今回の申告は郵送で完了

今年も法人税の確定申告の季節が来ました。会計年度を4~3月としているので、期限は5月末(今回は土日の関係で6月1日まで)です。

弊社(松井グローカル合同会社)は、福島市に設立したので、当然、法人税、県民法人税、市民税は、福島税務署、福島県県北地方振興局、福島市役所へ申告する必要があります。
私は、自宅のある東京と事務所のある福島を行き来するという仕事の形を模索してきました。2拠点での活動です(インドネシアも含めると3拠点?)。
例年はこの時期、福島市に居て、すべて処理してきました。書類を整えれば、福島市の旧市内が小さいので、3つの役所を自転車で半日かからずにまわって済ませることができました。
福島市の弊社の事務所と同じ敷地内にある古民家「佐藤家住宅」。
3月半ばに訪れて以来、事務所へは行けない状態です。
でも今年は、新型コロナの影響で、東京から福島へ行けなくなってしまいました。
福島に行ったとしても、2週間はホテル等(実家でもいいのかもしれないが)に籠って経過観察しなければならない、という話でした。また、弊社は、同じ敷地内に高齢者施設があることもあり、先方から来訪しないことを求められてもいました。
法人税の申告書類を作成する際には、前年の書類を参考にするのですが、それらの書類はすべて事務所に置いてありました。これは困った。税理士を使わず、自分で作成しているので、前年の書類が必要になるのです。
そんなとき、高齢者施設の担当者から、「事務所に入ることを許してもらえれば、当該書類を探して東京へ送ります」との申し出がありました。渡りに船、と申し出をありがたく受けたのですが、ここで問題発生。
「事務所の鍵が見当たらず、事務所へ入れませーん!」という連絡。
事務所の鍵自体、高齢者施設代表でもある家主から借りて、私が合鍵を作ったのだから、絶対、向こうにあるはずなのに・・・。
でも、放置しても埒が明かず、時間も限られているので、こちらで再び合鍵の合鍵をつくり、先方へ郵送しました。
翌々日、合鍵が届いたので事務所へ入ります、との連絡。しばらくして、先方からビデオコールがあり、事務所の机まわりを映しながら、「これですか、それともこれですか?」と、しばし、一つ一つ見せてもらい、ようやく、前年の書類の入った封筒が見つかり、東京へ送ってもらうことになりました。
2日後にその封筒を受け取り、申告書類の作成に取り掛かり、何とか終了。
すべての書類のコピーを取り、福島税務署、福島県県北地方振興局、福島市役所の3ヵ所宛の封筒を作成、それぞれに受取証を返送してもらうための返信用封筒を入れて、郵便局から簡易書留で本日(5/26)、送付しました。
その後、県民法人税と市民法人税を支払うために、福島の地銀である東邦銀行の新宿支店へ出向き、支払いを済ませました。
赤字決算のため、県民法人税と市民法人税の均等割分のみを支払う形でした。
というわけで、何とか、郵送で今回の申告を終わらせました。
電子納税も考えたのですが、法人税の場合、電子証明書の発行やICカードリーダーが必要なだけでなく、様々な明細書のすべてが対応しているわけでもないので、意外に面倒で厄介だと感じました。次回以降、電子納税のための準備をすすめるかどうか、ゆっくり考えたいと思います。
今年度の課題は、これまでと同様、いかにして売り上げを増やすか。クライアントに頼るのではなく、自分で何かを創りあげることをしっかり考えないといけない!
新型コロナの影響で、当面、収入源がほとんどない状態が続きそうですが、今は耐えるしかないのはやむを得ません。でもよい機会なので、今後の新たな展開について、もっと大胆に考えてみたいとも思っています。

2020年、新年のご挨拶

あけましておめでとうございます

 旧年中は大変お世話になりました。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

日本と海外(インドネシアなど)の地域づくりをパラレルに見ていると、その同時代性を強く感じます。ローカルとローカルがつながり、新しい価値と深い学びが持続的に生み出される。そんな世界を目指して、微力ながら精進したいと思います。

インドネシア・東ジャワ州バトゥ市の若き農業者たちと一緒に。
生産者と消費者を結ぶ動きはここでも試みられている。 [2019年5月]

真の技能実習を目指す教育訓練機関と協力したい

このブログでもたびたび書いてきましたが、日本の現在の技能実習プログラムを本物にしたいという願いを共有できる、インドネシアの教育訓練機関(LPK)を見つけ出し、協力関係を作り始めています。

これらのLPKは、何年も経験のある機関ではなく、割と新しく始めた機関で、従来の常識や慣習にまだ染まっていない、理想を語り合える相手でもあります。

日本へ技能実習生を送り出すためには、LPKは送り出し機関(SO: Sending Organizaiton)の認可を受けなければなりません。今、お付き合いを始めているLPKは、まだ新しく、実績を作るのはこれからです。SOになるには、日本の監理団体との間でMoUを結ばなければならないのですが、既存の監理団体との間では、なかなか関係を作れないのが現状です。

まあ、まだ実績がないわけですから、いきなりMoUというのも、難しいのはもちろんのことです。

パダンで協議したLPKのチームメンバー(2019年6月25日)

今回、パダンで協議したLPKは、日本で実習を受けた技能が帰国後にインドネシアで生かされていないことをとても残念に思っていました。何とかして、その技能をインドネシアで生かせる人材育成を実現したいと強く願っています。

そこで、今回、彼らから、ある面白い考えが出されました。

そのLPKは、別にもう一つLPKを作り、そのLPKは「溶接」に特化させるというのです。

溶接に特化させたLPKを傘下に置く民間企業を作り、溶接工場を備えて、溶接をビジネスとして行いながら、そこで実習生候補者の事前研修を行う。溶接に技能自体は様々に応用が利くので、独立することも可能と考えています。

今回、国立パダン職業訓練校(BLK Industri Padang)も訪問しましたが、ここで力を入れている技能の一つが溶接でした。もっとも、まだそのレベルは高くなく、国家予算上は3G溶接工レベルまでと想定されていました。高度な溶接技能者の育成は、バンドンにある職業訓練校がそれに特化して行っている、ということです。

溶接といっても、アーク溶接、ガス溶接、ステンレス鋼溶接など、様々な種類があり、日本ではその資格認定基準も細かく定められています。これらを吟味して、現在、そして今後、インドネシアでどの種類の溶接が必要になってくるかを検討し、それを担える人材を作っていくことが求められてくるでしょう。

インドネシアのLPKも、それぞれの特色が求められる段階に入りつつあるかもしれません。パダンのこのLPKは、まずは溶接技能者の育成に傾注し、それがある程度軌道に乗ったら、さらにべつの技能者の育成へ向かいたいと考えています。

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パダンのこのLPKとは別に、ジャカルタのLPKで、パダンのある西スマトラ州のパヤクンブ市に支所を持つLPKは、自らのLPK修了者の日本語能力の標準をN-3にすることを目標に定めました。独自のノウハウを蓄積し、教科書も自前で編纂する予定です。

このジャカルタのLPKも活動を開始してまだ間もないのですが、日本語教育にはかなりの自信を持っており、他のLPKの日本語教育部分を請け負うことも検討しています。得意分野を活かした、LPKどうしの横の連携もこれから大事になってくると思いました。

今後、こうした特色のあるインドネシアのLPKと協力関係を保ち、真の技能実習を目指す仲間との関係を少しずつ増やしていきたいと考えています。

よりどりインドネシア第47号を発行

6月9~10日の京都・大阪への出張前に終えてしまおうと、6月8日、ウェブ情報マガジン「よりどりインドネシア」第47号を発行しました。

第47号までのバックナンバーはこちら。
https://yoridori-indonesia.publishers.fm/backnumber/

今回の第47号の内容は、以下の3本です。

●2019年5月のジャカルタ暴動を総括する ~負け組による勝ち組への計画的蜂起だったのか~(松井和久)
●ロンボクだより(20): 朝のフルーツは金?(岡本みどり)
●オーストラリアに眠る日本人抑留者の知られざる物語 〜新公開のカウラ日本人墓地データベースを試用して〜(脇田清之)

今号では、私なりに、5月20~21日のジャカルタ暴動の総括を試みました。そこには、イデオロギーや崇高な国家の理想とはかけ離れた、きわめて泥臭い、うまくやりおおせている者へに対する「負け組」の積もり積もった怨念がありました。敵をうまく包み込む民主化というものが果たして可能なのか、色々と考えてしまいます。週刊誌TEMPO最新号(2019年6月8日号)の記事も参考になります。

ロンボク島在住の岡本みどりさんの連載「ロンボクだより」も第20回となりました。私たちが常識と思っていることが、果たしてロンボクの人々にも常識なのか、そんな気づきが大切だと感じます。

戦時中のスラウェシ島の日本人の歴史を追っている脇田清之さんは今回、太平洋戦争勃発時に、スラウェシ島からオーストラリアへ抑留され、亡くなった日本人民間人に焦点を当てました。脇田さんが解き明かす知られざる人々の物語です。

「よりどりインドネシア」の購読方法は、次の二つの方法があります。

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「よりどりインドネシア」は、次の第48号で丸2年を迎えます。バックナンバーの合冊版の販売等も検討中です。他のメディアではなかなか伝えられない、いくつものインドネシアを伝えていきます。この機会に是非、ご購読をご検討いただき、ご愛読いただけますよう、よろしくお願いいたします。

日本は何によって外国人労働者に選ばれる国になるのか

●外国人が日本を選ぶ理由が議論されていない

「日本は、外国人労働者によって選ばれる国にならなければならない」という文言をよく聞く。韓国や台湾など、他のアジア諸国との外国人労働者争奪競争を意識したもので、そのためには、外国人労働者への法的保護を強め、これまでより働きやすい環境を整えることが必要、といった論調がみられる。

しかし、重要なことが一つ抜けている。すなわち、外国人労働者は何をもって日本を選ぶのか、その理由についての議論が全く見られないのである。

このこと一つとっても、昨今の外国人労働者をめぐる議論が、日本側、彼らを活用する側からの視点からしか行われていない、極めて一方向的な議論に終始していることが分かる。そう、政府も民間も、誰も外国人労働者側のことなんか本気で考えていないのだ。自分たちの人手不足が解消すれば、誰でもいいというような状況なのである。

なぜ外国人労働者は日本に来たいのか。他国ではなく、日本を選ぶのか。あるいは逆に、何を売りにすれば、彼らは自分たちの就労先として日本を選ぶのか。この辺りを、しっかりと調査した形跡はうかがえない。

外国人労働者への法的保護を強め、これまでより働きやすい環境を整えることは、もちろん重要である。その場合には、どれだけ他国よりも法的保護を強めるのか、働きやすい環境を整えるのか、ちゃんとアピールする必要があるのではないか。

地域おこしの一環で新産品開発・販売促進を試みる際、どこもかしこも同じような饅頭や漬物を作ってしまう、という批判をよく聞く。そのときに、他の類似製品と何が違うのか、同じ種類であればどのように他より優れているのか、説明できなければ、その新産品はアピールできない。お客さんから選ばれる商品にはならない。

もし政府が、選ばれる国になるために外国人労働者への法的保護を強め、これまでより働きやすい環境を整えるというなら、他国よりも優れている点をきちんとアピールすべきなのである。

もっとも、外国人労働者が、そういった点を重視して日本を選ぶかどうかは、やはり確認しなければ分からない。ただ、昨今のメディア報道や私自身のインドネシア人技能実習生・元実習生らとの関わりのなかから、見えてきたことがある。

高い賃金を理由に日本を選ぶ者もたしかにいる。でも、それ以上に、彼らが日本にあこがれる理由があるのだ。

それは、日本の高い技術・技能を学びたい、という理由である。

●日本で技術・技能を学びたい

彼らの頭のなかには、1970~1980年代の高度経済成長を成し遂げた日本のイメージがあり、それを体化させた日本製品の高品質への尊敬がある。彼ら自身、そうした日本製品を手にし、あるいは手にできなくとも、羨望のまなざしで日本製品を見ながら育ってきた。

時代は変わり、我々日本にいる者たちは、彼らのあこがれたそれは過去の日本であり、実際には多くの技術や技能における熟練が失われ、技の継承が難しい時代になっていることを知っている。家電製品を見るまでもなく、韓国や台湾や中国がもはや世界市場で重要な地位を占め、日本もそれら市場プレーヤーの一つに過ぎなくなったことは、国家としては悲しく寂しいことであろうが、急速に変化する時代のなかで、その現実をきちんと受け入れなければならない。

そこで、過去の日本にまだあこがれを抱き、それを学べるのではないかと思って日本を選ぶとするならば、受入側はどうすべきなのか。

もはや後継者はいないと思って継承を諦めていた技術や技能を、もう一度、引っ張り出してきて、彼らに教え込むことはできないだろうか。

発展を急いだ国々では、釘やネジを正確に造ったり、ハサミをきちんと研いだり、道具や工具や産業機械を自前で製造・管理したり、建築の際に安全に作業する手順など、そうした基礎的な部分が疎かなまま、最先端技術やIT/AIへ一気に飛びつこうとしている様子がある。何かあったときに、ベーシックへ戻って自前で問題を解決できる技術や技能が求められているはずである。

もっとも、それは外国人労働者だけでなく、日本人労働者でも同様なのだが・・・。しかし、日本人労働者がそうした現場に来たがらないという現実もある。日本人が見つからないから外国人、という安易だが背に腹は代えられない状況がある。

日本で技術や技能を学びたい、という外国人労働者が来たなら、受入側は彼らにきちんと教えてくれるだろうか。そうあってほしいと思うのだが。

●日本で学んだ技術や技能を活かすために

日本へ行ったら技術や技能が学べる、としても、日本で学んだ技術や技能が、外国人労働者の祖国や地元で生かされなければ意味はない。

そこで、外国人労働者が日本へ来る前に、できれば地元の政府や企業の関係者を交えて、日本でどのような技術や技能を学んでくるのが帰国後に地域への貢献になるのかを話し合い、適任な候補を選抜し、彼に地域からの期待を背負う形で日本の受入企業で学んでもらう、という道筋をつけるべきだと考える。

日本の受入企業側も、そうした使命をもって受け入れた外国人労働者を手荒に扱うことはできないはずだ。なぜなら、受入企業が長年培ってきた技術や技能を尊敬し、それを学ぼうとする稀有な人材は、いまや日本のなかで探し出すことが難しいからである。だったら、受入企業を敬う外国人労働者に対して、それを託し、たとえ日本でなくとも、世界のどこかで匠の技が伝承され、世の中に役立てるような形で伝承されていくことを望むはずだと思うからである。

もしこれが実現できるならば、技能実習制度は本当の意味での技能実習となり、技能実習生を受け入れて育てた企業は、収益や利潤だけではない、技術・技能教育機関として、日本の地域のなかに存続していく価値を持つことになる。地域に企業が残っていくための一つの方策として、本来的な意味での技能実習制度が活用できるのではないか。そうした企業を表彰し、指導者企業という称号を与えて行政が存続を支援する政策を採ることも有用である。

そしてまた、受入企業が当たり前だと思っている日常的な作業を再評価し、それが技術・技能修得プロセスをきちんと踏んでいることを「見える化」させることも重要であろう。それによって、作業の意味付けがより深まり、本当の意味での技能実習と意識できるようになるはずである。

●本当の技能実習で、日本を人材育成のコアに

私自身は今後、以上のようなことを実現させたい。技能実習制度を本当の意味での技能実習にする。そのことが、日本を他国から差別化し、技術や技能を学びに来る人材を引き付けたい。技能実習を通じて、アジアにおける人材育成のコアとしての役割を日本が果たすように促したい。

インドネシアの地方の現場と日本の地方の現場の両方を知る自分だからこそ、その両者のニーズをつなぎ合わせ、両方の地方にとってウィン=ウィンになるような仕組みづくりを試みたい。

地方政府や地元企業家と一緒に、技術や技能を学ぶ意欲と使命感を持った人材を発掘・選抜。その技術・技能を教え人を育てられる日本の受入企業を見つけてつなぐ。日本での技能実習プロセスをしっかりモニタリング。祖国へ帰国後、その人材が地域の現場で何をするのか、学んだ技術や技能はどのように活かされているのかについて、地方政府や地元企業家と一緒にずっとモニタリングしていく。

●だから私はインドネシアの地方へ行く

だからこそ、私はインドネシアの地方へ行く。自分たちの地方をどうしていきたいのか、真剣に考え、行動しようとしている地方へ行く。その地方が直面する様々な課題は、日本の地方のそれと本質的に変わるものではない。その課題を解決・緩和するためにどのような人材をどのように育成していくか。

それは、単なる数合わせではない。日本側で不足する人数を揃えて調達すればいい、という話ではない。地方の期待を背負った大事な人材を日本でしっかり育てる、ということなのである。前にブログで触れた、固有名詞で捉える世界なのである。

技能実習制度を本当の技能実習にする。これは、かつて日本の専門家が海外へ出て行って人材育成を行ったこととは逆に、外国から来た研修生に対して日本の受入企業が指導し、日本で人材育成を行う、ということである。これまでに海外での様々な人材育成のノウハウを蓄積してきたJICAやAOTSなどの政府機関が、技能実習制度を本当の技能実習とすることに役割を果たせる可能性があるのではないか。

●介護・看護でも、農業でも必要な人材育成

以上の話は製造業をイメージしていたが、介護・看護や農業でも同様である。

急速な高齢化が進むアジアでは、遠くない将来、多くの介護・看護人材が必要になる。日本は、そうした介護・看護人材を量的に育成するだけでなく、いずれ各国で介護・看護人材を育成できる指導者的人材を育てて輩出することを考えるべきである。今、日本で受入れている介護・看護人材をそのような目で育てていくことが求められてくる。

農業でも、技能実習では単なる労働力ではなく、農業経営のできる人材育成と位置づけるべきである。農業労働者ではなく農業経営者となった彼らは、帰国後、自分の農村でのリーダー的存在となり、村づくりや産品振興の先頭に立って、地域のために活躍できる人材となっていくはずである。

●特定技能は「労働者」、技能実習と明確に分ける

2019年4月から始まった特定技能は、研修生ではなく「労働者」という色彩が濃い。単純労働も可能という解釈であり、単に高賃金を求める外国人労働者は、こちらのカテゴリーに含まれていくことだろう。

ただ、少なからぬ企業は、特定技能では転職が認められることから、3年間縛り付けられる技能実習を選好するものとみられる。だとするならば、ここではっきり、技術や技能を教えて人材育成するならば技能実習、人手不足解消のための労働者として雇うならば特定技能、と分けるべきと考える。

そして、技能実習をきちんと行う企業は、たとえ経営が厳しくとも、人材育成企業として行政が称え、政策的な優遇措置を採って地域に存続させる。一方、労働者として特定技能ビザで雇った外国人労働者は、日本人労働者と同様の権利を認め、転職もやむなしとする。

もっとも、特定技能ビザで雇ったとしても、技術や技能の修得を図り、技能国家試験の上級に合格させるなど、人材育成に貢献した企業は、技能実習の場合と同様に、人材育成企業として行政が支え、地域に存続させることを考えるべきであろう。

●人材育成を通じて送り出し国の地方と日本の地方をウィン=ウィンに

日本が外国人労働者に選ばれる国になるために、外国人労働者への法的保護を強めたり、これまでより働きやすい環境を整えることは基本中の基本である。そして、技術・技能を学びたいという彼らも、いつまで過去の日本へのあこがれを抱き続けるかは定かでない。日本が彼らに選ばれる理由をもっと真剣に考える必要がある。

そして、彼らの評価が変わらない今のうちに、送り出し国の地方にとっても、受け入れる日本の地方にとっても、地域活性化の観点からウィン=ウィンとなるような事例・仕組みづくりを始めることに意味がある。

ここに書いたことは、理想論かもしれない。でも、ことインドネシアに関して、インドネシアと日本とをつなぐプロとして、私はそれを実現させたい。興味を持たれた方は、是非、ご連絡いただきたい。

そして、彼ら外国人労働者が単なる人手としてではなく、地域活性化にとっても戦力として生かしていける可能性について、別途、このブログで論じることにしたい。

特定技能への関心のものすごさに驚き

今回、インドネシアに来て、本当にびっくりしているのは、日本の新たな在留資格「特定技能」への元研修生からの関心のものすごさです。

弊社のフェイスブック・ページで、特定技能に関する記事を書き、私がアドバイザーを務めている、元研修生らの親睦団体「インドネシア研修生実業家協会」(IKAPEKSI)のエディ会長らと会った後、ものすごい数のメールやメッセージやWAが来るようになりました。

フェイスブック・ページのアクセス数は、通常だとせいぜい多くても500件程度なのですが、今回のアクセス数は、西インドネシア時間の4月29日午後10時現在、4万件近くになっています。

ほとんどのメッセージが「また日本へ行って働きたい」というもので、どうやったらそれが可能になるかを尋ねるものでした。

特定技能ビザを取るには、日本語能力試験(N4相当)と各対象職種の特定技能評価試験に合格することが条件ですが、日本で3年間技能実習生として活動した者はそれらの試験免除でビザを取ることができる、とされています。

このため、インドネシアでは今、元研修生がもう一度日本へ行ける、と盛り上がっているのです。それを煽っているのが、これまで技能実習生を日本へ送り出してきた全国各地の送り出し機関(LPK)で、「特定技能ビザでもう一度日本へ行ける」と喧伝しています。

その結果、送り出し機関のなかには、自分たちがすぐに日本へ送り出してあげると言って、元研修生から5000万ルピア(約41万円)を徴収するようなところもあらわれています。先走る日本側もそうした動きの裏にいる様子です。

これまで、帰国した元研修生はもう一度日本へ研修生としていくことはできないため、海外出稼ぎを望む彼らの多くは、韓国などへ労働者として出かけていくことが多かったといいます。それが、再び、日本へ行けるという話を聞いて、飛びついているようなのです。

スマランで元研修生に特定技能について説明する機会がありましたが、以前世話になった受入企業から「特定技能ビザで戻ってこないか」と声をかけられている元研修生がけっこう多くいたのにもびっくりしました。

しかし、特定技能を実施する前提として、日本政府とインドネシア政府との間で、悪質な仲介事業者の排除等を目的とする協力覚書(Memorandum of Cooperation, MOC)が締結されている必要があります。残念ながら、協力覚書はまだ締結されておらず、いつ締結されるかも見通しは立っていません。

大統領選挙をはじめ5つの選挙を同時に実施したインドネシア側も、天皇退位・新天皇即位を迎える日本側も、大変難しい時期だったということも考えられます。

一部の悪質な送出し機関は「協力覚書は既に締結済」と言ったり、すでに登録支援機関を自称して人集めを行ったりしているところもあると聞きました。

弊社・松井グローカル合同会社も現在、登録支援機関として認めてもらえるように入管へ申請中ですが、結果が出るのは6月か7月の予定で、今はまだ登録支援機関としての活動はできない状態です。

インドネシアで私は、「特定技能は政府間の協力覚書の締結があって初めて実施される」と様々な元研修生へ説明と説得をすることとなり、そのせいか、徐々に騒ぎが静かになってきた感があります。

西スマトラなどいくつかの地方からは、「日程を決めて特定技能の説明に来てほしい」との依頼も受けました。本来であれば、インドネシア政府や日本政府が説明すべきものと思うのですが、あやふやな情報で詐欺まがいの状況もあるなか、できる限りの協力はしていきたいと思います。

そうしたなかで、私のところでも、日本へ行きたい元研修生や彼らのデータを収集している送り出し機関とのコネクションがいろいろできてきました。どこにどんな職種に従事していた元研修生がいるか、という情報が入ってきています。

日本の企業様で、以前、インドネシア人研修生を受け入れていて、今度また特定技能ビザで受け入れたいという希望をお持ちの企業様や、新たに受け入れてみたいと思う企業様がありましたら、お手伝いをさせていただきたいと思います。

二国間の協力覚書が締結しておらず、弊社もまだ登録支援機関として認定されたわけではないので、すぐに実際に動くことはできませんが、協力覚書と登録支援機関認定が完了してすぐに動けるよう、情報は収集しておきたいと思います。

インドネシア人元研修生を特定技能ビザで受け入れてみたいという企業様がありましたら、元研修生の名前と受け入れた時期、業種・職種などを、メールにて松井グローカル合同会社・松井(matsui@matsui-glocal.com)までお知らせいただければ幸いです。

おいおい老い展を見学

3月25日は夕方、アート千代田3331で開催中の「おいおい老い展」を見に行きました。25日が最終日でした。

イベント自体は3月21日から開催していたのですが、どうしても期間中に時間が取れず、しかも24日は疲労困憊で休息を余儀なくされたため、この25日しか行ける余裕がなくなってしまいました。

でも、行ってよかったです。そして、とても楽しい展覧会でした。

介護を施設の中だけに留めるのではなく、地域やコミュニティと接点を持たせることによって、介護と生活、生きるということとをよりビビットに結びつけると、介護をする側も受ける側も楽しくなる、アイディア。

介護という仕事が、こんな風にすると魅力的になり、若い世代も楽しく関わっていくことができるというアイディア。

そんな魅力的なアイディアが67点、しかも、それは机上の空論ではなく、実際にプロジェクトとして試されていくものばかり。

4月から福島市で開業するサービス付き高齢者向け住宅「しみずの里」のことを考えながら、実に様々なヒントを得ることができました。そして、さらなるアイディアが湧き出てくるような、ワークショップを「しみずの里」でやってみたい気持ちになりました。

そして、同じように高齢者介護の課題に直面する韓国や台湾、遠くない将来に高齢化社会を迎えるインドネシアなどの国々のことを思いました。

外国人材を介護などの分野に日本で受け入れるのは、単に人手不足を補うという意味だけでなく、今後に向けて、介護という仕事を魅力的にしていける人材を世界へ向けて育成することにもつながるのではないか、と。

そう考えると、この「おいおい老い展」は、決して日本だけのものではない、何らかの形で国外の同様の課題を抱えている、抱えることになる人々にとっても、きっと有用なことなのではないか、と思いました。

介護福祉士が地域づくりに関わる、という視点が新鮮に感じられました。そして、そうなんだよな、と展示を見ながら何度もうなづきました。

ここに提示されたようなプロジェクトを生み出すプロセス自体を、それに関わった方々にとっていかに楽しいものにするか、も、とても重要だと感じました。

新たなたくさんの刺激を受けた「おいおい老い展」。この間、このプロセスをマネージしてきたstudio-Lの皆さんに改めて敬意と感謝を申し上げます。

福島・しみずの里の完成内覧会開催(3/22-23)

今日(3/23)は、福島市のサービス付き高齢者向け住宅「しみずの里」の完成内覧会の最終日です。

昨日の内覧会は100人以上の方が訪れ、皆さんから多数のお褒めの言葉をいただきました。

今日も午後4時まで内覧会を開催中。是非いらしてください。また、同じ敷地内にある国有形登録文化財の古民家「佐藤家住宅」もあわせてご案内いたします。

外国人材を地域づくりの戦力に

このタイトルにちょっと違和感を感じる方がいるかもしれません。なぜそう考えるのか。少し書いてみたいと思います。

2018年6月、ひょんなことから、北陸経済連合会の関連団体である北陸AJECが主宰する共同調査「北陸企業の外国人材の採用・活用-現状と課題-」のメンバーに加えていただき、報告書の1章を執筆することになりました。

この調査自体は、もともと北陸の大学などへの留学生を中心とした高度人材を地域がどのように活用するか、という観点から行われていたものです。ただ、北陸企業の現場では、やはり技能実習制度に係る問題が高い関心を示していることから、それについて私が担当することになったのです。この関連で、2019年3月26日に金沢市で講演することになりました。

2019年4月からは改正入管法による新たな在留資格「特定技能」が創設され、技能実習から特定技能へ、研修から労働力へ、大きな転換が進んでいくという見方がメディアなどに散見されます。現在、様々な角度から、この動きについてウォッチし、今後どのように改革を進め、方向性を打ち出していくのが望ましいか、自分なりに色々と思案中です。

それは、今まさに直面している人手不足問題にどう対応していくかという問題を超えて、これから20年、30年後の日本社会がどのようになっていくのか、どうなっていくのが人々にとって望ましいのか、幸せになるのか、ということまで構想(妄想?)したうえで、今の動きを捉えていかなければならない、と個人的に思っているからです。

たとえば、地域を再生・活性化させるには、「よそ者、若者、ばか者が必要だ」といった議論がありますが、どんな「よそ者、若者、ばか者」が必要で、彼らがどのように必要なのか、どのように振る舞うのか、といったことをより深く広く考える必要があります。

そこで、ふと思うのです。「よそ者、若者、ばか者」って、性別とか出自とかで制限されるのか、と。そして、日本人に限られるのだろうか、と。

「よそ者、若者、ばか者」が地域社会やそこの人々と関わるときには、適切な関わり方というものがあります。そこに移住するだけが関わり方ではないのです。時々住んでみたり、複数拠点の一つにしたり。遠くに住みながらもずっとその地域を気にしながら応援し続ける、というのもありだと思います。

そこで、次のような考えが頭に浮かびました。

人口流出や高齢化、過疎によって人口わずか1000人の地域。もしもその地域が好きで、気になって、応援したいと思う応援団が(たとえば)10万人存在すると分かったら、その地域は、そこに住んでいる1000人のためだけの場所ではなくなるはずではないでしょうか。

きっと、そこに住んでいる人には、なぜ、よその人が10万人も自分の地域を好いてくれているのか、分からないかもしれません。そこで言えることは、よその人には、そこに住んでいる人には感じられない何らかの価値や魅力を感じている、ということです。もしかすると、それは地元の人々にはあまりにも当たり前すぎて、何も感じないのかもしれません。

その地域が好きだというファンを、別に日本国内だけに限定する必要はありません。世界中にその地域のファンが何万人もいる、ということを意識した地域づくりや地域振興は、今までのそれとは確実に違ったものになるはずです。

この着想は、実は、高知県馬路村がどうやって存続し続けてきたか、ということから得たものです。馬路村農協の様々なユズ加工品を通じて、村の人口の何倍もの馬路村ファンが全国にいるのです。

海外の方々にもそうしたファンになってもらうことは可能ですよね。

村から若者が流出してしまい、若い世代といえば、外国からやってきた技能実習生ぐらい、というところも少なくないかもしれません。でも、3年もの長期にわたって地域で生活する彼らは、「よそ者、若者、ばか者」になれるのではないでしょうか。

日本国外で応援してくれるその地域の外国人ファン。その地域で生活する技能実習生たち。それらの外国人材を、地域づくりの戦力として活用する方策を考える時代になってきたのではないでしょうか。

地方にとってこそ、外国人材との共生は待った無しの状況です。外国人材を入れるか入れないか、という悠長なことは言っていられない状況だと思います。そうだとするならば、共生を超えて、地域の外国人材を「よそ者、若者、ばか者」としてどのように地域のために活用するか、を考え始め、準備する時期にもう来ているのだと思います。

「よそ者、若者、ばか者」って、性別とか出自とかで制限されるのか、と。そして、日本人に限られるのだろうか、と前述しました。外国人材だけでなく、様々な人材を地域づくりの戦力にしていくのだと思います。

そのために努力することは、必ずしも、英語を勉強することではありません。

それは、地域の魅力を高めることです。

地元の人が魅力だと思っていることと、よそ者が魅力と感じるものは同じとは限りません。それを意識しながら、地域の魅力を高める。それは新しく作った魅力でもいいのです。

そのためには、どうしたらいいのか。

このブログで、今後、折に触れて、私なりの考え方を示してみたいと思います。

なお、私自身は、日本だけでなく、インドネシアでもアフリカでも、世界中どこでも、地域づくりに関しては、まったく同じく、提示してきた(提示していく)考えです。

先日のインドネシア・中アチェ県の県都タケゴンの市場にて。
中アチェ県農業局の友人による撮影。
中アチェ県の地域づくりについて同様に考えていきます。

教えないコンサルティングを目指して

自分は一応、コンサルタントと名乗っています。敢えて、教えないコンサルティングを標榜していきたいと思っています。

以前、JICA専門家でインドネシア政府に対する地域開発政策アドバイザーを務めたとき、アドバイザーやコンサルタントがどのような仕事だと見なされているかを理解しました。

ひと言でいえば、解決策を示してくれる仕事。

こうすればこうなるから、私が言ったとおり、このようにしなさい。そのようにペーパーを書いて、助言する。問題を解決してくれるスーパーマン、と言っても間違いではないでしょうか。

コンサルタントはその解決策を示して、対価としての報酬を受け取りますが、それを実行するのはコンサルタントにお願いした側です。

実行すると、コンサルタントが作文したとおりにはなかなかうまくいかないし、さらなる助言を求めるとなると、コンサルタントにさらなる報酬を支払わなければならなくなります。

コンサルタントは、「それは実行する能力が不足しているからだ」と言って、能力向上のための新たな研修プログラムの導入を勧めます。

その研修プログラムを導入した側は頑張って、能力向上の印として終了証をもらいます。そして、再び、コンサルタントの解決策に取り組みますが・・・。

コンサルタントという語を援助供与国・機関と置き換えても同じでしょう。

インドネシアでも日本でもどこでも、今日もまた、これと同じような出来事が起こっているかもしれません。

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この場合、コンサルタントが示した解決策は、本当に正しかったのでしょうか。コンサルタントが解決策を導くプロセスに、相手側はどれだけ関与したのでしょうか。

まず、最初の問題設定が間違っていたとしたらどうでしょうか。そう、最初にボタンの掛け違いが起こっていたとしたら、です。

相手側からすれば、都会から来たコンサルタントがいう問題設定が、まさか間違っているとは思わないかもしれません。思っていたとしても、「頭がいい人が考えたんだからきっと何か真実があるのかもしれない」「コンサルタントは組織トップの知り合いだし、政治家からの紹介でもあるから、間違っているなんて言って怒らせたらあとでどうなることか」などと考え、口をつぐむかもしれません。

次に、コンサルタントの仕事に相手側はどれだけ関わってきたでしょうか。住民を集めた公聴会なども開かれるかもしれませんが、そこでの発言に何らかの忖度が全くないと言い切れるでしょうか。

問題解決へ向けて、本音が出ているでしょうか。

本音が出るためには、その場が何を話しても安心できる場でなければなりません。そういう場をコンサルタントは作れているでしょうか。

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自分は、相手に問題解決を教えに行くのではなく、相手から本当の問題は何かを教えてもらいに行くという立場を採ります。

ちょっと、危なっかしいでしょうか。大丈夫か、この人は、と相手から思われるかもしれません。

もちろん、相手とお会いするまでに、二次情報だけでも、入手可能な限りの情報は収集し、できる限りの相手や地域に関する情報は頭に入れておきます。その段階でできる、自分なりの仮説も立てておきます。

でも、それは、自分の中に閉まっておきます。まずは、相手から教えてもらいます。

相手から話をお聞きしながら、簡単な対話を始めます。相手が答えやすい対話を続く限りしていきます。そのプロセスのなかで、自分が頭に入れてきた情報の再整理を行い、仮説の修正を続けていきます。

相手に対して、最初に「問題は何ですか」とは絶対に訊きません。だって、問題が分かっていれば、解決策もおのずとわかるはずだからです。

対話を続けながら、最初に「問題」と思っていたものが本当にそうなのか、違う角度からみなければならないのではないか、実はもっと違うことが「問題」だったのだ、というような気づきが起こっていくこともよくあるものです。

対話のプロセスを通じて、相手が納得する「問題」にたどり着いたとき、相手はそれが自分自身とも関わりのある「問題」だと認識できるのではないでしょうか。

ここで初めて、「問題」に対して相手がオーナーシップを感じ始める。すると、その「問題」は、誰かよそ者に解決してもらうのではなく、自らもその解決へ向けて関わっていかなければならない。自分事として認識するようになります。

そうなれば、後は、コンサルタントが何を言おうとも、自分たちで捕まえた真の「問題」を解決しようと自分たちで動き始めるのではないでしょうか。そうなれば、コンサルタントの立場は助言を適宜与える程度の従となり、いずれは必要とされなくなる存在となります。

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私は、そのような、教えないコンサルティングを自分のモットーとしていきます。

地域をこれからどうしていったらいいか分からない、という漠然とした不安を持った方々とお会いし、対話を続けたいのです。そして、いつの間にか、コンサルタントが何かするのではなく、そこの方々が自分で何かしていくようにコンサルタントが適切に促す、という転換を起こしたいのです。そして、必要がなくなれば去る、という具合です。

インドネシアでも日本でも、様々な地方の実状を知りながら、そんな風に思っています。教えないコンサルティングは確実に求められている・・・、と。

そして、これは、日本全国の地方をめぐりながら、その土地土地の人々の話を丹念に聞き、適切な助言を行い、勇気づけ励ましてきた、尊敬する宮本常一氏の生き方に近づくことなのかもしれないと改めて思いました。

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でも、それはどうやってビジネスとなるのか。対価をどうもらうのか。

そこが当面の大きな課題です。家族をどうやって養っていくのか。自分たちがどうやって生活していくのか。

日々、できる限りの経費節約に努めつつも、現実の世界に目をつぶるわけにはいきません。自分なりの生活を成り立たせる経営モデルを造らなければなりません。

それでもなお、私は、教えないコンサルティングを目指していきます。

こうしたやり方に価値を見い出していただける方々と一緒に、まずは活動していきたいと思います。私と対話してみたいと思われる方は、いつでもご連絡ください。

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1月13~19日は、インドネシア・アチェへの出張へ行ってきます。羽田空港国際線ターミナルは、キラキラしていて、まぶしいぐらいでした。

みずほ銀行での法人口座の切り換え顛末記

筆者は、松井グローカル合同会社という法人を2017年4月に設立し、3つの銀行に法人口座を開設しました。その一つがみずほ銀行です(いつもお世話になっております)。

みずほ銀行の法人口座開設にあたっては、通常通りに同銀行の本支店で申請する方法とインターネットで申請する方法の2つの方法があります。前者は通帳で管理しますが、後者では通帳は発行されず、インターネット上で管理することになります。

より簡単だと思い、筆者はインターネットで申請を行いました。たしかに面倒はほとんどなく、しばらくして自宅近くの支店に出向き、法人口座を開設することができました。

インターネット経由で法人口座を作った場合、毎月の利用料として3,240円が当該口座から引き落とされます。口座開設後6カ月間は無料ということで利用していました。出入金があればメールでPDF形式の明細票付きで知らせてくれるし、通帳はなくてもATMでは明細票が出るのですが、それだけの利用料を払うだけの利用頻度はないと判断しました。

そこで、インターネット利用を中止することにしました。そこで起こった疑問・・・。

インターネット経由で作った法人口座を、口座番号を変えずに、通常の通帳管理の法人口座へ変更できるのか。あるいは、法人口座設立の経緯が異なるので、新たにもう一つ別の法人口座を作らなければならないのか。どちらなのか。

ネット上でいろいろ検索しましたが、筆者の能力不足のせいなのか、ぴったりと当てはまる回答は見つけられませんでした。

そこで、みずほ銀行の法人口座に関するカスタマーセンターに電話をして、問い合わせました。質問が二者択一なので、さすがにカスタマーセンターで回答を得られると思いました。

「法人口座をお作りになった支店にお問い合わせください」という回答でした。

こんな簡単な二者択一の質問に答えられないものなのか、実は難しい質問だったのか、きっと他にも同じようなケースは多々あるだろうに、と思いつつ、法人口座を作った支店へ出向き、同じ質問をしました。

窓口の行員さんにしばし待つように促され、待つこと15分。ようやく「インターネットで作った法人口座を通常の法人口座へ切り替えは可能」という回答を得ました。

そのまま、法人口座の切り替え手続きに入りました。今持っている法人口座のキャッシュカードはそのまま使え、通帳を新たに発行してもらえました。

みずほビジネスWEBの解約手続きなのですが、解約により、出入金のお知らせがメールでくるサービスは受けられなくなります。

また、みずほビジネスWEBを申し込んだ時には、自動的にみずほビジネスWEB帳票サービスにも入らなければならないのですが、行員さんによると、このサービスは、たとえみずほビジネスWEBを解約しても利用可能で、しかも無料で利用し続けられる、ということでした。これは初耳。

ただ、弊社は一人会社で、当面、通帳での管理で十分なので、みずほビジネスWEB帳票の利用もやめることにしました。

インターネットで法人口座を設立したものの、毎月3,240円を払いたくはない、でも、みずほビジネスWEB帳票は使い続けたい、という法人さんには、有用な情報かもしれません。

ともかく、こうして、無事に、法人口座の切り替えができました。めでたし、めでたし。

銀行としては、顧客にみずほビジネスWEBを解約してほしくない、というのはよく分かります。だから、それが簡単にできるような情報を安易に一般公開したくないのかもしれません。

一零細顧客の戯言として無視されるかもしれませんが、顧客の権利という観点からも、この種の情報もきちんと開示し、堂々と企業活動を行って欲しいと思いました。

本文とは関係ありませんが、東京の自宅の庭で、紫陽花が咲いていました。

初めての法人税申告

昨年4月に福島市に合同会社を設立して、今回が初めての法人税申告となりました。締め切りの5月31日の1日前に終わらせることができて、ちょっとホッとしています。

個人事業主でやってきたのを、よりカチッと仕事をしていきたいと考え、一人会社にしましたが、振り返ってみれば、個人事業主のときと中身はあまり変わっていないかもしれません。自分のやりたいと思うことが、ことごとく利益とは関係のないものであるがため、いつまでも種まきをしているような、錯覚に陥りそうです。

とはいえ、法人としてのお務めの一つである、法人税申告。幸か不幸か赤字決算となったため、法人税はゼロとなり、福島県へ支払う法人県民税と福島市へ支払う法人市民税は、均等割という、法人ならば払わなければならない一律額の最低額を支払う、というシンプルな形となりました。

それでも、申告のための書類作りはけっこう難儀でした。とくに、国税用の様々な明細を用意しなければならないのと、記入のしかたがよく分からない部分がけっこうあり、本当にここで記入してしまっていいものかどうか、悩みました。

結局、分からないところをそのままにして、税務署で担当の方に相談に乗ってもらい、書類を見ながら、一つ一つ、記入のしかたを教えてもらいました。税務署の担当者は、きっと内心「こんなことも分からないのか」と思っていたかもしれませんが、懇切丁寧に教えてくださいました。そして記入が済むと、それのコピーを取っていただき、相談は終了。「次回から相談は予約を入れてください。3月決算は混むので」と言われ、少々恐縮。

あとは、受付で申告をし、受領印をもらって終了。法人設立の際にも、税務署には大変お世話になっており、今のご時世もあるのでしょうが、対応に対する私自身の満足度は今回も高かったのでした。

県税事務所も市税担当者も、対応はとてもよく、申告書の記入の不備をチェックしていただいた後、申告書をスムーズに提出することができました。

そして、後は、銀行の窓口で県税と市税の均等割分の支払いを済ませて、法人税申告は無事に終了しました。

今回は、税理士さんを介さずに自分でやったのですが、個人事業主のときと内容があまり変わらなかったので、記入すべき書類が少なかったのだろうと思います。今後、会社の規模をどうしていくか、考えながら、いずれ必要になれば、税理士さんのご指導も必要になるのだろうと思っています。

それにしても、きちんと法人税を払えるだけの売上というか所得をつくっていかなければならないな、とちょっと気を引き締めるのでした。

あー、椏久里で美味しいケーキと一緒にコーヒーが飲みたいな。マスター、近日中におうかがいしますー。

予告:マカッサル国際作家フェスティバルに和合亮一氏が参加

インドネシア・スラウェシ島にある都市マカッサル。筆者ものべ8年半住んでいた、人口100万人のこの地方都市では、2011年から「マカッサル国際作家フェスティバル」(MIWF)が開催されています。

今年は8回目、5月2~5日、海に近いロッテルダム要塞公園をメイン会場とし、市内各所にサブ会場を設け、様々なセッションが繰り広げられます。下の写真は、昨年のフェスティバルの様子です。

マカッサルやその他のインドネシア国内のほか、オーストラリア、シンガポールなどの海外から様々な文学者が出席し、知的刺激に満ちた活発な活動が繰り広げられます。

筆者は、これまでほぼ毎年出席し、その様子は、ブログでこれまで紹介してきました。以下に、昨年のフェスティバルに関する記事のリンクを貼っておきます。

 国際作家フェスティバル、テーマは多様性

 2つのセッションでパネリスト

 動く動く移動図書館ほか

 国際作家フェスティバルのフィナーレ

今年のテーマは、Voice and Noise、です。2018年の統一地方首長選挙、2019年の大統領選挙と、政治の騒がしい季節を迎える中で、市民社会が批判的かつ明確な声を上げ続けていくことが必要だ、という主張を出していきます。

そして、今年のフェスティバルには、福島の詩人・和合亮一氏に参加していただくことになりました。和合氏には、フェスティバルのなかで、震災後から現在に至る福島の声を伝えていただき、詩の朗読もお願いする予定です。

上の写真は今年2月、マカッサル国際作家フェスティバルの主宰者であるリリ・ユリアンティさんを福島にお連れし、和合氏と面会したときのものです。
ちなみに、和合氏については、『現代詩手帖』2018年4月号で特集が組まれています。
福島とインドネシアをつなぐ・・・。今回はマカッサルですが。これが第1弾です。
併せて、実は、今年、マカッサルから文学者を福島へ招聘する計画もあります。
今回、和合氏が伝える福島がマカッサルでどう受け止められるか、そして和合氏はマカッサルから何を感じて福島へ何を持ち帰るのか。

筆者が震災後、ずっと願っていた、和合氏のインドネシアへの招聘を実現できることになり、言葉に表せない喜びと、何が起こるかとワクワクする気持ちが湧いてきます。

もちろん、来週開催のマカッサル国際作家フェスティバルの様子は、本ブログでしっかりお伝えしていきます。乞うご期待。

よりどりインドネシア第20号を発行

4月23日、情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア」第20号を発行しました。以下のサイトにて、読者登録のうえ、ご覧になれます。

 よりどりインドネシア第20号

「よりどりインドネシア」は、いくつものインドネシアを日本社会にもっと知ってもらうことを目的に、毎月2回、私が発行しているウェブマガジンです。

今回の「よりどり」は、以下の4本です。

ジョコウィ大統領は2018年3月26日付大統領令2018年第20号に署名し、外国人就業に関する規制緩和を実施しました。また、これに関連して、インドネシア国内の大学において、外国人教員の長期正式雇用を進める方針を打ち出しました。今回の措置は、中国人就業者の増加と絡んでいる部分があるため、「ジョコウィ政権は中国寄り」との批判をさらに強める可能性があります。本稿では、そうした背景と問題について解説しました。
中ジャワ州ウォノソボ在住の神道さんの好評連載の第4回です。今回は、神道さんの日常生活のなかで出会う人々の「暗闇」に対する感覚を取り上げています。我々現代の日本人の明るさに関する感覚との違いを感じていらっしゃいますが、もしかすると、それは昔の日本人が持っていた「暗闇」の感覚に近いものがあるのかもしれません。神道さんの名調子と合わせて、ぜひ、ご一読ください。
インドネシア在住でインドネシアの歌の好きな方ならよくご存じの「リソーイ」。この曲の作曲者がナフム・シトゥモランだということをご存知の方は、どれほどいらっしゃるでしょうか。私も今回初めて知った、ナフム・シトゥモランの生涯について、先週発売の『テンポ』の記事を参考に書いてみました。今後も、「忘れられたインドネシア人」を発掘し、取り上げていきます。
「よりどり」では、筆者がインドネシアで食べてきた美味しいものを色々紹介していますが、今回は、ボゴールで食べたマカロニ入り焼きグラタン、マカロニ・パンガンです。ボゴールに行かれたら、ぜひ、MPへ立ち寄ってみてください。
「よりどりインドネシア」は、ウェブサイトからクレジットカードにて読者登録いただく方法以外に、銀行振込も可能です(6か月分または1年分まとめてのお支払いとなります)。銀行振込の場合は、毎回、PDF版を指定メールアドレスへ送らせていただきます。請求書、領収証も発行いたします。
また、皆さんからの「いくつものインドネシア」に関する原稿の投稿も募集しております(薄謝ですが原稿料もお支払いします)。
なお、第0号から第19号までのバックナンバーは、こちらからご覧いただけます。
 バックナンバー
引き続き、「よりどりインドネシア」をよろしくお願いいたします。

会社設立1周年を迎えました

2018年4月11日、福島市に松井グローカル合同会社という名の一人会社を設立して1年が経ちました。個人事業主は廃業し、今はこの法人1本です。会社を設立したものの、活動自体は、個人事業主時代とあまり変わらないまま、1年が経ったというのが実状です。

福島市の弊社オフィス前で咲く満開の八重桜

法人を設立して、法務局、税務署、県庁、市役所のほか、健康保険や厚生年金の手続も行い、一人会社とはいえ、法人として必要な手続を曲がりなりにも進めてきました。

まだまだ収入基盤が固まらず、企業としての安定性を作っていくのはこれからです。しかも、自分がやりたいと思っている活動は、どれもが利益第一ではないものばかりで、どのように収入基盤を固めていくのか、まだしばらくは試行錯誤を続けていくことになりそうです。

営業活動をほとんどしてこなかったことも反省材料です。でも、これは、意義のある仕事を求めながら、少しずつ増やしていきたいと考えています。

そうは言うものの、4月になって、今まで仕込んできたものが動き始めたように思えます。

まず、念願の、福島とインドネシアとをつなげる事業が、今年、少なくとも3本、動かせそうです。分野としては、それぞれ農業、教育、文化に関係します。40年ぶりの福島出戻り組として、福島の外の世界への窓としての役割を自覚し、福島に新しい価値を付加できるように活動していきたいと思います。

インドネシア人技能実習生の活用に関するコンサルティングも開始します。幸運にも、福島や東北に所在するインドネシア人技能実習生ネットワークやインドネシア人の方々と知り合い始めており、より有意義な活動を展開していく基礎ができ始めました。

インドネシア人技能実習生の関連では、ほかにも、ある日系企業と組んで、活動する計画があります。詳細が固まっていくなかで、またお知らせできると思います。

地域づくりや地域おこしに関する活動にも、関わっていきます。地域の方々自身が自分たちの足元を見つめ、主体的に地域に関わっていけるような気づきを促す、教えないコンサルティングに磨きをかけていきます。

そのほか、福島以外の日本の地方とインドネシアの地方とをつなげる事業にも関わります。ただ単につなげるだけではなく、そのつながりから創り出されるモノやコトの価値を意識しながら、つなげた後も、しっかりとサポートしていきたいと思っています。

当面は一人で活動していきますが、状況次第では、社員を雇用することも考えていく必要が出てくるかもしれません。また、日本、インドネシア、その他世界の他社と組んで、事業を行っていくことも、考えていきたいです。

なお、福島の弊社と同じ敷地内にある古民家の活用について、様々な人々が安心して活用できる、福島市のパブリック・スペースとして、整えていく考えです。私自身も、いくつかイベントを考えていますが、皆さんのなかで、古民家を使ったイベントや活動をご希望の方は、お気軽にお問い合わせください。

そんなわけで、1年前よりも、色々わくわくするような展開になりそうな予感があります。まだまだヨチヨチ歩きではありますが、皆様からのご指導・ご鞭撻、そして協働のほどをよろしくお願い申し上げます。

面白いこと、楽しいことをしていきたい、です!

インドネシア人技能実習生の活用に関するコンサルティングを行います

以下のとおり、技能実習生の活用に関するコンサルティングを行います。

<想定される対象>

すでに技能実習生を活用している事業者、これから活用を考えてみたいと思っている事業者、あるいは、技能実習生を海外から受け入れて事業者へ彼らを派遣している監理団体、などを対象とします。製造業だけでなく、農林水産業なども対象とします。

なお、筆者の専門性を鑑み、対象はインドネシア人技能実習生とします。

福島在住のインドネシア人技能実習生との懇談(2017年11月18日)

<どのようなコンサルティングを行うか>

主に、次の4点を中心としたコンサルティングを行います。長年にわたって、地方を含むインドネシアと関わり、かつ日本や開発途上国の地域づくりや地域産業振興を見てきた筆者ならではの、他とは違うコンサルティングをご提案します。

●ミスコミュニケーション対策

第1に、技能実習生と事業者との間のミスコミュニケーション対策を行います。

技能実習生と事業者との間では、言語の壁などにより、意思疎通が不十分になりがちです。その結果、双方の誤解が解消されないまま、それぞれが相手のことを勝手に思い込むことになります。理解できないと思って黙ったまま時間が経ち、ある日突然、暴力や失踪などの事件が起こることがあります。

このような事態になる前に、筆者が間に立ち、技能実習生と事業者との誤解や思い込みを溶かす役割を果たします。そして、未然に、暴力や失踪を起こさせない状況を作ります。

もちろん、そのために、技能実習生に対しては、日本人や日本社会(必要であれば当該地域社会)について、事業者に対しては、インドネシアやインドネシア社会(必要であればインドネシアのなかの技能実習生の出身地域社会)について、理解していただくための十分な情報提供・講義等を行います。

●技能実習の見える化

第2に、技能実習の見える化のお手伝いを行います。

これは、実際に行われている技能実習の内容を言葉に表し、その一つ一つを適切に組み合わせながら、一種のカリキュラムのようなものにしていくお手伝いです。

この作業は、実際の技能実習に過度の負担を加えるものではありませんが、この作業を通じて、技能実習生がどのように技能を習得していったかを、誰の目にも明らかなようにしていくことが可能になります。また、事業者自身が、自らの技能実習の内容をさらに良いものにすることを再検討するきっかけにもなり得ます。

可能であれば、技能実習の終了時に、単なる修了証ではなく、技能実習でどのようなプロセスでどんな技術を身につけたかを示す技能証明書のようなものを発行できるように促したいです。これによって、技能実習生は帰国した後、この技能証明書が新たな就職の際に活用できるようにしたいのです。

筆者は、この技能証明書が発行できたならば、インドネシア政府やインドネシアの地方政府がそれをきちんと認知できるように、働きかけていきます。

●技能実習生の活用に関するアドバイス

第3に、事業者の今後の事業展開に技能実習生をどう活用していくかについて、助言します。

少子高齢化、市場の停滞、人手不足、後継者不足など、事業者は深刻な問題に直面しています。とくに、地方の事業者は、これまで地域産業の一躍を担ってきた歴史的経緯があり、地域経済の観点からも、事業者の今後は一事業者にとどまらない影響がありえます。

そこで、受け入れてきた技能実習生をどのように活用するかをご提案したいと考えています。すなわち、数年にわたって付き合う彼らを一時的なものとして使い捨てるのではなく、事業者の今後にどう生かすか、という提案です。

たとえば、事業者が海外進出する際に技能実習生を現地法人設立などで活用する、帰国した技能実習生が設立した企業と取引する、後継者がいない事業者が長年培ってきた技術やノウハウを帰国した技能実習生に託してインドネシアで事業展開してもらう、帰国した技能実習生が設立した企業が日本の事業者の企業に投資して日本の地域で事業を存続する、などがざっと思いつきます。

3年という年月を一緒に過ごす技能実習生だからこそ、事業者といい関係が作れれば、事業者は以後、彼らを活用することで、新たな展開へ進める可能性を見出せるかもしれません。

そのためには、技能実習の開始前に、事業者側の「どのような人材を技能実習生として求めるのか」と技能実習生側の「どのような技能・技術を習得したいのか、帰国後それはインドネシアの発展に貢献するのか」の適切なマッチングがある程度行われていることが望ましいと考えます。

そこで・・・。

●事前マッチングと技能実習生帰国後以降を含めたケア

第4に、事業者側の求める技術人材と、インドネシアから派遣される技能実習生との事前マッチングを試みます。

日本の事業者側で必要としている技能・技術で、インドネシア側にとっても有用で必要であるものは何か、をあらかじめ探り、つなげます。

筆者は、実は、インドネシアに帰国した元技能実習生のOB会組織「インドネシア研修生実業家協会」(IKAPEKSI)のアドバイザーを2016年から務めています。会員数は約5000人で、会員はインドネシア全国に所在しています。毎日のように、IKAPEKSI関係者とSNSでやり取りをしています。

このIKAPEKSIを通じて、日本への派遣前に日本の事業者が望むような技能実習生候補者を探したり、技能実習生の帰国後に就職先を探したり、起業したりするところまでケアをすることができます。

加えて、筆者は、過去30年のインドネシア研究者としての活動蓄積を通じて、今後のインドネシア全体、及びインドネシア国内の各地方にとって、どのような技能や技術が必要とされうるか、製造業だけでなく農林水産業についても、ある程度の知識と情報を持っています。

このように、筆者は、日本とインドネシアの双方の事情を踏まえたうえで、両者の今後の発展にとって、技能実習生を有益な形で活用できる事例を増やしていきたいと願っています。

以上のように、筆者は、弊社「松井グローカル合同会社」の事業の一つとして、単なる技能実習生の紹介・監理ではなく、日本の事業者とインドネシアの今後を踏まえた、グローカルな視野に立ったトータルなコンサルティングを行っていきたいと考えています。

インドネシア人技能実習生を活用されている事業者や監理団体の方で、ご興味を持たれた方は、お気軽に、下記までご連絡ください。

 松井グローカル合同会社代表・松井和久
 Email: matsui@matsui-glocal.com
 電話:090-3217-5845

東北家族会でインドネシア人技能実習生と交わる

3月4日、宮城県塩釜市で行われた「東北家族会」に参加してきました。

「東北家族会」というのは、東北地方に居住するインドネシア人技能実習生の親睦団体。インドネシア語ではKeluarga Tohokuと呼ばれています。

「東北家族会」は当初、わずか8人でスタートしたのが、現在の会員数は約500人。4日のイベントに参加したのは170人ほどでした。女性の姿も目立ちましたが、彼女らは、気仙沼や塩釜などの水産加工場の研修生でした。

イベントの中身ですが、まず、神への祈りから始まり、塩釜にいる女性会員たちの踊りのアトラクションが続きます。

その後は、3年間の研修期間を終えて帰国する研修生への記念品の贈呈など。

記念品の贈呈が一通り終わると、昼食。インドネシア人技能実習生OGが日本人の旦那さんと経営するケータリング屋さんの弁当でした。

昼食と礼拝の休憩の後は、新しい「東北家族会」の代表を選ぶ選挙が行われました。候補者は2人で、顔写真と公約の書かれた投票用紙が配られ、インドネシアの選挙と同じように、そのどちらかを添付された爪楊枝で刺す、という形で投票が行われます。

そして、開票。インドネシアの選挙と同じように、2陣営と選挙委員会からの計3人の証人が爪楊枝で刺された穴の位置を確認し、それを他の人にも見えるようにします。

新代表が選ばれ、新代表による決意表明が行われた後は、閉会あいさつの後、お楽しみタイム。壇上でダンドゥットが始まり、会場内の至る所で出席者が勝手に踊り始めます。

ひとしきり楽しんだら、全員で会場内の清掃を始めました。

会場をきれいにして、散会。皆さん、とても楽しそうでした。

* * * * *

今回、このイベントが行われたのは、塩釜市杉村惇美術館という場所です。イベントの合間に、館内を少し探検してみました。

静物画を得意とする塩釜ゆかりの画家・杉村惇氏の作品が展示されているほか、彼のアトリエが再現されたコーナーもありました。

杉村惇美術館の建物は、もともとは塩釜市公民館で、丘の上に立つ、ユニークな形の古い建築物です。

2011年3月11日、この丘のすぐ下まで津波が押し寄せた、ということでした。

こんな素敵な建物で、「東北家族会」のイベントが開かれていたのが、何とも言えず、印象的でした。

* * * * *

東北地方に居住するインドネシア人技能実習生が、「東北家族会」のような形でまとまっていることに感激すると同時に、彼らにとってその存在がいかに心強いかを感じました。

そして、彼らを支える日本人や地元の方々の存在も知りました。宮城県国際交流協会の方ともお会いしましたが、同協会は、彼らと地元の方々との交流と共生、地域づくりへの協働を本気で促進しようとしている様子で、個人的にとても嬉しく思いました。

イベント終了後、参加者と一緒に、塩釜から仙台へ移動し、仙台駅で、「東北家族会」の中心メンバーであるW氏やY氏らと2時間ほど色々な話をしました。

筆者も、東北地方に居住するインドネシア人技能実習生に寄り添う活動を、彼らと一緒に行なっていける確信を持てました。筆者が考えていたことは、まさに彼らが必要と感じていたことでした。

今後、「東北家族会」と関係を密にしながら、技能実習制度を本物にしていくための取り組みを、一歩一歩進めていきたいと思います。その具体的な内容については、別途、説明していきたいと思います。

グローカルとハイローカル

1月半ば、会津坂下の話を書いて以来、2週間以上もブログをお留守にしてしまいました。「日記」と言いながら、これはこれまでで最長の空白期間になりました。

この間、調子が悪かったわけでも、何か深刻な問題が起こっていたわけでもありません。ずっと元気に過ごしていましたが、ブログを書くのを単に怠っていただけです。
では何をしていたか、というと、けっこうバタバタしておりました。ローカルとローカルとを結びつけて新しいモノやコトを促す、ということに関わるいくつかの動きと出会っていました。そして、その方向性は誤っていないという確信をさらに得るに至りました。
1月23日には、JICA地域創生セミナーに出席しました。国家=国家を単位とする経済協力外交の一角を担うJICAのなかで、日本の地域振興の経験を世界へ発信し、そのインパクトを日本の地域へフィードバックする、という動きは、決してJICAのなかで主流ではありませんが、驚いたのは、そのような方向性に賛同して動き始めた人々がいる、ということでした。今はまだ、新たな案件形成の観点から日本の地域に目を向け始めたという面も強いでしょうが、いずれその殻を破る動きが現れてくる予感がします。
また、青年海外協力隊経験者が帰国後、地域おこし協力隊として日本の地域に入って活動する動きも見られます。青年海外協力隊OBの活動を支援する公益社団法人青年海外協力協会(JOCA)は、そうした海外経験者の地方での活動を積極的に促しています。
JICAはすでにグローカル協力隊というスキームを持っています。これは青年海外協力隊員が派遣の前または後に日本の地域で活動する、というスキームですが、まだあまり知られていないようです。
こうしたJICAの動きは注目されますし、私の活動ともどこかでつながってくるような気がします。私自身、地域おこし協力隊のツイッターをいくつもフォローしていますが、なかなか面白いものが多いです。こうした人材が今後、どのような展開をしていくかも、大いに興味があります。私の勝手に仲間候補者と言ってもいいかもしれません。
また、1月25日には、「ハイローカルを創ろう」プレイベントというのにも顔を出しました。出席していたのは若い世代がほとんどでしたが、なかなか面白いひとときでした。
これは、美意識を持った地域づくりとでもいうもので、美意識を媒介した新しい価値を地域で作り出す行動を促すものです。つまり、かっこいいローカルを創る、ということのようです。
ハイローカルという言葉はまだよそ者によって唱えられていますが、これが地元の人々の意思とどのようにつながり、溶け合っていくのか、まずは、コミュニケーションの問題が横たわっているような気がします。
それでも、よそ者による美意識の押し付けになるのではなく、その美意識を契機として新しい価値が生まれてくるのであれば、ハイローカルがその地域のものになっていくプロセスが現れてくるような、そんな可能性を感じました。
ローカルという言葉が様々なシチュエーションで以前よりもより頻繁により真剣に、それも東京で語られ始めている、そんなことを感じた1月後半でした。
1月23日、所用でみなかみ町にも行ってきました
先週は、ジャカルタへ出張でした。その話は、また改めて。また、2月4〜5日は京都へ行ってきます。

「よりどりインドネシア」第13号を発行しました

いくつものインドネシアを日本語利用者へ向けて発信するウェブ情報マガジン「よりどりインドネシア」は、2018年1月7日に第13号を発行しました。

第13号は、燃料全国統一価格の試行アブラハムさんとカルンパン織岡本みどりさんの犬に関するロンボクだよりマカッサルかた焼きそば物語、の4本です。

カルンパン織の織物

おかげさまで、2017年7月の発刊以来、毎月7日・22日に発行して、ここまでで13本発行することができました。今のところ、何とか、この期日どおりに発行しています。

「よりどりインドネシア」は、皆さまからの様々なインドネシアに関する原稿を募集しております。とくに、インドネシアの地方在住の方々の生活文化に関する原稿、過去の隠れた歴史に関する原稿などを歓迎します。文字数は1000字前後〜お好きな長さまで、写真も添えていただければ嬉しいです。もちろん、原稿料をお支払いいたします。
すでに、ロンボク島在住の岡本みどりさんの連載「ロンボクだより」が5回を数えるほか、中ジャワ州ウォノソボ在住の神道有子さんの「ウォノソボ・ライフ」も始まりました。ジャカルタ在住の大島空良さんの数々の原稿も、とても興味深いものです。

なお、たいへん僭越ながら、有料での購読をお願いしています。毎月2号分で810円(税込)、すなわち1号当たり405円(税込)で、読者登録開始月は1カ月分が無料となります。以下のサイトから、読者登録が可能です。

 よりどりインドネシア

また、PDF版を毎号、指定されたメールアドレス宛てにお送りすることも可能です。この場合には、6カ月分または12カ月分の購読料を日本またはインドネシアのこちらで指定した銀行口座へ、日本円またはルピアでの相当額にて、お振込いただくことになります(もちろん、開始1カ月分は無料です)。

PDF版がよろしい方は、ご遠慮なく、matsui@matsui-glocal.com までおしらせください。請求書や領収書を作成することも可能です。

おかげさまで、現時点で、登録読者数は45名となりました。読者登録されますと、創刊号から第13号までのバックナンバーをご覧いただけます。

PDF版の場合には、ご希望のバックナンバーをPDFにてお送りいたします。
今年は、地方首長選挙や大統領選挙候補者登録など、選挙イヤーです。現代のインドネシア政治を見ていくうえで、地方首長選挙の意味はスハルト時代よりもはるかに重要になっていることから、「よりどりインドネシア」では、これまで日本のマスコミにあまり取り上げらなかった、地方首長選挙に関する分析記事をより多く取り上げていく予定です。
皆さまからの原稿、読者登録、ご愛読を心よりお待ち申し上げます。どうぞよろしくお願いいたします。

祈りだけでなく行動へ

新しい年、2018年が始まりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年の自分のキャッチフレーズは、「祈りだけでなく行動へ」としました。毎年、家族の健康や世界の平和を祈ってきましたが、それだけでは不十分、自らそのための行動を起こしていかなければならない、と今年は特に強く感じました。

それでも今日は、東京の自宅近くの神社へ初詣し、しっかり祈ってきました。

23年間勤めた研究所を辞め、一人で動き始めて、今年で10年になります。これまでも、そして今も、試行錯誤の毎日ですが、一人で動けるということの意味をもう一度考えています。

日本のローカルとインドネシアのローカルをつなげて新しいモノやコトを創る、という活動を、さらに進めていきます。そして、日本のローカルどうし、インドネシア以外のローカルへの展開を試みていきます。

ここでのローカルには、地域社会・コミュニティ、地方自治体、地方企業、農民グループ、社会組織、そして地域に生きる個々の人々、を含みます。

ローカルとローカルをグローバルにもつなげていった先に、私なりの未来の姿があります。

それは、国や種族や宗教による勝手な先入観を抑え、同じ人間としての他者への想像力を深め、広げた世界であり、それを足元の日々の暮らしから発想し、意識する、ということです。

そのためには、暮らしから遠いところにある国家ではなく、暮らしに直結したローカルから発想する必要があると考えます。平和というものは、人々が自分の暮らしを第一に意識するところから始まるはずです。

ローカルは他のローカルの支配者になる必要はありません。国家という枠がはめられている以上、一つのローカルが世界中のローカルを支配することはできません。ローカルとローカルとの間に上下関係はありません。対等の関係でつながり、互いの違いを認め合うだけです。学びあいの関係をつくるのに適した関係と言えます。

そんなローカルが他のローカルを認め合いながらつながっていく世界は、国家が覇を唱え合うだけの世界よりも、あるいは覇を唱える国家の横暴を抑制させる、より安定した世界になるのではないか。

それは夢想かもしれません。お花畑かもしれません。でも、つながらずに、知らない相手を一方的に妄想し、相手を誹謗・中傷し罵声を浴びせるようなことは、個人のストレス発散の方法だとしても、決して許されるものではありません。だって、自分がそれをされたなら、決して嬉しく感じるはずがないからです。

国を知ることも大事ですが、同時に、そこで人々が暮らすローカルをもっと知り、その人々や彼らの暮らしへの想像力を高めることが必要です。

ローカルから始める意味はそこにあります。ローカルは暮らしと直結するからです。

そのような意味を込めて、これから仲間を増やす長い旅に出たいと思います。皆さんがそうした仲間に加わっていただけることを願いつつ・・・。

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