東京にシェアオフィス/コワーキングスペースをつくる

今、東京の自宅付近にシェアオフィスまたはコワーキングスペースをつくる、ということを考えています。

まだ構想段階ですが、どんな人に使ってもらったらいいか、少しずつ考え始めています。

できれば、私が信頼できる方々に使っていただき、結果的に、何かを一緒に作り出せる場所にしていければと思っています。

その一方で、分野も専門も全く異なる人々、様々な国から来た人々が集まるような場にしてもいいなとも思います。

亡くなった伯母の店舗兼住居を改装する予定です。広さは、2階建てで、1階をコワーキングスペース+会議室、2階を3〜4部屋のシェアオフィス、という形にしようかなと思っています。

裏に庭があります。古い桜の木があり(下写真)、4月にはまだ花見ができます。

動き回っているので常駐は難しそうですが、私の仕事場も作る予定です。

会員制にして、会員は24時間使えるようにしてはどうかと考えています。

場所は、JR山手線の大塚駅から徒歩7分、近くに24時間営業のセブンイレブンがあります。

開業はおそらく、早くても2018年8月以降になりそうです。

どうでしょうか。

興味のある方、一緒に管理運営してみたい方、いずれ使ってみたい方、オフィスを構えたい方、何か面白いアイディアをお持ちの方は、お気軽に、メールにて私( matsui@matsui-glocal.com )までご連絡いただけると嬉しいです。

国境を越えて人々が学び合える時代が来ている

12月15日まで福島市にいましたが、とにかく寒くて寒くて、部屋の暖房が電気ストーブ1台ということもあり、書きものをしていると手がかじかんできて、体にこたえました。

東京へ戻ってくると、もう、福島よりはずいぶんと暖かく、こんなに違うものだと改めて感じいるのでした。

それでも、12月15日には、前々からお会いしたいと思っていた方とゆっくりお話しすることができ、とても有益な時間を過ごすことができました。そして、自分が目指そうとしていることは、まだほとんど手つかずの活動だということを確認できました。その辺の話は今後、追い追いしていくことにします。じっくりと始めていきます。

12月16日は、「学びあいが生み出す農家の未来」というシンポジウムに出席しました。トヨタ財団の助成を受けて、フィリピン、東ティモール、ラオスの農民たちが3カ国間を相互に訪問し、3者間で技術交換や学びあいの交流を行う事業の報告会でした。

この事業では、日本側は三者をつなげるための黒子に徹し、三者間の学びあいを深めていくプロセスを促す役目を果たします。彼らの交流のなかで、予期せぬ展開が続出し、そこからまた新たな学びあいが起こる、そんなワクワクするような事業に見えました。

たまたま、三者の農民はコーヒー栽培という点で話題の共通項がありましたが、コーヒーの栽培技術はもちろん、それ以外の農業における地域資源の生かし方など、同じ農民どうしで互いの学びが錬成されていきました。

支援ではなく交流、というのがこの事業の目的ですが、助成を受けている以上、何らかの成果を示す必要があります。通常の支援事業では、計画フレームが最初に作られ、それがいつまでにどれだけ達成できたかがチェックされ、費用対効果も重視されるでしょう。当初の筋書きにないものは、あまり歓迎されない傾向もあります。事業の実施前と実施後との比較で、どれだけ成果があったかを点と点で比べることになります。

交流も、もちろん、実施前と実施後との比較は可能ですが、何を成果とするかは難しいものがあります。学びあった後、そこで得た知識や技術がどう生かされたか、を測定するにはかなりの時間を要します。それよりも、学びあいのプロセス自体に農民たちは意義を感じているように見えました。何よりも、彼らが出会わなければ学びあいは起こらないし、出会っても適切な促しがなければ学びあいにはならないのです。

交流は長いプロセスを経て自ずと自分たちが変わっていくものでしょう。そうした変化の永続的なプロセスが交流の肝と言ってもいいかもしれません。成果を見せるためには、そうした長い永続的なプロセスの中で細かく小さな目標を設定して、それを少しずつ達成し続けていくことになるでしょう。

今や、こうしたフツーの人々が国境を越えて学び合える時代が来ている、という感を強くします。もちろん、それには、通訳者などの献身的な協力なしにはなしえないものでしょう。それでも、従来のような、進んだ国から遅れた国が学ぶという垂直的な「支援」「援助」だけでなく、同じ立場の人々が似たような立場の人々との関係を基本とする水平的な「交流」「学びあい」もまた大いに意味を持つものと認識されていると考えます。

そうした学びあいを日本が促すことに意味があると思う一方で、別に日本だけが促す必要もないとも思います。おそらくきっと、世界中には、同じような学びあいを促そうと動いている人々がいます。公的資金を活用するものもあれば、民間資金や寄付金を活用するものもあるでしょうが、そうした人々を探し出して、ビジョンを共有し、互いの活動を認識しながら、ファシリテーターどうしが緩やかに繋がっていくことで、様々な学びあいのネットワークが自発的に広がっていく、というイメージがあります。

私は、まずは一人で、やれるところから、そうした学びあいの促しを試みていきたいと考えています。ローカルからローカルをつなげ、単なる技術交換に留まらない、ローカルとローカルの学びあいにまで広がっていけたら、と思います。

そして、少しずつ、世界中を視野に、同じような志を持つ同志を探し出す旅、同志を増やしていく旅に出たいと思います。もしかすると、このブログを読んでくださっているあなたが、私の同志になるかもしれません。

16日の「学びあいが生み出す農家の未来」というシンポジウムは、その意味で、同志は確実にいる、学びあいは社会を変えていく、という確信をより一層強く感じた機会となりました。

シンポジウムの懇親会に少しだけ顔を出し、最近一緒に出かけることが少なかった妻と一緒に、しばし、丸の内など、冬の夜のイルミネーションを歩きました。

明日(12月19日)は、大阪へ日帰り出張します。

40年前までの福島市民が今また戻ってきた訳

今週は金曜日まで福島市です。おこもりでしていた原稿執筆が、終わってはいないけれども、今日でようやく目途がついたので、少し気持ちに余裕ができました。

福島市で法人登記してから、ちょうど今日で8ヵ月が経ちました。法人登記したのは4月11日、東日本大震災の月命日にあたります。本当は3月11日に登記したかったのだけれど、今年は土曜日だったので、無理でした。

あの震災がなかったら、自分は故郷の福島市に活動拠点をかまえようとは、きっと思わなかったでしょう。

震災の前年に亡くなった父が、私がまだ福島市で中学・高校に通っていたころによく言っていた言葉を思い出します。

父は、「福島に居るな。外に出ろ。できれば、日本の外へ出ろ」と何度も言いました。「世界のどこにいても、元気にしているならそれでよい」とも言いました。

私は、父のように、地元・福島で学校の先生になりたいと思っていました。何かを教えることが好きだったし、たくさんの教え子に囲まれる人生が素敵に見えたものです。でも、父は、私が自分と同じ職業に就くことを望んでいませんでした。そして、大人になってから、その理由がはっきりと分かりました。

父が満足していたかどうかは別として、高校を卒業した後、東京で一浪して東京の大学に入り、縁あって就職した職場では、インドネシアと付き合うことになりました。

そして、頻繁に日本とインドネシアを行き来し、ときにはインドネシアに長期滞在し、30年以上経った今でも、インドネシアとの付き合いは切れるどころか、ますます深みにはまっていく感じがするほどです。

福島がどんどん遠くなっていきました。インドネシアがどんどん近づいてきました。

一身上の都合で23年お世話になった職場を離れ、今度は一人で挑戦しようと動き始めてほどなく、父が亡くなり、震災が起こりました。

震災後の様々な社会の動揺や変化を見ながら、自分の人生にとって何か大きなパラダイム転換が起きたように感じました。豊かになることが幸せなのか。他人に勝つことが人生の目的なのか。生きるって何なのか。依存するって何なのか。自立って何なのか。

震災後の福島が、世の中の様々なものに翻弄され、ときには差別され、排除され、無視され、ズタズタにされていく様子を見ていました。ただただ、それに対して無力な自分を攻め続け、自分で自分を罵倒していました。

個人としては原発には反対だけれども、原発に長年真面目に関わってきた高校・大学時代の友人たちや、原発のおかげで幸せな生活が送れるようになった人たちのことを思いました。白黒なんて簡単に線は引けない。きれいな結論を出せなくなりました。

自分が今できることは何なのだろう。福島から出ていった自分は、福島にとってはよそ者です。でも完全なよそ者ではなく、出戻りです。そうした出戻りが、これまでの日本の地域づくりのなかで重要な役割を果たした事例をたくさん学んではきましたが、では、自分はどうなのか。

まずは、自分の立ち位置を定めること。福島市に法人登記したからといって、福島市から一歩も外に出てはいけないわけではないし、日本中、いや世界中、どこで活動してもかまわない訳です。でも、その出発点を福島市に定めた、という意味を法人登記に込めたいと思いました。

福島市を出発点として、福島市はもちろんのこと、日本中、世界中の必要とされている場所で活動し、その成果のエッセンスを何らかの形で福島へ返していく。逆に、福島での活動の成果やエッセンスを外の世界へ流していく。

そんな、福島と外とを行き来しつつ、福島と外の世界をつなげたり、外からヒトやモノやコトを福島へ取り込んだりしながら、その過程で新しい何かが生まれる触媒の役割を果たす。それが、今考える、自分なりの立ち位置ではないか、と思っています。

これをやるんだ、というものをギラギラさせているわけではありません。今の福島市にとって必要なモノやコトは何か、といつも考えています。もちろん、やりたいと思っていることは色々あります。

でも、すでにいろんな方がいろんなことをされていて、まずはそれを学ぶことから始めているつもりです。じっくりと、慌てずに、しかし本物の活動をしたり、促したりしていけるように、研鑚を積んでいきたいと思っています。

40年前まで福島市民だった自分の、根っこの部分とよそ者の部分のハイブリッドで、自分が一体何をしていけるか。動いていきます。

昔から、大好きな福島のリンゴを毎日、実家で食べられる幸せ・・・

よりどりインドネシア第10号を発行

11月22日、情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア」第10号を発行しました。今回は、以下の3本です。

 ・インドネシアで寛容性の高い都市はどこか?
 ・予測不能な「インターネット大国」インドネシア(大島空良)
 ・ジャワでもありバリでもあるバニュワンギ

寛容性の高い・低いは、多様性をどれぐらい許容できるかという指標ですが、ここでは主に、異なる宗教を受け入れる程度で計っているようです。インドネシアは「多様性の中の統一」を国是としていて、異なる様々な人々の存在を受け入れることを当然としていますが、近年、マジョリティであるイスラム教の政治利用や、スンニ派によるシーア派やアフマディアに対する迫害などが問題視されてきました。インドネシアで寛容性の高い都市、低い都市はどこなのでしょうか。2015年に続いて今回、そのランキングが公表されています。

人口2.5億人のインドネシアは、インターネット大国への道を歩んでいて、ネットビジネスの可能性は明るいものがあります。その実態を、とくに若者の対応を通じて見てみると、興味深い現象が見られます。そのなかには、インターネットを活用した新たな性風俗産業のやり方のような、新しい動きもあります。ジャカルタ在住の大島空良さんが、今回も興味深いレポートを書いてくれました。

ジャワ島の東端にあるバニュワンギは、ジャワの要素もバリの要素も併せ持つ、なかなかユニークな場所です。県知事が結構なやり手で、次の東ジャワ州知事選挙の副知事候補にもなっていますが、全国的にも注目される場所になっています。イベントを通じたバニュワンギの対外的な売り込みにも熱心で、年間イベントカレンダーを用意し、毎月のように何らかのフェスティバルを行っています。なかには、ケボケボアンと呼ばれる奇祭もあります。そんなバニュワンギを今回は紹介しています。

「よりどりインドネシア」は今回の発行で10回となりました。読者登録(会員登録)していただくと、バックナンバーもご覧いただけます。また、銀行振込による登録の場合は、毎回、PDF版をメール添付でお送りいたします。

「よりどりインドネシア」は、他の媒体では読めない、いくつものインドネシアを伝えていきます。一人でも多くの皆さんにご登録いただければ幸いです。

どうぞよろしくお願い致します。

バニュワンギの海岸からバリ島を臨む

福島のインドネシア人コミュニティとつながる

昨晩(11/18)、友人を通じて、福島のインドネシア人コミュニティとつながり、焼肉パーティーに招かれました。

今後の活動の一翼として、インドネシア人技能実習生に対する相談窓口の役割を果たしたいと考えていますが、これまで、なかなかつながる機会がありませんでした。これからの展開がとても楽しみです。

噂では、福島にも少なからぬインドネシア人技能実習生がいるようなのですが、街中で出会うことはまずないし、福島県も福島市も、むしろベトナムへの関心が高く、インドネシアのイの字も聞こえてこないような状況に見えました。

でも、福島市をはじめ、二本松市、本宮市、川俣町など、けっこうな数のインドネシア人技能実習生がおり、彼らは「コミュニタス福島」というゆるやかな組織を通じて、つながっているのでした。今回お会いした方々も、この「コミュニタス福島」のメンバーです。

彼らは、コンクリートの型枠を作って据え付ける作業をする実習生でした。受け入れてくれた会社の社長が一軒家を用意してくれて、そこに5人で住んでいました。現場は県内のあちこちにあり、けっこう広い範囲を移動しているようでした。

最初のころは、習ってきた日本語が役に立たなかったと言います。現場の言葉は福島弁、その違いになかなか慣れなかったようです。私が連発する福島弁が大受けでした。

また、初めのころはよく怒られていたそうですが、最近では「いいがら、それ、俺やっとっから」(もういいよ、それは私がやっておくよ)、と言われることが多く、怒鳴られたり怒られたりすることはあまりなくなったそうです。というか、悪くとれば、諦められてしまったのかもしれませんが。

ともかく、彼らにとって、今の社長はとてもいい人で、自分たちは恵まれていると感じているようでした。

それでも、いくつかのケースを聞くと、明らかに、それらはミス・コミュニケーションによる誤解でした。

たとえば、休日なのに働かされる、という話。「きっとそれは、得意先からの納入期限まで時間がないので休日出勤させるということで、日本人でも同じだよ」と話してあげると、彼らはみんな納得します。でも、それを、会社側から彼らにうまく説明できていないようなのです。

また、別のケースでは、実習生は一人で6台の機械を見ているのに、日本人はそれを2人で見ているのは不公平だ、という話。「きっとそれは、実習生のほうが技能的に日本人よりもできるから任せているんだよ」と話してあげると、彼らはまた納得。暗黙の裡に、日本人のほうがインドネシア人よりできるのに、と思い込んでいるのでした。今の企業に、インドネシア人をいじめている余裕などないと思います。

彼らと話をしながら、こんなミス・コミュニケーションを初期段階で一つずつ解きほぐしてあげるだけで、ずいぶんとお互いが気持ちよく活動できるはずだと確信しました。実際には、それが分からないまま、相互に不信感を募らせ、ある日突然、感情が爆発する、といったケースが少なくないと思うのです。

そうした意味で、インドネシア人技能実習生だけでなく、彼らを受け入れている企業や農家の皆さんにとっても、相談窓口にもなりたいと思っています。

このブログを読んでいる方で、関心のある方は、メールmatsui@matsui-glocal.com)または電話(090-3217-5845)、FAX(024-505-4294)にて、お気軽にご連絡ください。

福島、晩秋、オフィスと同じ敷地内にて

昨日(11/15)、福島に着きました。

秋はすっかり深まり、今日(11/16)は寒い一日でした。暖房のない冷えきったオフィスで、寒さに耐えきれず・・・。ともかく暖房対策を急がなければ。

私のオフィスのある敷地内の古民家と庭の景色も、すっかり晩秋の装い。どの季節も、この場所で見る美しさが、何とも落ち着くのです。

11月、12月。締め切り迫る原稿に向かいつつ、福島から自分が始めるモノやコトをじっくり仕込み始めたいと思っています。

福島税務署で残りの諸手続

今日は福島市です。今週は東京で色々と予定が入ってしまったので、福島市にいるのは今日と明日の1泊2日。しかも、明日の夕方5時に東京で予定が入っているので、それに間に合うように、東京へ向かいます。

今回の用事は、税務署です。松井グローカル合同会社を4月に福島市で登記し、色々と手続を済ませてきたのですが、9月分の役員報酬の支払いに伴う源泉徴収所得税納付書を10月10日までに福島税務署へ提出しなければならなかったのでした。

通常、源泉徴収所得税は金融機関の窓口か税務署で期日までに支払うのですが、私の場合は、税務署へ行かなければならないのです。なぜかというと、実は源泉徴収所得税がゼロだからです。

役員報酬額が低いので、ゼロになっているのです。しかし、たとえ源泉徴収所得税がゼロであっても、ゼロであるということを明記した源泉徴収所得税納付書を提出しなければならず、それは金融機関ではなく、税務署へ行く必要があるのです。

もっとも、毎月「ゼロ」の納付書を税務署へ提出に行くのも面倒なので、すでに6ヵ月に1度まとめて提出できるようにするための手続を9月中に終えました。でも、9月分だけは10月10日までに提出する必要があるので、今日、提出してきたという次第です。

次回は来年1月20日までに2017年10~12月の3ヵ月分の「ゼロ」の納付書を提出することになり、その後は、6ヵ月分ずつまとめて、7月と1月の年2回、提出です。

福島税務署で担当してくださった職員の方が、とても懇切丁寧に対応してくださり、すっかり気分の良い一日となりました。「早くきちんと納税できるようにならなきゃ!」と私に思わせるかのような対応でした。

今日の福島市は、晴れているのに時々小雨が降る時雨模様の肌寒い一日でした。お昼に食べた鴨のつけそばがけっこう美味しかったのも収穫でした。

Co-minkan 第1号を訪問しました

9月30日の夜に帰国して、翌10月1日の朝、Co-minkan 第1号のオープニングを見るために、横浜市保土ヶ谷区まで行ってきました。

Co-minkan 第1号になったのは、保土ヶ谷区役所の近くにある峰岡公園の向かいのカフェ「見晴らしのいい場所」という小さな場所です。元はスナックだったというこじんまりとした場所で、Co-minkanが始まったのでした。

Co-minkan というのは、もちろん公民館から来ているのですが、行政が運営する公民館ではなく、民間で作る「こうみんかん」を企図しています。

地元の人が気軽に立ち寄り、お茶でも飲みながら、いろいろおしゃべりをする。そこに行けば悩みや相談を聞いてくれる人がいる。わいわいやっている間に新しいアイディアが浮かんだり、面白いことを思いついたりする。なんだか楽しくなる。

そんな空間を、気軽にみんながあちこちで作り始めたら、もっと温かい人と人とのつながりを意識できる世界が広がっていくのではないか。

Co-minkan は、誰でもそんな空間を作れるようなノウハウを広げることを目的としているようです。どこに作るか、どんな内装デザインにするか、どれぐらいの頻度で開くか、誰を誘うか。いくつかの事例を想定しながら、空間のつくり方を一緒にゆるーく伝えていこうとしています。

Co-minkan 普及実行委員会共同代表の横山太郎さんは地元のお医者さんですが、最近、自分が患者さんに伝えてきたことが、実はよく理解されていなかったことに気づきました。それは自分の伝え方に問題があったのではないか、と自問し、もっとじっくりと肩肘張らずに対話のできる空間を作りたいと思い始めたそうです。そこへ、コミュニティ・デザインで地域づくりを支援してきたStudio-Lが関わって、この Co-minkan を始めてみようということになったのだそうです。

オープニングには、近所の皆さんも集まり、ゆるーくいろいろおしゃべり。

子供たちは、公園でシャボン玉飛ばしをして遊んでいます。カフェのスペースは狭いのですが、目の前の公園に飲み物を持ち込んで、実質的に公園もカフェの一部になってしまうような場所です。

この取り組みが興味深いのは、何か場所を作っておしまいなのではなく、こうした空間の作り方を興味深く伝えることで、「自分でもつくれそう」「つくってみようかな」と思わせ、そうした動きを日本各地、いや世界各地へ広げて行こうとしていることです。

そんな Co-minkan のつくり方のゆる〜い「マニュアル」を製作するために、クラウドファンディングを募っています。下記のページを参照のうえ、できれば是非ご協力ください。

 毎日を楽しくするために「こうみんかん」をあなたの地域に!

オープニングに参加しながら、いろんな Co-minkan のあり方に想像を巡らせていました。時限的なものもいいし、山間地域ならば移動式のもありうるし、毎月順繰りに地域の方の家の一角をそうしてもいいし・・・。

でも、一番大事なことは、「対話」ではないでしょうか。相談事だけなら、ネットに投げれば誰かが答えてくれます。でも、面と向かって対話をすることで、より一層の安心感と満足感が得られるのではないでしょうか。

対話の場を簡単にゆる〜くあちこちに作っていけたら、今よりも少しは温かい気持ちを広げていくことができるのではないかなあ。まずは自分の身近なところから。

私は、Co-minkan の取り組みに賛同し、自分もそんな空間をつくっていきます。そして、そんな仲間を日本各地に、世界各地に増やしていきたいと思います。

リボーンアート・フェスティバルを垣間見る

ずっと行きたくてなかなか行く機会がなかった、リボーンアート・フェスティバルにようやく行くことができました。

開催地は、宮城県石巻市と牡鹿半島で、「アート・音楽・食の総合祭」と自ら呼んでいます。特色としては、小林武史氏を中心とするAPバンクが資金提供し、行政が主導していないことです。それゆえ、アーティストが自由に様々な表現に挑戦することができる、ということのようです。

本当は一つ一つじっくりと作品を味わいたいところですが、そうも言っていられないので、今回は、手っ取り早く、1日ツアーに申し込みました。このツアー、東京から日帰りでくる人を想定し、11:20に開始、18:00に終了します。私も、朝、東京を出て、ツアーに参加しました。

なお、ツアー代は昼食込みで5000円、さらに2日間有効のフェスティバル・パスポートを購入する必要があります。

平日で、ネット上ではまだ定員に余裕があるようだったので、参加者は少ないかなと思っていたのですが、実際には、バスの座席全てが埋まる、25人の満員でした。

今日は天気にも恵まれましたが、8月中は雨や曇りの日が多く、ツアーガイドによれば、こんな天気の良い日は滅多になかったとのことでした。

そのせいか、予想以上の数のアートを効率的に見ることができました。

まず、リボーンアート・ハウス(関係者やスタッフの事務所兼宿泊所。旧病院)で小林武史×WOW×Daisy Balloonの”D-E-A-U”という不思議なアートをみました。

その後、牡鹿半島へ向かい、牡鹿ビレッジで、昼食をとりながら、フェスティバルのシンボルにもなっている白い鹿のオブジェを見学。なぜか、ドラゴン・アッシュのメンバーの一人が、トランペットの音色に合わせて、白い鹿の周りで踊る、というパフォーマンスもありました。

白い鹿の近くの洞窟には、牡蠣漁のブイを縄で結びつけ、その縄がはるか森まで結びつき、牡蠣の生育には森の健全な成長が不可欠であることを訴えるアートがありました。

白い鹿の後は、牡鹿半島の南端、ぐるっと海を一望できる御番所公園へ行き、草間彌生のオブジェを見ました。この場所でこれを見ると、なんとも言えない力強さを感じました。

草間彌生の後は、金華山を目の前にするホテルニューさかいへ行き、全身の穴から水を出し、その水がまた体内に戻ってくるという循環を示す緑の人間像を見ました。

さらに、ホテルニューさかいの屋上へ出る前に怪しげな看板が。

屋上では、金華山を見ながら、カラオケを楽しんでいました。これもアート!?

ホテルニューさかいの後は、のり浜という海岸へ行き、海岸に打ち上げられた倒木や石などを立てる、というアートを見ました。ツアー参加者もその行為に参加することで、「起きる」「起こす」という意味をそこに見出す、ということのようでした。

のり浜の後は、旧桃浦小学校跡にある幾つかの作品を見ました。40年前まで、この場所に小学校があり、子供がいたことを思い出させる「記憶のルーペ」と、りんごが先に付いたけん玉とのアート。

そして、ここに住みながら、自然との共生を肌で感じながら制作した、住居のアートもありました。

今回のツアーの特色は、広域に散らばったこれだけの作品を効率よく回れることのほか、かなり歩くツアーである、ということです。アート作品はそれが最も強調される場所に作られるため、バス道路から15分程度の山道を上り下りするような場所にあります。短時間で何度も結構な上り下りをすることになりました。

というわけで、予想よりもずっと充実感のあるツアーでした。ただ、一緒に参加した方々は、アート作品には興味があるものの、その作品を作品たらしめている石巻や牡鹿半島の風景や人々には、あまり関心がない様子でした。石巻や牡鹿半島の人々からすれば、どのような動機であれ、域外から人が来てくれるのはありがたいことでしょうが、もう少し、土着のものとの連結を考えた方が良いのではないか、と感じました。

私自身、このツアーでアート作品を見て回りながらも、今ここで生きる人々の関係者であの震災で犠牲になった方々が、今もこの空気の中に存在しているかのような気配を感じていました。その方々の気配こそが、リボーン(Reborn)の背景にあるものだと感じたのです。

そんなことを思いながら、フェスティバルの公式ガイドブックを購入して、パラパラめくっていたら、このフェスティバルに深く関わっている人類学者の中沢新一氏が、似たような感覚について指摘していて、ちょっと驚きました。

その中で、中沢氏は、東北でリボーンアート・フェスティバルを行う意味として次のように語っています。

元々東北は・・・亡くなった人や見えない物を日常に感じながら作られていく世界でした。そこでは四次元の世界が生きている。(中略)そういう場所にあの大震災が起こったものだから、ますます東北は、「東北らしさ」が強まったと感じています。(中略)グローバルな経済活動に巻き込まれていないということは、別の意味では経済的に貧しいということでしょうが、(中略)むしろ、貧しいことの中に価値を見出していくことが、東京オリンピックが終わる2020年以降、不況がやってくる状況の中で日本が全体で抱える課題になると思います。(中略)その時にこそ大切になるリボーンの原理を見ておこう、作っておこう、というのが「リボーンアート・フェスティバル」の目的です。

今までとは違う新たな価値観を「リボーン」の名の下に提示したい。日本のリボーンの出発点は東北ではないか。そんな問題提起がこのフェスティバルの根底にあるのでした。

その意味では、今、日本のあちこちで、「リボーン」の芽は現れ始めていると感じます。いや、世界のあちこちで、それが現れ始めているのではないか。そのあちこちこそが、中心都市ではなく、ローカルであり、地域コミュニティであり、それらが繋がっていくことで、今までとは違う「リボーン」を実現していけるのではないか。

これもまた、私たちが目指す方向性に勇気を与えてくれるようなアートフェスティバルだった、と改めて確認したのでした。

よりどりインドネシア第4号発行

昨日(8/21)、インドネシアの西スラウェシ州ポレワリに着きました。今年も、カカオツアーのお手伝いに来ています。8/27に帰国します。

カカオツアーの最中ではありますが、情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア第4号」を発行しましたので、お知らせいたします。

今回は、カソワミ、カーニバル、海の高速と我らの家、そして、よりどり情報サーチ法の4本です。

東南スラウェシ州ワカトビ列島のカレドゥパ島で以前、カソワミを食べました。どんな食べ物なのでしょうか。

娯楽が少ないと言われたインドネシアで、カーニバルを活かしたまちおこしが広まりつつあります。それは、東ジャワ州の小さな地方都市ジュンブルから始まりました。

国内物流コストを下げるための「海の高速」と「我らの家」、いったいどんなものなのでしょうか。少し解説しました。

中央統計庁とインドネシア銀行のサイトで統計情報を探す方法をお教えします。

現在、会員募集中です。毎月7・22日に発行。日本ではあまり報道されない様々な地方のインドネシア、違った視点からのインドネシアの話題を提供中です。お楽しみに!

いくつものインドネシアへ。ぜひ、読者登録(会員登録)のうえ、全文をご高覧ください。

尊厳ということ

近年ずっと思っていることの一つが、尊厳ということです。

人間が生きていくうえで、自分の人生を振り返ったとき、「生きていてよかった」「生きてきてよかった」と思えるのは、自分の人生が自分にとっての意味を持ち、それを自分以外の他人や場合によっては世間が認め、尊重するからではないかと思います。
人生の最期を、モノとしてではなく、その人自身として終える。誰もがそのような尊厳を持った形で最期を迎えたいと思うものだと思います。
立派な人生って何だろうな、とも思います。誰が何をもって「立派だ」と評価するのか。なかには、他人や世間から「立派な人だ」と言われたいと思って生きる人もいることでしょう。でも、それは常に自分の人生の評価の尺度を他人に委ね続けるということでもあります。本当の自分とは違う自分を演じ続けなければならなくなります。
どんな人でも、自分が自分らしく生きた、そのそのものをそのまま尊重してもらいたい、という希望を持っているのではないか。他人の評判や世間体に合わせるのではなく、自分ではないような演技をすることなく、自分の存在そのものを一人の人間として尊重されたいのではないか。そんな気が自分でもします。
でも、それは、果たして人間のことだけなのでしょうか。
例えば、地域もまた然りではないでしょうか。外部の人間がその地域のことを勝手に「限界集落」と呼び、人口が減少してもうおしまいだ、と決めつけるかのような言論があります。たしかに、物理的に、人口減少を食い止めることはもう無理かもしれません。でも、現在に至るまで、その地域が存在してきたという歴史やそのために人々が様々な努力を重ね、生活を営み続けてきたという重みを無視することはできません。
外部者に、そうしたものに対する敬意や尊敬はどれほどあるでしょうか。少なくとも、地域の方々に敬意や尊敬を感じさせるような接し方を、果たして外部者はしているでしょうか。
企業も産業もまた然りではないでしょうか。どんな企業でも、未来永劫、成長し続けられるとは限りません。自分たちが長年にわたって開発し、工夫し、磨き上げてきた技術やノウハウがもはや今の場所では使われないものになってしまい、あるいは後継者に恵まれず、廃業せざるをえない状況も出てくることでしょう。そのとき、その企業がこれまでに培ってきた様々な成果や地域経済に対する貢献、地域の人々の生活を支えてきたという事実に対して、敬意や尊敬をもって我々は接しているでしょうか。
人は誰でも、自分という存在をありのままに認めて欲しい存在ではないでしょうか。自分のことを他人に正当化されたい存在ではないでしょうか。そして、認められている、敬われている、という気持ちが持てることによって、その人の人生にはちゃんと意味があったんだ、生きてきたということに意味があったんだ、と思えるのではないでしょうか。
余裕のない現代日本社会では、いつしか、長所よりも短所、優れている点よりも欠点を目を皿のようにして探して、自分のほうが相手よりも上だと思いたいという病が蔓延しているかのようです。なんでも競争に仕立て、勝ちか負けかを常に意識し、他者への敬意や尊敬をせず、むしろ相手を罵倒しないと自分が罵倒される(だから先んじて罵倒する)といった、恐怖心さえ持っているかのように見えます。
企業や産業における技術やノウハウについては、日本ではもはやニーズがなくなってしまっていたとしても、世界のどこかではまだまだ必要としているかもしれません。日本でこのままなくなってしまうかもしれない技術やノウハウを欲しいと言ってくれる場所があり、そこへ移転されるならば、これまで培ってきた技術やノウハウが世界のどこかで誰かのために生かされ、さらに改良されて次の世代へ伝えられていくかもしれません。
そのときに、そうした技術やノウハウを培ってきた日本の方々の存在や積み重ねられてきた経験に対して、新しくそれらを受け止めた人々が敬意や尊敬を示すような、そんな伝え方を考えたいのです。
地域についても、その地域が衰退する、消えてしまうという経験は、決して日本だけのことではありません。でも、その最期の迎え方が重要だと思うのです。後世にその地域が存在し、人々がそこで生活し、生業を営んできたという記憶・記録をどのように残していくか、そこに生きた人々に対する敬意と尊敬をどのように示すことができるのか。
そのときに、企業や産業のように、日本だけでなく、日本以外の海外の地域に対して経験やノウハウを伝え、その一部が世界のどこかで生きながらえていく、ということもありうるのではないか。そんなことを思います。これからの地域づくりにおいては、そうしたことも含めた実践を考えていかなければならないような気がするのです。
人間にとっても、企業にとっても、産業にとっても、地域にとっても、尊厳というものはとても重要なことではないか、生きていくための種火なのではないか、という気がします。そして、その種火を大事に大事にしていくような、コンサルティングやファシリテーションを丁寧に行なっていきたいと思っています。
こうした姿勢や接近法で、きちんと生計を立ててビジネスとしてやっていけるのかどうか、何を青臭いことを言っているんだ、という声もあるだろうと思います。他人から上から目線で馬鹿扱いされるかもしれません。でも、こうした今の世の中に必要なことを、カネのために犠牲にするほど、自分はまだ狂えていないという自覚があるうちに、やっていかなければと思うのです。
久々の独り言で、失礼いたしました。

よりどりインドネシア第2号を発刊

ここ数日、会員制ウェブマガジン「よりどりインドネシア」第2号の原稿を書いていたため、ぐろーかる日記の更新がおろそかになっておりました。お約束通り、7月22日に第2号を発刊いたしました。以下のページをご参照ください。

 よりどりインドネシア第2号

今回の話題は、首都移転論議、中国系工場襲撃事件、教育問題、ソト・クドゥスの4点です。

首都移転論議、再び
ジャカルタからの首都移転論議は、今回が初めてではありません。本号では、過去の論議を少し詳しく振り返ります。

北スラウェシでの中国系セメント工場襲撃事件
北スラウェシ州で中国系セメント工場への襲撃事件がありました。その背景には中国嫌いにとどまらない、地方政治の思惑が絡んでいました。

新学期、今年も入学仲介業者が暗躍したが・・・
インドネシアの学校は新学期がスタート。日本より進んでいるかもしれないオンラインの新入生入学受入システム。それでも変われない構造的な問題に触れました。

クドゥスで本場のソト・クドゥス
私も大好きなソト・クドゥス。中ジャワ州クドゥスで食べる本場の味を紹介します。

読者登録(会員登録)した方は全文をお読みいただけます。また、銀行振込での読者登録(会員登録)をご希望の方は matsui@matsui-glocal.com までご連絡ください。その場合、1カ月810円(税込)として6カ月分または1年分をお振込いただくことになります。

読者登録(会員登録)いただいた方には、インドネシアに関するメール相談を無料で承ります。

第0号、第1号、第2号のバックナンバーこちらからアクセス可能です。

 バックナンバー

ぜひ、読者登録(会員登録)のうえ、ご購読のほどを、よろしくお願いいたします。

ジャカルタで用務を遂行中

今回のジャカルタ滞在、近畿経産局とチーム・E関西によるエネルギー・環境ビジネスに関するビジネスマッチングの可能性を探ると題して、用務を遂行中です。

7月12日夜は、ネットワーキングカフェinジャカルタにおいて、「インドネシアにおけるビジネス展開」と題して、1時間弱の講演を行いました。久々のジャカルタでの講演だったので、少々緊張しましたが、何とか無事に終えることができました。

13日は、午前中、タンゲラン県営ティルタ・クルタ・ラハルジャ水道会社を見学しました。この水道会社は、オランダ植民地時代の1923年に設立された水道会社が母体となっており、その時に建てられた建物が今も残されています。

水道会社の構内に小さな浄水場があり、近くのチサダネ川から取水された水が砂などによるろ過で予想以上にきれいに浄化されていました。

この水道会社は11の浄水場を持ち、タンゲラン県、タンゲラン市、南タンゲラン市へ給水するだけでなく、全体の5分の3の浄水をジャカルタ首都特別州へ売っているそうです。
早いもので、今回のジャカルタ滞在はあと1日を残すのみとなりました。

来週はジャカルタ

6月中はずっと日本でしたが、来週は久々にインドネシア出張、ジャカルタです。

今回は、チームでの活動になりますので、いつものアジトではなく、他のメンバーと一緒にホテルに泊まります。

10日にジャカルタ到着、11日は3件のアポ、12日はネットワーキングカフェで講演、13日は視察、14日はビジネスマッチングセミナー、14日夜ジャカルタ発で、15日朝に東京へ戻ります。

皆さんにお会いできるといいのですが・・・。

会員制ウェブマガジンの読者登録開始

7月1日より、会員制ウェブマガジン「よりどりインドネシア」の読者登録(会員登録)を開始いたしました。この読者登録をもって、会員登録となります。

読者登録(会員登録)は、「よりどりインドネシア」創刊準備号の以下のサイトにある「読者登録する」からお願いいたします。

 よりどりインドネシア

現在、登録・非登録にかかわらず、創刊準備号のすべての記事を閲覧できるようにしております。ただし、7月7日に発刊する創刊号からは、読者登録(会員登録)した場合に限り、記事のすべてを閲覧できるようになりますので、あらかじめご注意ください。

購読料(会員料金)は1ヵ月あたり750円(税抜)で、税込の810円で請求させていただきます。1ヵ月に2回、毎月7日と22日に発刊の予定です。読者登録(会員登録)された月は無料お試し期間となります。

なお、読者登録(会員登録)は、勝手ながら、当方による承認制とさせていただきます。登録後、当方で承認するまでしばらくお待ちいただけますよう、お願いいたします。

福島市も梅雨本番となってきました。

コンサルタントと名乗ることについて

自分がなりたいのは、ローカルの足元の生活から物事を発想し、ローカルが他のローカルとつながりながら、新しいモノやコトが創り出されるための黒子、です。

でも、法人クレジットカードの申込や銀行での法人口座開設で、それを職業や職種で一言で何というか、と問われると、どう言っていいのか分からなくなります。「その他」というのが該当するのでしょうが、それだとさらに具体的な説明を求められて、面倒になります。

それで、「コンサルタント」と名乗ることにしています。でも、世の中のいわゆる正統なコンサルタントとはちょっと違うような気がしています。

一般に、コンサルタントは、顧客(クライアント)からの相談を受けて、助言や解決策を教え、その対価をもらう仕事と考えられます。ですから、顧客の意向がどのような理不尽なものであっても、それに合わせる必要が出てきます。

これまでのいくつかの経験で、そのような振る舞いが必要な場面があるということを十分に学びました。契約書や仕様書に書かれていなくとも、顧客から指示されたことは、断ってはならないし、顧客の気分を害するような態度を決して示してはならない、ということを。なぜなら、そんなことをして顧客から仕事がもらえなくなったら大変だから。

それに見合う見返り収入が十分にあるのならば、それはそれと割り切って、ニコニコしながら、うまく対応するのも大人の対応なのだろうな、と思います。まだ、収入が不安定な時には、そうした収入がやはり必要だと実感します。

でも、できることならば、そのような仕事だけをする人生など送りたくありません。私がやりたいことは、教えないコンサルティング。顧客に教えるのではなく、顧客が自分で気づき、自分で問題を解決するために動く、そのように促すやり方です。

数日前の記事で、東京から東北へやってくるコンサルタントに関する記事が載っていました。曰く、復興や地方創生で困っている自治体などへ、そうしたコンサルタントが乗り込んでいって自分のアイディアを売り込む。東京から来たコンサルタントさんだからといって自治体側もなぜか期待して、多額の報酬を支払ってしまう。その実、後から振り返ると、何が自治体にとって役に立ったのか分からない、といった話でした。

コンサルタントと名乗ると、そんな輩と一緒にされてしまうのだろうか、なんて思ったりもします。ちょっとこわいです。

しかしこの構図、実はインドネシアでさんざん見てきた構図と全く同じなのです。そして、ある意味、自分もそうした外部専門家の立場にいたこともあるわけです。そんな立場の自分なのに、「よそ者に騙されるな(私もよそ者だけどね)」とインドネシアの村人たちに言い続けていた自分は、やっぱり他のコンサルタントさんから見ると、異様だったのだなと今にしてよくわかります。

インドネシアでは外国援助。日本では復興や地方創生という名の補助金。これらに頼った仕事しかしないコンサルタントならば、やはり顧客であるそれらの資金元の意向に沿わざるを得ないのは当然です。

でも、それらのコンサルタントの仕事をいちいち業績評価しているのかどうか。評価しているとしても、誰がどのように評価し、その結果を受入側へも含めて公開しているのかどうか。事業を作れば予算が増えるという仕事のしかたならば、自分の予算でやった仕事が無駄だった、国民の皆さんごめんなさい、とは言いにくいし、別の形でうまく言っているように見せるのだろうな、と思ってしまいます。

私が福島で起業した理由の一つは、東京のコンサルタントにならないためです。親切な地元の方々は、客人の意向にできるだけ合わせてくれます。客人が教えることにも分かったふりをしてくれます。でも、事業が終わると、客人が机上で描いたようには変わりません。事業を金づると思っている客人にとっては、次の事業が取れればいいのです。

そんなコンサルタントと一緒にされたくはありません。でも、収入を安定させるためには、お面を被って、外国援助や補助金の仕事もします。その仕事の過程で得るものはゼロではないし、次の自分オリジナルの仕事につながる部分もあるからです。

自分にしかできないコンサルティングがある、と確信しています。あえて教えないコンサルティング。学び合いを促して自分も学ぶコンサルティング。「後は自分でやれるからもういいよ」と顧客から言われることを常に覚悟しているコンサルティング。「何でもいいから何か仕事をください」と言いまくらないコンサルティング。

まずは、顧客とどこまで真の信頼関係を築けるか。一歩一歩、進んでいきたいと思います。

7月より、本格的に活動開始します

このところ、ちょっと体調がすぐれませんでしたが、休み休みしながら、少しずつ回復してきました。昨日、自宅のある区役所で健康保険の切り替え(国保→健保)を終えたことで、これまでちょっと時間はかかりましたが、法人としての活動準備をほぼ終えました。

私のオフィスと同じ敷地内の古民家(福島市)
この古民家の有益な活用法もオーナーと一緒に考えていきます

というわけで、7月からいよいよ、本格的に活動を開始します。すでに、いくつか、インドネシア出張がらみの仕事が今年後半に入ってきていますが、それ以外の通常の仕事も始めていきます。

内容については、以下のリンク「会員制フォーラム及びサービス料金のお知らせ」をご覧ください。

 会員制フォーラム及びサービス料金のお知らせ

まず、企業、団体、学校向けのコンサルティング、講演・講師、研修などをお引き受けします。インドネシアに関するものだけでなく、コミュニティや組織などへ外部者が入って活動していく際のコミュニケーションのしかたや問題発見・解決の手法も教授いたします。

私のやり方は、一言で言えば、「教えないコンサルティング」です。

外部者としての私が教えるのではなく、そこにいるコミュニティや組織の方々が自分で気づき、自分で行動し始めるように促すコンサルティングを行います。この手法は、インドネシアで村人や組織に助言・アドバイスを行う実践のなかで、身につけたものです。それを様々な分野で適用し、また、「教えないコンサルティング」のできる人材を育てていきたいと思っています。

次に、日本の地方自治体・企業・団体とインドネシアの地方政府・企業・団体とをつなげて、意味のある連携事業を行えるように促していきたいと考えています。

日本側がインドネシアと関わりたいと思っても、インドネシアのどこと関わったらよいのかわからない、というケースは多いと思います。逆に、インドネシア側でも、日本と関わりたいが、どの地方自治体・企業・団体とコンタクトしたらいいか分からない、という話をよく聞きます。在日インドネシア大使館には、日本のどこかと姉妹都市提携をしたいという問い合わせがたくさんあるそうですが、大使館側はどこを推薦していいか困っている、ということです。

こうした日本側とインドネシア側に対して、どのような連携を目指しているのか、そこから何を生み出したいのかをしっかり聞いたうえで、双方にとって有意義なマッチングを果たせるお手伝いをしたいのです。

そして最後に、7月から、有料会員制のウェブマガジン「よりどりインドネシア」を月2回発刊します。

日本ではあまり知られていない、いくつものインドネシア、様々なインドネシアについての情報を提供していきます。とりわけ、ジャワ・バリ以外のインドネシアの地域や人々の生活に関わるような、広く深い情報を、独自の視点で切り取りながら解説します。もちろん、ときにはセンシティブな内容も含んだ、ビジネスに関わる政治経済分析も行なっていきます。

ウェブマガジンを購読いただいた方は会員となり、読者コミュニティの一員として、情報交換や意見交換に加わっていただき、会員フォーラムとしていきます。また、私に対するメール相談も回数無制限でお受けいたします。

上記に関する詳しい内容は、以下のサイトをご覧ください。コンサルティング等のご依頼やお問い合わせは、メールにて、お気軽にお寄せください。お待ちしています。

 会員制フォーラム及びサービス料金のお知らせ

 メールアドレス:matsui@matsui-glocal.com

<予告>7月10〜14日、ジャカルタ出張

6月は断食月ということもあり、インドネシアへの出張はなく、日本で過ごしています。自宅のある東京と事務所のある福島とを頻繁に往復していて、今週も、明日明後日は福島です。これで、6月は3往復目です。

そして、ちょっと早いのですが、断食明け後の7月10〜14日、久々にインドネシアへ出張します。今回は、近畿経済産業局および公益財団法人地球環境センターの仕事で、全日程をジャカルタで過ごします。14日夜便で東京へ戻ります(東京着は15日朝)

この仕事を含め、今年度、上記2機関による「平成29年度地域中核企業創出・支援事業(環境・エネルギー分野における地域中核企業の海外販路開拓のための支援ネットワーク高度化及び中国・ASEAN市場獲得を目指した環境・エネルギー関連機器・サービスの現地実証の推進及び販路拡大支援事業)」での、インドネシアに関するコーディネーター役を務めることになります。

今回の出張中、7月12日(水)18時からの「ネットワーキングカフェinジャカルタ」で、私も講演させていただく予定です。このネットワーキングカフェでは、環境・省エネ技術関連企業との交流のため、現地日系企業・関係機関、現地進出予定企業等へ出席を呼びかけています。場所は、Atlet Century Park Hotel、私の講演は無料ですが、19時からの企業交流会は会費制(50万ルピア程度)となります。

最近は、ジャカルタ以外の地方への出張のほうが多い傾向がありますので、私にとっても久々のジャカルタでの仕事です。ジャカルタ在住の皆さんとお会いできるのを楽しみにしております。

なお、今後、8月、9月、10月、12月にもインドネシアへ出張が入る予定です。福島、東京、インドネシアと動き回ることになりそうです。

もう少しゆるい感じでブログを書いていきます

昨日6月15日は、福島市を訪ねてきた友人との楽しい夜の語らいの末、酔いも相当に回り、実家へ帰宅してそのまま夢の国へ向かってしまいました。気が付いたのが夜中の3時、部屋の電気はまだ煌々と点いておりました。

1月に毎日更新を宣言して以来、執筆の失念は2度目となりました。書きたいことは色々あるのですが、毎日更新により、日によっては内容が手薄になってしまう傾向を認めざるを得ません。書くための良いネタのない日もあります。

加えて、6月からは、Glocal from Fukushima という表題で、英語とインドネシアを交互に書く、福島を発信するブログも始めました。さらに、有料会員制のインドネシア情報ウェブマガジン+会員フォーラムも準備しています。

というわけで、この「ぐろーかる日記」は、毎日更新を目標としつつも、時々は穴の開くような、もう少しゆるい感じで書いていきたいと思います。

ときには、更新のない日や短い記事のこともあるかと思いますが、若干なりとも、読者の皆様の温かい寛容を(勝手に)お願いしたい次第です。

仕事用パソコンはやはりウィンドウズなのか

以前のブログで、手元のMacBook Airでは法人銀行口座のインターネットバンキングにアクセスできない、ということを書きました。ブートキャンプを使って、MacBook Air1台でMacとWindowsを切り替えて使うことも考えましたが、今一つ非力なのです。

そこで、29,800円という破格に安いASUSのWindowsノートパソコンを買ったのですが、これが実用に耐えるほどには処理が早くなく、イライラしてしまいそうで、購入を失敗したと後悔してしまいました。たまたま、妻のパソコンが動かなくなってしまい、これ幸いとASUSを譲ったのでした。
というわけで、この際、仕事用のノートパソコンはWindowsに戻そう、と決めました。軽めでCPUの処理能力が高く、イライラするようなことがないもの、予算は10万円前後、ということで、今回購入したのが、Thinkpad X260です。

最新のもっと軽いThinkpad X1 Carbonにしようかとも思ったのですが、X260は後継のX270が発売されて型落ちとなり、価格が大きく下落していました。
CPUはCore i7、ハードディスクはSSDの192GB、有線LAN端子、SDスロット、3つのUSB端子があり、しかも、インターネット直販の米沢生産モデル、余計なソフトもほとんど付いていない、という形で、価格が消費税込みで10万円を少し超えるぐらいでした。
実際、使ってみると、なかなか快適です。反応速度も十分早く、キーボードも定評通り、やはりThinkpadは打ちやすいです。ただし、ちょっと厚めで重いです。
そして、ソフトとしては、Microsoft Office 365 Soloを入れてみました。オンライン上からインストールするのですが、PublisherやAccessを含む、Officeのほぼすべてのソフトウェアが使えるほか、クラウド上のOne Driveが1TB、無料でSkypeもついてきます。ただし、課金は毎月または毎年の支払いで、私は年払いにしました。1ヵ月あたり1,000円程度で、ソフトウェアは常に最新の状態に更新される、ということです。
電子メールソフトが今一つなのと、6,000件以上のアドレス帳をどのように活用するかが課題ですが、Googleを介することで、何とか使えそうです。
というわけで、2008年にWindowsからMacへせっかく変えたにもかかわらず、仕事用ということで、またWindowsを使い始めてしまいました。
今日は、夕方7時前に東京を発ち、高速バスの移動で、午後11時半過ぎに福島の実家に着きました。ある程度時間に余裕があるときには、高速バスでの移動も多用していくことになりそうです。
1 2 3