ステイホーム、だからこそつながる

ダリケーのペイフォワード、さらにその先へ

ステイホーム。不要不急の外出を控える。行動自粛。友人や知人とも会わない。皆さんと同じように、私もそんな毎日を送っています。

動いてつなげるのが私の仕事のスタイル。でも、インドネシアへも福島へも行けず、東京の自宅で家族と過ごしています。

幸い、自宅の庭では、今、ツツジなどの花が咲いていて、なごみます。

そんななか、いつもお世話になっている「鳴子の米プロジェクト」から、追加でのお米の注文依頼が来ました。

同プロジェクトは、農家と消費者を直接結んで、消費者が農家を支えるCSA(Community Supported Agriculture)の実践で、「ゆきむすび」というお米を生産・販売しています。

「ゆきむすび」は在来の耐冷品種を復活させたものです。消費者へ直販することで、生産者が年々広がる遊休地・耕作放棄地でその在来品種を栽培し、消費者とともに地域の農業を守り、地域活性化を進める取り組みを続けています。
 鳴子の米プロジェクトのサイトはこちらから → http://www.komepro.org/
同プロジェクトは東京都内で、アンテナショップを兼ねた「むすびや」というおむすび屋さんを運営しているのですが、新型コロナの影響で閉店、そのために用意していた「ゆきむすび」が余ってしまいました。その余剰米を買ってほしいという注文依頼でした。
ちょうど、我が家でもお米を追加注文しようかと思っていたタイミングだったので、すぐに注文しました。来るのが楽しみです。
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続いて、福井県で農業を営む友人から連絡がありました。彼の農園からは、高級レストランなどのプロ用にベビーリーフを出荷してきましたが、新型コロナの影響でレストランが閉店し、行き場を失ってしまいました。
この行き場を失ったベビーリーフを、希望者向けに販売し始めました。1組(100g x 5袋)は通常価格1,890円(税込)ですが、それを972円(税込)の特別割引価格で提供します。
 ベビーリーフの詳しい情報はこちらから → https://nouen-taya.raku-uru.jp/item-detail/344199
彼のところのベビーリーフは、プロ用ということもあり、一般に売られているものとは明らかにモノが違います。こんなお買い得なベビーリーフはまずないです。
当面、200組を用意とのこと。注文はお早めに。
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物理的に友人や知人には会えないけれど、つながることは決して難しくはありません。きっと、個々人レベルでは、こんなささやかな思い合いが今、起こっていることでしょう。
何かあったときの思い合い。ステイホームがそれを妨げることはありません。
ステイホーム、だからこそつながるのかもしれません。そんな心の通う思い合いから、新型コロナ後に私たちが創りたい、新しい社会が垣間見えるのではないでしょうか。

ダリケーのペイフォワード、さらにその先へ

SBCS Indonesia Monthly Report に連載を開始

ご縁があって、2020年4月より、インドネシアの日系コンサルタント会社 PT. SBCS Indonesia 様の月報 “SBCS Indonesia Monthly Report” に「松井和久がみるインドネシア」と題する短い分析の連載を開始しました(日本語・英語)。

第1回のタイトルは「投資・ビジネス優先のジョコウィ政権、新型コロナウィルス感染拡大に直面」です。内容については、PT. SBCS Indonesia 様(https://www.sbcs.co.id/contact-us)へお問い合わせください。

Start to Write My Column in SBCS Indonesia Monthly Report

From April 2020, I write regular short analysis about Indonesian current affairs in the SBCS Indonesia Monthly Report published by PT. SBCS Indonesia. The series title is “Future Indonesia – An Analysis by the Japanese Expert Kazuhisa Matsui”. The first analysis is: Jokowi 2nd Term Prioritizes Investment and Business, Facing the Spreading of COVID-19. If you want read this, please contact PT. SBCS Indonesia (https://www.sbcs.co.id/contact-us).

法人化4年目、少しずつ前へ

個人事業主から法人化して4年目に入りました。

いやな仕事は受けない、やりたい仕事だけをやる、でもやらなければならない仕事はたとえ無報酬でもやる、という方針で、わがままに活動してきました。間違いなく、経営者としてはまずいのでしょう。

当初、思っていたほどには順調ではなく、何とかやりくりしてサバイバルしている、という感じです。

今のような、物理的に何も動けない状態になって、お給料を毎月いただいていた頃をついつい思い出してしまう自分を、ちょっと情けないと思ったりもします。でも、それと引き換えに、組織に忖度する必要のない、すべて自分の頭で考えて動いていけると感じられるのはありがたいことでもあります。

前職を辞めるときに思ったのは、自分は何のために生きているのか、そのためにどんな人生を歩んできたのか・歩んでいくのか、という問いでした。

そもそも、何のために前の職場に入ったのか。23年間勤めても、その原点を忘れることができなかった、のでした。大人になれなかった、と人は言うのかもしれません。

誰かが敷いてくれたレールや皆と同じ道をたどることが、「自分は何のために生きているのか」という問いに沿ったものなのか。もし誰も前例をつくっていないような生き方をしなければならないなら、自分でつくるしかないのではないか。

そして、前職を退いてから13年以上経った今も、その自分への問いと厳しい現実との間で、相変わらずさまよい続けている、というのが現状かもしれません。

いつ自分の人生が終わってしまうかはわかりません。足元の日々の当たり前を大切に思いながら、少しずつ、一歩一歩、自分なりの速度で進んでいく、何の変哲もないふつうの人生を歩んでいく。そう生きていくのだと思います。

様々な方々から様々な教えを受け、自分なりに思考し、様々な方々と学び合っていきたいです。自分の大事な人的ネットワークを広げ、深めながら。

よりどりインドネシア第67号、4/22まで全文無料公開(終了しました)

弊社が主宰する有料のウェブ情報マガジン「よりどりインドネシア」は、さまざまなインドネシア、いくつものインドネシアを知り、理解を深め、インドネシアと交わり、ともに未来へ向けて行動するための会員制マガジンです。

毎月2回、おおよそ7日頃と22日頃に発行しています。2017年7月から発行を開始し、今号で第67号となりました。

購読方法は、次の2つからお選びいただけます。

1.「よりどりインドネシア」のマガジンサイトhttps://yoridori-indonesia.publishers.fm/)からクレジットカード情報を登録し、お試し購読へ進む。お支払いは、毎月、登録カードからの引き落としになります。

2.当方(matsui@matsui-glocal.com)へメールで購読を申し込んでいただいた後、6ヵ月分または12ヵ月分をまとめて当方指定の銀行口座へ振り込んでいただきます。振り込みを確認したうえで、毎回、ご指定のメールアドレスへPDF版「よりどりインドネシア」を送付いたします。

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ジャカルタ、スラバヤへの出張(2020年3月1~11日)

新型コロナウィルス感染拡大のなか、近畿経済産業局とTeam E-Kansaiからの委託を受け、2020年3月1~11日、環境技術ニーズを調べるため、インドネシアのジャカルタ及びスラバヤを訪問しました。調査では9つの業界団体とコンタクトしましたが、やはり面会アポは取れず、不十分ながら質問票調査となりました。3月2日にインドネシアで初の感染者が公表されたこともあり、行動においてはバスなどを避けてタクシーを利用し、細かな行動軌跡をインドネシア語で記録しました。

Perjalanan Dinas ke Jakarta & Surabaya (1-11 Maret 2020)

Sebagai survei untuk Tim E-Kansai, Osaka, Jepang, kami melakukan perjalanan bisnis ke Jakarta dan Surabaya pada 1-11 Maret 2020 untuk mendapatkan informasi tentang kebutuhan teknologi pengelolaan lingkungan hidup untuk sektor swasta di Indonesia. Kami mencoba mengunjungi beberapa asosiasi-asosiasi industri, namun, tentu saja, sangat sulit untuk membuat janji pertemuan kali ini. Kami sangat berhati-hati untuk melakukan kegiatan kami di Indonesia dengan menghindari penggunaan transportasi umum dan mencatat semua jejak kegiatan kami dalam Bahasa Indonesia.

Business Trip to Jakarta and Surabaya (1-11 March 2020)

As a survey for Team E-Kansai, Osaka, Japan, we conducted business trip to Jakarta and Surabaya in 1-11 March 2020 to get information about the needs of environmental technologies for private sector in Indonesia. We tried to visit some industrial associations, but, of course, it was very difficult to make appointments this time. We were too much careful to do our activities with avoiding use of public transportation and recording all our activity locus in Bahasa Indonesia.

続けざまの無くしもの

3月1~11日のジャカルタ・スラバヤ出張は、今になってみると、ギリギリのタイミングで実行できたのだなあと、つくづく思う。それについては、また別に書くとして。

今回は、無くしものの話。それも、続けざまの無くしものの話。

今回のインドネシア出張中に、出張や移動の際の必需品ともいえるものを無くしてしまった。それは、BOSEノイズキャンセリングイヤホンだ。

もうかれこれ5年ぐらい愛用していた。

ノイズキャンセリングの良さと音の良さ。購入したときはBOSEなのでちょっと高価だなと思ったが、実際に使ってみると、その性能の良さに大満足だった。

飛行機に乗る際には手放せなかった。備え付けのヘッドフォンはもう使えなかった。まだ有線なので、座席前のUSBポートにコードを差し込み、充電しながら使用できた。東京=ジャカルタ便7時間でも電池切れなし。

音楽を聴き終わって、BOSEを付けたまま寝込んでしまうと、雑音が入らず、気持ちよく睡眠できた。

飛行機の中で寝るときの三種の神器は、アイマスク、口マスク、そしてノイズキャンセリングイヤホン。これで飛行機の中でじっくり休める。

その大事なノイズキャンセリングイヤホンを紛失してしまったのだ。

ジャカルタで代替品を買おうと思ったが、同じBOSEのが500万ルピア以上、日本で買うよりも遥かに値段が高い。店で「今や有線なんてないよー」ともいわれた。

とりあえず、ノイズキャンセリング機能のない、普通のSONYのイヤホンを30万ルピアで購入した。このイヤホン、カナル式で音も良く、思ったよりいい買い物だった。

しばらく使っていたが、これもどこかで無くしてしまった。おそらく、帰りのジャカルタ=東京の飛行機のシートポケットに入れたまま置いてきてしまったような気がする。

そして、つい最近、東北新幹線で東京から福島へ移動した際、充電コードとUSB2口アダプターを車内に忘れたまま、福島で降りてしまった。

続けざまに、ものを無くして、ショックだった。自分の注意力がこうも散漫になるものなのか。これまでも、無くしものはあったが、こんなに続けざまというのは、まずなかった。これも歳をとったということなのか。

ノイズキャンセリング・イヤホンは必需品なので、結局,以下のソニー製の新しいものを購入した。本命のAirPodは入荷見込がつかなかった。

 SONY WF-1000XM3

今度は無線。完全ワイヤレス。充電の心配はあるが、線がないとこんなにも自由なのか、と思った。

ノイズキャンセリング機能も十分。使用者の行動を察知して、自動で外の音をどれぐらい取り入れるか、ノイズキャンセリングの程度を調整する機能はなかなか便利。

必ずケースにしまうので、無くす心配もないように思える。でも気をつけよう。

101年の歴史に幕

3月14日、妻と一緒に、東京都心の小さなメガネ屋さんを訪れた。妻の頼んでいたメガネを取りに行くためだった。この日に必ず行かなければならなかったのだ。

この日が、メガネ屋さんの最後の日だった。

1920年にメガネ卸商として開業し、今年で101年目。店主のおじさんは2代目。80歳代後半となり、病気もあり、体力的に店を続けるのが難しくなったとのこと。

妻の亡き父親が、かつて知人から腕のいいメガネ屋さんとして紹介され、それ以降、妻の家族がずっとお世話になってきた店で、店主のおじさんは、妻のまだ幼い頃からずっと知り合いだった。

私も30年前、一度、ここでメガネを作ったことがある。ずっとよかった視力が落ちて、運転免許証の更新ができるかどうか不安になり、年のためにつくってもらったのだ。

その後、ジャカルタに2年間滞在している間に、あまり仕事をしなかったせいか、視力が回復し、メガネを日常的にかけることはなくなった。

そのまま今に至るが、今は、細かい数字や地図を見るときなどに、このメガネをわずかの時間だけかけることがある。

店主のおじさんのメガネのプロとして歩んだ人生と、彼を支え続けてきた温厚なおばさんの人生を思い、心から「ごくろうさま」の言葉をお二人にかけた。

都心の名もなき小さなメガネ屋が一つ、101年の歴史を閉じた。

店の外の気温は2度。水気を多く含んだ春の雪が降り続いていた。

庭の桜に一輪の桜花

1ヵ月ぶりのブログ更新、となりました。

記録的な株価暴落を記録したこの日。

我が家の庭の古い桜の木に一輪の花が咲きました。

戦後、妻方の一家が東京に住み始めたときに植えられた木で、もう70年以上経っています。毎年毎年、そろそろ枯れるかと思いつつ、どうやら今年も咲いてくれるようです。

全体でどのぐらい咲くのだろうか。

今年も我が家の庭で、ささやかなお花見ができるといいな。

中アチェ県への出張(2020年2月17~23日)

JICA草の根協力(地方活性化)事業の一環で、インドネシアのスマトラ島にある中アチェ県を訪問しました。このプロジェクトは、農産物として地元の柑橘類を対象に、栽培、加工、マーケティングを統合した6次産業化の促進を図るものです。中アチェ県からは2人の若者が高知県越知町へ派遣され、岡林農園で6次産業化についての実地研修を続けています。

今回は、中アチェ県政府、柑橘類農家、若手起業家とともに、3者の統合と連携による6次産業化を実現するための戦略について話し合う、2日間のワークショップを行いました。

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Perjalanan Dinas ke Aceh Tengah (17-23 Feb 2020)

Atas nama Proyek Kerjasama Grass-root JICA untuk pemerintah daerah, kami mengunjungi kabupaten Aceh Tengah di pulau Sumatera, Indonesia. Proyek ini adalah untuk mempromosikan industrialisasi ke-6 atau integrasi antara produksi / budidaya, pengolahan, dan pemasaran jeruk lokal sebagai produk pertanian. Kabupaten Aceh Tengah kini mengirimkan dua pemuda ke kota Ochi di Prefektur Kochi, Jepang, untuk mempelajari industrialisasi ke-6 di Okabayashi Farm.

Kali ini, kami mengadakan workshop dua hari untuk pemerintah daerah, petani jeruk, dan pengusaha muda untuk membahas strategi untuk mewujudkan industrialisasi ke-6 dengan integrasi dan kerjasama di antaranya.

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Business Trip to Aceh Tengah (17-23 Feb 2020)

In the name of JICA Grass-root Cooperation Project for local government, we visited Aceh Tengah district in the Sumatra island, Indonesia. This project is to promote 6th industrialization or integration among production/cultivation, processing and marketing of local oranges as agricultural products. Aceh Tengah district now sends two young persons to Ochi town in Kochi Prefecture, Japan, to learn the 6th industrialization at Okabayashi Farm.

This time, we had two-days workshop for local government, orange farmers, and young business-persons to discuss about the strategy to realize the 6th industrialization by integration and cooperation among them.

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固有名詞でつながる世界をつくるための対話

数日前、個人ツイッター(@daengkm)に次のようなつぶやきを書いた。

日本以外にいる、個人名でお付き合いしている友人・知人は何人いますか。自分は、ずいぶん前に、人数をもう数えられないので、数えるのをやめてしまった。

いつの頃からだろうか、友人をどの国の人か、人種は何か、宗教は何か、というような面から見ることができなくなった。インドネシア人だとか、イスラム教徒だとか、ブギス族だとか、そういううふうに見ることができなくなった。

もちろん、彼らとやり取りする言葉は違う。彼らがインドネシア語でメッセージをくれればインドネシア語で返し、英語でやりとりすることもあるし、日本語のときもある。

日本人だからより近い友人だとか、インドネシア人だけど近い友人だとか、そういうふうに思えなくなった。いるのは、ただ単に、信頼できる友人、話していて楽しい友人、意見は異なってもその違いを尊重してくれる友人、それだけである。

私たちは、この世に生を受けた場所がたまたまそこだった、親がたまたま国籍や種族がそうだった、ということで、何らかの属性をもって生まれてくる。国家が私たちを生まれさせたのではない。生まれたときの属性のなかに、偶然、たまたま、国家というものがそこにあったに過ぎない。

もちろん、たとえ国家がなかったとしても、人間は生まれるのだ。そして、国家のために生まれたのではない。自分が一人の人間として生きるために生まれたのだ。

ただ、人間として生きていくために、他者と自分を区別するために、名前がつけられる。生きていくためのコミュニティに身を置く。そこで暮らす。そこで個人を識別するものは、名前という固有名詞であって、国籍や種族ではない。

〇〇国人は△△だ、□□族は??だ、といったたぐいの話を一般にきく。でも、その特性を証明するデータや論文は存在しない。人間は一人ひとり異なる。善人も悪人もいる。感情的な人も冷静な人もいる。どんな国でも、どんな種族でも、一般化の根拠になっているのは外部者(ときには内部者も?)の勝手な印象にすぎない。

外国人という方々と接するときに、そうした、ただの印象論に基づくバイアスが無意識にかかってはいないだろうか。

初めて会うときはやむを得ないかもしれない。この人はいい人なのか、信用できるのか、こちらを騙そうとしていないか、なにか思惑があるのではないか。色々と詮索してしまうのは当然である。

では、何をきっかけとして、どの当たりから、相手を信用できると思えるようになるのだろうか。

見た目だけでそれがわかるのは超能力者だけだろう。普通人には、対話のプロセスが必要になる。対話が成り立ち、お互いに自分をさらけ出せるレベルまで対話が進んで、初めて相手を信用できるのではないかと思えるようになる。

もっとも、それが常に正しいとは限らない。間違っていて、あとで後悔するような事態にならないとも限らない。それでも、相手を知るためには、対話するしかないのではないか。

対話のしかたというのもあるだろう。相手として安心できる対話とはどのような対話だろうか。こちらがずっと警戒し続ければ、相手もずっと警戒する。相手の疑念が溶け、安心できるような対話術。それは、こちらから相手を信用しようという態度からしか生まれないのではないだろうか。

そうした対話を通じて、〇〇国人とか□□族とかではない、お互いの名前という固有名詞でつながる関係を作ることができる。あるいは、そこまで行かなくとも、対話を通じて、自分と通じ合えるであろう人間がこの世の中に存在することを確認することができる。

さらに、そうした方々が暮らす地域もまた、固有名詞の地域として存在する。国家の一部ではあるが、国家がどうなろうとも、人々の暮らしの舞台である地域は固有名詞の地域として存在し続ける。

対話を通じて人と人が安心でき、信用し合える、固有名詞でつながる関係をつくるのと同じように、地域もまた、固有名詞の地域として他の地域とつながり合える。官僚的手続は国家を経由することを求める場合もありうるが、国家を経由しなければつながれないわけではない。地域と地域との間も、そこに関わる人々どうしの対話を通じて、安心でき、信用し合える関係を作っていけるはずである。

人間どうしが属性や肩書などと関係なく、対話を通じて互いに尊敬し合い、信用し合える関係をつくるときには、どちらが上か下かという話は起こり得ない。同じように、地域と地域が関係をつくっていく際にも、どちらの地域が上か下かという話にはならない。

その人間を育んできた自然や社会や文化や歴史が違うのと同様に、地域を成り立たせる自然や社会や文化や歴史が異なるのだから、どちらが上か下かを比べることはできないはずなのである。

他方、国家は、経済規模や戦争などを通じて、いつの間にか、上下関係が常態化してしまった。様々な比べる指標があるからである。

そうなのだ。固有名詞でつながる世界は、上下関係、主従関係から解き放たれた世界、互いの違いを尊重し合える世界なのかもしれない。そのために必要なのは、対話、そしてそれを続けるためのいくばくかの忍耐と寛容なのではないか。

よりどりインドネシア第63号発行、ニセ王国物語など

2020年2月9日、毎月2回発行のウェブ情報マガジン『よりどりインドネシア』の第63号を発行しました。以下のサイトから、その一部を読んでいただけます。

 よりどりインドネシア第63号

今号の内容は以下のとおりです。

インドネシアのニセ王国物語(松井和久)
2020年に入って、インドネシアでは様々なニセ王国が現れ、メディアを賑わせています。どんなニセ王国なのか、その内容を細かく見ていくと、そこに政治的な意図が見えてきました。どうしてニセ王国が現れるのか。既存の王国とニセ王国とを分けるものは何か。それらは本当に分けられているのか。インドネシアにいくつかある王国連合体組織についても、考察してみました。

ロンボクだより(28):震災の終わり(岡本みどり)
岡本さんの連載は、ロンボク地震から1年半経って、岡本さん自身の思うことを書かれています。震災は終わったのか。その問いをめぐっての思いです。岡本さんの原稿を読みながら、東日本大震災をはじめとする被災地での人々のことが思い浮かんできました。政府やメディアは「終わった」とか「まだだ」と、安易に言い過ぎてはいないだろうか、と改めて思いました。

パプアのラタパン(哀歌)を追いかける~セプティナ・ロサリナ・ラヤンさんの挑戦~(松井和久)
日刊紙『コンパス』の記事から、パプアの奥地でラタパンと呼ばれる哀歌の収録を進める若者の話を紹介します。ラタパンの持つ複層的な役割は、震災復興の観点からも注目できるのではないかと思いました。 他方、パプアでのラタパンの使われ方が、インドネシアによる抑圧や差別への批判に傾く傾向もあり、パプア奥地の人々によるラタパンの持つ意味が薄められているような印象を持ちます。

上記のような内容を含めました。多くの方にご一読いただければと思います。

今回のカバー写真は、中ジャワ州プルバリンガ県で二輪車のマフラーを製造する小企業の社長さんです。

地方に自らの足元を学ぶ場を広げる

大学入試の季節になってきた。大学の数や種類は、圧倒的に東京などの大都市に多い。このため、たくさんの若者が大学受験のために大都市へやってくる。

学びの機会は大学に限らないが、それでも、学びの機会の数は圧倒的に東京などの大都市のほうが多い。就業機会が大都市に多いことは明らかだが、就業に続く学びの機会が大都市に多いことが就業機会の大都市集中の理由でもあり、結果でもあるように思える。

彼らは何を学びに大都市へ向かうのだろうか。それは、普遍的な学問、すなわち、日本中、いや、世界中どこでも通用するユニバーサルな学問を学びに来るのだろう。学問の真理とは、理論や論理の普遍性にあるからである。

地方にも大学はあるが、そこで若者が学ぶものは、大都市で学ぶものと基本的に同じである。すなわち、世界中どこでも通用するユニバーサルな学問である。大都市へ行かずとも、地方の大学でそれを学べるはずである。しかし、若者は大都市へ向かい、地方の大学で学べるのと同じ学問を学ぶ。でも、それは本当だろうか。

地方の大学のプロの研究者ならば、より学問的にレベルの高い場所へ移って、自分の学問に磨きをかけたいと願う。その結果、地方の大学から大都市の大学へ移る。地方の無名大学から大都市の有名大学へ移り、研究者としての他者からの評価を上げていくことになる。

こうした大学を例にした状況をみれば、学ぶということがユニバーサルな学問だけである限りにおいて、学ぶ機会は大都市へ集中し、そこでの様々な相互作用によって、ユニバーサルな学問が進化していく、ということになる。

このことを否定することはできない。新しい理論や学説は、様々な研究者どうしの関わりのなかから生まれ、真理の追求が進められるからである。

では、地方には、学ぶ機会がないのだろうか。地方における知とは、おそらく、世界中のどこでも通用するものではないかもしれないが、その地方では必ずや通用する、というようなものである。たとえば、農耕儀礼などは、その地方の気候や風土と密接に結びついており、違う地方や大都市には当てはまらないものであろう。

そのような、ユニバーサルでない知は、学ぶ価値のないものなのだろうか。

私は、インドネシアという、日本とは大きく異なり、一国のなかに様々な多様性を持つ空間を対象とした、地域研究に携わってきた。ところ変われば品変わる。地域研究は「理論がない」という批判を常に受けてきているが、それは、気候や風土や様々な異なる背景と密接に結びついた地域をユニバーサルな学問として取り扱えないことによるものであった。

どんなところにも、そこに固有な独自のものがある。それは、先祖代々、その地方の暮らしの継続のなかで守られ、ときには時代に応じて変化し、現代まで続いてきているものである。その継続してきたという事実のなかに、その地方をその地方たらしめている深い意味が存在し、それがその地方の固有性や独自性を形作っている。

新しく外からやってきたユニバーサルな学問に晒されたとき、そうしたその地方の固有性や独自性は、ともすると、遅れた、恥ずかしい、前近代的なものとして虐げられ、捨象されてしまったりする。その地方の暮らしを成り立たせてきたものがなくなる。アイデンティティが消えていくのである。

そうした地方の固有性や独自性のなかには、電気もガスもなかった時代に、その地方の人々はどのようにして暮らしていたのか、どのような保存食を食べていたのか、それを作るための技術や技能はどう継承されてきたのか、といった、長年にわたって積み上げられてきた、その地方に生きる人々の暮らしの知恵が詰まっている。

災害や天災に直面したとき、電気もガスも来ない状態に陥ったとき、私たちは自分の暮らしをどのように維持していくのか。前近代的なものとして捨象された固有性や独自性のなかに、有用なヒントが詰められてはいないだろうか。

ユニバーサルな学問は、必ずしも、様々な自然環境の異なる地方の暮らしを支えてはくれない。そこに生きる人びとの長い歴史の営みから得られた知恵や教えこそが、自分たちの暮らしを支えてくれるのである。

そして、そうした様々な地方の固有性や独自性に基づく知恵や教えを学ぶことで、様々な地方の根底に流れる共通する何かが浮かび上がってきたときには、それがユニバーサルな学問として立ち上がるかもしれない。

現代は、外来のユニバーサルな学問やグローバリゼーションという名の世界的潮流の浸透によって、地方が長年にわたって培ってきた様々な知恵や教えが消滅していく時代である。その地方の住む人々が、ときには率先して、それらの消滅に加担し、スマホでなんでも分かると錯覚するような状況をもたらしてはいないだろうか。

我々もまた、グローバリゼーションの推進役になっているのである。

そんな時代に、地方に暮らす人々が、その地方で先人たちの長年にわたって培ってきた様々な知恵や教えから、もう一度、暮らしというものを学び直すことが必要なのではないだろうか。自分たちの足元を学ぶことが必要なのではないだろうか。

そんな、自分たちの足元を学ぶ場が、全世界の至るところに生まれ、その多種多様な知恵や教えを面白がりつつ、それらのなかから普遍性を紡ぎ出せるならば、それこそが人類が生きていくうえでのユニバーサルな知恵や教えとなっていくのかもしれない。

梅の咲き始め

数日前、妻と一緒に、東京の自宅からちょっと離れたところにある、子安天満宮菅原神社の前を通ったら、赤梅と白梅が咲き始めていた。

子安天満宮菅原神社は、名前のとおり、菅原道真公を祀る神社で、室町時代に巣鴨の保坂徳右衛門が屋敷神として邸内東の台地に勧請したとされる。江戸時代には、巣鴨・真性寺が別当となり、天神山と呼ばれていたらしい。

天神さまということで、合格祈願などが行われていそうなのだが、よくあるような絵馬などは見られない。社殿は閉められており、社殿入口の穴からお賽銭を入れるようになっている。

いつ来ても人のいない、静かな境内で、しばし祈る。

境内には、ゆずと思しき柑橘類がたくさん実っていた。

春はもうすぐ。1月が終わる。

歳を一つ重ね、父の早期退職の歳を思い出す

1月26日、歳を一つ重ねた。亡き父が定年2年前に早期退職したときの歳と同じ歳になった。

あのとき、父はなぜ早期退職を決意したか。それは私が大学を卒業し、就職するからだった。区切りが一つ付いた、と言った。

定年まで辞めなければ、県内のある組織の会長になっていたことだろう。でも、父は、そうした会長という職務に名誉や価値を感じていなかった。面倒くさい、と言った。

第二の人生を送りたい、とも言っていた。その頃の父は、中国やタイからの留学生の世話をし始めていた。退職後は、そうしたささやかな国際交流をしたいと願っていた。

その時から亡くなるまで、約25年間、留学生などと触れ合い、元気だった頃は、年に1回程度、友人たちと海外へ旅行に出かけていた。とても楽しそうだった。

そんな父が、人生における一つの区切りをつけた歳に、私も届いた。

退職という意味では、父の歳よりずっと前、今から12年前に私は自分で早期退職した。そこで自分なりの区切りをつけた。

自分のやりたいことの、第二のステップへ向かうために。

でも、この12年は、決して順風満帆ではなかった。ときには、自分なりの区切りをつけたことを後悔もした。生き方が下手だと自分を責めさえした。

父が早期退職した歳と同じ歳になった自分は、今でも現在進行形のままだ。自分の判断や生き方が正しいのか、適切なのかも確証を持てないまま、もがき続けながら、前へ進もうとする毎日を送っている。

他人とは比べない。もう比べられない。自分の道を歩むしかない。

父よ、私はまだ終わらない。前へ進む。やるべきことはまだまだたくさんある。まだまだ心細いかもしれない私だが、どうか、ほほえみながら見守っていて欲しい。

よりどりインドネシア第62号を発行しました

よりどりインドネシア第62号を発行しました。今号の内容は以下のとおりです。

●イスラム指導者による新疆ウイグル自治区訪問の意味(松井和久)
2019年2月、インドネシアのイスラム指導者らが中国の招待を受けて新疆ウイグル自治区を訪問しました。帰国後、中国の対イスラム政策への彼らの見方はどのように変化したのでしょうか。

●ウォノソボライフ(25):レンゲル舞踊 〜その変化と継承の現場〜(神道有子)
神道さんの好評連載は、ウォノソボが中心のレンゲル舞踊を取り上げます。レンゲル舞踊が歴史的にどう変わり、それがどのように継承されていくのか。とても興味深い内容です。

●いんどねしあ風土記(10):「忘れてはならない」20年越しの真実を求める草根の叫び〜西ジャワ州デポック~(横山裕一)
横山さんの連載は、20年前に行方不明となった活動家とその真相究明を求める息子のドキュメンタリー映画への思いを綴った内容です。忘れてはならないことがインドネシアには多すぎます。

下記のサイトより、読者登録のうえ、ご購読申込いただけます。なお、申し込まれた月はお試し期間として無料となります。
https://yoridori-indonesia.publishers.fm/issue/4772/

また、PDF版をご希望の方は、メールにて、下記のアドレスまでご連絡ください。
matsui@matsui-glocal.com

他では読むことのできない、いくつものインドネシアをお伝えしてまいります。ぜひ、ご購読のほど、よろしくお願いいたします。

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