カテゴリー: 地方
マンズィーニ氏と小松理虔氏は同じことを言っていたのか
小松理虔著『新復興論』を読了
購入して読み始めたのはずいぶん前だったが、ようやく本日(5/17)、小松理虔著『新復興論』を読了した。
初めての小湊鐵道、味のあるローカル線
1月11日に市原湖畔美術館での「宮本常一から学ぶ」のイベントに参加するため、五井から高滝まで、初めて小湊鉄道に乗った。市原湖畔美術館への最寄駅は高滝で、高滝駅から市原湖畔美術館までは徒歩で約20分だった。
JR内房線で五井駅につき、跨線橋上で、JRの改札を出ることなく、そのまま真っすぐ進むと小湊鐵道の乗換口。世話好きな小湊鐵道のおばさんが案内してくれる。
自動販売機で切符を買う。今回買ったのは、五井~高滝間の往復割引券。上総鶴舞と高滝の間が乗り降り自由の切符で、往復1420円。通常運賃は片道930円なので、往復で400円程度お得になる。
きっぷを買って跨線橋を降りると、小湊鐵道のプラットフォームだ。列車はすでにプラットフォームに待機、気動車だ。
台風19号の影響で、この日は五井から上総中野までは行かず、養老渓谷での往復運転だった。五井駅のプラットフォームには、なぜかイノシシの像が。その言われについて書かれたものは見当たらなかった。
五井駅の小湊鐵道の車庫には、少なくとも3編成が待機していた。
列車は定刻通りに発車。2両編成で、後部車両に車掌が乗っている。
車両内の天井には扇風機があり、中央部に排気筒、その脇に冷房用のエアコンが設置されていた。つり革は丸い輪がストレートにぶら下がっている。乗降口は一車両に前後2ヵ所のみである。
列車は、40~50キロ前後のゆっくりした速度で、左右にけっこう揺れながら、単線を走っていく。
車窓の外は、冬の農業地帯。水田はもちろんのこと、野菜畑なども広がる。現時点で耕作中のところはほとんどなく、枯れた草が放置されたままのところが多かったが、一部で耕作へ向けての準備をしているところも見られた。
途中の上総牛久周辺は商業・住宅地区となっていて、この沿線では最もにぎやかな地域だった。
他方、台風19号などの影響で、光風台駅前など、数ヵ所に倒壊したままの建物が残されていたほか、瓦屋根の一部が飛ばされた部分を青色のビニールシートで覆い、その上に土嚢などを置いて、風で屋根が飛ばないようにしている住宅も点々と見受けられた。
そうした家々は、五井から上総牛久までの間により多く見られたが、内陸の高滝の周辺でも見られた。それらの家の方々は、この正月をどんな気持ちで迎えられたことだろうか。
五井を出て40分ほど揺られながら、高滝に到着。高滝駅は小さな駅だった。
ちょうど、市原高滝湖マラソンが行われていて、高滝駅の手前の加茂公民館にたくさんのジャージ姿の老若男女の姿が車内から見えた。思ったよりもにぎやかな印象だったが、それはこのときだけだった。
イベントが終了し、市原湖畔美術館を後にした午後5時半頃には、もうすっかり辺りは暗くなっていた。昼食を食べる時間がなかったので、途中の寿司屋で空腹を満たした後、高滝駅へたどり着いたのは午後6時半過ぎ。駅には誰もいなかった。
プラットフォームへ出ると、線路にいた野良犬がギャンギャン吠えてくる。近寄ってくるでもなく、遠巻きにしながら、いつまでも吠え続けていた。
定刻通りに五井行の列車が到着。乗客は私一人だった。2両目の車両の唯一人の乗客。
乗客がいないせいなのか、列車の揺れが来たときよりもずいぶん大きく感じる。途中の上総山田駅から1人乗り、2両目の乗客は2人になって、そのまま五井に着いた。
小湊鐵道は、実に味のあるローカル線だった。乗降客数は年々減少しており、歌声列車やトロッコ列車など、ユニークなイベントも試みているが、間違いなく、存続の是非も問われてくる。
小湊鐵道をめぐる沿線の様々な物語をどのように様々な人々から手繰り出し、また新しい物語を作っていけるか、注目していきたい。
しみずの里が福島市に4月オープン、入居者募集中
私がお手伝いしている、福島市泉のサービス付き高齢者向け住宅「しみずの里」は、いよいよ、4月1日のオープンへ向けて、着々と完成に近づいています。
この「しみずの里」では、デイサービス、居宅介護支援、訪問介護、訪問看護のサービスも提供します。食事は温かい美味しいものを毎回手作りで提供します。
ただ今、入居者を募集中です!
そして、正式オープンに先がけて、完成内覧会を開催します!
日時は、2019年3月22日(金)・23日(土)の午前10時~午後4時まで。
この機会に、是非、環境の良さを実際に味わってみてください。
福島駅から飯坂電車で泉駅下車、徒歩5分です。当日は私もいる予定です。
他では味わえない、素敵な環境です。
いらっしゃったなら、必ずそれが分かります!
「しみずの里」の南側の同じ敷地内には、国登録有形文化財「佐藤家住宅」があります。福島市内唯一の茅葺きの大規模古民家です。
この「佐藤家住宅」は、明治6年に建造され、広い芝生の庭園には、地名の由来となった「泉」が湧き、茅葺きの兜屋根、合掌造りの大空間、囲炉裏、蔵など、古き良き日本の原風景を感じられる空間がそのまま残されています。
「佐藤家住宅」を地域遺産として末永く守り続けるために、この空間から様々な活動が生まれる場づくりをしていきます。
もちろん、「しみずの里」の入居者の皆さんが、ゆったりと楽しく過ごせる場所として輝かせていきます。
大きな茅葺き屋根の風格ある古民家。四季折々に咲き誇る花々や様々な果実。吾妻山からの伏流水がコンコンと湧いてくる泉。
ベンチに腰掛けながら、大きな空を見上げるのもよし。
ウグイスの鳴く林の中で、タケノコを探すのもよし。
泉のなかでスイカやビールを冷やして、セミの声、夏を楽しむもよし。
近所の方々や子どもたちがふらっとやってきて、わっと歓声を上げる。
そば打ち名人もやってきて、美味しい日本酒を楽しむ秋。
囲炉裏の火を囲んで、外国から来られた方々と和やかに語らう夜。
音楽会や映画上映会、勉強会、セミナー、お茶会、薪能・・・。
何だか、ここにいるだけで温かく、ほっこりしてくるような・・・。
日本一、いや世界一幸せな場所になったらいいな、と思います。
そんな場所を「しみずの里」で一緒につくりませんか。入居される方は、その仲間だと勝手に思っています。
ご関心のある方は、matsui@matsui-glocal.com へお気軽にお知らせください。ご連絡をお待ちしています。
外国人材を地域づくりの戦力に
このタイトルにちょっと違和感を感じる方がいるかもしれません。なぜそう考えるのか。少し書いてみたいと思います。
2018年6月、ひょんなことから、北陸経済連合会の関連団体である北陸AJECが主宰する共同調査「北陸企業の外国人材の採用・活用-現状と課題-」のメンバーに加えていただき、報告書の1章を執筆することになりました。
この調査自体は、もともと北陸の大学などへの留学生を中心とした高度人材を地域がどのように活用するか、という観点から行われていたものです。ただ、北陸企業の現場では、やはり技能実習制度に係る問題が高い関心を示していることから、それについて私が担当することになったのです。この関連で、2019年3月26日に金沢市で講演することになりました。
2019年4月からは改正入管法による新たな在留資格「特定技能」が創設され、技能実習から特定技能へ、研修から労働力へ、大きな転換が進んでいくという見方がメディアなどに散見されます。現在、様々な角度から、この動きについてウォッチし、今後どのように改革を進め、方向性を打ち出していくのが望ましいか、自分なりに色々と思案中です。
それは、今まさに直面している人手不足問題にどう対応していくかという問題を超えて、これから20年、30年後の日本社会がどのようになっていくのか、どうなっていくのが人々にとって望ましいのか、幸せになるのか、ということまで構想(妄想?)したうえで、今の動きを捉えていかなければならない、と個人的に思っているからです。
たとえば、地域を再生・活性化させるには、「よそ者、若者、ばか者が必要だ」といった議論がありますが、どんな「よそ者、若者、ばか者」が必要で、彼らがどのように必要なのか、どのように振る舞うのか、といったことをより深く広く考える必要があります。
そこで、ふと思うのです。「よそ者、若者、ばか者」って、性別とか出自とかで制限されるのか、と。そして、日本人に限られるのだろうか、と。
「よそ者、若者、ばか者」が地域社会やそこの人々と関わるときには、適切な関わり方というものがあります。そこに移住するだけが関わり方ではないのです。時々住んでみたり、複数拠点の一つにしたり。遠くに住みながらもずっとその地域を気にしながら応援し続ける、というのもありだと思います。
そこで、次のような考えが頭に浮かびました。
人口流出や高齢化、過疎によって人口わずか1000人の地域。もしもその地域が好きで、気になって、応援したいと思う応援団が(たとえば)10万人存在すると分かったら、その地域は、そこに住んでいる1000人のためだけの場所ではなくなるはずではないでしょうか。
きっと、そこに住んでいる人には、なぜ、よその人が10万人も自分の地域を好いてくれているのか、分からないかもしれません。そこで言えることは、よその人には、そこに住んでいる人には感じられない何らかの価値や魅力を感じている、ということです。もしかすると、それは地元の人々にはあまりにも当たり前すぎて、何も感じないのかもしれません。
その地域が好きだというファンを、別に日本国内だけに限定する必要はありません。世界中にその地域のファンが何万人もいる、ということを意識した地域づくりや地域振興は、今までのそれとは確実に違ったものになるはずです。
この着想は、実は、高知県馬路村がどうやって存続し続けてきたか、ということから得たものです。馬路村農協の様々なユズ加工品を通じて、村の人口の何倍もの馬路村ファンが全国にいるのです。
海外の方々にもそうしたファンになってもらうことは可能ですよね。
村から若者が流出してしまい、若い世代といえば、外国からやってきた技能実習生ぐらい、というところも少なくないかもしれません。でも、3年もの長期にわたって地域で生活する彼らは、「よそ者、若者、ばか者」になれるのではないでしょうか。
日本国外で応援してくれるその地域の外国人ファン。その地域で生活する技能実習生たち。それらの外国人材を、地域づくりの戦力として活用する方策を考える時代になってきたのではないでしょうか。
地方にとってこそ、外国人材との共生は待った無しの状況です。外国人材を入れるか入れないか、という悠長なことは言っていられない状況だと思います。そうだとするならば、共生を超えて、地域の外国人材を「よそ者、若者、ばか者」としてどのように地域のために活用するか、を考え始め、準備する時期にもう来ているのだと思います。
「よそ者、若者、ばか者」って、性別とか出自とかで制限されるのか、と。そして、日本人に限られるのだろうか、と前述しました。外国人材だけでなく、様々な人材を地域づくりの戦力にしていくのだと思います。
そのために努力することは、必ずしも、英語を勉強することではありません。
それは、地域の魅力を高めることです。
地元の人が魅力だと思っていることと、よそ者が魅力と感じるものは同じとは限りません。それを意識しながら、地域の魅力を高める。それは新しく作った魅力でもいいのです。
そのためには、どうしたらいいのか。
このブログで、今後、折に触れて、私なりの考え方を示してみたいと思います。
なお、私自身は、日本だけでなく、インドネシアでもアフリカでも、世界中どこでも、地域づくりに関しては、まったく同じく、提示してきた(提示していく)考えです。
タケゴンは美しい街だった
しばらくブログ更新が空いてしまいました。やはり、少しずつでも、できるだけ頻繁に更新していったほうが良いですよね。
というわけで、久々のブログ更新です。
先週、1月13~19日は、インドネシアのスマトラ島の北端アチェへ出張してきました。
といっても、アチェ州の州都バンダアチェではなく、中アチェ県のタケゴンというところです。バンダアチェから車で片道9時間かかる、山のほうのアチェです。
ただし、今は、メダンからタケゴン・レンベレ空港まで飛行機で1時間程度でアクセス可能となりました。ただし、航空会社はあのライオン・エアの子会社ウィングス・エアですので、利用しようという気にはなかなかなれません。
タケゴンの辺りは「アチェ」というよりも「ガヨ」(Gayo)という地名のほうが一般的です。昔から、ガヨの人たちは海岸部に住むアチェの人たちとは自分たちを区別していたようです。
中アチェ県の県都タケゴンは、予想以上に美しい街でした。丘に登って、街を眺めました。
タケゴンは、淡水湖であるラウト・タワル湖のほとりに広がる街です。
街は湖と山々に覆われ、実に風光明媚な落ち着いたたたずまいです。
盆地であるこの街は、ある意味、自給自足的な地域経済を回しているところのように思えました。ジャワなどから入ったフランチャイズはかなり少なく、KFCが昨年、1軒オープンしたのが目立ちました。
アチェと言えば、長年、インドネシア国軍と独立派勢力が軍事的に衝突してきた場所として知られますが、タケゴンとその周辺もそれから別世界だったわけではないのです。
それでも、持ちこたえられたのは、タケゴンを中心としたこの地域の経済的な強さ、というかしたたかさがあったからではないかと思います。
タケゴンはまた、特産のアラビカコーヒー「ガヨコーヒー」の集散地としても知られています。ガヨコーヒーはすでに地理的表示保護(GI)を取得しているのと、エコ・ラベリングにも積極的に取り組んでいます。
コーヒーに続いて、柑橘類も地理的表示保護を取得しました。今後、中アチェとは、この柑橘類の栽培・加工・販売に関する農民研修でお付き合いすることになります。
また、タケゴンへ来るのが楽しみです。
滞在許可手続が終了、いろいろ簡略化
11月12日からインドネシアに来ています。まずは、マランに滞在し、外国人暫定滞在許可(ITAS)の手続を終わらせました。イミグレに出向いて写真撮影、指紋採取をし、翌日にはパスポートが返却されました。
現在のITASは、オンラインで管理されていて、ITASオリジナルとITAS簡易版がメール添付で送られてきます。ITAS簡易版をプリントアウトし持ち歩く、または、スマホにITAS簡易版を入れてもいいのかもしれません。提示の必要があれば、そのいずれかを見せればいいのでしょう。
昔のようなカードはなくなりました。大昔、外国人暫定滞在許可証はカード式で、それを紛失したことがありました。このカードの再発行のために、イミグレや州法務局を何度も往復し、1ヵ月以上の時間を費やしました。
オンライン化された現在、ITASが紛失することはありません。万が一、プリントアウトしたITAS簡易版がなくなっても、またプリントアウトすればいいのです。そうそう、以前「ブク・ビル」(Buku Biru)と呼ばれた外国人出入国管理記録帳も必要なくなりました。
また、複数回再入国許可もITASと併せて取得できるのもよいです。以前は、複数回再入国許可は別途取らなければならなかったので、滞在許可期間と適合せずに頭を悩ませたものでした。
さらに、警察での手続も、エージェント経由で本人出頭が不要とのことでした。以前は、写真撮影と指紋採取があるため、本人が出頭する必要がありました。写真と指紋の情報は、イミグレと共有するようになったと思われます。もう、指紋採取後、トイレの前の固形石鹸で手を洗わなくてよくなったのだなあと感慨深いものがあります。
昔はいつも、暫定滞在許可カード、ブク・ビル、警察証明カード等を持ち歩いていたものですが、今は、ほとんど何も持ち歩く必要がなくなったのは、とても気楽な気分です。
まあ、しっかりとすべての省庁にオンラインで管理されていて逃げられない、という意味もあるでしょう。日本のシステムも進んでいるのでしょうが、再発行手続などで面倒極まりなかった過去のインドネシアのシステムが、地方都市のマランでも、ここまで改善されているとは、正直、驚きました。
よりどりインドネシア第26号でなぜ州知事選挙に注目するのか
先週後半から今週前半にかけて、勉強会用資料作成や原稿執筆など3本の用務に追われ、ブログ更新を怠っておりましたが、よろよろと再開します。
その3本の用務の一つが、「よりどりインドネシア」第26号の発行(7/23)でした。
第25号と第26号では、17州の州知事選挙の結果について、各州ごとに分析を試みました。細かく見てみると、なかなか興味深い現象が垣間見られました。
現在のインドネシアのジョコウィ大統領が、ソロ市長→ジャカルタ首都特別州知事→大統領という足跡を示したのですが、これが政治家の一つの上昇モデルになっているように見えるのです。
県知事・市長→州知事という流れは昔からありましたが、ジョコウィ以前は、州知事→内務省高官または国会議員、というのがほとんどでした。基本的に、地方政府は内務省の下にあり、州知事といえども内務省高官の下という認識だったからです。
なぜ変化が起きたのかというと・・・。
それは地方首長直接選挙と地方分権化によるものです。地方首長は、かつては地方議会で選出し、大統領や内務省の眼鏡にかなった人物でないと就任できませんでした。今では、もちろん、住民による直接選挙で当選した地方首長は、大統領や内務省の審査を受ける必要はありません。
民主化した(とされる)インドネシアでは、大統領と言えども、住民が直接選挙で選んだという正統性を覆すことはできません。
ここで重要なことは、地方首長選挙が公明正大に公正に行われる、ということです。SNSなどの発達で、かつてのような密室での操作ができにくい状況になっていることは注目されます。不正は行われているかもしれませんが、どこでそれが起こりうるかは大体分かっており、集計段階でおかしな票の動きがあれば、メディアなどが騒いで、公にされます。
インドネシアではこれまで、選挙結果に関して、政界を揺るがすような大混乱は起こっていません。収拾がつかないような混乱がまれに起こっても、必ず白黒がついています。選挙は、見る限り、正しく行われているとみなしてよいかもしれません。
今回の州知事選挙では、現職で落選したケースが目立ちました。現職は自分の再選に向けて公的予算を内々に活用することもでき、立場上、相当に有利なはずですが、落選するのはなぜか。カネや利権のばら撒きが効果を果たしていないのではないか。
やはり、住民は現職の実績を見ているのだと思いました。とくに、中央政府や他の地方政府から評価され、たくさんの視察を受け入れ、善政事例としてメディアで頻繁に取り上げられるような地方首長は、本当のところは分かりませんが、住民から見て、実績のある地方首長と見なされることでしょう。
だから、県知事や市長でも、そのような名声を得た者が州知事選挙に立つと、有能な人物として注目されるのです。そして、州知事で注目されると、その次へ、という道筋が立ってきますそれは、現職のジョコウィ大統領がたどった道でもあります。
また、大臣経験者や国会議員があえて地方首長選挙に立候補する、という現象も起こっています。昔は考えられなかったことです。彼らもまた、地方首長としての経験と実績を引っ提げて、その他大勢の内閣や国会を経由せず、一気に上を目指そうとしているのかもしれません。
2019年大統領選挙はまだ早いとしても、次の2024年までに、どんな新しい指導者が現れてくるか。行政府の長として、一国一城の主の経験、換言すれば、経営者としての経験をもった実績を積み上げた(とされる)地方首長が、台頭してくるのではないでしょうか。
そう、これは、15年ぐらい前まで、あれだけ寄ってたかって批判し、無理だと言われた地方分権化や地方首長直接選挙のプラスの成果なのです。
そうした意味で、筆者は、地方首長のこれからのパフォーマンスに大いに注目していきます。
地域仕掛け人市2018に行ってみた
6月30日、東京・恵比寿に新しくできたEBIS303というイベントスペースへ行き、「地域仕掛け人市2018」というイベントに行ってきました。EBIS303というのは、スバル自動車の新社屋のなかに位置しているスペースです。
地域仕掛け人市というのは、様々な地域で活躍する「仕掛け人」が集まり、東京にいる若者たちをターゲットに、彼らを地方へ引き寄せ、あわよくば、地方で働いてもらうことを目的としたイベントでした。ただ、就職説明会や移住相談会とは違い、もう少しゆるく、地方の魅力を説明し、ファーストコンタクトしてもらえればいいな、という感じでした。
毎年の恒例行事のようですが、2018年は33箇所から地域仕掛け人が集まり、それぞれがブースを出して、自分たちの活動をアピールしました。他方、別室では、継業(VS起業)、働き方改革、関係人口作り、暮らしの4テーマ別セッションが行われ、複数の地域仕掛け人によるパネルトークが行われました。
まあ、言ってみれば、「地方へより多くの人材に来てもらいたい地域仕掛け人たち」と「東京ではなく地方で何かをしたい若者たち」との間の、新手のマッチングイベント、といったものでした。実際、参加者の多くは若者たちで、とくに、地域活性化に関わりたいと思っている大学生などが多く見られました。
地域活性化に関わりたいといっても、そんなに簡単なことではないよね、と思いつつ、昨今、地方創生などの言葉に踊らされて増殖する大学の傾向などが想起されました。
実際、地域仕掛け人のなかには、地方自治体も少なからず含まれ、その多くは、地域おこし協力隊としてきてくれる人材リクルートを目的としていました。
筆者は、先に挙げた4つのテーマ別セッションに参加し、実際の当事者が自分の言葉で語る姿を見ることができ、有益でした。とくに、最初のセッションで取り上げた「継業」に色々と感じ入るところがありました。
日本のほとんどの地域で人口減少・高齢化が厳しい状態となっており、東京周辺のみが人口増を享受している現状となっていることは、このイベントでも強調されていました。
その一方で、地方では、後継者がいないことで、廃業を余儀なくされる事業者が数多く存在します。そのなかには、経営的に苦しいわけではなく、いや、むしろ黒字経営で利益を上げ、顧客もしっかりいる、マーケットも持っている、にもかかわらず、後継者がいないという理由で、自分の代で事業を止める場合が少なくありません。
そうした事業者に対して、後継者を探し、マッチングさせる試みを行っている地域仕掛け人の話は、なかなか心に響くものでした。今回のセッションでは、石川県の「能登の人事部」と「七尾街づくりセンター」の話を聞きました。
能登の人事部は、能登地域で継業を希望する事業者たちが個々に人材を探すのではなく、彼らの求人情報を一手にまとめ、東京や大阪などをターゲットに、求人活動を行って、継業を希望する事業者と繋げる役割を果たしています。
実際に、能登の人事部のサイトを見ると、地域おこし協力隊の募集のほか、福祉旅行プランナー、ヘルスケアコーディネーター、和ろうそくの海外セールス担当者などの求人情報が掲載されています。Wantedlyという求人サイトをうまく活用しています。
能登の人事部が民間なのに対して、七尾街づくりセンターは半官半民の株式会社ですが、関わっている方々は、よそ者とUターン組で、いわば、外部者の目を持った人たちです。
よそ者として関わる、七尾街づくりセンターの友田氏は、どのような技術を持った人材が欲しいかという質問に対して、「とくに何かスキルや技術を持っている必要はない」「できないから恥ずかしいと思う必要はない。むしろ「できない」と公言して欲しい。必ず地元の人々が助けてくれる」と述べているのが印象的でした。
地域おこし協力隊の様々な現状なども鑑みると、上記のような、ウチとソトとを繋げる人材や組織の存在がとても重要であると思いました。このイベントに集った地域仕掛け人はまさにそのような存在であり、彼らが生き生きと活動できる地域は、きっと地域も生き生きとし続けていけるのだろうなと思いました。
それは、人口減少・高齢化に直面する地域の覚悟の問題でもあると思います。地域活性化や地方創生などを国の方針に沿った事業実施という枠だけで捉え、ウチとソトを繋げる人材や組織を便利屋、時にはうっとおしい存在、と見なしているうちは、まだまだ覚悟が足りないのではないか、と思ってしまいます。
そして、今回のイベントではまだほとんど触れられていませんでしたが、地方での仕事の担い手となってきていて、その地域に愛着を持ってくる外国人材をこれからの地域にどう活かしていくか、という視点も大事になってくるような気がします。
単なる人手としてではなく、彼らを地域を一緒につくっていく人材として位置づけ、継業や関係人口の担い手と考えていく時代が来ているように思います。とはいえ、外国人材に対する否定的な見解は、まだなかなか根強いものがありそうです。
継業や就業のために東京などで人材を探す一方、地元の人材はソトへ出て行ってしまう、という現実。その地域が好きだ、何かしたいという(外国人材を含む)ヨソ者と、地域から出て行く、あるいは地域に住みながら買い物は地域外の地方大都市へ行くというウチ者と。どちらが地域のこれからにとって役目を果たしていくのか。ヨソ者とウチ者との関係は、簡単に何か言えるものではないことは、もちろん承知しています。
そして、地域で現実と直面して格闘する人々と、その地域に研究対象として関わる学識者との関係もまた、別な意味でのヨソ者とウチ者との関係として、考えていく必要があるものと思います。
本ブログでも、今後、自分なりに色々と考えていきたいと思います。
インドネシア人技能実習生の活用に関するコンサルティングを行います
以下のとおり、技能実習生の活用に関するコンサルティングを行います。
<想定される対象>
すでに技能実習生を活用している事業者、これから活用を考えてみたいと思っている事業者、あるいは、技能実習生を海外から受け入れて事業者へ彼らを派遣している監理団体、などを対象とします。製造業だけでなく、農林水産業なども対象とします。
なお、筆者の専門性を鑑み、対象はインドネシア人技能実習生とします。
<どのようなコンサルティングを行うか>
主に、次の4点を中心としたコンサルティングを行います。長年にわたって、地方を含むインドネシアと関わり、かつ日本や開発途上国の地域づくりや地域産業振興を見てきた筆者ならではの、他とは違うコンサルティングをご提案します。
●ミスコミュニケーション対策
第1に、技能実習生と事業者との間のミスコミュニケーション対策を行います。
技能実習生と事業者との間では、言語の壁などにより、意思疎通が不十分になりがちです。その結果、双方の誤解が解消されないまま、それぞれが相手のことを勝手に思い込むことになります。理解できないと思って黙ったまま時間が経ち、ある日突然、暴力や失踪などの事件が起こることがあります。
このような事態になる前に、筆者が間に立ち、技能実習生と事業者との誤解や思い込みを溶かす役割を果たします。そして、未然に、暴力や失踪を起こさせない状況を作ります。
もちろん、そのために、技能実習生に対しては、日本人や日本社会(必要であれば当該地域社会)について、事業者に対しては、インドネシアやインドネシア社会(必要であればインドネシアのなかの技能実習生の出身地域社会)について、理解していただくための十分な情報提供・講義等を行います。
●技能実習の見える化
第2に、技能実習の見える化のお手伝いを行います。
これは、実際に行われている技能実習の内容を言葉に表し、その一つ一つを適切に組み合わせながら、一種のカリキュラムのようなものにしていくお手伝いです。
この作業は、実際の技能実習に過度の負担を加えるものではありませんが、この作業を通じて、技能実習生がどのように技能を習得していったかを、誰の目にも明らかなようにしていくことが可能になります。また、事業者自身が、自らの技能実習の内容をさらに良いものにすることを再検討するきっかけにもなり得ます。
可能であれば、技能実習の終了時に、単なる修了証ではなく、技能実習でどのようなプロセスでどんな技術を身につけたかを示す技能証明書のようなものを発行できるように促したいです。これによって、技能実習生は帰国した後、この技能証明書が新たな就職の際に活用できるようにしたいのです。
筆者は、この技能証明書が発行できたならば、インドネシア政府やインドネシアの地方政府がそれをきちんと認知できるように、働きかけていきます。
●技能実習生の活用に関するアドバイス
第3に、事業者の今後の事業展開に技能実習生をどう活用していくかについて、助言します。
少子高齢化、市場の停滞、人手不足、後継者不足など、事業者は深刻な問題に直面しています。とくに、地方の事業者は、これまで地域産業の一躍を担ってきた歴史的経緯があり、地域経済の観点からも、事業者の今後は一事業者にとどまらない影響がありえます。
そこで、受け入れてきた技能実習生をどのように活用するかをご提案したいと考えています。すなわち、数年にわたって付き合う彼らを一時的なものとして使い捨てるのではなく、事業者の今後にどう生かすか、という提案です。
たとえば、事業者が海外進出する際に技能実習生を現地法人設立などで活用する、帰国した技能実習生が設立した企業と取引する、後継者がいない事業者が長年培ってきた技術やノウハウを帰国した技能実習生に託してインドネシアで事業展開してもらう、帰国した技能実習生が設立した企業が日本の事業者の企業に投資して日本の地域で事業を存続する、などがざっと思いつきます。
3年という年月を一緒に過ごす技能実習生だからこそ、事業者といい関係が作れれば、事業者は以後、彼らを活用することで、新たな展開へ進める可能性を見出せるかもしれません。
そのためには、技能実習の開始前に、事業者側の「どのような人材を技能実習生として求めるのか」と技能実習生側の「どのような技能・技術を習得したいのか、帰国後それはインドネシアの発展に貢献するのか」の適切なマッチングがある程度行われていることが望ましいと考えます。
そこで・・・。
●事前マッチングと技能実習生帰国後以降を含めたケア
第4に、事業者側の求める技術人材と、インドネシアから派遣される技能実習生との事前マッチングを試みます。
日本の事業者側で必要としている技能・技術で、インドネシア側にとっても有用で必要であるものは何か、をあらかじめ探り、つなげます。
筆者は、実は、インドネシアに帰国した元技能実習生のOB会組織「インドネシア研修生実業家協会」(IKAPEKSI)のアドバイザーを2016年から務めています。会員数は約5000人で、会員はインドネシア全国に所在しています。毎日のように、IKAPEKSI関係者とSNSでやり取りをしています。
このIKAPEKSIを通じて、日本への派遣前に日本の事業者が望むような技能実習生候補者を探したり、技能実習生の帰国後に就職先を探したり、起業したりするところまでケアをすることができます。
加えて、筆者は、過去30年のインドネシア研究者としての活動蓄積を通じて、今後のインドネシア全体、及びインドネシア国内の各地方にとって、どのような技能や技術が必要とされうるか、製造業だけでなく農林水産業についても、ある程度の知識と情報を持っています。
このように、筆者は、日本とインドネシアの双方の事情を踏まえたうえで、両者の今後の発展にとって、技能実習生を有益な形で活用できる事例を増やしていきたいと願っています。
以上のように、筆者は、弊社「松井グローカル合同会社」の事業の一つとして、単なる技能実習生の紹介・監理ではなく、日本の事業者とインドネシアの今後を踏まえた、グローカルな視野に立ったトータルなコンサルティングを行っていきたいと考えています。
インドネシア人技能実習生を活用されている事業者や監理団体の方で、ご興味を持たれた方は、お気軽に、下記までご連絡ください。
松井グローカル合同会社代表・松井和久
Email: matsui@matsui-glocal.com
電話:090-3217-5845
川俣と飯野のおひなさま
2月18日は、弟に車を出してもらい、リリさんを連れて、福島から川俣と飯野(いいの)へ出かけました。前日の雪が心配でしたが、幹線道路の雪はきれいに除雪してありました。
まず、道の駅川俣に着いて、2階にある蕎麦屋で鶏南蛮そばをいただきました。そばは手打ち、おつゆの中に小切りの川俣シャモが数切れ入っていました。
川俣の名物といえば、川俣シャモ、シルク、コスキン・エン・ハポネス。
最後のコスキン・エン・ハポネスは、日本国内最大のフォルクローレ・フェスティバルで、毎年10月に開催されています。
というわけで、道の駅でそばを食べ、桑粉入りのソフトクリームを堪能した後、お隣のおりもの展示館を見学。
世界一薄い絹織物「フェアリー・フェザー」は、本当になめらかで薄くて軽いシルクでした。マレーシアのジミー・チュウが、震災後、川俣シルクを素材に作った靴ももちろん展示してありました。
でも、この日の展示のメインは、おひなさまでした。
道の駅では、川俣町の公民館の主事をしているインドネシア人のイェティさんとお友達のエカさんと初めてお会いし、生活のことや技能実習生のことなど、色々なお話を聞きました。イェティさんとは、フェイスブックで友達になっていたのですが、実際に会うのは初めてでした。ただ、なぜかそんな気がしない出会いでした。
イェティさんの案内で、川俣から飯野へ移動。川俣は町として存続しましたが、飯野は合併を選び、福島市に吸収されました。
飯野では、ちょうど、名物の吊るしびな祭りが行われていました。飯野のメインストリートの焦点が、思い思いに、小さな雛人形や色々な飾りを上から吊るし、それをお客さんが見て回る、というお祭りです。
ポイントは、店に入らないとじっくり見られないこと。そして、朝10時から夕方4時までしかやっていないこと。我々が着いたのは午後3時半で、結局、30分しか見て回ることができませんでした。
筆者が幼い頃、国鉄・東北線の松川駅から川俣線という国鉄ローカル線が出ていました。松川、岩代飯野、岩代川俣のわずか3駅で、全国有数の赤字路線となり、1972年に廃止されました。
福島市に住んでいたとはいえ、飯野に行ったのは今回が初めてでした。この吊るしびな祭りは3月4日まで、飯野の30以上の店で行われています。行って実際に見ると、なかなか圧巻です。
飯野は、UFOでの町おこしも試みており、UFOの里という施設もあります。また、近いうちに飯野へ行き、おばさんの話の続きを聞きたい、面白いことやものを探したいと思います。
グローカルとハイローカル
1月半ば、会津坂下の話を書いて以来、2週間以上もブログをお留守にしてしまいました。「日記」と言いながら、これはこれまでで最長の空白期間になりました。
柳津の「小さな宿の勉強会」は今回でなんと第484回
1月12日は会津坂下で用務を済ませ、さて次はどこへ行こうかと思っていたところ、今回案内してくれる友人が、柳津(やないづ)へ行くというので、付いて行きました。
友人が連れて行ったのは、柳津温泉の「花ホテル滝のや」という宿でした。なんでも、友人は私をこの宿のご主人に会わせたい、というのです。まあ、私自身、特別な予定もなかったので、そこまで言うならお会いしてみよう、ということで同行したのでした。
着いてしばらくすると、行政関係の別の来客があり、成り行き上、事情も分からないまま、私も同席することになりました。皆さんの話の内容は分かりましたが、これまでの経緯や中身については全く関知しないので、ともかく、じっと黙っていることにしました。
このときの私以外の方々の議論について、ここでは触れませんが、地域の現場でよく見かける様々なものの一端がここにもありました。
この宿に私を連れてきた友人は、夜、会津坂下で用事があるということで、私は急遽、この宿に1泊するということになりました。そして、たまたま、その夜はイベントがあるので、それにもぜひ顔を出してほしい、と言われました。
そのイベント、というのが、「小さな宿の勉強会」花ホテル講演会、というものでした。今回で第484回。えーっ、484回も続いている勉強会って、いったい、どんなものなのだろうか。しかも、柳津という小さな町の小さな宿でそれが続いているとは・・・。
急に興味がわいてきたので、この会に参加することにしました。
宿のご主人から渡された資料によると、この会の第1回は2001年2月2日に開催されて、毎月3~4回ぐらいのペースで、ずーっと継続されています。
今回の第484回は、いなわしろ民話の会に所属する鈴木清孝さんという方が「会津の民話:親父の冬がたり(冬だからこそ、語りのおもてなし)」と題する講演でした。
福島県内の会津地方より面積の狭い都府県が全国で21あることや、冬の雪多き気候が豊かな水を作り出す場所として会津の「津」という意味があることなど、会津に関する豆知識をお話しいただいた後、いくつかの冬に関係する唱歌を皆で歌い、冬に関するいくつかの民話を会津弁で語ってくださいました。
参加された方々は高齢の方が多かったのですが、皆さん、民話が好きで、語り部をやっていらっしゃる方々でした。全会津民話の会という名前の下に、18団体、200人が会員となり、500~600話(基本は150話程度)の民話の語りを行っている、というのにも、軽く驚きました。会津ではまだまだ民話が愛されているように感じました。
鈴木さんの講演が終了すると、参加者が集って、オードブルや鍋を囲みながら懇親会へ移ります。今回は、県立会津大学の副学長を務めていらっしゃる程先生も参加されていて、とても熱心に皆さんのお話を聞いていましたし、私も個人的に色々とお話をすることができてとても有益でした。
間もなく500回を迎えようというこの「小さな宿の勉強会」を主宰している花ホテル滝のやのご主人である塩田恵介さん。まさに、地域な中で様々な人々をつなげ、それを地域に生かす種まきをずっと地道にされていることに深い感銘を受けました。それは、決してすぐに芽を出すものでも、成果主義に即した即効性のあるものでもないかもしれませんが、こうした営みが続いているということ自体に大きな意味があると感じました。
塩田さんはまた、柳津という一つの町に留まらず、奥会津地方の地域づくりに関わる方々のまとめ役も果たされていて、とくに、災害で一部不通となっているJR只見線の復旧に関して、沿線市町村と連携して動いていらっしゃる姿には、本当に脱帽です。まさに、奥会津、いや会津の地域づくりのキーマンの一人なのでした。
私の友人がなぜ、私を塩田さんに会わせたいと思ったのかがようやく理解できました。
そして、わずか数時間前にお会いしたばかりの私に、塩田さんはこの「小さな宿の勉強会」での講演を依頼するのでした。これは、快諾しないわけにはいきません。この3月に「グローカルな視点からみた地域づくり」(仮題)でお話しすることを約束しました。そして、塩田さんからは、只見線復旧と絡めて話してほしいとの注文も受けました。
宿の24時間かけ流しの快適な温泉に浸かりながら、この日の柳津での出会いの偶然と講演を含むこれからの柳津や奥会津との関わりのことをぼーっと考えていました。そして、やっぱり、現場に即すると、次から次へと色々なアイディアが湧き出てくることに改めて気づきました。
外は雪、マイナス13度の柳津で、温泉のせいもあるでしょうが、とても温かな、そしてしっかりやらなきゃ、という気持ちにさせてくれた一日でした。
柳津に連れて来てくれた友人と塩田さんはじめ、「勉強会」でお会いできた皆さんに感謝申し上げます。
会津バスの粋な計らい
昨日、1月11日から福島県会津に来ています。
同じ福島県といっても、福島市出身の自分にとって、会津はあまりよく知らない世界です。これまで、何度か来たことはありますが、土地勘が全くない場所です。
今回は、東京から会津バスの高速バスで会津若松駅前まで乗車しました。快適なバス旅で、所要時間は4時間弱。郡山まで雪はほとんどなく、車窓から見える枯れ木林が夕日に映えてとてもきれいでした。
郡山からいくつものトンネルを経て山を越え、猪苗代に入ると、そこはもう一面の銀世界。かなりの雪が積もっていました。会津若松市内は猪苗代ほどではないにせよ、それでもまだ道には雪がけっこう残っていました。
道中、会津バスの運転手から、乗継タクシーの割引券をもらいました。系列の会津タクシー限定ですが、会津バスで到着後、会津タクシーに乗り継ぐと、タクシー料金から500円割引となる券です。
途中のサービスエリアで、会津タクシーに電話をし、迎えに来るように頼むと、ちゃんと会津若松駅前で待っていてくれました。市内のホテルまで780円でしたので、280円の支払いで済んでしまいました。
タクシー以外に、喜多方方面などへの会津バスの路線バスに乗り継ぐ場合にも、割引券が提供されます。
会津観光には、2,670円で、2日間、指定域内の鉄道・バスが乗り放題となる「会津ぐるっとカード」というのもあり、利用しない手はありません。
もっとも、今回は、会津坂下の友人が案内してくれているので、私はまだ使っていませんが。
巷では「明治維新150年」とか言っていますが、会津では「戊辰戦争150年」という言葉をよく聞きます。あまり知られていませんが、会津は今、地域活性化の面白い取り組みが色々行われているところです。今回は、その一端に触れることができそうです。
祈りだけでなく行動へ
新しい年、2018年が始まりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年の自分のキャッチフレーズは、「祈りだけでなく行動へ」としました。毎年、家族の健康や世界の平和を祈ってきましたが、それだけでは不十分、自らそのための行動を起こしていかなければならない、と今年は特に強く感じました。
それでも今日は、東京の自宅近くの神社へ初詣し、しっかり祈ってきました。
23年間勤めた研究所を辞め、一人で動き始めて、今年で10年になります。これまでも、そして今も、試行錯誤の毎日ですが、一人で動けるということの意味をもう一度考えています。
日本のローカルとインドネシアのローカルをつなげて新しいモノやコトを創る、という活動を、さらに進めていきます。そして、日本のローカルどうし、インドネシア以外のローカルへの展開を試みていきます。
ここでのローカルには、地域社会・コミュニティ、地方自治体、地方企業、農民グループ、社会組織、そして地域に生きる個々の人々、を含みます。
ローカルとローカルをグローバルにもつなげていった先に、私なりの未来の姿があります。
それは、国や種族や宗教による勝手な先入観を抑え、同じ人間としての他者への想像力を深め、広げた世界であり、それを足元の日々の暮らしから発想し、意識する、ということです。
そのためには、暮らしから遠いところにある国家ではなく、暮らしに直結したローカルから発想する必要があると考えます。平和というものは、人々が自分の暮らしを第一に意識するところから始まるはずです。
ローカルは他のローカルの支配者になる必要はありません。国家という枠がはめられている以上、一つのローカルが世界中のローカルを支配することはできません。ローカルとローカルとの間に上下関係はありません。対等の関係でつながり、互いの違いを認め合うだけです。学びあいの関係をつくるのに適した関係と言えます。
そんなローカルが他のローカルを認め合いながらつながっていく世界は、国家が覇を唱え合うだけの世界よりも、あるいは覇を唱える国家の横暴を抑制させる、より安定した世界になるのではないか。
それは夢想かもしれません。お花畑かもしれません。でも、つながらずに、知らない相手を一方的に妄想し、相手を誹謗・中傷し罵声を浴びせるようなことは、個人のストレス発散の方法だとしても、決して許されるものではありません。だって、自分がそれをされたなら、決して嬉しく感じるはずがないからです。
国を知ることも大事ですが、同時に、そこで人々が暮らすローカルをもっと知り、その人々や彼らの暮らしへの想像力を高めることが必要です。
ローカルから始める意味はそこにあります。ローカルは暮らしと直結するからです。
そのような意味を込めて、これから仲間を増やす長い旅に出たいと思います。皆さんがそうした仲間に加わっていただけることを願いつつ・・・。
国境を越えて人々が学び合える時代が来ている
12月15日まで福島市にいましたが、とにかく寒くて寒くて、部屋の暖房が電気ストーブ1台ということもあり、書きものをしていると手がかじかんできて、体にこたえました。
東京へ戻ってくると、もう、福島よりはずいぶんと暖かく、こんなに違うものだと改めて感じいるのでした。
それでも、12月15日には、前々からお会いしたいと思っていた方とゆっくりお話しすることができ、とても有益な時間を過ごすことができました。そして、自分が目指そうとしていることは、まだほとんど手つかずの活動だということを確認できました。その辺の話は今後、追い追いしていくことにします。じっくりと始めていきます。
12月16日は、「学びあいが生み出す農家の未来」というシンポジウムに出席しました。トヨタ財団の助成を受けて、フィリピン、東ティモール、ラオスの農民たちが3カ国間を相互に訪問し、3者間で技術交換や学びあいの交流を行う事業の報告会でした。
この事業では、日本側は三者をつなげるための黒子に徹し、三者間の学びあいを深めていくプロセスを促す役目を果たします。彼らの交流のなかで、予期せぬ展開が続出し、そこからまた新たな学びあいが起こる、そんなワクワクするような事業に見えました。
たまたま、三者の農民はコーヒー栽培という点で話題の共通項がありましたが、コーヒーの栽培技術はもちろん、それ以外の農業における地域資源の生かし方など、同じ農民どうしで互いの学びが錬成されていきました。
支援ではなく交流、というのがこの事業の目的ですが、助成を受けている以上、何らかの成果を示す必要があります。通常の支援事業では、計画フレームが最初に作られ、それがいつまでにどれだけ達成できたかがチェックされ、費用対効果も重視されるでしょう。当初の筋書きにないものは、あまり歓迎されない傾向もあります。事業の実施前と実施後との比較で、どれだけ成果があったかを点と点で比べることになります。
交流も、もちろん、実施前と実施後との比較は可能ですが、何を成果とするかは難しいものがあります。学びあった後、そこで得た知識や技術がどう生かされたか、を測定するにはかなりの時間を要します。それよりも、学びあいのプロセス自体に農民たちは意義を感じているように見えました。何よりも、彼らが出会わなければ学びあいは起こらないし、出会っても適切な促しがなければ学びあいにはならないのです。
交流は長いプロセスを経て自ずと自分たちが変わっていくものでしょう。そうした変化の永続的なプロセスが交流の肝と言ってもいいかもしれません。成果を見せるためには、そうした長い永続的なプロセスの中で細かく小さな目標を設定して、それを少しずつ達成し続けていくことになるでしょう。
今や、こうしたフツーの人々が国境を越えて学び合える時代が来ている、という感を強くします。もちろん、それには、通訳者などの献身的な協力なしにはなしえないものでしょう。それでも、従来のような、進んだ国から遅れた国が学ぶという垂直的な「支援」「援助」だけでなく、同じ立場の人々が似たような立場の人々との関係を基本とする水平的な「交流」「学びあい」もまた大いに意味を持つものと認識されていると考えます。
そうした学びあいを日本が促すことに意味があると思う一方で、別に日本だけが促す必要もないとも思います。おそらくきっと、世界中には、同じような学びあいを促そうと動いている人々がいます。公的資金を活用するものもあれば、民間資金や寄付金を活用するものもあるでしょうが、そうした人々を探し出して、ビジョンを共有し、互いの活動を認識しながら、ファシリテーターどうしが緩やかに繋がっていくことで、様々な学びあいのネットワークが自発的に広がっていく、というイメージがあります。
私は、まずは一人で、やれるところから、そうした学びあいの促しを試みていきたいと考えています。ローカルからローカルをつなげ、単なる技術交換に留まらない、ローカルとローカルの学びあいにまで広がっていけたら、と思います。
そして、少しずつ、世界中を視野に、同じような志を持つ同志を探し出す旅、同志を増やしていく旅に出たいと思います。もしかすると、このブログを読んでくださっているあなたが、私の同志になるかもしれません。
16日の「学びあいが生み出す農家の未来」というシンポジウムは、その意味で、同志は確実にいる、学びあいは社会を変えていく、という確信をより一層強く感じた機会となりました。
シンポジウムの懇親会に少しだけ顔を出し、最近一緒に出かけることが少なかった妻と一緒に、しばし、丸の内など、冬の夜のイルミネーションを歩きました。
明日(12月19日)は、大阪へ日帰り出張します。
映画「おだやかな革命」の試写会に行った
ダメもとで応募したら、映画「おだやかな革命」の試写会に当たったので、11月21日に東京・銀座で観てきました。
この映画は、来年2月、ポレポレ東中野を皮切りに、全国での上映が予定されています。それに先駆けて、今回、観ることができました。
内容は、全国各地で起こり始めた、地域がエネルギー主権を取り戻すというお話ですが、単なるご当地エネルギーの話にとどまらず、それが地域のなかで引き起こす様々な新しい動きが、地域をより温かく、楽しくしていく、関わる人々の間に様々な学びと他者への尊敬を生み出していく、その様子を丁寧に描いたものでした。
取り上げられた事例自体は、日本の地域づくりに関わる人にはよく知られた事例かもしれません。でも、取り上げられた4つの事例を通じて流れるのは、未来へ向けての根本的なパラダイム転換であり、それを「おだやかな革命」と評しているように思えました。
この「革命」は、単におだやかであるだけでなく、私たち自身が未来に対して主体的に関わっていくことを促しているものです。為政者が声高に語る空虚な「革命」と対峙する愚をとらず、確実に、地に足をつけて、しっかりと広がり始めた「革命」です。
それは、雲のうえにあるかのような国家と、日々の暮らしに立脚したローカルとでは、観ている地平が違うということでもあります。富や名声ではなく、他と比べて優越を競うのでもなく、自分たちの暮らしとその基盤となる地域やコミュニティを温かく、楽しく、希望を感じる場所へと作り上げていく、あるいはもう一度そんな場所を取り戻そうとしていく日々の営みこそが、「おだやかな革命」とでもいうものであるような気がします。
この映画を作った渡辺智史監督と少しお話しする機会がありましたが、鶴岡市という地方に立脚しているからこそ、描けている部分もあると感じました。そして、渡辺監督自身もまた、「おだやかな革命」を遂行している一人であることを自覚しているはずです。
私も、そしてあなたも、自分自身を暮らしの中に取り戻そうと動いている人々は、「おだやかな革命」の遂行者なのだと思います。
映画を通じて、大丈夫、私たちはまだ大丈夫、そう信じていいのだ、というメッセージも受け止めました。
ぜひ、一人でも多くの方々にこの映画を観てほしいと思います。そして、私たちもまた、「おだやかな革命」の遂行者なのだということを意識し、おだやかにつながっていければと願うものです。
「佐伯むすめ」との出会い
佐伯といえば、有名なのは寿司です。分厚いネタは、あまりに分厚いので、ネタに切り込みが入っています。もちろん、ネタは新鮮そのもの。10年以上前、初めて佐伯を訪れて食べた寿司の味を忘れることはできません。
では、寿司以外に何があるのか。と思っていたのですが、いろいろあるのです。今回出会ったもののなかで、特に良かったのは、「佐伯むすめ」との出会いでした。
佐伯むすめ? いえいえ、人間の娘さんではありません。吟醸あんという上等な餡を使ったお饅頭です。リンクは以下から。
地元でよく売れているのは、みそ味とチーズ味だそうですが、オリジナルともいうべき吟醸あんを使ったものは、上の写真の真ん中の「利休」です。
ひと口食べてみましたが、餡がとても美味しいのです。手作りで丁寧に作られた滑らかな餡。薄皮との相性も抜群で、やさしい甘さが静かに口のなかに広がります。
みそ味とチーズ味も食べましたが、私に饅頭という既成概念があるためか、チーズ味はちょっと別物という感じがしました。
それにしても、この饅頭のレベルはかなりいい線を行っていると思います。
佐伯に美味しい饅頭あり、その名は「佐伯むすめ」です。吟醸あんの虜になること、間違いなし、と思いました。
久々のプンチャック越えで出逢った光景
10月17~19日は、西ジャワ州チアンジュール県を訪れました。ここでは、園芸農業を中心とした農業の現状に関する情報収集を行いました。