福島=岐阜=東京の移動は疲れたが有意義だった

今日は、福島→岐阜→東京と移動の日でした。

福島から岐阜までは669キロあり、片道601キロ以上だと往復運賃割引(1割引)となるので、福島=岐阜間の往復乗車券を購入しました。有効期間は5日間の2倍なので、10日間、5月28日から6月6日まで有効です。6月1日からまた福島の予定なので、岐阜から戻る今日は、東京都区内で途中下車、という形にしてあります。

昨日は、福島で「風評被害」に関する勉強会に出ましたが、今日は、岐阜で、正会員になっている認定NPO法人ムラのミライの年次総会に出席してきました。

ムラのミライの年次総会に出席したのは初めてで、これまではいつも委任状で済ませていました。

今回、わざわざ岐阜まで来て総会に出席したのは、前から一度総会に出席したいと思ったこともありますが、ムラのミライの事務局メンバーでまだお会いしていない方に実際に会いたかったことと、今後の私の福島での活動との関連で、ムラのミライの活動や手法を地域づくりの現場に引きつけたい、と考えたためでした。

ムラのミライは、対話型のメタファシリテーションという手法を広める活動をしています(オンライン・コーチングオンライン・レッスン自主学習ブログもあります。興味のある方はぜひ、トライしてみてください)。

ただ、その手法を学ぶ前に、日本の地域づくりの現場の現実を理解し、手法を云々する前の状況把握をする必要があると思います。私自身は、それを実際に福島で試みてみたいと考えています。

その意味で、今回、ムラのミライの本拠地であった飛騨高山に根付いて、地域づくりの活動を地道に続けてきた、創設メンバーのYTさんとお会いでき、しかも、1対1で色々とゆっくりお話できたのはとてもラッキーでした。そして、YTさんも、コミュニティの直面する課題には、ユニバーサルな共通性があるという認識を持っていらっしゃることもわかり、個人的にはとても勇気づけられました。

行きの新幹線の中で、今、話題になっている、Facebook創始者ザッカーバーグ氏のハーバード大学卒業式でのスピーチをネットでじっくり聴いたのですが、そこでも、ローカル・レベルでのコミュニティ再生からの出発、誰もが目的を持てる世界の構築、世界レベルで繋がって課題を解決していく、といった内容が、これから自分がやりたいと思っている活動やYTさんの考えとも関わる面がかなりあると改めて思いました。

それにしても、今日の移動は、やはり体にこたえました。明日から3日間は東京です。

高校時代の友人と38年ぶりに再会

今夜は、高校時代の部活の仲間3人と一緒に飲みました。彼らと会うのは高校を卒業して以来、実に38年ぶり。3人のうちの1人は、小学校、中学校、高校と一緒の友人です。

我々は高校時代、福島県立福島高校の男声合唱団に属していました。高校時代の話はもちろん、当時の友人たちや恩師の消息についても色々と情報交換しました。けっこう、たくさんの友人たちが東京周辺にいるようでした。

彼ら自身は、時々、年に数回、高校時代の友人たちと会っているようでしたが、海外へ行っていることの多い私とはほとんど接点がありませんでした。あるとき、友人のアカウントをフェイスブックで見つけ、連絡を取るようになって、今回のような、38年ぶりの再会となったのでした。

不思議な気分です。いったん会うと、38年の年月があっという間に消え、昔の自分に戻っていました。お互いに名前を呼び捨てにできる、高校時代の仲間との出会いというのは、やはり何ものにも代えがたいように感じました。

草間彌生展へようやく行けました

今日は、午前中にアポイントメントが1本あった後、夕方から、妻と一緒に、国立新美術館で草間彌生展を観てきました。

明日からインドネシアで、帰国したときにはもう終わってしまっているので、どうしても今日を外したら観に行けないという状況でした。でも、年齢のせいか、昨日の福島日帰りの後遺症なのか、今日は疲れからか、ちょっと体がきつく感じたので、草間彌生展へ出掛ける前に、駅で栄養ドリンクを1本飲みました。

それが聞いたかどうかはわかりませんが、草間彌生展を観ている間、なぜか軽い興奮状態になり、眠気も吹き飛び、しっかり観ることができました。彼女自身の声が入っている音声解説は、彼女の詩の朗読や歌も入っており、一聴の価値があります。

金曜の夜ということでしたが、混雑ぶりは予想の範囲内。それでも、夜遅くなるにつれて、人の数がむしろ増えたように感じました。

色使いや抽象的な形象から、可愛らしさや明るさを感じる人もいるかと思いますが、音声ガイドでの草間彌生自身の話では、そんなものは一切なく、彼女の頭の中に浮かんだイメージや湧いてきたものを一心不乱に制作するという、むしろ彼女自身の様々な苦しみの成果であるということがとても印象に残りました。

そして、彼女が今に至るまでに辿った様々な経験、精神的な葛藤、生と死を見る真剣な眼差しなどが背景となり、彼女の中の思いが唸りを上げながらカンバスに描かれていく、2〜3時間で一つの作品を描いていく、その集中力と瞬間技のような表現の凄みが作品から迫ってくるのでした。

おそらく、掲げられているタイトルは後付けのものでしょう。2011年を境に、作品の描き方が大きく変わった印象を受けました。戦争や平和、心の奥底からの悲しみが表出しているような作品が多くなり、同時に、閉塞感を感じさせる現代のなかで、若者たちへの期待とともに、制作活動を通じて、草間彌生が闘い続けることを高らかに宣言しているかのように感じました。

真剣に生きるとはどういうことなのか。本当に闘うとはいかにして言えるのだろうか。私自身の人生への本気度や闘争心をもう一度思い起こさせる、真剣な時間を過ごすことができて、大変満足しました。

明日5月13日から23日朝帰国まで、インドネシアへ行ってきます。17〜20日は、私の大事な仲間が大きく育んできたイベント、マカッサル国際作家フェスティバル(MIWF)に参加してきます。

法人口座開設の顛末

事業の準備として、これまで3つの銀行(T銀行、M銀行、R銀行)で法人口座の開設を進めてきました。今回は、その顛末について、少しお知らせしたいと思います。これから会社設立を考えている方の参考になれば幸いです。

まず、会社を登記した福島市に1つ開設しました。事務所から歩いて2分のところにあるT銀行の支店です。福島県ではナンバーワンの地方銀行です。

この支店は、私がお世話になっている古民家のオーナーが懇意にしており、オーナーには今回ずいぶんと助けていただきました。

口座開設の開設を申し込んだのが4月21日でした。翌週、本社住所の状況をみて、口座開設の可否を判断する、ということで、実際に事務所へ来られたのは4月26日朝でした。なんと、支店長と次長が二人でお出ましになり、びっくりしました。

事務所の様子を確認し、古民家のオーナーを交えて色々話をした後、再度、支店へ出向いて書類を整え、翌4月27日に無事法人口座を開設できました。

古民家のオーナーのおかげに加えて、次長が高校の後輩というつながり、支店長も交えて自分たちの中学・高校時代の話題で盛り上がれる、あの親近感は他ではなかなか味わえないものでしょう。

その後、先方のミスで書類の誤りを1箇所訂正するために捺印する必要が生じたのですが、担当者の指示通り、営業時間外だったので支店の裏口から中に入らせてもらいました。地域密着というのは、まさにこういうことを言うのだととても嬉しい気持ちになりました。

2つ目は、東京の自宅近くの都市銀行であるM銀行に法人口座を開設しました。4月21日にオンラインで法人口座開設を申し込み、連休を挟んで、本日5月9日に支店へ出向き、開設手続を行いました。
前もってメールで指示された書類を持参し、いくつかの表記ミスを訂正する作業などをした後、しばらく待たされましたが、「事業内容について少し詳しく教えてください」と言われたので、定款のコピーも提出してお話ししたら、あっさりと了解されました。

そして、そのまましばらく待った後、法人口座が無事に開設されました。きっと、また後日出向く必要があるのだろうと思っていたので、今日の午前中で開設できたのはちょっとびっくりでした。

なお、T銀行でもM銀行でも、法人向けのインターネットバンキングを申し込んだのですが、こちらの手続は、後日、キャッシュカードやトークン(乱数表を発生させる小さな道具)が届いてからインターネット上で手続きをする、ということで、まだしばらくお預けです。M銀行は、オンライン申込だと通帳が発行されないので、しばらく何も取引ができない状態です。

最後の3つ目は、インターネットバンキングで有名なR銀行です。4月28日に法人口座申込書類を送付しましたが、連休中のせいか、「受け取った」というメールの後に「まだ申込されていない」というメールが来るなど、ちょっと混乱しました。

そしてようやく本日(5月9日)、先方から電話があり、いくつか事業内容等について質問がありました。一つ一つ誠実に答えていたのですが、ちょっとカチンとくることがありました。

それは、事業実施状況の分かる資料(契約書など)を送ってほしい、というのです。こちらは設立してまだ1カ月弱で、銀行口座も整えている段階で、法人としての事業などまだ実施できる状況ではないのに、事業実施状況の分かる資料などはあるはずがないのです。それでも、先方は、「それがないと手続ができない」の一点張り。

R銀行は、法人口座の新規開設がしやすい銀行として、ネット上では推奨されていますが、実は、事業実施状況の資料がないと法人口座を作れないようなのです。つまり、全く初めて事業を始めるスタートアップの起業家、ビジネスは初めて、という方々は、R銀行での法人口座開設は難しいと思ったほうが良さそうです。

この点について、電話をかけてきたR銀行の担当者には何度も確認しましたが、答えは「法人口座開設はできない」でした。

初めてビジネスに挑戦される方で法人口座を開設したい方々には、ネット上の「開設しやすい」という評判や情報とは裏腹に、実はR銀行では難しい、R銀行に法人口座を作りたいならば設立後1年程度たってからのほうが良い、ということをお知らせしたいです。

私の場合は、個人事業主のときの事業での契約書1つを送ってくれれば良い、ということになりました。

でも、さらに驚いたのは、その追加資料を「ファックスで送ってほしい」と言われたことでした。店舗を持たない、インターネットバンキングのR銀行が、まさか前時代的なファックスでの送付を求めてくるとは。

R銀行にはこれまで個人口座等でずっとお世話になり、使い勝手の良さを認識してきましたが、今回のやりとりで、ちょっとガッカリな気分になりました。この銀行は、自分たちのグループで派手にEC事業を行っている一方で、新規スタートアップや初めてのビジネスを行う方々を応援してはいない、と認識しました。残念です。

R銀行へ追加資料を送ったからといって、口座開設が進むかどうかは分かりません。電話をかけてきた担当者は、1ヶ月ぐらいかかるときっぱり言いました。R銀行の法人口座が開設しやすい、というネット情報は嘘のような気がしてなりません。

というわけで、今のところ、サービスでは最もクラシックに見える福島のT銀行に一番の親近感を覚えてしまいます。また、都市銀行のM銀行にも法人口座を持てたのはありがたいです。残りのR銀行がどうなるかわかりませんが、とりあえずの法人口座開設の顛末でした。

2020年について改めて思う

今から4年近く前の2013年9月5日、私は以前のブログで、東京オリンピックへの立候補プレゼンテーションに関連して、少し書きました。よろしければ、以下のリンクをご覧になってください。

 「東京は福島から250キロ離れており、安全だ」発言

私の東京オリンピックへの感じ方は、あのときからあまり変わっていません。心から歓迎する気持ちには今でもどうしてもなれません。

その後、ロゴの剽窃疑惑やら、国立競技場の建て替え問題やら、テニス会場を巡る都市間での諍いやら、オリンピックというビッグ利権に群がるハイエナたちの様子が感じられます。

オリンピックとは直接関係なくとも、オリンピックを理由にした様々な思惑もどんどん出てきています。築地市場の移転問題も、オリンピックに間に合うように環状2号線の建設を進めたいということも事の一端だったと思います。

オリンピックが開催される2020年を新しい日本の門出の年にしたい、と勝手に思う野心的な政治家たちが正々堂々と現れ出しました。

最も驚いたのは、5月3日、日本のメディアがこぞって、安倍首相の「2020年の憲法改正を目指す」という発言を一大事としてトップで取り上げたことです。

この発言は、改憲を目指すグループの集会へのビデオレターの中でなされたもので、素直に考えれば、国民全体へ向けたものではなく、自分のお仲間の仲良しさん向けに話したものと思われます。

しかし、必然的にそれは、国民全体へ向けたものになることは明らかでしたし、その効果を狙っていたはずです。そろそろ「空気」を作ってもいい頃だ、メディアも国民も「忖度」し始める頃だろう、というタイミングでしょう。たとえそれが自民党総裁としてでも首相としてでもなく、一改憲論者の個人として話したものだったと言い訳しても、それは通らないことは明らかです。

実際、自民党の憲法改正の議論の結果として出てきた内容ではなく、今後の政治運営上の政党間連立として他政党を取り込むための便宜的な内容でした。たとえば、自民党は民主党政権時代に高校教育無償化には批判的だったのに、今回の発言では、高校教育無償化をするために憲法改正をするかのような、よく訳の分からない話になっています。

そもそも、憲法を遵守すべき首相です。その首相が、自分が総裁を務める政党内での議論を踏まえず、自分で勝手に、憲法改正を目指すことにとどまらず、そのスケジュールまで明言するというのは、明らかにやりすぎではないかと思うのです。

メディアは、共謀罪の話をチラつかせながら、何となくこれから言いたいことも言えなくなってきそうだ、という「空気」を世間に振りまき、自分の首をどんどん閉め始めて自分で苦しくなっています。何となく自分の意見を言いづらいような、誰かに監視されるという恐怖をこれから感じるようになるのか、といった不安を掻き立てています。

たくさんの、ときには国家や組織ぐるみの嘘が巧妙に組み込まれ、嘘と分かっていてもそれを受け入れざるをえない、そうしなければ国家がいつ自分を犯罪者扱いしないとも限らない、という空気。一握りの人間が自分だけを守るために嘘をつき、その嘘を守るためにさらなる嘘をつく。

東日本大震災のあと、原発事故が起こったとき、権力者や大企業はそこに住む人々に嘘をつき、守ってくれませんでした。その後、取ってつけたように、国民を守るフリをしました。あのとき本当は何があったのか、その真実を明らかにしてしまったら、今までの全てが無意味になってしまう。そう思った一握りの人間が嘘をつき、その嘘を守るためにさらなる嘘をつく。

あのときの福島が、今では日本になってしまったのでしょうか。嘘だと分かっても仕方ないと割り切って従順になることが大人になることなのでしょうか。私たちはそのように子供たちを教育していくのでしょうか。

そんな教育を受ける子どもが自分の夢を語れますか? 嘘をついてはいけないよ、と子どもに言えますか?

そのように嘘の連続ををつかれてきたということでは、沖縄も、水俣も、他の国家権力に立ち向かわなければならなかったところも同じだと思います。

2020年の東京オリンピックで日本が変わるのではありません。私たちが子供たちの夢を叶えさせてあげたい、正直で真面目に生きたものが報われるような社会にしていきたい、そういう思いが否定されない世の中。それを大人が子供の鏡となって子供に見せられる世の中を作っていく。そうした日々の積み重ねが社会をより良い方向へ変えていくはずです。

そんなのはもう無理なんだ、諦めてくれ、と子供に言いたくはありません。

ダイアローグ・イン・ザ・ダークを初体験

前々から絶対に参加したいと思っていたダイアローグ・イン・ザ・ダーク(DID)。視覚障害者のアテンダントの声を頼りに、何人かのグループで、視覚以外の全感覚を使いながら、真っ暗な暗闇空間で一緒に過ごすイベントです。

 ダイアローグ・イン・ザ・ダークのホームページ

これまで、タイミングがなかなか合わず、参加できていなかったのですが、比較的時間のあるゴールデンウィーク中の今日、お一人さまで参加できるプログラム「一期一会」に参加してきました。下の写真は、DIDの会場への入口です。

定員8名に対して、参加者は7名。全くの見ず知らずの参加者どうし、本名も名乗らず、ニックネームで呼び合い、そのニックネームもなかなか覚えられない、という状態でスタートしました。

まず、薄暗い部屋に入って、参加者は自分の使う白杖を選び、アテンダントから白杖の使い方を学びます。そして、すぐに真っ暗な空間へ入っていきます。

アテンダントの声のする方向や場所を推しはかり、自分の持つ白杖と近くにいる参加者の存在を頼りにしながら、少しずつ前へ進んでいきます。周りは真っ暗で本当に何も見えません。アテンダントの励ましの声、音や匂い、参加者の人間の体のあたたかさを感じながら、徐々に暗闇に放り出された不安が少なくなっていきます。

暗闇の中で、参加者どうしでいくつかのゲームというか遊びのようなことをやり、それが意外に盛り上がったのですが、何をやったかはここではあえて書きません。コースや季節によっても中身が色々変わるようですので、興味のある方は、ぜひ、ご自分でDIDに参加して、体験してみてください。

個人的に、DIDにはずいぶん前から興味を持っていましたし、彼らの活動やそれについて書かれた書物から様々な学びを得てきました。

そうした予備知識が前もって色々入っていたせいか、今回のDID初体験でも、私自身の人生観が変わるほどのインパクトを得たようには感じませんでした。ただ、このDIDのエッセンスをどのように自分の今後の活動に生かせるか、ということを考えていました。

私の福島市のオフィスのある敷地内には、中がほぼ真っ暗になる蔵があります。そこを使って何かできそうな予感がしています。

DIDを行うには物理的な広さや建物の構造、アテンダントの育成など、様々な条件があるでしょうから、そう簡単にどこでもやれるわけではありません。DIDのための適切な場所を探すのも簡単ではないと思われます。

でも、このDIDは一度はすべての人が体験したら良いのではないかと思いました。ささやかな時間ではあっても、日頃、人間としての自分が忘れかけていた何かをきっと思い出すことができるひとときになり、それをふとした機会に思い出すのではないかと思います。

そして、もうすでに取り組まれているのかもしれませんが、外国人留学生とかインバウンドで外国から来る観光客の方も、気軽に体験できるといいなと思いました(たとえば、東京観光ツアーの中にオプショナルとして組み入れるとか)。そんな参加者のなかから、自分たちの国でもやってみたいと思う人が出てこないとも限りません。彼らと一緒に外国語プログラムを検討してみることもできるかもしれません。たとえば、今、宗教的なものを見た目で判断しがちなインドネシアに導入できないかな、とも思いました。

DIDは進化し続けます。今年になって、高齢者をアテンダントとした対話プログラム「ダイアローグ・ウィズ・タイム」、聴覚障害者をアテンダントとした対話プログラム「ダイアローグ・イン・サイレンス」を開始しています。こちらの今後の展開も大いに注目されます。

大事なことは「ダイアローグ」です。勝ち負けを重視するディベートではなく、勝ち負けにつながりがちなディスカッション(議論)でもなく、すべての話者が互いを尊重して気づきやインスピレーションが促されるダイアローグ(対話)こそが、これから益々重要になってくると確信します。私の活動でも、このダイアローグを最重視していきます。

ともかく、今日、DIDを初めて体験できて、ようやく本当にDIDのサポーターになれたような気分です。ぜひ、皆さんもご自分で体験されて、ダイアローグの力を感じ取っていただければと思います。

爽やかな季節、皇居東御苑を初めて散歩

法人登記関連でバタバタしていた昨今ですが、今日は久々にオフの1日。気持ちのいい風を感じながら、妻と一緒にツツジの花を求めて散歩に出ました。

行先は、皇居東御苑。ずっと東京に住んでいながら、訪れたのは今回が初めてです。東京メトロ東西線の竹橋駅で降りて、北桔橋門から入り、江戸城跡の天守台へのぼりました。

天守台から見下ろすと、広い緑の広場が見渡せます。

西側の堀沿いにある富士見多聞にも行きました。多聞というのは見張り台の意味ですが、倉庫や他の目的でも使われていたそうです。御休息所前多聞という別名があります。なお、この富士見多聞は4月から新たに公開されたばかりでした(午後4時15分で閉館)。

様々な植物が植えられているだけでなく、いろんな種類の竹の植えられた竹林や、マルチの敷かれた茶園(下写真)もありました。

うっそうと生い茂るレンゲ。

そして、ツツジは本丸公園よりも二の丸公園が見事でした。

東京のど真ん中で、様々な植物を見ながら、静かにゆったりと過ごせる空間でした。サツキや菖蒲はまだこれからで、いつ来ても何かが咲いていることでしょう。

外国人の皆さんにも、気軽にジャパンを味わえる空間なのかもしれません。大手門の前では、たくさんの人々が写真を撮っていました。

明日(4/30)から火曜まで、再び福島です。

御徒町のハラール・ラーメン店

今日は、昼から面会が2件ありましたが、その後は、来日中のインドネシア人の友人に夕方からお付き合いしました。

彼は、インドネシア投資調整庁のお役人で、初めて日本に来た部下3名と一緒でした。アクアシティお台場で待ち合わせをして合流し、ハイヤーで移動。芝公園で東京タワーをバックに写真を撮った後、ハイヤーの運転手の勧めで、ハラール・ラーメンを食べに行きました。

前回、1月にインドネシア人の友人を新宿のハラール・ラーメン屋へ連れて行ったのですが、今回は、御徒町の別の店へ。アヤム屋(Ayam-YA)という名前の店でした。Ayamはインドネシア語で「鶏」の意味です。

ラーメンは、スパイシー鶏ラーメン(醤油・塩)、濃厚鶏ラーメン(醤油・塩)がメインで、並盛も大盛も値段は同じ。他に、つけ麺、ジャカルタまぜ麺、チキンオーバーライス・ニューヨーク風、などのメニューがありました。

私が頼んだのは、濃厚鶏ラーメン(醤油)の大盛り。

コクがあるのにあっさりした味わいのスープに、適度に柔らかく茹でられた麺。アツアツではなく、若干冷めた状態で出されたのですが、アツアツが苦手な(猫舌の)インドネシア人の友人たちには好評でした。

店主によると、お客さんではインドネシア人の客が多いとのこと。たしかに、我々以外に入ってきたお客さんは皆インドネシア人でした。

この店、どうやら京都の有名店「鶏そばAyam-YA」の支店のようです。場所は、御徒町の多慶屋のすぐそばです。

ハラール・ラーメンを食べた後、チョコレートを買いたいという友人たちは、多慶屋へ嬉々として突入していきました。

週末にインド映画・パキスタン映画

この週末は、妻と一緒に、土曜日にインド映画の「バーフバリ:伝説誕生」、日曜日にパキスタン映画の「娘よ」を観ました。

インド映画「バーフバリ:伝説誕生」は、先週、新宿ピカデリーで上映されていたのですが、1週間しか上映せず、15日からは、MOVIX昭島で1週間、レイトショーで上映されています。そこでやむなく、4月15日の20時半からのレイトショーで観るべく、都心から昭島まで出かけました。23時に上映終了後、急いで電車で帰りましたが、幸運なことに、終電まで遅くはなりませんでした。

映画自体は、(ちょっと稚拙ではありますが)VFXやCGを駆使して、スケールの大きさを表現しようとした、大型娯楽映画でした。あらすじも掴みやすく、勧善懲悪をきちんと描いていて、分かりやすかったです。ネタバレになるので内容は省略しますが、インド映画に必須の踊りや歌の要素はかなり少なかったです。R15+指定となっていますが、その数少ないお色気シーンよりも、戦闘の残虐なシーンがその理由となっているように感じました。

映画の最後で、続編があることが仄めかされ、エンドロールの途中でしばらく音楽がなくなって無音状態隣、このまま終わるのかと思ったら、いきなり、続編「バーフバリ:完結」の日本語字幕付き予告編が上映される、というおまけ付きでした。この続編は、2017年4月28日からインドで公開されるそうで、日本でも公開されることを期待します。

インド映画といっても、「バーフバリ:伝説誕生」はテルグ語の映画でした。テルグ語は、インドのアーンドラ・プラデーシュ州やテランガーナ州の公用語であり、約8000万人が話す言葉です。テルグ語で造られた映画は言語別インド映画の中で最多らしく、娯楽性の強いものが多いようです。

その意味で、今回の「バーフバリ:伝説誕生」は、ラージクマール・ヒラニ監督の「きっとうまくいく」「PK」の社会風刺や、サタジッド・レイ監督の深い洞察などとは全く違う、純粋に娯楽映画として楽しめるものでした。

次に、今日4月16日、岩波ホールでパキスタン映画「娘よ」を観ました。部族間対立を収めるために部族長と婚姻させられそうになる10歳の少女を、その母親が連れ出し、命がけで逃げに逃げる、というシンプルな内容です。複雑な伏線などもなく、これもわかりやすい映画でした。

母親と娘が逃げていく中で色々なことが起こるのですが、その間に様々な人が殺されたり亡くなったり、結局、結婚が破談となって部族間対立は収まるどころかもっと激しくなり、といった絶望を感じさせる面もあります。娘のあどけなさと無垢さが、彼女が大人になる頃の未来への希望を示しているように感じました。

この映画を通じて、アフィア・ナサニエル監督が女性として訴えたかったことがひしひしと感じられました。この話は実話が元になっているとのことですが、映画の中でも、女性の解放といった話が実際には相当な壁に直面せざるをえない現実をまざまざと見せつけていました。

福島市で申請した法人登記手続が4月20日に終わると、福島市での活動拠点づくりなど、予定が色々と入ってくるので、映画にせよ何にせよ、先延ばしせず、時間のあるときに済ませておく、という態度で過ごすことが肝心と思っています。

花見客のいない桜の「名所」

東京都心の桜は満開をそろそろ過ぎ、ちらほらと花が一つ二つと散り始めました。

花見といえば、酒を酌み交わし、楽しく過ごすたくさんの人々が満開の桜の下に集っています。花見の名所ともなれば、場所取りの競争も激しく、夜の会のために、朝早くから場所取りをするのが、新入社員の最初の仕事、なんていう話もありました。

花を見に行くのか、人を見に行くのか。そんな風景が花見の名所では見られます。

幸いなことに、私の東京の自宅には、古くからの桜の木があり、自宅で花見ができるのが嬉しいです。ちょっとぜいたくではありますが。

でも、自宅から歩いて数分のところの坂には、それは見事な桜並木があります。しかも、地面に敷物をひいて宴会を楽しんでいる人はいません。通りすがりの数人の人たちが、桜の木を見上げて、盛んに写真を撮っていました。

坂なので、坂の上のほうへ行くと、桜の花がすぐ近く、目の前、手の届くところに咲いています。

遠くから見てもよし、近くから見てもよし。花見客がいないので、ゆっくりのんびり、じっくり桜の花を楽しむことができる場所です。

東京の自宅や自宅近くで桜の花を楽しめるのもあと数日。そのあとには、それはそれは見事な花吹雪をこの坂で見ることができます。

そして、来週は、福島で桜の花を楽しむ予定です。

帰国、花見に間に合い、夜は用事

ジャカルタからタイガーエア+スクートというLCC乗り継ぎ、しかもシンガポール、台北経由の成田着で帰国しました。

当初、シンガポール=成田間で座席指定したのに、なぜかシンガポール=台北間と台北=成田間の座席が異なるというので、おかしいと主張したら、改めて通しのシンガポール=成田間で席を用意してくれたのですが、その席が優先降機となる前方座席だったので、今回のスクートはなかなかラッキーでした。

初めて日本に来た外国人観光客の鉄道乗り換えの手伝いなどをして、帰宅したのは午後1時過ぎ。その後、自宅でしばし、庭の桜で花見をしました。花は8分咲き程度でしょうか。4月2日に「東京の桜は満開」との報道があり、今年は東京で花見は無理かなと思ったのですが、間に合いました。

しばし、庭に机と椅子を出し、桜を愛でながら、お茶の時間を過ごせました。

桜以外の庭の花々も、咲き始めて、まさに春が来た!という感じでした。

そして、午後5時からは、都内某所で用事があるため、出かけました。インドネシア・マルク州の訪日団の一員である州政府職員の友人から「ぜひ来てほしい」と言われたためです。でも、行ってみたら、知らない日本人のビジネスマンばかりで、場違いな雰囲気でした。

会場に現れたマルク州訪日団を見てびっくり。同州政府職員の友人から紹介された訪日団の団長は、昨年2月、20年近くぶりに再会した私の友人でした。今回は、マルク州官房経済開発投資部長としての来訪でした。

会議では、ただ出席するだけと思っていたのに、ひょんなことからインドネシア語の通訳をする羽目になり、結局、最後まで通訳のお手伝いをしてしまいました。でも、その結果、当初は全く面識のなかった日本人のビジネスマンたちともお知り合いになることができました。

それはともかく、さすがに、帰宅途中の電車の中では久々に相当の疲労感を感じてしまいました。

「牯嶺街少年殺人事件」を観てきた

今日、家族3人で、エドワード・ヤン監督の台湾映画「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」を観てきました。

今回のは、マーティン・スコセッシが設立したフィルム・ファウンデーションとアメリカのクライテリオン社による4Kレストア・デジタルリマスター版での上映でした。そういえば、2月に、やはり家族3人で観たキンフー監督の「侠女」「龍門客桟」という2つの台湾映画も、4Kデジタル修復版でした。
ずーっと昔、妻と一緒に「牯嶺街少年殺人事件」を観て以来、いったい何年ぶりになるのでしょうか。ストーリーも人物もすっかり忘れてしまっていたのですが、今日、改めて観ながら、その断面・断面が少しずつ思い出されていました。
今回のは236分版、約4時間の休憩なしでした。おそらく、前回観たのは188分版だったのではないかと思います。もっと主人公に焦点が当てられ、主人公を取り巻く少年グループ間の複雑な関係は、今回のほどは細かく描かれていなかったような印象があります。
最初のほうは、顔が似ている人がいるなどして、登場人物の関係がなかなか分かりにくかったのですが、事件が起こって話が大きく展開し始めてくる頃には、だいぶはっきりしてきました。そして、改めて、前半で何気なく撮られたかのように見えたショットがふと思い起こされてきて、もう一度しっかり観ておきたかったという衝動が現れてくるのでした。

大陸から台湾へ渡ってきた外省人と彼らを迎えた土着の本省人、第二次大戦終了以降も残る日本の影、貧富格差、共産主義分子摘発キャンペーンと思しき弾圧の匂いなどが少年少女の日常にも影を落とし、描き出される社会の息苦しくもけだるく、夢やあこがれに邁進しようにもできない、突き抜けない、救いようのない鬱屈した雰囲気が全編に満ちていました。

民主化の成熟を様々な場面で見ることが多くなった今の台湾を意識すると、台湾の人々は、この映画を改めてどのような気持ちで観るのでしょうか。

でも、少年少女の淡い恋愛のなかで表現された言葉のなかに、私たちや社会の遠くない未来を暗示させるような、絶望と運命の入り混じった、救いようのないやり切れなさや鬱屈した雰囲気を感じてなりませんでした。

ネタバレになるので、詳しいストーリーは省きますが、4時間という時間を費やす価値のある映画だとは言えます。

この映画を観たのが「ラ・ラ・ランド」を観たすぐ後だったこともあり、二つの映画の描く世界の雰囲気が実に対照的であったことを改めて感じています。それは、現代を生きる私たちの社会において、明るい希望と真っ暗な絶望が併存しているということを、改めて明確に認識させてくれたような気がしています。

神楽坂でのホッと一息スポット

東京都内の散歩コースで好きな場所の一つが神楽坂です。

一歩中へ入ると、いくつかのクネクネした小道に、雰囲気の良い粋なお店がいい感じで存在していて、なんとも風情があります。そういえば、移転前の元職場に近かった四谷荒木町界隈も同じような風情があり、大好きな場所でした。

神楽坂でホッと一息つく私(と妻)のお気に入りのスポットの一つは、ル・ブルターニュ神楽坂店です。とくに、そば粉のガレットが大のお気に入りです。

いつ行っても、たくさんの人が並んで待っているような店なのですが、今日は珍しく、夕方、私たちが入ったときには誰も客がいませんでした。しかし、しばらくすると、次々にお客さんが入ってきて、わずか15分ぐらいの間に満席となっていました。

店員の対応はキビキビしていて親しみやすく、フランス語が飛び交う店内は、なかなか居心地が良いです。メイン通りからちょっと入ったところにあって静かな空間です。

次に今回訪れたのは、紀の善です。あんみつで有名な店ですが、お目当ては、抹茶ババロアです。クリームとつぶあんが付いていて、これらの味のバランスが絶妙なのです。

ほかにも、親子丼やうどんすきでの鳥茶屋、押し寿司の大〆、肉まんで有名な五十番、そして、コタツのある饅頭カフェのムギマル2など、神楽坂には興味深い店がいろいろあります。次回は、どこへ行きましょうか。

ガルーダマイルからスカイマイルへ

飛行機に乗るときに重宝するマイレージカードですが、私はこれまで、JALカードでワン・ワールド、ANAマイレージカードでスター・アライアンス、そしてガルーダマイルでスカイチーム、を代表させてきました。

ガルーダ・インドネシアが発行するマイレージカードは、かつてGFF(ガルーダ・フリークエント・フライヤー)と呼ばれた時代から愛用し、今は、ガルーダマイルのシルバーです。

でも、いろいろ考えて、スカイチームのマイレージカードをガルーダマイルからデルタ航空のスカイマイルへ変えることにし、今日、スカイマイルJCBテイクオフカードが届きました。変えることにした理由は、次のようなものです。

第1に、ガルーダマイルが貯めにくくなったことです。スカイチームに加盟したのと同時に、GFFがガルーダマイルへ変わり、マイルの取得条件が厳しくなりました。ディスカウント・チケットではマイルがほとんどつかなくなっただけではありません。

かつて、GFFには、ECプラス・ゴールドというステータスがあり、長い間、愛用していました。これは、お金を払って、ラウンジ利用、優先チェックイン・搭乗、預け荷物上限増量などのゴールドのステータスを買うものです。

GFFの時は年間150万ルピア(前年に一定回以上利用した場合の継続は50万ルピアのみ)払えばECプラス・ゴールドに慣れたのですが、ガルーダマイルになってからはそれが600万ルピアへ引き上げられ、しかもサービス内容は同じ、と改悪されたので、すぐに解約しました。

第2に、ガルーダマイルは期限があり、マイル利用座席数が少なく、すぐに埋まってしまうことです。ウェブ上でマイル利用の航空便の予約ができず、必ずガルーダのオフィスへ出向いて予約しなければならないので、日本を拠点としている現在では、マイル利用で座席をとるのが事実上難しいためです。

第3に、インドネシア国内で飛行機を使う場合でも、シティリンクやスリウィジャヤ航空などの格安便に乗ることが多くなったので、自腹でガルーダに乗ることが本当に少なくなったためです。やむをえず乗るとしても、大抵は割引運賃で乗るので、マイルはつかないことが多いのです。

マイルがつきにくく、マイル利用座席数が少なく、マイルに期限がある、という状況では、ガルーダマイルで貯めても、ほとんど意味がないと感じました。

インドネシアへ渡航する際、その時期に応じて格安の便で行くことにしていますが、中華航空や大韓航空など、スカイチームの航空会社を使うこともあるので、スカイチームのマイレージカードを持っていたいとは思いますが、ガルーダマイルで貯めるメリットを感じられなくなりました。

そこで、色々探した末、デルタ航空のスカイマイルJCBテイクオフカードを入手することとしました。

このカードの特徴は年会費が1500円(初年度無料)と安く、マイルの期限がないことです。もちろん、最上位のアメックス・ゴールドにすれば、スカイマイルの「ゴールド・メダリオン」というステータスを自動的に手に入れられるというのは魅力的なのですが、26,000円という年会費の高さとそれに見合うだけの利用頻度はないと考えると、スカイマイルJCBテイクオフカードで十分、という判断になりました。

今回、申し込んでからカードが手元に来るまで約10日間でした。

ガルーダマイルにはまだマイルが多少残っていますが、今後、スカイチームの航空会社便を利用する際には、スカイマイルで少しずつ貯めていきたいと思います。

六本木で見つけた一味違う散歩道

今日は午後、六本木の某所で民間企業の方と面会した後、夜の飲み会まで時間があったので、赤坂アークヒルズ付近から国立新美術館まで歩いてみました。

渋谷へ向かう大通りである六本木通りをあえて通らず、一本、中へ入った細い道を歩いていきました。首都高が通って日陰の多い六本木通りとは違って、この細い一本道には日が当たり、しかも車が通らない、歩きやすい道でした。

永昌寺の前を過ぎて妙像寺の角を右へ曲がり、少し坂を上り、突き当たりを左へ曲がって、高級マンションを見ながらすぐに右へ曲がると、檜町公園に出ます。檜町公園では、親子連れが楽しそうに過ごしていました。

檜町公園には「富士山」もありました。

檜町公園からそれとつながったミッドタウンガーデンの前を通り、ふと振り返ると、つぼみが膨らみ始めた桜の木の向こうに、東京タワーが見えました。

ミッドタウンの西側へ出て、右へ曲がってしばらく外苑東通りを歩き、乃木坂郵便局の次の角を斜めに左へ入ります。この通りは高級マンションが多く、私道なので、車輌の通行は制限されているのですが、歩くのにはちょうどいい感じの気持ちのよい道です。

でも、前を見ると行き止まり。その行き止まりの先に、歩行者と自転車のみが通れる通路があり、その脇に丸い筒状・チューブ状の道路のようなものが。

そのまま進んでいくと、眼下に大通りが見え、階段を下りていくとすぐに乃木坂駅。

さらに100メートルほど進んで、国立新美術館に着きました。ここまでで、赤坂アークヒルズ付近から20分ほどでした。
入口から入ると、木々に赤い水玉模様の布が巻かれていました。すでに、草間彌生展の世界が始まっていました。

国立新美術館の斬新な建物。私も含めて、写真を撮る人がたくさんいました。

当日入場券を求めようとする人々がずらっと並んでいて(真ん中の木の後ろが入場券売場)、ちょっと萎えましたが、並んだら意外に早く入場券を買えました。

今回観たのは、草間彌生展ではなくミュシャ展のほうです。けっこうな数の人がいましたが、「スラブ叙事詩」は大作で絵が大きいので、じっくり見ることができました。ミュシャの奥深さを感じることができる展覧会でした。

会場を歩き回ってちょっとくたびれ、急激に空腹感を覚えたので、夜に宴会があるにもかかわらず、夕方に、有楽町の慶楽で牡蠣油牛肉炒麺を食べてしまいました(吉行淳之介の定番だったとか)。ここの炒麺はいつ食べても美味いです。

お腹もちょうど良くなり、夜の宴会に出席しましたが、午後の六本木の一味違う散歩道の面白さに比べれば、刺激は少なく感じられてしまいました。幹事さん、ごめんなさい。

自宅近くのレンタルオフィス

昨日までとは打って変わって、今日は冷たい雨の降る、寒い1日でした。

そんな冷たい雨に打たれながら、いつものように、自宅近くのレンタルオフィスで、作業をしていました。管理費を除いた賃料が3万円弱、しかも個室という、とても経済的な部屋は暖房がよく効いて、セーターを脱いでも汗ばむほどでした。

この部屋を借りて間もなく2年になります。狭い自宅には物があふれ、本を読んだり、物を書いたり、集中して作業できる場所が限られているため、思い切って、レンタルオフィスを借りることにしたのでした。

でも、東京都心のレンタルオフィスは総じて賃料が高く、安いと思ってみると、個室ではなく、机や椅子を共用するタイプのものがほとんどでした。

とにかく、自宅やインドネシアから持ち帰った本の置き場がないと困るので、個室が条件。たまたま、自宅近くに新しくできたレンタルオフィスが、オープン記念価格で借りられることを発見し、借りることができました。

部屋は通常のスチール本棚が2本入るスペースがありますが、今ではもう、すでに2本では足りず、あふれています。

そろそろ契約した2年目を迎えるので、更新しようと思って、管理会社に電話し、賃料が値上げになるかどうかを聞くと、何と、これまでと同じ賃料で借りられるとの返事。本当にありがたいことです。

まだしばらく、東京では、このレンタルオフィスを使うことにします。何せ、自宅から歩いて10分もかからない距離。最寄駅からも徒歩5分程度です。

これからも複数拠点で活動したいので、こうしたレンタルオフィスの賃料コストや滞在コストをいかに抑えるかはとても重要です。とりあえず、東京はこれでOK。さて、次は福島、マカッサル、ジャカルタです。

なお、スラバヤでもこれまで部屋を借りていましたが、3月末で契約が終了するので、来週は、スラバヤへ出かけて、部屋の片付けと明け渡しをする予定です。

聞き書き甲子園イベントでの出会い

昨日と今日は、東京大学弥生講堂で開催された「聞き書き甲子園15周年記念イベント」に出席しました。聞き書き甲子園については、以下のページをご参照ください。

 聞き書き甲子園

聞き書き甲子園を簡単に説明すると、聞き書きという手法を学んだ高校生が毎年100名、夏休みに森や川や海の名人に会いに行き、名人から聞き書きをし、それをテープ起こしして文章化し、名人の一人称の文章にまとめて作品に仕上げる、という事業です。

毎年3月に、名人を招いて、その作品の発表会を行うのですが、今年は15周年ということもあり、これまでの15年の軌跡を振り返り、新たな聞き書きの可能性を展望するための記念イベントが2日間行われました。

私はかなり初期の頃からこの聞き書き甲子園に興味を持ち、事業を運営するNPO法人共存の森ネットワークの会員にもなっています。また、インドネシアでの高校生を対象とする聞き書き甲子園インドネシア版の準備段階で間接的に少しお手伝いもしました。

聞き書きの効能については、また別途、論じてみたいと思いますが、森や川や海の名人の代々受け継いできた技や心を敬い、それを次世代へ受け継ぐ関係性を改めて認識する契機となるものだと思います。ただし、聞き書きが地域おこしの特効薬になるかというと、そうではなく、地域おこしを促していくもっと底流にある何かを掘り起こす役割を果たすような気がします。

今日も、幾つかの出会いがありました。このイベントで、前々からお会いしたいと願ってきたK先生とようやくお会いできました。大学ゼミの大先輩であり、敬愛する宮本常一氏に直接師事されたK先生との出会いは個人的にとても嬉しく、至福以外の何物でもありませんでした。立ち話で色々とお話することができ、話をすればするほど、もっとゆっくりお話をうかがいたくなりました。

K先生のほか、K氏との出会いも嬉しいものでした。聞き書きやNPO活動に関する共通の友人の名前が何人か挙がり、よそ者が地域づくりに関わる際の弊害などについて話が盛り上がりました。K氏からも色々と学びたいと思いました。

昨日も今日も暖かく穏やかな1日だったので、東京大学弥生講堂まで自転車で往復しました。イベントも終わって、主催者のNPO法人共存の森ネットワークの皆さんにお礼の挨拶をして、自転車に乗って、東大前の横断歩道を自転車で渡ったとき・・・。

その横断歩道に立っていたマスクをかけた女性を目が合いました。ええ〜っ!

15年前、東京外大の非常勤で「インドネシア経済論」を教えたときの教え子でした。彼女もびっくりしていました。早速、近くの喫茶店で小一時間、色々な話をしました。フェイスブックではつながっていましたが、どうしているかなあと思っていた教え子だったので、とても懐かしく、とても嬉しいひと時を過ごせました。

今日も、素晴らしい出会いに感謝。

春の訪れをいつの日か分かち合いたい

春を感じさせる穏やかな一日でした。午後のイベントへ出掛ける前に、自宅の庭で春を見つけました。

福寿草やモクレンが咲いていました。

温かな日差しに照らされながら、花が可憐に咲いていました。

こうして、平和に春の訪れを感じることができる日常の何気ない幸せを、今日は改めて感じなければならないことになりました。

午後9時から放映されたNHKスペシャル「シリア 絶望の空の下で 閉ざされた街 最後の病院」。反アサド勢力の最後の砦とされたアレッポ東部に最後まで残った人々と、死傷者を受け入れなければならない、最後まで残った病院・クドゥス病院の、凄まじい状況を市民のカメラ映像で追った、見るのが辛くなる番組でした。

一言で言うならば、地獄。目の前で次々と人々が亡くなっていく。医師や看護士の能力を超える数の人々が運び込まれ、生存可能性の高い人々を優先せざるを得ない、助けようにも助けられない、そんな現実が次々に映し出されていきます。

アレッポを制圧するアサド政権からは反政府のレッテルを貼られた人々。でも、もはやアサド打倒のために最後まで戦うような状況にはなく、かといって、投降しても命の保証があるとは思えないほどの不信感のなか、次の瞬間での死を意識しながら生きる人々の姿には、今の瞬間瞬間を生きるしかない、究極の状況が映し出されていました。

絶望しかない世界。でも、絶望に打ちひしがれている暇すらないのでした。そして、医師や大人たちがわずかな希望を託せるのは子供たちしかなく、それが子供たちを助けようとする尋常ではないエネルギーになっているかのようでした。

何が何でも生き延びるためには、どんな酷い権力者であっても、従順で馬鹿なふりをして権力者へ尻尾を振らなければならないと思って、さっさと降伏し、投降するしかない、そういう選択をしてしまうだろうし、その選択を後世で「仕方なかった」と納得しながら生きていくしかない、という面はあるかもしれません。

安全で安心して暮らせる状態にある後世の人々が、そうした行為を批判し、愚弄したとしても、そうして自分を偽ってでも生き延びた人々は、それを甘んじて受けざるをえないでしょう。きっと、日本もまた、そうして生きてきた人々が少なくなかったはずです。

アレッポのクドゥス病院の人々は、たとえ反アサドの活動家でなかったとしても、様々な理由で、そこから脱出できなかった人々も少なくなかったかもしれません。そういう人も含めて、アサド政権から反政府のレッテルを貼られたのでしょう。

テロリストのように、他人の生きる権利を一方的に踏みにじる人でなければ、その人の生きる権利は何としてでも尊重されなければならないはずです。クドゥス病院の人々は、少なくとも人間の命をできる限り救おうと懸命だったのに、彼らを「反政府=テロリスト」と一方的に決めつけて爆撃するのは、主義主張やイデオロギーを超えて、犯罪以外の何物でもない、ということは明確にしておかなければならないでしょう。

そのような状況を、国際社会は見て見ぬ振りをしてきたことを、彼らは糾弾しています。私もその国際社会の一部であり、個人として深く反省しなければなりません。しかしながら、国際社会がその現実を見たとして、祈る以外に、何が一体できたのか、という気持ちもあります。それでも、それを見てしまった者は、少なくともその情報を広めるなど、何かをしなければならなかったのでしょう。

このNHKスペシャルを観た後では、庭の福寿草やモクレンに春の訪れを感じていた自分の呑気さをちょっと後ろめたく感じてしまいます。

でも、そう感じられる自分の今の瞬間瞬間に感謝しつつ、不躾かもしれませんが、アレッポの人々と春の訪れをいつの日か分かち合いたい、という気持ちが不意に湧き上がってきました。きっと、それがあって始めて、自分が何かをしていけるのではないかと感じます。実際に何ができるのかはまだわからないのですが・・・。

帰国した夜の素敵な出会い

帰国した3月14日の夜、友人の紹介でとても素敵なご夫妻と新宿でお会いし、4人で美味しいタイ料理を食べました。

このご夫妻は建築家で、友人は、このご夫妻が中心になって催している街歩きの会で親しくなったということです。建築家の目から見ると、東京の街がどのように見えるのか、個人的にはとても興味があるので、そのうち、私も会に参加していたいと思います。
このご夫妻と色々な話をしました。私は、彼らが家を建てる技巧的な面を強調する、家を建てるまでが仕事と割り切るタイプの建築家かもしれないと警戒していました。依頼主の希望にそうというそぶりを見せつつも、結局は自分の好きなように建て、かなりの報酬を要求するタイプではないか、と勝手に妄想していました。
実際、ハウスメーカーが家を建てるのと、建築家が建てるのとの差がどこにあるのか、本当の部分はよく分かっていないのです。でも、このご夫妻とお話ししているうちに、なんとなくわかってきたような気がしました。
話をしているうちに、ご夫妻も私をかなり警戒されていたことに気づきました。最近の客は、コストの話ばかりで、できるだけ安くアパートを建てて、どれだけ効率的に儲けられるか、そんなことばかりを気にするタイプが多いからだそうです。
依頼主と建築家が同じ方向を向いていれば、互いに信頼することができ、利益や儲けの話を超えた部分で共感しあえる、そんな風に思いました。
私が口にした「街並が崩れていく」という言葉にお二人は強く反応し、私はお二人が言った「そこに住まう人の生活やこれまでの営みを大切にするため、依頼主の内面に深く入っていかなければならない」という言葉にうなづきました。
全く違う分野どうしなので、こんな機会でもなければ、おそらく互いに会うこともないでしょう。でも、友人のおかげで、本当に素敵な出会いの夜となりました。私自身も、そんなつなぎ役をもっともっと果たしていきたいと思いました。
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