ペーパーレス化へ準備
先週、iPad Mini 5を購入し、Apple Pencilも揃えて、手書き入力できるノートアプリを二つ入れてみました。
先週、iPad Mini 5を購入し、Apple Pencilも揃えて、手書き入力できるノートアプリを二つ入れてみました。
我が東京の自宅の最寄り駅は大塚駅。JR山手線と都電荒川線(さくらトラムという別称があるらしい)とが交差する駅です。
東京の我が家の庭には、柿の木が3本あります。1本が甘柿、1本が渋柿、1本はよく分かりません。
3月後半の桜の花が終わって、我が家の庭は今、ツツジの花が盛りを終え始めました。
新緑、といってよい若々しい緑がどんどんしげり、うっそうとし始めた柿の木。すると、妻から「ちょっと来て!」という声。
妻が指差す方向を、目を凝らしながらみると・・・
柿の葉の間に、いくつもの四角い花を見つけました。柿の花です。
これは甘柿の木。1年おきに豊作と不作を繰り返します。
今年は、もちろん豊作に違いありません。
関西に行くと、いつも楽しみにしているのが柿の葉寿司。ということで、柿の葉はおなじみでしたが、柿の花は今回初めて見ました。
皆さんは、柿の花を見たことがありますか。
でも、それはドラッグストアや薬局ではない。ドラッグストアや薬局では、依然として入荷していない。
レストランじゃないので、盛り付けは格好よくないのはお許しを。
ダリケーのペイフォワードの情報・購入はこちらから → https://dari-k.shop-pro.jp/?mode=f2
新型コロナウィルス感染拡大は、私たちに様々な困難を強いている。自分も含め、多くの人々が日々の生き残り策に集中し、自分以外の人々になかなか関心を向けられない状況になっているのかもしれない。
新型コロナウイルスの大流行により、世界中で4億人以上が貧困状態に陥り、貧困問題は10年前に逆戻りする恐れがある――。国連大学の研究所が先月、そんな予測を出した。報告書を書いた研究者は事態の深刻さを「まるで貧困の津波だ」と語った。
法外な料金を払い、荷台にぎゅうぎゅう詰めのまま、運よくトラックに乗れても、故郷へ向かう途中で警官の検問に出くわし、首都デリーへ強制的に戻らされる。避難所に収容されればラッキーなのだが、故郷へは戻れぬまま。ロックダウンのなかでどうやって生きていくのか。
京都のチョコレート製造販売会社、ダリケー。インドネシア・スラウェシ島産のカカオを使ったチョコレートや、非食品を含む様々なカカオ製品を製造・販売しています。
おそらく、インドネシア産のカカオを使ったチョコレートを日本で製造販売しているのは、ダリケーともう1社ぐらいでしょうか。
スラウェシということで、私も、ダリケーのアドバイザーとして、お手伝いをしてきています。毎年恒例の、スラウェシのカカオ農家を訪問するツアーの引率をずっと務めています。
ダリケーについての詳しい話は、同社のホームページ(https://www.dari-k.com/)をご覧ください。
そのダリケーが今、ペイフォワードという取り組みを始めています。
新型コロナウィルスの影響で、他者と同様、ダリケーも多くの在庫を抱えることになりました。そのままでは、スラウェシのカカオ農家からの買付を続けられなくなってしまうかもしれません。でも、そもそもダリケーは、国際価格に翻弄されるカカオ農家に寄り添うことを目的に事業を始めた経緯があります。
新型コロナウィルスに翻弄される今、ダリケーは社会に対して何をなすべきなのか。ダリケーも含めて、関わる人々がウィン=ウィンを共有できるような仕組みとは何か。
考えに考えた末に、出した結論が、今回のペイフォワードです。
すなわち、新型コロナウィルス対策の最前線で懸命に対応している医療従事者への感謝の気持ちを自社のチョコレートで示す。そこで、趣旨に賛同していただいた方にチョコレートを購入してもらい、その販売量に合わせて、医療従事者にチョコレートを届ける。
ダリケーの在庫を減らすことができ、カカオ農家からの買付も継続できます。
医療従事者の方々にとって、チョコレートは決して必需品ではないかもしれません。でも、たとえほんの束の間でも、ホッとするひと時を味わえる。そのチョコレートの裏に、たくさんの方々が応援している気持ちが伝わります。
チョコレートには、そんな誰かが誰かのことを思う、思い合う、そんな気持ちと気持ちを通わせる力があるはずです。
名も知れぬ誰かが医療従事者である誰かのことを思ってくれている。その実感。
ペイフォワードで購入したチョコレートを味わう購買者も、今頃、自分の知り合いでも何でもない医療従事者である誰かを思う。
そして、そんな思い合い(思い愛?)の根本は、スラウェシのカカオ農家が作ってくれたカカオにある。そんなカカオ農家のことを思う。カカオ農家は、自分たちのカカオを使った製品が日本の医療従事者の力になっていることを思う。
そんな思い合いが繰り返され、広がっていったら、そのような世界は幸せな世界になるのではないでしょうか。
コロナ後に私たちが目指す未来の一端は、もう始まっているのかもしれません。
そして、そして、ペイフォワードでダリケーのチョコレートを購入した方々は、医療従事者やカカオ農家やダリケーのことだけでなく、ほかの方々への感謝の気持ちも現れるかもしれません。それは、たとえば、ダリケーのチョコレートを配送してくださった宅配業者とか・・・。
誰かを思い、誰かから思われる。それが連鎖となって、次から次へとつながっていく。自分は一人ではないと、みんなが思える世界。新型コロナが強いる、物理的に遮断される社会は、だからこそ生まれる思い合いの連鎖が、あたかも想像の共同体のようになり、つながっていく、他者を信じられる世界へつながっていくのかもしれません。
未来を悲観したり、諦めたりしたくはありません。ダリケーのペイフォワードのさらにその先に、新型コロナ後の新しい世界が少し見え始めたような気がしています。
ステイホーム。不要不急の外出を控える。行動自粛。友人や知人とも会わない。皆さんと同じように、私もそんな毎日を送っています。
動いてつなげるのが私の仕事のスタイル。でも、インドネシアへも福島へも行けず、東京の自宅で家族と過ごしています。
幸い、自宅の庭では、今、ツツジなどの花が咲いていて、なごみます。
同プロジェクトは、農家と消費者を直接結んで、消費者が農家を支えるCSA(Community Supported Agriculture)の実践で、「ゆきむすび」というお米を生産・販売しています。
3月1~11日のジャカルタ・スラバヤ出張は、今になってみると、ギリギリのタイミングで実行できたのだなあと、つくづく思う。それについては、また別に書くとして。
今回は、無くしものの話。それも、続けざまの無くしものの話。
今回のインドネシア出張中に、出張や移動の際の必需品ともいえるものを無くしてしまった。それは、BOSEのノイズキャンセリングイヤホンだ。
もうかれこれ5年ぐらい愛用していた。
ノイズキャンセリングの良さと音の良さ。購入したときはBOSEなのでちょっと高価だなと思ったが、実際に使ってみると、その性能の良さに大満足だった。
飛行機に乗る際には手放せなかった。備え付けのヘッドフォンはもう使えなかった。まだ有線なので、座席前のUSBポートにコードを差し込み、充電しながら使用できた。東京=ジャカルタ便7時間でも電池切れなし。
音楽を聴き終わって、BOSEを付けたまま寝込んでしまうと、雑音が入らず、気持ちよく睡眠できた。
飛行機の中で寝るときの三種の神器は、アイマスク、口マスク、そしてノイズキャンセリングイヤホン。これで飛行機の中でじっくり休める。
その大事なノイズキャンセリングイヤホンを紛失してしまったのだ。
ジャカルタで代替品を買おうと思ったが、同じBOSEのが500万ルピア以上、日本で買うよりも遥かに値段が高い。店で「今や有線なんてないよー」ともいわれた。
とりあえず、ノイズキャンセリング機能のない、普通のSONYのイヤホンを30万ルピアで購入した。このイヤホン、カナル式で音も良く、思ったよりいい買い物だった。
しばらく使っていたが、これもどこかで無くしてしまった。おそらく、帰りのジャカルタ=東京の飛行機のシートポケットに入れたまま置いてきてしまったような気がする。
そして、つい最近、東北新幹線で東京から福島へ移動した際、充電コードとUSB2口アダプターを車内に忘れたまま、福島で降りてしまった。
続けざまに、ものを無くして、ショックだった。自分の注意力がこうも散漫になるものなのか。これまでも、無くしものはあったが、こんなに続けざまというのは、まずなかった。これも歳をとったということなのか。
ノイズキャンセリング・イヤホンは必需品なので、結局,以下のソニー製の新しいものを購入した。本命のAirPodは入荷見込がつかなかった。
今度は無線。完全ワイヤレス。充電の心配はあるが、線がないとこんなにも自由なのか、と思った。
ノイズキャンセリング機能も十分。使用者の行動を察知して、自動で外の音をどれぐらい取り入れるか、ノイズキャンセリングの程度を調整する機能はなかなか便利。
必ずケースにしまうので、無くす心配もないように思える。でも気をつけよう。
3月14日、妻と一緒に、東京都心の小さなメガネ屋さんを訪れた。妻の頼んでいたメガネを取りに行くためだった。この日に必ず行かなければならなかったのだ。
この日が、メガネ屋さんの最後の日だった。
1920年にメガネ卸商として開業し、今年で101年目。店主のおじさんは2代目。80歳代後半となり、病気もあり、体力的に店を続けるのが難しくなったとのこと。
妻の亡き父親が、かつて知人から腕のいいメガネ屋さんとして紹介され、それ以降、妻の家族がずっとお世話になってきた店で、店主のおじさんは、妻のまだ幼い頃からずっと知り合いだった。
私も30年前、一度、ここでメガネを作ったことがある。ずっとよかった視力が落ちて、運転免許証の更新ができるかどうか不安になり、年のためにつくってもらったのだ。
その後、ジャカルタに2年間滞在している間に、あまり仕事をしなかったせいか、視力が回復し、メガネを日常的にかけることはなくなった。
そのまま今に至るが、今は、細かい数字や地図を見るときなどに、このメガネをわずかの時間だけかけることがある。
店主のおじさんのメガネのプロとして歩んだ人生と、彼を支え続けてきた温厚なおばさんの人生を思い、心から「ごくろうさま」の言葉をお二人にかけた。
都心の名もなき小さなメガネ屋が一つ、101年の歴史を閉じた。
店の外の気温は2度。水気を多く含んだ春の雪が降り続いていた。
数日前、妻と一緒に、東京の自宅からちょっと離れたところにある、子安天満宮菅原神社の前を通ったら、赤梅と白梅が咲き始めていた。
子安天満宮菅原神社は、名前のとおり、菅原道真公を祀る神社で、室町時代に巣鴨の保坂徳右衛門が屋敷神として邸内東の台地に勧請したとされる。江戸時代には、巣鴨・真性寺が別当となり、天神山と呼ばれていたらしい。
天神さまということで、合格祈願などが行われていそうなのだが、よくあるような絵馬などは見られない。社殿は閉められており、社殿入口の穴からお賽銭を入れるようになっている。
いつ来ても人のいない、静かな境内で、しばし祈る。
境内には、ゆずと思しき柑橘類がたくさん実っていた。
春はもうすぐ。1月が終わる。
正月は1日、2日は家でゴロゴロしていたが、3日は近くの天祖神社へ初詣に出かけた。正月三が日を過ぎると、今年の破魔矢を得られなくなるかもしれないからだ。
我が家は、一応、天祖神社の氏子。初詣の際に、去年の破魔矢を神社に持っていって、新しく今年の破魔矢をいただいてくるのが、毎年の恒例行事。予想通り、初詣の人々で、天祖神社の前は行列ができていた。4列に並んで順番に拝礼する。
初詣に来た人のなかには、ご朱印をもらうために社務所に並んでいる人もけっこういた。へーっと思っていると、ご朱印をもらうためのご朱印帳も販売している。
拝礼してすぐ、ふと下を見ると、「都電神社めぐり」という冊子が置かれているのに気がついた。
ほおーっ、都電沿いの神社をスタンプラリーのようにまわるのか、と思ったら、飛鳥山の七社神社、雑司が谷の大鳥神社、そしてここ大塚の天祖神社の3社しか載っていない。
なぜこの3社、と思ったら、共通点があった。夏詣を行っているのである。
夏詣、とは初耳だが、神道の世界ではなにかそんなものがあったっけ?
我々日本人は大晦日に「年越しの大祓」で一年の罪穢れを祓い清め、翌日の元日は新しい年の始まりとして、その都市の平穏を願い神社・仏閣に詣でる「初詣」を行います。その始まりから6ヵ月、同じく罪穢れを祓い清める「夏越しの大祓」を経て、過ぎし半年の無事を感謝し、来る半年の更なる平穏を願うべく、年の半分の節目として、7月1日以降に神社・仏閣に詣でます。
ほおーっ、そうなんですかと思っていると、すぐ次に次のように書かれていた。
この新たな習慣を「夏詣」と称して、我が国の守り伝えるべき風習となるよう、共に育てていきたいと思います。(夏詣実行委員会)
夏詣って、新しいものなのだった。もっと人々に神社へ来てもらうために、新しく作ったイベントのことだったのである。ちなみに、夏詣期間中(7月1~7日)は、限定のご朱印がもらえるとのこと。ご朱印をもらうのも一種のスタンプラリーだった。
あと10年もすると、夏詣するのが普通だって思うような世の中になっているのだろうか。この手のものは、結構たくさんあるような気がする。こうして、知らない間に、「伝統」とか「風習」とかが、場合によっては、何らかの意図を持って作られていくのかもしれない。そう考えると、どうしても敏感にならざるを得ない。
2019年がもうすぐ終わる。
大晦日に紅白を視なくなって久しいが、今年は、TV5 Mondeでフランスのアニメ映画を視た後、BBCを視ている。昨年は、ネットで見つけた、ロシアの大晦日番組を家族で視ていた(今年やっていたかどうかは確認できなかった。残念)。
トップニュースは、米国によるイラクの親イラン組織への爆撃に抗議する、イラクの米国大使館への激しいデモの様子だった。そして、カルロス・ゴーンのレバノンへの逃走、オーストラリアの制御できない大規模な火災。香港では、年末年始、依然として大規模なデモが続いている。
世界は常に動いている。
そして、年末年始を厳しい状況で迎えなければならない、様々な境遇の人々がいる。
そんなことを思いながら、東京の自宅で、妻と一緒に、ナマスを作っていることが、ささやかではあるが、恵まれていることなのだと改めて感じ、それに感謝する。
想像力。他者への想像力をさらにさらに研ぎ澄ませていきたい。
1年の終わり。それは新たな始まり。
もうすぐ新年。我が家では、毎年、門松を立てる。長年知り合いの方が御用聞きにやってきて、塀の前の穴に門松を立ててくれるのが、年末の恒例行事の一つである。
門松といっても、大きな竹が3本立っている、よく絵にあるものではなく、このへんでは、細い松の木を立てるのが普通である。
我が家の近所の門松については、2019年1月に次のブログ記事を書いたので、参照してみて欲しい。
我が家の従来の門松は、上のブログ記事で説明したものよりもずいぶん小ぶりなものだ。でも、今回は、ちょっと様相が違った。知り合いが御用聞きに来なかったのである。
その理由は、今、自宅を建てていて、門や塀がない状態だから、のようである。
それでも、門松は立てたいよね、ということになり、毎年、正月飾りを買う屋台(御用聞きに来る知り合いがやっている)で小さい松の木を一緒に買って、自分たちで付けてみた。
小さい門松に輪飾りを付けた。まあ、とりあえずの門松。
自宅は2020年1~2月頃に完成の予定。来年は、通常通りの門松を立てられそうだ。
昨日と今日は、所用で妻と新宿へ。用事を済ませた後、新宿中央公園へ久しぶりに行ってみた。
大学生だった頃はよく来た新宿中央公園だが、それからずっと長い間、訪れることはなかった。昔のイメージとはずいぶんと変わった気がした。
それでも、まだ秋の名残が感じられる景色に彩られていた。
イチョウ以外の木々の葉は、ほとんどがもう落ちていた。ちょうどお昼時で、南側からの陽の光がいい具合にイチョウを照らしていた。
少しだけだが、まだ紅葉も。
新宿中央公園の入口って、昔もこんなだったのだろうか。記憶が定かではない。
学生の頃に比べると、イチョウの色づきが2週間程度遅くなっている印象だ。
久々の新宿中央公園は、イチョウの色づきを楽しめた、のどかで穏やかな昼下がりだった。
昨晩、ベルリンの壁崩壊後の東欧諸国で、為政者が情報統制に精を出し、独裁色を強めていることを伝えるドキュメンタリーを視た。そこで起こっていたことは、まさにこの国でも起こっていること、そのものだった。
福島市の私のオフィスは、古民家「佐藤家住宅」とサービス付き高齢者向け住宅「しみずの里」の2つが建つ敷地内にある。
佐藤家のマスコット的存在だったのが、大きなオス犬のアスティくんである。今日(12/6)、定例の打ち合わせのため、佐藤家を訪ねると、アスティくんが先週、私が福島市を離れた後、亡くなったことを知った。
すでに火葬され、小さくなっていた。
先週、福島市のオフィスにいたときは、急に冷え込んだせいか、体調を崩し、床に横たわっていた。エサも受け付けず、だいぶ吐いた様子だった。
そこで、餌を水に溶かし、注射器で口の中に注入してみた。体内に食べ物が入ったせいか、少し元気になった様子で、自分で立ち上がろうとしていた。結局、立ち上がれなかったけれど・・・。
私を見ると、尻尾を振って匂いをかぎに来たものだった。おじいさん犬だったが、可愛かった。他方、見知らぬ人が来ると、ガンガンに吠えまくった。
アスティくん、さようなら。あちらの世界でも、楽しく過ごしてね。
寒さをいっそう感じる季節になった。
2019年8月29日、朝から大工さんとトビの方々が入って、作業をしていたと思ったら、夕方には、棟上が終わって、上棟式となりました。
設計士の先生、建築会社の方々、大工の棟梁、トビの皆さんにお赤飯とお茶を振る舞い、お祝いのお酒をいただいて、新しい我が家の上棟式は無事に終わりました。
これから少しずつ、中身が埋められていきます。来年初めには、完成する予定です。
ここ数日、体調がすぐれず、今日は医者に行って抗生物質も処方されました。明日までゆっくり休養します。
先週のダリケー・カカオ農園ツアーの様子は、元気になったら書くことにします。ご容赦ください。ブログもぼちぼちと書いていきます。
東京の我が家は、今年もお盆の季節を迎えました。
東京は、7月13〜16日頃までの新暦でお盆を迎えるのが一般的のようですが、日本の多くの地域では、8月半ばに旧暦でのお盆を迎えるところが大半ではないかと思います。
我が家では、今年も、提灯をつけ、行灯を灯し、野菜などのお供え物と、キュウリとナスで作った馬と牛を作りました。それらをマコモの筵の上に置きます。
キュウリの馬とナスの牛は精霊馬、精霊牛と呼ばれ、前者は、ご先祖さまの霊ができるだけ早く戻ってくるための乗り物であり、後者は、できるだけこの世に留まっていられるようにという意味を込めたあの世に戻る時の乗り物なのだそうです。
日が暮れた後、迎え火をしました。皮を剥いだ麻である「おがら」を折って、焙烙(ほうろく)と呼ばれる平たい素焼きの皿の上に置き、それに火をつけて煙を出し、ご先祖さまの霊が迷わずに戻ってこれるようにします。
このときには、家の入口のドアを開けて、ご先祖さまの霊を迎え入れます。
おがらを焼き終わって、煙が出なくなったら、禊萩(みそはぎ)という草木に水を含んでおがらの上に水をふりかけ、火を消します。そして、家のドアを閉めます。
これから数日、お盆が終わるまで、ご先祖さまの霊と一緒にいる、ということになります。ご先祖さま、今年もよろしくお願いいたします。
それにしても、精霊馬・精霊牛と一緒に、トラジャのトンコナン・ハウスのミニチュア、アルパカのぬいぐるみ、昔マカッサルにいた20年前に撮った家族写真、イノシシのイヤープレート、象さんのお皿などが写り込んでいるこの写真は、まさに、我が家の愛すべき混沌を表していますね。
我が家では、毎年、ちょうどこの時期、妻の父親と伯母の命日が重なります。この場所で生まれ、人生を歩んできた妻にとっては、今は亡き両親、祖母、伯母など、かつてともに過ごした大切な人々を想う、とても大事なひとときなのだと思います。
他所からやってきた、マスオさん状態の自分にとっても、最後は、ここが自分の帰るべき場所になっていくのだなという思いを強くする毎年のお盆です。