今ごろ、我が家にも来ました
本日(5/20)、とうとう全国1億2千万人の日本国民に1世帯当たり1袋2枚配られるという代物が、日本国民の端くれである我が家族にも送られてきました。
本日(5/20)、とうとう全国1億2千万人の日本国民に1世帯当たり1袋2枚配られるという代物が、日本国民の端くれである我が家族にも送られてきました。
Kepada teman-teman ex-Kenshusei dari Indonesia,
Saat ini ada WA dari teman-teman anda tentang visa Tokutei Ginou di Jepang. Saya menduga anda-anda sulit mencari kerja di Indonesia maka ada harapan mau lagi ke Jepang. Saya perlu menjelaskan tentang keadaan Jepang saat ini.
Pertama, dalam keadaan Covid-19 saat ini, ekonomi Jepang mengalami penurunan pertumbuhan. Ekonominya lesu. Banyak perusahaan menurunkan kegiatan usaha dan terpaksa PHK kepada karyawan. Banyak Kenshusei juga mengalami di-PHK-kan karena tidak ada pesanan dan kerja. Dengan demikian, saat ini sulit mencari kebutuhan pekerja Tokutei Ginou di Jepang.
購入して読み始めたのはずいぶん前だったが、ようやく本日(5/17)、小松理虔著『新復興論』を読了した。
外出自粛でテレワーク、インターネットを利用したテレビ会議が花盛りとなっていますが、私も今日(5/16)、ようやく、遅ればせながら、東京の自宅でZOOMデビューしました。
5月13日、私の友人がマカッサル市長代行としての一年の任期を終えた。最後は、マカッサル市に大規模社会的制限(PSBB)と呼ばれるセミ・ロックダウン措置を発動し、新型コロナウィルス対策の陣頭指揮を採っていた。
村を育てる学力
私は、子どもたちを、全部村にひきとめておくべきだなどと考えているのではない。
ただ私は、何とかして、学習の基盤に、この国土や社会に対する「愛」をこそ据えつけておきたいと思うのだ。みじめな村をさえも見捨てず、愛し、育て得るような、主体性をもった学力、それは「村を育てる学力」だ。そんな学力なら、進学や就職だって乗り越えられるだろうし、たとえ失敗したところで、一生をだいなしにするような生き方はしないだろうし、村におれば村で、町におれば町で、その生まれがいを発揮してくれるにちがいない、と思う。
「村を捨てる学力」ではなく「村を育てる学力」を育てたい。
「村を育てる学力」は、何よりも、まずその底に、このような「愛」の支えを持っていなければならない。それは、町を育て、国を育てる学力にもなっていくはずだ。
村を育て、町を育て、国を育てる学力は、愛と創造の学力である。それは、村に残る子どもにとっても、町で働く子どもにとっても、しあわせを築く力となり、子どもたちの、この世に生まれてきた生まれがいを発揮してくれる力になっていくのだと、私は信じている。
東京の我が家の庭には、柿の木が3本あります。1本が甘柿、1本が渋柿、1本はよく分かりません。
3月後半の桜の花が終わって、我が家の庭は今、ツツジの花が盛りを終え始めました。
新緑、といってよい若々しい緑がどんどんしげり、うっそうとし始めた柿の木。すると、妻から「ちょっと来て!」という声。
妻が指差す方向を、目を凝らしながらみると・・・
柿の葉の間に、いくつもの四角い花を見つけました。柿の花です。
これは甘柿の木。1年おきに豊作と不作を繰り返します。
今年は、もちろん豊作に違いありません。
関西に行くと、いつも楽しみにしているのが柿の葉寿司。ということで、柿の葉はおなじみでしたが、柿の花は今回初めて見ました。
皆さんは、柿の花を見たことがありますか。
毎月2回、おおよそ7日前後と22日前後に、ウェブ情報マガジン『よりどりインドネシア』を発行しています。
今日も、昼前からずっとこもって、編集作業プラス自分の原稿を書き上げて、先ほど午後10時半過ぎ、ようやっと発行しました。
第69号の内容については、以下のサイトをご覧ください。
https://yoridori-indonesia.publishers.fm/issue/4843/
2017年7月1日発行の創刊準備号(第0号)から始まり、今日まで、欠版を出すこともなく、毎月2回、発行し続けて、第69号までこぎつけました。バックナンバーの第0号から第19号までは無料全文公開しています。
バックナンバーはこちらから → https://yoridori-indonesia.publishers.fm/backnumber/
『よりどりインドネシア』を発行しているのは、様々なインドネシア、いくつものインドネシアをお伝えしたいと願っているためです。
ともすると、日本でお目にかかるインドネシアの情報は、観光地のバリ島か、ビジネス関係者の集まる首都ジャカルタかの2つに偏る傾向があります。
もちろん、そこに日本人の情報に関する需要があるので、日本のメディアの関心はバリ島とジャカルタに集中してしまうのはやむを得ないことです。
でも、インドネシアは「多様性の中の統一」の何でもありの場所。無尽蔵の様々なインドネシアが全国各地に深く広く散らばっています。
それをよりどりつまみ出して、インドネシアの多様性と深みがお伝えすることは、35年間プロとしてインドネシアと付き合い、34州中28州を歩いた自分にとってのミッションであり、喜びでもあります。
幸いにも、インドネシアで現地社会のなかで生活されている方々に執筆してもらい、日本からの出張者の目とは違う視点から見えるインドネシアをお伝えできています。
今後は、さらにインドネシアの様々な現地社会で生活されている方やされていた方に新たに執筆者と加わっていただくことや、ぎゃうに、日本で生活しているインドネシアの方々からみた日本社会の様々な出来事なども書いていただけたらなあと思っています。
海外に日本を紹介する場合でも、東京と京都しか紹介されなかったら、日本を紹介したとはいえないことでしょう。
このささやかなウェブ情報マガジンをきっかけに、日本の皆さんも、様々な、いくつものインドネシアの面白さを味わって、興味を持っていただければ、とても嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
でも、それはドラッグストアや薬局ではない。ドラッグストアや薬局では、依然として入荷していない。
レストランじゃないので、盛り付けは格好よくないのはお許しを。
ダリケーのペイフォワードの情報・購入はこちらから → https://dari-k.shop-pro.jp/?mode=f2
昨日(5/3)、いつものように夜、NHKのEテレの「日曜美術館」を観ていた。
番組で取り上げられていたのは、オラファー・エリアソン氏の「ときに川は橋となる」という名の展覧会。東京都現代美術館で開催されているはずだった。
展覧会の詳細はこちらから → https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/olafur-eliasson/
オラファー氏のアートは、どれも魅力的であるとともに、いずれにも、なぜこのようなアート表現をするのか、という彼の思想や哲学が明確に存在する。
そして、ディーテールまで計算して創りあげるというよりも、むしろ、自然の光や風が、二度と再現できないような、その瞬間瞬間の偶然の美しさが自ずと現れてくる。湧き上がってくる、といったほうがいいかもしれない。
その彼が番組の中で語っていた言葉に惹かれて、書き取っていた。
アートへのアクセスを民主化させたい
アートはプラットフォームのような場所である
社会的につながれるアートという場所で何ができるかを考えたい
アート作品を誰がどのように感じようと、それは自由であり、観ている人たちも、実はその瞬間瞬間にアート作品の一部と化している、ということか。
様々な見方や、様々な感覚や、様々な解釈がそこで出会い、そしてそれぞれがそのまま混ざり合う。そのなかの何物も否定されない。誰がどう観ても否定されない。そういった様々なものがそのまま存在する。
場としてのアート、ということか。今、様々な場をつくるということがよく言われるが、アートもまたそんな場所を作れるのだ。
アートのアクセスを民主化させたい、ということは、まだ民主化されていないということなのか。もしかすると、民主化させていないのは、アートを何か特別なものと意識している私たちなのかもしれない。そんなことに気づいた。
新型コロナウィルス感染拡大は、私たちに様々な困難を強いている。自分も含め、多くの人々が日々の生き残り策に集中し、自分以外の人々になかなか関心を向けられない状況になっているのかもしれない。
新型コロナウイルスの大流行により、世界中で4億人以上が貧困状態に陥り、貧困問題は10年前に逆戻りする恐れがある――。国連大学の研究所が先月、そんな予測を出した。報告書を書いた研究者は事態の深刻さを「まるで貧困の津波だ」と語った。
法外な料金を払い、荷台にぎゅうぎゅう詰めのまま、運よくトラックに乗れても、故郷へ向かう途中で警官の検問に出くわし、首都デリーへ強制的に戻らされる。避難所に収容されればラッキーなのだが、故郷へは戻れぬまま。ロックダウンのなかでどうやって生きていくのか。
京都のチョコレート製造販売会社、ダリケー。インドネシア・スラウェシ島産のカカオを使ったチョコレートや、非食品を含む様々なカカオ製品を製造・販売しています。
おそらく、インドネシア産のカカオを使ったチョコレートを日本で製造販売しているのは、ダリケーともう1社ぐらいでしょうか。
スラウェシということで、私も、ダリケーのアドバイザーとして、お手伝いをしてきています。毎年恒例の、スラウェシのカカオ農家を訪問するツアーの引率をずっと務めています。
ダリケーについての詳しい話は、同社のホームページ(https://www.dari-k.com/)をご覧ください。
そのダリケーが今、ペイフォワードという取り組みを始めています。
新型コロナウィルスの影響で、他者と同様、ダリケーも多くの在庫を抱えることになりました。そのままでは、スラウェシのカカオ農家からの買付を続けられなくなってしまうかもしれません。でも、そもそもダリケーは、国際価格に翻弄されるカカオ農家に寄り添うことを目的に事業を始めた経緯があります。
新型コロナウィルスに翻弄される今、ダリケーは社会に対して何をなすべきなのか。ダリケーも含めて、関わる人々がウィン=ウィンを共有できるような仕組みとは何か。
考えに考えた末に、出した結論が、今回のペイフォワードです。
すなわち、新型コロナウィルス対策の最前線で懸命に対応している医療従事者への感謝の気持ちを自社のチョコレートで示す。そこで、趣旨に賛同していただいた方にチョコレートを購入してもらい、その販売量に合わせて、医療従事者にチョコレートを届ける。
ダリケーの在庫を減らすことができ、カカオ農家からの買付も継続できます。
医療従事者の方々にとって、チョコレートは決して必需品ではないかもしれません。でも、たとえほんの束の間でも、ホッとするひと時を味わえる。そのチョコレートの裏に、たくさんの方々が応援している気持ちが伝わります。
チョコレートには、そんな誰かが誰かのことを思う、思い合う、そんな気持ちと気持ちを通わせる力があるはずです。
名も知れぬ誰かが医療従事者である誰かのことを思ってくれている。その実感。
ペイフォワードで購入したチョコレートを味わう購買者も、今頃、自分の知り合いでも何でもない医療従事者である誰かを思う。
そして、そんな思い合い(思い愛?)の根本は、スラウェシのカカオ農家が作ってくれたカカオにある。そんなカカオ農家のことを思う。カカオ農家は、自分たちのカカオを使った製品が日本の医療従事者の力になっていることを思う。
そんな思い合いが繰り返され、広がっていったら、そのような世界は幸せな世界になるのではないでしょうか。
コロナ後に私たちが目指す未来の一端は、もう始まっているのかもしれません。
そして、そして、ペイフォワードでダリケーのチョコレートを購入した方々は、医療従事者やカカオ農家やダリケーのことだけでなく、ほかの方々への感謝の気持ちも現れるかもしれません。それは、たとえば、ダリケーのチョコレートを配送してくださった宅配業者とか・・・。
誰かを思い、誰かから思われる。それが連鎖となって、次から次へとつながっていく。自分は一人ではないと、みんなが思える世界。新型コロナが強いる、物理的に遮断される社会は、だからこそ生まれる思い合いの連鎖が、あたかも想像の共同体のようになり、つながっていく、他者を信じられる世界へつながっていくのかもしれません。
未来を悲観したり、諦めたりしたくはありません。ダリケーのペイフォワードのさらにその先に、新型コロナ後の新しい世界が少し見え始めたような気がしています。