内容は、アメリカ、オランダ、オーストラリアでハラル食品がどのように扱われているか、ハラル認証はどうなっているか、インドネシア製品が各々のマーケットへ入っていく余地はあるか、といった内容でした。
私も楽しく視聴していたのですが、スピーカー3人のプレゼンが終わった後、進行役のワスパダ氏から急に振られ、コメントを求められました。全く準備をしていなかったのですが、即興で以下の4点をコメントしました。
1)日本では、ハラル食品がまだイスラム教徒だけの特別なものと思われている。
2)日本でのハラル認証は民間が行っているが、公的な裏付けがないので、それらのハラル認定が正しいかどうかを判断しにくい。よく知らない企業などを相手にした金儲けビジネスの様相もある。
3)日本からハラル食品を輸出するにしても、相手国によってハラル認証基準が異なるので、対応が難しい。マレーシア向けとインドネシア向けとで別々の対応が必要になる。
4)ハラル食品を広めるには、イスラム教徒以外の人々も消費できるユニバーサルで健康的な食品であることをアピールし、浸透させていく必要がある。たとえば、インドネシア製即席麺はハラルだからだけでなく即席麺として認知されてマーケットを得ている。
会議で発言することを想定していなかったので、パソコンのマイクの調整をしておらず、ハンドセットも使っていなかったので、私の声が小さくてよく聞こえなかった様子でした。それで、上記の4点のコメントをインドネシア語にしてチャット欄に流し、念のため、会議終了後、ワスパダ氏にも送りました。
会議には、最多時点で160人余が参加していました。インドネシア国内も、ワスパダ氏らの拠点である南スラウェシ州にとどまらず、スマトラ島のアチェからパプアまで、海外ではシリアのダマスカスからの参加者もいました。
地理的境界を超える、インターネット会議の可能性を感じさせます。参加者も大学の先生やイスラム教指導者だけでなく、学生や一般の方々も多数いた様子でした。
さあ、これでZOOMデビューしましたので、これからは大いに活用したいです。このブログを読んでいる皆さんで、私とコミュニケーションされたい方は遠慮なくご連絡ください。
また、「よりどりインドネシア」のオフ会を2ヶ月に1回、という形で定期的に開催してみようと思います。その他にも、インドネシアに関するミニセミナーや、日本人とインドネシア人とが入り混じって語り合えるような場も考えてみます。
皆さんからも、何かアイディアがあれば、どしどしお寄せください。ツールは、ZOOMでも、Microsoft Teamでも、Skypeでも、Google Meetでも、あるいは他のツールでも何でもかまいません(ツールについては、むしろ色々教えて欲しいです)。
よろしくお願いいたします。

ダリケーのペイフォワード、さらにその先へ

貧困の津波

京都のチョコレート製造販売会社、ダリケー。インドネシア・スラウェシ島産のカカオを使ったチョコレートや、非食品を含む様々なカカオ製品を製造・販売しています。

おそらく、インドネシア産のカカオを使ったチョコレートを日本で製造販売しているのは、ダリケーともう1社ぐらいでしょうか。

スラウェシということで、私も、ダリケーのアドバイザーとして、お手伝いをしてきています。毎年恒例の、スラウェシのカカオ農家を訪問するツアーの引率をずっと務めています。

ダリケーについての詳しい話は、同社のホームページ(https://www.dari-k.com/)をご覧ください。

そのダリケーが今、ペイフォワードという取り組みを始めています。

新型コロナウィルスの影響で、他者と同様、ダリケーも多くの在庫を抱えることになりました。そのままでは、スラウェシのカカオ農家からの買付を続けられなくなってしまうかもしれません。でも、そもそもダリケーは、国際価格に翻弄されるカカオ農家に寄り添うことを目的に事業を始めた経緯があります。

新型コロナウィルスに翻弄される今、ダリケーは社会に対して何をなすべきなのか。ダリケーも含めて、関わる人々がウィン=ウィンを共有できるような仕組みとは何か。

考えに考えた末に、出した結論が、今回のペイフォワードです。

すなわち、新型コロナウィルス対策の最前線で懸命に対応している医療従事者への感謝の気持ちを自社のチョコレートで示す。そこで、趣旨に賛同していただいた方にチョコレートを購入してもらい、その販売量に合わせて、医療従事者にチョコレートを届ける。

ダリケーの在庫を減らすことができ、カカオ農家からの買付も継続できます。

医療従事者の方々にとって、チョコレートは決して必需品ではないかもしれません。でも、たとえほんの束の間でも、ホッとするひと時を味わえる。そのチョコレートの裏に、たくさんの方々が応援している気持ちが伝わります。

チョコレートには、そんな誰かが誰かのことを思う、思い合う、そんな気持ちと気持ちを通わせる力があるはずです。

名も知れぬ誰かが医療従事者である誰かのことを思ってくれている。その実感。

ペイフォワードで購入したチョコレートを味わう購買者も、今頃、自分の知り合いでも何でもない医療従事者である誰かを思う。

そして、そんな思い合い(思い愛?)の根本は、スラウェシのカカオ農家が作ってくれたカカオにある。そんなカカオ農家のことを思う。カカオ農家は、自分たちのカカオを使った製品が日本の医療従事者の力になっていることを思う。

そんな思い合いが繰り返され、広がっていったら、そのような世界は幸せな世界になるのではないでしょうか。

コロナ後に私たちが目指す未来の一端は、もう始まっているのかもしれません。

そして、そして、ペイフォワードでダリケーのチョコレートを購入した方々は、医療従事者やカカオ農家やダリケーのことだけでなく、ほかの方々への感謝の気持ちも現れるかもしれません。それは、たとえば、ダリケーのチョコレートを配送してくださった宅配業者とか・・・。

誰かを思い、誰かから思われる。それが連鎖となって、次から次へとつながっていく。自分は一人ではないと、みんなが思える世界。新型コロナが強いる、物理的に遮断される社会は、だからこそ生まれる思い合いの連鎖が、あたかも想像の共同体のようになり、つながっていく、他者を信じられる世界へつながっていくのかもしれません。

未来を悲観したり、諦めたりしたくはありません。ダリケーのペイフォワードのさらにその先に、新型コロナ後の新しい世界が少し見え始めたような気がしています。

貧困の津波

新鮮な穫れたて、挽きたてカカオを楽しむ未来へ

12月7日は、私がアドバイザーを務めているダリケー株式会社主催の「挽きたてのカカオプレッソを楽しむ会」へ行ってきた。

場所は、東京・六本木のANAインターコンチネンタル・ホテルの37階。チョコレート好きの方々が集っていた。

ダリケーは、インドネシア・スラウェシ産のカカオを扱う、チョコレート業界ではちょっと変わった存在である。インドネシアは世界第3位のカカオ生産国でありながら、未発酵カカオが主流なため、よいチョコレートを作る側からは敬遠されてきた。

ダリケーはそこへあえて挑んだ。スラウェシ産のカカオをきちんと発酵させれば、良質のチョコレート原料となることを立証した。カカオ農家に適切なインセンティブを与え、発酵カカオを生産する農家に誇りをもたせることに成功した。

有名なショコラティエのいないダリケーは、素材で勝負するアプローチに打って出た。新鮮な挽きたてカカオ、という、まだ誰も提示していないやり方である。

スラウェシの農家レベルから直接カカオ豆を買い付けているダリケーは、早ければ、農家から受け取って数ヶ月で日本へカカオを届けられる。これは、他社では真似のできない芸当である。

そして、新鮮なカカオは香りが素晴らしい。この新鮮な穫れたてのカカオを使って、チョコレートを作ってみたら、とてもフレッシュなチョコレートを作ることができた。

上の写真は、12月7日に発売開始となった、数ヶ月前に収穫したばかりのカカオを使った新作の生チョコ。プレーンと抹茶の2種類のみ。イベントで試食したが、なるほど、これは未体験のみずみずしい味わいだった。フレッシュなカカオ、という意味が納得できた。

そして、カカオ豆を入れるとそのままカカオ飲料ができる機械「ブローマ」もお披露目された。これさえあれば、簡単に、たとえば、コーヒーメーカーにコーヒー豆を入れて挽きたてコーヒーを飲むように、カカオ飲料が飲める。

コーヒー豆を買うように、カカオ豆を買って「ブローマ」に入れ、挽きたてのカカオプレッソを楽しむ。コンビニで挽きたてコーヒー以外に、挽きたてカカオプレッソも飲める。

新鮮な穫れたて、挽きたてカカオを楽しむ。そんな未来が、あと何年かすると訪れるかもしれない。ダリケーは時代を先取りし、新たな時代を作っていく。

ダリケーのカカオツアーがただのツアーでない理由

手前味噌で恐縮ですが、筆者が毎年コーディネーターとして関わっている、ダリケー主催のカカオツアーが単なるツアーではない理由について、説明したいと思います。

ダリケーというのは、京都に本社のあるカカオに関わる小さな会社です。よく、「チョコレート屋さん」と紹介されますが、正しくは、カカオの会社です。「カカオを通じて世界を変える」という社是を掲げ、インドネシア・スラウェシ島産のカカオを使ったチョコレートや関連商品を製造・販売しています。

カカオの会社ということで、チョコレートを製造・販売することはもとより、他者とコラボして、カカオ油脂を活用したリップクリーム、カカオ茶などの商品を開発・販売するほか、カカオのさらなる可能性を探って、カカオから味噌を作る試みなども行ってきました。

インドネシアは、西アフリカのコートジボアール、ガーナに続く世界2~3位のカカオ生産国であるにもかかわらず、日本ではほとんど知られていません。その理由は、インドネシア産カカオの大半が未発酵カカオだからです。なぜそうなのかの話は今回は置いておいて、ダリケーは、スラウェシ島のカカオ農家グループと組んで、発酵カカオ生産の拡大を図り、それを自社の商品に生かしています。

毎年8月に実施されるカカオツアーは、そのカカオ農家グループを訪ね、交流するツアーなのです。ツアー参加者の多くは、カカオやチョコレートが好きな方々で、家族で参加される方、大学生、お菓子業界の方、新規ビジネスを考えている方など、様々な方が参加されます。今年は、8月18~25日の日程で、20名が参加されました。

ダリケーのカカオツアーは、ただのツアーではありません。その理由は、たとえば、以下のようなものが挙げられると思います。

理由1.カカオがどんなものか五感で知ることができる!

チョコレートが大好きな方々も、その材料のカカオがどんなものなのか、すぐには想像できないのではないでしょうか。カカオ豆は、大きなカカオのなかに入っていて、それを割った、白い果肉のなかの種です。白い果肉はどんな味がするか、どうやってカカオを割るのか、そんなことを実際に経験してもらえます。

カカオ農園でカカオを五感で味わってもらいます。

そのカカオ豆がどのようにして発酵されるのか、発酵するとどれぐらいの温度になるのか、発酵されたカカオはどのように乾燥され、最終的にチョコレート原料になるのか、そのプロセスを現場で見ることができます。

理由2.参加者はカカオの苗木を植える!

参加者はそれぞれ、1本ずつカカオの苗木を植えてもらいます。カカオは3~5年ぐらいで成長して実をつけます。自分の植えたマイ・カカオがどう育っているか、ずっと楽しみに待つことができます。

理由3.カカオ農家と直接対話できる!

実際に、ダリケー向けにカカオを作っているカカオ農家さんと直接会って、対話する機会があります。参加者からの質問に、カカオ農家さんが誠実にお答えしてくれます。逆に、カカオ農家さんからツアー参加者に質問が出ることもあります。

カカオ農家さんとチョコレート消費者が直接出会う、というのがこのツアーの醍醐味なのです。生産者と消費者がお互いの存在を確認し、相互に信頼と尊敬をし合うこと。消費者であるツアー参加者は、自分たちが大好きなダリケーのチョコレートの大本を担っているカカオ農家さんに感謝の意を示す。すると、カカオ農家さんは、自分たちの作っているカカオを認めてくれたツアー参加者に感謝して、さらにより良いカカオを作るモチベーションを上げる。そんな関係が生まれていくのです。

余談ですが、今回のツアーでは、そんな農家さんのなかに、ただカカオを作るだけでなく、他の農家へ発酵のしかたを技術指導したり、他の農家さんに代わって発酵を手伝ったりする農家さんと出会いました。その彼は、「ダリケーのTシャツを着ている農家は、高品質の発酵カカオを作れる農家と見なされるので、皆、ダリケーと取引をしたいと言ってくるんだ。ダリケーのTシャツを着ることは誇りなんだ」と何度も繰り返しました。

理由4.カカオツアーはカカオだけではない!

このツアーは、カカオだけではありません。カカオ以外にも、スラウェシの地域社会や人々との交流に重きが置かれています。

そのため、カカオ農園を訪問した後も、様々なアクティビティが詰まっています。カカオに詳しくなるだけでなく、その地域の人々とも存分に触れ合う内容になっています。

たとえば、地元の市場や小学校を訪問するのですが、ただ訪問するだけではありません。そこでは、ツアー参加者にとって忘れられない数々のアクティビティが行われます。また、地元の驚きの伝統芸能を体感する機会もあります。

小学校での集合写真。ツアー参加者はまるで映画スターのようになります。

そして、このツアーの隠れた評判は、実は食事です。この食事の美味しさは、歴代のツアー参加者も絶賛しているものです。ツアー参加者の全員がお代わりをするほどです。それはどんな食事なのでしょうか。どこで誰が作っているのでしょうか。

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あんまり細かく書くとネタバレになってしまうので、この辺で留めておきますが、毎年参加していただいても、マンネリにならない工夫を常にしています。

なお、本ブログの過去記事でもこのカカオツアーの話を書きました。あえてリンクは載せませんが、そちらをさがして読んでいただければ、ツアー内容についてのヒントが分かるはずです。

マンネリを避けると同時に、時間に追い立てられることなく、参加者の皆さんに、ゆったりといい時間を過ごしていただくことも重視した、スケジュールを組んでいます。たとえば、フィールドへ出るのは、日中の日差しが強く暑い時間帯を避ける、といった点をもちろん考慮しています。

天候がよければ、日本では見られない、マカッサルの夕陽も楽しめます

このツアーは、日本からの参加者以外に、インドネシアや外国在住の方々も、現地(マカッサルまたはジャカルタ)集合の形で参加することが可能です。

筆者も、今回で6回目のツアー引率を務めましたが、毎年、進化を遂げるツアーだと感じています。来年はどんなツアーになるのでしょうか。

今、このブログを読んでいらっしゃるあなたと、必ずや来年ツアーでお会いできることを楽しみにしております。

自分のできる範囲で動くしかない

このところ、ブログの更新がだいぶ途絶えていました。特に何があったわけでもないのですが、いろいろと考え事をしていました。

例えば、インドネシアでは今も地震が続き、12月22日にはアナクラカタウ火山の噴火に伴う津波の被害が発生しました。

10〜11月にかけて、スラウェシ中部地震被災地支援の呼びかけを行い、協力を呼びかけ、緊急支援向けの義援金を送ったりしたのですが、12月22日のバンテン州やランプン州への津波被災地に関わる支援をまだ呼びかけていないことについて、自問していました。時には、自分を責めていました。

同じインドネシアのことなのに、スラウェシ中部地震被災地のことだけ支援を呼びかけるのは不公平なのではないか。ロンボクに対しても、同じような深さで支援を呼びかけるべきだったのではないか。

日本でも各地で今年もさまざまな災害に見舞われたが、それに対しては、特別の行動を起こしていないではないか。それで良いのか。

そう考えていると、もしかすると、自分は神様にならなければならないのではないか、などと思ってしまいます。スラウェシ中部地震以外の災害に対しては、なぜ同じように動けないのか。そんな批判の声が聞こえてくるような気がしてならなくなります。

だったら、そんなにスラウェシ中部地震のことにのめり込まず、大口の支援団体へ募金するにとどめて、そこそこに対応していればよかったのではないか。

誠に申し訳ないのですが、自分は神様にはどうしたってなれません。インドネシアのすべての、いや世界中のすべての災害支援に平等に関われるような能力は自分自身にはないことをはっきりと認めます。

だから、そのことを批判したり、責めたりする人がいれば、素直にお詫びしたいと思います。そんな能力は自分にはありません。

自分が人生の中で特に関わった、コミットした場所、特別の思いを持っている場所に対する特別な感情。そうした場所と、それほど思い入れのない場所とをどうしても比較してまう自分がいます。

自分が特別な感情を持ってしまった場所に対して、その思い入れから支援を行いたい、と思うことは、間違ったことなのか。そこしか見ていない、と批判されることなのか。

自分がスラウェシに特別な感情を持つように、世の中には、ロンボクに特別な感情を持つ人も、バンテン州やランプン州に特別な感情を持つ人もいることだろうと思うし、日本の災害被災地に特別な感情を持つ人もいるのだと思います。

それらの場所に特別な感情も関わりも持たない人が、どうしてそれらの場所への被災地支援を呼びかけられるでしょうか。

自分のできる範囲は限られています。その範囲で、自分はこれからも支援の関わりを続け、皆さんに呼びかけていきたいと思っています。

スラウェシ中部地震被災地への今後の支援についてですが、現地の友人たちが、被災者の思いを聞き取り、聞き書きを行う活動を始めつつあります。

インドネシアでは、被災者の声や気持ちを書き残していく作業がほとんどなされていません。とにかく、ひたすら被災者の声に耳を傾けつづけることは、その被災者に対するヒーリングとしても有効かもしれません。ただし、そこでは、聞く側の技術が多少求められます。聞き手が相手を遮ったり、誘導したり、代弁したりしないことが重要です。

そして、震災孤児を中心とした教育支援の可能性を探っていきたいと思っています。これについては、現地で震災孤児に関する正しいデータを収集し、管理運営できる能力を持ったパートナー機関が必要です。候補団体はすでにあるのですが、その能力の見極めをする必要があります。また、長期の奨学金プログラムのようなものを目指すとすれば、その管理運営をどのように行っていくか、など検討すべき課題はまだまだあります。

自分ができる範囲には限りがありますが、様々な方々と繋がっていくことで、より多彩な活動やスラウェシ以外の他の場所での展開も視野に入れていくことができるかもしれません。

そして、被災地同士が助け合う動きをもっと促していくことができるのではないか、という気もしています。すでに、ロンボクの被災者からスラウェシ中部の被災者への支援を行ったり、スラウェシ中部の被災者がバンテン州・ランプン州の津波被害者への連帯を表明する、といった動きが出ています。

日本でも、自治体同士が災害時の協力協定を結び、助け合う関係を作っていますが、そうした関係が国境を越えて作られる時代になってきているような気もします。

日本とインドネシアは、世界で最も地震・津波が頻発し、甚大な被害を受けてきた国でもあります。政府レベルだけでなく、それを補完するような形で、世界の地震・津波対策をリードしていけるような関係を作れるのではないかと思っています。

今時点では、まだまだ雑駁ですが、以上のようなことを考えています。

ロンボク島北部の被災地では、仮設住宅の建設が始まりつつありましたが、復興と言うにはまだまだの状況。
地震はまだ怒っていて、住民のトラウマは私たち外部者の想像以上に大きなものでした。
(2018年11月28日、筆者撮影)

INSISTネットワークから領収証とお礼状が来ました

スラウェシ中部地震被災地支援の第2弾として、10月から11月初めにかけて皆様にお願いして募金の送付先であるINSISTネットワークから、募金の領収証とお礼状が送られてきました。

募金の領収証は、以下のとおりです。宛先は、Jepang Friend via Matsui Kazuhisaとなっており、第1回送金分の領収証です。

INSISTネットワークへの緊急支援向け募金は、11月1日で締め切られ、現在、募金は受け付けていません。第2回送金分は締切後の11月7日に送金しましたが、受け取ってもらっています。

そして、以下がお礼状です。

さらに、INSISTネットワークからは、10~11月の緊急支援に関する詳細な活動報告(インドネシア語)も送られてきました。

ただし、ファイルが17MB以上ととても大きいものでした。以下のサイトから閲覧・ダウンロード可能です。興味のある方は、是非ご覧ください。写真だけでも、緊急支援の様子が伝わってきます。

 Laporan TRK INSIST

この報告書では、11月の私の現地訪問の様子にも少し触れています。

INSISTネットワークは現在、被災地でのニーズ調査を踏まえて、支援物資の配送を必要に応じて続けていますが、復興期における活動の方向性について、現在、内部で検討中です。今後、彼らとどのように協力していくか、どうするか、真摯に考えていきたいと思っています。

ともかく、このたびのスラウェシ中部地震被災地支援募金へ協力してくださった皆様に対して、改めて深くお礼申し上げます。皆様の思いをしかと受け止め、次のステップへの活動を検討してまいります。

スラウェシ中部地震被災地支援のネクストを検討中

11月21~23日にスラウェシ中部地震被災地を訪問し、多くの友人の安否を確認し、現場で動いている様々な友人・知人と会い、意見交換しながら、次の支援プログラムを考え始めています。

現段階では、まだおぼろげな状況ですが、今週から来週にかけて、何人かの同志的仲間と会い、話し合い、より明確になった段階で、再び、皆さんに呼びかけを行いたいと考えています。

もう少し、お待ちください。

それにしても、という思いがあります。

2011年の東日本大震災の後、故郷・福島を含む東北地方は今もいろいろな意味で厳しい状況に置かれています。だからこそ、福島から、東北から、古きを敬いながらそれを踏まえた新しい動きを創っていきたい、という気持ちが、法人登記を福島市にさせた一つの要因でした。その後、福島で何が起こっていったか、プラスもマイナスも、私なりに観察し続けてきています。そして、福島の正負両方の経験を次に生かしていかなければならないと思っています。

そして、JICA長期専門家(地域政策アドバイザー)として過去に計7年以上関わり、今もその深い絆を意識し、たくさんの仲間が活躍しているスラウェシで、今回、地震・津波・液状化という災害が起こりました。

自分の人生のなかで、まさか、自分が最も大切に思っている福島とスラウェシの両方で、甚大な災害に見舞われ、そこからの立ち直りをどうしていったらよいか、考えることになるとは思いもよりませんでした。

自分の関わりの度合いの深さが、自分の行動を決定づけている面があります。福島以外の日本各地やスラウェシ以外のインドネシア各地の災害に対して、決して無関心であるわけではないのですが、どうしても、自分にとって思い入れの強いところに傾いてしまうのは、やむを得ないことです。すべて平等に、と、雲の上から鳥瞰的にみられる神様のような存在に自分はなることはできません。

ですから、「他はどうでもいいのか?」という批判は受けますが、もはや雲の上の立派な存在ではあり続けられないということを正直に吐露したいと思います。それは、私の能力不足なのかもしれませんが、自分が超越したすばらしい人間でなければならないとも思えませんので、正直に申し上げるしかない、というのが実状です。

きっと、他の地域には、そこへの思い入れのある方々が同じように動いていることでしょう。それでいいのだと思います。

私も関係している「スラウェシ研究会」という自主的な勉強会があります。この会には、かつて戦時中、マカッサルに置かれた日本軍政下の民生部で働いておられた90歳を超える方や、過去に在マカッサル日本総領事を務められた方、JICA専門家でマカッサルに派遣されたのをきっかけに太平洋戦争前後のスラウェシでの日本人の足跡を丹念に追い続けている方など、マカッサルやスラウェシに特段の思いをもって、自分の人生経験のなかの大事な場所と位置づけ、関わり続けている方がいらっしゃいます。

そうした方々も、今回のスラウェシ中部地震被災地支援では、何度も何度も、募金と温かい言葉をお送りくださいました。彼らの脳裏には、自分たちがかつて経験したスラウェシやマカッサルの具体的な人々の名前や出来事があり、スラウェシのために何としても役に立ちたい、という気持ちが込められていたのだと思います。もしかすると、それは、スラウェシへの恩返しをまだ十分にしていないという気持ちを含んだものなのかもしれません。

私は、実はそうなのです。これだけ関わってきたスラウェシに対して、恩返しをまだ全然行えていない、と。

スラウェシの人々への思いを生前に語ってくださった尊敬できる先輩方も多くいらっしゃいます。今回、支援活動を試みながら、そうした方々の声が再び聞こえてきたような気がしました。

長年スラウェシに関わってこられた方のスラウェシへの思い。それをちゃんと受けとめたうえで、しっかりと腰を据えた支援活動を行っていく責務がある。そんな気持ちが、11月に、たとえ自腹でも、被災地訪問を決意させた理由の一つでした。

こんなことを思いながら、スラウェシ中部地震被災地支援のネクストを考えていきます。引き続き、よろしくお願いいたします。

大学生主催のイベントでスラウェシ中部地震について講演

2018年12月2日、東京・東小金井で開催された「パルに寄り添う~Thinking of Indonesia」と題する小さなイベントで、スラウェシ中部地震について講演しました。

このイベントは、インドネシアに短期留学したり、たまたまインドネシアに滞在していた大学生有志が中心となって企画し、東京在住のインドネシア人有志やインドネシア愛好者グループなどが協力して開催したものです。

このイベントを通じて、スラウェシ中部地震の犠牲者に思いをはせ、何かできないかという思いを募金などの形で果たす意味も持ち、チャリティーのための物品販売も行われました。

出席したのは61名、小さな部屋だったせいもありますが、立ち見も出る盛況でした。

興味深かったのは、おそらく、主催した大学生の友人たちである留学生が多数出席していたことでした。

このため、講演を始める際に、日本語以外に英語も使うことが求められ、急遽、バイリンガルで講演することになりました。

講演資料はすべて日本語で、日本語=英語バイリンガルの準備はなにもしておらず、しかも、日本語=インドネシア語のバイリンガルよりも日本語=英語のほうが個人的には面倒なので、ずいぶんとひどいバイリンガルになってしまったのではと思います。

来てくださった方々には、この場を借りて、聞き苦しかったことをお詫びいたします。

このイベントでは、友人のティニさんが主宰するインドネシア舞踊グループ「ドゥタ・メラティ」による踊りの数々も披露されました。彼らの演技を見るだけでも、このイベントは意味があったと思えました。

NHKの海外放送「ラジオ・ジャパン」インドネシア語放送の取材もあり、私も少しだけインタビューされました。以下のサイトで、1週間をめどに聴くことができるようです。

 Tamatebako: Penggalangan Dana bagi Korban Bencana Palu di Tokyo

現地訪問を踏まえたスラウェシ中部地震の現状に関しては、情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア」にて報告していくとともに、必要があれば、日本あるいはインドネシア等での講演依頼にも、積極的に応じていきたいと思います。

スラウェシ中部地震とロンボク地震の被災地を訪問して

今回のインドネシア滞在中に、11月21~23日にスラウェシ中部地震被災地のパル市、シギ県、ドンガラ県を訪問し、その後、11月27~28日にロンボク地震被災地の東ロンボク県、北ロンボク県を訪問しました。
日本でもインドネシアでも、これらの地震に関するメディア報道はずいぶん少なくなりました。そうなると、復興が順調に進んでいるかのような雰囲気が出てきますが、やはり、実態はそんな単純なものではない、というのが今回訪問しての印象でした。
現場を歩きながら、「世の中から忘れられていく」という現場の人々の気持ちを強く感じていました。
スラウェシ中部地震被災地への訪問記は、情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア」の第34号と第35号の2回に分けて書いていきます。第1回は、以下のサイトをご参照ください。
小見出しは以下のようになっています。
 ●被災地を訪問した意味
 ●津波に襲われたタリセ海岸を歩く
 ●液状化で街が沈んだペトボ地区にて
 ●政府と住民の微妙な関係
 ●外部者の被災地利用
詳細については、内容をぜひお読みいただきたいのですが、かなり強く政治ファクターが入り込んでいることもあり、復興へ向けてのプロセスは予想以上に難しいものになるのではないか、と感じました。
次号(第35号)では、今後の復興プロセスにおいて起こってきそうな諸問題、我々が外部者としてどんな取り組みに対して支援するのが良いのか、ロンボク地震との比較を踏まえたうえでの考察、などについて、書いてみたいと思っています。
ロンボクも含めた今回の訪問では、被災した友人・知人たちの消息や活動状況を知ることも個人的な目的でした。幸い、今回お会いした仲間は皆、元気でいてくれて、再会を喜び合いました。
ロンボク島の被災地も、その後に起きたスラウェシ中部地震との関連で、様々な影響を受けていました。多くのロンボクの被災者は、スラウェシ中部地震の被災地のほうがずっと大変な目に遭っていると思っている様子でした。
それは、東日本大震災の時、福島の被災者が「岩手や宮城の被災者は津波で実際にたくさんの方が亡くなって自分たちよりも大変なんだ」とか、逆に岩手や宮城の被災者が「福島の被災者は原発事故の影響も加わって自分たちよりも大変なんだ」と思ったことを想起させました。
今回ロンボク島も訪れてみて、表面上の明るさの陰で、被災者の地震への恐怖や将来への不安が強くある様子がうかがえました。仮設住宅の建設など生活を取り戻す過程は始まっていますが、急ピッチで復興が進んでいる、というようなものではないという印象でした。
それでもなお、ロンボクでは「自分で何とかしていく」という態度を見ることができました。自分たちの村を自分たちでなんとかするっきゃない!という、いい意味での開き直りというか、援助を待ち続けるという態度はほとんど見られなかったのが印象的でした。
よりどりインドネシアに「ロンボクだより」を連載してくださっている岡本みどりさんのお宅も訪ねました。可愛いお嬢さんにも遊んでもらえました。
岡本さんの周りのおじさんやおばさんたちは、皆さん、互いに笑い、話をすることで、気を紛らせ、やるべきことをやれる範囲でやるという、当たり前の態度で日々の生活を少しずつでも取り戻していこうとしていました。そんな人たちに温かく囲まれながら、岡本さんも、周りの皆さんの生きる力を感じていらっしゃるのだろうなと思いました。
マカッサルで仲間と話し合ったときに出てきた大事な言葉が、「生きる力」でした。
「生きる力」を持っている人々や社会は、再生への強さを内に秘めているのだと思います。それを肯定するような、「生きる力」を強くしていけるような、被災地や被災者へのリスペクトやポジティブな働きかけを、外部者としての私たちは適切に行なって行けるとよいな、と思いました。
そして「生きる力」とそれを強くしていけるようなプラスの働きかけは、今の日本にとっても必要なことでもあるのだ、と感じるのです。

マカッサルでさっそく活動

11月20日、マランからスラバヤ経由で昼過ぎにマカッサルに到着しました。

まずは、一年以上の音沙汰のなかった、昔マカッサルに住んでいたときのお手伝いさん夫婦にいきなり会いに行きました。彼らの携帯番号がたくさん記憶されていて、どの番号なのか分からなかったからです。携帯の支払いが途切れると、自動的に、番号が使えなくなるため、放置しておくと、そうなってしまうのです。

元気そうでよかったです。このお手伝いさん、料理名人で、彼女の料理に何度助けられたことか、数え切れません。
インドネシア料理はもとより、中華料理、西洋料理、そして日本料理と何でもござれ。そばつゆは醤油とみりんでしっかり作るし、おせち料理も作ってしまいます。アメリカ風の豆のスープも絶品です。
彼女を使ってみたい方がいれば、是非、ご紹介します!!
続いて、インドネシア研修生実業家協会(IKAPEKSI)南スラウェシ支部の皆さんと懇談しました。彼らは、日本への技能実習生OBで、今、KENJI日本語学校というものをつくり、日本語を勉強する場をつくっています。そこのカフェで色々と話をしました。
彼らの日本語はまだまだですが、もっともっと日本の皆さんとコミュニケーションをとっていきたいそうです。そして将来、日本への技能実習制度を通じて、南スラウェシにとって有用な人材育成に貢献したいという夢も持っています。
夜8時からは、カンポン・ブクという、友人のジンペ・ラフマン氏夫妻が運営する図書館で、今回、スラウェシ中部地震被災地支援で募金を送付したインドネシア海洋学士会(ISKINDO)のカマルディン氏、INSISTネットワークの実働部隊だったイニンナワ・コミュニティのアスフリヤント氏とイサック氏と会い、11時過ぎまで懇談しました。
彼らから主な活動状況を報告してもらい、現地での様々な裏話を聞くことができました。とくに、データをきちっととって支援を行うことの必要性とともに、データをとることの困難性(液状化で移動させられた住居とそこの元々の所有者との関係はどうなるのか、など)も指摘されました。
また、災害が起こったのは神の怒りだというような非科学的な言説の流布や、現パル市長の追い落としを企てる者たちによる政府批判、カイリ語の様々な地名の本当の歴史的な意味のほか、自社・自団体の宣伝のための援助物資供与競争、といった側面も指摘されました。
こうした懇談の中から現れてきた重要な言葉が「生きる力」(daya hidup)でした。メディアはどうしても災害のマイナス部分を伝えたがるが、本当に、そこでのプラス部分をもっと伝えることで、被災者の「生きる力」を助けることになるのではないか、と。
たとえば、パルなどからマムジュやピンランを通ってマカッサルへ避難する人々に対して、その街道沿いの多くの家がオープンハウスをしていたことは、ほとんど報じられていません。すなわち、多くの家が、避難者に対して気軽に立ち寄ってもらえる用意をしていたのです。食事の用意はもちろん、休息をとったり、沐浴をしたり、それを無償で提供していたのでした。
また、南スラウェシ州からはたくさんの米が被災地へ送られました。その影響で、パプアや北マルクでは米の流通量が減り、米の価格が急騰したそうです。
「生きる力」という言葉を聞いて、日本での震災後の孤独死や社会の分断のことを思いました。INSISTネットワークの仲間たちは、単に被災者を支援していただけでなく、彼らの「生きる力」をどうやって育んでいくかも意識していたのだと改めて思いました。
そしてこの「生きる力」は、震災が起こっても起こらなくても、インドネシアだけでなく、日本でも本当に必要とされていることなのだ、果たして日本はそれを応援する社会になっているのだろうか、などとつくづく考えてしまいました。
11月21日は、今から3時間後の午前4時45分に起きて、5時45分発の便で、いよいよパルへ飛びます。しばしの就寝です。

INSISTネットワークへの第2回目送金報告と緊急向け募金終了のお知らせ

スラウェシ中部地震被災地支援のための募金にこれまで多大なご協力をいただき、誠にありがとうございました。本日(11/8)、INSISTネットワークへの第2回目の送金を行いましたので、お知らせいたします。

募金寄付者リストおよび送金証明書は、以下のとおりです。

募金は、インターネット経由のPolcaと銀行振込の二つの方法で行いました。

Polcaについては、10%が利用料として天引きされ、私の銀行へのPolcaからの振込手数料も引かれますので、実際に送金に含めた額は81,729円となりますことをご了承ください。

また、銀行振込による募金は、総額224,000円でした。

以上を合算し、305,729円をINSISTネットワークの実働部隊であるyayasan Pao Paoの口座へ送金しました。なお、送金手数料1980円は私が負担しました。

なお、INSISTネットワークから、「緊急向けの募金の受付を終了した」との連絡がありました。このような活動を行っていて、「募金の受付を終了する」と言ってくる団体は今まで他に聞いたことがありませんが、誠意をもって透明性の高い活動を行いたいという、彼らの真摯な態度の表れであると受け止めています。

彼らの現時点での活動報告がインドネシア語でFacebookページに発表されていますが、その概略を以下の通りお知らせいたします。

現状:
・現地3ヵ所に設置した詰所とイニンナワ・コミュニティ本部との調整は継続中。
・募金や寄付物品はまだ本部(の口座)へ届けられている。
・第3回目の物資送付以降は、寄付物資の送付は止まっている。
・現地3ヵ所の詰所の物資はこの1週間でまだ十分にある。
・現地3ヵ所の詰所はINSISTネットワーク以外の団体からの支援も得ている。
・避難者への支援方向は、仮設住宅建設や基本サービス改善へ移っている。
・データ分析は、シギ県の詰所からのデータ分析の遅れから、まだ終了していない。

募金・寄付(11月1日時点):
・募金受入総額:2億4810万5003ルピア
・支出総額:1億953万6377ルピア
・残高:1億3856万8626ルピア
・物資による寄付の総額は、概算で5213万5000ルピア相当。
・これら資金から、INSISTネットワークの予備資金として4300万ルピアを取る。

今後の活動について:
・第4回目の寄付物資の配送計画について話し合う。
・アセスメントを継続することが重要。
・復興段階において協力を申し出ている外部団体への回答。
・INSISTネットワークの活動・会計報告を終わらせる。
・寄付や募金の受入れを終了する。
・INSISTネットワークチームの実績評価を行う。
・INSISTネットワークによる緊急対応以外の活動を継続するか否かを議論する。

これまで、INSISTネットワーク向けの支援を続けてきましたが、彼らは今、一度立ち止まって、自らの活動の評価を行ったうえで、次のステップへどう進めるかを考え始めています。このため、彼らへの募金の呼びかけもいったん終了し、次の段階でどのような協力が可能になるか、私としてもしっかり考えていきたいと思います。

いずれまた、次の段階に即した協力への呼びかけをすることになるかと思いますが、当面は、インドネシア側の状況を見守っていきたいと思います。

とはいうものの、スラウェシ島では、10月以降も、各地でマグニチュード5級の地震が発生しており、状況を注視していく必要があると考えます。

また、8月に地震に見舞われたロンボク島でも、住民の多くはまだテント生活を送っており、決して、地震による被害を克服して正常な生活へ戻れているわけではありません。

皆様のご理解とご協力を引き続きよろしくお願いいたします。

INSISTネットワークへの1回目募金送金報告など

本日(10/12)、募金第2弾で対象としているINSISTネットワーク(Disaster Response Team INSIST Networks)へ、1回目の募金として、22万4280円を送金しました。

なお、送金手数料1480円は、当方で負担させていただきました。

この額は、本日のレート、1円=134.6ルピアで換算され、3018万8088ルピアとなりました。なお、INSISTネットワークからは、すでに「入金を確認した」との連絡があり、協力してくださった日本の方々へ感謝申し上げます、との言葉が述べられておりました。

今回は、銀行振込と現金手渡しで募金をいただいた方15名の分のみを送金しました。なお、Polcaでの分は今回は含めず、10月末に送付したいと考えております。

今回の送金でご協力いただいた方々は次の通りです。お名前は省略し、イニシャル1文字のみ表記しております。

また、送金明細は以下のとおりです。

●INSISTネットワークの主な活動

INSISTネットワークの活動の様子は、逐次、フェイスブックにて紹介しておりますが、ここで、いくつか要点をかいつまんでご紹介します。

・救援物資を積んだトラックをマカッサルからすでに2台出発させました。

・まずは被災状況と支援対象とすべき地域を調査し、パル市、ドンガラ県、シギ県の支援対象とすべき地域に複数の詰所を設置しました。救援物資はこの詰所に集められたのち、配給されています。

・救援物資の配給に当たっては、乳幼児や妊婦、高齢者など、避難住民の状況に応じて物資を配給するほか、配給を受ける個々人の名前を特定させて、受取人には受取票へ署名をしてもらっています。これは物資配給の際に取り合いになることを防ぐとともに、ここの避難住民の状況に関するデータ収集の意味も持たせています。

・救援物資を配るだけでなく、地域の人々どうしの助け合いを促す活動もしています。たとえば、被害が比較的少なかった山間部の農村などで生産された農産物を購入して都市へ運び、都市の避難住民へ配給する、といった仲介をしています。現在、このプログラムに参加する近隣の農民を募っているようです。

・また、詰所で避難住民が衣服を選んだ後、あるおばさんが、残った衣服を枕に仕立て直して皆に使ってほしい、といった申し出をしたそうです。こうした、避難住民どうしが助け合うことで、今後の中長期的なコミュニティ再生への端緒をも築こうとしています。

決して大規模ではないにしても、また災害救助のプロフェッショナル集団ではないにしても、こうして、一つ一つ丁寧に避難住民と向き合い、彼らの主体性を尊重しながら、中長期のお付き合いを意識しつつ、実のある支援を試みているINSISTネットワークを、私たちも温かく見守っていければなと思っています。

●募金第2弾はまだまだ継続中です!

募金第2弾は、1回目の送金が終わりました。しかし、INSISTネットワークへの募金自体は、まだ継続しております。引き続き、ご協力をお願いいたします。

インドネシア在住の方などは、直接、彼らの銀行口座へ振り込んでいただいて結構です。入金は現地通貨(ルピア)となります。

 口座番号:3419-01-017682-53-2
 銀行名・支店名:BRI Unit BTP Tamalanrea
 銀行支店所在地:Ruko BTP, Jl. Tamalanrea Raya No. 16D,
         Tamalanrea, Makassar 90245, Indonesia.
 口座名義:Yayasan Payo Payo
 銀行SWIFTコード:BRINIDJA

日本からの募金は、銀行口座振込とPolcaの二本立てにしたいと思います(現金手渡しもも可能です)。

銀行口座振込は、ご信用いただけるならば、以下の私の口座宛にお振込いただき、お手数ですが、振り込んだ旨をメールにて matsui@matsui-glocal.com へお知らせください。

 銀行名:みずほ銀行大塚支店(支店番号193)
 口座番号:2268635
 口座名義:マツイカズヒサ

また、クレジットカード決済をご希望の方向けに、Polcaでも募金を募ります。以下のサイトにアクセスされてください。募金は一口1000円から受け付けております。なお、下記サイトは10月末までの1ヶ月間のみ有効となっております。

 スラウェシ中部地震被災地支援第二弾、INSISTネットワークへの支援

なお、Polcaでは募金総額の10%を手数料としてPolcaへ支払う必要が出てきます。第1弾では私がそれを全額自己負担いたしましたが、負担額が2万円以上と相当に大きくなってしまいました。今後は、募金総額の90%を支援先への実際の送金額とさせていただきたく思います。誠に恐縮ですが、皆様のご理解とご協力をよろしくお願いいたします。

以上、皆様のご理解をいただき、支援活動の第2弾を引き続き行なっていきたいと思います。改めまして、引き続き、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

かなしさ、さびしさ、むなしさの2週間、求めていたのは「光」

今回は、ちょっと一息入れて、個人的なことを書いてみます。

このところ、本ブログでは、スラウェシ中部地震被災地支援への協力を呼び掛けていますが、これまでの2週間、実は、ずっと暗い気持ちのままでした。

先週初め、出張先のインドネシア・東ジャワ州バトゥで、空に浮かぶ中秋の名月の光があまりにもきれいで、だからこそ、悲しさの深みに嵌っていきました。
その日の朝、私の大学時代の恩師が亡くなったとの知らせが入ったのです。その恩師なくして、自分がアジアと関わる人生を送ることはなかったといっても過言でない、大きな存在でした。
その悲しみを抑えながら、出張を終えて28日朝に帰国し、一休みしようと思ったときに入ってきたのが、スラウェシ中部地震・津波の報道でした。
当初は、日本ではあまり報道されていませんでしたし、インドネシアでも津波警報がすぐに解除になったので大したことはない、嘘報道ではないか、という程度の扱いだったのです。
でも、これは大変な事態になる、という直感が私にはありました。パル湾は陸地へ深く入り込んでおり、湾の最も奥にあるパルは津波が来たら相当な被害が出ることが予想できたからです。
嘘かもしれないという津波の映像がSNSで流れ、その数時間後に、事実であることが判明し、BBCやNHKが盛んにその映像を流し始めました。
パルやドンガラは、私にとって大事な場所です。1996~2001年及び2008~2010年の在マカッサルJICA専門家(地域開発政策アドバイザー)時代、1~2ヵ月に1回はパルを訪問し、中スラウェシ州開発企画局(BAPPEDA)と定期会合を行い、地域開発政策について議論していました。国立タドゥラコ大学の先生方やパル・ドンガラのNGOにも知り合いが増えました。彼らの安否がすぐに心配になりました。
ドンガラ県のナビ・ビジャ県知事と一緒に村を訪問(2000年4月25日)
現在までも、まだまだ消息の分からない知り合いが大勢います。そして、ほかのスラウェシの私の友人たちが、パルやドンガラへ緊急支援に動き出しました。私がつなぐ形でパルやドンガラの友人・知人と知り合いになった者もいます。現段階でできる私たちの支援は、信頼できる彼らに託すことだけかもしれない。そんな気持ちで、募金を皆さんにお願いしているところです。

自分の出身地である福島も被った東日本大震災と、私にとってとても大事な「故郷」と言ってもいい場所であるスラウェシで起こった地震・津波がオーバーラップしてしまいます。そして、東日本大震災の前年に亡くなった父と恩師の姿とがオーバーラップしてしまいます。
よりによって、自分の人生の中でとても大事な場所のいずれにおいても、大災害が起こってしまうなんて・・・。そんな人生になるなんて・・・。
かなしさ、さびしさ、むなしさ。
もう、とっくの昔に、インドネシアやスラウェシを単なる研究対象としてみられなくなってしまった自分。固有名詞で呼べるたくさんの友人や知人が存在してしまうことになった場所。
東日本大震災のときと同じように、現場に駆け付けられない自分を責める自分。駆けつける時期ではないと自分を諭す自分。
そんな落ち着けない自分にとって、今、なにが必要なのか。
悶々とするなか、ふと、志村真介さんの写真展「感ずる光」のことを思い出し、会場の表参道ヒルズ・ギャラリー同潤会へ行ってみることにしました。
いったんは生死をさまよいながら、奇跡的に生還し、リハビリの日々を過ごしてきた志村真介さんの写真は、物体ではなく、そこの光を撮る作品でした。リハビリをしながら撮ったというその作品には、一瞬一瞬にみせる光、その光の温かさや柔らかさに加え、様々な生を感じさせる作品でした。志村真介さんにしか撮れない作品、だと思いました。
幸運にも、志村真介さんと志村季世恵さんに久々にお会いし、少しお話しすることもできました。なんだか、とてもホッとしました。
やはり、今の自分に必要だったのは、光なのでした。生の光、希望の光なのでした。それは、深い悲しみや寂しさやむなしさからこそ、生まれてくる深い光なのでしょうか。
日曜日の表参道は、たくさんの人でごった返していました。ふと見上げると、並木の上の青空から、今の自分には、やや強すぎる光が差し込んできました。でも、なんだか、そのやや強すぎる光に元気づけられたような気がしました。
その後、新宿で、ロンボク島から一時帰国中の岡本みどりさんのトークライブに顔を出しました。岡本さんには、私が月2回発行する情報マガジン「よりどりインドネシア」に毎月「ロンボクだより」を連載していただいています。
その岡本さんの話の芯は、ロンボクで起こった連続地震に対する地元の人々の強さと明るさでした。いやなことがあっても、落ち込むだけで終わることなく、人と人とのつながりを大事にして、少しずつ自分たちで解決していく能力のすごさ。前向きに明るく生きたほうがいい、という、いい意味での楽観主義が生きることに希望を作り出していく。
岡本さんの話も、今の私のとっての「光」になりました。
かなしさ、さびしさ、むなしさ。
でも、父や恩師、犠牲になった友人たちや知人たちは、自分たちのことを思ってくれるのはありがたいだろうけれども、ずっとそれに浸り続けてほしいとは、絶対に思わないだろう、ということにようやく気づけました。
東京の秋の空に輝く光を見上げながら、自分がやれること、やるべきことを自分なりにやるだけだ、と静かに思えました。

スラウェシ中部地震被災地支援募金、第2弾開始

スラウェシ中部地震被災地支援の第1弾は、インドネシア海洋学士会(ISKINDO)宛の募金でした。この募金は10月3日(水)午後0時で終了し、早速送金いたしました。ご協力ありがとうございました。

第1弾の活動状況は、随時、本ブログやフェイスブックでお伝えしていきます。

第1弾募金受付終了後も、送金していただいたり、協力の意思を示していただいたりする方がいらっしゃり、すぐに第2弾を始めることにいたしました。

本日(10/5)より、募金受付の第2弾を開始いたします。第2弾の支援対象は、INSISTネットワーク(Disaster Response Team INSIST Networks)です。

ジョグジャカルタのNGOであるINSISTが中心になり、マカッサルのNGO連合体であるイニンナワ・コミュニティを実働部隊として、中スラウェシ州パル市やドンガラ県で活動するNGOであるBantayaやKarsaと協力し、被災者支援に取り組んでいきます。

イニンナワ・コミュニティについては、以下のサイトをご覧ください。

 イニンナワ・コミュニティ(Komunitas Ininnawa)(インドネシア語)

イニンナワ・コミュニティは、実は私とは15年近くの付き合いがあります。私が2006〜2010年にマカッサルに駐在した際には、自宅の4分の3を開放して彼らに使ってもらい、民間図書館事業、出版事業、アドボカシー活動を行う彼らの事務所が置かれたほか、映画上映会、セミナー、討論会、アート展覧会など様々なイベントが私の自宅で行われました。私も彼らの活動を側面支援してきました。

イニンナワ・コミュニティと私との関係については、過去の私のブログをご笑覧ください。

 イニンナワ・コミュニティと私との関係

私の離任とともに、彼らは自立し、マカッサルの郊外、マロス県バンティムルン近くに本拠を移し、そこに農民・若者向けの教育訓練センターを開設しました。傘下のNGOの一つパヨパヨ農民庶民学校(SRP Payo Payo)は、農民の自立や有機農業化を促し、農民と消費者との関係構築を図る地に足のついた活動をしています。

その彼らが10月1日、彼らの指導的役割を果たしてきたINSISTと組んで、INSISTネットワークを結成し、救援物資を募ってすでにパル市へ向けてトラック1台を出発させました。

彼らの活動の様子は、フェイスブックの以下のサイトに随時掲載されています。

 Tim Relawan Kemanusiaan – Jaringan Insist

パル市・ドンガラ県・シギ県などで、彼らは現地で根を張って活動するNGOであるBantayaやKarsaとともに、まずは救援物資の配給に関わると同時に、被災状況を把握するためのデータ・情報収集を行い、今後、中長期的に支援すべき対象地域を定めていきます。その後は、コミュニティの再構築や再生へと活動を継続していくものと思います。

まだまだ若者が中心のNGO主体ではありますが、私が信頼できる彼らを支援の第2弾としていきます。

彼らのインドネシアの銀行口座は以下のとおりです。インドネシア在住の方などは、直接振り込んでいただいて結構です。入金は現地通貨(ルピア)となります。

 口座番号:3419-01-017682-53-2
 銀行名・支店名:BRI Unit BTP Tamalanrea
 銀行支店所在地:Ruko BTP, Jl. Tamalanrea Raya No. 16D,
         Tamalanrea, Makassar 90245, Indonesia.
 口座名義:Yayasan Payo Payo
 銀行SWIFTコード:BRINIDJA

なお、日本からの募金などは、第1弾と同様、銀行口座振込とPolcaの二本立てにしたいと思います。銀行口座振込は、ご信用いただけるならば、以下の私の口座宛にお振込いただき、お手数ですが、振り込んだ旨をメールにて matsui@matsui-glocal.com へお知らせください。

 銀行名:みずほ銀行大塚支店(支店番号193)
 口座番号:2268635
 口座名義:マツイカズヒサ

また、クレジットカード決済をご希望の方向けに、Polcaでも募金を募ります。以下のサイトにアクセスされてください。募金は一口1000円から受け付けております。なお、下記サイトは1ヶ月間のみ有効となっております。

 スラウェシ中部地震被災地支援第二弾、INSISTネットワークへの支援

(注)Polcaでは募金総額の10%を手数料としてPolcaへ支払う必要が出てきます。第1弾では私がそれを全額自己負担いたしましたが、負担額が2万円以上と相当に大きくなってしまいました。今後は、募金総額の90%を支援先への実際の送金額とさせていただきたく思います。誠に恐縮ですが、皆様のご理解とご協力をよろしくお願いいたします。


以上、皆様のご理解をいただき、支援活動の第2弾を始めていきたいと思います。引き続き、ご協力のほど、よろしくお願い致します。


なお、この第2弾のほかにも、私からお勧めできる支援先がございます。それらについては、別途、皆さんにお知らせしていきたいと思っています。

海洋学士会への募金に対する出帆前のお礼の写真

昨日(10/3)スラウェシ中部地震被災地への支援第1弾として、インドネシア海洋学士会宛に募金を送金しましたが、さっそく、明日の出帆を前に、彼らからこのようなお礼を込めた写真が送られてきました。

救援物資を(船ではなく)トラックに積んでいるところのようです。

「スラウェシを想う日本の人々より」としてあります。今後、彼らの活動の様子を写真で送ってもらうことになっています。

海洋学士会への募金受付終了・送金報告

9月30日から受け付けたインドネシア海洋学士会(ISKINDO)への募金の受付は、10月3日午後0時にて終了させていただきました。

これは、海洋学士会の船が10月5日にマカッサルを出帆し、被災地のパル市、ドンガラ県へ向かうためです。現在、関係者は、救援物資の確保・買付など様々な準備に追われているようです。

インドネシアで海洋学を学んだ大学卒業生からなる海洋学士会は、海洋水産省捕獲漁業総局長(国立ハサヌディン大学海洋学部1990年卒)を会長とし、今回の活動では、(1) ドローンなどを活用した被災状況の地理的情報把握、(2) 医療チーム及び食料、医薬品、飲料水、テント、毛布、生理用品、発電機など緊急に必要とされる物資の提供、(3) 食べ物や食料品を提供する炊き出し、(4) 今後の支援活動に資する的確なデータや情報収集、を目的としています。

さらには、船にバイクを積み、パル市内などをバイクで回り、マカッサルから預かってきた親族への物資や郵便などの提供、親族の消息情報の把握など、クーリエの役割も果たそうとしています。

今回の活動はあくまでも緊急対応であり、この後、どのような活動が展開されるかは未定のようですが、マカッサルの信頼できる友人たちが動く活動としては最初のものであるため、今回はこのような募金を募った次第です。

9月30日午後から10月3日午後0時までのわずか2日半の募金でしたが、50名の方々からご協力をいただき、銀行振込+現金+Polcaで合計37万9020円を集めることができました。ご協力いただいた皆様、本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。

ご協力いただいた方々のリストと金額を作成しました。氏名はイニシャル1文字とさせていただいております。JPEGなのでちょっと見づらいかもしれませんが、掲載します。ご容赦ください。

本日(10/3)、さっそく海洋学士会宛に送金しました。以下が送金証明書です。

募金総額37万9020円を、本日の円=ルピアレート(1円=130.7円)で換算し、4953万7913ルピアを海洋学士会の銀行口座へ振り込みました。

なお、送金手数料、及びPolca関係の手数料等は、当方で負担いたしました。

皆様からいただいた募金が有効に使われることを願ってやみません。海洋学士会に対しては、活動状況を随時、写真等で知らせてくれるようにお願いしてあります。

改めて、今回の募金へのご協力に対して、心からお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

今回の募金は「とにかく早く」という気持ちを込めて動いたものですが、スラウェシ中部地震被災者・地域への対応は、まだまだ中長期的に続いていくものと思います。私の信頼できる複数の仲間たちグループも、支援活動を開始しました。

まだまだ支援を考えていらっしゃる方々もいらっしゃると思います。しかし、どこへ募金や寄付をしたらいいのか分からない、という方も少なくないと思います。

そうした方々のために、今後、本ブログ等を通じて、私の信頼できる仲間たちのグループ及びその活動を紹介していきたいと思っています。彼らの活動にご賛同いただければ、彼らの指定する口座へ直接振り込んでいただいてもかまわないですし、それが難しければ、私の指定口座へお振込みいただき、私から責任をもって彼らへ送金させていただきます。

今後も、フェイスブック、ツイッター(@daengkm)等で、スラウェシ中部地震関連の情報を発信していきたいと思います。引き続き、ご協力のほどをよろしくお願いいたします。

スラウェシ中部地震の被災者支援に船で向かう海洋学士会への支援呼びかけ

スラウェシ中部地震の被災者支援に
船で向かうインドネシア海洋学士会への支援(呼びかけ)
9月25日頃から群発していたスラウェシ中部の地震は、28日午後、マグニチュード7.4の大地震を引き起こし、沿岸部は最大6メートルの津波に襲われました。
9月29日現在、中スラウェシ州パル市だけで死者384名、行方不明者29名、負傷者540名と報じられていますが、通信手段が途絶したため、隣のドンガラ県や西スラウェシ州北マムジュ県の被害状況は不明のままです。30日午後4時時点で死者832名と発表されましたが、2004年12月のスマトラ沖大地震・津波の時のように、今後、被害状況はますます大きくなることが予想されます。
パル市のムティアラ空港もパントロアン港も施設が崩壊し、機能不全に陥っているほか、ドンガラ県やパル市へ向かう陸路も、東方のポソからも南方のマムジュからも、土砂崩れ等により、車が通行できない状況が続いており、救援物資や人員の派遣を大きく妨げています。
こうしたなかで、私の真に信頼できる友人たちが関わっている、海洋学を学んだ大卒者の団体であるインドネシア海洋学士会(ISKINDO)とマカッサルの地元NGOであるYayasan Makassar Skalia(YMS)より、マカッサルから救援物資とボランティアを乗せた船でドンガラ県・パル市へ向かう準備を始めた、との連絡がありました。彼らの計画の詳細は、以下のサイトで公表されています。
彼らは次の4つのチーム活動を予定しています。
(1)ドローンにより被害状況を地理的情報として把握し、他団体の救援・復興活動に提供できる情報を収集するチーム。
(2)医療チーム、及び食料、医薬品、飲料水、テント、毛布、生理用品、発電機など、緊急に必要とされる物資を届けるボランティアチーム。
(3)食べ物や食料品を提供する炊き出しチーム。
(4)今後の支援活動に資する的確なデータや情報を提供するチーム。
彼らは10月5日早朝、マカッサルを出発して現地へ向かう予定です。彼らの活動はあくまでも初期段階のものであり、今後、支援活動が長期化するなかで、次の段階に沿った新たな支援活動が行われていくことが予想されます。
インドネシアではすでに、国軍やインドネシア赤十字が迅速な救援業務を進めているほか、クラウドファンディングを通じて多額の寄付が集まっています。また、様々な社会団体が募金活動を進めており、私自身もどのように協力すべきか、色々と考えてきました。
また、被災地であるパル市やドンガラ県にも信頼できるNGOや団体があります。しかし、通信手段が遮断され、彼ら自身も被災者である現状を鑑み、まずは、信頼できる外部者が被災地を支援する活動に協力すべきではないかとの結論に至りました。すなわち、今後、被災地の信頼できるNGOや団体が動ける状態になれば、今度はそこを支援していきたいということです。
以上の趣旨にご賛同いただける方に、募金のお願いをしたいと思います。彼らの指定した振込先口座(インドネシア国内)は以下のとおりです。
 銀行名:BRI
 口座番号:2136-01-000098-56-7
 口座名義:Ikatan Sarjana Kelautan Indonesia
上記に直接振り込んでいただいて構いませんが、日本国内での振込をご希望の方は、私を信用していただけるのであれば、私の銀行口座へ振り込んでいただければ幸いです。なお、「振り込みました」との連絡を matsui@matsui-glocal.com 宛にご一報いただければ幸いです。
 銀行名:みずほ銀行大塚支店(支店番号193)
 口座番号:2268635
 口座名義:マツイカズヒサ
また、クレジットカード決済をご希望の方向けに、Polcaでも募金を募ります。以下のサイトにアクセスされてください。
以上、皆様のご理解をいただき、腰を据えた支援活動を始めていきたいと思います。ご協力のほど、よろしくお願い致します。
2009年8月26日、当時のパル市長と一緒に、断食明け前の賑やかな特設市場を訪問した時の写真を掲載します。当時の市長には本当によくしていただきました。パルでの恩人の一人でした。
今朝、彼、ルスディ氏が現市長とともに亡くなられたとの知らせがありました。故人の善意を改めて思いつつ、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

(訂正)その後、パル市の現市長の生存が確認され、先の情報は間違いであったことがわかりました。ルスディ氏の消息についても、確認情報はまだありません。誤った情報を載せてしまい、大変失礼いたしました。
(訂正2)ルスディ氏については、本日(10/1)、やはり亡くなられたとの情報を受け取りました。見た目はどこにでもいるおっさん風で、庶民的などんな階層の人々とも交わる方でした。改めてご冥福をお祈り申し上げたいと思います。

今年もカカオツアーのお手伝いをします

筆者の毎年の恒例行事の一つが、8月のカカオツアーです。京都の(チョコレート屋というよりも)カカオ屋のダリケー株式会社が企画する、カカオ農園訪問ツアーのお手伝いをしているのです。

2014年から始まり、今年で5回目になりますが、筆者は、ダリケー株式会社のアドバイザーとして、毎年、日本からのチョコレート愛好者や学生さんなどを、西スラウェシ州ポレワリ・マンダール県へお連れしています。

このツアーの最大の売りは、カカオ農家とチョコレート消費者との出会い、です。

私たちはチョコレートを食べますが、その原材料のカカオがどういうもので、どのような工程を経てチョコレートになるかをよく知っているわけではありません。いわんや、カカオを作っている農家さんの様子を具体的に想像できる人は、決して多くないと思います。

一方、カカオ農家さんは、カカオを栽培して収穫し、商人に売るところまではわかりますが、それがどのような商品になり、どのように消費しているか、想像できない方がほとんどです。自分のカカオがチョコレートになると言っても、ピンとこないのが現状です。

そこで、両者をつなげて、カカオからチョコレートになるまで、どんな風になっているのかを、オープンにわかってもらうのがいいだろう、と考えたわけです。

日本のチョコレート愛好者や学生が、ポレワリのカカオ農家の農園を直接訪れ、カカオの木はどんなものなのか、どのように実がなるのか、実の中はどうなっているか、カカオの木の生えている土はどんな状態か、などなど、現場で実際に観察します。

自分が大好きなチョコレートが、こうしたカカオから始まっていることが実感できます。

そして、ツアー参加者には、カカオを作ってくださっている農家の方々への尊敬と感謝の念が湧いてきます。

一方、カカオ農家の側はどうでしょうか。

カカオ農家にとって、自分の作ったカカオがチョコレートというものになって、それが大好きな人々が日本から来てくれている、しかも「ありがとう」と言ってくれる。それが、とても嬉しいのだそうです。

そして、カカオ農家は、土づくりや発酵プロセスに十分配慮した、より良いカカオを作ろうとするモティベーションが上がる、ということです。

昨年からは、ツアー参加者が地元の小学生と一緒に、素朴な方法で、カカオ豆からチョコレートを作るワークショップも始めました。グループに分かれて競争することもあり、このワークショップがとにかく盛り上がります。

地元の小学生の親の多くは、カカオ農家です。でも、カカオがどうやってチョコレートになるかを知ることはありませんでした。

多くのカカオ買い付け業者やチョコレート製造者は、カカオ農家にはカカオさえ供給して貰えばよく、チョコレートになるまでの過程を知ってもらおうとする理由はありませんでした。

このツアー参加者が地元の小学生とチョコレート作りを体験することで、カカオ生産地の子どもたちが最終製品を知るという、とても大事な変化を起こし始めることができたと思います。

こうした体験をする小学生が増えていった暁には、カカオ農家の子どもから世界的なショコラティエが生まれる、そんなことを実現させてみたい、と本気で思っています。

今年は、どんな相互化学反応を起こすカカオツアーになるでしょうか。

今年のツアーに参加できなかったあなた、ぜひ、来年の8月にはこのツアーに参加してみてください。

なお、毎年連続で参加されても、必ず新しい何かがありますので、マンネリにはなりませんよ。

そして、このツアーを通じて、カカオ農家の家ごはんがこんなに美味しいのか、という驚きも必ず生まれます。

今年のツアーの様子、できるだけお知らせするようにしたいと思っています。乞うご期待。

ツアーではこんな状況にもなります。
何が起こっているのやら。お楽しみに。

バレンタインにスラウェシのカカオ農家が来日

1年で一番チョコレートが売れるのはバレンタイン・デー。都会の有名百貨店では、ここぞとばかり、他店にはないような世界中のチョコレート店の美味しそうなチョコレートが並びます。

筆者がアドバイザーをしている京都のダリケーも、今ではすっかりこうしたバレンタインのチョコレート店として常連になりました(ダリケーのアドバイザーになった経緯については、また別途、書くことにします)。

ダリケーは、インドネシア・スラウェシ産のカカオを使用した製品を作る、おそらく国内では唯一の店です。インドネシアは世界第2位・3位のカカオ生産国であるにもかかわらず、日本ではまだ知名度が低いのが現状です。

バレンタインをめがけて並ぶチョコレート店のほとんどは、製品としてのチョコレートやそれを作るショコラティエに注目が集まります。それはやむを得ないことですが、その原材料であるカカオには、どれだけの関心が寄せられているでしょうか。

ダリケーは今年、初めての企画として、ダリケーにカカオを供給してくれているカカオ農家の代表1名と現場でカカオ栽培指導を行うフィールドコンサルタント2名の計3名を、スラウェシから招聘しました。彼らの作ったカカオを原材料とするチョコレート製品が実際に売られている現場を見てもらうためです。

2014年以降、ダリケーは毎年8月、カカオ農家を訪ねる日本人向けツアーを実施し、参加者がカカオ農家と直に触れ合う機会を作ってきました。その参加者数は述べ150人程度います。単に、カカオ農家と会うだけでなく、実際に栽培方法を学んだり、カカオの苗を植えたりもします。

2017年のツアーでは、新しい試みとして、ツアー参加者が地元の小学6年生と一緒に、カカオ豆からチョコレートを作るワークショップを行いました。カカオ農家の子供たちにとっては、親が栽培するカカオがどのような製品になるのかを知る機会ともなりました。

こうした日本からスラウェシへのツアーのお返し、というわけではありませんが、今回のバレンタインには、スラウェシから3人を日本へ招いたのです。

このように、ダリケーでは、カカオ製品の愛好者とカカオ農家とが直接顔の見える関係を作ることを重要視しています。カカオ農家はより一層発酵の熟度を増したいいカカオを供給しようとし、消費者はそれをわかって、カカオ農家の顔を思い浮かべながらカカオ製品を消費する、そんな関係が既に生まれて動いているのです。

もちろん、彼ら3人の来日に合わせて、2014年からのツアー参加者が集まる「同窓会」が京都と東京で開催されました。3人はツアー参加者との再会を心底喜び、なお一層、良質のカカオを作っていきたいと強く宣言していました。

東京での「同窓会」では、ツアー参加者の一人の会社の場所を使わせてもらい、さらに、スラウェシからのカカオを使ったガトーショコラを密かに作っていただきました。このガトーショコラには、彼ら3人の似顔絵が。

このガトーショコラを彼ら3人と我々「同窓会」出席者で堪能したのですが、その美味しさに、全員が驚嘆しました。

ダリケーのチョコレートには、毎年、こうしたストーリーが重ねられていきます。

そして、生産者と消費者が顔の見える関係を作ってつながる、ということが、日本とインドネシアという外国であっても可能なのだ、ということを示してもいます。

ダリケーはチョコレート店と自称していません。カカオ店といった方が正しいかもしれません。また、農家をエンパワーメントするようなフェアトレードも謳っていません。いいカカオを作ってもらったら適切に高く買う、という当たり前の取引をしているだけです。

まだ日程は未定ですが、今年も、ダリケーのカカオ農園ツアーがあるはずです。もちろん、2014年以来毎年同行している筆者は、今年もお供する予定です。皆さんも、ぜひ参加されてみませんか。

参加予定の方は、今から8月後半の1週間程度を空けておいてもいいのではないでしょうか。

他のチョコレート店とはだいぶ違う、ダリケーの今後の展開にご注目ください。

マンダール地方の踊る馬

インドネシア・西スラウェシ州ポレワリ・マンダール県には、音楽に合わせて勝手に踊り出す馬がいます。

現地のマンダール語ではサヤン・パトゥドゥ(Sayyang Patuddu)と呼ばれるこの踊る馬(kuda menari)はきれいに着飾られ、それにまたがるのは、やはりきれいに着飾った女の子です。

マンダール地方では、彼女を踊る馬に乗せ、コーランの勉強を終えたお祝いをするという伝統行事が行われてきました。
コーランの勉強を終えた女の子は、その日の夜、先生にお礼の品を贈ります。翌日、まだコーランの勉強を終わっていない女の子と一緒に踊る馬に乗るのです。二人とも、村の子です。
でも、踊る馬に乗る前に、二人はマンダール語の詩を聞きます。そして、踊る馬に乗るのですが、すぐには座らず、何も持たずに馬の上にまたがって立ち、準備ができたことを示します。準備、そう、踊る馬にまたがる準備です。
二人は馬にまたがって、村を練り歩きます。楽隊が太鼓の音を鳴らし始めると、馬が首を上下に降り、脚を上げ下げし、踊り始めます。この踊る馬に大きく揺られながら、馬上の二人が村の中を回っていきます。

この二人が村の中を踊る馬に乗って練り歩くということは、村の中にまだきれいな未婚の女の子がいることを知らせる意味もあります。村の男の子たちが彼女らを眺めて挨拶をします。

Dari Kのカカオツアーでは、毎回、違う村で、女性の参加者を募って、この踊る馬に乗る体験をしてもらっています。今回も、2頭の踊る馬に4人の参加者が挑戦しました。

このカカオツアーの踊る馬ですが、実は毎年、地元で楽しみにしている方々が大勢いるのです。数年前には、踊る馬に乗る参加者の写真がポレワリ・マンダール県の観光案内に一役買ったのでした。

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