大阪商工会議所で講演(2017年12月19日)

2017年12月19日、大阪を訪問し、大阪商工会議所主催の「インドネシア 水・環境ビジネス参入セミナー」に講演者として参加しました。「インドネシアにおける経済発展と環境ビジネスの展開」と題して講演し、他の参加者と活発な議論や意見交換を行いました。

http://www.osaka.cci.or.jp/event/seminar/201711/D22171219012.html

 

Pembicara di Seminar KADIN Osaka (19 Des 2017)

Pada tanggal 19 Desember 2017, saya mengunjungi Osaka untuk ikut serta Seminar tentang Bisnis Air dan Lingkungan Hidup di Indonesia, sebagai salah satu pembicara.

Acara ini diselenggarakan oleh KADIN Osaka. Judul ceramah saya adalah “Pengembangan Ekonomi dan Prospek Bisnis Lingkungan Hidup di Indonesia”. Saya menikmati diskusi dan pertukaran informasi dengan para peserta yang sangat aktif.

Indonesia Seminar in Osaka (19 Dec 2017)

In 19 December 2017, I visited Osaka to participate the Seminar of Water and Environmental Business in Indonesia, held by Osaka Chamber of Commerce and Industry as a speaker. My speech title was “Economic Development and Prospect of Environmental Business in Indonesia”. I appreciated the good discussion and exchange of information with very active participants.

国境を越えて人々が学び合える時代が来ている

12月15日まで福島市にいましたが、とにかく寒くて寒くて、部屋の暖房が電気ストーブ1台ということもあり、書きものをしていると手がかじかんできて、体にこたえました。

東京へ戻ってくると、もう、福島よりはずいぶんと暖かく、こんなに違うものだと改めて感じいるのでした。

それでも、12月15日には、前々からお会いしたいと思っていた方とゆっくりお話しすることができ、とても有益な時間を過ごすことができました。そして、自分が目指そうとしていることは、まだほとんど手つかずの活動だということを確認できました。その辺の話は今後、追い追いしていくことにします。じっくりと始めていきます。

12月16日は、「学びあいが生み出す農家の未来」というシンポジウムに出席しました。トヨタ財団の助成を受けて、フィリピン、東ティモール、ラオスの農民たちが3カ国間を相互に訪問し、3者間で技術交換や学びあいの交流を行う事業の報告会でした。

この事業では、日本側は三者をつなげるための黒子に徹し、三者間の学びあいを深めていくプロセスを促す役目を果たします。彼らの交流のなかで、予期せぬ展開が続出し、そこからまた新たな学びあいが起こる、そんなワクワクするような事業に見えました。

たまたま、三者の農民はコーヒー栽培という点で話題の共通項がありましたが、コーヒーの栽培技術はもちろん、それ以外の農業における地域資源の生かし方など、同じ農民どうしで互いの学びが錬成されていきました。

支援ではなく交流、というのがこの事業の目的ですが、助成を受けている以上、何らかの成果を示す必要があります。通常の支援事業では、計画フレームが最初に作られ、それがいつまでにどれだけ達成できたかがチェックされ、費用対効果も重視されるでしょう。当初の筋書きにないものは、あまり歓迎されない傾向もあります。事業の実施前と実施後との比較で、どれだけ成果があったかを点と点で比べることになります。

交流も、もちろん、実施前と実施後との比較は可能ですが、何を成果とするかは難しいものがあります。学びあった後、そこで得た知識や技術がどう生かされたか、を測定するにはかなりの時間を要します。それよりも、学びあいのプロセス自体に農民たちは意義を感じているように見えました。何よりも、彼らが出会わなければ学びあいは起こらないし、出会っても適切な促しがなければ学びあいにはならないのです。

交流は長いプロセスを経て自ずと自分たちが変わっていくものでしょう。そうした変化の永続的なプロセスが交流の肝と言ってもいいかもしれません。成果を見せるためには、そうした長い永続的なプロセスの中で細かく小さな目標を設定して、それを少しずつ達成し続けていくことになるでしょう。

今や、こうしたフツーの人々が国境を越えて学び合える時代が来ている、という感を強くします。もちろん、それには、通訳者などの献身的な協力なしにはなしえないものでしょう。それでも、従来のような、進んだ国から遅れた国が学ぶという垂直的な「支援」「援助」だけでなく、同じ立場の人々が似たような立場の人々との関係を基本とする水平的な「交流」「学びあい」もまた大いに意味を持つものと認識されていると考えます。

そうした学びあいを日本が促すことに意味があると思う一方で、別に日本だけが促す必要もないとも思います。おそらくきっと、世界中には、同じような学びあいを促そうと動いている人々がいます。公的資金を活用するものもあれば、民間資金や寄付金を活用するものもあるでしょうが、そうした人々を探し出して、ビジョンを共有し、互いの活動を認識しながら、ファシリテーターどうしが緩やかに繋がっていくことで、様々な学びあいのネットワークが自発的に広がっていく、というイメージがあります。

私は、まずは一人で、やれるところから、そうした学びあいの促しを試みていきたいと考えています。ローカルからローカルをつなげ、単なる技術交換に留まらない、ローカルとローカルの学びあいにまで広がっていけたら、と思います。

そして、少しずつ、世界中を視野に、同じような志を持つ同志を探し出す旅、同志を増やしていく旅に出たいと思います。もしかすると、このブログを読んでくださっているあなたが、私の同志になるかもしれません。

16日の「学びあいが生み出す農家の未来」というシンポジウムは、その意味で、同志は確実にいる、学びあいは社会を変えていく、という確信をより一層強く感じた機会となりました。

シンポジウムの懇親会に少しだけ顔を出し、最近一緒に出かけることが少なかった妻と一緒に、しばし、丸の内など、冬の夜のイルミネーションを歩きました。

明日(12月19日)は、大阪へ日帰り出張します。

40年前までの福島市民が今また戻ってきた訳

今週は金曜日まで福島市です。おこもりでしていた原稿執筆が、終わってはいないけれども、今日でようやく目途がついたので、少し気持ちに余裕ができました。

福島市で法人登記してから、ちょうど今日で8ヵ月が経ちました。法人登記したのは4月11日、東日本大震災の月命日にあたります。本当は3月11日に登記したかったのだけれど、今年は土曜日だったので、無理でした。

あの震災がなかったら、自分は故郷の福島市に活動拠点をかまえようとは、きっと思わなかったでしょう。

震災の前年に亡くなった父が、私がまだ福島市で中学・高校に通っていたころによく言っていた言葉を思い出します。

父は、「福島に居るな。外に出ろ。できれば、日本の外へ出ろ」と何度も言いました。「世界のどこにいても、元気にしているならそれでよい」とも言いました。

私は、父のように、地元・福島で学校の先生になりたいと思っていました。何かを教えることが好きだったし、たくさんの教え子に囲まれる人生が素敵に見えたものです。でも、父は、私が自分と同じ職業に就くことを望んでいませんでした。そして、大人になってから、その理由がはっきりと分かりました。

父が満足していたかどうかは別として、高校を卒業した後、東京で一浪して東京の大学に入り、縁あって就職した職場では、インドネシアと付き合うことになりました。

そして、頻繁に日本とインドネシアを行き来し、ときにはインドネシアに長期滞在し、30年以上経った今でも、インドネシアとの付き合いは切れるどころか、ますます深みにはまっていく感じがするほどです。

福島がどんどん遠くなっていきました。インドネシアがどんどん近づいてきました。

一身上の都合で23年お世話になった職場を離れ、今度は一人で挑戦しようと動き始めてほどなく、父が亡くなり、震災が起こりました。

震災後の様々な社会の動揺や変化を見ながら、自分の人生にとって何か大きなパラダイム転換が起きたように感じました。豊かになることが幸せなのか。他人に勝つことが人生の目的なのか。生きるって何なのか。依存するって何なのか。自立って何なのか。

震災後の福島が、世の中の様々なものに翻弄され、ときには差別され、排除され、無視され、ズタズタにされていく様子を見ていました。ただただ、それに対して無力な自分を攻め続け、自分で自分を罵倒していました。

個人としては原発には反対だけれども、原発に長年真面目に関わってきた高校・大学時代の友人たちや、原発のおかげで幸せな生活が送れるようになった人たちのことを思いました。白黒なんて簡単に線は引けない。きれいな結論を出せなくなりました。

自分が今できることは何なのだろう。福島から出ていった自分は、福島にとってはよそ者です。でも完全なよそ者ではなく、出戻りです。そうした出戻りが、これまでの日本の地域づくりのなかで重要な役割を果たした事例をたくさん学んではきましたが、では、自分はどうなのか。

まずは、自分の立ち位置を定めること。福島市に法人登記したからといって、福島市から一歩も外に出てはいけないわけではないし、日本中、いや世界中、どこで活動してもかまわない訳です。でも、その出発点を福島市に定めた、という意味を法人登記に込めたいと思いました。

福島市を出発点として、福島市はもちろんのこと、日本中、世界中の必要とされている場所で活動し、その成果のエッセンスを何らかの形で福島へ返していく。逆に、福島での活動の成果やエッセンスを外の世界へ流していく。

そんな、福島と外とを行き来しつつ、福島と外の世界をつなげたり、外からヒトやモノやコトを福島へ取り込んだりしながら、その過程で新しい何かが生まれる触媒の役割を果たす。それが、今考える、自分なりの立ち位置ではないか、と思っています。

これをやるんだ、というものをギラギラさせているわけではありません。今の福島市にとって必要なモノやコトは何か、といつも考えています。もちろん、やりたいと思っていることは色々あります。

でも、すでにいろんな方がいろんなことをされていて、まずはそれを学ぶことから始めているつもりです。じっくりと、慌てずに、しかし本物の活動をしたり、促したりしていけるように、研鑚を積んでいきたいと思っています。

40年前まで福島市民だった自分の、根っこの部分とよそ者の部分のハイブリッドで、自分が一体何をしていけるか。動いていきます。

昔から、大好きな福島のリンゴを毎日、実家で食べられる幸せ・・・

ただ今、東京でおこもり中です

スラバヤ出張中に体調を悪くし、帰国した12月1日はあまり具合がよくなかったので、ひたすら眠り、翌2日には、体調も回復し、正常に戻りました。

2日は、大学時代のゼミのOBの勉強会「竹内記念フォーラム」に出席しました。恩師である故竹内啓一先生(社会地理学)を偲び、教え子たちが自主的に開催しているもので、1年に2回開かれます。

毎回、OBの一人が発表、それを話題に自由討論するという形で、私もちょうど1年前、「宮本常一、地元学、メタファシリテーション:いまの私の活動を支える三本柱」と題して、発表しました。中身について興味のある方は、個別にご連絡ください。

その後、今週中に終わらせなければならない原稿作業が3本重なってしまったので、ここしばらくは、自宅からレンタルオフィスへ行って、こもって書いています。でも、量が多いためか、ちょっと遅れ気味です。

3本のうちの1本は、明後日発行予定の「よりどりインドネシア」第11号なのですが、もしかすると、1~2日、発行を遅らせるかもしれません。あらかじめ、ご容赦のほどをお願いいたします。

と、今回は、状況報告のみなのですが、最後に、ちょっとつぶやきを。

東京23区内で、オフィス、シェアオフィスあるいはコワーキングスペースが欲しいなと思っている方はいらっしゃいますか。一緒にそんな空間を作ってみたいな、と思っていらっしゃる方はいますか。

秋ももう終わりですねぇ。

スラバヤを訪問(2017年11月26~30日)

2017年11月26〜30日、JICAによる「産官連携による東ジャワ州の中小食品加工業振興に向けた食品加工技術普及・実証事業」の一環で、スラバヤを訪問しました。

11月29日に、私から東ジャワ州産業貿易局職員に対して、「日本の地域産業振興の経験:食品加工業を中心に」と題したインドネシア語での講演を行いました。

講演について、詳しくは、個人ブログ「ぐろーかる日記」をご覧ください。

食品加工業振興に関するスラバヤ出張

Ceramah di Surabaya (29 Nov 2017)

Saya mengunjungi Surabaya, Indonesia, untuk mengikuti Proyek dukungan terhadap UKM oleh JICA dengan Kementerian Perindustrian dan Pemerintahan Provinsi Jawa Timur pada tanggal 26-30 November 2017.

Saya memberikan kuliah dengan bahasa Indonesia tentang pengalaman pembangunan industri lokal di Jepang terkait dengan industri pengolahan makanan kepada pejabat Pemprov Jawa Timur pada 29 November 2017.

Lecture in Surabaya (26-30 Nov 2017)

In 26-30 November 2017, I visited Surabaya to attend the JICA project to support Food Processing Industries in Indonesia by SME from Osaka.

In 29 November, I gave a lecture on Japan’s Experience of Local Industrial Development, focusing on Food Processing Industries, in Bahasa Indonesia, to government officials of East Java Provincial Government.

 

食品加工業振興に関するスラバヤ出張

11月26~30日、スラバヤへ出張してきました。今回は、JICAによる「東ジャワ州の中小食品加工業振興に向けた食品加工技術普及・実証事業」の一環で、日本の中小企業による食品加工技術普及・実証のお手伝いでした。

東ジャワ州は、インドネシアのなかでも、中小企業レベルでの食品加工業の一大中心地であり、州政府の開発目標においても、農林水産品加工による産業発展を重視しています。この普及・実証では、とくに油を使用しない食品加工機械の技術普及に焦点が当てられています。

ご承知の通り、インドネシアでは、食品製造における油の使用量が多く、とくに、スナック菓子などではほぼすべてに使われていると言っていい状態です。しかも、その油のほとんどはパーム油であり、しかも同じ油を何度も使うことが一般的です。このため、油の摂取量が必然的に多くなり、健康的な食品がなかなか出回らない状態にあります。

そこで、日本で食品加工機械を製造している中小企業が、自身の持つノンオイルでの菓子製造技術をインドネシアで普及・実証したいという熱意を持ち、1年間、本案件で機械と技術の紹介・普及活動を行ってきました。

機械が設置された東ジャワ州食品・飲料・包装工業支援所では、ワークショップもたびたび開かれ、たくさんの中小企業者が参加し、ノンオイルでの菓子製造の実際を体験することができました。なかには、トウモロコシや米などの材料を持参し、試作した参加者もいました。また、東ジャワ州内だけでなく、他州からも視察者が相次ぎました(今回の滞在中に、南カリマンタン州商工局から視察団が来ていました)。

こうしたなかでの、私の役目は、東ジャワ州商工局職員に対して、11月29日の午前中、食品加工業との関連で日本の地域産業振興の事例を紹介する、インドネシア語での講義を行うことでした。

食品加工業の振興に当たっては、原材料を供給する農林水産業や、製品を販売する商業・マーケティングとの関係を常に意識することが重要であるというメッセージを伝えるために、日本の地域振興の歴史、地域おこしの事例、農商工連携の事例、6次産業化の事例などを紹介しました。

食品加工機械の導入や施設の整備に関して、日本では様々な政府からの補助金や助成制度があることを紹介したうえで、参加者には、インドネシアでの現状についても議論してもらいました。

制度上は、一定の審査を経たうえで、中小企業が購入した機械・機器に関して、国内産機械価格の30%、輸入機械価格の25%を補填するという制度が工業省にあるのですが、その予算総額が2017年度はわずか110億ルピア(約1億円)程度しかないということで、活用するのがなかなか難しい現状があります。

この手の案件で日本の技術や機械を紹介しても、結局、コストがかかるという理由で、案件終了後、次の展開へ向かわずに技術や機械が放置される、という話をよく聞くので、そのような話をあえてしたのです。

東ジャワ州商工局は、幸いにも、今回の技術や機械を何とかして活用したいという意欲を強く持ち、モチベーションも高い様子でした。日本側も、引き続き、価格低下への努力を続けると言明し、インドネシア側も、機械・機器の購入を促す政策的措置を検討していくことを相互に確認できました。

今回は珍しく、滞在中に体調を悪くしてしまい、万全の状態での講演とならなかったのですが、他のチームメンバーの皆様の助けを受けて、何とか用務を果たすことができました。

それにしても、食品加工業振興の議論をしながら、「インドネシアでは、まだ機械をどう使うかのレベルにとどまっている」ことを痛感しました。本当に食品加工業を振興させたいのなら、食品加工機械を製造する工業をどう作っていくかを考える必要があるからです。

日本の食品加工機械メーカーは、大企業だけでなく、中小企業が有力な担い手となってきました。今のインドネシアは日本の1970年代に似ていると思われますが、その頃の日本には、数多くの中小食品加工メーカーが存在し、日本の食品加工業を支えていました。

今のインドネシアにも、食品加工機械メーカーは存在しているといいますが、機械ユーザーのニーズに合わせて、オーダーメイドで機械を造れるメーカーはほとんどありません。そんな企業が増えていったら、インドネシアの食品加工業は自ずと発展していけるようになるのではないか。もしかしたら、たとえば、同じ東南アジアのタイは、もうそのレベルに来ているのかもしれません。

2017年のインドネシア出張は今回で最後になると思います。次回のインドネシア出張は、2018年1月末に、別の案件でジャカルタ1週間の予定です。

映画「おだやかな革命」の試写会に行った

ダメもとで応募したら、映画「おだやかな革命」の試写会に当たったので、11月21日に東京・銀座で観てきました。

この映画は、来年2月、ポレポレ東中野を皮切りに、全国での上映が予定されています。それに先駆けて、今回、観ることができました。

内容は、全国各地で起こり始めた、地域がエネルギー主権を取り戻すというお話ですが、単なるご当地エネルギーの話にとどまらず、それが地域のなかで引き起こす様々な新しい動きが、地域をより温かく、楽しくしていく、関わる人々の間に様々な学びと他者への尊敬を生み出していく、その様子を丁寧に描いたものでした。

取り上げられた事例自体は、日本の地域づくりに関わる人にはよく知られた事例かもしれません。でも、取り上げられた4つの事例を通じて流れるのは、未来へ向けての根本的なパラダイム転換であり、それを「おだやかな革命」と評しているように思えました。

この「革命」は、単におだやかであるだけでなく、私たち自身が未来に対して主体的に関わっていくことを促しているものです。為政者が声高に語る空虚な「革命」と対峙する愚をとらず、確実に、地に足をつけて、しっかりと広がり始めた「革命」です。

それは、雲のうえにあるかのような国家と、日々の暮らしに立脚したローカルとでは、観ている地平が違うということでもあります。富や名声ではなく、他と比べて優越を競うのでもなく、自分たちの暮らしとその基盤となる地域やコミュニティを温かく、楽しく、希望を感じる場所へと作り上げていく、あるいはもう一度そんな場所を取り戻そうとしていく日々の営みこそが、「おだやかな革命」とでもいうものであるような気がします。

この映画を作った渡辺智史監督と少しお話しする機会がありましたが、鶴岡市という地方に立脚しているからこそ、描けている部分もあると感じました。そして、渡辺監督自身もまた、「おだやかな革命」を遂行している一人であることを自覚しているはずです。

私も、そしてあなたも、自分自身を暮らしの中に取り戻そうと動いている人々は、「おだやかな革命」の遂行者なのだと思います。

映画を通じて、大丈夫、私たちはまだ大丈夫、そう信じていいのだ、というメッセージも受け止めました。

ぜひ、一人でも多くの方々にこの映画を観てほしいと思います。そして、私たちもまた、「おだやかな革命」の遂行者なのだということを意識し、おだやかにつながっていければと願うものです。

よりどりインドネシア第10号を発行

11月22日、情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア」第10号を発行しました。今回は、以下の3本です。

 ・インドネシアで寛容性の高い都市はどこか?
 ・予測不能な「インターネット大国」インドネシア(大島空良)
 ・ジャワでもありバリでもあるバニュワンギ

寛容性の高い・低いは、多様性をどれぐらい許容できるかという指標ですが、ここでは主に、異なる宗教を受け入れる程度で計っているようです。インドネシアは「多様性の中の統一」を国是としていて、異なる様々な人々の存在を受け入れることを当然としていますが、近年、マジョリティであるイスラム教の政治利用や、スンニ派によるシーア派やアフマディアに対する迫害などが問題視されてきました。インドネシアで寛容性の高い都市、低い都市はどこなのでしょうか。2015年に続いて今回、そのランキングが公表されています。

人口2.5億人のインドネシアは、インターネット大国への道を歩んでいて、ネットビジネスの可能性は明るいものがあります。その実態を、とくに若者の対応を通じて見てみると、興味深い現象が見られます。そのなかには、インターネットを活用した新たな性風俗産業のやり方のような、新しい動きもあります。ジャカルタ在住の大島空良さんが、今回も興味深いレポートを書いてくれました。

ジャワ島の東端にあるバニュワンギは、ジャワの要素もバリの要素も併せ持つ、なかなかユニークな場所です。県知事が結構なやり手で、次の東ジャワ州知事選挙の副知事候補にもなっていますが、全国的にも注目される場所になっています。イベントを通じたバニュワンギの対外的な売り込みにも熱心で、年間イベントカレンダーを用意し、毎月のように何らかのフェスティバルを行っています。なかには、ケボケボアンと呼ばれる奇祭もあります。そんなバニュワンギを今回は紹介しています。

「よりどりインドネシア」は今回の発行で10回となりました。読者登録(会員登録)していただくと、バックナンバーもご覧いただけます。また、銀行振込による登録の場合は、毎回、PDF版をメール添付でお送りいたします。

「よりどりインドネシア」は、他の媒体では読めない、いくつものインドネシアを伝えていきます。一人でも多くの皆さんにご登録いただければ幸いです。

どうぞよろしくお願い致します。

バニュワンギの海岸からバリ島を臨む

福島のインドネシア人コミュニティとつながる

昨晩(11/18)、友人を通じて、福島のインドネシア人コミュニティとつながり、焼肉パーティーに招かれました。

今後の活動の一翼として、インドネシア人技能実習生に対する相談窓口の役割を果たしたいと考えていますが、これまで、なかなかつながる機会がありませんでした。これからの展開がとても楽しみです。

噂では、福島にも少なからぬインドネシア人技能実習生がいるようなのですが、街中で出会うことはまずないし、福島県も福島市も、むしろベトナムへの関心が高く、インドネシアのイの字も聞こえてこないような状況に見えました。

でも、福島市をはじめ、二本松市、本宮市、川俣町など、けっこうな数のインドネシア人技能実習生がおり、彼らは「コミュニタス福島」というゆるやかな組織を通じて、つながっているのでした。今回お会いした方々も、この「コミュニタス福島」のメンバーです。

彼らは、コンクリートの型枠を作って据え付ける作業をする実習生でした。受け入れてくれた会社の社長が一軒家を用意してくれて、そこに5人で住んでいました。現場は県内のあちこちにあり、けっこう広い範囲を移動しているようでした。

最初のころは、習ってきた日本語が役に立たなかったと言います。現場の言葉は福島弁、その違いになかなか慣れなかったようです。私が連発する福島弁が大受けでした。

また、初めのころはよく怒られていたそうですが、最近では「いいがら、それ、俺やっとっから」(もういいよ、それは私がやっておくよ)、と言われることが多く、怒鳴られたり怒られたりすることはあまりなくなったそうです。というか、悪くとれば、諦められてしまったのかもしれませんが。

ともかく、彼らにとって、今の社長はとてもいい人で、自分たちは恵まれていると感じているようでした。

それでも、いくつかのケースを聞くと、明らかに、それらはミス・コミュニケーションによる誤解でした。

たとえば、休日なのに働かされる、という話。「きっとそれは、得意先からの納入期限まで時間がないので休日出勤させるということで、日本人でも同じだよ」と話してあげると、彼らはみんな納得します。でも、それを、会社側から彼らにうまく説明できていないようなのです。

また、別のケースでは、実習生は一人で6台の機械を見ているのに、日本人はそれを2人で見ているのは不公平だ、という話。「きっとそれは、実習生のほうが技能的に日本人よりもできるから任せているんだよ」と話してあげると、彼らはまた納得。暗黙の裡に、日本人のほうがインドネシア人よりできるのに、と思い込んでいるのでした。今の企業に、インドネシア人をいじめている余裕などないと思います。

彼らと話をしながら、こんなミス・コミュニケーションを初期段階で一つずつ解きほぐしてあげるだけで、ずいぶんとお互いが気持ちよく活動できるはずだと確信しました。実際には、それが分からないまま、相互に不信感を募らせ、ある日突然、感情が爆発する、といったケースが少なくないと思うのです。

そうした意味で、インドネシア人技能実習生だけでなく、彼らを受け入れている企業や農家の皆さんにとっても、相談窓口にもなりたいと思っています。

このブログを読んでいる方で、関心のある方は、メールmatsui@matsui-glocal.com)または電話(090-3217-5845)、FAX(024-505-4294)にて、お気軽にご連絡ください。

NPO法人ふくしま30年プロジェクトを訪問

本日(2017年11月17日)、NPO法人ふくしま30年プロジェクトのオフィスを訪問しました。このNPO法人は, 食品・環境放射線測定、母親と子供のためのエンパワーメント活動、そして福島に関する各種交流会やセミナーを実施しています。今回は、今後の協力の可能性について話し合いました。

https://fukushima-30year-project.org/

 

Kunjungan ke NPO Fukushima 30 Year Project

Hari ini (tanggal 17 November 2017), saya mengunjungi kantor NPO Fukushima 30 Year Project di Fukushima. NPO atau LSM ini bergerak untuk pemeriksaan radioaktif di dalam makanan dan lingkungan, kegiatan pemberdayaan Ibu dan anak, serta berbagai lokakarya dan seminar tentang Fukushima. Kita membahas akan adanya kerjasama masa akan datang.

https://fukushima-30year-project.org/

 

Visit NPO Fukushima 30 Year Project

Today (17 November 2017), I visited the office of NPO Fukushima 30 Year Project in Fukushima. This NPO has been active to conduct the food and environmental radioactive measurement, empowerment activities for mother and child, and many exchange meetings and seminar on Fukushima. We discussed about our cooperation in the near future.

https://fukushima-30year-project.org/

 

福島、晩秋、オフィスと同じ敷地内にて

昨日(11/15)、福島に着きました。

秋はすっかり深まり、今日(11/16)は寒い一日でした。暖房のない冷えきったオフィスで、寒さに耐えきれず・・・。ともかく暖房対策を急がなければ。

私のオフィスのある敷地内の古民家と庭の景色も、すっかり晩秋の装い。どの季節も、この場所で見る美しさが、何とも落ち着くのです。

11月、12月。締め切り迫る原稿に向かいつつ、福島から自分が始めるモノやコトをじっくり仕込み始めたいと思っています。

佐伯のお昼はゴマだしうどんで完璧

佐伯で忘れてはいけない名物と言えば、それはゴマだしうどんです。11月13日、佐伯を離れる前に、市内で最も有名なゴマだしうどんの店である「味愉嬉」で味わいました。

通常のゴマだしうどんは、ゴマだしをうどんにたっぷり入れて食べる、というシンプルなもの。でも今回、マスターから提案されたのは、ちょっと変わった食べ方でした。

まず、お猪口のなかにゴマだしを入れ、それにうどんの汁を少し加えて溶かし、それにうどんをつけてまず食べる。うどんを食べたら、お猪口にカボスを搾り、ちょっとかき混ぜてから、うどんを入れて食べる。次には、それに柚子胡椒を加えて、うどんを入れて食べる。最後に、お猪口に豆乳を加えて、それにうどんを入れて食べる。という感じで、1回1回の味わいがどんどん変わる楽しみ、というものを味わいました。

ところで、ゴマだしというのは、見た目からは想像できないぐらい、相当に手間ひまをかけて作ったものでした。

ゴマだしの作り方は、味愉嬉のホームページに詳しく紹介されていますが、以下にその一部をコピペしておきます。えそというのは、砂地に生息する白身魚です。

  1. えその下処理をする(うろこ取り→頭・内臓取り→二枚におろす)
  2. えそを焼く
  3. 胡麻を炒る
  4. 胡麻を擂る
  5. 焼けたえその皮・骨を取る(骨は醤油と一緒に合わせる)
  6. 醤油を火にかけて沸騰したら冷ます
  7. 擂った胡麻とえそを合わせる
  8. 7に少しずつ醤油を加える
  9. 8を鍋に移し火を通し冷ます

マスターによれば、ゴマだしの良しあしは、えその下処理を終えるときにどれだけ水分を落とせるかにかかっている、ということです。水分が残ると、どうしてもゴマだしに生臭さが残ってしまうからだそうです。

うどんを美味しくいただいたあとは、おにぎりを頼み、それにゴマだしをたっぷり載せていただきます。

うーん、完璧なお昼になりました。

佐伯のお昼と言えば、もちろん寿司が有名ですが、このゴマだしうどんもさすがの味です。そして、実はほかにも、とても美味しいユニークなカレー屋さんがあるのです。

佐伯探訪はまだまだ続きそうです。

音楽で街を魅力的に!音泉街を目指す佐伯の試みは始まったばかり

おんせん県とも自称する大分県は、超有名な別府や湯布院(由布院+湯平)をはじめ、数々の名湯を抱えており、日本国内有数の温泉の数と量を誇ります。

しかし、県内のすべての市町村に温泉があるわけではありません。今回訪問した県南端の佐伯市には温泉がありません。その佐伯が今、もう一つの「おんせん」を掘り当てたようです。

温泉がないけん、音泉を目指す! 佐伯は、音楽で街を魅力的にしようと、市民有志が活発に動き始めています。その原動力となっているのが、佐伯ミュージック・アート・クラブという、結成後わずか半年にも満たない団体です。

この団体の催し物に参加した時の記事を、以前、このブログにも書きました。参考までにリンクを貼っておきます。

 音楽を愛する人々に満たされた佐伯での夜

11月11日は、佐伯ミュージック・アート・クラブの今年の活動のメイン・イベントとも言える、サックス奏者マルタのコンサートが佐伯市民会館で開催されました。

マルタ・コンサートにて(吉良けんこう氏撮影)

マルタ氏にとってはもちろん始めての街です。しかも、コンサートの冒頭で「街中に誰も人影がなく、静かな街だなあという印象でした」という語りがありました。きっと、このような田舎町で、果たしていいコンサートができるのだろうか、という不安もあったかもしれません。

実際、少なからぬ観客は、「マルタって誰や?」「ジャズというものを聴いたことない」「孫と一緒に来てみた」という方々のようで、マルタ氏が不安に思ったとしても不思議ではなかったのです。

実は、私も初めてマルタのコンサートに来たのでした。

マルタ・コンサートにて(吉良けんこう氏撮影)

午後6時に開演。そして午後8時半に終演するまで、休憩は一切なし。70歳になろうというマルタの驚異的な体力と演奏力に、ただただ圧倒されました。

さらに、一緒にセッションを組んだトランペット、ドラム、ベース、アコースティックギター、ピアノ、トロンボーンの演者たちの質の高さ。

最初はちょっと探りを入れる感じだった演奏でしたが、中盤の「チュニジアの夜」あたりから演奏にノリが加速度的につき始め、最後は、演者全員がノリにノッた演奏を見せてくれました。

終演してもなかなか鳴り止まない拍手。アンコールの異様な盛り上がり。少なからぬ観客が今日初めてマルタを知ったいうことを考えただけでも、このレベルのコンサートを佐伯で聴いているということの意味の大きさを感じずにいられませんでした。

コンサート終了後、マルタのCDを買った観客にその場でサインするというサービスもあり、長蛇の列ができました。CDも予想以上に売れたようで、マルタ氏は観客との写真撮影にも気軽に応じていました。

佐伯ミュージック・アート・クラブの関係者の話では、マルタ氏はかなり満足したらしく、「生きていたら来年も来ようかな」と言ってくれたそうです。マルタ氏にとっても、佐伯でのコンサートの記憶が心のどこかに残ってくれるといいなと思いました。

今回のコンサートでは、佐伯ミュージック・アート・クラブのメンバーが、朝から晩までボランティアで懸命に運営していました。何せ初めてのことで、戸惑うことも多く、学園祭のような雰囲気でもあったのですが、無事に終わることができて何より、本当にご苦労さまでした。

そして、メンバーだけでは足りず、他の人にも手伝ってもらったのでした。例えば、開場前に一番に並んでいた延岡から来た見ず知らずの男の子に、受付でのCD売りの手伝いをしてもらい、彼は夜の片付けの最後まで残っていました。中学生たちにもCD売りの呼びこ役をしてもらっていました。そんなことが嫌味なくできる雰囲気というのも、悪くないなあと思いました。

佐伯ミュージック・アート・クラブの活動が始まってから、佐伯市内在住者や出身者で音楽に関わっている人々が次々に発掘されていきました。意外に多くの人が音楽に関わっていることが明らかになり、ジャンルもジャズ、クラシック、その他へと広がりを見せています。

音楽のいいところは、言葉はいらず、とにかくみんなが無条件に楽しくなれること、思惑や企みとは対極にあること、ではないでしょうか。そして、音楽は人を集めます。集まった人が、たとえ知らない同士でも、繋がってしまう。あの、開場一番乗りの初めて会った男の子がボランティアになってしまうように。

そんな力を感じました。

楽しくなければ、音楽ではない。楽しくなければ、まちづくりではない。

次のビッグ・イベントは、2018年3月11日、ジャズ・バイオリニストである寺井尚子のコンサートです。

音泉街を目指す佐伯の挑戦はまだ始まったばかりですが、これからも注目です。応援していきます。

「佐伯むすめ」との出会い

佐伯といえば、有名なのは寿司です。分厚いネタは、あまりに分厚いので、ネタに切り込みが入っています。もちろん、ネタは新鮮そのもの。10年以上前、初めて佐伯を訪れて食べた寿司の味を忘れることはできません。

では、寿司以外に何があるのか。と思っていたのですが、いろいろあるのです。今回出会ったもののなかで、特に良かったのは、「佐伯むすめ」との出会いでした。

佐伯むすめ? いえいえ、人間の娘さんではありません。吟醸あんという上等な餡を使ったお饅頭です。リンクは以下から。

 佐伯むすめ

地元でよく売れているのは、みそ味とチーズ味だそうですが、オリジナルともいうべき吟醸あんを使ったものは、上の写真の真ん中の「利休」です。

ひと口食べてみましたが、餡がとても美味しいのです。手作りで丁寧に作られた滑らかな餡。薄皮との相性も抜群で、やさしい甘さが静かに口のなかに広がります。

みそ味とチーズ味も食べましたが、私に饅頭という既成概念があるためか、チーズ味はちょっと別物という感じがしました。

それにしても、この饅頭のレベルはかなりいい線を行っていると思います。

佐伯に美味しい饅頭あり、その名は「佐伯むすめ」です。吟醸あんの虜になること、間違いなし、と思いました。

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